シャーレオフィスビル執務室に入ると、変な女が二人いた。
「ほらほら先生頑張って!! そろそろ三桁の大台だよ!!」
「聖園君、決して君が重いと言いたい訳ではないが、背中に人を乗せて腕立て伏せというのは普通にハードだという認識はあるのかね……!?」
変な女その一、葵・硝子。連邦捜査部シャーレの先生。
変な女その二、聖園ミカ。トリニティ総合学園の生徒。
この二人が今どんな状態かというのは、先のやり取りで大体通じるだろう。内容もまあ、ギリギリ普通の範疇ではあると思う。
今が深夜四時近い時間帯であり、場所が先生の仕事場であるという前提がなければの話だが。
「……えーと」
正直、躊躇う。先生のキチガイにはある程度耐性が出来たつもりでいたが、まさかキチガイズになっているとは。いやまあ、アビドスでもシロコと組むと驚異の相乗効果で暴走超特急みたいな脱線をすることは多々あるが、身内外ではさすがに対処出来ない。というか全身プルプルさせてる今の先生にツッコミの手刀を入れたらそのまま崩れ落ちそうで嫌だ。
どうしたものか、と悩むのも束の間、変な女その一の背中に正座している変な女その二がこちらに気付いた。あれ? と疑問の声を上げると足元を軽く叩き、
「先生先生、お客さん来てるよ?」
「……おや小鳥遊君、今日はいつもより遅い時間だが、何かトラブルでもあったのかね?」
ミカが降りたことで身を起こした先生が、肩を回しながら首を傾げる。そこでようやく意識が身体に復帰し、ホシノは挨拶代わりに手を上げた。
「あー、うん、シロコちゃん──、大きい方ね? 廃品の自転車回収してるとこに鉢合わせて、雑談がてらちょっと手伝って来たんだー。いやあ、おじさん肉体労働は得意じゃないんだけどねえ」
苦笑混じりに告げた先、先生が納得したように頷く。だがその隣に立つミカが、不思議そうに首を傾げると先生の袖を引き、
「ねえ先生、何でこの子自分のことおじさんなんて言ってるの? おかしくない?」
敵だこの女、とホシノは確信した。
●
ミカとしては、ぶっちゃけ意味が分からなかった。
小鳥遊というらしい目の前の少女は確か、アビドスの生徒だったはず。色彩の一件で顔を合わせたような気もするが、持ち場も違うし会話もなかったので実質初対面に等しい。身から出た錆とはいえエデン条約の件でかなり揉めた為、トリニティやアリウスにゲヘナならともかく、その他の学園の情報までは持っていないのだ。その辺ナギちゃん任せだし。故に先入観などもなくフラットに見ていたのだが、
……おかしいよね?
目の前の少女は控えめに言って可愛い。小柄な身長も靡く髪も、左右で色の違う瞳も宝石のようで綺麗だ。着飾れば雑誌の表紙に載っていても不思議ではないと思うのだが、髪や肌の手入れにそこまで気を遣っていないように見えて、
……勿体ないよ!!
更に一人称がおじさんというのがいただけない。ぶりっ子になれとまでは言わないが、もうちょっとマシなのがあるだろう。さすがにおじさんはない。ただ純粋にそれだけで、馬鹿にする意図は微塵もなかった。故の何気ない疑問だったのだが、
「ところで先生、その子誰?」
笑みで問う少女の声が、明らかに先程より堅かった。あっれこれミスったかな、でも勿体ないと思ったのは本当だしなあ。似合いそうなアクセサリーもあるし髪とかすっごい梳いてみたいんだけど。あまり深く考えず感情で動くタイプなので、その辺り気を付けろとナギサやセイアにも言われているのだが、そのくらいで治るなら苦労してないんだなこれが。内心ちょっと気まずさを持て余していると、先生が二者間の緊張を知ってか知らずか、
「ふむ、そういえば面識はないようなものだったか。色彩の一件は終始慌ただしかったし無理もない。では改めて──、聖園君、こちらは小鳥遊ホシノ君。アビドスの生徒会長を務めていて、日課の自治区パトロールのついでにシャーレへ立ち寄ってくれている。そして小鳥遊君、こちらは聖園ミカ君。トリニティのティーパーティーの一人で、今は訳あってシャーレに住まいを移している」
どうも、と頭を下げておく。先生はボカしてくれたものの、シャーレ在住という時点で理由は明白だろう。トリニティ代表の一角だと付帯されれば尚更だ。先生の人気の高さから、嫉妬を向けられる覚悟もしている。果たしてどんな反応が来るだろうかと、恐る恐る窺い見た先、ホシノは納得したように頷いて、
「ああ、──先生も手を焼いてる問題児の」
敵だこの女、とミカは確信した。
●
……まあ、これでプラマイゼロってことで。
地雷を踏み抜かれたので一発やり返しておいたが、このくらいは許されるだろう。シャーレは生徒間の交戦を禁じた中立の場だが、嫌味や皮肉はその限りではない。ガス抜き程度なら構わないという先生の判断だろうが、実際シャーレでドンパチやらかしたという話はないのだ。少なくとも今のところは。
……先生巻き込んだり仕事場消し飛ばしちゃマズいからねえ。
その程度の自制心はあると、そう信じているが故だろう。つまり騒ぎを起こせば先生を裏切ることになり、一部の生徒にとっては死に等しい。そんな暗黙の了解の下、今日もシャーレの平和は保たれている。相手がそこまで考えられない馬鹿だったら知らん。まあホシノとしては先生が負傷したエデン条約の首謀者ということで、思うことがないとは言い切れないが、
……私も大概やらかしてるしなあ。
事なきを得たとはいえ自戒はある。故に過去の所業についてはとやかく言うまい。お互い痛み分け、ここからはフラットな付き合いで行けば良い。物理的に先生の最も近くで生活している以上、今後も顔を合わせる機会はあろう。進んで空気を悪くする意味はないのだ。向こうもそれを理解しているのか、笑みで会釈を送って来て、
「初めまして、先生からたまに話は聞いてるよ。最近一番手を焼いた騒動だって」
笑みが引き攣った自覚が来た。
「いやいやそんなことないよー、連邦生徒会まで巻き込む騒ぎに比べれば全然?」
向こうの笑みが引き攣った。
互いに笑みを交換しつつ、しかし目は全く笑ってない。殺気こそ出ていないものの、敵視していますオーラはバリバリ。セリカやアヤネ辺りがいたら頭を抱えそうな雰囲気になっていて、しかしここにいるストッパー役はあの先生であり、
「ははは、仲良く談笑出来ているようで何よりだよ」
煽るな。遠回しにドンパチの許可が出たと考えていいのだろうか。というか仲裁する気が一切ない辺りさすが過ぎる。こちらから吹っ掛けるつもりはないが応戦することになった場合、手持ちの武装でどこまでやれるかと物騒な算段を頭の片隅で立てようとして、
「────」
不意の音が、全員の意識を逸らした。
それは、電子の鈴音。先生の懐から奏でられる、彼女を求め呼ぶ声だ。それも深夜四時半になろうかというタイミングでの連絡に、先生の目が細まる。
普段はテキトー極まりないのに、緊急時には別人のような冷徹さと手腕を発揮する大人としての顔。その片鱗を目の当たりにするのは、カイザーに囚われていたりシェマタを破壊しようと単独行動したりしていた己にとっては機会の少ないもので。味方であるから良いものの、敵として相対したら視線だけで圧倒されかねないと感じたのは、決して錯覚ではないだろう。かつてカイザー理事に弾丸ブチ込みながら啖呵を切ったそうだが、コレに射竦められたら生半可な反論は出来まい。
視界の端で見れば聖園ミカも、息を呑んで動きを止めていて。似たような反応をしてしまったことに内心しくじりを感じるが、そんな二人をよそに先生が動いた。スマホを手に取り、執務室の窓から夜景を鋭い目で見渡しつつ、
「私だ」
名乗りすらしない端的な応答。そのまま短いやり取りを重ねつつ、一秒すら惜しいとでも言うようにデスク上のタブレットを手繰り寄せる。素早い操作と並行してデスクに立て掛けてある出撃用のザックを肩に担い、扉に架ける「現在外出中」のプラカードを脇に挟み、
「承知した。二分後には出る。こちらは気にせず対応を進めたまえ」
言って、スマホを懐に仕舞った先生がこちらを見た。開け放った引き出しから、連邦捜査部シャーレの腕章を取り出してこちらに掲げ、
「ミレニアムのエンジニア部が開発中だった巨大な人型機械、開発コード“武神”が起動試験において暴走したとのことで、鎮圧の為協力して欲しいとセミナーから要請があった。これを受け連邦捜査部シャーレ顧問、葵・硝子はその権限を以て、即応可能な戦力として小鳥遊ホシノ、聖園ミカの両名に協力を依頼したい」
ああ、
「夜間対応ということで手当ては弾むし、明日は公休扱いとなるがどうだろう。──深夜労働に興味はあるかね?」
●
連邦生徒会からチャーターしたヘリでミレニアム自治区へ向かう中、簡単なブリーフィングが行われた。先生がタブレットに映すのは、人型機械の三面図で、
「生塩君から転送されて来た武神のスペックだが、全長は約十メートル。試験段階の為武装の類は搭載しておらず、拳や蹴りなどの徒手格闘以外に戦闘能力はないらしい。ただし背翼による短時間の飛翔が可能で、実験場がミレニアム自治区の外縁に近いこともあり、破壊してでも止めろとのお達しだ。脅威ではあるが、君達二人ならば対応出来るだろう」
なんだ、という緩んだ空気が二人の間に生まれた。これまでも先生の依頼を受け、デカブツとやり合った経験は少なくない。今回のターゲットも大物ではあるが、過去の相手に比べてさほど大きいという程でもなかった。如何にエンジニア部の産物とはいえ、あれらのオーパーツ染みた相手に比べればマシだろう。先生の態度からもっと面倒な相手を想定していたが、少しだけ安心した。だが先生は油断とも言えるこちらの隙を咎めるでもなく、
「幸いと言うべきか現場はエンジニア部管轄の実験施設の一帯で、カモフラージュとして普通の街のようになっているが住民はいない。つまり人的被害は出ないので、どれだけ派手に暴れても問題ないということだ。物損の請求はシャーレなりセミナーなり連邦生徒会なりに行くだろうが、そちらは私の領分なので気にしなくていい」
「だったらもっと人数集めた方が良いんじゃないのー? シロコちゃんとか声掛けたらスッ飛んで来ると思うけど」
「今が日中ならそれも良かったかもしれんがね。君達二人が居合わせてくれて幸いだった」
苦笑で言われて窓の外を見れば、空は暗く白み始めてもいない。確かにこんな時間に叩き起こされて深夜バイトの募集などとブチかまされた日には、スマホを蜂の巣にしかねないだろう。そういう意味では自分達なら、戦力としては十分ということか。なるほどねー、と吐息を零すも束の間、
「なお、私は早瀬君達と合流し、鎮圧用にもう一機起動しようとしているエンジニア部の抑えに回る。現場に立ち会えない以上君達の指揮は出来ない。故に私の代理として、いざという時は独自の判断で動いてくれ」
「えっ」
二人の声がシンクロした。思わず顔を見合わせ、即座に身体ごと背け合う。だが問題はそっちではなく、
「先生抜きでやるの? 会ったばかりの相手と組んで立ち回れるとは思えないんだけど」
「あれ、自信ないの? 何なら私一人で片付けて来るからここで待ってても良いけど?」
挑発的な笑みを向けて来る馬鹿は無視。ホシノもそれなりに実力への自負はあるが、だからと言って慢心はしない。力の差など如何様にでもひっくり返す実例が、目の前にいるのだから。そして実例がある以上、似たような手合いがいないとは言い切れない。そんなホシノの懸念を知ってか知らずか、先生は苦笑を零し、
「確かに君達は一騎当千だが、それだけで勝てる程戦場とは単純なものではない。優れた兵がいても率いる者に相応の器がなければ、大敗するのも珍しいことではないからね」
だが、
「君達ならば上手くやれると、私はそう信じているよ」
つまりしくじったら先生の任命責任。イコール私達の恥。秒で居住まいを正した二人に対し、先生は満足げに頷くと、
「無理はするな。命を大事に。だがやれると思ったら遠慮なくやってしまえ。──健闘を祈る」
「──
Tes.、それは先生が定めたシャーレ独自の符号だ。キヴォトスにひしめく学園や団体の中に埋もれず、緊急の現場であってもシャーレの者だと一発で周知させる為、腕章と共に使用を許される特権の象徴。聖書を語源とするその言葉は相槌や承諾として、契約を意味する神聖な一語。
ならば先生の信頼に応じるが務め。
副操縦席の生徒から合図があり、機体側面の扉が開かれる。ローターが風を切る轟音が狭い機内を埋め尽くし、しかしホシノは構わず隣の相方と立ち上がる。
見ればシートベルトを締めた先生が、片目を閉じて親指を立てていた。苦笑と共に同じように返し、相方と共に一歩を踏み出す。
落ちた。
●
ミカは先頭に立って飛び降りた。
パラシュートはない。むしろ邪魔だ。ミカには自前の翼があり、飛翔も滑空もお手の物。敵の目の前で悠長に降りていたら、無防備な空中で迎撃されて終わるだけ。相方、小鳥遊ホシノは翼もパラシュートもなしにどうするのか興味はあったが、
……ま、どうにでもするか。
先生が認めた実力者。仮にも一つの学園において、トップクラスの実力の持ち主だ。簡単には死なないし、そのくらい対応するだろう。自分とて同様なのだから。
故に得物一つを携えて、ミカは正面からパワーダイブ。身動きの取りやすいよう建造物が破壊された一画から、目標地点目掛け一直線に飛んで行く。
見えた。
夜目にも黒い人型。街道を憚ることなく進む姿を捉える。翼を僅かに傾けて軌道修正、空中前転からの踵落としを叩き込む。
轟音一発。
如何にサイズが違うとはいえ、数百メートルからの動力降下を重ねた一撃は全長十メートルの身を容易く沈めた。受け身を取ることもままならず、巨体が建物を巻き込みながら倒れて行く。
反動でこちらは宙に舞い、銃はいつでも発砲出来るよう準備しながら様子見。倒壊による粉塵が舞い上がって、相手の様子は窺えない。
……マズったなあ。
一応被害を出さないよう道路に倒れる向きで打ち込んだのだが、思っていた以上に翼が大きい。その横幅分が道路からはみ出し、付近の建物を巻き込んだのだ。ごめんね先生、ちょっと高くついたかもしんない。
……でもまあ、これで注意は引けたよね。
初手のしくじりから始まり現在に至るまで相性最悪っぷりを更新中の相方とは、連携を考えるだけ無駄だろう。互いが互いの囮、そのくらいで見積もっておいた方が良い。そうなると自分に出来るのは、フィジカルに任せて正面から当たることだけだ。あっちは自分と違って頭も回るようだし、細かいところは任せるというか放り投げるしかない。
……ちゃんと降りられたかなあ。
●
……うわあ、無茶苦茶な降り方……。
初手から豪快な強襲を掛けに行った相方を、遠目に見送るホシノは降下中だった。
パラシュートはない。むしろ邪魔だ。ゆっくり降りていたら良い的だし、盾で防いでも吹き飛ばされるだけ。ならばここは迅速な降下一択。両手足を畳み空気抵抗を減らして、一刻も早く地表を目指す。着地をどうするのかという問題も、既に解決策は用意していた。
空中で軌道を制御しつつ、ホシノは無事な高い建物を目指す。目測の距離と落下速度を計算の上で、ある程度の高さで身を広げ減速。そのまま建物の側面に身を寄せ、背負っていた盾を引き抜くとぶつかるように激突した。
サーフライド。
足場としたビルの外壁を削りながらホシノは滑走する。火花が散り耳障りな音を奏でるが、この程度で壊れるような代物ではない。故にホシノは躊躇いなく垂直の波乗りを敢行し、地表まで五メートルを切った辺りで跳躍。
着地した。
衝撃緩和の為三回程地を跳ねさせ、後は蹴り上げた盾を回収し自らの足で大地を踏む。慣性任せに疾走へと移行し、建物の陰に身を隠した。
対人なら勢いのまま強襲を掛けるところだが、今回の相手は大物だ。様子を見るにしても普段利用するバリケードや物陰程度では、高い位置の視界から簡単に見付かってしまう。今回は相方が派手に目を引き付けてくれているので、上手く相手の意識から外れられただろう。建物を遮蔽に降りたのもそれが理由だ。
足音を殺し、しかし素早く行動開始。幸いと言うべきか倒壊による粉塵で、煙幕でも焚いたような視界の悪さだ。これなら相手もそう簡単には気付くまい。
……熱源探知してたらマズいけどねー。
とはいえカモフラージュの為に火を放つ訳にも行かない。廃墟ならともかくれっきとした他校の自治区だ。念の為片手は背の盾に添えておき、慎重に歩を進める。
いた。
十字路の低い位置から顔を出して窺った先、三本向こうの通りだ。相方の強襲を受けて倒れた仰向けのまま、己に被さった瓦礫を払い除けている影が見える。その程度の知能というか判断力はあるらしい。ホシノがいるのとは反対側に高い建物が集まっていたせいか、身体の右側が埋まったようになっている。故に右腕を振るう動きで、埃でも払うように残骸が飛び、
「うっわ……」
多重の弾丸が標的を貫く様は、ショットガン使いのホシノにとっては見慣れた光景だ。その弾が等身大の石材や鉄筋で、標的がテナントの入ったビルでなければの話だが。
マトモに食らったらアウトだなあ、と思う視線の先、武神が右の手で電柱を掴んだ。数メートルある柱でさえ、十メートル超の身に掛かれば警棒と大差ない。ケーブルが断たれ火花を散らすそれを、しかし武神は軽いスナップで投擲した。
宙にいる相方ではなくこちらへと。
……は!?
思考は反射、動作は刹那。急ぎ盾を構え後先考えない全力の跳躍でバックステップ。ほぼ同時と言えるタイミングで眼前の通りを電柱が吹っ飛んで行き、引きずられ出鱈目に振り回される電線が引っ掛けた先に火花と焦げ跡を生む。幸い直撃はしなかったものの、後退に風圧が合わさり想像以上の距離を飛んで、
「っ……!!」
姿勢を制御しどうにか足から着地。地を滑る音が宙に響き、しかし構うことなくホシノは走った。
脇目も振らぬ全力疾走。だがその軌道を読んだように、上から瓦礫の群れが降って来る。投擲ではなく放り投げたような遅い落下だが、逆に疑念は確信へと変わる。
……こっちの場所がバレた!!
厳密な位置は分からないまでも、おおよその検討はつけられている。それ故のばら撒きだ。粉塵は晴れ切っていないし距離もあるので油断したと言ってしまえばそれまでだが、今のは完全にこちらのミスだ。
あれだけの巨体であれば、頭部の視覚だけではロクに動けまい。行動補助用の感覚素子が全身に搭載されていることくらい、考えて然るべきだった。おまけに視界が利かないとなれば、代替となる知覚系がフル稼働するのは必然。だが至近で瓦礫の音が響く中、離れたこっちの小声を拾うとかどういう集音能力だ。シャレにならない。見えぬ相方より位置の分かるこちら狙いというのも合理的過ぎて腹立たしい。
どうする、と次の手を思案する間もなく、射撃音が連続した。視界の端で確認した先、桜色の光弾が空から武神目掛けてまばらな狙いで降り注ぐ光景が見えた。こちらに注意が向いたのを察して攻撃に回ったのだろうが、着弾音を聞いている限りでは、
……まるで効いてないっぽいね……!!
恐らくは装甲で弾かれ、内部にはダメージが通っていない。何を目的に作ったかは知らないが、キヴォトス住民なら銃弾への対策くらいは仕込んで当然。しかも製造元はあのエンジニア部。正攻法が通じるような相手ではあるまい。
相方の射撃が続いているのを再度確認してから、路地を回り込み武神の至近へ。向こうが正面からやり合っているので、こちらはその間隙を突く立ち回りにシフト。上体を起こしただけの姿勢である相手の腰部、足の付け根へと駆け込みほぼゼロ距離で射撃をブチ込む。これだけの巨体なら四肢の一つが欠けただけでも、バランスを失してマトモに動けなくなるはず。故に足と翼を落とすのがベスト。だが、
……固っ……!?
相方の銃はサブマシンガン。対するこっちはショットガンで、威力ならこちらが上だ。キヴォトスにはビーム撃ったりする例外もいるから単純な比較は難しいが、銃のスペックだけで考えればこの評は事実だろう。
だが、ホシノの射撃は表面装甲を微かに削る程度だった。
埒が明かない。この巨体の一点を狙って攻撃を当て続けるというのがまず現実的ではないし、それを許す程相手も馬鹿ではあるまい。そもそも壊すまでに弾が足りるかどうか。戦術の大幅な見直しが必要だと歯噛みした刹那、武神の左腕がこちらを振り払った。
ギリギリで防御。被弾の瞬間自分から後ろに飛んで衝撃を緩和。それでもなお通りを五つ分は吹き飛ばされ、一発の重さを実感すると同時に思うのは、
……速い!?
ホシノの中で強さの指標となっている相手として、一度やり合ったヒナがいる。力、速度、技術、戦術、全てを高いレベルで兼ね備えた彼女に比べれば、大半の相手は有象無象だ。各学園の最強クラスでもない限り後れを取ることはないと、客観的な事実としてホシノはそう判断している。
だがそれはあくまで、人の物差しで測った話だ。
デカブツ相手とは幾度もやり合った。だがここまで明確な人型、しかも動作速度がほぼ人のそれとは、交戦した経験がない。それだけで受ける印象が大きく違うということを、ホシノは今になって実感していた。
曰く、身長の四十五パーセントが人の平均的な歩幅だと言う。
ホシノの身長は百四十五センチ。先の説に照らし合わせれば、歩幅は六十五センチ強となる。つまり移動力、日常においての速さがそのくらいと言って良いだろう。
では、それが十メートルならばどうか。
一歩で四メートル以上の距離を動くということになるが、この計算はあくまで目安であり、跳躍や疾走などの加算要素を考慮していない。
手足のリーチに加えて移動力の分、優に五メートル以上の距離から瞬間的に攻撃が飛んで来るということだ。
こちらのメイン武器は銃。距離が離れれば離れる程、弾丸を打ち出した力は空気抵抗で減衰し威力が落ちる。
対人なら十分でも、恐らく数十センチはあろうトンデモ装甲を撃ち抜くには力不足。ならば至近で撃ち込むしかないが結果はご覧の有様、対し向こうが無造作に手足を払うだけでこっちは大ダメージだ。いくらキヴォトス住民が頑丈とはいえ、十トンクラスの打撃はさすがにキツい。
スケールが違うだけで、戦力差など簡単にひっくり返る。
今までも多勢に無勢の戦闘は行って来た。だがそれはあくまで人の戦場であって、こんなデカブツを単騎で相手取ったことはない。いやまあ、ヒナちゃんに止められなかったら対シェマタがそうなっていたかもしれないけど人型じゃないし未遂だからノーカンで。ともあれ先生の指揮の下、アビドスの面々による連携で打ち破ったことはあれど、前者は別の現場に回っており、
……後者は会ったばかりな上に相性最悪の相方しかいないと来たよ……!!
他人をとやかく言えた義理ではないが、ホシノが見る限りミカは単体での戦闘に慣れ過ぎている。実力自体は本物だが、それ故に追随出来る者がおらず突出し、結果個人での戦闘に特化する。そういう手合いだ。ホシノも後輩達に恵まれなければ今もそうだっただろう。つまりは敵を潰した上で自分が生き残れば勝ちというシンプルな考え方だ。誰かと協働するという発想そのものがなく、己の力があればどうとでも出来ると、微塵も疑っていない。
無理だ。
最早ミカは当てに出来ない。味方ではなく、敵の敵くらいまで期待値を落とさねばならないだろう。先の射撃も敵の意識がこちらに向いていたから、好機と思いぶちかましたとか、恐らくはそんなところだ。先生の指揮を受けた後だからこそ、彼女抜きの連携がどれだけ拙いものかが分かる。
一応、勝ち筋がない訳ではない。自分達の攻撃が通る可能性があるとすれば、知覚系のメインを占めているであろう頭部か、可動部のクリアランスを取らざるを得ない関節部や排気系。それにしたって地上からは足首くらいしか狙うことが出来ず、対人仕様の銃器でどこまで通じるか。初手のダイナミック踵落としで転倒こそしたものの、遠目に見える頭部は凹んだ程度で砕けるまでは至っていない。こうなるとヒナのビームくらい持って来ないとダメな気もするが、多忙な彼女に泣き付く訳にも行かないし、
「ホント、先生といると退屈する暇もないね……!!」
強がりの笑みを口の端に乗せ、ホシノは己の戦場へと駆け出した。
●
「ああもう、先生とお茶しながらお話したかっただけなのにそんな暇もないとか……!!」
宙に翼を一打ちし、迫り来る拳を躱しながらミカは嘆いた。
現在武神は身を起こし、こちらを明確な標的に据えたらしい。拙い動きから放たれる正拳突きを避けては弾丸を撃ち込むが、まるで効かないという応酬が繰り返されていた。時たま銃弾の代わりに回し蹴りをブチ込んではみるが、
……効いてないよねえやっぱり!!
ミカのフィジカルはキヴォトスでも有数だ。対人戦であるならば、武器なしでもそれなりにやれるという自負がある。とはいえ今回ばかりは相手が悪過ぎて、初手のパワーダイブ付きの一発以外、明確なダメージを通せていない。カウンターで手首に打ち込んだ蹴りも、向こうの腕を弾き体勢を泳がせはするが、手が脱落したり挙動に不具合が発生する訳でもなく、
「焦れったいなあもう……!!」
羽ばたきによるショートダッシュ。ビルを足場に高速の三角飛びで武神の背後へ。首元に射撃を連続させるが、要所故に守りも堅い。関節部ならばとも思ったが、高速で動き回る鉄塊の隙間をピンポイントで狙うなどという所業、自分には無理だ。第一己の武装はサブマシンガンで、どうしたって着弾位置はバラけてしまう。そうなると貼り付いて短時間でブチ抜く他ないが、
「人型だもんね……!!」
手の届く範囲で動きを止めれば捕まって終わりだ。自壊を是とすれば人体では不可能な可動範囲まで身を動かすことも出来る。これまで相手取った大物とは明確な差異が、最大の障害となっているのが現状だ。いよいよとなればメテオストライクも選択肢の一つだが、派手にやり過ぎて先生に迷惑を掛けるのは本意ではない。
既に負担は掛けっぱなしなのだ。
先生は気にするなと言ってくれるが、それで開き直れるなら苦労しない。加えてシャーレの看板を背負っている以上、上手くやらねばならないという気負いがある。
相方も一度突っ掛けたようだが、振り払われて吹っ飛んでからは動きが見えない。さすがに死んではいないだろうが、至近でショットガンをブチ込んでも効かないとなると、戦力にならないと考えた方が良い。
ならば自分だけで何とかするしかない。
どうすべきか、と跳躍と飛翔を重ねて回避しつつミカは考える。関節部に光弾を集中的に叩き込むのがベストだが、一点狙いは性格的にMURIだ。向かない作戦ではテンションも下がりパフォーマンスが落ちる。ある程度攻撃箇所を絞り、ローテーションで回し撃つ持久戦も考えたが、弾薬やスタミナが保たない可能性の方が高い。八方塞がりじゃんね。というか今からでもロケランとか爆薬調達して来た方が早いんじゃないかな! ミレニアムの実験場って言うくらいだからそんなお手軽破壊兵器の一つや二つ転がっててもおかしくないと思うんだよね!
……ハイ現実逃避終わり!!
気分転換はここまで。今ある手札でどうにかするしかない。つくづくその場の戦力でどうにかしている先生の凄まじさを痛感するが、現在彼女はエンジニア部を追い掛けている。手助けなし。頑張って自立しよう聖園ミカ。そう内心で気合いを入れ直すと、視界に妙なものが映った。
小鳥遊ホシノだ。
「……え?」
ここは空中。こちらに向き直りつつある武神の胸部正面から五メートル、高さは八メートル近い位置にいる。戦場を俯瞰出来るとはいえ、視線を下に振らなければ武神の足元は見えない。なのに飛翔手段を持たない相方が視界に入るということは、
「────」
武神がこちらへ振り向く動きに合わせ振られる右腕、そこに飛び移る姿が見えた。
近場のビルを足場に、屋上の敷地を助走距離とした大跳躍。下腕に着地し、盾も構えぬ全力疾走は、瞬間的に武神の肩まで至る。
スライディング。
足先から宙へ飛び出し、装甲の僅かな凹凸に足を掛け、見上げるのは武神の脇。
背から引き抜いたショットガン、その銃口を隙間へと突き立てた。
射撃する。
セミオート故にリロードは要らず、引き金を引く度に銃声が響く。瞬間的に五発。即座のマガジン装填を重ね合計十五。そこでようやく旋回のバランスを取り直した武神が左手を伸ばすが、その時には既に脇腹の装甲を蹴って地上へと降下している。
その判断が正解だった。
武神から警報音が放たれると同時、右腕が力を失い動かなくなる。神経が通っていないかのように、ただ鋼鉄の塊がぶら下がっているだけ。
片腕を潰したのだ。
●
「嘘ぉ!?」
時間にして五秒もない一連の流れを見届けて、ミカは正気を疑った。しかし現実は変わることなく、武神の右腕は機能不全を起こしたまま。デッドウェイトとバランス保持を天秤に架け後者を取ったのか、引き千切ったりパージされる様子はない。小鳥遊ホシノもビルの壁面に盾で着地し、サーフィンでもするように地表へ降りて何処かへと身を隠しに行った。
だが、無茶苦茶だ。
確かに肩はその構造上、下側を守ることは出来ない。装甲類は上や側面に限られ、クリアランスの都合上隙間も生じている。故にそこを狙いに行く、ここまでは分かる。
だからと言って相手の身体に飛び移る馬鹿がどこにいる。目の前だよ。姿が見えなかったのも当然だ、まさかこの仕込みの為にビル内部で階段を駆け上がっていたなどと思うはずもない。こちらがメインで相手取って注意を引いていたとはいえ、一体どんな決断力だ。
しかし効果は覿面で、恐らく内部の伝達系かワイヤーシリンダー、或いはその両方を破壊したはずだ。もはや向こうの右腕は使い物にならず、攻撃に気を割かなくて良い安全地帯が生まれた。それはミカが戦いやすくなるのと同時に、
「こっちも同じようにすれば良いんでしょ……!?」
去り際、彼女はこちらを一瞥していた。それも挑発的な笑みも付けて。やれるものならやってみろと言わんばかりの、明らかに煽りのそれだった。
上等。
彼女に出来て自分に出来ない訳がない。何しろこちらは翼持ちだ。機動力はこっちが上、条件は圧倒的にこちらが有利。ご丁寧にお手本まで見せられて、これでしくじったら恥どころではない。
「行くよ……!!」
飛ぶ。向こうが右腕のハンデに慣れない内に速攻で仕掛けるが吉。小鳥遊ホシノを捕らえようとして左腕を右側に振っていた為、まずは身体を開かせる必要がある。
ムーンサルトをブチ込んだ。
武神の左腕が跳ね上がる。踏み堪えの利かない空中で放つ分こちらも普段以上に力を込めねばならず、ちょっと足先が痺れたが我慢。翼も用いて姿勢を制御し、即座に肩下を目指そうとする。
戻す動きで肘鉄が来た。
当然か。既に小鳥遊ホシノが同様の狙いで成果を上げている。同じ手を取ろうとすれば警戒されて当たり前。元々こちらと正面切ってやり合っていた以上、警戒の度合いも上がっているだろう。
……あれ、私の方がハードル高くない!?
どこに行った私の有利。とりあえずバックダッシュを入れて回避。見れば向こうは脇を締め、拳を胸前で構えたボクシングのようなスタイル。今までのような大振りではなく、コンパクトな攻撃で隙を減らし手数を増やす算段か。そこまでは理解出来たが、ならばどうするかというところまでは思い付かず、
「冗談キツいって……!!」
面倒なので打撃でカチ上げて潜り込む方針で行こうと思うが、大丈夫かなコレ。
●
「ここまでタチの悪い冗談はそうそう見ないなあ……」
物陰から相方の戦いを見守りつつ、次の準備をしていたホシノは小さくぼやいた。
視線の先、武神と真っ向から渡り合う少女がいる。字面だけ考えれば後者がボコボコにされて終わるところを、五分五分で保たせているのだから笑うしかない。どう見てもフィクションの光景でしかないし、
……何で正面から殴り合ってピンピンしてるのあの子。
十トンクラスだ。大型のトラックより重い。そんなものに打撃をブチ込んで、押し負けるどころか吹っ飛ばすとかどんだけのフィジカルだ。正直引く。ノノミもガトリングガンを軽々と振り回すし、ヒナだって長大なマシンガンを用い近接戦までこなすが、コレはちょっと次元が違うだろうさすがに。しかもこちらの脇狙いの意図を即座に理解しているし、これまでだって関節部を狙おうとしていた動きから見るに、決して頭が悪い訳ではない。エデン条約時の立ち回りを見るに「出来る」が「向いてない」というのがホシノの評価だが、
……これで一強じゃないトリニティってどんな魔窟……?
思わずヒフミの身を案じてしまうが、まあ権力者の覚えが良いようだし本人も良い子なので大丈夫だろう。多分。頼りになる友人もいるようだし。それに規格外っぷりなら先生だって相当だ。既に馴染み切ってスルーすることも増えたが大概おかしい。要は慣れ。
よし、とホシノは立ち上がる。無茶な運用をした愛銃のチェックと簡易メンテも終了、後は同じ手をどれだけ通せるかの勝負となる。一番破壊しやすそうな脇を攻めることで成果は上げたが、やはり足回りと翼をどうにかしておきたい。欲を言えば右腕も完全に落としておきたかったが、残弾も決して潤沢とは言えないのだ。使用不能にしただけでも十分だろう。相方が肩狙いでナチュラルな囮になってくれている分、ホシノも動きやすくなるはず。
……ま、片腕潰して楽にしてあげた分は頑張ってもらわないとね。
連携が出来ないなら、相方の動きを誘導してこちらの計算に組み込めば良い。かなり感情的なタイプなのは短い付き合いでも分かったし、今のところは狙い通りだ。先生が知ったらあまり良い顔はしないだろうが、アビドスメンバーやヒフミにヒナでもない限り、そこまで気を遣おうとは思わない。
改めて両者の動きをチェック。武神の動きは地上戦主体で、翼を用いる場面は見られない。だが相方の方がショートダッシュや姿勢制御に使いまくっているので、そこから学習する可能性もゼロとは言えない。加えて足腰周辺も自重を支える為に造りが堅いことが予測されるとなれば、翼の破壊を当面の目標とすべきか。
……空から逃げられさえしなければ、地上戦で防御専念にシフトして増援待ったって良い訳だし。
相方は勝つ気満々のようだが、ホシノの目的は勝つことではない。負けないことだ。かつてシェマタの一件でホシノは多数の相手を打ち負かし勝利したが、それでも最後はヒナに負けた。いくら強かろうがそれが絶対の指標にならないことを、身を以て知っている。
先生を見ろ、とホシノは思う。彼女とて決して無敵ではないが、最終的には勝つように立ち回る。幾つかの敗北があっても、総体として勝っていればそれで良いという考えだ。自身に武力がなく、それぞれ強みを持つ多数の生徒を抱えているからこその発想だろうが、今のホシノに必要なのも同じこと。故に最近はその辺り、先生の指揮や彼女の薫陶を受けたもう一人のシロコを参考に色々と学んでいるところだが、
「こんな形で実践することになるなんて、ねっ」
足場になるようなビルは壊さないで欲しいところだが、そこに関しては祈るしかない。
●
とある当たり前の真理を、ミカはこの状況で悟っていた。
……祈ったからって必ず報われる訳じゃないよね!!
普通に考えれば当然だ。祈れば叶うなら世の中はお祈りだらけで、神様だって過労死待ったなしだろう。ブラック神様だ。世知辛過ぎる。そりゃ手が回る訳がない。
つまり少しくらいは自分でどうにかしましょう。頑張れ聖園ミカ。明るい未来は不断の努力の先にある。
「なんて、茶化さないとやってらんないじゃんね……!!」
左の翼で大気を打ち側転一発。アッパー気味に放たれた左のストレートを間一髪で躱す。そのまま下腕を足場に跳躍と飛翔を重ね距離を詰めるが、放った拳に引かれるように武神が身を回した。狙うべき肩は高速で眼前を通り過ぎ、慣性で僅かに浮いた動かぬ右腕がミカの進路を塞いで、
「ああもう……!!」
上へ。左右だと一回転して来たラリアットが飛んで来るし、下へ行けば身を隠せるが警戒を呼び、最悪膝のカチ上げでカウンターだ。ならば避けるには上一択。高跳びのように腕を飛び越えようとして、
「下!!」
反射的に潜った上を、腕ではない大質量が薙ぎ払って行った。
翼だ。
背から生えた二枚翼。それが壁のように広がり大気を打撃していた。上に飛んでいれば直撃でペチャンコだ。咄嗟に方向を変えた己の勘に冷や汗を掻きつつ、乱れた姿勢を立て直して思うのは、
……少しずつ動きが良くなってる!!
機械故の学習能力と言うべきか。応酬を重ねるごとに向こうの動きが速く、鋭くなっているのが分かる。今までは余裕で回避出来ていた攻撃も、時折こちらを掠めるまでになっているのだ。かといって全力で避ければそれすら学習されジリ貧。故にギリギリの回避を狙わざるを得ず、緊張感が半端ない。おまけにこっちが空を飛んでいる分、遠からず翼の扱いも覚えて行くだろう。
……え、マズくない?
地上戦でさえこの有様だ。飛ばれたら本気で勝ち目がなくなる。まかり間違って他の自治区に侵入するようなことがあれば、シャーレの仕事としては失敗だ。それだけで済むならまだ良い、もし人的被害が出ようものなら、
「っ……!! させないよ!!」
脳裏を過ぎったかつての光景を振り払い、ミカは気合いを入れ直した。
もはや銃は使っていない。弱点に潜り込んでからが本番だし、残弾とて限りがあるのだ。辿り着くまではフィジカルでどうにかするしかない。
考える。頭を使うのは得意ではないが、そうしなければ失われてしまうのだ。日常も、平穏も、先生の信頼も何もかも。元より謂れなき人々に害が及ぶことを、ミカに許せるはずもない。ならば己がどうにかするしかないのだ。せめて倒すまで行かずとも、相手の動きを止めることが出来れば、
「──!! そっか!!」
ふと視界に入ったある物を見て、閃いた。これなら行ける、はず。多分。ダメならまた考えて次の手を打てば良い。諦めるまで終わりじゃない。先生だってそうするはずだ。どれだけ絶望的な状況だって、あの人なら抵抗し活路を拓く。だったら私も、
「私もやるんだ……!!」
飛ぶ。これだけの長時間、休みなく飛び回った経験などない。それでも軋む身体に鞭打ち、逆転の一手の為にミカは行く。飛来する拳をギリギリまで引き付け、武神の背後へ抜けようとして、
「……え」
無茶な動きについて来れず、肩に提げたポーチからある物が飛んだ。
小物入れだった。
●
シャーレに居を移す一件の前後から、ミカは私物を肌身離さず持ち歩くようになった。それは移住してからも変わりなく、大事なものはポーチに入れて携行している。失われることのないように、片時も手放すことなく。
それが今、己から離れて行く。
「──駄目!!」
百八十度の方向転換。急な動きに翼が軋み、間違いなく腱を痛めた。だがそんな痛みよりも、己の大事なものが失われることへの恐怖の方が何倍も痛い。
手を伸ばす。触れる。抱え込むようにしてキャッチする。身が宙を一回転し、中身を零すことなく受け止めた。先生から貰ったアクセサリーも、きっと中で無事だろう。
敵の目の前で、致命的と言える隙を晒すことを代償に。
「あ──」
夜目にも黒い巨大な影。裏拳だ、と理解した時にはもはや一メートルを切っている。
無防備な状態で直撃。死にはしないだろうが間違いなく重傷。ここでリタイアかな、と他人事のように冷静な思考が来て、しかしそれが遠からず事実となるであろうことは馬鹿でも分かる。
あの時助けに来てくれた先生は、今別の現場で頑張っているのだから。
仮に彼女が来てくれたとしても、この攻撃から守ることは出来ないのだから。
だからせめてもの抵抗として、ミカは身を丸めた。
小物入れだけは決して壊されないように。
こんな自分に残された数少ない大事なものだけは手放さないように。
寸暇の間もなく襲い来るであろう衝撃に身を固くし、目を閉じる。しかしその刹那、こちらと武神の間に割って入る姿があった。
小鳥遊ホシノだった。
●
岩塊に等しい大きさを誇る鋼鉄の拳は、二人の少女を容易く吹き飛ばした。
盾の防御など関係ない。十トンクラスの打撃に対し、少女達の重量は合わせてもその十分の一にすら届かないのだ。軽い方が押し負ける。そんなごく当たり前の物理法則に従い、少女達の身は時速百二十キロ超過で飛んだ。
幸いだったのは二人の激突した先が、建造物のガラス部分だったことだ。壁面に直撃するよりも遥かに軽微なダメージで、しかし勢いそのままに対面のガラスまで貫通。瞬間的な破砕の進行は七棟半まで到達。八棟目の宿泊施設、そのリネン室にぶつかりようやく止まった。
広がったシーツの白いキャンバス上、瓦礫と共に飾られ重なる少女達は、動かない。
●
「が、はっ……」
緩んだ身体が強制的に肺を広げ、そこでようやく痛みが来た。激しく咳き込むが血は吐いておらず、ほとほと自分の頑丈さに呆れる。背負っていた銃はフレームが歪み、修理するまで使い物になるまい。服もズタズタで全身に擦過の傷や滲む血の痕はあるものの、幸い重傷と言う程ではなかった。抱えたポーチも無事で中身も同様。そこに安堵するも束の間、
「ちょっと、大丈夫!?」
己の上でもたれ掛かるように、力なく伏している姿がある。こちら同様に制服はボロボロ、破片か何かで切ったのか額から血が下っていて、しかし両腕で構えた盾は手放していない。揺さぶるとマズいので声を掛けることしか出来ないが、遅れること十秒程、
「うる、さい……。聞こえてるから、耳元で叫ばないで」
全身を震わせながら、遅々とした動きで立ち上がる。両腕に力は入っておらず、取り落とした盾が金属音を立てた。息は荒いが鎮まりつつあり、瞳の力も失っていない。流血が邪魔なのか片目を閉じ、左目だけでこちらを見た姿は、
「……動ける?」
「こ、こっちの台詞だよ!! 何であんな無茶……!!」
「だからうるさい……。それだけ騒げるならまだやれそうだね」
震える手で盾を拾い、状態を確かめ腕に装着。あれだけの打撃を受けたにも関わらず破損や変形がないのは大分おかしい気もするが、キヴォトスではよくあることだ。背に担っていたショットガンを取ろうとして、しかし握力が戻っていないのか掴むことが出来ず、
「……こりゃ、ちょっとばかり面倒だねえ」
言葉を失った。
彼女はまだやる気だ。諦めていない。負傷も疲弊も理解した上で、しかし負けたとは思っていない。移動を再開する武神を遠目に見て、なおも復帰しようとしている。
だから問うた。
「何で助けたの!? あれだけいがみ合ってたじゃん私達!!」
初手でしくじったとはいえ、互いに良い感情は抱いていなかったはずだ。こちらが派手に立ち回っていたものの、相手に明確な損害を与えたのは彼女だけ。ならばこちらを見捨てて、武神の攻略に専念すべきだった。恐らく聡いであろう彼女が、それに気付いていないはずがない。このままでは共倒れか、敗北か、どちらにしろ行き着く先は失敗の一語だろう。
ならば何故。
問うた先、首だけで振り向いた小鳥遊ホシノがこちらを見た。未だに抱えたままのポーチを、戦場に似つかわしくない優しい眼差しで見遣り、
「大事なんでしょ」
断定と共に、言葉が来た。
「だったら絶対に手放しちゃダメだよ。──失くしたら戻らないんだから」
●
正直、かなり効いた。
盾を構えていた腕の感覚は戻りきっておらず、熱を持った塊が肩から繋がっているという鈍い実感しかない。少し休めば回復するだろうが、それまで引き金を引くのは難しいだろう。そこに関しては建造物激突の際、こちらの後ろでクッション役になってくれた彼女に感謝だ。自分だけだったら重傷でリタイアだろう、確実に。
死ななきゃ儲け。自分が笑ってそんなことを思うようになる日が来るなど、想像もしていなかった。
でも、それも悪くないと思っている自分がいる。
全ては武神の翼狙いで近場のビルの階段を駆け上がっていた時、窓越しにこの馬鹿女を見てしまったのが運の尽きだった。
月明かりが反射して、小さな何かを拾おうとしているのは分かった。手を伸ばす少女の顔が、酷く必死なものだということも。
だから助けた。
覚えている。ユメがいなくなった時の、強烈な喪失感を覚えている。
区切りを付け、距離を置くことは出来ても、忘れることなど出来はしない。
凄いなあ、とホシノは改めて先生のことを思う。己と似たこれを食らっても、彼女は前へと進み己の夢を叶えたのだから。
ものは失われる。それは変えようのない絶対のルールだ。いつか必ず、形あるものは朽ちて崩れ、なくなってしまう定めから逃れられない。
今か後かという以外、そこに何の違いもない。
だが、だからといって失われてもいいというのは違う。
それを思い出させてくれた恩師を想い、改めてホシノはただ思う。
……私は、嫌だなあ。
自分にとっては嫌いな人やどうでもいい人でも、誰かにとっては大事な人かもしれない。
どうしようもなく頭が悪く、周囲に軽んじられていたユメとて、己にとっては大事な人だった。
自分の大事な人が救われて欲しいならば、同じように誰もが救われるべきだ。
故にホシノは思う。そういった無数に存在する「大事」が、失われなければいい、と。
そして大事なものとは人に限らない。己にとってはユメの遺品がそうだ。恐らく今間の抜けた顔をしている相方にとっては、あの小物入れがそうなのだろう。
それだけ分かれば十分だ。
反りの合わない相手でも、身を張って守るだけの意味がある。
己の力が届く限り、守りたいと思うことが出来る。
守らなければならない、という強迫観念ではなく。
守りたい、と自然に未来を夢見て、生きに行ける。
最近先生が“先生”の墓を用意したと聞いて、ホシノは問うた。“先生”のことも救いたかったか、と。残酷な問いではあったが、失わせないことを信条とする彼女がもう一人の己の喪失を、どのように捉えているのか知りたかった。そんな不躾な問いに先生は、笑みでこう答えたのだ。
「彼女は己の終わりが近いことを悟っていた。その上で、夢を叶える為に全てを賭したのだよ。死とは終わりではない。ただ夢の途中で死が訪れただけなのだ。それを理解していたからこそ、彼女は私へと後を託した」
だから、
「私や君達が彼女を思い、その夢を果たすことが出来たのならば、彼女の願いはこの世界で生き続けることになる。ならば何も失われてなどいないよ。……梔子君も、そうだろう?」
その答えを聞いて、決めた。
決まってしまった。
失われた何もかもを悼み、しかし嘆かず共に行き、生かし尽くそうとする彼女と共に、ユメの願いを叶えようと。
アビドスの面々と、未来を夢見て生きに行くと。
だから助けた。
雇用された身として考えれば、彼女を見捨て武神攻略に専念するのが正解だろう。
だが先生もユメ先輩も、この選択を喜ぶはずだ。
よくやったと、誇らしげに笑ってくれるはずだ。
正しくない。だけど、決して間違ってはいない。
だから、
「私の手の届く限り、何も失わせない。それだけだよ」
●
小鳥遊ホシノがシーツを引き裂き止血を終え、盾の滑走で壁面を降りて行くのをミカは呆然と見送った。
先生に似た青の瞳。そこに嫉妬がなかったとは言えない。
しかしもう一つの瞳は、よくよく思えばミカと同じ色で。
そして先程垣間見せた眼差しの強さは、紛うことなく先生と同じものだった。
……ああ。
同じなんだ、とミカは納得した。
彼女と先生の間で何があったのかは知らない。
だがその中で心を打つ何かがあり、変わることが出来た。
ネガティブな思いで雁字搦めに縛られていた心が、前を向けるよう道を示してくれた。
だからあんな迷いのない、澄んだ瞳を返すことが出来る。
ミカを救った判断は、普通に考えれば正しくなくて。
だが彼女にとっては、何も間違ってなどいなかった。
「そっか」
同じだ。
噛み合わず、上手く行かないこともあるかもしれない。
些細な擦れ違いから、衝突や対立もしてしまうだろう。
だが立ち位置の違う自分達でも、同じ方を向けるのだ。
同じ目的の為に肩を並べ、共に行くことが出来るのだ。
……ホント、敵わないなあ。
先生はどこまで見越していたのか。聞けば勿体ぶることもなく、しれっとこう言うだろう。
「無論最初から全てだが、それがどうかしたのかね?」
下手な真似で口にして、笑みを零す。気が付けば疲労も吹っ飛んでいて、テンションがアガっているのが分かる。
行こう。
遠く、銃声や破砕の音が聞こえる。今も彼女は戦っている。だが本来この仕事は、自分達に任されたのだ。
ならばやるべきことは決まっている。
「一人だけ良い格好なんて、させないもんね」
小さな呟きだけを残し、ミカは跳んだ。
一歩目から全力だった。
●
絵に描いたような劣勢だった。
ミカという囮もなく、飛ぶ手段を持たないホシノ一人では、武神を相手取るなど無理な話だ。本気装備なら或いはとも思うが、日課のパトロールに完全武装してたらただの危ない人だろう。一応シェマタの一件以来本気装備でなくともサイドアームとしてハンドガンを携行するようにはなったが、この相手では焼け石に水だ。ましてや一発貰い疲弊もある今、満足な戦いなど出来るはずもなく、
「っ……!!」
瓦礫に足を取られ身体が泳ぎ、盾で地面を殴る空中前転で立て直す。だが一瞬の速度の緩みに、武神の蹴りが追い付き掛けて、
……スライディング……!!
姿勢を低くしやり過ごす。通り過ぎたら即座に身を起こし退避。下手に止まれば踏み潰されかねない。打撃ならばまだ防ぎようはあるが、プレスされたら確実に死ぬ。しかし攻め手に欠けるのは変わりなく、現状では足首を狙うくらいしか、
「あ──」
転んだ。
終わりの見えない緊張感と疲労から来る動きの鈍りが、致命的なミスを生んでいた。受け身すら取れずに地を滑り、慌てて身を起こすより早く周囲を影が覆う。見上げるまでもない。メートル超えのスタンプだ。死、という一語をかつてなく実感した瞬間、しかし彼我の間に割って入る影があった。
聖園ミカだった。
●
ミカは、躊躇なく全力を発揮した。
得物はもはや銃ではない。戦闘初期に武神が投擲した電柱を手に、全身のスイングで下から叩き込む。
轟音一発。
ホームラン級の一撃が武神の足を跳ね上げ、本来想定されていた可動域を超過し軋みを上げた。破砕の音はダメージが関節部まで届いた証。尻餅どころか背中から倒れ込む武神を相手に、ミカはゆっくりと歩を進める。
「全くもう、先生に迷惑かなーと思って大人しくしてれば随分と好き勝手やってくれちゃって。いざとなったら遠慮なくやってしまえって言われてたけど、なるべく良い子でお仕事終わらせるつもりだったのにさあ、──先生の大事な教え子に何してるの?」
軽々とバトンのように振り回した電柱、その砕けた先端を突き付け、ミカは武神を見下ろした。
「……聞こえなかったかな? 答えてよ。先生の代理が聞いてるんだよ?」
告げる。己の奥底へ鮮烈に焼き付いた、大事な人の大事な言葉を、今の己に重ねて言う。
「──私の大事な
●
ホシノは戦場の最中でありながら、一瞬我を忘れていた。
動揺の理由は二つ。
一つはいがみ合っていた相方が、急にこちらを友達などと言い出したこと。
もう一つは前に出た彼女の背中に、己のよく知る人物がダブって見えたことだ。
……先生?
違う。背も髪も声も態度も、まるで重なるところはない。
だが恐れなく啖呵を切ってみせる様は、一瞬錯覚を抱く程に似ていた。
例え周囲からどう見えていたとしても、己の選択が間違いではないと。
……ああ。
同じなんだ、とホシノは納得した。
彼女と先生の間で何があったのかは知らない。
だがその中で心を打つ何かがあり、変わることが出来た。
ネガティブな思いで雁字搦めに縛られていた心が、前を向けるよう道を示してくれた。
だからあんな揺るぎのない、力強い自然体で立つことが出来る。
ホシノに構わず、先程の一撃を延髄にでも叩き込めば勝ちだっただろう。正しくない。
だが彼女にとって、勝利より仲間を優先とすることは、何も間違ってなどいなかった。
「そっか」
同じだ。
噛み合わず、上手く行かないこともあるかもしれない。
些細な擦れ違いから、衝突や対立もしてしまうだろう。
だが立ち位置の違う自分達でも、同じ方を向けるのだ。
同じ目的の為に肩を並べ、共に行くことが出来るのだ。
……ホント、敵わないなあ。
先生はどこまで見越していたのか。聞けば勿体ぶることもなく、しれっとこう言うだろう。
「無論最初から全てだが、それがどうかしたのかね?」
下手な真似で口にして、笑みを零す。気が付けば疲労も吹っ飛んでいて、テンションがアガっているのが分かる。
行こう。
眼前、武神の稼働音が聞こえる。戦闘は未だ続行中。そして本来この仕事は、自分達に任されたのだ。
ならばやるべきことは決まっている。
「
小さな呟きと共に、ホシノは前に出た。
迷いも揺らぎもない一歩だった。
●
「何を一人で盛り上がっちゃってるのかなーこの人は」
盾を背負い、ハンドガンを取り出したホシノは隣を見る。半分だけ己と同じ瞳を持つ少女を横目に、ショットガンを構え直して、
「思いっきり隙見せてぶん殴られるとこだったくせに」
「うるさいなあ、怪我人は後ろで大人しくしててよね」
電柱の槍を肩に担い、頬を膨らませてミカは言う。そんな相棒にホシノは首を傾げ、
「へえ、右腕潰したのはこっちだけど?」
「今一発入れたからこれで五分だもんね」
大体、とミカが手をひらひらと振った。
「私まだ全力の五十パーセントも出してないよ?」
「ふーん、私は三十パーセントだったけどねー?」
「あ、間違えた。ホントは二十五パーセントだ」
「いやーうっかりしてた、実は十五パーセント」
ははははは、と作った笑いを交換する。だがその笑みは次第に自然なものとなって、
「行こう、ホシノちゃん」
「行こっか、ミカちゃん」
身を低く、走り出す構えで見据える先、ミカの一撃が効いたのか身を起こせず藻掻くだけの武神がいる。あれだけ苦戦した相手に、しかし今は微塵も負ける気がしない。
故に行く。
「連邦捜査部シャーレ、臨時副長、聖園ミカ」
「同じくシャーレ臨時副部長、小鳥遊ホシノ」
大事な人から預かった肩書きを胸に。
「──ここからは本気の全力で!!」
重なる声と踏み出す足音が、戦場を駆け抜けた。
●
ホシノが目を覚ますと、ミカの膝の上だった。
寝惚け眼で見遣る先、シャーレ執務室の窓越しに差す陽光は赤い。夕方だ、という実感と共に思い出す。昼過ぎにシャーレに来て先生やミカとダベっている内に、寝落ちしてしまったのだと。確か最後に見た時計は四時過ぎだったはずで、今は六時前と言ったところ。そこまで認識してからようやく、ミカが小さく何かを口ずさんでいることに気が付いた。
「────」
何だろう。聞いたことがあるような、そんな気はする。教会の前を通った時だっただろうか。そういえばトリニティにはその手の施設が充実してたっけ。そんなことを思っていると、目を伏せていたミカがこちらの目覚めに気付き、
「あ、起きた?」
笑みの代わりに歌が終わる。それを勿体ないと思うべきか、贅沢だと思うべきか、そんな風に思いつつホシノは身を起こす。伸びを一つ、隣に座っているミカを見て、
「膝枕ありがと。重くなかった?」
「全然。むしろもっと食べて大きくなった方が良いと思うなー」
「この前体重計とにらめっこしてたって先生から聞いたけど」
「えっ嘘!?」
「嘘だよー。お馬鹿さんは見付かったみたいだけど」
「……あ。あー!? 誘導尋問なんてひどーい!!」
ポカポカと叩かれるが可愛いものだ。彼女が本気で殴ったら粉砕骨折した挙句壁までブチ抜くくらいはフツーに有り得る。割とアレなトークだというのに、こんな和やかな応酬で済むとは人間関係は分からないものだ。なまじかつての出来事を、夢に見たばかりだから。
「ね、ミカちゃん」
「何ー? 今私拗ねてるからスイーツ奢ってくれるまで答えないよー? つーん」
頬を膨らませ身体ごと背けつつも、しっかり会話する辺り生来の人の好さが隠しきれていない。これもまた彼女の一面なのだろうと、そう思いながらミレニアム自治区の方を一瞥し、
「初めて会った時の夢見てた」
「え」
ミカが勢い良く振り向く。故にホシノは大仰に両手を広げ、
「いやー、あの時は凄惨だったねえ。ミカちゃんがステゴロで武神殴り倒して、マウント取ってガンガンやってたもんねえ。アレ何回だっけ? 三桁超えてたよね?」
「ほ、ホシノちゃんだってショットガンブチ込みまくって手とか足とかもいでたじゃん!! 先生の見てたアニメでロボットがダルマにされてたっけなーとか言って!!」
お互い想像以上に酷かったので痛み分けということにしておいた。そのまま二人並んで夕暮れの街並みを眺め、
「……あれからまだ一ヶ月も経ってないんだね。それが今じゃ親友なんだからホント不思議」
「おじさんも他校の役職者とこんなに仲良くなるとは思ってなかったなあ。ヒナちゃん含め」
随分と変わってしまった自分達の現在を顧みると、先生という存在が如何に日常に対しての劇薬かが分かる。人生蝕まれてる自覚はあるが、それでもいいかと思えてしまうのだからどうしようもない。
あの人がいれば何があっても、笑って終われる結末にしてくれるだろうから。
横目に見た先、ミカの表情は穏やかな笑みだった。きっと自分も同じだろう。故にそこには触れず、頭の後ろで手を組みソファーに身を沈め、
「ま、あの先生と過ごしてれば何があってもおかしくないか」
「信じられないような大騒ぎが日常茶飯事だもんね、本気で」
「おおっと私の話題だね!? ホップスキップトリプルアクセルで急ぎ帰って来た甲斐があるというものだよこれは!!」
扉を開け放ってキチガイが飛び込んで来た。空中で縦に三回転を決めて着地する姿にミカ共々半目で拍手を送り、
「いつにも増してエクストリームな登場だけどどうしたの先生? 病院行く?」
「頭打った? ……あー、でもそれだとマトモになってるか。ごめん忘れて?」
「……何やら普段以上にキレッキレだが、果たしてコレを見ても同じことが言えるかね?」
言って掲げた手に降って来るのはコンビニ袋。回る前に空中へトスしていたのであろうそれをキャッチし、手首を返すだけで衝撃を消す。何事かと二人揃って首を傾げていると、先生がいそいそと中身を取り出しこちらに見せた。
「寄り道ついでにケーキを買って来た。この時間だと夕食に響くかもしれないが、食べない手もあるまい。さあ茶会の準備をしたまえ」
思わずミカと顔を見合わせる。驚きはすぐに別の感情で押し流され、
「……ふ」
「あはは」
笑った。それはもう盛大に、腹を抱えて大笑いした。しかしその理由を知らない先生は、口元に手を当て不思議そうに、
「……はて、私はギャグを披露したつもりはないのだが。一体何がツボに入ったのだろうか」
笑いを噛み殺しながら立ち上がり、先生をソファーに座らせる。戸惑う彼女の顔を見て、自然と重なる声は一つ。
「なーいしょっ」
苦笑と共に肩を竦める先生に、親指を立ててやった。
●
「兵共が夢の跡、と言うべきかな、これは」
日が昇り始めた頃、静まり返った戦場にそんな声が響いた。
ホシノとミカが視線を向けた先、瓦礫の山を避けて歩いて来る姿がある。不安定な足場を危なげなく進んでいるのは、
「あ、先生やっと来たー」
「もう、遅いよ先生ー!」
二人が手を振って迎える後ろ、黒の残骸が堆積している。
跡形もなく壊された武神だった。
四肢は引き千切られたように散逸し、肘や膝などの関節部は全て鉄筋が叩き込まれているか、接続部を銃弾で粉砕されているかの二択だ。頭部や胸部は貫通痕や抉れた痕があり、装甲板も無事な箇所はない。対する二人は軽い負傷と汚れはあれど、晴れ晴れとした表情を浮かべていて、
「やはり私の見立てに狂いはなかったようだね」
告げる声の主が、手に何かの袋を提げていることに二人は気付く。その視線を察したのか、先生はそれを掲げて見せた。コンビニ袋。中から取り出すのはプラスチックの容器に収まった、
「寄り道ついでにケーキを買って来た。故に主賓の姫君達を迎えに来たのだよ。ささやかだが祝勝会でも開こうではないか、とね」
シャーレ協力への本来の報酬ではない差し入れに、少女達の表情が明るくなる。ハイタッチと共に言葉を交わす二人を見て、先生は頭を下げて一言。
「二人共、本当によくやってくれた。──感謝である」
二人揃って笑みを浮かべ、親指を立ててみせた。