ほむらの長い午後   作:生パスタ

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終_ほむらの愛が行き着くところ

『宇宙は、コーヒーから始まっていたんだね』

 

『コーヒーは素晴らしい飲み物よ。全ての始まりが、この飲み物だとしてもおかしくないわ』

 

 ほむらは、深遠なる“無”にぽっかりと浮かび上がった白塗りのアンティークチェアに腰掛けていた。彼女は、意匠の凝らされた白いテーブルの上に置かれているカップを手に取り、気取った佇まいで香り豊かな珈琲を静かに口にする。

 テーブルの上にちょこんとお座りしているキュゥべえは、宇宙誕生以前であるこの場所で、好き勝手している少女に無感情な目を向ける。彼女は、澄まし顔で「コーヒーはやはりブラックに限るわね」などと、色々なものを拗らせた発言をしていた。

 キュゥべえは、目の前に置かれている黒い液体を見つめる。どういう風の吹き回しなのか、ほむらは、ペットにも珈琲を用意していた。キュゥべえは、ぎこちない動作で、スープ皿に満たされて白い湯気を立てている飲み物をひと舐めする。構成要素の99%は水分であり、栄養素は皆無だった。

 やはり、宇宙人には、人類の価値観は理解できないのだった。

 

 

『……そろそろいいかい? じゃあ、まず始めに〈上位ほむら〉を相手取るにあたって、思いつく限りの問題点を列挙してみようじゃないか』

 

 キュゥべえの言葉を皮切りにして、ついに悪魔祓い大作戦が開始される。ちなみに、〈上位ほむら〉とは、ここにいるほむらを創ったどこかにいるほむらのことである。よく分からない。

 

 ほむらは、静かだ。とても落ち着いている。それどころか、不敵な笑みを浮かべてさえいる。彼女自身を創り賜ふた創造主への叛逆という、げに恐ろしき謀略を前にして、一切の動揺はない。

 だがそれは、当然のこと。なぜなら――

 

(創造主への叛逆……? リアリティがなさ過ぎて、何がどう危険なのかちょっと良く分からないわね)

 

 ――彼女は、いまいちピンと来ていなかった。

 

『まずは、ひとつ目の問題点』

 

 頭上にハテナマークを浮かべながら偉そうに腕組みをしているほむらをよそに、キュゥべえが粛々と協議を進行する。たとえ、彼女が無知蒙昧であったとしても、何の問題もない。彼女は、歩くブリタニカ百科事典兼ペットを所有しているからだ。

 

『〈上位ほむら〉に対して、僕達の企てがすべて筒抜けだった場合』

 

『ひとつ目でもう駄目じゃないの!?』

 

 ほむらは、叫ばずにはいられなかった。

 まさか、作戦開始からものの1分少々で早くも計画が破綻してしまったのだろうか。あまりにも先行きが不安な出だしだった。

 

『その場合、僕達にはもう勝ち目はないね。だから〈上位ほむら〉がこちらの計画を既に知っているというパターンを考えることは、時間の無駄だから止める事にしよう。〈上位ほむら〉は僕達のことなんて何も知らない、という前提で計画を考えるべきだ』

 

 思考を放棄してしまったキュゥべえ。その結論は、ほむらにとって納得のいくものではなかった。

 

『待ちなさい。私達を創った〈悪魔〉が、何も知らないなんて事があるわけないでしょう? いくら頑張って色々計画しても、成功する確率がゼロだったらまったく意味がないわ。その計画は破棄。もう一度最初から検討し直しなさい』

 

『ふうん……。確率を力技でねじ伏せてきた君でも、やり直しのきかない今回については慎重にならざるを得ないということかい? まあ、大丈夫だと思うよ。〈上位ほむら〉は、本当に何も知らないはずさ』

 

 キュゥべえは、危機感ゼロの口調でそう言った。恐怖という感情を知らない宇宙人は、ある意味で恐ろしい存在だ。ほむらは、頭を悩ませた。

 

(コイツって、こんなに適当な感じの奴だったかしら?)

 

『なぜ、そう言い切れるの?』

 

『客観的事実に基づく当然の帰結だよ。端的に言えば、“暁美ほむらは〈まどか〉以外のことに興味がない”ということさ』

 

 真理だ。ほむらは、大きく頷いた。

 

『だから、僕達の事なんか路傍の石以上に気にもしていないんじゃないかな。だいたい、君自身だってそうだろう? 君が前回創造した宇宙にも“暁美ほむら”が存在したわけだけど、創造主であるはずの君は、彼女が今どこで何をしているかを知っているのかい?』

 

『知らないし興味もないわ。ああ、そういうことね』

 

『そうさ。それに、僕達が今もなお存在し続けているという事実もそれを裏付けている。もし、君が〈上位ほむら〉の立場にあったら、〈まどか〉をかどわかそうとしている存在を放置するかい?』

 

『即刻、闇に滅するわ。……それにしても、あなた――』

 

(この獣、何だか私の思考を理解しているかのような言い回しをするわね)

 

 ほむらは、つとキュゥべえの顔に目を向ける。相変わらずの無表情がそこにあった。

 だが、彼女は、その凍てついた顔の下に“君の浅はかな思考パターンなんてお見通しさ。HAHAHA!”と言わんばかりのドヤ顔が透けて見えたような気がした。

 

『――気色悪いわ』

 

『君の愛?ほどじゃないさ』

 

『……は?』

 

『さて、ひとつ目の問題はもういいだろう。次は、ふたつ目の問題点だ』

 

 地獄の底から響いてくる声を無視して、キュゥべえは先を急いだ。

 いつ終わるとも知れない作戦会議が進む。しかし、時間など気にする必要はない。ここは、宇宙誕生以前、時間は存在しない。永遠に、ないしは、ほむらが飽きるまで話し合うことができる。

 

『〈上位ほむら〉を消滅させてはいけない』

 

『殺したら駄目なの? なぜ?』

 

 ほむらは、少し残念に思う。進んで人殺しをしたいわけではないが、可能であれば邪魔者は排除しておきたかった。懸念事項は捨て置かずに、思い切って後顧の憂いを絶つべきなのではないか。

 彼女は、自分自身と言っても過言ではない存在を殺害するかもしれないのだと気付いたとき、不思議な高揚感に包まれていた。しかし、それはやってはいけないことだと聞かされて、僅かに落胆を覚える。

 せっかく、永遠の苦しみから解放されると思ったのに。

 

『僕達の創造主である〈上位ほむら〉を消滅させると、彼女の被造物であり、彼女の因子を内包している僕達も一緒に消滅してしまうんだ。だから、消滅させずに拘束するか、無力化するしかない』

 

『面倒ね』

 

 面倒。どうでもいい。興味ない。ほむらは、そんなことばかり言っている。数百億年を生きるうちに、無関心を表明する発言がすっかり口癖になってしまっていた。そして、これについては、常に彼女の傍にいた無感情な存在が、大きな影響を与えていたのだった。

 

『みっつ目の問題点。〈上位ほむら〉の方が君よりも魔力係数が大きい。これは、先刻君が〈まどか〉を作り出そうとして失敗したことからも明らかだ。もし、こちらの魔力の方が強かったなら、問題なく〈まどか〉を生み出すことができたはずだからね』

 

『〈悪魔〉の魔力係数の方が大きかったら勝てないの? 自慢じゃないけど、何百億年も生きている私の方が魔力の扱いは上だと思うわ。どうせ、むこうは主観時間100年程度のにわか創造主でしょう?』

 

 まったく最近の若い者は、と年長者が若者を侮蔑した。

 

『君が失敗したときの魔力の流れを観測して、〈上位ほむら〉の力の一端に一瞬だけ触れることができたけど、魔力のケタが違いすぎるよ。今のままだと、君の魔法力と僕の科学力を総動員しても、相手にかすり傷ひとつ負わせることはできないね』

 

 キュゥべえは、スープ皿の珈琲をピチャピチャ舐めたあと、話を続けた。

 

『そして、よっつ目の問題点。現状、〈上位ほむら〉がいるひとつ上の宇宙へ行く手段がない』

 

(……え? 今更それ?)

 

 ほむらは、脱力する。まあまあやってやれないことはなさそうな雰囲気だったのに、ここでまた可能性がゼロに戻ってしまった。そもそも、それを先に言えという話だ。この宇宙人と付き合っているとそんなことばかりである。ただ、それももう慣れてしまったのだが。

 彼女は、小さく息を吐き、珈琲を一口飲んだあと、うんざりとした口調でこう言った。

 

『“行く手段がない”? それじゃあ、今まで話し合ってきたことは何だったのかしら?』

 

『今までは、問題点を挙げていただけさ。解決策は用意してあるから問題ないね』

 

 キュゥべえが、人を小馬鹿にするような口調で言った。そのような気がしたということではない。今の発言には、明確な揶揄が含まれていた。何と言うべきか、キュゥべえのくせに生意気だった。

 

『如何にして〈上位ほむら〉を 討ち破るのか、その答えは至って簡単だ。すなわち、“君の魔力係数を〈上位ほむら〉よりも十分に大きくする”これだけのことさ』

 

 自らの発言が、ほむらにも理解できたことを確認してから、キュゥべえは言葉を継いだ。

 

『なぜ、君の魔力係数を大きくするということが重要なのか。それは、単純に戦闘に勝利する可能性が高まるというだけじゃない。創造主である〈上位ほむら〉よりも大きな魔力で空間転移を行使すれば、ひとつ上の宇宙にシフトすることも可能になるんだ。魔法というものは、大抵の不可能を可能にする不条理な現象だ。魔力が高ければ、それだけ君にとって都合のいいことが起きやすいということになる』

 

 ほむらは、中身のなくなったカップをテーブルに置くと、黙って先を促した。

 

『話を纏めよう。まず、十分な魔力を身に付けた君は、〈上位ほむら〉の近くへばれないように慎重にシフトする。その時点では、〈上位ほむら〉はまだ何も気が付いていない。僕達のことなんて何も知らないはずだからね。そして、相手が油断している隙に即攻撃だ。膨大な魔力をもって、敵が行動を起こす前に身動きが取れない状態にしてしまう。作戦の詳細は以上だよ。実に、シンプルかつ確実な計画だろう?』

 

『何よそれ? 楽勝じゃない』

 

 ほむらは、歪な笑みを浮かべ、己の勝利を確信する。結局のところ、最後は強い者が勝つ。当然の摂理だ。

 

『勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求む。もう結果は見えたね。君の勝利だ』

 

『フッ……、フフフ……』

 

 ほむらの口から抑えきれない笑い声が漏れた。それは段々と大きくなっていき、彼女は、とうとう大口を開けて高笑いし始める。止める者が誰ひとりとしていないため、哄笑は永遠に続くかのようだった。だが、冷ややかにこちらを見つめる真紅の双眸に気付いたほむらは、ごまかすように空のコーヒーカップを口元まで持っていくと、無意味に飲む仕草をしてカップを置き、こう言った。

 

『ま、まあ、喜ぶのは後からでも遅くはないわ。それで? まだ重要なことを聞いていないのだけど、私はどうやってこれ以上強くなればいいの?』

 

『……えっ? …………ちょっと待って欲しい。ああ、そうだ。まずは、いつも通り宇宙を創り出そう。そして、その宇宙に生息するインキュベーターが集積した感情エネルギーを押収する。あとは、その作業を必要なだけ繰り返せばいい。君が宇宙を創造するために消費するエネルギーよりも、その宇宙で生成される感情エネルギーの方が遥かに大きいのさ。それに、単純な反復作業は君の十八番でもあるしね。なんだ、やっぱり完璧じゃないか』

 

 ほんの一瞬怪しかったが、問題はない。どうせ勝利は約束されているのだから。

 ほむらは、椅子から立ち上がり深呼吸する。暫し、瞑目した後、目を見開いた。その瞳には、確かな希望が映っている。彼女の全身から魔力が勢い良く噴出して、テーブルもイスもカップも、ついでにキュゥべえ吹き飛ばした。

 

『始めるわよ! キュゥべえ!!』

 

 こうして、いたいけな小動物が宇宙のために一生懸命集めた感情エネルギーに対して、無慈悲な差し押さえを執行する旅が始まった。

 

 ほむらとキュゥべえは、再び宇宙を巡る。ほむらは、行く先々で、創造主権限を発動させて問答無用でエネルギーを接収し、自身を強化し続けた。

 彼女は、何度も何度も同じ事を繰り返す。だが、今回はそれが楽しくて仕方がなかった。なぜなら、終わりのない循環は、これで終わりになるのだから。

 

 そして、そのときは来た。

 

 

 

『ほむら、もう十分だ。今の君なら、相手が何者であれ負ける要素はない』

 

『その通りね。正直、今の状態なら私の宇宙にまどかを存在させることもできるでしょう。でも、おじゃま虫には、ここで退場願うことにするわ』

 

 ほむらのソウルジェムには、何兆もの宇宙でかき集めた感情エネルギーが渦巻いている。ヒトの喜びが、悲しみが、憎しみが、ありとあらゆる感情が蠢いている。そんな混沌とした波動を直に感じても、彼女は平気だった。

 なぜなら、彼女には、変わらぬ愛があるのだから。

 

『そろそろ行くわよ、キュゥべえ。ここまで来たら、もう最後まで付き合いなさい』

 

『もとよりそのつもりさ。暁美ほむらという存在の観測を、中途半端で終わらすわけにはいかないからね。君がどうなってしまうにせよ、最後まで見届けることにするよ』

 

『どうなるかなんて決まってるわ』

 

(ハッピーエンドよ)

 

 ほむらは、意識を集中して〈悪魔〉を探索する。傍らにはキュゥべえがいる。彼女はさらに意識を集中する。さらに意識を集中する。さらに意識を集中する――

 

『悪魔は何処にいるの?』

 

 ――が、見つからない。それは、宇宙空間で失くしたコンタクトレンズを見つけ出すよりも難しい作業だった。

 彼女は、途方に暮れる。長い時間を掛ければその内見つかるのかもしれないが、非常に面倒臭い。すぐにでも見つかると思っていただけに、一際面倒臭いのだ。

 

『ところでほむら、うっかり言い忘れていたんだけど。僕は、多分〈上位ほむら〉に会ったことがあるんだ。だから、彼女の魔力の波長を君に伝えることができる。そうすれば、簡単に見つけ出せるはずさ』

 

『だから、そういうことは先に言えと――は!? 会ったことがあるって、いつ!?』

 

 ほむらは、驚いた。また、キュゥべえに驚かされた。これで通算何度目なのかは分からないが、またしても驚かされたのだった。もしかしたら、この宇宙人は、分かっていてわざとやっているのではないのだろうか。そんな疑いさえ抱くほどだった。

 

(何なのこいつ。何が“うっかり”なの? いい加減にしなさい)

 

『元の宇宙で僕の母星に行く事になった日を憶えているかい? あの日、君の部屋の呼び鈴が鳴ったにもかかわらず、来客がいなかったことがあっただろう? あのとき、玄関から帰ってきた君は、お菓子がなくなっていることに気が付いて、犯人を僕だと決め付けた。でも、君がリビングに戻る直前まで、そこには真犯人が存在していたんだ』

 

 それは、憶えている。すべての始まりとなった日のことだ。遥か昔のこととはいえ、けっして忘れてはいない。ただ、何のお菓子を食べていたのかだけは、どうしても思い出せなかった。

 

『僕は、最近まで、彼女の正体は別の時間軸の君なのだと勘違いしていた。でも違ったんだ。彼女こそ、僕達を創った張本人だったというわけさ。今になって、考えてみたらとても良く分かる。君が訪れた宇宙は、すべて君自身が創ったものだった。だけど、君が元居た宇宙に限っては、君が創ったものではなかった。では、僕達の宇宙を創ったのは誰か? それが〈上位ほむら〉だったということなんだね』

 

 たしか、あのときキュゥべえは、悪魔がいたとか何とか言っていたはずだ。それは、間違いではなかったということなのだろう。

 ほむらは、奇妙な感覚に囚われた。何が原因となって、何が結果となっているのか。それがぐちゃぐちゃに絡まりあってしまっている。おそらく、自分はもう因果律を正しく認識できなくなっている。今現在やっていることが、別の何かの原因となっているのか、それとも結果となっているのか。もう、分からない。

 

『そういうことなら、私にはそいつを1発殴ってもいい権利があるわね。食べ物の恨みは恐ろしいのよ。これまで、何の恨みもない赤の自分に危害を加えるのは少し心苦しいと思っていたのだけど。これでもう何の迷いもなくなったわ。キュゥべえ、そいつの魔力パターンを寄越しなさい。今こそ断罪のときよ』

 

 窃盗の罪は重い。犯罪者にはしかるべき罰を与えるのだ。

 

 ほむらは、キュゥべえから情報を受け取り、再度意識を集中する。彼女のソウルジェムを膨大な魔力が取り巻いている。

 彼女は、感知した。自分は、途方もなく深い谷の底にいる。切り立った崖の上には、いけそうにもない。魔力をもっと練り上げる。まだ、無理だ。霧がかかった谷底は晴れない。魔力をまだまだ練り上げる。もっともっと高めていく。魔力の嵐が吹き荒れる。崖のふちが微かに見えた。

 

(行ける!!)

 

『跳ぶわよ! キュゥべえ!!』

 

 ほむらは、叫び、跳躍する。

 

 光が収束し、全てが暗転する。

 

 そして、悪魔の版図へと侵入した。

 

 

 

 まどかが、目の前にいた。

 ずっと、想い続けていた、探し求めていた、片時も忘れることはなかった少女が、ほむらの目の前にいた。

 ほむらは、作戦も自身の目的も何もかも忘れて、ただ、まどかを見つめることしかできない。当初の予定では、干渉遮断フィールドで認識阻害をするはずだった。だが、それすらも忘れて放心している。

 呆然としているのは、ほむらだけではなかった。突然現れたコスプレ姿の“もうひとりの暁美ほむら”を見ながら、巴マミ、佐倉杏子、美樹さやか、鹿目まどか、そして〈上位ほむら〉がポカンと口を開けている。しかし、クッションの上で丸くなっている上位宇宙のキュゥべえだけは、まったく驚いたそぶりを見せていなかった。

 ここは、マミの部屋だ。芸術的三角テーブルの上には人数分の紅茶とケーキが用意されている。だが、ほむらは、それすらも目に入っていなかった。彼女の視線はただひとりに釘付けだった。

 

「ほむら!」

 

 ほむらは、キュゥべえの警告でハッと我に返った。だが、この場に“ほむら”はふたりいる。一瞬速く呼び掛けに反応したのは〈上位ほむら〉だった。瞬時に魔力を収束させて、ほむらとキュゥべえを干渉遮断フィールドで取り囲み拘束する。

 それだけでおしまいだった。干渉遮断フィールドを使われては、如何に魔力が強かろうが、もうどうしようもない。

 ほむらは、敗北した。戦いの準備のために要した時間は数十億年だったが、決着は僅か数秒であり、しかも、棒立ちで突っ立っているだけで終了した。

 

「やれやれ、いくら僕でも、君がここまで間抜けだとは想定の範囲外だったよ」

『僕が〈上位ほむら〉の注意を引くから、その隙になんとかするんだ!』

 

 圧縮された念話が伝播して、刹那の瞬間、ほむらとキュゥべえの視線が交差する。それだけで意思疎通は完了した。

 

「は? 間抜けはあなたでしょう? なぜ念話で呼びかけなかったの? 普通に声を出すから向こうにも聞こえてしまったのよ」

 

「ごめんごめん。君があまりにも馬鹿みたいに呆けているから、念話の使い方も忘れているんじゃないかと思ってね。声を出させてもらったのさ」

 

「ああ、なるほど、そういうこと。念話を使うことを忘れていたのね。あなたが」

 

 ほむらとキュゥべえは、マリオネットのように宙吊りにされたままいがみ合っている。その滑稽な様子を見て、驚きのあまり硬直していた少女達も僅かに落ち着きを取り戻したかのように見えた。

 

「お、おいおい、ほむら。あんた、双子だったのか?」

「暁美さん、あなたにそんな素敵な御姉妹がいたなんて……」

「ふ、ふたりとも落ち着きなよ。双子じゃないって、あれは……“すごくほむらに似た人”だよ!」

「ほむらちゃんが、ふたり……?」

 

 全然、落ち着いてなどいなかった。少女達は、未だ混乱している。事態を正確に把握している者は誰もいない。思考停止状態となっている。

 

 その混迷のさなか、ある少女の声が、妙にくっきりと響く。

 

「ほむらちゃん」

 

 まどかの声だ。

 皆、反射的に彼女の方へ顔を向ける。まどかは、きょとんとしていた。何が起きたのか分からない。そんな顔だ。

 

「ごめんなさい。まどか、今忙しいからあとにしてくれないかしら」

 

 〈上位ほむら〉は、額に汗を滲ませながら干渉遮断フィールドを維持している。

 彼女は、先程から、フィールドの中に閉じ込めた正体不明の“自分”を抹消しようと、渾身の魔力を込めていた。だが、どれだけ力を集中させても相手は涼しげな顔をしており、まったく通用していないので、内心は非常に焦燥していたのだった。

 

「ほむらちゃん。死んで」

 

「だから、あとで――えっ?」

 

 〈上位ほむら〉は、まどかの方へ振り向いた。

 ありえない言葉が聞こえた。それは、あろうことか、まどかの声だった。〈上位ほむら〉の顔は、驚きと恐怖で絶望に歪んでいる。何かの間違いであって欲しい。そんな切望が感じられた。

 いきなり何を言い出すのか。あまりの脈絡のなさに皆、どう反応していいかも分からず、まどかを見つめていた。

 

「ま、まどか……?」

 

「えぇ!? 私は何も――」

 

 まどかが、わたわたと身振り手振りしながら慌てて否定しようとする。だがその声を掻き消すかのように鮮明な声が響き渡る。

 

「くっさ。話し掛けないで」

 

「ひぃっ!!」

 

 〈上位ほむら〉は、情けない悲鳴を上げ、オーバーリアクションで仰け反った。絶望の極地にある彼女の集中が途切れて、干渉遮断フィールドが解除される。

 

「今だ!」

 

 キュゥべえが叫んだ。

 ほむらは、その言葉が届く前から既に行動を開始していた。干渉遮断フィールドが消え去った瞬間、その膨大な魔力を開放する。勝敗は、瞬きする間に決していた。今度は逆に〈上位ほむら〉が干渉遮断フィールドに束縛される。捕獲完了。

 立場は逆転した。今や〈悪魔〉は、まな板の上の鯉であり、生かすも殺すもほむらの自由、彼女の気分次第である。

 

「どうやら間に合ったようだね」

 

「あのまどかの声は、あなただったの? ずいぶんモノマネが上手いのね」

 

 ほむらは、キュゥべえの意外なかくし芸を目の当たりにして、感心すると同時に〈悪魔〉に同情する。もし、自分が、まどかから先程のような冷酷な言葉を聞かされたなら、ソウルジェムに穢れが一気に溜まり、下手をすれば消滅してしまうかもしれない。とてつもなく恐ろしい精神攻撃だった。

 〈上位ほむら〉は、キュゥべえの声真似だと理解したにもかかわらず、未だショックから立ち直れていないようだ。真っ青な顔でうなだれている。だが、彼女は歯を食いしばりながら顔を上げると、搾り出すような声で言った。

 

「キュ、キュゥべえ。助けなさい……」

 

 クッションの上で、我関せずとくつろいでいた白い小動物は、〈悪魔〉の要請を受けて、こう返した。

 

「どうしてだい?」

 

 キュゥべえは、本当に不思議そうに尋ねた。

 

「め、命令よ。早く……」

 

「残念だけど、今の状況で僕が君を助けなければならない理由はどこにもないね」

 

 宇宙人の声には、一切の感情がこもっていない。このキュゥべえは、ずいぶんとやさぐれているのだな、とほむらは思った。

 絶句する〈上位ほむら〉をよそに、上位宇宙のキュゥべえが淡々と話を続ける。

 

「それにしても興味深いじゃないか。彼女達は、おそらく、以前君がまどかの魂の固定を確認するために試作した宇宙の住人だよ。どういう経緯なのかは不明だけど、この上位宇宙へのシフトを成功させたようだね」

 

「黙りなさい……!」

 

 〈上位ほむら〉は、言わなくてもいいことをペラペラと話し出す宇宙人を制止する。一縷の望みが絶たれた彼女は、もうすっかり意気消沈していた。

 

「あ、あのさ。まっっったく! 訳が分かんないんだけど」

 

 さやかの言葉は、少女達の共通認識だった。誰でもいいからこの状況について説明して欲しい。そんな思いが彼女の声には込められていた。

 

「あとで、あなたでも分かるように説明するわ。キュゥべえが」

 

「僕がかい? うーん……。さやかでも分かるようにとなると、少し難しいね」

 

「どういう意味さ!?」

 

 さやかが何やら喚いていたが、それを無視して、ほむらは、まどかに向き直る。まどかは、心配そうな目を拘束されている〈上位ほむら〉に向けていた。

 ほむらは、何と声を掛けていいのか分からず、思考がぐるぐると回りだす。あまりにも想いが大きすぎて、それを言葉にすることができなかった。

 

 やがて、その想いが彼女の目から溢れてくる。あらゆる感情が入り乱れて、止めようのない涙が零れてくる。

 ほむらは、まどかに駆け寄ると、縋りつくようにして崩れ落ち、大きな声を上げて泣き出した。

 

「まどか……! ああ、まどか、会いたかった……」

 

 ほむらが言葉にできたのは、それだけだった。あとはもう、まどかにしがみ付き、赤ん坊のように泣き続けることしかできなかった。

 

「ほ、ほむらちゃん……?」

 

 まどかが、戸惑いながらほむらに呼びかける。彼女は、もうひとりのほむらに対して、どう接してよいのか分からずにいた。だが、自分に取り縋り、涙に濡れる少女の顔を見て、その想いの深さを受け止めたのだった。

 まどかは、そっとほむらを抱き寄せると、優しく微笑みながら語りかけた。

 

「ほむらちゃん。私は、ここにいるよ」

 

 その言葉を聞いて、ほむらは、久方ぶりの安らぎを得た。彼女の全身から力が抜けていく。そして、まどろみに包まれる。やっと、辿り着けた。ようやく、旅が終わった。

 最愛の人の腕の中で、ほむらは、安らかな眠りに落ちる。

 

 

 ほむらの長い午後が、終わった。

 

 

 

 

 

 そして――

 

「ほむらちゃん。一緒に帰ろう」

 

「ええ、いいわ。帰りましょうか」

「ええ、いいわ。帰りましょうか」

 

 終業を知らせるチャイムが鳴り、下校時間となっため、まどかは、隣の席のほむらに声を掛ける。すると、まったく同じ台詞が、まったく同じタイミングで、まったく同じ声で返ってきた。

 

「ちょっと、まどかは私に話し掛けたのよ。あなたは引っ込んでなさい」

 

「現実を認めなさい。まどかが声を掛けたのは私よ。あなたではないわ」

 

 まどかの両隣は、どちらも暁美ほむらの席だった。両者は間にまどかを挟んで、彼女の頭上で睨み合い、火花を散らし始める。

 

「まーた、始まった。毎日毎日飽きもせずよくやるわ」

 

「いつものことだろ。ほっとけばいいさ」

 

 さやかと杏子が、ホムラーズの戦争を眺めながら、呆れたように会話を交わす。いつも通りの日常だった。

 

『みんな、大変だ! 魔獣が現れた。急いで魔法少女に変身だ!』

『どうして、そんなわざとらしく慌てたような口調なんだい?』

『分かってないね、君は。そういう決まりごとがあるのさ』

『訳が分からないよ』

 

 そこへ、キュゥべえズからの念話が届き、日常は非日常へと変貌を遂げる。

 

『皆、キュゥべえ達から聞いたわね。学校の前で一度集合してから現場に直行するわよ!』

 

『ハァ!? マジかよ、帰りにラーメンでも食って帰ろうと思ってたのにさ』

 

『あんたねえ……。晩御飯の前にそんなの食べたら駄目でしょ……』

 

 マミからの念話を受け取った少女達は、急いで帰り支度を始める。魔法少女のお仕事の時間だ。

 

「まどかは私が守るから安心してね」

 

「いえ、まどかを守るのは私の役目よ。あなたの出番はないわ」

 

「あ、あはは……。ありがとう。でも、ふたりとも、あんまり喧嘩しないで欲しいかなって……」

 

 まどかは、おずおずと上目遣いにほむら達を見た。

 瞬間、ほむら達の思惑が一致して、両者はガッチリと手を握り合う。

 

「もちろんよ!」

「もちろんよ!」

 

 その様子を見たまどかは、にっこりと満面の笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

「良かったね。ほむらちゃん」

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