先生の誘いは唐突だった。
「少し付き合ってもらえるかね?」
モモトークで送られて来たそのメッセージを、シロコは一も二もなく承諾した。愛しい人の頼みであれば、断る理由などどこにもない。
極めて冷静にウキウキしながらマッハで支度を整え全力でシャーレにダッシュ。どうしても必要かつ大事なものだという、やたらと重い荷物を預かるとそのまま街中へ。幾つかの寄り道を経ると、その足で砂漠方面へと踏み出した。
先生の隣から一歩遅れて歩きつつも、シロコはその長い髪を揺らして疑問を抱く。こちらが日陰となるような位置取りを外さない先生は、肩に下げたトートバッグとは別で一つの荷物を持っている。
花束だ。
白や紫を主体とした花。寄り道の一つである花屋に立ち寄った際、先生が購入したものだ。店先の表示を見ようとしたタイミングで会計が済んだ為名前は分からず、派手さはないがふと目を奪われるような美しさがある。てっきりこちらに贈られるのかと思い内心身構えていたのだが、今のところその素振りはない。というかよくよく考えると花を贈るのは先生のキャラじゃない気がする。
……期待し過ぎかな。
吐息と共に空を見上げる。僅かに西へと傾いた日を見るに、気温はこれから下がって行くだろう。時折足を止め水分は補給しているが、それでも結構な距離を歩いた。恐らく街へと帰り着く頃には夜になっているだろう。先生も決して無理はせず、タブレット片手に地図を確認しながら慎重に足を進めて行く。ただ、
……どこに行くんだろう。
かつての世界においても“先生”の依頼で、砂に埋れたゲーセンを対策委員会総出で掘り起こしに行くことはあった。だとしても今回はそれらの装備もなく、そもそも二人でどうにかなるとも思えないし、昼夜の変化が激しい砂漠へ午後を回ってから赴くのは自殺行為だ。先生とてそのくらいは承知している。つまり時間を取られる用件ではないことになるが、だとすれば一体何なのだろうと、考え事をしながら歩いていると、
「んっ」
先生の背中にぶつかった。鼻の頭を押さえながら前を窺い、しかしそのまま動きを止めた。というより止めざるを得なかった。
「ここは……」
「うむ、記憶に間違いはなかったようだ。さすが私、紛うことなき天才だね?」
こちらに振り向き笑みを見せる先生が、肩越しにそれを指差した。
墓標のように突き立てられた、幾つかの銃と武装が存在する一帯を。
●
「まださほど時間が経っていない分、地形の変化もなく見付けやすかった。アロナ君とプラナ君の事前調査のおかげで、迷うことなく辿り着けたね」
歩を進め、形見とも言える武器群の前に至った先生が、砂が付くのにも構わず膝を着いた。砂に触れ、周囲の状態を確かめると、
「砂狼君、預けた荷物を開けてくれたまえ」
「あ、うん」
言われるままに背負っていたザックを前に抱え小走りに近付く。ファスナーを開けると中に入っていたものが目に映り、思わず動きが止まった。
石碑だ。
小さめながらもしっかりとした造り。やけに重く嵩張ると思ってはいたが、この中身なら納得だ。黒に近い石造りの板の上には、短い文が綴られていて、シロコは無意識にそれを読み上げる。
「友を想い、友を守り、友と共に在り続けた良き子供達、その意思を継ぎ果たした、誇り高き大人と共にここに眠る……」
「シンプルな墓標も野趣があるが、眠るには少し物寂しかろう。私のいた世界の流儀ではあるが、弔わせてもらうことにした」
先生は苦笑を一つ。
「人脈が広いとはありがたいことだね。おかげでキヴォトス内でもこういった物を用意出来る人材とコネが持てる」
こちらの手から石碑を受け取り、平たく均した地面の上に置いた。友人達の武器に囲まれるような配置は、ここが墓代わりなのだという認識を確かなものとさせる。そして石碑の上に花束を載せ、供え物のつもりなのかガチャポンのカプセルを幾つか配置。中身は魚のオブジェやラーメンのキーホルダー、アクセサリーの類に折り鶴等。立ち上がり、少し下がって出来栄えを確かめ、戻って微調整という工程を二度繰り返し、
「こんなところか。野晒しであまり凝ったものにしても、砂に呑まれてしまうからね。いずれ移設するのもありだろう。……生者の自己満足だと言えばそれまでだがね」
腕組みし苦笑を零す先生を、シロコは呆然と見守るしかない。この手の作法に慣れていないというのもあるが、先生がここまで彼女達を気に掛けているとは思わなかった。直接対面し言葉を交わした“先生”はともかく、話を聞いただけでしかない生徒達のことまで。
「今回は突発故にこれが限界だが、いずれ対策委員会の面々とも話そうか。無論君がこのまま静かにひっそり眠らせることをご所望ならそれでも構わんが」
少し考えて、シロコは首を横に振る。戸惑いの方が大きいこともあるが、
「こういうの、慣れてないから。皆の意見も聞いて考えてみる」
「うむ、その辺りも含めて有意義な議題になるだろう」
目を細めて頷いた先生が、懐を漁る。石碑の前に膝を着き、
「──では、最後の仕上げと行こう」
取り出したそれを、壊れ物を扱うようにゆっくりと置いた。
原型が分からない程黒焦げになった、名刺サイズの四角形。
“先生”の遺した大人のカードだった。
●
因果律変換式願望機C型。通称、大人のカード。
その基本は等価交換。労働を対価に金銭を得るように、このカードは可能性を取り引きする。寿命、才能、発想、資産、使用者のありとあらゆる可能性を食らうことで、現在時間軸において全ての不可能を可能に変えるのだ。
不死身に等しい軍勢を無力化することも、強大な敵を相手に満身創痍となった生徒達を癒やし強化することも。
例え那由多の果てにしか存在しない可能性であっても、ゼロでない限り活路を拓く。
出来ないのは死者蘇生や不老不死、可能性がゼロの事象のみ。それ以外の願いであれば、対価さえ用意出来ればそれを叶える。
先生がかなりの高確率で奇行に走る──、具体的にはおもむろに身体を鍛え始めたり、謎の芸術性を炸裂させているのはこれが理由だ。対価は単一ではなく累積も認められる。塵も積もればと言うように、どれだけ取るに足らない可能性であろうと、大量に捧げれば奇跡を買うことが出来るのだ。
つまりいざという時の保険として、先生は余暇をあらゆる可能性の拡張に費やしている。
先生はこの力を聖杯や賢者の石と呼ぶこともあるが、間違いなく皮肉だろう。どちらかと言えば本質は悪魔や猿の手に近く、決して無敵のアーティファクトではない。極論先生の認識範囲外から狙撃でも受ければ、使う間もなく命を落とすことになる。この力は万能ではあっても、決して全能ではないのだ。
ホシノ暴走の一件において、シロコがプラナの要請に応じ空間転移してまで駆け付けた理由がこれだ。無論対策委員会の皆を守る為という目的もあったが、先生ともう一人の自分を止めるという理由の方が大きい。先生は生徒の為なら躊躇なく大人のカードを使うだろうし、そんな先生の背を見て来た自分もまた、皆の為なら躊躇うことなく反転を是とする。プラナが“先生”の遺言を解析する手を止めてまでこちらにコンタクトを取って来たのは、紛れもなく英断だった。
そんな恐ろしさすら感じる“先生”の遺品には、僅かだが力が残されている。恐らくは先生に全てを託した際、己の全てをそこに費やしたのだ。己の信じた己の力となるように。
だが先生はそれを使うことなく、形見の品として供養しようと、そう言うのだ。
「エンジニア部に依頼して、これ以上破損しないよう保護処置を施してもらった。オプションを追加しないよう説得するのは骨だったが、必要経費だと割り切ろう」
手を添え傾きを直している先生をよそに、シロコは石碑に綴られた文字を思い出す。ここに“先生”の遺品はなく、生徒達のものがあるだけだ。それでは石碑の文章と矛盾する。
つまり先生は最初から、“先生”の遺品をここに持って来るつもりだったのだ。何故なら、
「君から聞いた話では、あちらの私が意識を取り戻した時点で砂狼君以外は全滅していたのだったね。最期に立ち会えなかったことは無念の極みだろうが、命尽きてようやく再会出来たと、そう思うのは感傷だろうか」
シロコは“先生”の過去を知っている。先生という立場に費やす情念も、生徒達を大事に思っている理由も。そんな大切な相手が己の知らぬところで失われたと知り、しかしそれを呑んでシロコを救おうと“先生”は戦って来た。シロコの前では弱音も泣き言も、一切口にすることはなかった。
……そうだよね。
当時の己には気付けなかった。今になって思い至ったと知ったら、“先生”は苦笑するだろう。出来が良過ぎるのも困ったものだと、そんな風に肩を竦めて。
先生が僅かなやり取りだけでそこに辿り着いたのは、やはり同じ自分故か。
敵わない、と思い眺めていると、立ち上がった先生が振り向いた。口元に悪戯げな笑みを浮かべ、大人のカードを指し示し、
「もはや問うまでもないだろうが、形見として君が持っておくかね?」
先生の問い掛けに、シロコは首を横に振った。胸に手を当て、最期の言葉を思い返し、
「大事なものは、ちゃんと受け取ったから。もう、休ませてあげてもいいと思う」
迷いのない即断に、先生が嬉しそうに笑った。こちらの頭を撫でてくれたのはサービスだろうが、その表情は本心だろう。
“先生”や皆の存在を重荷とせず、前に進み始めていることを、目の前で見せてやれたのだから。
「時に砂狼君、花言葉というものを知っているかね?」
「ん、花にはそれぞれ固有の意味があって、贈り物を選ぶヒントにしたり想いを込めるんだよね」
昔バレンタインやホワイトデーで贈るお菓子を、セリカと話し合ったことがある。その花バージョンと考えれば分かりやすい。お菓子であれば味や量、花であれば見た目や香りなどで決めてもいいのだろうが、そういう考え方もあると知れたのは良い経験になった。
「その通りだ。なので内気な私もそれに則り、奥ゆかしく捧げる花を選んでみた訳だ」
「先生、四月馬鹿はもう終わってる」
「ツッコミが厳しいね砂狼君!!」
親指を立てると同じように返された。そして膝を着いた先生が、献じた花に触れながら言う。
「紫苑。私の最も好む花で、恐らくもう一人の私も同じだろう。その花言葉は「追憶」や「遠方にある人を思う」などがあるが、最も有名なのは──」
一息。
「──君を忘れない、だ」
「────」
「君達の意思と意地が、砂狼君とプラナ君をここまで届けた。君達に託された二人が、小鳥遊君と私を救い未来を変えた。感謝である。故に、……忘れないとも」
頷き、先生が手を合わせた。遅れてシロコもその場に屈み、同じように手を合わせる。
……“先生”、皆、ありがとう。
私の「ここまで」に感謝を。そしてこの場所から「これから」を見守っていて欲しい。折に触れ思い返しはしても、もう哀しいとは思わない。
哀しみを得たからこそ、今の幸せに辿り着くことが出来たのだから。
どれだけをそうしていただろう。やがて先生が立ち上がり、伸びを一つ。墓標に掛からないよう砂を払い、同じように立ち上がったこちらへ視線を向けて、
「さて、これにて私の用件は終了だ。何も言わず荷物まで持たせてしまったが、おかげで彼女達に報いることが出来た。──感謝である」
「ううん、私の方こそありがとう。皆のこと、忘れずにいてくれて」
「当然だとも。世界は違えど、私の生徒であることに変わりはない」
本気で言っているからこの人は凄い。加えて言うならば本質的には来訪者である自分も、気兼ねせず受け入れるということで。そんな人だから好きになったのだと、シロコは改めて噛み締める。
「では礼としてこの後は私が君に付き合おう。日付が変わるまではフリーだと言っておこうか」
「ん、なら一緒にご飯が食べたい。先生の手作り。その後は色々とお話」
「そのくらいならばお安い御用だ。確か砂狼君もこちらに来てから本格的に自炊を始めたのだったか」
「コンビニ弁当ばかりだと出費が嵩む。先生もちゃんとしたご飯を食べるべき」
「シャーレが解散するくらい暇になったら考えよう。生憎と時間は常に惜しいものでね」
「なら私も頑張って手伝う。そして対価に先生の時間をもらう」
「こちらの砂狼君を筆頭に他の生徒が黙っていなさそうだね」
「ん、先生の心を射止めれば相思相愛。何も問題ない」
そんな会話と共に、夕陽の差す砂漠を歩いて行く。今の皆がいる場所へ。背後には振り向かずに。
●
「…………」
「……えーと、あのう、……プラナちゃん?」
「何でしょうかアロナ先輩」
「……怒ってますよ、ね?」
「怒っていません。今の私は実体化することが出来ず、物理的な墓参りは不可能です。先生が地図代わりにシッテムの箱を持参してくれましたので立ち会うことは出来ましたし、砂狼シロコへのフォローも必要なことであり空気を読んで黙っていただけですので、感謝こそすれ全く微塵もこれっぽっちも怒っていません。ええ怒っていませんとも。一体何を怒る必要があるというのですかアロナ先輩」
「滅茶苦茶長文で怒ってませんかそれ!?」