グラスアーカイブ   作:外神恭介

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先生が私くらいだった頃って、どんな生徒だったの?

「いやはや、充実した一日だった。私としても良い息抜きになったよ」

 シャーレオフィスビル執務室、その横にある仮眠室。六畳程の部屋に響く声の持ち主は、長身の女性だった。

 白の長髪に青の瞳。黒のパンツスーツを身に纏った胸元には、連邦捜査部シャーレ顧問、葵・硝子という名札がある。そんな彼女の視線の先、ベッドの上にも一つの人影があった。こちらもまた長い白の髪を持ち、しかし青ではなく紫の瞳。腰の辺りから黒の翼を伸ばす、寝間着姿の少女は対面の女性を見て表情を緩め、

「なら良かった。私も楽しかったし。……改めて今日はありがとう、先生」

「気にすることはない。こちらこそ空崎君の都合を無視し好き勝手振り回したので申し訳ないところだ」

 気にしないで、とヒナは首を振る。先生が各所に手を回し、ヒナに平穏な一日の休みを作ってくれたからこその今だ。添い寝や夕食、一緒にお風呂など様々な接待を受けた身としては、文句などあろうはずもない。

「振り回されるのは好きじゃないけど、先生なら良いかな、って。そう思った」

「おやおや、そんなことを言っていると今まで以上にどうでもいい連絡をすることになるよ? 小鳥遊君が寝ている隙に髪形を鳥の巣にした、とか」

「それならちょっと見てみたいかも」

 抱えた枕で口元を隠し微笑。ベッドに寝転び、窓越しの夜空を見上げ、

「おかげで明日からも頑張れそう。アコ達だけじゃなくホシノ達や皆に迷惑掛けちゃったし、その分キッチリ返さなきゃ」

 何の気なしに零れた本音に、ふと先生が動きを止めた。ややあって、腕を組んだ彼女は真剣な目を向け、

「空崎君、君は以前このようなことを言っていたね? 自分は大切な人を失ってもなお戦い続ける小鳥遊君のようにはなれない、と」

 一息。

「君は十分以上によく頑張っているよ。それは私のみならず周囲も認めるところだろう。少なくとも君と同じ年頃だった時期の私よりも遥かによく出来た生徒だ。そんな君より劣る私でも、今では君に尊敬される側なのだから、空崎君はもっと良き大人になれるとも」

 だから、と表情を緩め、

「そう気負わずとも良い。……とはいえ、性分というものもあるから難しいところではあるがね」

 苦笑する先生の顔を見上げ、ふとヒナは思った。先の話題にも関連する、前から疑問に思っていたこと。否、キヴォトスの生徒であれば恐らく誰もが気にしているであろうそれは、

「先生が私くらいだった頃って、どんな生徒だったの?」

 身を起こし、問いを投げ掛けた先である先生の歳は二十七。ヒナ達と同じ学生だった頃はおよそ十年前だ。常日頃からエクストリーム入ったキチガイムーブに事欠かない先生だが、昔からそうだったのだろうか。簡単に想像がつくような気もするし、全く想像がつかない気もする。時たま生徒の間でも話題になり、軽々しく聞くと明らかに盛った小話で返されるので、真相は定かではない。だが、

 ……ホシノや一部の生徒は、知っているのよね。

 ヒナの知る限りではアビドスの面々や、セミナーにティーパーティーなど。推測だがアリウススクワッドやRABBIT小隊、便利屋68など親交の深い面々も恐らくは。よくよく考えると風紀委員会のメンバーは誰も知らないのだが、更に考えるとエデン条約やら色彩やらシェマタやら大きな事件が連続し、こういう落ち着いて話す時間も機会もなかったので多分原因はそれ。決して信用されてない訳ではない、はず。じゃなきゃホシノ暴走の時呼ばれてない。

 僅かな期待と不安と共に見上げた先、先生も同じようなことを考えていたのか不思議そうに首を傾げていた。ややあって納得したように手を打つと、表情を緩め頷きを一つ。

「そうだね。聞いていて面白いものでもないが、話題を振ったのは私の方だ。空崎君には聞く権利があるし、何より私自身も知っておいてもらいたい。……私がどういう人間なのか、その原点とも言うべき一連の過去をね」

 ベッドの縁に腰掛けた先生が、肩越しに視線を寄越す。空に似た青の瞳が、懐かしむように細められ、

「昔、どうしようもなく馬鹿な小娘がいたのだ」

 

     ●

 

 その少女は有り体に言ってしまえば、天才と呼ばれる部類の人間だった。

 勉学、運動、容姿、その全てに優れており、幼い頃から頭角を現していた。

 生まれがどこにでもある一般家庭でなければ、或いは制度の整った地域に住んでいれば、飛び級の最年少記録を更新していただろう。

 だが彼女は天才ではあっても、決して聡明とは言えなかった。

 早熟であるが故に、同年代の幼さや純粋さを理解出来ず、少女の目には幼稚で愚かとしか映らなかった。

 故に周囲と関わる意味を見出だせず、自ら望んで孤立して行った。

 妬みによる攻撃や排斥も当然あった。だが彼女は優秀過ぎた。ありとあらゆる手を使って首謀者を叩き潰し、自分に関わっても損しかないと分からせた。

 孤立により得た時間を知識の収集に費やしていた分、手段は周到で決して証拠を残さなかった。

 少女は本心から周囲をどうとも思っておらず、故に心を痛めることすらなかった。

 どうにか関係を取り持とうという大人達の動きさえ、少女にとっては無駄で煩わしいものでしかなかった。

 やがて学校側も対応を諦め、しかし優秀さ故の実績を惜しいと感じてか、相互不可侵を前提に少女の自由を認めた。

 そうして少女は図書室に入り浸り、その全てを読破してからは街の図書館に篭った。

 作家の真似事を始めたのもその頃だ。

 理不尽で不条理に満ちた低俗な世界より、誰かが理路整然と組み上げた世界の方がよほど出来が良く、やがて自分でそれらを手掛けるようになった。

 故に己の興味を満たすもの以外、眼中に入れることすらしない。己を邪魔するものでしかないからだ。

 大人の言うことでさえ、自分より何か優れた点を持つ相手の言葉でなければ無視を通した。

 例外は両親くらいのもので、それでさえ次第に団欒の時間は減って行った。

 そして少女は己を取り巻くそんな現状を、何とも思っていなかったのだ。

 

     ●

 

 話の出だしにしては重過ぎるスタートに、ヒナは何と返すべきか考えた。よく考え、とても考え、物凄く考えた末に、

「……随分と、その、個性的だったのね」

「素直にクソガキと言ってくれても構わんよ? 私とて当時の私が目の前にいたらノータイムで張り倒しているだろうからね」

 精一杯のフォローが速攻で切り捨てられた。微妙に納得行かない感はあるがこういう人だ、気を遣うなということだろう。ならばとヒナも意識を切り替え、聞いた話を反芻し、

「この頃から苛烈というか加減を知らないというか……」

「どうとも思っていなかったからね。加減する意味がない。邪魔さえしなければ放っておいたが、降り掛かる火の粉を払わぬ理由もないだろう?」

 一切悪びれていない辺りが凄いと思った。詳細を聞くと危険な気がしたので、前置きはそこそこに本題をヒナは問う。

「どう聞いても先生を目指そうというタイプではないけど、一体どういう心境の変化?」

「そうだね、当時の私であったならば、他人の面倒を見るなど真っ平御免だったろう。自分の面倒は自分で見ろ、と。私が一人っ子だったなら、その考えは生涯変わらなかっただろうね」

「それは──」

 今の引きから考えられる可能性は一つ。兄弟姉妹のいずれかがいて、先生の価値観を変えたということだ。その推測を裏付けるように、先生が懐かしむ表情で遠くを見て、

「私には、妹がいたのだよ」

 

     ●

 

 少女の妹は、生まれつき身体が弱かった。

 酷く難産で、生きていることが奇跡に等しく、しかし大きく体調を崩すことなく育った。

 それも小等部入学式の前夜までという、短い間の話だったが。

 容体の急変に伴い、妹は入院を余儀なくされた。絶対安静で、登校など言語道断。結局妹は小等部の六年間を、病院のベッドの上で過ごした。

 そんな哀れな道を歩む妹に対し、少女は何の感慨も抱かなかった。

 年齢は少女の三つ下。だが早熟な少女にとっては幼稚そのものだ。小等部どころか生まれた時から、血の繋がった他人程度にしか思っていない。

 両親が強引に見舞いへ連れ出した時も、会話どころか目を合わせることすらしなかった。

 当然ながらそんな少女に対し、妹は恐れを抱き自ら関わろうとはしなかった。

 その一点についてだけは、少女の妹に対する評価が高かったのは皮肉だろう。

 こちらを更生させようと、価値観の押し付けに無為な時間を費やす連中より遥かにマシだったのだから。

 やがて少女は高等部になり、妹も中等部に入る年齢となった。

 姉は変わらず自分本位の振る舞いを続け、最低限の単位は確保しつつ自由に過ごし。

 妹は若干持ち直し自宅療養に切り替わり、しかし登校は許されずベッドの上だった。

 妹の治療費の為、両親が共働きであったこともあり、姉妹は強制的に同室で過ごすこととなった。

 姉は両親の言い付けを守り、内心はどうあれ妹の世話をした。

 読書や創作の片手間ではあったものの、看護師より手際良く一切の不備を与えなかった。

 妹も読書が好きで、本さえ与えておけば大人しくしていたのも評価点だった。

 半年程経った頃、妹が発作を起こした際、少女が応急処置を施したおかげで大事に至らなかったこともあった。

 情があった訳ではない。死なれると葬儀やら何やらで面倒が増える。ただそれだけの、打算ですらない冷徹な判断の結果だ。

 冷静に考えれば死んだ方がトータルの拘束時間は少なくなるのだが、救急車は呼んだので後は待つだけであること、咳き込む音や苦しげな声が耳障りであったこと、そしてたまたま少女の知識にその手の心得があったことが天秤を傾けた。

 だがそれまで少女を恐れていた妹は、以降酷く懐くようになっていた。

 少女は困惑した。自分にここまで関わろうとして来る相手は、両親以外にはいなかったからだ。

 その両親にしても半ば諦め混じりだというのに、妹は純粋な好意だけを示していた。

 邪魔だ。迷惑だ。そう何度も口にしても、妹はただ笑うばかりだった。

 何が楽しいのか。常に笑みを絶やさず、日々を楽しそうに過ごしていた。

 理解出来ない。謂れなき枷を生まれた時点で背負わされ、不自由な生活を強制され、何故笑っていられるのか。

 だから少女は結論した。この妹は、同世代どころか年下にすら劣る、人類史上稀に見る愚か者なのだと。

 愚妹という呼び方を始めたのはそれからすぐのことだった。皮肉と悪意しかないその呼称を、しかし妹は喜んだ。

 名前で呼んだことすらないというのに、その呼び名を心から喜んでいた。

 誰かを呼ぶことなど前代未聞で両親が驚愕していたが、それさえも少女にとってはどうでもよかった。

 以後の二年程もその生活は変わることなく、やがて少女は妹を遠ざけることを諦め、近くにいることだけは許した。

 妹は変わらず笑うばかりで、しかしそれがいつしか少女の生活に馴染んでいた。

 

     ●

 

「……なるほど、一つ分かったことがある」

 頷き、先生を半目で見据え、ヒナはその気付きを口にした。

「先生の強引な介入とふてぶてしさは遺伝なのね。そして妹さんにもしっかり受け継がれていたと」

「いやいや、両親は至って普通の真人間だし、私など妹には及ばぬよ。想像してみたまえ、私がカイザー理事相手に吐いたような語調でボロクソ言われて、それでも空崎君は笑って先生先生とくっ付いて来れるかね?」

 言われ、想像しようとして、三分程頑張ってみたがMURIだった。

「……どう考えても私のキャラじゃないと思う」

「……うむ、例えが悪過ぎたことは謝罪しよう」

 互いに肩を落として吐息。復帰は先生の方が早く、

「刷り込みというものがあるだろう? 孵った雛が初めて見たものを親と思い付いて回ると。他人とのコミュニケーションに意味を感じていなかった私はその辺りの機微も知らず、妹もまたロクに人間関係を築ける暮らしではなかった。故にそういうものかと流していたが、……今思うと妹のやつも大概だな」

 ああ、と先生がふと気付いたように、

「ちなみに今の例えは空崎君の名がヒナであることとは全く無関係なので気にする必要はないよ?」

 額に手刀を入れておいた。

 

     ●

 

 転機は少女が高等部の三年、春の盛りを過ぎた辺りのことだ。

 周囲は受験だ予備校だ部活の引退だと騒々しいものの、少女には何の関係もない。

 少女の成績なら推薦で通らない進学先はなく、面接とてその場限りの猫を被れば万全だ。試験を受けることになったとしても、生まれてこの方満点以外取ったことがない。体調管理も抜かりはなし、事故か災害でも起きない限り安泰だと言える。

 無論少女の方にそんな熱意は微塵もなく、ただ蔵書数が多いという理由だけで進学先を決めている始末だったが。

 極端な話進学の必要性すら感じておらず、事実学力だけを考えれば研究職にでも就いた方が進展がありそうだったものの、一分野に絞ってまで追究しようという気概もない。広く深くが信条の少女にとって、研究職の拘束時間を考えれば論外に等しい選択肢だった。

 しかし時間の拘束は、予想もしない方向から少女の身を捕らえた。

 進学に備え妹の勉強を見ろという、両親直々の指示が出たのだ。

 時間の無駄だ、と少女は反論した。中等部の二年を経ても、妹の容体が回復する様子はない。進学したところで通えるとは思えず、単位を落とすか休学扱いの二択だろう。ならば通信制の学業でも修めるべきだと、至極真っ当な案を提示しても、両親は頑なに頷かなかった。

 平行線の議論に嫌気が差し、最終的に少女は引き受けた。だがこれを最後として、高等部卒業と共に家を出て絶縁する。そう宣言してもなお、両親は妹の件を取り下げなかった。

 承諾と判断し、少女は妹の勉強を見始めた。だが予想していた通り、妹の学力は悲惨なものだった。

 考えるまでもない。義務教育の期間を全て病床で過ごしたのだ。自発的に教科書へ目を通してはいたようだが、それで済むなら苦労はない。天才と謳われた姉と違い、妹はどこまでも凡人だった。

 読書が趣味故に文系や暗記は得意だったようだが、正規の教育を受けた同年代に及ぶものではないし、理系科目は壊滅的。

 おまけに妹の進学希望先が、姉の通う学園というのも最悪だった。

 大学同様蔵書数と設備の質で決めた学園ではあったが、求められる学力も競争率もかなり高い。少女は当然のように全科目満点を叩き出し新入生代表という面倒な立場を任されたものの、妹が合格するのは不可能に等しいだろうと予想された。

 だが、少女は何も言わなかった。勉強を見ろとは言われたが、合格させろとは言われていない。いずれ身の程を知るだろうと、手抜きなく妹を指導した。妹は確かに馬鹿ではあったものの、決して能がない訳ではなく、教えたことは素直に飲み込んで行った。

 正当な教育の機会を与えられなかっただけで、一般人がそれなりに努力すれば到達出来る。妹はやがてそんな領域にまで上り詰めていた。

 少女は正直感嘆した。今なら同年代と比較しても、ギリギリ一桁台に届くかどうかというくらいの実力はあるだろう。スタートが遅かったとはいえ、僅か半年でここまで成長したのは称賛に値する。ある意味ではこの時初めて、妹が自分の血族であるのだということを自覚した。

 努力には然るべき褒賞を。そんな当然の摂理の為少女は問うた。何か望みはあるか、と。

 対する妹は驚き、僅かに考えたもののこう答えた。ガチャポンで欲しい景品がある、と。

 部屋どころかベッドの上からさえ出ることの叶わぬ妹が、時間を潰す為に手を出した趣味の一つ。俗にサブカルと呼ばれる映像作品や娯楽小説の、とある一品が欲しいのだと妹は言った。

 そういえば、と少女は思う。己の綴った物語を、妹は昔から熱心に読み漁っていたな、と。

 早熟故飽きも早い自分には珍しく、作家の真似事は今でも続いている。過去と歴史は有限とはいえ、それらの蓄積が織り成す新しきのバリエーションは無限に等しい。今にしてみれば決して満足出来る仕上がりではないものの、周囲の人間と無為な時間を過ごすよりは有意義な過ごし方だった。出来上がった作品は自室に放り込んであり、そしてこの家で最も蔵書数が多いのは自分だ。暇潰しに目を通すことを許す程度の慈悲はあり、暇を持て余す本の虫である妹がそれらを手に取り読破するのに時間は掛からなかった。以降続きや新作をせがまれることが増え、気が向いた時だけ応じていたが、よく泣きよく笑う理想的な読者だったと少女は思う。或いはそれが妹のサブカル趣味の始まりだったのかもしれない、とも。それ故新しい物語を綴れと言われるかと思っていたが、要求が違って少し安心した。身内贔屓も結構だが、それを対価に書こうとまでは思わない。

 探しておく、とは答えておき、以降少女の日課にゲーセン巡りが追加された。

 出入りしてから知ったことだが、この手の景品は入れ替わりが激しい。外出など夢のまた夢である妹にとって、景品の流行り廃りなど分かりはしないのだ。指定の品は結構な古物らしく、そう簡単には見付からなかった。

 三週間。各地を梯子し、遠方まで足を延ばして、少女はどうにかそれを手に入れた。移動や目当ての品を引くまでの試行回数で財布には相当のダメージをもらったし、地図や検索に酷使したスマホのバッテリーも尽きていたが、仕方ないと許容する。

 私も随分と焼きが回ったものだと、苦笑してから驚いた。

 思えば笑ったのはいつ以来だろうかと、そんなことを思いながら家の扉を開ける。

 妹の容体が急変し、病院へ搬送されたのだと知ったのは、リビングの書き置きを見てからのことだった。

 

     ●

 

「────」

 言葉を失ったヒナに対し、先生は笑った。目を細めただけの笑みは穏やかで、気にするなとでも言うように、

「この世のありとあらゆる全て、いつか必ず終わりは来るものだよ。過去の話も、──妹の命も、ね」

 

     ●

 

 有り金全てを運転手に叩き付け、タクシーから転び出るようにして走り出す。しかし少女が辿り着いた時、全てはとっくに終わっていた。

 聞けば、発作を起こした時点でもはや余命は見えていたのだと言う。入院しても手の施しようはなく、どこにいても同じだと。

 故に両親は妹に問うた。どうしたいのかを。

 それに対し妹は笑って答えた。姉と共に過ごしたいと。

 そうして少女だけが何も知らぬまま、全ては動き出していた。

 ただ一緒にいられればそれでいい。今まで姉を尊重し抑えて来たが、これで最後なら我慢したくない。妹はそう笑った。だが何も知らない姉は排斥こそしなくなったものの、付き合いを変えることはない。

 だから両親は一計を案じたのだ。進学を口実に、姉妹の時間を増やしてやろうと。

 少女は弾劾した。何故何も言わなかったのかと。妹の容体についての会話はあっても、ここまで危険な状態だという話は一度もなかったはずだと。

 それに対し両親は毅然とこう言った。当たり前だと。絶対に話してはならないと、妹に口止めされていたからだと。

 同情や憐憫で自分を見て欲しくない。強くて、物知りで、格好良くて、だけど本当は誰よりも優しい、いつも通りの姉と過ごしたい。

 それだけが、妹の真の望みだった。

 少女は妹に報いるつもりで、その最期の時間を無駄にしたのだ。

 

     ●

 

「己の愚かさに打ちのめされたのは、後にも先にもあの時限りだ。取るに足らないと見下していた相手の本心に、私は何一つ気付けていなかったのだから」

 先生には珍しい自嘲の笑みに、ヒナは何も言うことが出来なかった。何を口にしたところで、気休めにしかならないからだ。

 過去は過去。もはや不変の礎であり、変えることなど出来はしない。キヴォトスに来てからの先生しか知らないヒナが、何を言っても無意味だろう。

 頭ではそう分かっている。それでも何かを言いたいと、そんな気持ちが拭いきれない。声を揺らすことなく過去を語る先生は既に折り合いをつけているのに、ありきたりな慰めを伝えたくなっている。そんな逡巡を見透かしてか、先生が笑みを苦笑に変えた。

「そう、それだよ空崎君。君は聡明過ぎるあまり、気遣いで己の感情を抑えてしまう。羽目を外せとまでは言わんが、もう少し年相応に振る舞っても罰は当たらないと思うがね」

 だが、

「己を一切抑えず振る舞った私は、失ってからその意味を知るという罰を受けたのだ」

 言葉もない、とはこのことか。ゲヘナ風紀委員長という肩書きも、キヴォトス最強クラスという畏怖も、今この状況においては何の意味も持たない。結局のところヒナは二十にも満たぬ子供に過ぎず、人生経験という点において目の前の女性には敵わないのだ。

 知らず俯いていた頭に、先生の手が乗せられる。あやすように軽く叩く動きは、気にするなということか。かつて病床にいたという彼女の妹も、こんな風にされていたことがあったのか、或いはかつて出来なかったからこそ今こうしているのか。分からないまま、しかし一つだけ分かっていることをヒナは口にする。

「妹さんは、先生のことが好きだったのね」

「頭が悪い、とも言えるがね。いざこざが面倒だから孤立を望んだというのに、距離を置いたのは他者を傷付けずに済ませたいという優しさからだ、などと言っていたそうだ。……全く、性善説の夢見がちな妹だったよ」

 言葉とは裏腹に、口調は温かく柔らかなもので。兄弟や姉妹のいないヒナであっても、そこに込められた感情には気付くことが出来た。だから今問うべきは、失ってしまった過去ではなく、

「……それから、先生はどうしたの?」

「どうもこうも、飲まず食わずどころか眠ることすら出来なくなってね。二週間程でぶっ倒れたのだが、場所が学校だったのが私の最大の幸運だった」

 聞けば彼女を最初に発見したのは、たまたま訪れていた他校の養護教諭だと言う。尋常ではない様子に各所へと連絡を取った末、彼女は自らの弟を呼び出した。

「そうして私は、恩師とも言える相手と出会ったのだよ。司令官と、そう呼ばれている人とね」

「……司令官?」

 あまりにも場にそぐわない呼称に眉を寄せると、先生は苦笑した。無理もない、とおかしそうに。

「あだ名のようなものでね。彼も教員なのだが、生徒達からそのように呼ばれているのが広まったとかで、広義の教え子である私も倣った形だよ。何でも受け持つクラスにストラテジーゲームの上手い子がいて、一緒にプレイしている内にそう名付けられたそうだ」

 

     ●

 

 彼は己の名を明かさなかった。名乗る程の者ではないと言っていたが、どう見ても只者ではないと少女は感じた。

 例えるなら、空気。

 己の知らない相手がそこにいるのに、いることに違和感を覚えない。背景の書き割りが動いているような、そんな不自然さに近い。だが柔和な表情と穏やかな笑みは見る者の警戒を溶かし、いることに意識的にも違和を感じなくなる。そんな不思議な雰囲気の持ち主だった。

 そして少女は思い出す。空気とは無色透明で、在ることさえ不確かなものだが、存在しなければ生きて行けないものなのだと。

「妹さんのことを理解出来ず後悔しているのなら、それを抱えたままでも良いからまずは動こう」

 ここに来るまでに各所へと調査の手を伸ばし、おおよその事情は知ったらしい。そんな彼の第一声に対し、気休めだろうと少女は吐き捨てた。だが彼は慣れた様子で、

「進学も読書も創作も、元々は消去法的な選択だと聞いた。なら目的がないのは今も昔も変わらない。だったら気休めでもまず動こう」

 大丈夫だよ、と彼は言った。

「君は馬鹿だったかもしれないけど、決して愚かなんかじゃない。本当に愚かなら、妹さんの本心を聞いても何も思わないよ」

 妹を失ったことを頭で理解していても、心が認められないのだろうと。だからまずはそこに向き合い、それから自分がどうしたいのかを決めろと。

 少女は自嘲した。生まれてこの方目的もなく生きて来た身が、今更何を見出すのかと。だが彼は首を振り、こう答えた。

 ここで何も見付けなければ、君は妹の死を無駄にすることになる。だが君はそれを己に許すような人間ではない、と。

 知ったような口を、とは思った。だが抜け殻のように過ごすのも時間の無駄だ。従うようで癪ではあったが、妹の遺品に触れることにした。

 とはいえあまり物を持たない妹だ。物欲に乏しく着飾る意味もなかったので、娯楽作品のグッズが少々という程度。少女の知らない作品であるが故、それらを見ても何の感慨もない。やがて遺品を漁る手は、妹のノートを手に取っていた。

 少女の綴った物語を除けば、恐らく最も姉妹の接点であった品を。

 馬鹿な妹だ、と改めて思う。元より大した存在でもないのだから、余命を明かそうと見方が変わることはないというのに。強いて言えば応急処置とガチャポンの件以外で、妹を他の何かより優先したことなどなかった。

 もし真相を知っていれば、己は態度を変えただろうか。

 そんなことを思い、しかし少女は自分の思考に驚愕した。

 己に勝る点など何一つない、しかも年下という未熟な存在に、想像とはいえ心を割くとは何事かと。

 だが、同時に合点の行くことがあった。他者との関わりを望まず、自由を謳歌する己には縁のない感情。

 知識としては知っていて、しかし実感など一度も抱かなかった感情。

 後悔。

 少しでも妹に気を向けていれば。

 せがまれた続きを書いていれば。

 ゲーセン巡りをしていなければ。

 こんな思いをせず、妹との別れを割り切れていたのだろうか。

 広げたままのノートに、滲みが生まれた。それが己の頬を伝ったものだということに、触れてもなお理解が及ばず。

 呆然と言える空白の中、しかし隅の一角が目に付いた。

 下手な絵で、机を囲む姉妹が描かれている。姉の方には覚えのない黒のスーツを着せられ、教材なのかタブレットを持たされていた。

 思い出す。取るに足らない無数の会話を。その中で一度だけ、この絵に似たやり取りがあったことを。

「お姉ちゃん、教えるの上手だよね。先生とかやったら、ルックスも良いし人気出そう」

 

     ●

 

「そうか」

 妹は、一度も学校に通うことはなかった。

 両親と医者くらいしか大人との関わりはなく、同年代に至っては小等部以前の繋がりしかない。

 故に学校生活というものを、妹は空想の上でしか知らない。

 だが妹にとっては紛れもなく、己は先生だったのだ。

 たった三つしか違わない、しかし妹にとっては最も身近な年上の存在。

 強くて、物知りで、格好良くて、だけど本当は誰よりも優しい、そんな風に映る存在。

 それが私だったのだと、妹はずっと思っていたのか。

「そうか」

 涙を零すなど、物心ついて以来初めてだ。

 だがその質が変わりつつあることを、己ははっきりと自覚していた。

 馬鹿な妹だ、と幾度目か分からぬ感慨を抱く。

 美化し過ぎだ愚か者め。貴様が信じていたものを、己は知ることすらなかったというのに。

 どうしたことか。たったそれだけの擦れ違いが、これまで己の綴って来たどの物語よりも愉快で痛快で堪らない。

 口の端が吊り上がるのが堪え切れず、とうとう笑いを上げるに至り、己はようやくそれを認めた。

 よもや私を初めて負かすのが、自身より劣る妹だったとは。

「そうだな」

 常勝無敗。その通りに生きて来た己に、初めての黒星を付けた者。

 それが血を分けた妹であるならば、潔く受け入れよう。

 そうでなければなるまい。

 曲がりなりにもこの私と同じ血を引き、私の薫陶を受けた身なのだから。

「そうとも」

 そして、一つ理解出来たことがある。

 確かに自分は優秀で、己に追随出来る者など知らぬまま生きて来た。

 だが自分は、自分すら超える者を後押しすることが出来るのだ。

 低俗で幼稚と思っていた妹でさえそうなれるなら、世界はどれだけ芳醇となることだろう。

「ああ」

 全くあの男、余計な示唆をしてくれたものだ。

 だが、おかげで決まった。否、決まってしまった。

 これまでの生において、一度も抱くことのなかったもの。

 己の何を差し置いても、それを必ず叶えんとする原動力。

 言葉にすれば安っぽい、だが確かなもの。

 それを示したのが妹というのも、出来た物語のようでまた笑える。

 だが、決めた。

 妹が思い描いた通りの己でいようと、そう決めた。

 姉は妹の本心を見抜けなかったが、妹は姉を理解していた。ならば自分で決めるより、妹の助言に従う方が賢明だろう。

 それが己の目指す道であるのなら、迷う必要などありはしない。

「そうだ」

 妹のように、己の望まぬ不備によって青春を謳歌出来ぬ者達を救いたい。

 貴様とて世界を面白くする一人なのだと、背中を押し進ませてやりたい。

 世界に絶望し、死ぬ為に生まれて来た訳ではないのだと教えてやりたい。

 出来るだろうか、とは思わない。妹は恐らくこちらが気負わぬよう、敢えて入手困難な景品を指定したのだろうが、それすら己は見付け出した。

 そうとも。舐めてもらっては困る。

 頭脳明晰。運動神経抜群。弁も立てば容姿も端麗。そんな才覚の塊に、今最も大事なものが宿る。

 それらを以て何を成したいか、という指針が。

 ならば叶えられぬ道理などなし。

 目標なき己とてこれだけ出来たのだ。それを得た今の己なら、もっと良く出来るだろう。

 故に後は進むのみ。前へ前へと進撃せよ我が意思。

「不甲斐ない姉で済まない、とは言わんよ、鏡子。それはお前の信じた私を否定することだ。だがら最後に一つだけ、お前に伝えさせてくれ」

 病床にあり、余命は短く、しかし妹はそれを嘆かなかった。

 不肖の(偉大な)姉と過ごしたいという己の願いを、諦めることなく叶えに行った。

 諦めなければ夢は叶う。陳腐な偽善の綺麗事。だがそれを叶えることが、寄り添う先生(大人)の成すべきだろう。

 ならば己もそれを背負おう。その始まりを、行くべき道をつけてくれた妹に、対等な人間として初めてこの言葉を送る。

「──感謝である」

 

     ●

 

「そうして私は教職を志した。幸い進学はスムーズでね、卒業後は司令官の勤める学園で三年程世話になり、その後このキヴォトスに来たという訳だ。寝物語にもなりはしない、ヤマもオチもない地味な話だよ」

 肩を竦めつつ、先生はそんな風に話を締め括った。それがこちらへの気遣いだということくらい、馬鹿でも分かるというのは言い過ぎだろうか。

 だが、とヒナは思う。そんな馬鹿を通し続け、ここまでやって来たのがこの人なのだ、と。

「先生」

 故に言う。面を上げ、高い位置にある瞳を真っ直ぐ見据え、ヒナはただ想いを口にする。

「私はよく頑張ってるって、さっきはそう言ってくれたけど、……先生も同じくらい、ううん、それ以上に頑張ってる。私だけじゃなくホシノにアビドスの子達、風紀委員や他の皆もそう思ってる」

 先生の妹は、自らの姉をこう評した。強くて、物知りで、格好良くて、だけど本当は誰よりも優しいと。

 その言葉は、ヒナの眼前にいる大人と何ら変わることはない。

 本心を隠し、奇行で騒がせ、しかし必ず傍にいる。

 生徒が伸ばした手を取れるように。

 未来が失われることのないように。

 思い出す。エデン条約の一件で、ヒナは一度ミスを犯した。傷を負い、先生を危険に晒し、弱音を吐いてしまった時のことだ。

 ゲヘナの治安維持組織の長として、誰よりも強くあるべきであったのに、先生を守り切れず挫けてしまった。そんな暇などないというのに、それでも活動を再開した先生は、真っ先に自分のところに来てくれて、

「よくやってくれた」

 と、ただそう言ってくれた。

「今回の件も、これまでにおいても、君は常に最大限努力して来た。そのおかげで守られたものは幾つもあり、そして私の命もその範疇に入る」

 涙さえ流す己を力強く否定し、

「死んでしまえばそれまでだ。だが私は生きている。ならばどこまでも足掻くだけだよ。最悪の状況などどうとでもひっくり返す自信はあるが、死んでしまえばそれも叶わん」

 空のように澄んだ瞳が、真っ直ぐにこちらを見てこう言った。

「断言しよう。君はキヴォトスを救ったのだ。君の守り抜いた私が、この混乱を収めるのだから。……後は私に任せてゆっくり休みたまえ。そして最後に一つだけ言わせて欲しい」

 それは、

「──感謝である」

 先生の過去を聞いた今なら分かる。あの一言は先生にとって、最大の賛辞なのだと。

 かつて彼女の行く道を決めた、敬愛する妹への言葉。それを先生は躊躇いなく生徒に向け、そして絶対に見捨てない。

 現に一連の騒動を収め、生徒達を全員救ってみせた。

 無茶苦茶な法案を通して聖園ミカをシャーレに匿い、スクワッドの面々に仕事を斡旋しアビドスへの編入を勧めてもいる。

 何も恥じるところなどない、立派な行いだとヒナは思う。

 だから、

「改めて言わせてもらうわ。──感謝してる、って」

 告げた先、先生が虚を突かれたように口を開く。やがて俯き、身を震わせ、手で口を覆ってもなお隠し切れぬ笑みを漏らし、

「感無量、というやつだな。そう言ってもらえるのなら、私も安心して進み続けることが出来る」

 肩の力が抜けたように見えて、ヒナは安堵した。自分にはこのくらいしか出来ないが、それで少しでも先生の背負うものを軽く出来れば良い、と。だがそんな小さな満足感は、あっという間に覆された。

「ならば私も改めて言おう。これまで君には幾度も窮地を救われた。──感謝である」

 正面から、それも至近で言われ心臓が止まり掛けた。あの時のやり取りを超える出来事など今後の人生においてそうそうないと思っていたが、易々とハードルを超えて来るとはさすが先生。油断も隙もない。なまじ先生の過去を知った分最後の一言の重みが超火力過ぎる。ところでいつの間にか視界が見慣れた天井になっている気がするのだが、これは一体何だろうか。

「どうしたのかね空崎君、アッパーカットでも食らったように倒れ込んで」

「駄目……、勝てない……」

 頭を抱えつつ零してみるが、この力関係は一生変わるまい。これならまだ雛になる方が簡単だと心底本気で思う。それでもいいかと思ってしまう辺りがあまりにもどうしようもない。

「……先生、学生時代モテモテだったんじゃない?」

「ははは今の話のどこに浮いた要素があったのかね。生まれてこの方色恋沙汰に縁などないよ」

 半目を向けつつヒナは思う。このハチャメチャな大人に並び立つのは、とんでもなく大変だろうな、と。

 だが、だからといって諦める程軽い想いではない。

 競争率は馬鹿みたいに高いし、上手く行くとも限らない。様々な意味でハードルも高く、ゴールイン出来たとして毎日が騒動の連続だ。

 賢く生きるのなら、諦めるのが正しいだろう。

 でも、馬鹿でいいのだ。

 正しくなくても、間違っていないと、そう己を信じて進んで良いのだ。

 自分自身を諦めさえしなければ、世界なんて案外どうとでもなるのだ。

 どうにもならなくなったとしても、先生が手を差し伸べてくれるのだ。

「先生」

 だから、私も少しくらい馬鹿になろう。

「お菓子や飲み物の在庫、まだあったわよね。他にも色々と聞いてみたいし、ちょっと広げてみる気はある?」

「おやおや、風紀委員長らしからぬ提案があったものだね。良い子は寝る時間だよ?」

「今日はオフだもの。そして明日の正午まではフリー、夜更かししても問題はないわ」

 肩を竦め、小首を傾げてヒナは言う。

「昼寝したから目が冴えちゃって眠れないの。付き合ってくれる?」

「承ろう。断って一人寂しくニッパーをパチンパチンさせる訳にも行かないからね」

「どれだけニッパー推したいの」

 苦笑で返せば先生も笑い、準備の為に立ち上がった。ヒナもその後を追って、先生の隣を歩く。

 いつかの先でも、こうやって共に在れれば良いと思いながら。




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