慈愛の怪盗と光の大天使   作:もとりな

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第5話

 夕景の中に佇むルーヴ邸は、どこか神秘的な美しさを放っていた。

 館内には人の気配がない。ティーパーティーの要請で特例として休館日になったのだ。

 丁寧に管理された中庭の噴水の音が、夕暮れに溶けてどこか侘しさのようなモノを感じさせる。

 そんなルーヴ邸の大庭園に、1人の人物が座っていた。

 ティーパーティーの現ホスト、桐藤ナギサである。

 彼女はティーカップに口をつけながら、オレンジの闇を晴らすような存在感を放つ『光の大天使』をじっくりと見ていた。

 酸化や劣化を防ぐために様々な処置が施してあるため、現在は全体が見えないようになっているが……それでもナギサはキャンバスの上の絵画に何かを感じているようだった。

 様々な美術品を見てきたであろう彼女が、布の下に眠るかの名画にどんな感想を抱くのかは気になるところではある、が。

 

 清澄アキラには…別にやるべきことがあるのだ。

 

 滲み出すように夕闇から姿を現す。

 

 

「ご機嫌よう、ナギサ嬢。静かで澄み渡るような…とても良い夜ですね」

 

「ご機嫌よう、『慈愛の怪盗』様。仰る通り……静かな噴水の音と、涼やかな空気が満ちる、とても良い夜です」

 

 

 沈黙が落ちる。

 微かな虫の音と夏夜の心地よい空気を堪能し……アキラが切り出す。

 

 

「約束の19時です。『光の大天使』を頂戴しに参りました」

 

「……」

 

 

 大怪盗からの犯行声明。

 それを受けたナギサは、ティーカップに手をつける。

 宝石のようなプラチナブランドの髪は、夕闇に呑まれることなくその高潔さを示している。

 完成された美を持つ少女は茶葉の香りを、色を、そして味を堪能し……再びカップをソーサーの上に置いた。

 それから彼女は眠りにつく『光の大天使』に目を細め……アキラに、『慈愛の怪盗』に問いかける。

 

 

「『慈愛の怪盗』様。貴女はどうして『光の大天使』を手に入れたいと思うのですか?」

 

 

 これはナギサに限らず他の誰しもが抱えていた疑問の一つ。

 何故『光の大天使』なのか。

 他の名画ではなく、この神々しい作品に目を付けたのか。

 そんなある意味で純粋な疑問に、『慈愛の怪盗』は芝居がかった仕草で答える。

 

 

「嗚呼、それはなんとも簡単な質問ですよナギサ嬢。美しき天使の名画……その価値を真に理解するものがいないからに他なりません。芸術とは人々に平等に分け与えられてこそ価値があるもの。それを昏い室内に閉じ込めて仕舞ってしまうなど……なんと愚かなことか」

 

 額に手を当てて嘆くアキラにナギサが再度問いかける。

 

「だから盗む、と?」

 

「盗む…と言うと語弊がありますね。その価値を理解するものが現れるまで、或いは世界が理解するまで……私が管理しておくのです。芸術を、正しく芸術たらしめる為に」

 

「なるほど」

 

 

 芸術は誰かに見られてこその芸術。

 それ自体はそこまでおかしくはない感性だが……そのために盗み自分のものにする、というのは明らかに矛盾している。

 狂言と思われても仕方ないほどのアキラの発言。

 しかしそれに動揺することもなくナギサは頷き、再び問いかける。

 

 

「では……貴女にとって真に芸術を理解した、と言えるのはどういった場合なのでしょうか?その作品を、全ての人の目に触れるようにするべきだと理解した時……でしょうか?」

 

 

 ──それはナギサずっと抱えていた疑問。

 心から知りたいと感じていた、彼女の中の好奇心。

 言ってしまえば私欲を満たすための問い。

 この疑問の答えを聞くために彼女はわざわざ回り道をしてまで『慈愛の怪盗』に会いに来たのだ。

 そんなナギサの心を知ってか知らずか、アキラは微笑んで答える。

 

 

「それはあくまで前提です。そうですね……芸術にはその裏に込められた『意味』があるものです。例えば『光の大天使』に込められている『救い』と『慈悲』。灰色や黒色は人々の負の心情を表し、対照的な白は哀れなそれらの感情を救う天使の慈悲を示す。そのような意味や製作者の伝えたかったもの、その意味を解してこそ、芸術を理解したと言えるのですよ。ふふ、これに関しては私もまだまだですが」

 

 

 歌うように語ったアキラに、ナギサは確かな納得と……自分との明確な違いを見出した。

 

 

(なるほど…やはり私とは違うのですね)

 

 

 アキラの感性。

 それは一般的と言っても良いのかもしれない。

 芸術は人の目に触れるべき。

 芸術に込められた意味を考えるべき。

 これはかなりメジャーで、広く浸透している考え方だ。

 しかし『慈愛の怪盗』は──この考えを世界も、そして他者も理解するべきだと信じている。

 だからこそ盗み、理解の時が訪れるまで待つのだろう。

 だからこそ、その身で美しさを体現するのだろう。

 

 胸にストンと何かが落ちる感覚。

 スッと世界が広がる心地よさにナギサは微笑んだ。

 これだから他者と言葉を交わすのはやめられない。

 もしかしたら……『慈愛の怪盗』とも、仲の良い友人になれるかもしれない。

 しかし。

 ナギサは為政者であり、トリニティの文化と芸術を守護するティーパーティーのホストである。

 そこを曲げることなど、できはしないのだ。

 夜に沈んでいく庭園の中心で、ナギサはアキラに語りかける。

 

 

「なるほど。芸術そのものの意味を理解すること……貴女はそう考えるのですね?」

 

「ふむ。貴女は違う、と?」

 

「そうですね……私にとっての芸術への理解とは、『学びの歴史』を知ること、でしょうか?」

 

「学びの……歴史?」

 

「えぇ」

 

 

 首を傾げるアキラにナギサは頷く。

 そして夜に輝く『光の大天使』へと微笑みかけた。

 そして、アキラとは違う。

 自らの芸術のカタチを話し出す。

 

 

「晩年、『光の大天使』を描き終えたルーヴはこう言いました。『白と黒、対照的な2つを合わせることで、私の女神はより輝いた』『この年で再び学びを得られるとは思わなかった』」

 

「補色……ですか」

 

「その通りです。対照的な2色は、互いをより際立たせ……主題の印象をより深めることができる。まだ絵画の研究も無い時代、ルーヴはこれに気づいた、つまりは学びを得たのです」

 

「学び……」

 

 

 アキラの漏らした呟きに、ナギサはゆっくりと頷いた。

 そして、さらに続けていく。

 

 

「トリニティの画家、レナは平面に立体感を生み出す方法を確立し、後の遠近法(パース)の発展に貢献しました」

 

「ゲヘナの医師、ファーナは解剖学を彫刻に活かし、リアリティに満ちた作品で世を驚かせました」

 

「百鬼夜行の作家、木紅は長編の物語を巻物にしたためるという画期的な方法で、人々に娯楽を提供しました」

 

 

 それらは。

 積もる月日の中で磨かれてきた宝。

 職人たちが残した遺産に他ならない。

 

 

「……私にとって、芸術への理解とは」

 

 

 瞠目するアキラをチラリと見やり、ナギサは己の主張を述べる。

 

 

「その芸術の中にある学びを解することです。作者がその作品を完成させる際に用いた技法、作成途中で得た学び、自伝で述べる練習法……彼女たちが歩んできた歴史、紡いできた学び、一つの作品からそれらを、今度は私たちが学び取ることこそ芸術である、と」

 

 

 それが芸術品であれ何であれ、モノを作るには技術が必要だ。

 しかし技術とは一朝一夕で身につくものではない。

 けれど、今ナギサたちが住む世界には、そんな貴重な技術たちが溢れている。

 その理由は、先人たちが残してきた技術を、学びを、彼女たちが受け継いできたからに他ならない。

 この気高く尊い学びたちを理解せずして、どうして芸術を理解したなどと宣えるのか。

 それこそがナギサの美学。芸術への理解。

 

 

「……」

 

「無論、これは考え方の一つです。貴女のように作品そのものの意図を解することを芸術への理解だと……もしくは貴女と私の意見の両方を理解しなければならないという厳しい方もいらっしゃるかもしれません。つまり……」

 

 

 そこでナギサは紅茶を口に運んだ。

 唇を湿らせ、大事な言葉をハッキリと言えるように。

 

 

「人それぞれ、なのです」

 

 

 結局はそういうことだ。

 アキラが言う理論を理解し、賛同する人間もいるだろう。

 しかし、これを間違いだと正さんとする人間もいる。

 この中の誰が正しいとか、そういう話ではない。

 人それぞれ、それぞれに正しさがあるのだ。

 

 だからこそ。

 正義実現委員会が互いの正義を尊重し、弱さも認め合ったように。

 とある少女が戦いの終わりに怪盗への理解を示したように。

 

 清澄アキラもまた、理解しなくてはならないのだ。

 

 

「……」

 

「『慈愛の怪盗』様。貴女は『光の大天使』を保管庫で仕舞うことを『愚か』と評しましたが……例えそれが愚かだとしても」

 

 

 ナギサはアキラの目を真っ直ぐと見る。

 決して自分の意見を曲げることはないと言う意思に、アキラは息を呑む。

 

 

「私は先人が残した学びを形として、出来る限り長く残しておきたい。展示すれば照明や酸化で絵の具は劣化し、白と黒の境界は曖昧になり、ルーヴが見出した学び、補色への理解は無へと帰してしまう。それは…とても悲しいことだと、私は思うのです」

 

 

 アキラとは全く違う考え方。

 先人の学びを理解し、それを悪戯に広めるのではなく……長く残しておきたいと言う、ある種のワガママ。

 そんな彼女の心情は、手厚く保護されている『光の大天使』からもハッキリと見てとれた。

 

 

「………」

 

「…これが私の主張、芸術との向き合い方です。いかがでしょうか『慈愛の怪盗』様」

 

 

 嘘偽りなき芸術への想い。

 それはただ、先人たちの生きた証を無駄にしたくないという、愚直なまでの優しさの表れでもあった。

 芸術とは、人の目に触れてこそ価値が生まれる。

 それは絶対的で、揺らぎようのない事実だ。

 しかし、それを優先して、先人たちの想いが失われていくのを看過しても良いのだろうか?

 違う。

 少なくともナギサはそう思うのだ。

 

 そして、確かな決意を聞いた『慈愛の怪盗』は──

 

 ビビの入ったドミノマスクを外し、地面へと膝をついた。

 あらわになった紅玉のような瞳が世闇に揺れる。

 

 

「………」

 

「敬意を」

 

 

 そして、目を瞑り、頭を下げて怪盗は謳う。

 

 

「貴女の誇り高き信念、しかと胸に刻みました。それもまた正しき芸術との向き合い方。愚かと身勝手に判断した私が浅慮であったと言う他ありません。私はただ、考え方の違う貴女の想いを理解する努力を怠っていたのでしょう。だからこそ、謝罪を。そして敬意を。人それぞれ、まさに貴女の仰る通りでございます」

 

 

 その通り、ナギサの言う通りだ。

 アキラも理解することができたのだ。

 自分と違う他者の考え方を。

 芸術への新たな理解を。

 

 

「そう…人それぞれ、なのでしょう。だから──」

 

 

 だから。

 

 

「私も……譲ることはできません」

 

 

 それがアキラの答えだった。

 

 

「……」

 

「私は誇り高き怪盗。芸術を人々へと平等に分け与え、真の美学を世界へと問いかける『慈愛の怪盗』。我が信念、例え貴女様であっても曲げることはできない」

 

 

 立ち上がり、明確な決意を述べた清澄アキラ。

 ナギサの想いも理解した。

 新たな芸術との向き合い方も。

 しかし、それで変わる程度の信念であれば、アキラは『怪盗』に誇りなど抱いていない。

 そんな彼女の思いを受け──ナギサは静かに目を瞑った。

 まるで、こうなるとわかっていたかのように呟く。

 

 

「……そうですか」

 

「えぇ、ですから───改めて」

 

 

 マントもなくなり、ボロボロになった純白の衣装。

 ヒビ割れた仮面を身につける傷だらけの怪盗は、夜空に昇り始めた月を背に、再び宣言する。

 

 

「ルーヴが残した偉大なる学びの結晶、『光の大天使』を頂戴しに参りました」

 

 

 美しい。

 目を開き、少女の宣告を受け取ったナギサの心の片隅をそんな言葉が過ぎった。

 ビビの隙間から煌々と輝くルビーの瞳を見たナギサは───微笑む。

 

 

「貴女様の決意、しかと受け取りました。であれば、こちらも手加減は致しません」

 

「えぇ、もちろん構いません。どんな仕掛けも…華麗なショーへと変えて見せましょう」

 

 

 計略に長けたトリニティの長の宣言に恭しく礼をしつつ、

警戒を強めるアキラは───

 

 

(さて、この場合どういった攻撃が予測されるでしょうか)

 

 

 静かに思考を開始する。

 

 

(まずは実力者をぶつけてくる線ですが……正義実現委員会は先程別れた位置からしてあり得ない)

 

 

 そして聖園ミカと青森ミネはここに来る前に考察した通りこちらに来る可能性は低い。

 つまるところ、トリニティにとてつもない隠し玉がいなければ不可能だ。

 内部に潜入した時はそんな噂は影も形も無かった。

 いないと考えて良いだろう。

 ならば実力者が襲ってくる可能性はない。

 

 

(次に何かしらの兵器を持ち出す可能性ですが、これはあり得ない。なにせ確認していましたから)

 

 

 アキラはこうしてトリニティ本校の外で戦闘することになった場合に備えて、トリニティ本校から出ていく兵器の種類や数、行き先などを細かく把握していた。

 予告状を出した後は警戒体制が取られていたため、内部への侵入は不可能。

 しかし、外から兵器や人員の流れを把握することくらいはできる。

 その結果として───このルーヴ邸近辺に戦車やミサイルなどの兵器が持ち出された様子はなかった。

 よってこの線もあり得ない。

 

(この可能性は法律上───)

(それくらいの人数であれば1人で───)

(分派の関係的にあり得ない───)

(ここの協力を得るのは───)

(今月輸送されたパーツは───)

 

 一つずつ可能性を考慮し、丁寧に処理していく。

 犯行にあたって現在のトリニティ内部の知識は頭に入れ、兵器から食糧に至るまで、ありとあらゆる物品の出入りを入念に調べておいた。

 大丈夫、死角は無い。

 例え計算外があったとしても、受け入れて対処する。

 

 そして、真剣な表情で一手二手先を読もうとする少女の姿を見たナギサは……

 

 

 

 場違いなほど明るい声で臨戦体勢の怪盗へと話しかける。

 

 

 

「時に『慈愛の怪盗』様。ルーヴは完成した『光の大天使』、その黒と白のコントラストを見て、ある言葉を残したのですが、ご存知でしょうか?」

 

「……ご教授願えますか?」

 

「えぇ、もちろん」

 

 

 この場の雰囲気にそぐわない質問。

 それを訝しむアキラの声に、ナギサは再度微笑む。

 そして、どこかの怪盗少女のような芝居がかった口調で謳い出した。

 

 

「『まさか黒と白、折り合わない2つの色がこうも互いを輝かせるとは思わなんだ。いやはや、やはり。絵画に於いても人生に於いても大事なことはただ一つ────』」

 

 

 昇る月へと優雅に手を差し出したナギサは、困惑するアキラに向かって、大変珍しいことに………子供っぽい満面の笑みをプレゼントした。

 

 

「『──清濁併せ呑む』」

 

()()

 

 

 次の瞬間。

 轟音と共にアキラの体が真横に吹っ飛んだ。

 

 

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