ボランティア活動に従事していたミカは、ある時帰り道に廃れた教会を見つける。彼女がその中にあったオルガンを、気分のままに弾きながら唄っていると、それを近くで聞きつけたスズミと先生がやってきて……


スズミとミカがメインのSSになります。


※エデン条約編及びスズミとミカの絆ストーリーのネタバレにご注意ください。

※あにまん掲示板内のスレにて載せて頂いたSSを掲載したものになります。
https://bbs.animanch.com/board/4354944/

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本編

──どうして、助けてあげないんだろう。

相手が罪人だろうと悪魔だろうと怪物だろうと。

 

──どうして、守ってあげないんだろう。

目の前で脅威に晒されているのならば。

 

──そんなの、関係はない筈なのに。

 

あぁ──仮にそれが。

もし誰にもできないというのならば──

 

 

 

それができるのは──

 

────────────────────────────────────────────

 

「あぁ~…疲れた…」

 

トリニティ学区内、都内から少し離れた辺鄙の路地にて。

その道を、背中から翼を生やしたピンク髪の生徒がとぼとぼと歩いている。

 

「もう随分やってきたけど…ボランティアのノルマ300時間まであとどれくらいだっけ…?そろそろ終わりぐらいだと思うんだけどなぁ」

 

聖園ミカ──トリニティ総合学園の現主席と言える生徒会こと『ティーパーティー』のホストにして、『パテル分派』の首長。言ってしまえば、トリニティにおけるトップの立ち位置にいるはずの生徒だ。

 

そんな彼女は今──雑草が目一杯入った袋を両手に、泥だらけになったジャージの体操服のまま寮へと戻ろうとしていた。

先ほどの情報を踏まえると、その姿でこうして歩いている光景はあまりにそぐわないものだろう。

 

 

 

では何故こうなったのかと言えば──それは、ゲヘナ学園とトリニティ総合学園の両校が取り決めた不可侵条約である『エデン条約』が関係していた。

 

ゲヘナ学園を嫌う彼女はこの条約の締結を望まず、同時に元々はトリニティの一派でもあったアリウス分校と接触していたミカは、彼女たちの力を借りた上である行動へと移ってしまう。

 

それは、同じくティーパーティーのホストに該当する『サンクトゥス分派』の首長、百合園セイアの襲撃──及び、『フィリウス分派』の首長、桐藤ナギサの襲撃の画策。

所謂、トリニティ総合学園に対する一種の”クーデター”だった。

 

無論、ミカとしては本当はセイアの命を奪うつもりなど全く無かったのだが、彼女の予想とは裏腹に大きく話は拗れ、良からぬ方向へと発展してしまった。

結果、「セイアが死んでしまった」という誤った情報を受け取ったミカは大きなショックを受けると同時に、「もう引き返すことは出来ない」とナギサの襲撃計画に歯止めをかけられなくなってしまったのだ。

 

幸い、セイアは命を落とした訳ではなく、同時に補習授業部とシャーレの先生、シスターフッドの介入によりミカの襲撃計画は阻止された。その後、”エデン条約の調印式におけるアリウス分校の襲撃”というもう一つの非常に大きな騒動を経ながらも、ミカはナギサやセイアと無事に和解することができたのだった。

 

しかし、彼女の起こした”裏切り”という行為が消えたわけではない。トリニティ総合学園の聴聞会にて定められた処罰により、彼女はティーパーティーにおける資格と特権を剥奪。次の『パテル分派』の首長が決まるまでは依然として一員ではあるが、今はその地位を殆ど失った状態にあった。

 

 

そして、彼女に与えられたペナルティの一つとして、こうしてボランティアに勤しまなければならなかった結果が今の光景に至るという訳である。

 

 

 

「まぁ、続けてればいつかは終わるし、いっか。帰ったらこの服も洗濯しないと…ん?」

 

そうして歩いていたミカは──ふと、目に映ったある建物に気づく。

 

「あれって…」

 

それは教会──恐らくは聖堂として使われていたと思わしき、古めの小さい教会だった。

といっても随分と長く放置されていたのか、庭には雑草が茫々と生え、壁には蔦が生い茂っていた。長らく手入れがされていなかったのは一目瞭然だろう。

 

ミカは何を思ったのか、棒になりかけていた足で教会への階段を踏みしめていく。踏み込んだ段の一つがポロリと欠け、バランスを崩しかけるが何とか踏みとどまる。

最終的に辿り着いた扉に手をかけると、ドアには鍵がかかっていないことが分かった。耳障りな軋む音を立てながら、木製の扉を開けた先で、ミカは思わず茫然としてしまう。

 

「……わーお……」

 

あちこちに散らばった空き缶や菓子の袋のゴミ。砂がついて割れたままの窓ガラス。朽ちて零れ落ちた階段の手すり。

見るに堪えない惨状は、ただここが放置された場所ではないことを物語っていた。

 

「あーあ…酷い有様。日頃から溜まり場として使われてたのかな?」

 

辛うじて通れる場所に足を置きながら、ミカは教会の奥へと向かっていく。やっていることは不法侵入のそれだが、そもそもここを管理している者が今でもいるのかすら怪しいものだから、ミカとしては気になる事ではなかった。

彼女が気になっていたのは──教会の奥にあった、”その場所”だった。

 

「…勿体ないなぁ。こんな綺麗なものがあるのに」

 

小さな教会ではあったが、それでもシンボルともいえる存在は作られていたようだった。

奥にあった祭壇には──壁に埋め込まれた色とりどりのステンドグラス。そして、礼拝に使われていたと思わしき足踏み式のリードオルガンだった。

 

ステンドグラスには、神の生誕の象徴とも呼べる大きな星と、それとほぼ同等の大きさの三日月が配置されていた。一見では、夜の星空を模した風に見える。

 

そしてオルガンは──所々に傷がつき、塗装が剥げていたものの、奇跡的に壊れてはいないようだった。ミカはその独り寂し気に置かれていたオルガンに歩み寄ると、上蓋をそっと開けた。

 

「えっと…まだ音は出るのかな?」

 

ペダルを右足で押し込み、ミカは鍵盤を一つ押す。すると、ややか弱くはあるが確かに芯のある音色が教会の中に響き渡る。この時を待っていたと言わんばかりに、ミカの期待にオルガンは精一杯応えてくれた。

 

「フフッ…そう、あなたもまだ、”生きている”んだね。

──それなら、歌おっか」

 

両手を鍵盤に添える。指自身が記憶しているままに、和音をなぞる。

うろ覚えの讃美歌の歌詞を、ミカは自由気ままに声に出してハーモニーとして重ねていく。

 

「~♪」

 

泥にまみれた天使と、傷だらけのオルガン。

それが奏でる協奏は────忘れ去られた舞台の幕を開けることになる。

 

そして──音色に誘われた演者がまた一人、舞台に上がらんとしていた。

 

────────────────────────────────────────────

 

「ありがとうございます、先生。こうして自警団活動に付き合っていただけるのは、いつになっても新鮮な感覚ですね」

“大丈夫だよ、ここ最近はスズミと一緒にいる機会も少なかったからね”

 

ちょうどその時、近くの別の道をトリニティ自警団の守月スズミとシャーレの先生が歩いていた。

多忙であった先生が久々にできた時間の中で散歩している際にスズミと偶然会い、せっかくなのでと彼女の自警団活動に付き合った結果、こうして二人で歩いているという訳なのである。

 

するとその時──彼女たちの耳元に、普段あまり聞きなれないメロディーが聞こえてくる。

 

“おや…?”

「これは…オルガンでしょうか?」

 

それは、オルガンが奏でる和音と、誰かの歌声によるものだった。音の行方を探そうと聞こえてきた方に目を向ければ、そこには寂れた教会が建てられているのが見えた。

 

「これは…あそこから聞こえてますね。しかし、あの教会はもう永らく放置された場所のはずですが…」

“…この歌声、聞き覚えがある”

「…心当たりが?」

“多分だけど…彼女かな。スズミ、良ければ少し見に行ってみない?”

「え?しかし、危ないのでは…」

“まぁ、確かにね。でも、スズミが守ってくれるなら大丈夫だと思うんだけど…どうかな?”

「…分かりました、そういうことであれば。ただ、決して無理はしないでくださいね」

“うん、ありがとう”

 

珍しく先生が積極的なのに驚きながら、スズミは先生と共に教会の階段を上がっていく。辿り着いた扉は半開きになっており、既に中に誰かが入ったであろうことが見受けられる。

 

二人してその隙間から中を覗き込むと──そこにいたのは、オルガンを弾きながら朧げに歌を口ずさむ、体操服を着たミカの姿があった。

 

「~♪」

 

丁度演奏が終わりかけだったこともあり、その音色はやがてゆっくりと途切れていく。

そのタイミングで、先生はドアを静かに開けて中へと入っていった。

 

“やぁ、ミカ。やっぱり、君の唄だったんだね”

「…えっ!?先生、どうしてここに!?」

 

先ほどまで集中していたこともあってか、ミカは突然の来訪者に吃驚したように飛びのく。

しかもそれが、よりにもよって先生だったということもあって、恥ずかしさが込み上げてきたのか赤面し始めた。

 

“教会の外から聞こえてきてね。気になって、見に来ちゃったんだ”

「そ、そうだったんだ…えっと、もしかして結構響いてた…?」

“まぁね。でも、綺麗な歌声だったよ”

「あ、ありがとう…でも、先生に聞かれるとは思わなかったよ~…っていうか、入ってくるならちゃんとノックくらいしてよね!驚いたんだから!」

“あはは…それはごめん”

 

軽く先生に怒ったミカは、そこで後ろにいるもう一人の影に気づく。

 

「あれ?そっちの子は誰?」

“あぁ、トリニティ自警団の守月スズミだよ。さっきまで、私は彼女の自警団活動の手伝いをしていた所”

「へぇ~…あれ?確か自警団って、聞いた話では非公認の組織だったような?」

「…まぁ、そうですね。各々が自発的に動いている者達ばかりですから」

 

すると、スズミも一歩出て自己紹介をする。

 

「初めまして、守月スズミと言います。えっと…お名前をお伺いしても?」

「あ、えーっと…うーん…」

 

ミカはしどろもどろになっており、どうやら名前を口にするべきかどうか迷っていたようだった。しかし、先生が”大丈夫だよ”と言うように頷いたのを見て、最終的には自分から覚悟を決めたように名乗り出た。

 

「…私は、ミカ。聖園ミカだよ」

 

トリニティ内部には、彼女のことを”裏切り者”と快く思わない者も多い。

その為、今の逡巡はスズミの反応が変わることを恐れたのも兼ねているのだろう。

 

態度を一変させるのではないかというミカの不安は──

 

「なるほど、ミカさんですね。初めまして」

 

しかしながら、握手するように手を差し出したスズミの態度によって否定された。

 

「…え?」

「…?どうかしましたか?」

「えっと…こう、もっと驚かれるのかなーって思ってたんだけど…多分、私のことは知ってるはずだから」

「…ティーパーティーの件のことでしょうか?」

「うん…まぁ、そう」

「確かに、そういった噂を聞いたことはありますが──

 

それでも、ここでは私とあなたは初めましてですから。であれば、こうして挨拶するのが礼儀だと思いますので」

 

「…………」

 

ミカは、戸惑っていた。驚くでもなく、態度を悪化させるでもなく。

スズミは”聖園ミカ”という一生徒として対等に接してきたのだ。

トリニティの派閥内で繰り広げられていた、上下関係にも等しい会話のそれとはかけ離れた感覚は、ミカにとっては久しいものであった。

 

「よ、よろしくね…?」

「はい、こちらこそよろしくお願いします」

 

おずおずと手を伸ばし、ぎこちなくも握手をする。そうして握ったスズミの手からは、自警団として活動してきたが故の穏やかながらどこか力強い感触をミカは感じていた。

 

“そういえば、ミカはここで何をしてたの?”

「それは…ボランティア活動の帰りに、ふと目に留まって。気になって中に入ってみたら、このオルガンがあったから、気分のままに弾いちゃってたんだ」

“成る程…気になったっていうのは、この教会の状態から?”

「そっ。酷いよねー…こんな風にされちゃって。幾ら人が来なくなった場所だからって、ちょっとあんまりじゃない?」

「そうですね…あちこち痛んでいる上に、不良生徒が入ったのかゴミが散らかってますね」

「でしょ?でもオルガンは無事だったから、せっかくってことで弾いてあげたくなったんだ。だって、ここで誰にも弾かれずに、独りぼっちで誰かを待ってたんだから」

 

そう言いながら教会を巡回していたミカは──ふと何を思ったのか、持っていた予備の空袋を取り出す。

 

「…これぐらいは、してあげたいからね」

 

そして、床に落ちていたゴミを拾い上げると、空袋に詰め始めたのだ。

 

“ミカ…”

「ここはもう、誰にも使われていないけど…このまま終わるのは、見てられないかな。

まぁ、全部無駄かもしれないけどね☆」

 

すると、それを見ていたスズミが──同じようにゴミを拾い上げた。

 

「…私でよければ、お手伝いします」

「…?本当に言ってるの?」

「えぇ」

 

ミカはそんなスズミを、若干小馬鹿にするように笑った。

 

「いいの?別にこれは私がしたくてしてるだけだし、付き合う義理なんてどこにも無いよ?

それに、これ自体は特に意味なんてないと思うし」

「…そうですね。確かに意味はないのかもしれません。ただ──これは同情でも義理でもなく──私も、こうするべきと思ったまでです。

これはきっと、自警団としての”仕事”でもありますから」

 

そんなスズミの返事に、ミカの表情が柔らかくなる。

今度は、本心から笑っているようにも見える。

 

「──そっか。それなら、お互い好きにやろっか」

「えぇ、それで構いません」

 

そうして、二人して袋にゴミを詰めていく。

側で見ていた先生も、それを見てさりげなく混ざり始めた。

 

「あはっ☆別に先生までやらなくてもいいのに」

“ん?私も好き勝手やってるだけだよ”

「…素直じゃないですね」

 

やがて、空だった袋はパンパンになり、予備も含めてミカが持ってきた袋のストックは無くなってしまった。

ミカはぎっしり詰まった袋の山を一度に抱えると、教会の出口へと向かい始めた。

 

「じゃ、私はこれを捨ててくるね。流石に全部入らなかったかぁ…」

「これだけ長く放置されたこともあって、結構な量ですからね。相当の回数来ないといけないかもしれません」

「そうだね。まっ、後は私がやっておくから気にしないでいいよ。じゃ、二人ともあまり遅くならないうちに帰ってね」

「えぇ、そうします」

“またね、ミカ”

「うん。じゃ、またねー☆」

 

 

そうして一人先に帰っていたミカを見送っていた二人は、暮れかけた日の中で顔を見合わせた。

 

「では、私たちも帰りましょうか」

“そうだね。ただ、その前に…スズミ”

「…?どうされました?」

“個人的なお願いをしたいんだけど、いいかな”

「…お願い、ですか?」

 

“うん。多分だけど、今後もミカは一人でここを綺麗にしようとやってくると思う。

だからそれが終わるまで──出来る限り、彼女の側にいてあげてくれないかな。

無理にとは言わないし、私も仕事の合間に様子は見には来るけど”

 

「それは……私でよいのでしょうか?適任な方は、他にもいると思うのですが…」

“うーん…一つは、こうして二人がここで出会ったのも縁と呼べるから。

もう一つは──君だからこそかな”

「私だから…ですか?」

“うん。これはミカの為でもあるけど…君の為にもいいかもしれないって思ったんだ。君には、より多くの人と触れ合ってほしい。自警団活動としてではなく、個人としてね。

そして──ミカと繋がることは、君にも何かを齎してくれる。そんな気がしたんだ”

 

「そうでしょうか…?私としては、プライベートでも交友関係がないわけではないと思ったのですが…」

“まぁ、それはそうかもしれない。特に君は自己管理も上手だし、オンオフの使い分けに長けている。欠点があるにしても、集中して力みすぎてしまうことぐらいだからね。

だから、どちらを選んでも君の自由だ。さっきのは、私個人のエゴに近いかもしれないから”

 

「…分かりました。少し、考えさせてください」

“…ありがとう。それじゃ、返事を待ってるよ”

 

そんな会話の後、スズミと先生はそのまま各々の家へと帰っていった。

その日の夜、スズミから先生に送られたモモトークには、お願いに関する返答が記載されていた。

 

『例のお願いの件ですが──私でよければ、引き受けさせて下さい』

 

────────────────────────────────────────────

 

「で、今日も来たって訳なんだ。あはっ、先生らしいね☆」

「はい。正直決めかねていましたが…私自身も、どこかでそうしたいと思っていたのかもしれません。ミカさんが構わなければ、ですが」

「んー…しょうがないなぁ。じゃ、この際だから付き合ってもらおうかな?」

「承知しました。では、早速始めましょうか」

「オッケー☆」

 

後日、スズミとミカは教会の清掃と修繕作業に取り掛かっていく。床に散らばったゴミを事前に用意した袋に詰めていきながら、壊れたところは用意した資材で補強していく。慣れない手つきながらも、少しずつ作業は進んでいった。

 

「よっし、これでゴミ片付けは完了っと!次は…二階に行こうかな?」

 

ミカが次に目を付けたのは、まだ手つかずにあった二階のベランダだった。

近くの階段を一段ずつ登っていき、ベランダの中を改めて確認すると、朽ちた木材や張ったままの蜘蛛の巣が見えている。

 

「うぅ…骨が折れそう。スズミちゃんにも声かけて手伝ってもらおっと。おーい!」

「ミカさん、どうされました?」

「二階のほうが酷くてさー。ちょっと来てほしくて──」

 

そこまでミカが言いかけた時だった。

 

バキッ。

 

「えっ?」

 

ミカの立っていた床の方から嫌な音がしたかと思えば──その床が抜け落ち、大きな穴が開いた。

 

「うわぁっ!?」

「!?ミカさん!」

 

咄嗟に、側にいたスズミが反応する。

素早く身をひるがえすと、一階へと落ちてきたミカを両手で抱き留めた。

ガラガラと木材が辺りに散らばる中、ミカは思わず閉じていた目を開けた。

 

「あ、あれ…?」

「大丈夫ですか?お怪我は?」

「だ、だいじょ──」

 

そこまで言いかけて、ミカはふと気づく。

 

 

あれ、今自分────スズミにお姫様抱っこされていないかと。

 

 

次第に目線が揺れるミカに、スズミは不思議そうな顔で確認を促す。

 

「えっと、ミカさん…お怪我は?」

「だ、大丈夫だよ!あはは~…も、もう下していいよ!本当に何ともないから!」

「そうですか?では…」

 

ゆっくりと地面に降ろしてもらいながらも、どこかミカの挙動は不安定になっていた。

 

「…………どうされましたか?」

「な、なんでもないって!というか、別に助けなくても良かったのに。私、自分でも着地できたし、スズミちゃんの方が危なかったかもだよ?」

「そうでしたか…失礼しました。ただ、ミカさんが危ないと思ったのは事実ですので、そう動いたまでなのですが…」

「そ、そっか…まぁ、これくらい気にしない気にしない!次はちゃんと見るからさ!」

「本当に、気を付けてくださいね…ところで、あの穴どうしましょうか?」

「…あっ」

 

────────────────────────────────────────────

 

床に空いた穴は後ほど補強した上で、その後二人は二階のベランダを出来る限り手入れしていった。

正午を回った頃、ゴミ袋の山を片づける為に幾ばくかゴミ捨て場と教会を往復し、気づけば床の上は随分と通れるようになっていた。

 

「今日はここまでですね。お疲れ様でした」

「うん。スズミちゃんもお疲れ様!」

「では、私はこれで」

 

そうして帰ろうとしたスズミを──ミカの手が引き留める。

 

「ちょ、ちょっと待ってってば!このまま終わるのはなんか違うんじゃない?」

「…?今日やることなら終わりましたが…他に仕事が?」

「そういうことじゃなくて!んも~…分かんないかな。せっかくこうして会って話す機会なのに、掃除だけして終わりなんてつまらないでしょ?」

「つまらない…ですか。はぁ…」

 

いまいちピンと来ていないスズミを見て、ミカはふと何かを閃いたようだった。

 

「…ね、スズミちゃん。今日この後って時間ある?」

「時間ですか?自警団活動があるので、そこまでは…」

「真面目だなぁ~…じゃ、これも”お願い”ってことで一緒についてきてほしいの!

自警団活動だって、強制的にやっているわけじゃないんでしょ?」

「それはまぁ…そうですが」

「じゃ、着替えてくるからちょっと待ってて!」

「…?」

 

暫くして、普段着へと着替えてきたミカがスズミと合流したかと思えば、半ば強引にミカは街中へスズミを引っ張っていく。

 

 

 

 

 

 

 

「あの、えっと…何をしに行くのですか?」

「それはね…買い物だよ」

「買い物?」

「そっ。買わないといけないものがあってね。一人だと心細いの。あとは──先生のお願いとは別に、私といる意味を”ちゃんと”知ってもらうため」

「…?」

 

そうして最初に彼女が入っていったのは──学校の近くにあった本屋さんだった。

 

 

「…教科書、ですか」

「うん。何冊か無くしちゃってさ、次のものに買い替えようと思って」

「教科書を無くす、ですか…あまり聞かない話ですが…」

「そこはまぁ、私がドジってことで!」

「そ、そうですか…」

「ほら、止まってないで次いこっ!袋持って!」

「次があるんですか…」

 

 

「…これは、体操服のジャージ?」

「そっ。今使ってるのがボロボロになってきてるから、次のものを買っておこうと思ってね」

「それにしては、籠の中には別のものも入っているようですが…上履きに、制服に…ハンカチ?」

「ちょうどタイミングがいいから、この際一気にってことで!」

「お金は大丈夫なんですか?」

「んー…そこはちょっと心配かな…でも、何とかなるなる!」

 

 

「…鞄まで買うのですか?」

「底に穴が開いちゃってね。いやー、いっぱい振り回しちゃったせいかな?あんまり物で遊ぶなーって、ナギちゃんにも怒られてるんだけどね!」

「………………」

「ん?どうしたの?」

「…いえ、何でも」

「あははっ、そんな疲れた顔しないでよ。これで終わりだからさ。付き合ってくれたお礼に、ちょっとだけお礼をさせて」

「お礼…?」

 

 

あっという間にミカの買い物に付き合わされ、袋を持たされていたスズミは内心複雑だった。

最初のうちは、彼女の買い物に付き合う必要などないのに何故引き受けてしまったのか、先生はミカと自分が接することで何が変わるのかと疑問に思っていたのも事実だった。

 

しかし──彼女の買い物の中身と言動を見るうちに、スズミはミカに対する別の疑念が浮かび上がり始めていた。

 

 

 

最後にミカは、とあるカフェの中へと入っていく。スズミもつられて中に入ると、彼女は一番安いチーズケーキと紅茶を二つずつ頼んだ。

 

「最近いろんな店に行くのにハマっててさ~。ここのやつが絶品なんだ!本当はもうちょっと高いメニューを頼みたかったんだけどね」

「はぁ…」

「ごめんごめん。ありがとう、今日一日付き合ってくれて。本当は嫌だったりしなかった?」

「ストレートに聞いてきますね…正直、こういった買い物を友人ともすることがなかったので、なんというか…」

「不思議な感じ?」

「えぇ、はい…」

「ふ~ん…本当に自警団活動一筋って感じなんだね。退屈じゃないの?」

「退屈…ですか。そういった感情でやめようとも思ったことは一度も」

「本当に真面目さんだなぁ…あ、きたきた!」

 

他愛もない会話を続けてるうちに、ウェイターによってテーブルの上にチーズケーキと紅茶が運ばれてきた。

 

「いただきまーす!」

「…頂きます」

 

ミカが味を堪能しながら微笑むのを見て、それに合わせるようにスズミもケーキを口に運ぶ。

 

「美味しい…!」

「ふふっ、言ったでしょ?」

 

暫くそうしてデザートタイムを過ごしていると、ミカはふとスズミに聞いてきた。

 

「ねぇ、スズミちゃん。何か私に対して思うところない?」

「唐突ですね…別段、特には無いです」

「そうなの?私だったら、こんな”お願い”を聞こうなんて思わないけどなぁ」

「…どういう意味ですか?」

 

「私みたいな”魔女”に付き合っていいの?ってこと。噂は聞いてるんでしょ?」

 

「…ティーパーティーにおいての資格を剥奪された、というぐらいですが。私自身、そういった政治ごとに関心はないので」

「わお、ばっさり☆でも、そういうこと」

 

そこで、ミカの表情が真剣味を増す。顔は笑っていても、瞳の奥底は笑ってなどいない。

 

「あなたは私と関わる意味を、きっと良く知らない。先生は私のことを思ってくれてるけど──生憎、私はあなたと一緒にいるのは望まないかな」

 

「……私のことが苦手だからですか?」

「うーん、それとも違うかな。別に好きでも嫌いでもないよ。ただ──」

 

 

ばしゃっ。

 

 

「……こういうこと」

 

店の中に、水が飛び散る音がする。二人の座っていた席の隣を通りがかった生徒が──テーブルに置かれていたまだ熱いはずの紅茶のカップを、ミカに向かって放り投げていた。

カラカラと音を立てて転がったカップが音を立てなくなったころには、ミカの顔からはかけられた紅茶がポタポタと床に向けて滴っていた。

 

「──!?」

「あっ、ごめーん!ちょっと手が滑っちゃった!」

 

かけた生徒は、口先では謝りながらもそれ以上は何もしようとせず、ただ側を通り過ぎようとする。明らかに故意──そう思った矢先。

 

「────待ってください」

 

スズミの腕は咄嗟にその生徒の腕を掴んでいた。

 

「ん?やだなぁ、謝ったじゃん。何か文句?」

「今のはどう見ても事故では無いでしょう。それに、かけておいでそのまま立ち去るのですか」

「しつこいなぁ……それとも何?

 

あなた、”魔女”に肩入れするの?」

 

「!」

 

その二文字が口に出された時──スズミはここまでのミカとの出来事を思い出していた。

今日の買い物の時、彼女が買っていたものやどこか違和感のある言動。そして、先ほどの自分を遠ざけようとするような言い方。

 

ミカがトリニティにおいて置かれた現在の立場を、そこでスズミははっきりと理解した。

 

「…ッ」

 

ギリッ、と歯ぎしりをする音が頭に響く。今ここでその言葉を撤回させなければ、心に沸き上がった義憤は収まりそうにない。

彼女の為という訳ではない。この理不尽そのものを、スズミは見過ごせなかったのだ。

いつも携帯している、ポケットの中の閃光弾に手を伸ばしかけた時──

 

「そこまでだよ」

 

しかしながら、ミカの静止させる言葉にスズミの動きはピタリと止まった。

 

「しかし、今のはどう見ても──」

「いつものことだもの。もうとっくに慣れてるから、大丈夫」

「いつもの、こと──」

 

つまりは──前提が違う。

スズミにとっての日常と、ミカにとっての日常。

身分や立場以前に──置かれている現実が、あまりにかけ離れていたが故の齟齬。

それは──スズミが分け隔てなく公平に行っていた自警団活動において、初めての停滞ともいえる場面だった。

 

「うん。あ~あ……もうちょっと楽しみたかったけどなぁ。

でも──こういうことなの。分かった、スズミちゃん?

 

私に関わると、碌なことがないってこと」

 

「─────」

 

ふと、他の席を見る。よく見れば──周囲の席から感じる雰囲気は、スズミがよく知る団欒のものとはかけ離れていた。

攻撃的かつ明確な敵意や軽蔑した視線を送る者もいれば、これ以上関わると自分に被害が及ぶのを恐れるように視線を逸らす者も。

また、幾人かは心配そうに彼女を見つめていたが、それも次第に衰えていくのが分かった。

 

 

あれが──かつて、トリニティのトップとして人々に使えていた者への態度だというのだろうか──

 

 

「……なんか白けちゃったね。まっ、仕方ないか。

外に出よっか、スズミちゃん。ここじゃ私達は──邪魔者みたいだからね」

 

するとミカは、会計をささっと済ませると、固まったままのスズミの腕を掴んだ。

 

「ちょ、ミカさん…まだ話は──」

「ありがと、マスター☆じゃ、またね~」

 

結局──スズミが彼女たちを問い質そうとする前に、ミカによって彼女は店の外へと引っぱり出されてしまった。

 

 

 

二人して店を出た後、ミカは買ったばかりのハンカチで、体にかけられた紅茶を拭き取った。スズミもそれを手伝おうとしたが「自分でできる」とミカに断られ、ただ何もできないままだった。

店を出た後、背伸びをするミカとは対照的に、スズミはただ地面を見つめるばかりだった。

彼女は人生で初めて──自警団活動の”先送り”をしてしまった。それが、ミカによる不可抗力が働いたとはいえ。

 

「ふー…暗くなってきちゃったね!じゃ、帰ろっか!」

「…どうして、止めたのですか」

「さっきのこと?別に、あそこで喧嘩をする気にはならなかったってだけだよ」

「──何も、思わないのですか。あなた自身が軽んじられている、あの現状を」

「んー…だって、私”いい人”じゃないもの。散々酷いこともしてきたし、あれぐらいされても仕方ないよ。寧ろ、あんなのは序の口だし。まぁ……一種の罰みたいなものじゃないかな?」

「──”罰”?」

 

気づけば──スズミはミカの両肩を掴み、睨みつけてしまっていた。

それは、普段スズミが見せることは無いであろう、激昂した姿だった。

 

「あれは”罰”なんかじゃない……ただの嫌がらせです!!!

火傷してたっておかしくなかったのですよ!?

 

なのに、どうして──あなた自身を大事にしようとは思っていないのですか!?」

 

「──ごめんね、よく分からないや。私を思ってくれてる人はいるかもしれないけれど──逆に言えば、ただそれだけ。それは向こうが思ってくれてるだけなの。

 

気持ちは嬉しいけど──私には、きっとそういう資格は無いよ」

 

「…………あなたは」

「?」

 

「あなたは──一体誰なのですか」

「誰って…私はミカ。聖園ミカだよ?」

「いえ……

 

“本当のあなた”は、一体誰なのですか」

 

「……意味深な聞き方するんだね、スズミちゃん。なんだか、私の友達みたい」

 

「話せば話すほど──私は、あなたが分からなくなるんです。

 

近づきたいのか、遠ざけたいのか。

優しいのか、意地悪なのか。

我儘なのか、窮屈なのか。

 

私には──ミカさん、あなたが誰なのか分からないままなんです」

 

「………………」

「私は先ほど、自警団という身でありながらあの非道を看過した。目の前であなたが虐げられる光景を見ていながら、私はあなたの言葉に従って止まってしまった。

それは──私の望む正義ではないんです。いつもの私なら、あの場であの生徒たちを正そうと問答無用で動いたはずなのに──

 

あなたの齎した変化は──私を大きく揺らがしてしまっているんです」

 

「…そうだね。だから言ったんだよ?これ以上、関わらない方がいいって。私っていう異分子が入ったことで、あなたの不変の日常は大きく崩れる。

あなたの持つ正義は誰に対しても平等なのかもしれないけれど──それがどこでも通用するとは限らない」

「…………」

 

 

「まっ、早い話、これでもう分かったよね☆

買い物に誘ったのは、半分は一緒にいたかったから。それは本当だよ?

 

ただ、もう半分は──私という生徒といる意味を、あなたに知ってほしかったから。

 

だから、あなたの理想が崩れる前に──私という現実からは離れた方がいい。これ以上、無理に私に合わせなくていいの。きっとそれが私たちの為だから。

先生には私から言っておくからさ、気にしなくていいよ!」

 

天真爛漫な笑顔を顔に張り付けた少女は、スズミに背を向けながら彼女の寮へと踵を返した。

 

「じゃあね、スズミちゃん。短かったけど楽しかった。

自警団活動、頑張ってね!」

 

そうして去り際にこちらに微笑みながら去っていったミカの後ろ姿を──スズミはただ眺めることしかできなかった。

 

────────────────────────────────────────────

 

夜の暗い道中。

巡回のパトロールをしていたスズミの足取りは、全くと言っていいほどに覚束ないものだった。

どんなに考えても、思考が纏まらない。結果、活動にも身が入らない。

何度も構えた照準の先は、一向に定まらないままだった。

たった一人との出会いが、ここまで自分のルーティーンを狂わせるとは、夢にも思わなかったのだ。

 

「──私は、どうかしてしまったのでしょうか」

 

何のための正義か。誰が為の正義か。

あの日、オルガンを弾きながら朗らかに歌っていたあの子は──自分にとってどういう存在になっているのか。

曖昧になった定義の中、気づけばスズミは公園のベンチに腰を掛けざるを得なくなっていた。

 

──酷く、疲れている。心だろうか、体だろうか。

いずれにせよ、とてもじゃないがいつも通りには戻れずにいた。

ぐるぐると巡るまま、当てのない思考の中でスズミは途方に暮れかけていた。

 

 

丁度、その時。

 

「──あっ、スズミさーん!」

 

スズミにとって聞きなじみのある声が、公園の入り口から聞こえてきた。

 

「…レイサさん?」

 

そこにいたのは、元気いっぱいに手を振ってくる、トリニティ自警団の顔なじみこと宇沢レイサだった。

 

「自警団活動、お疲れ様です!…ってあれ?もしかして、タイミング間違えましたか…?なんか空気が重いような…」

「いえ、大丈夫です…ちょっと疲れてしまったというか…」

 

雲に隠れていく月。公園に差し込んでいた月光が、徐々にその輝きを失っていく。それと同時に──先ほどまで隠れていた星が、逆に雲から顔をのぞかせつつあった。

 

「…あの!」

「?」

「わ、私で良ければ…お話、聞きましょうか!?」

 

 

 

 

 

 

「ティーパーティーの聖園ミカさんとお会いしたんですか!?」

「レ、レイサさん…!今はもう夜ですよ!」

「ご、ごめんなさい…というか、そんなことが……何というか、複雑そうな話ですね」

「…レイサさんも、そう思いますか」

「はい…私にも、上層部のややこしい構図とかさっぱりなので…」

 

話を聞いたレイサが両手を組んで顔を顰める隣で、スズミは大きく俯いていた。

レイサが差し入れてくれた缶コーヒーも、さっきから喉を通らないままだった。

 

「…らしくない、ですよね。いつも、目の前の人が困っているなら、すぐに手を差し伸べようとしてきたはずなのに……あの時、有無を言わさず対応することだってできたはずなのに。

 

今更、怖くなってしまったんです。私の中の日常が、信念が、誇りが失われるような。不変だった私の中の”当たり前”が、変わってしまうようで……怖くなってしまったのかもしれません。

 

本当なら──あの人を助けることだって、できたはずなのに」

 

「…そうだったんですね」

 

二人してベンチの上で考えて、どこにも行けずじまいの停滞状態が続く。夜の闇に包まれた公園の中で、曇りがかった空に月の柔らかな灯りが遮られてしまうように、スズミもまた一つの挫折を覚えてしまう筈だった。

 

そこに一緒にいたのが、星の瞬きを見せてくれる”彼女”以外であったのならば。

 

 

「でも──そんなに悩む必要も無い気がすると言ったら、スズミさんは怒りますか…?」

 

 

「…え?」

「…だって、スズミさんにとってやることは変わらないはずなんです。トリニティの治安を守るっていうのは、言ってしまえばトリニティの人々の助けになるってことと同じじゃないかなって私は思うので。

 

なら──そのミカさんだって、そういう人々の中の一人じゃないでしょうか…?」

 

「…それは、確かに…」

「なら、立場とか身分とか以前に──スズミさんが助けたいって思ったから助ける。それぐらい、シンプルでもいいんじゃないかなって思うんです。あれこれ悩んで止まってるのは、時間の無駄かもしれませんし──何より、その間に目の前の人を助けられないのは後で辛くなりますから」

「──────────」

 

「私は、スズミさんはいつも通りでいいと思います。周りに振り回されてしまうのは、確かにスズミさんらしくない気がするっていうのは私の主観に過ぎませんけど。

 

だから──胸を張って下さい!あなたが放つ閃光は──きっと誰かを照らしているんだって、このトリニティのスーパースターが保証いたしますから!」

 

「…………そう、ですか。

──ふふっ」

 

再び、月が雲から顔を出す。その隣で輝く星の輝きを知っているのは、一体誰なのだろう。

それはもしかしたら──その星だけが、知らないのかもしれない。

 

「…なんだか、すっきりした気がします。ありがとうございます、レイサさん」

「え?ど、どういたしまして…?私、何かすごい事言いましたっけ…?」

 

頭をはてなにしてぽかんとするレイサを見て、思わずスズミは苦笑する。この子はきっと、自分よりも根っからのヒーローなのかもしれない。

 

「いえ、気にしなくていいんです。やることが決まりましたから。また、何かあったらご一緒させてください」

「わ、分かりました…でもお力になれたのなら嬉しいです!またいつでもお声がけくださいっ!」

「はい。では、おやすみなさい、レイサさん」

「はい、おやすみなさい!」

 

月光に照らされる公園の中を、二人は各々の帰り道に帰っていく。

スズミの表情は──いつも通りのものに戻っていた。

 

すべきことは変わらない。仮に何かが私の中で変わったとしても──きっと、それは私のままなのだから。

 

 

「──”お願い”は、まだ続けさせていただきますね、ミカさん」

 

────────────────────────────────────────────

 

「…あれ?」

 

次の日、教会にやってきたミカは──そこにいるはずがない人影に首を傾げていた。

 

「おかしいなぁ──私とは離れた方がいいって言ったはずなんだけど?」

 

昨日、これ以上は関わらない方がいいとミカから言われたはずなのに──スズミはその教会に再び戻っていた。教会の祭壇の前で、彼女はミカが来るのを待ち続けていたのだ。

 

「…どういうことかな、スズミちゃん☆」

「──昨日一日、考えていました。あなたといることで、私の日常は変わってしまうのではないかと。私の不変だった正義が変わってしまうのではないかと」

「うん、そうだよ?だから、あなたとの関係は昨日の時点で──」

 

「──変わりません」

 

「…え?」

「変わりません。あなたと関わろうと、私の中の信念が変わることはありません。いえ──あなたの前だからこそ、私は自分の信念を強く認識できる」

「…………」

「それに、私が先生から聞いた”お願い”は終わっていませんし──

 

私が自警団として守るべき”人”は、今ここにいるのですから」

 

「…何それ。スズミちゃん、今言ってたことの意味を分かってるの?あの時も止めようとしてたけど……私が"魔女"って呼ばれてるの、知ってるよね?あんなことしたら、あなただってきっと──」

「──仮にミカさんが”魔女”だったとして、それは彼女たちの行為を見過ごす理由になるのでしょうか?私は政治のことはあまり詳しくありませんが……元より自警団は疎まれることも多いですので、心配していただく必要はありません。

第一──

 

あなたが"魔女"だったとして、あのような仕打ちを受けることに何の関係があるのでしょうか?」

 

「⋯⋯おかしいよ、あなた」

「そうでしょうか?私にとっては、これも”日常”です」

 

その時、スズミはミカの作り笑いを浮かべた顔を、真っすぐに正面から見つめていた。

目は逸らさない。足は下げない。

この突然の出会いすらも──私は受け止めてみせると。

 

 

 

──どうして、助けてあげないんだろう。

相手が罪人だろうと悪魔だろうと怪物だろうと。

 

──どうして、守ってあげないんだろう。

目の前で脅威に晒されているのならば。

 

──そんなの、関係はない筈なのに。

 

あぁ──仮にそれが。

もし誰にもできないというのならば──

 

 

それができるのは──きっと私だ。

 

 

この”魔女”と蔑まれた少女の心を守れるのは──きっとここにいる私以外に、いないのだろう。

 

 

いつか彼女が正しく自分を愛せるであろうその日まで──私は彼女に否定されようと、その在り方を教えたい。

 

それがきっと──本当の意味で自警団として、”守る”ことなのだろうから。

 

 

 

「…いいの?こんな裏切者を手伝うなんて、自警団としての名に傷がつくんじゃない?」

「あなたの立場が何であろうと、私の名に傷がつこうと。私は自分がそうするべきと思ったからそうするまでです」

「へぇ……どうして、そう思ったの?」

「それは──

 

あなたが、私が助けたいと思ってしまう程に”いい人”だからです」

 

「…私が…”いい人”?本当にそう言ったの…?正気?」

「はい。何故なら──あなたは出会ったばかりの私を、自身に降りかかる災いに巻き込むまいと、遠ざけようとしたのですから。

それに──この教会をあなたが直そうとした時から、私の中のあなたの認識は変わることは無かったのですから」

「そっか……頑固さんだね」

 

ミカもまた、強気な笑顔を浮かべてスズミをじっと見つめる。スズミもまた、それに柔らかく微笑み返し、二人の視線が交差する。

 

「──じゃあ、そこまで言うのなら、私という”生徒”を守ってみせて。先に言っておくけど……どうなっても知らないよ?」

「最初からそのつもりです。…折れませんよ、絶対に」

「…あはっ☆楽しみにしておく!

それと──ありがとうね、スズミちゃん。私の為に怒ってくれて」

「……礼には及びません。寧ろ、ここからですから」

 

歪な形で交わされた、”お願い”の延長線上に置かれた”挑戦”と呼べるその会話を最後に──二人は何事も無かったかのように、教会の修繕と清掃に取り組み始めるのだった。

 

 

 

そして──そんな二人を側で見かけていた者も、また胸をなでおろしていた。

 

“心配になって様子を見に来たけど…大丈夫そうだね。二人とも、いい表情をしていた。

……今顔を見せるのは、ちょっと野暮かもしれないね”

 

引き続き目は配りつつ、その先の行方が良き物であるようにと願いながら──先生は教会に顔を見せずに、その日は去ることにしたのだった。

 

────────────────────────────────────────────

 

そんな日々が二週間程続いたころには、荒れ果てていた教会の中はかなり綺麗に整えられていた。

ボロボロだった部分を補強し、埃を掃き、窓ガラスを拭く。繰り返し地道に続けられてきた成果が、着実に形として現れ始めていた。

 

そして、変化がもう一つ──

 

「スズミさーん!こっちは終わりましたよっ!」

「ありがとうございます、レイサさん」

 

スズミから事情を聞いたレイサが、「私にも手伝わせてくださいっ!」と名乗り出てくれたのだ。色々と考慮した上でスズミはそれを受け入れ、愉快なパーティーメンバーがこうして加わったという訳だ。

 

最も、レイサがミカと初めて会ったときには緊張のあまり人見知りが発動し、どもってしまったのは彼女らしいとも言える。

一方のミカも、最初はスズミの時と同様レイサを巻き込むことを気にしていたようだが、彼女の「スズミさんが信じてくれたこの宇沢レイサを信じてくださいっ…!」という勇気を振り絞った面持ちを見た結果、「無理だけはしないでね」という約束の元にレイサの協力を受け入れた。

 

「うわぁ……すっかりいい感じ!ありがとレイサちゃん☆」

「ど、どういたしまして!みんなのヒーロー、宇沢レイサにお任せ下さればこの通りです!」

「もー、ホント可愛いんだから!うりゃっ!」

「ほ、ほっぺをひっぴゃらないへふらはい…!」

 

今となっては、ミカの砕けた態度と話し方、愛嬌のある雰囲気のおかげで、レイサも最初に感じていたぎこちなさが大分抜けてきた。逆にミカも、レイサの頬を引っ張る等若干マスコット的扱いをしてるくらいには距離感が近づいている。

 

「さて…今日はこれぐらいにしておきましょうか。この中の整理整頓も大分済みましたし、あと何回かでこの修復作業も終わりそうですね」

「それにしても、こんなに綺麗な所だったんですね…」

「ねっ。もしかしたら、そのうち人がやってくるかも!」

 

心なしか、ミカの表情も以前より明るくなってきているように見えた。壊れた教会を自分に重ねていたというのなら──それが直っていくことは、彼女においても別の意味を持つことになるのだろう。

そんな表情につられて、スズミとレイサもどこか自分達の心が多幸感に包まれていくのを感じていた。

 

「よーし、せっかくいい気分だし、お出かけしよう!二人とも、この後時間はある?」

「じ、時間ですか?一応ありますが…」

「私の方も大丈夫です。それに…今日は私もちょっと出かけてみたいと思っていました」

「な~んだ、気が合うじゃん!それなら、三人で買い物にいこっか!」

「えぇっ!?ちょ、ちょっと待ってください!一緒にお出かけというのは、まだ私にはハードルが…」

「ふふっ、諦めてください、レイサさん。こういう時のミカさんの引っ張る力は凄いですから」

「そういう訳でレッツゴー☆」

「うわぁ!?引っ張る力が強いって物理的な意味なんですか!?」

 

半ば強引にぐいぐいとレイサを引っ張って連れていくミカに付き添いながら、スズミは教会の外に出る。

前回のような必要な買い物としてではなく、本当に楽しむ為の時間がそうして始まった。

 

────────────────────────────────────────────

 

「そういえば、二人とも自警団をしてるけど…あれって非公認なのはどうしてなの?」

「元々、トリニティ自警団は”そういう部活を作ろう”という流れで始まった訳ではないんです」

「えっ、どういうこと?」

「どちらかと言えば、勝手に出来上がっていったという認識の方が正しいでしょうか。はっきりとした組織がある訳ではなく、各々が自発的に自警団員を名乗っているんです。有志の集い……それこそボランティアと似たものかも知れません」

「ぶっちゃけっていうなら”部活”であるかすら怪しいかも知れませんね…はは…」

「そうだったんだぁ~……じゃ、私が知らないのも無理ないかもね」

 

街中の繁華街を歩きながら、三人はそんな会話を繰り広げる。道行く人によっては異様な光景に映るかもしれないが、今更そんなことを気にする彼女達でもなかった。

 

「あっ、クレープ屋さん!みんなで食べよっ!」

「うわぁ…凄い甘い匂いがしますよ!」

「前回はミカさんが払ってくださったので、今回は私が」

「いいの?それじゃ有難く奢って貰っちゃおうかな」

 

キッチンカーで売られていたクレープにふと目が留まり、三人で一つずつ購入することにした。店員から手渡されたクレープを頬張ると、甘く薄い生地に包まれたクリームや果物が舌の上を転がっていき、三人とも思わず笑顔が零れていた。

 

「これは…!」

「うわぁ、堪りません…!」

「あはっ☆こういうのも悪くないね!」

 

そんな風に甘味を味わいながら、三人で一時の休息を得ていた時。

 

「──!」

 

唐突にスズミが別の方をきっと睨んだかと思うと──

 

「失礼、閃光弾投擲します!」

「「…え?」」

 

いきなりポケットからグレネード状の物体を空へと投げつけたのだ。

僅か一秒後──それが爆ぜたかと思えば、あっという間にそこにいたものの殆どの視界が白に包まれた。

 

「うわぁ!?」

「えっ、ちょっと!?」

 

「今のうちです、こちらへ!」

「ど、どうしt…うわっ!」

「ちょっとスズミさん、置いてかないでくださーい!!!」

 

気づけばミカは、半ば強引にスズミにどこかへと手を引かれ、走らされていた。それを慌ててレイサが追っていくが、彼女の目は依然チカチカとしているのか浮ついてたままだった。

少し離れたところに行くと、そこでスズミはやっと足を止めた。

 

「とりあえず、ここなら一安心でしょうか」

「び、びっくりした~…急に何をするかと思ったら、あんなもの持ってたんだね…」

「まぁ、スズミさんの異名は”トリニティの走る閃光弾”ですからねぇ…」

「レイサさん、その話は別にしなくても……」

「それにしても、どうして急にあんなものを投げたの?」

「それはですね──

 

──!またですか…!」

「えっ?またって…」

 

「閃光弾、投擲します!」

「「ゑ?」」

 

移動したのもつかの間、またしてもスズミはポケットから閃光グレネードを空へと放り投げた。

 

「きゃぁ!」

「うぉっ、眩しい…!?」

 

「ここは危険です、早く!」

「も、もう一回走るの…!?」

「あわわ…目がぁ~…!」

 

再びスズミの全力疾走に付き合わされ、ミカとレイサはまたしても走らざるを得なくなった。

そうして到着したのは、人の気配が少ない河川敷の側だった。

 

「よし…人の気配も少ないですし、ここなら安全ですね」

「な、何も見えません…ここはどこですか?ワタシダレ?」

「レイサちゃん、記憶は無くしてないでしょ!

え、えーっと、その…スズミちゃん?なんで二回も閃光グレネードを投げたの?

あと、なんで私たち走らされたの?」

「それは──あの時、多くの方向から視線を感じたからです」

「視線…?」

 

「えぇ、不特定多数からの厄介かつしつこい目つき。あれは確実にこちらを狙っていたものでした。恐らくはミカさんを忌み嫌う者たちの目線だろうと判断した為、そこから逃れるために行動したまでです」

「そ、そうですか…?私には感じられませんでしたが…?」

「間違いありません。危険は身近なところに意外と潜んでいますので、素早く俊敏に動かなければ、先手を打たれてしまいますよ」

「それはそうですけど…」

 

「あの、もしかしてだけど…スズミちゃん、今結構緊張してない?そこまで力まなくても大丈夫だよ?」

「緊張…?私が、ですか…?」

「あー…これ自覚ないやつっぽいね、うん。そっかー…こういう子だったか」

「スズミさん、仕事モードに入るとこうなりがちなんですよねー…」

「わ、私はミカさんを”生徒”として守ろうと……いえ、言われてみたら確かにいつもより張りつめていた気もしますね」

「もー、そこまで気にしなくてもいいのに!確かに守ってみてとは言ったけど、私そこまで弱くないからね!」

「し、失礼しました…妙にスイッチが入ってしまったというか…」

「…なんか、今日のスズミさん一段とバグってませんか?もしかして何かありました?」

「まぁ、あったといえばあったかな…あはは」

 

いつにもまして動きがぎこちなくなっていたスズミは、その後も幾ばくか閃光グレネードをポケットから放り投げた。そのたびに強制移動を余儀なくされ、ミカとレイサはずっとそれに振り回され、まともなお出かけとは言えなくなっていた。

 

投擲された総数が十個を超えた辺りには、ミカはあの小さいポケットのどこにそんな大量の閃光弾が入るのかという疑問すら浮かびかけていた。因みにレイサからは「それは気にしたら負けな類のものです!多分!」と言われたので、結局ミカはそのことについて考えるのを止めた。

 

「ぜぇ、はぁ…スズミさん、どこから沸いてくるんですかその無尽蔵の体力は…?私もうバテちゃいました…」

「す、すみません…こう、歯止めが利かなくなってしまったというか…こう、一度警戒心がついたら簡単には解けなくなってしまって」

「ふふ…あははははっ!!!なんかここまで来たら面白くなってきちゃった☆」

 

公園のベンチの上でのびてしまったレイサと隣で肩を落としたスズミとは対照的に、ミカは逆にどこか楽し気にはしゃぎつつあった。

 

「ねぇ、私も投げてみたいからさ、一個くれないかな?」

「な、投げてみたいですか…?遊びで使うものではないのですよ?」

「ケチー!一個くらいいいじゃない!」

「そうですよ、スズミさんのケチー!」

「なんでレイサさんまで乗っかってるんですか」

 

ミカとレイサの突然の結託に呆れたスズミは、やがて”はぁ”とため息を一つつくと、ポケットから一個の閃光弾を取り出した。

 

「では、あくまで護衛用として一つ。絶対に、悪戯などでは使用しないでくださいね」

「分かってるって。ありがとう~!」

「スズミさん、私にも一つ下さいッ!」

「…しょうがないですね、ではレイサさんにも一つ」

「わーい、自警団活動で使わせていただきます!」

 

こうして、ミカとレイサにも閃光グレネードが一つずつ渡った。果たしてこれでいいのかと内心スズミは不安でもあったが、少なくとも悪用はしないだろうと信じてみることにしたのであった。──やはり不安だ。本当に渡してよかったのだろうか、これを。

 

「はぁ~…でも今日はもう疲れちゃったし、そろそろお開きにしよっか」

「分かりました…正直、私も限界でしたし…うぅ、足が棒のようです」

「なんだか、エスコートするつもりが振り回してしまいましたね…お二人とも、今日は申し訳ありませんでした…」

「ううん、大丈夫だよ。なんだかんだこういう時間を持ったこともなかったし、結構楽しかったから!」

「私も、久々にスズミさんと一緒にお出かけできて良かったです!でも閃光弾の数はもう少し減らしてくださると…」

 

「…お二人とも、ありがとうございます。次の時には、もう少し肩の力を抜けるようにしておこうと思いますので。今度こそ、ゆっくりとお時間を過ごせればと」

「うん、次はちゃんとお出かけしよっ!そういう訳で、また明日教会で会おう!んじゃ、またねー☆」

「はい!お二人ともまた明日!」

「えぇ、また明日」

 

すべてが思い通りというわけにはならなかったが、こういう時間を親しい人と過ごすのも悪くないのではないか。普段からあまり人と大きく関わることのなかったスズミにとって、今回の出来事はどこか強く記憶の中に残っているようだった。

 

「…これも、友人との大事なひと時ということなのでしょうか。だとすれば──先生が伝えたかったのは、もしかして…?」

 

果たしてそこまで彼が考えていたのかどうか──それは今度聞いてみることにしようと、スズミは夜が近づく街中で、帰り道を通っていくのだった。

 

─────────────────────────────────────────────────────────

 

次の日。

ミカは上機嫌の様子で教会へと向かっていた。

 

「ふんふーん☆」

 

久々に、新しい友人と楽しいひと時を過ごせたのは、彼女にとって得難い瞬間だったのだろう。そして、あの教会が直る度に自分もまた前に進めている──そんな風に思えていた。

 

きっと、あの教会が直ったときには、私も何か変われるんじゃないか。そんな期待が、ミカの次の一歩を推し進めた。

 

「……あれ?」

 

教会の階段を上がっていったミカは、ふと扉が少しだけ開いているのが見えた。前にここを出た時はしっかりと閉じていた筈だ。尚且つ、風によって開くとも思えない。とすれば、人の手が入ったというのが筋が通る。

 

「誰かが先に来てるのかな?スズミちゃんか、レイサちゃんか──」

 

そうして扉を押し、中を確認したミカは──

 

 

「────え」

 

 

ただ、呆然と立ち尽くすしかなかった。

 

 

汚れた壁、散らばったゴミ、割れたガラス──それは、初めてこの場所に来た時と同じような惨状が広がっていた。

 

しかし──その惨状には明らかな恣意が見え隠れしているのをミカは感じ取った。意図的に汚され、壊されたかの如く、荒らされた痕跡には何者かの悪意が滲んでいるのが分かる。

であれば。

 

もしや、”あれ”も──

 

 

「───嘘──まさか」

 

その予感が外れていることを願ったミカは──しかし、現実の光景に裏切られることになる。

 

 

穴だらけになったボロボロのオルガンが、無残に転がっていたのだから。

 

 

「あ────」

 

 

心の中が、ぐちゃぐちゃになる音がする。打ちのめされたように、へなへなと座り込む。

壊れたものは二度と直ることは無い──それを直すことさえも許されはしないのだと、彼女の中の希望を否定する声が響いてくる。

 

その時のミカは──完全に狼狽えていた。

 

 

「──ミカさん?」

 

 

だからこそ──教会に入ってきていたスズミに気づかなかったのかもしれない。

 

 

「これは……一体、何があったのですか…!?」

 

 

咄嗟にスズミはミカの元へと駆け寄る。必死に何か取り繕う言葉を探そうとするが──ミカは、いつもの誤魔化しが思いつかない。

 

「あ…こ、れは……」

 

──駄目だ、嘘をつかなくては。笑顔を見せなくては。こんな風に戸惑ってる自分なんて見られたくない。今度こそ──自分のせいでこうなったんだって責められる。

それがもし、今まで自分と一緒にこの場所を直してくれた彼女であれば尚更だろう。

 

それは嫌だと分かっていても──ミカは、感情の整理が追いつかないままだった。

 

 

「スズミ、ちゃん…その、これは……わ、分からない……何で……」

 

 

結果────出てきてしまったのは、隠すことができずに溢れた本音と慟哭だった。

 

 

「私……やっぱり許されないのかな……何をやっても、何を重ねても、もう許されないなら──ここみたく壊されるだけなら──

 

もう、自分を”赦す”ことなんて──できないよ──」

 

 

「!!!」

虚空を見つめるように目の焦点が合わないミカの前で──スズミは打ちひしがれたミカを思わず抱きとめていた。

 

「そんな──そんな、ことは──」

「じゃあ…じゃあなんでここはこうなってるの…?私のせいだから…?

今更許されるなんて世迷言を考えた、私への”罰”だから──?

 

この教会も、最初から私が直そうなんて考えなきゃ──」

 

「違います!」

 

スズミの強い言葉に、ミカは肩をびくりと震わせる。

 

「──断じて、そんなはずはありません。あなたが誰であろうと、この場所がこうなっているのは明確な悪意による行為で、到底許されるものではないんです。

…少なくともあなたがこの教会に行ってきたことを、あなたはもっと肯定すべきです」

 

「────ッ────なら、どうすれば────私は、何をしたらいいの──?

 

この場所も、私も──壊れたままに、終わるしかないの……?」

 

 

誰よりも強さを持っていた彼女だからこそ──”ある”ことを、彼女は苦手としていた。

それをスズミは、改めて提示する。

 

 

「……忘れないでほしい、ことがあるんです。

あなたは一人ではない。少なくとも、ここには私がいます。

 

だからどうか、助けを求めて下さい。誰かを傷つける、迷惑をかける──そんな風に考えるその前に。頼るという手段をあなたは持っているはずです。

 

例えあなたの手が泥に汚れていたとしても──私はその手を握ってみせますから。全てを背負ってしまう前に、その重荷を分けてほしい。

 

だから──言ってください。あなたの優しさが失われるその前に。

 

その本音を──聞かせてください」

 

 

ミカには、迷いがあった。

その言葉を口にする権利が、自分にあるのか。

許されざる願望の為に、その言葉を口にする権利が自分にあるのか。

 

この優しさを──受け取ってもいいのか。

 

 

しかし、そんな迷いは──遂に、溢れだした思いを堰き止めることは出来なかった。

 

 

ミカの強張った口から──その言葉は吐き出された。

 

 

「────”助けて”。

 

助けて、スズミちゃん──」

 

 

疑う者のいないであろう程に強き力を持つ彼女は、しかしながら硝子の様に繊細で脆い心を持っていた。

その秘められていた悲鳴を聞き届けたのは──誰であろうと対等に接し、そして平等に守らんとする自警団のある生徒だった。

 

スズミは──とうとう嗚咽交じりに泣きだしたミカを優しく抱きとめると、決意を新たにその放たれたSOSを受け取った。

 

「──分かりました、ミカさん。

 

僭越ながら──お力にならせて下さい」

 

────────────────────────────────────────────

 

その後、遅れてやってきたレイサと連絡を受けて来た先生と共に、スズミとミカは話し合うこととなった。レイサや先生も、そういった事情になっていたミカを精一杯慰めてくれた。

そして──同時に憤りを覚えていたこともまた顔から伺えた。

尚、オルガンに関しては修理するために、先生の手配で業者に運んでもらうこととなった。直るかどうかは五分五分といった所らしい。

 

「それにしても…酷いですねこれは…」

“うん…こういうことはしないようにって叱ってはきたんだけど、これに関しては看過できないね。ただ厄介なのは──”

「…私達が離れたタイミングで来たということ。つまり、向こうはこちらの事情を把握し、動きを探っていたということです」

「昨日の昼間、スズミさんが言っていた視線ってホントだったんですね…ちょ、ちょっと怖い…」

「どうしよっか…多分、直したらまた来るんだよね?」

 

一通りスズミの近くで思いっきり泣いたこともあり、話し合いの時にはミカは大分落ち着きを取り戻していた。彼女もまた、この事態に一緒に対処したいのだろう。

 

“──そうだね。一先ず、ここの清掃と修繕はやってしまおう。これを放置するわけにもいかないからね”

「うへぇ…また最初からですかぁ…骨が折れますね」

「その後はどうしましょうか?多分ミカさんは簡単には動けないでしょうし…」

 

“直せば多分、彼女たちはもう一度やってくるはずだ。ただ、確かにミカが動けば向こうもその時は手を出そうとしないから、動きを見せてこないだろう。

 

だから──ミカは、敢えていつも通りのように動いてほしい”

 

「…ってことは」

“うん。提案の一つだけど…

 

 

有り体に言えば──罠をしかけるって所かな”

 

────────────────────────────────────────────

 

それから、また一週間ほど経過した頃。

日が暮れかけた、大分遅い時間帯。教会の前には、二十人ほどの生徒がわらわらと集まっていた。制服を見れば、トリニティの生徒であることは一目瞭然だ。

 

「…あとをつけられてたりは?」

「ないわ。聖園ミカが帰ったのも確認してるし、時間がないから手早く済ませましょう」

 

よく見れば、誰かが運転してきたものか階段の下にはトラックがついていた。

荷台には、ペンキの入った缶や打ちこわし用の大槌などがちらほらと見える。

 

「それにしても…まさかあんなに閃光弾を投げるなんて…あの自警団の生徒、随分と鋭かったというか。なんであの”魔女”についていたのかは分からないけど…」

「構わないわ、邪魔しようにもこの人数差よ。弾圧する方法ならいくらでもあるし。この教会みたいに、もし直すんだったら──何度でも壊せばいい」

「というかさ…次はわざとおびき寄せるとかどう?そのタイミングで放火したように見せかけるとか…」

 

階段を上がる靴の音が、幾重にも重なる。そうして彼女たちがドアの前に辿り着こうとする前に──

 

突然、空に閃光が走った。

 

「な、何ッ!?」

「目が…!?」

 

かと思えば、先頭から銃撃音や何かがぶつかる鈍い音が聞こえてくる。再び彼女たちの視界が開けば──数人の生徒が、階段の上で伸びていた。

 

「ミカさんを追うことはしても──私やレイサさんまで追跡の目は至らなかったみたいですね」

「まぁ、仮に追おうとしても、私達の足に追いつけるとは限りませんがね!」

 

「…………誰だ!?」

 

そこにいたのは──二人の生徒。

月と星を束ねた、夜空よりも一足早く訪れた二つの光。

 

トリニティ自警団の生徒、守月スズミと宇沢レイサだった。

 

「あ、あなた達…確かあの”魔女”の近くにいた、閃光弾の──」

「その呼び方ということは、主犯と見て良さそうですね。ご丁寧に、私達を見ていたことまで教えて下さるとは思わなかったですが」

「わざわざ待ち伏せしてたってこと…!?でも、確かにあなたたちはここを離れたはず……!」

「確かに私達は一度帰りました!ですが──私たち”以外”の自警団員は、街中であなた達の動きを見ていたんですよ!」

「!?じゃあ…」

 

「えぇ。一度帰宅した後──目を配ってくれた他の団員から知らせを聞くや否や、剛速球で戻って来たという訳です」

 

「い、幾ら何でも早すぎる…!?どういうスピードなの!?」

「ふっふっふ、トリニティ自警団の活動で得た足の速さを舐めてもらっちゃ困ります!

さて──なぜ私たちがここにいるのか。皆さんもうお分かりですよね!?」

「くっ──何で邪魔をするのよ!?こんな教会、別に汚したって問題ないじゃない!誰も使ってないんだし!」

「ですが、それは立派な器物損壊罪に該当するものです。元より、ここに目をつけだしたのは聖園ミカさんがこの教会の修復を始めてからでしょう?そして先ほどの言動。ボイスレコーダーで記録はしているので、言い逃れは出来ませんよ」

 

「このっ……あなた達、誰に与しているのか理解してるの!?」

「……与している、とは?」

「この教会は、あの”魔女”が直そうとしている場所なのよ!そんな場所、碌な物じゃない!」

「そうよ、それにたかが教会一つ潰れた所で生温いわ!もっと”罰”を──」

 

 

「”罰”?」

 

 

その時──スズミが漂わせる空気が一段とひりついたものに変わる。隣でそれに感づいたレイサが、ぎょっとして喉元から冷や汗を流す程だった。

 

「これが彼女への”罰”だと──そう仰るのですね?」

「そ、そうよ!あの”魔女”にはそれだけの仕打ちをしても──」

「お言葉ですが──あなたたちがやっているのはただの集団によるいじめです。

個人的な主観と軽蔑、そして偏見による”私刑”でしかありません。それが誰に対してであろうと、到底許されることではない。

 

ましてや──この件に関しては、特に」

 

スズミは階段の上からその生徒たちを一瞥した後、普段の彼女から出るとは思えない非常に低い声で呟きながら、持っていた銃をリロードする。

 

「仕事に私事を持ち出すのはあまり良くない行為だとわかっています。公私混同するのは、私の主義に反しますから。

そうであると分かっていますが──

 

正直、今の私は──かなり怒っているみたいです。

 

ですから、いつもより歯止めが効きにくいと思われますので────

 

 

お覚悟を」

 

 

そう言うや否や──彼女はポケットから取り出した閃光弾を、再び彼女たちの視界へと投げつけると同時に、地を大きく蹴って翔けた。

レイサもまた、動きを合わせるように手に持ったショットガンを構えながら、スズミをフォローする為に飛び出した。

 

次の瞬間には、再び彼女たちの視界は白一色に包まれた。

 

「ま、また視界が…がはっ!」

 

その間に、先頭にいた一人にスズミは翔けたその足で蹴りを加える。その隣の生徒には、レイサがショットガンの散弾をお見舞いする。

他の生徒が構えた銃から弾を放つが、当然狙いが定まるはずもない。その頃には、二人は近くの小さな縁に身を潜めていた。

 

「りょ、両側から囲め!射線を増やすんだ!」

 

縁の両端から過激派の生徒たちがばっと顔を出した瞬間──レイサがそこで放り投げた閃光弾にまたもや襲われる。

 

「な、またか!?」

「くそっ…うわぁ!」

 

慌てた生徒たちが咄嗟に闇雲な乱射を起こした結果、次の瞬間には彼女たちは倒れていた。互いを撃ち合うという同士討ちを誘っていたのだ。

その隙にスズミとレイサは縁から飛び出す。待ち構えていた生徒が撃とうとした瞬間、今度はスズミが再度腕を振る。

 

「こ、今度は食らわないぞ!」

 

咄嗟に彼女たちは視界を腕で隠したのだが──腕の隙間から強い光が漏れることがなく、拍子抜けしたように彼女たちは戸惑った。

 

「あ、あれ…?」

「残念ですが──今のはブラフです」

 

その隙に構えを終えていたスズミとレイサの一斉掃射で、奥から来ていた三人は弾丸を浴びて地に伏した。

 

「いやぁ、こんな早く使うとは思わなかったですけどね!また今度一つ貰っていいですか!?」

「あのですね、レイサさん…そう何個もせびるものでは無いですよ」

 

そう話しながらも、二人は全く足を止める気配を見せない。トラックの荷台に近づくと、置かれていたペンキ入りの缶を放り投げ、そこに銃弾を撃ち込む。

 

飛び散ったペンキに気を取られたところに、体術を織り交ぜながら急接近して叩く。

更に、倒れた生徒の持っていた銃を拾い上げると、それを目の前の生徒へ放り投げ、防いだところに銃弾を浴びせた。

 

「せいっ!」

「な、何だこいつら…滅茶苦茶すぎるぞ!?」

 

一方のレイサはといえば、階段を一気に駆け上がっていき、後ろから追おうと登ってきた数名の生徒を確認すると、階段近くの手すりに勢いよく飛び乗る。

 

「とりゃーっ!!!」

 

かと思えば、スケートボードの要領で足裏を使いながら手すりをスライディングし、一気に下りながらその生徒達の中へと飛び込んでいった。

 

「ちょっ、急に…うわあああっ!?」

_もんどりうった彼女たちにそのままショットガンをぶっ放し、倒れた生徒を確認するとリロードを挟む。

 

 

地形や物、はたまた相手さえも利用する戦闘方法は、基礎的な銃撃戦をメインとして戦ってきた者たちからすれば戦術と呼べるかすら怪しいだろう。

だからこそ──予想がつかない。予想できないということは、対処すら思いつかない。

 

そしてスズミとレイサは──その時間すらも与えようとはしなかった。

 

 

 

 

 

それから三十分後。

 

「いや~…随分と派手にやったっすね、これは…」

 

事前に他の自警団員から通報を聞きつけ、教会の前に到着した正義実現委員会の仲正イチカは、目の前に倒れ伏している数多くの生徒を見て、これまた面倒くさくなりそうだと苦笑いを浮かべた。

 

「すみません、イチカさん。お手数をおかけします…」

「あぁ、気にしなくて大丈夫っすよ!今回の件はこちらとしても見逃すわけにはいかないんで!あとはこちらにお任せ下さい!

 

それと──お客さんが二人来てるっすよ」

 

イチカが親指で後方をくいくいっと強調する。そこには、イチカとは別に来ていたミカと先生が、立っていた。

 

「あ、先生!ミカさんも!」

“無事、上手くいったみたいだね”

「はい。第二波が来ないかどうか警戒はしますが、当面はこれで懲りると思われます。彼女たちの処遇も、あとは正義実現委員会にお任せするので、今日の所は一先ず安心でしょう」

「……そっか」

 

ほっと胸をなでおろしたミカに、スズミが歩み寄る。

 

「どうでしょうか、ミカさん。約束は、果たせたでしょうか」

「──どうかな。今日がきっと終わりとは限らないけど──でも、少なくとも。

 

誰かに助けを求めて、こうして助けてもらったのは初めてなのかも」

「であれば──私としては、こうして頼って貰えたという意味では嬉しいことかもしれません」

「…相変わらず堅いなぁ、スズミちゃんは」

 

「ミカさんは…今でもやっぱり自分を赦せませんか?」

「…今はね。簡単には赦せそうにないや。私が負った”魔女”って呼ばれ方も、完全には否定できないかな」

 

「…そうですか。

ですが……例えそうだとしても──あなたがこの教会を直そうとしたことは間違いじゃないはずです。

それに──”魔女”というのは、必ずしも悪い存在ではないはずです。私の目の前にいるのが”魔女”というのなら──それはきっと、あまりにも優しすぎる”魔女”なのでしょう」

「……そういうものかな?」

「私にとっては。仮に汚れた体であったとしても──あなたは力強く前に進もうと、こうありたいと願い続けている。それだけで、私にはあなたが美しく見えます。

ですから──

 

あなたがいつか、自分を赦せる日まで──私もまた、あなたを信じ続けます」

 

「…分かった。じゃあ──その日まで」

 

ミカは、懐からスズミに貰った閃光弾を取り出す。それをじっと眺めていたが──やがて、しっかりと握り込んで胸元に添えた。

 

「スズミちゃんが信じてくれるなら──私も、自分を赦せるように頑張るよ。

だからこれは──私の救難信号として、いつか使わせて貰おうかな」

 

「……一人で気を張りすぎないでくださいね。もし、また困ったら呼んでください。いつでもとまでは行きませんが、できる限り早く駆け付けますから」

「そこはいつでも駆け付けるって、嘘でも言ってほしいなぁ~」

「そ、それは流石に難しいかと…」

「あはは、冗談だよ☆気にしないで。

でも──」

 

ミカもまた、スズミに一歩近づく。彼女が浮かべた笑顔は、決して張り付けたものなどではない。

正真正銘──罪過と不安に苛まれたものではない、安堵に満ちた表情であったことを、スズミは分かっていた。

 

「もし、私が本当に必要な時は──またこうして、私を助けてくれる?」

 

その問いかけに、スズミは当然のように頷く。

 

 

「勿論。”自警団”として────”友人”として。

 

あなたを助けさせてください、ミカさん」

 

「──ありがとう、スズミちゃん」

 

 

微笑み合う二人を見ながら、先生とレイサもそれを静かに見守る。

そうして一つの教会を巡る騒動は、徐々にその鳴りを潜めていくのだった。

 

 

 

真夜中の月と星が煌めく空に、突如舞い降りた流れ星。

凶兆の前触れだと忌み嫌われたその流れ星を──しかしながら、決して夜空は拒まない。

 

月も星も、流星が引く尾に隠れて零れ落ちた涙の欠片を、見逃すことなく拾い上げる。

 

何故ならば。

雄大な星空の元では──皆平等に輝きを持つのだから。

 

持ちうる光を放って良いのだと──彼女たちは信じてくれるのだから。

 

 

 

 

 

そうして──一週間程が経ったある日。

 

 

しんと静まり返った夜の教会。

すっかり整備され、あるべき形へと姿を変えたその場所で。

スズミとミカはステンドグラスから仄かに差す月光に照らされながら、帰ってきたオルガンの側に立っていた。

 

「──無事に直ってよかったなぁ」

「はい。レイサさんや先生、事情を知って手伝ってくださった皆さんには感謝が絶えません」

「うん。まさか、私一人の気紛れからこうなるなんてね。始まりは私たち二人だけだったのに」

「巡り合わせ、というものかもしれません。でも、あの時──先生にお願いされなければこうしようと思わなかったでしょう」

「ま、だよねー☆スズミちゃん、仕事一筋って感じだもん。自分から誰かに関わることってそんなにしてこなかったんじゃないの?」

「…返す言葉もありませんね」

 

悪戯っぽく揶揄うミカに、スズミは思わず苦笑する。

だからあの時──先生はスズミにミカを手伝ってほしいとお願いしたのだろう。

 

もしかしたら、こうして自分達が関係をより深めてくれることを期待してたのだろうか。

だとすれば──随分とお節介で意地悪な人だと、内心二人は彼の事を呆れながらもふと思うのだった。

 

今回における裏方の一人は、彼も含まれるのだろうと。自分からは極力働きかけず、生徒の自主性を尊重して時には支える。

 

あれもまた──一つのあり方なのかもしれない。

 

「さてと────それじゃ、やってみよっか」

「…上手くできるかは、正直分かりませんが…」

「大丈夫大丈夫☆こういうのは楽しんだもん勝ちって言うでしょ?

だから──思ったままに奏でようよ、スズミちゃん」

「…ふふっ、そうかもしれませんね。

 

では──始めます」

 

厳かな雰囲気の中、スズミはペダルを足で押しながら微かに鍵盤を押す。

拙いながらも柔らかな和音とメロディーが、譜面を通してなぞられていく。

 

その優しい響きに体を揺らしながら、羽を翳した聖女は唄を乗せる。

 

 

「~♪」

 

 

誰も知らない、観客も居ない。

たった二人だけの、小さな小さな演奏会。

それは、帰ってきたオルガンを祝福し、迎え入れる為だけのささやかなセッション。

 

それでも──彼女たちはそうしたかったのだ。

この教会から放たれたオルガンの音色が、こうして彼女たちを繋げてくれたのだから。

 

なればこそ。

今奏でるこの唄が、ここにある全てにとっての喜びに導いてくれると望んで。

 

 

そうして紡がれた唄を──ステンドグラスの向こう側で。

 

 

夜空を駆ける流星と佇む月だけが、確かに聞き届けてくれていた。

 


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