慈愛の怪盗と光の大天使   作:もとりな

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第1話

 8月某日。

 トリニティは最高気温を更新していた。

 茹だるような熱気はアスファルトを熱々のフライパンに変え、自販機の在庫を一瞬で空にしていく。

 すでに倦怠感が一瞬で最高値までたまるような環境だったが、ストレスの要因はまだあった。

 セミである。

 ミンミンジージーと体力を耳から奪っていくような音に、外を歩く人々は辟易とした様子だ。

 夏の日差しにセミの声。

 この時期なら誰もが悩まされる問題だが……桐藤ナギサには関係ない。

 トリニティ総合学園の執務室。

 真夏の日差しも、セミの声も通さない部屋で、彼女はティータイムを楽しんでいた。

 エデン条約のごたごたや虚構のサンクトゥムなどでしばらく働き詰めだったナギサだが、ここ最近になってようやく暇ができてきた。こうしてお茶を楽しむ時間も段々と増えてきている。ゲヘナとの関係改善など、まだまだ問題は山積みだが、それでも焦るような仕事はほとんどなくなってしまった。

 さらに言えば大切な友人たちと昔のように気軽に話す時間もでき、私生活も順風満帆である。

 思わず鼻歌を奏でてしまうほどには全てが順調だった。

 

 ──今日、ある報告を受け取るまでは。

 

 

「予告状、ですか…?」

 

 

 仕事を片づけた後、いつも通り執務室でお茶を楽しんでいたナギサのもとに、随分と物騒な情報が届いた。

 

 

「はい。送り主はどうやら『光の大天使』を盗もうと計画しているようです」

 

「『光の大天使』を?確かにかの一品は我が校にある美術品の中では最も価値の高い絵画ですが……その分警備は入念です。盗人など臆することもないでしょう」

 

「それが、送り主があの『慈愛の怪盗』らしく……」

 

「『慈愛の怪盗』……」

 

 

 『慈愛の怪盗』。

 矯正局から逃げ出した七囚人の一人で、盗みの天才である。

 その被害総数は両手の指では足りず、金額に換算すれば兆など軽く超えるほどだ。

 事前に送られてくる難解な予告状、必ず大衆の前に姿を現す、など現場に多数の証拠を残すことで有名な人物だが、捕えることはできない。

 そんな優雅さや強さに惹かれ、一般市民にはファンすらいるようだが……

 

 

「なるほど……それは警戒せねばなりませんね。まったく、よりにもよって何故トリニティなのでしょうか…」

 

 

 ナギサからすればたまったものではない。

 いくら仕事が減ったとはいえ、それらはあくまで『緊急の』という枕言葉がつく仕事の話だ。

 彼女はティーパーティーのホストなのだから、普段の仕事だって普通に忙しい。

 わけわからん怪盗の相手なんて正直やってられない。

 ようやく全てが順調に回り出したというのに、勘弁して欲しいものだ。

 

 文句を言ってもしょうがないと観念し、ナギサは思考を切り替える。

 そういえばゲヘナも前に貴重な美術品を盗まれていましたね…と過去の被害を振り返りつつ、報告をしてきた生徒に「予告状を見せてください」と頼む。

 すると生徒は鞄から1枚の紙を取り出し、そのままナギサに手渡した。

 

 

「これは……コピーですか?」

 

「はい。本物に関してはシスターフッドの方々が預かっているそうです」

 

「シスターフッドが解読を?」

 

「はい。えっと……中止させますか?」

 

 

 疑問符を浮かべる生徒に対して、ナギサは「大丈夫です」と微笑んで返した。

 

 

「あそこにはサクラコさんを始めとして優秀な方々が多数いらっしゃいます。任せて問題はないでしょう……それよりも、報告ありがとうございました。下がって大丈夫ですよ」

 

「はっ。失礼します」

 

 扉の向こうに消えていく少女を見送り、『慈愛の怪盗』から送られてきた予告状なるものに目を通す。

 

 

『一日に一つ歌を歌え。そして常に先頭を歩く双子の姉と、辿々しくも最後尾に着いて行く妹。彼女らの居場所を理解せよ。さすれば彼女らは彼女らの本質たる感謝の歌を歌うだろう。その歌に惹かれた私も、きっと姿を表すだろう』

 

 

「ふむ……」

 

 

 全くわからない……わけではない。

 いや、むしろナギサを始めとしたトリニティのメンバーなら時間をかければ解けそうな気配がある。

 まぁ並んでいる単語からして、他校の生徒なら怪しいが。

 

 とりあえず暗号について考えるのを一旦やめ、ナギサはポケットから飾り気のないスマートフォンを取り出した。

 事務的な連絡に使う、盗聴対策が厳重に施された特注かつ最新鋭のスマートフォンである。

 そんなハイテクなアイテムを駆使して、彼女はある人物に連絡をとった。

 数コールで電話が繋がる。

 

 

「こんにちは、サクラコさん。突然のお電話失礼します」

 

『いえ、問題ありません。『慈愛の怪盗』の件でしょうか?』

 

 

 その相手は歌住サクラコ。

 現在暗号の解読を任されている、シスターフッドの長である。

 電話に出た瞬間に要件を聞いてくるあたり、彼女が仕事慣れしているのがよくわかる。

 

 

「お話が早くて助かります。予告状の解析は既に?」

 

『ほとんど完了しています。とは言っても書かれていたのは犯行時刻くらいのものでしたが』

 

 

 早い。まだ予告状を受け取って1時間も経っていないだろうに、よくやるものだ。

 驚き半分畏れ半分のナギサは、しかしそんな感情はお首にもださずに返答する。

 

 

「十分です。時刻がわかれば幾らでも対処のしようがありますから」

 

『なるほど。流石は現ホスト、と言うべきでしょうか?』

 

「美辞麗句は公的な場だけで結構。それよりも3時間後に第7会議室で緊急対策会議を開きますので、出席をお願いします」

 

『その時間、第7会議室は別の部署が予約していたと記憶していますが?』

 

「どうやら今朝キャンセルされたようです。他の会議室が空いていないので、こちらとしては助かりました」

 

『そうでしたか…。緊急会議については万事了解いたしました。信頼できる者を数名連れて行きます』

 

 

 感謝を述べて電話を切り…再び別のところへ掛け直す。

 

 

「ご機嫌よう。先日はありがとうございました──」

 

「ハスミさん。少々お時間よろしいでしょうか──」

 

「緊急対策会議についてですが──」

 

「詳しいことは後ほど──」

 

 

 正義実現委員会、救護騎士団などなど、警備に役立ちそうな部署へと流れるように連絡をとっていく。

 そこに迷いはない。

 会議の議題を決め、関係各所に手配し、手帳に予定を書き込み……全ての準備を完璧に終える。

 その間わずか20分。

 驚異的、と呼べる速度だ。

 ナギサとてお飾りのトップではない。

 トリニティ内のドロドロとした政治闘争を勝ち抜き、気高きホストの一席へと腰を下ろすことになった正真正銘の怪物である。

 こういった『人を動かす』ことに関して右に出る者はいないだろう。

 

 

「さて…面倒ですが、対策をせねばなりませんね」

 

 

 溜息すらつくことなく、思考を怪盗対策へと切り替える。

 怪盗を捕縛する……などとは考えない。

 確かに『慈愛の怪盗』はキヴォトスでも屈指の問題児であり、捕まえれば多大な名誉と報奨金が得られるだろうが、欲をかけば破滅するのはこちらである。

 まず第一に考えるべきは『光の大天使』を守ること。

 

 

(ならばまず、やるべきことは──)

 

 

 油断せず、作戦を組み上げていく。

 ありとあらゆる状況にも瞬時に、そして冷静に対応できることもまた、彼女の強さであった。

 しかし、

 

 

(『慈愛の怪盗』…芸術への異常な拘りを持つ七囚人の一人、ですか)

 

 

 ふと思考にノイズが走る。

 ナギサは伝統や文化を重んじるトリニティの一員、それもティーパーティーのホストという立場だ。

 独創的な彫像や美しいカリグラフィー、果ては百鬼夜行文化の浮世絵まで、様々な芸術作品に触れてきた。

 そのため、自分なりの芸術への価値観というものがかなり固まっている。加えて様々な人間と言葉を交わしてきたこともあり、自分の価値観と他人の価値観が大きく異なっていることも理解していた。

 そして、ナギサは様々な人間の芸術に対する感情を知るのがとても好きだった。

 これはゲストが好む茶葉を見つけた時の感覚に近い。

 自分の知らない何か、自分とは違う考え方に触れた時に感じる世界が広がるような爽快感。

 胸にストンと何かが落ちるような納得感は、普段の生活では中々得られるようなものではないのだ。

 

 だからこそ、知りたい。

 

 

(『慈愛の怪盗』……貴女は芸術をどう捉えているのでしょう?そしてなぜ盗みを働くのでしょうか?)

 

 

 好奇心に駆られたナギサは───少しだけ、作戦に私欲を混ぜてみることにした。

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

「これがトリニティの紅茶ですか。透き通るような色合いに、仄かなレモンの香り……ふむ、とても美しい。長年の努力と研鑽により培われた味と香り。このような伝統もまた、一つの芸術品と呼べるでしょう」

 

 

 トリニティ某所のとあるホテル。

 206と扉に記された部屋の中の椅子に一人の人物が腰掛けていた。

 優雅に紅茶を嗜む姿だけを見れば、その輝くような白銀の髪も相まってどこかの貴族のようにも見えたのだろうが、耳元につけられたゴテゴテとした機械……一般的に盗聴器と呼ばれるソレが全てを台無しにしていた。

 ただ当の本人は気にした様子もなく、エレガントに茶葉を楽しんでいる。

 彼女の名前は清澄アキラ。

 世間では『慈愛の怪盗』と呼ばれる要注意人物である。

 トリニティ総合学園という巨大組織に予告状を出したとは思えないほどに余裕の態度をとっているが、彼女とて無為に遊んでいるわけではない。

 

 彼女の耳につけられた盗聴器から流れているのは、トリニティ第7会議室の音声。

 つまり彼女は現在行われている慈愛の怪盗対策会議を盗み聞きしているのだ。

 

 

「トリニティに潜入するのは楽でしたが……会議の場を誘導するのは多少骨が折れましたね」

 

 

 アキラがトリニティに潜入した日、トリニティ校内は随分と慌しかった。

 突然ある組織の不正が発覚して緊急会議が発生したり。

 何故か書類が紛失して会議が延期になったり。

 そんな風に、会議室の予約が埋まったり空いたりを頻繁に繰り返していたのだ。

 その結果として、()()()()()()今日は第7会議室しか空いていないと言う事態になった。

 

 

「ふふふ、不思議なこともあるものですね」

 

 

 そう嘯いて怪盗は微笑む。

 

 

『警備はB地点を中心に』

 

「そこは最も視覚になりやすい場所。当然でしょうね」

 

『ツルギさんはC地点周りの警備を』

 

「おや、それは意外。危うくトリニティの最高戦力の一人と鉢合わせるところでしたね」

 

『予告状は本当にこの解釈で正しいのでしょうか…?』

 

「もちろん。4日後の19時ちょうどにお邪魔させていただきますよ。ふふ、トリニティには優秀なお嬢さんがいらっしゃるようだ」

 

 

 筒抜け、丸見え、丸聞こえ。

 巧妙に仕掛けられた盗聴器に誰も気が付かないまま、会議は進行していく。

 まぁそれも当然。

 なにせ盗聴器が仕掛けられているのはドアノブの中。

 室内をいくら調べたところで見つかるはずがない。

 例えドアノブの中を怪しんだとしても、調べるならば唯一の出入り口を少なくない時間閉鎖することになるため、会議の開始までに間に合わない。

 そしてこの時間に会議ができなければ、次に部屋を使えるのは来週…今度は犯行時刻に間に合わない。

 ある程度の人数が集まって極秘に会議ができるのが20の会議室以外に存在しないのも把握済みだ。

 つまるところ、アキラに盗聴されるのは必然、というわけである。

 

 

「情報も一つの宝。事前にそれを手に入れた者こそが芸術に触れる権利を得られる……それを理解していただきましょう、お嬢さん方」

 

 

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