慈愛の怪盗と光の大天使   作:もとりな

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第3話

「ふぅ、少し焦りましたね」

 

 

 大金庫から抜け出したアキラは、額の汗を拭いつつ屋根から屋根へと飛び渡っていた。

 ここはビル街らしく、アキラが走っているのはかなり高い位置だ。そこから一望する夕暮れのトリニティは絶景そのものだが……今はそれにかまけている暇はない。

 会議を盗聴した限りでは、大金庫内でシスターフッドが『光の大天使』を保護するということになっていたはず。

 しかし実際に入っていたのはここから離れた場所にいるはずの最高戦力(剣先ツルギ)。少なくとも『光の大天使』の姿は影も形もなかった。さらにはどこかのタイミングで自身の変装もバレている始末。

 

 

「会議以外のタイミングで密かに話を…?しかしそのような余裕があったとはとても思えませんが……とにかく、事前に建てた計画は殆ど機能しなくなりましたね」

 

 

 あっと驚くようなサプライズをたくさん用意していたのですが…とコンクリートビルの上でため息を吐くアキラ。

 作戦はお釈迦、敵の戦力は未知数……正直に言ってかなり苦しい状況だ。情報を第一とする怪盗にとってはもはや詰みとも呼べる場面。さすがにあの会議の内容が全て罠だったとは百戦錬磨の『慈愛の怪盗』であっても予測はできなかった。

 しかしこういった事態は初めてではない。

 数多の困難を乗り越えてきたから彼女は『慈愛の怪盗』と畏敬の念を込めて呼ばれるのだから。

 幸いにもこの周囲一帯の地理は一通り把握している。

 あとは『光の大天使』が隠されている場所に目星をつけて虱潰しに探していくだけだ。

 

 

「ふふ、むしろこれでこそショーが盛り上がるというものです」

 

「なぁにゴチャゴチャ言ってんだァ?」

 

「おや?」

 

 

 ビルの屋上…かなりの高所にいるはずこアキラの体を影が覆う。

 不思議に思って上を見上げると、夕空には幽霊も裸足で逃げ出すほどの狂笑が。

 

 

「死ねェェェェェェェ!!!!」

 

「ふふ、随分とお早い到着だ」

 

 

 ズドッッッッッ!!

 と鈍い音と共に降り注ぐ弾丸を駆けてかわす。

 あまり暴力的な手段に訴えるのは『慈愛の怪盗』の美学を考えれば美しくないが……今回ばかりは遠慮などしていられない。相手はあの剣先ツルギだ。逃走するにも全力を尽くさなければ、潰されるのはこちらだ。

 そう判断したアキラは、迷いなく簡易爆弾(トランプ)をクナイのごとく投擲する。

 アキラと違って逃げ場のない空中にいるツルギは全てのトランプを全身に受け、ボボボン!!という連続的な爆破音と共にその姿を煙の中に掻き消した。

 が。

 

 

「キヒ…♪」

 

「無傷とは…」

 

 

 その青白い肌には傷ひとつついていなかった。

 代わりに髪が少し焦げているが、本人は至って気にした様子もない。

 彼女はそのまま銃を放り投げグッと拳を振り上げた。

 夕焼けをバックに振ってくる凶相の少女は、ハッキリ言って恐怖以外の何者でもない。

 爆音で警鐘を鳴らす本能に従ってアキラは全力の回避を実行する。

 

 

「ッッッッッらァァァァァァ!!!!!」

 

「これは……っ」

 

 

 ズガッッッッッ!!という人間が出せるとは思えない爆砕音。

 ビルの端に留まっていたカラスたちが一斉に逃げ出した。

 そしてビルの屋上に出来るクレーター。

 命からがら避けたアキラの目の前で痛がる素ぶりもなく拳からパラパラとコンクリートの破片を降らせるツルギに頬が引き攣る。

 これはマズい。

 生物としての格が違いすぎる

 

 

(今すぐ逃げなければなりませんが……スナイパーが厄介ですね)

 

 

 チラリと周囲を見ると、遠くのビルの屋上で何かがキラリと光った。

 おそらくはライフルのスコープ。

 いつのまにか厄介な位置に陣取られていたらしい。

 ビルから飛び降りる、他の屋根に飛び移る、ツルギの攻撃を避ける。

 ありとあらゆる行動に狙撃される危険が付き纏うのは芳しくない。

 ならば……

 

 

「場所を変えましょうか。ここは少し目立ちすぎる」

 

「っ!?てめぇ…!」

 

 

 ツルギの足元。

 先程できたクレーター部分に爆弾をカランと投擲。

 そのままそれは勢いよく爆発し……

 

 爆発と共に脆くなっていた地面は崩れ、二人の姿はビルの内部へと消えていく。

 

 

(建物内部には狙撃ができない。つまりスナイパーは機能しなくなった)

 

 

 ビルの中は伽藍堂だった。

 どうやら廃棄予定のビルだったらしい。

 無機質な柱しかない空間は随分と殺風景だった。

 爆破とコンクリートの煙の中でアキラは考える。

 

 

(急ぐために建物の上を走ったのが失策でしたね。本来は焦らずに人混みに紛れて行動するのが正解。正義実現委員会も、変装を見破るためとはいえ、一般人に手荒なマネはできないでしょうから)

 

 

 だからこそ。

 

 

「ビルの下まで駆け抜けて、今度こそ大衆の中へと溶け込んでしまいましょう…!」

 

「させるかよォォォォォォ!!」

 

 

 近場にあった階段に飛び込む。

 現在階層、30F。

 先に1Fまで逃げ切れば『慈愛の怪盗』の勝利。

 それまでに彼女を捕らえたならば正義実現委員会の勝利。

 

 地獄の追いかけっこの始まりである。

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 (29、28、27……)

 

 

 階段を駆け下りる。

 単調な作業に緊迫感を与えるBGMはドガッ!グシャッ!バキィィ!!という後方から聞こえる物質破壊ASMRだ。

 

 

「キイエェェェェェェェェェ!!!!!」

 

 

 それから楽しげな死神の哄笑も。

 確実に迫る死の感覚を背中に感じつつ、早く早くと焦る心を落ち着かせて壁を蹴り、手すりをけり、跳ねるように下へと向かう。

 単純な速度で言えばアキラがツルギに勝てる道理は無い。

 だからこそ……

 

 

「はっ…!」

 

「ヒャハァァァァァァァァァァ!!」

 

 

 閃光弾を、手榴弾を、簡易爆弾を。

 投げて投げて投げまくる。

 効果は微々たるものだろうが、ツルギの進路上や射線上に置くことで少しずつ、それでも確実に遅延を繰り返していく。

 だがこれらも無限に使えるわけではない。

 いつか限界が来る。

 それまでに1Fに辿り着かなければ……その先は言うまでもないだろう。

 しかし、アキラも数々の修羅場を駆け抜けてきた実力者である。

 冷静に対応すれば切り抜けられることも理解していた。

 

 

(20、19、18……この調子ならば!!)

 

 

 いける。

 そう確信したのが良くなかったのだろう。

 強者との戦闘では一瞬の油断が命取りだというのに。

 

 

 ドッッッッッッッッッ!!

 

 

 アキラの体が横に吹っ飛ぶ。

 

 

(今のは…手榴弾!?)

 

「なんだァ…?私が撃って殴るだけの脳筋だとでも思ったのかァ?」

 

 

 階段からビル内部へと転がったアキラに向かって、カツ…カツ…という足音共に憤懣やるかたないといった具合の声が聞こえてきた。

 煙の中からゆっくりと歩み出てきたツルギは、眉をぐにゃりと凶悪に曲げ、随分と不機嫌そうな顔をしていた。

 

 

「…なるほど、銃弾と格闘の嵐に紛れ込ませるように手榴弾を放ったのですか。これは一本取られましたね」

 

 

 立ち上がって全身の埃を払いつつ、周囲を見る。

 相変わらずの伽藍堂。

 無骨なコンクリートの柱だけが存在する無機質な空間だ。

 窓から差し込む煌びやかな夕陽のおかげで、室内は存外明るい。

 現在階層……16F。

 まだまだ追いかけっこは始まったばかり。

 その事実に焦る気持ちを抑えつつ、正面からゆっくりと近づいてくる強烈な殺気に意識を向ける。

 

 

「ここなら逃げ場はねぇなァ」

 

(階段は彼女の後ろですか)

 

 

 ニヤリと凶悪な笑みを浮かべるツルギを努めて無視する。

 ここは廃ビルだ。

 もしかしたら別の階段や下に通じる穴が他にあるのかもしれないが…あくまで『かもしれない』という話だ。

 加えて予告状に記した時刻まで残り僅か。

 悠長に探してる余裕はあまりない。

 ステッキを握る右手に力が入る。

 

 

(この場での勝利条件は…彼女の背後に回り込むこと)

 

 

 別に正面から戦って勝つ必要はない。

 ただ背後に回り込んで階段に飛び込めばいいだけの話。

 だが。

 

 

「キヒヒ……」

 

(ふふ、これは困りましたね。そんなビジョンが全く見えない)

 

 

 正義実現委員会長、剣先ツルギ。

 トリニティの平和を乱す悪の悉くを滅ぼし、正義のなんたるかをその身一つで体現する、キヴォトス屈指の強者。

 その壁はあまりにも厚い。

 それでも。

 

 

(まったく、芸術に触れるというのは難しい。そして……だからこそ手が届いた瞬間の心地は格別というもの)

 

 

 この困難を超えた先でアキラを待つ芸術……暗く湿った部屋で、ただ崩壊の時を待つしかない絵画のことを思えば、この程度の困難など何ということもない。

 

 

「ヒャァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!」

 

「!」

 

 

 心の中で自らを鼓舞していると、水を差すようにツルギが突貫してくる。

 これは僥倖と二丁の凶銃から放たれる弾丸をすんでのところで避け、彼女の後ろに駆ける。マントに穴が空くが気にしてなどいられない。

 しかし、

 

 

「キヒャァァ!!」

 

「速いっ……!」

 

 

 剣先ツルギはそんな単純な手にやられるような少女ではない。

 人体の構造を完全に無視した超人的な身のこなしでアキラの正面に回り込む。

 そしてそのまま全力でショットガンのストックをアキラの頭部に叩きつけ──

 

 

「っ!」

 

「避けたなァァァァァァ!!!」

 

 

 当たり前だ。

 あんな攻撃を食らえばアキラの頭蓋は一瞬でガンパウダーの如き粉になる。

 わざわざ当たる道理などない。

 あんな攻撃を連続でされるなどごめん被りたいアキラは、暴力的な一撃をかわすと、ヒラリと後ろに下がった。

 一瞬の攻防が終わった合図だ。

 そして……得体の知れない怪盗は、その口の端を笑みの形に曲げる。

 

 

(さて……そろそろでしょうか?)

 

 

 アキラがツルギと出会ってから約1時間。

 目の前で暴力の雨を降らせる少女も、そろそろ白い怪盗の姿を見飽きてきた頃だろう。

 だからこそ……()()()

 

 今度はアキラがツルギの方に突っ込む。

 

 

「!?」

 

 

 これには流石のツルギも驚いたらしい。

 自らの攻撃を避けるだけだった相手が唐突に攻めに転じる……絶対に何か裏がある。

 確信したツルギは防御の体制に入った。

 『慈愛の怪盗』の渾身の一撃を捌き……隙だらけになった瞬間、捕える。

 ツルギの中で方針が固まると同時に、アキラが行動に出た。

 彼女はクルリと回転すると───

 

 

 マントの下から大量の黒いバラの花弁をばら撒いた。

 

 

「ヒャ……あ…?」

 

 

 一瞬、ツルギの思考に空白が生まれる。

 初めてツルギとアキラが邂逅した時のようにばら撒かれたバラの花弁。

 その時と違うのは、花弁の色が全て吸い込まれるような黒だということ。

 そしてその量だ。

 大量の花弁はアキラの背後にまで撒かれ、ツルギから見たアキラは、さながら黒いキャンバスに浮かび上がった真っ白な絵画のようだった。

 

 

「───ヒャァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 

 しかし、そんなことはツルギには関係ない。

 目の前で妖しい笑みを浮かべる怪盗が何を仕掛けたのかはわからないが、今の彼女はどう考えても隙だらけだ。

 しかし銃弾を撃ち込むには少々距離が近い。

 そう判断したツルギは銃を逆手に持ち、アキラに向かってストックを思いっきり振り下ろした。

 間違いなく当たる。

 今までの経験とずば抜けた戦闘のセンスがツルギにそう告げている。

 その感覚に従うまま、振り下ろした強撃は────

 

 

 見事に、空を切った。

 

 アキラの白い前髪がハラリと舞う。

 

 

「………ぁ…?」

 

「膨張色と収縮色」

 

 

 渾身の一撃を外し、大きな隙を晒すツルギの横をゆっくりと慈愛の怪盗が通り過ぎて行く。

 

 

「同じ大きさの黒色の円と白色の円を並べると…人間の視覚は何故か白色の円の方が大きいと錯覚します。この場合、白を膨張色。そして黒を収縮色と呼びます」

 

 

 いわゆる『目の錯覚』と呼ばれる現象の一つ。

 膨張色は周りから浮き出て見え、収縮色はその逆。

 この違いがあるはずも無い大きさの違いを生んでいるのだ。

 そして膨張色は基本的に赤やオレンジと言った暖色系と白色が主で、収縮色は青や水色などの寒色系と黒色が中心である。

 

 さて、ここまでツルギは照明の下や夕陽の中など、膨張色を背景にしながら膨張色の衣装を纏うアキラと戦ってきた。

 

 その背景が唐突に……収縮色である黒に変化した。

 

 これにより、ツルギの視界は、アキラが少しだけ大きくなったように錯覚する。

 それは本人すら気づかないほどの僅かな違い。

 だからこそ引っかかる。

 少しの違いだと侮るなかれ。

 例えば囲碁に使う碁石は白が21.9mm、黒が22.2mmと、白の方が0.3mm小さくなっている。

 これは膨張色と収縮色による大きさの差をなくすため。

 つまり、0.3mmもの差が生まれているのである。

 実力者同士の戦闘において、この0.3mmはとてつもなく大きい。

 

 

「だから貴女は攻撃を外した」

 

「………」

 

「『虚構の0.3mm』。このショーに名をつけるならば、コレがピッタリでしょう」

 

「………ま」

 

 

 そして、アキラは完全にツルギの横を通り過ぎ───

 

 再び階段へと足を踏み入れた。

 

 

「それではお嬢さん、追いかけっこを再開しましょうか」

 

「待ァてェェェェェェェェェェェェェェ!!!!」

 

 

 キザなウィンクへの返答は憎悪の籠った死神の咆哮。

 それを背にアキラは階段を全力で駆け下りる。

 

 

(12、11、10)

 

 

 油断せず、冷静に、一歩ずつ。

 放たれたショットガンは瓦礫で防御。

 こちらを捕らえようとする手はステッキで叩き落とす。

 放り込まれた手榴弾は蹴り返す。

 迫るツルギの一挙手一投足を冷静に観察し、具つぶさに対処していく。

 無論、閃光弾などを使った遅延も忘れない。

 

 『慈愛の怪盗』の隙のない、美しい逃走劇。

 ツルギの顔からも焦りがしっかりと見てとれた。

 

 そして。

 

 

(5)

 

 

 ゴールが近づく。

 

 

「ッッッッらァ!!!」

 

「人に物を投げてはいけませんよ」

 

 

 とんでもない力で剥ぎ取られた手すりを投げつけられるが、軽く横にステップして回避する。

 

 

(4)

 

 

「キイェェェェェェェェェェェェェェ!!!!」

 

「おっと、クラッカーの紐を引っ張るのは少し早いですね」

 

 

 こちらの足元を的確に狙ったショットガンの乱れ撃ちも、飛んで躱せばただの花火でしかない。

 

 

(3)

 

 

「ヒャハハハハハァ!!!!」

 

「ぐっ……っ、今のは少し痛かったですね、ふふ」

 

 

 空中で無防備になった瞬間、額を銃弾が掠めていった。

 が、根性で耐える。

 

 そして、そのまま───

 

 

(─────2)

 

 

 2Fの踊り場に着いた、その時。

 

 

 

 

 激しい銃声と共に、アキラの足元の地面がバラバラに崩れる。

 

 

 

 

「!?」

 

 

 穴の開いた窓から差し込む夕陽に自身の体が浮かんでいるのがわかる。

 混乱する思考の中でアキラは考える。

 

 

(今のは……完全に意識外からの………まさか!?)

 

 

 撃ち抜かれた窓ガラスを見てアキラは驚愕の表情を浮かべる。

 

 

(スナイパー!?まさか、あの混乱した状況で彼女と連絡をとり……私が到達する階層を予測して撃ち抜いた!?なんという技術と連携…!!)

 

「私一人でできることってのは少ない。所詮はあんな小細工に引っかかる程度の人間だからなァ…」

 

「っ!?」

 

「だから」

 

 

 とてつもない殺気を感じて振り返る。

 そこにいたのは……狂っても、怒ってもいない。

 

 純粋で勇敢な笑みを浮かべる1人の少女だった。

 

 

 

 

 

「私のダメな所を補ってくれるッッ!!!仲間ってヤツを頼って戦うんだよッッッッ!!!オラァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!」

 

 

「なんと……美しい!!!!」

 

 

 

 

 

 信じて助け合う。

 言うは易いが、簡単にできることではない。

 お互いの強さも弱さも、全てを認め合って、そして受け入れてこそできる芸当。

 それもまた…一つの芸術品だ。

 

 きっと自分にはできない。

 

 目の前の尊き芸術に感動するアキラだったが…それでも負けてはいられない。

 彼女にも彼女なりの芸術、矜持があるのだから。

 迫る凶手に合わせるように──フワリとマントを投げつける。

 

 

「前が……!?」

 

「ふふ、素晴らしく美しい戦いでした。これにて失礼させていただきます、麗しき正義実現委員会のお嬢さん方」

 

「させ───」

 

 

 絡みつくマントを振り払おうとしたツルギに対して、アキラは───パチン、と指を鳴らした。

 

 瞬間。

 

 マントに取り付けられた、全ての爆弾が起動する。

 

 

 

「!?!?!?!?」

 

 

 

 音、閃光、爆風。

 ありとあらゆる衝撃を間近に受けたツルギに振り返ることなく。

 アキラは人混みの中へと消えていった。

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

 アキラからの置き土産(フルバースト)をまともに受け取ったツルギ。

 今回は流石にこたえたようで、若干意識が明滅していた。

 遠のく意識に鞭打ってなんとか1Fに辿り着いたが……

 

 

「逃したか……」

 

 

 掴みどころのない少女は、ビルの外で騒めく人混みの中に消えた後だった。

 クソが、と悔しそうに頭を掻いていると、襟元につけた無線から連絡が入る。

 

 

『お疲れ様です、ツルギ』

 

「…………ハスミ。逃した、ごめん」

 

『いえ、気にすることはありませんよ。ナギサ様も良くやってくれたと仰られていました』

 

 

 ハスミからの報告を受けて、ツルギは珍しく眉を不安げに歪めた。

 

 

「……………ナギサ様は…………やっぱり?」

 

『えぇ。一人であの場所に向かうようです』

 

「護衛は…………」

 

『大丈夫、とのことです。あのナギサ様です。きっと何か策があるのでしょう』

 

「……………わかった」

 

 

 今回の戦いだけを見ればツルギの負けだが、いまだに『慈愛の怪盗』は危うい立場にいる。

 それもナギサの立てた作戦があってこそ。

 ピンチになればどんな手段も使う桐藤ナギサという少女。

 そんな彼女が大丈夫と言ったのであれば、本当に大丈夫なのだろう。

 素直に納得してツルギは引き下がった。

 

 

『改めてお疲れ様です、ツルギ。帰ったら美味しいケーキでも食べに行きましょう』

 

「ダイエッ」

 

『失礼します』

 

 

 強引に無線を切るハスミにツルギは嘆息する。

 しばらくはスイーツを禁止にしないと。

 本人が聞いたら血涙モノの決定を心の中で下した時、再び無線から連絡が入った。

 

 

『お疲れ様です、ツルギ先輩。その……申し訳ありませんでした』

 

 

 相手は今回のMVPとも言うべき少女、マシロであった。

 酷く落ち込んだ様子だ。

 こういうストイックな部分は変わらないんだろうな、と心の中で苦笑いしつつ、ツルギは励ましの言葉をかける。

 

 

「いや、マシロは悪くないよ……アレは…………『慈愛の怪盗』の方が一枚上手だった………だけだから」

 

『ありがとう……ございます』

 

 

 先程の凶暴性が嘘のように落ち着いた声音で話すツルギに、無線の向こうでマシロが深く感謝を述べ……唐突に昂ったような声を上げだした。

 

 

『しかし、ツルギ先輩の言葉…私感動しました!』

 

「あっ……やめ」

 

 

 嫌な予感がしたツルギはマシロの言葉を遮ろうとするが……時すでに遅し。

 

 

『ダメな所を補ってくれる仲間を頼って戦う…!正しく正義!!やはりツルギ先輩こそが私たちを引っ張る希望の光です!きっと無線の向こうのみんなも同じ想いだったことでしょう!!』

 

「え?さっきの……他の部員たちも……………」

 

『はい!ツルギ先輩の音声は全て本部にいるハスミ先輩を除いた部員たち、正義実現委員会のみんなに届いていましたよ!無線を繋げておいて正解でした……!!あぁ、もちろん後でハスミ先輩にも報告しますよ!きっと喜んでくれるでしょう!!』

 

「……………マシロ」

 

『はい!なんでしょうか先輩!』

 

 

 いつになく興奮しているマシロに、ツルギは静かに告げる。

 

 

「………次の訓練は…………………覚悟して」

 

『え、えぇ!?どうしてですか!?』

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

「さぁ、これで準備は整いましたね」

 

「ナギサ様、本当に行くのですか?」

 

 

 トリニティ本校の正門前。

 そこには簡素な車に乗り込み、どこかへ向かおうとするナギサと、それを不安そうに見つめるサクラコの姿があった。

 開いた窓越しにサクラコと会話するナギサは、シスターの少女とは対照的にどこか楽しげに見える。

 

 

「もちろん行きますよ。私は『慈愛の怪盗』の掲げる芸術を知りたい。理解できるかはわかりませんが……それでも、私と確実に違う価値観を持つ彼女と言葉を交わしたい」

 

「だから直接会いに行く。相手は七囚人です。どれほど危険な行為かわかっていらっしゃいますか?」

 

「えぇ、もちろん。だから()()を用意してきたのです」

 

「私からすればその対策こそが一番の不安の種なのですが…」

 

 

 ナギサが用意した『対策』。

 それを思い浮かべて辟易とした表情を浮かべるサクラコ。

 中々見れない彼女の貴重な表情にナギサは微笑むと、車の窓を閉め始める。

 

 

「それでは行って参りますね」

 

「えぇ……どうかお気をつけて」

 

 

 閉まり切った窓の向こうから聞こえてきた声に笑みを返し、ナギサは決戦の地へと旅立って行った。 

 

 

「……」

 

 

 1人残されたサクラコは考える。

 

 

(ナギサ様…随分と変わられましたね)

 

 

 エデン条約事件以前のナギサはもっとピリピリしていた。

 いや、そんなに可愛いものではない。

 全てを疑い、誰も信用できなくなり、大切な友人すら篩にかける。

 結果として彼女は大局を見失い、幼馴染に殺されかけた。

 仕方がないこととはいえ、あれらはトリニティのトップとしては相応しくない立ち振る舞いだったと言える。

 

 それが今はどうだろう。

 

 趣味を楽しみ、友人たちの関係に気を配り、緊急時は非の打ち所がない作戦を建てる。

 まさしく愛される為政者として完璧な立ち振る舞い。

 そして1人の女子高生としても健全な姿だった。

 

 

「人は変化し、成長する……ですか」

 

 

 過去の過ちは消えないが、それに固執して責め続ける人間にはなりたくない。

 大事なのは今を生きるナギサなのだから。

 

 

 感慨深い気持ちに包まれていたサクラコは、ふと思い立ってポケットから紙を取り出す。

 それは『慈愛の怪盗』からの予告状。

 サクラコたちシスターフッドが解明した手紙だ。

 そこにはこう書かれている。

 

『一日に一つ歌を歌え。そして常に先頭を歩く双子の姉と、辿々しくも最後尾に着いて行く妹。彼女らの居場所を理解せよ。さすれば彼女らは彼女らの本質たる感謝の歌を歌うだろう。その歌に惹かれた私も、きっと姿を表すだろう』

 

 文章中の『感謝の歌を歌い』。

 これが『感謝を歌い』となっていないのは、おそらくこの感謝の歌がイコールでミサ曲における『感謝の讃歌』と繋がっているからだ。

 そしてこの文章における双子は、同じ文字という意味。

 実はここまでのヒントで『先頭と最後尾を同じ文字が構成する単語』が出てきている。

 それこそが『感謝の讃歌』。

 ラテン語になおすと『Sanctus』。

 そう、この双子というのは、Sanctusの先頭と最後尾にある『s』を示しているのだ。

 『彼女らの居場所を理解せよ』というのはアルファベットの順番における『s』の位置。

 これが『19』となる。

 

 そして最初にあった『一日に一つ歌を歌え』。

 これはおそらくミサ曲のこと。

 ミサ曲は大抵6つの要素で構成されており、1番目がKyrie、2番目がGloria、3番目がCredo、そして4番目がSanctus。

 Kyrieから順番に一日に一つ歌っていくと、感謝の讃歌…Sanctusが歌われるのは4日目、そしてこの日に『慈愛の怪盗』は現れる。

 

 最初の19を時間とすると、この暗号の答えは『4日後の19時』となる。

 

 ミサ曲を主題とした暗号……まさかトリニティの土俵で戦ってくれるとは思わなかった。

 これも彼女なりの矜持、美学というヤツなのだろうか。

 

 変に拘る部分が……どうにも今のナギサと重なって見える。

 

 苦笑いをしてポケットにしまう。

 そして一言。

 

 

「あの2人は……案外仲良くなれるのかもしれませんね」

 

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