グラスアーカイブ   作:外神恭介

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あんな酷い光景、おじさん後にも先にもあれくらいしか見たことないよ

 扉の開く音に顔を上げると、先生がそこにいた。

「あれ、おはよー先生。早いね」

「おや、小鳥遊君が一番乗りか。急ぎ足だったのは認めるが、まさか奥空君より早いとは」

 軽く手を上げながら歩み寄って来るのは、黒のパンツスーツに身を包んだ長身。腰の辺りまで伸ばされた白い髪と整った顔立ちに反して、よく笑いよく泣く童心に溢れた二十七歳児。そして最重要事項としては、記憶の中のユメ先輩に限りなく近いオパイの持ち主でもある。

 それがホシノの知るシャーレの先生、葵・硝子という女性だった。

「ともあれおはよう小鳥遊君。早速だが差し入れだ、溶ける前に摘むか冷蔵庫に叩き込むといい」

 言って、手に提げたビニール袋の中身をテーブル上に広げて行く。中身はコンビニで売っているウエハースチョコ。おまけでシールが一枚付いているという子供向けのよくあるやつだ。

 が、差し入れとして考えるにはあまりにも量が多過ぎる。そして先生の趣味嗜好から考えれば、真相に行き着くのはそう難しいことではなく、

「先生また箱買いしたのー?」

「単品で買うと悉くコモンがダブってしまう私の運のなさに言いたまえよ。目当ての品が当たるのであれば私とて普通に買うとも。あ、中身のシールは後でも構わないので私に寄越してくれたまえ」

「今回のお目当ては?」

「SSRのユミーリ水着バージョンだ」

「うへー、おじさんじゃ引ける気しないなー。まあ出たらあげるねー」

 よろしく頼む、と告げて先生も定位置に腰を下ろした。入れ替わるようにホシノはテーブルに身を乗り出し、適当に選んだ包みを開ける。中にはウエハースチョコと、シールを保護する為の小さな袋が一つずつ。前者を齧りながら後者を取り出し、中身を破かないよう端の方から開けてみれば、

「あ、ユミーリ出た」

「本当かね小鳥遊君!! 嘘だと言われたらさしもの私も部屋の隅で膝を抱えてルールー口ずさみ始めるがその辺りどうなのかね小鳥遊君!!」

 パイプ椅子をひっくり返す勢いで食い付かれた。普段は飄々とした感さえある大人なのにどうしてこう趣味が絡むと子供かなー、と頭の後ろ半分くらいで思いつつ、

「嘘は言ってないんだけど、……ノーマルバージョンの方だよこれ」

 制服姿のキャラクターがプリントされたシールを見せると、先生がその場に崩れ落ちた。そのまま横倒しになると膝を抱え、

「もう七枚は持っているから記念に持って行きたまえ……」

「そういうことならありがたくもらっておくねー……」

 ガチ凹みしてる先生には悪いが、実は結構嬉しかったりする。このキャラクター微妙に私と似てるんだよね。うへへ。

 袋に仕舞い直して財布の中に収めつつ、ホシノは二つ目に取り掛かる。先生も飽きたのかスーツの裾を払いつつ復帰して来て、テーブルに顔を乗せながらどのウエハースを開けるか厳選していた。どれを選んでも先生に当たりは引けないと思うが、こういうのは気分が大事だと以前力説されたのでツッコむ無粋はしない。

 静かだ。

 在校生徒五名。否、今は六名か。集合時間には少し早い時間帯故、普段の喧騒とは違う静寂がここにある。ほんの二年程前まではこちらの方が主だったというのに、随分と環境は変わるものだ。

 自分を取り巻く色々も、良い方に変わった。

 そんな現在の感慨を、過去に近い雰囲気の中で自覚するというのも不思議なものだ。奇しくも二人きりで、相手は年上でオパイのデカい同性。性格や言動は百八十度違うと言っても過言どころかまだ足りない感すらあるが、居心地の良さは負けていない。

 ……そういえば。

 ふと、連想から一つの飛躍が頭に浮かぶ。ちょうど他の面々もいないことだし、前から気になっていたことを聞く良い機会ではないのか、と。先生は相変わらずウエハースの包みに手を伸ばしては引っ込めてという逡巡を繰り返しているので、中断させても問題はない、はず。

「先生」

「ん? 何かね小鳥遊君」

 声を向けた先、先生が身体を起こした。天板に押し付けられ歪んでいた胸が元の形を取り戻し、形状記憶という単語が何となく思い出されるが、今重要なのはそっちじゃない。

「前に私を助けに来てくれた時の話なんだけどさ」

「各校の愉快な連合軍で基地にカチコミを掛けた時かね?」

「いやそっちじゃなくて、物凄く頭の悪い方」

 半目と共に訂正すると、先生が腕を組んだ。首を傾げた。そのまま身体ごと傾いた。三十秒後、元の角度に復帰した先生が、

「はて、そんな事件があっただろうか。記憶にないようなのだが」

「誰がどう見ても聞いても先生のあたおかムーブ判定が下る武勇伝に心当たりがないと」

 

     ●

 

 あの時のホシノは、もはや物事を正常に考えることすら出来ていなかった。

 目に映るもの全てを壊し、目の前の一切合切を否定したい。ただそれだけの、獣と呼ぶことすら烏滸がましい存在に成り果てていたのだ。

「小鳥遊君!!」

 そんな状態でもその声を知覚出来たのは、心の中で少しだけユメ先輩と重ねて見ていた人の声だからだろう。他の何を差し置いても、ユメ先輩に関わることだけは逃してはいけないと、そんな後悔を胸に生きて来たのだから。

「確かに私は戦う術も力も持たない。君がその気になれば、否、その気がなくとも腕の一振り、指先一つで命を脅かされる弱い存在だろう」

 だが、と告げた彼女は、ジャケットを脱ぎ捨て前に出た。毅然とした眼差しで、こちらを指差し力強く、

「そんな私にも武器がある。君に対しては、いいや、君に対してだけは絶対的な力を発揮する、他の何者にも持ち得ない武器が。それを今こそ見せよう」

 言葉の意味は理解出来ていなかった。それでも彼女が何かをするつもりなのは分かったし、それが如何なる攻撃であっても今の己には通じないだろうという確信があった。だが彼女が取った行動は自分にも、その場にいた誰であっても、恐らく想像すらつかないものだっただろうと断言出来る。

 ボタンを引きちぎる勢いでシャツの前を開け放ち、自らの胸を惜しげもなく晒すなどという行動は。

「どうかね!! 梔子君によく似ていると君に太鼓判まで押されたオパイが、臆面もなく放り出されているのだぞ!? いかに私が梔子君本人ではないとはいえ、時たま私の胸で安眠を貪っていた君だ!! 例え精神が限界まで荒んでいても、これを前にして何の反応もしないということはあるまい……!!」

 さあ、

「戻って来たまえ小鳥遊君!! 今ならこのオパイを一日好きに出来る権利を贈呈することも吝かではないぞ!!」

 

     ●

 

「いやー、あんな酷い光景、おじさん後にも先にもあれくらいしか見たことないよ、うん」

「だが効果覿面だっただろう? 梔子君のことで頭がいっぱいならば、なおのこと梔子君絡みでインパクトのある出来事を前にすれば意識がこちらに向くと踏んだのでね」

「あまりにも頭のおかしい言動に思考が停止したって方が近いんじゃないかなー」

「終わり良ければなんとやら、だよ。結果として全員無事で帰って来れたのだから問題あるまい」

 笑って言うのだからこの人は恐ろしい。後から聞いた話では「隙を作る」としか聞かされていなかったアヤネが頭を抱え、セリカはツッコミを堪える為に自らの二の腕をつねることに全神経を傾けていたそうだが、誰だって普通はそうなる。理解不能過ぎて私も止まったし。自分も脱ぐべきか真剣に悩んでたノノミちゃんと感嘆してたシロコちゃんはノーカウントで。

 だがかつての世界で先生と行動を共にし、その奇行にも耐性のあったもう一人のシロコは違った。こちらの停止を見て取った先生の合図より早く、先生を抱えて跳躍。こちらまでの距離を詰め切り、逆転の一手に繋げるというファインプレーだったのだが、経過があまりにもあんまり過ぎてどーしたもんだろーね。

「で、私の身を挺した訴えが一体どうしたのかね。自分の言動に責任の取れない生き方をしているつもりはないので、胸を貸せと言うのなら応じる所存だが」

 五分くらい悩んだがやめておいた。

「今の間は何かね小鳥遊君」

 胸を持ち上げながら言わない。揺らぐから。

「話戻すけど、もう一人のシロコちゃんと跳んで来た時、先生泣いてたみたいだったからさ。実は恥ずかしいの我慢してたんじゃないのー?」

 冗談めかして言ってみたが、嘘は言ってない。ただもし彼女の涙の理由が、力の化身と化した己の前に立つことによる恐怖が由来であったのならば、一度謝っておきたかったのだ。終わり良ければと本人は言うが、そうではない可能性だって十分に有り得たのだから。

 そんな想いで視線を向けた先、口を横に開いた先生が視線を逸らした。何事も超然というか、強気を通り越した別の何かみたいな振る舞いが常の彼女にしては珍しい。やはり怖かったのだろうかと、目が細くなる己を自覚していると、

「……答えないとダメかね?」

「お? お? 渋るってことはホントに恥ずかしかったり? いやー先生をからかうネタをゲットしておじさんホクホクだねー」

 おどけてみたが内心バクバクだ。そういった出来事で生徒への見方を変えるような人ではないと分かっているが、万が一の可能性を想像すると怖くもなる。やがて観念したのか、深く溜め息をついた先生が面を上げ、

「……事実無根の思い込みを吹聴して回られても困るので答えよう」

 まあ、何だ。

「仔細を知らなかったとはいえ、ああなってしまった小鳥遊君を見るのは些か以上に堪えてね」

「……それを言われちゃうと何も返せないなあ」

「ああいや、別に責めるつもりはない。どちらかと言えばショックを受けたというより、君のことを思った結果だ」

 それは、と先を促した私は、この時不覚にも失念していたのだ。

 普段はシロコちゃん共々ぶっ飛んだことを口にし、ガチャで爆死してはノノミちゃんに慰められ、セリカちゃんにツッコまれては笑って流し、アヤネちゃんに公私混同な仕事を持ち込み頭を抱えさせる。そんな人であるのは否定出来ないけれど。

「あんな風になるまで思い詰め、それを独り抱え込んでいた。誰に打ち明けることもなく、しかし皆の前では笑って見せていた。私達の知る君が、私達の知らぬ哀しみを得ていたことが、ただただ哀しかったのだよ」

 子供のような正論や感情を、臆面もなく表に掲げ、それを通し果たそうとする大人なのだと。

 こちらの境遇に同情したとかだったらまだいい。知ったような口を、と鼻で笑えば済む話だ。

 だが、自分以外の誰かが哀しみを得たことが哀しいと、そう口にして涙まで流す人がどこにいる。

 単なる感情移入に留まらず、己の危機すら厭わず手を伸ばし決して諦めない大人がどれだけいる。

「故に止めねばなるまいと決意を固くしたものだが、……いざ当人を前にして言うと気恥ずかしいねこれは。新手の羞恥プレイかね?」

 頬を掻きながら苦笑する先生に、言葉を返す余裕は残っていなかった。オパイをフルオープンされた時も大概だったが、当時を遥かに上回る衝撃をこのタイミングで食らうなど思ってもみなかったのだ。なまじ先生が距離を置くのではないのかと、発想自体が馬鹿らしい寂寥感からのギャップで破壊力は乗算され、

「……あ、う」

「どうしたのかね小鳥遊君、告白を強要された私以上にダメージを食らったような顔で。そもそも君が望んだ答えだよこれは。諸手を上げて万歳すべきところではないのかね」

 首を傾げながらそう口にする先生は、明らかに分かってやっている。こちらをからかうのと同時に、ツッコミという定型パターンで返せば普段の空気に戻しやすいだろうと、そういうところまで計算した煽りだ。本人の性格的に間違いなく楽しんでいるだろうが。

 とはいえ頭で分かっていても、感情がついて行くとは限らない訳で。

「……お」

「お?」

「屋上、忘れ物、取って来る」

「うむ、行って来たまえ。皆には遅れて来ると説明しておこう」

 片言で告げるのが精一杯のこちらに対し、笑って手を振り見送る余裕まである辺りやっぱり大人なんだなあ、と微妙な理不尽を覚えたが、これは現実逃避の一環だろうか。

 部屋を出て、扉を閉めるまでは平静を保った。少なくとも主観的には。が、そこまでが限界で、即座に全力で廊下を走り出し、二段どころか七段飛ばしくらいで階段を駆け上がり、タックルするように屋上への扉を開け、

「────っ!!」

 両手で顔を覆ってしゃがみ込み、復帰するまで三十分掛かった。

 ちなみに戻ったら水着ユミーリを引き当てたアヤネに先生が土下座していた。台無しだよ先生。




おだてると続きが増えるそうです
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