グラスアーカイブ   作:外神恭介

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ならメロンソーダのコーラ割りをお願いしようか

「やあ先生、お邪魔しているよ」

 読んでいた本から顔を上げ、戻って来た部屋の主にセイアはそう呼び掛けた。視線の先、抱えていた段ボールを下ろした先生が手を上げて、

「やあ百合園君、息災なようで何よりだ。飲み物は何が良いかね?」

「ならメロンソーダのコーラ割りをお願いしようか」

「なかなかアグレッシブなチョイスだね」

「茶会のような畏まった場でもないのだから、上品ぶる必要もないだろう? 幻滅したかい?」

「いやいや、百合園君の思わぬ一面が見られて幸いだとも。ではしばし待っていると良い」

 給湯室に向かう背中を、手を振って見送った。読書を再開し待つこと五分、盆を手に戻って来た先生がグラスをサーブする。テーブル中央、平皿に載せられたお茶請けは、

「ぽてとふりゃー……!!」

「さすがに今から揚げるには用意が足りないので冷凍食品だが、そこは大目に見てくれたまえ」

 ありがたくいただくことにした。お嬢様校であるトリニティではなかなか味わう機会のないジャンクフード。それを人目を盗むような形で摂取しているというシチュエーションが、ありふれた味を何倍も美味しいものに変える。こういうのはちょっと塩気が強いくらいがちょうど良いんだよ。ケチャップまで付いて完璧。素晴らしいね。

「百合園君、塩分過多は高血圧になるよ?」

「結果論では過程の楽しみは語れないよ?」

「不摂生を論理学で擁護とは大胆だね全く。そこまで言うなら好きにすると良い」

「ではお言葉に甘えて」

 塩の瓶を手元にキープしながら上機嫌で芋を貪っていると、先生が笑みを零した。こちら同様元は緑と茶色であった飲料の混じったグラスを手に取り、

「しかし随分と表情豊かになったものだね。少し前までは憂いを帯びた儚げな美少女という感だったが」

「そういえばそんな時期もあったね。すっかり遠い昔のことのようだよ。……それとも先生は、前の私の方がお好みかな?」

「深刻な悩みが解決すると人生楽しさが倍増しになるからね。そういう手合いに心当たりもあるので、さほど違和感は覚えないよ。周囲は色々と言うだろうが、君の望むようにすれば良い」

 それに、

「百合園君が笑って過ごせているのならば、私にはそれで十分だとも」

 ストレート過ぎて思わず動きが止まった。努めて冷静さを保ちつつ、頬の熱がバレないように肩を竦めてみせ、

「先生は口が上手いね。さぞ沢山の生徒の心を射止めて来たことだろう」

「ははは、弁が立つのは否定しないが、私は常に本心で話しているよ?」

 ポテトを指弾で弾くと事も無げにキャッチされた。そのまま平然と口に運び、首を傾げた先生が、

「どうしたのかね百合園君、疲れたような顔で」

「原因がいけしゃあしゃあと言うかい普通……」

 相変わらず過ぎて一周回って安心感を覚えるのは重症だろうか。やられっぱなしなのは正直癪だが、勝てる気が微塵もしないのも事実。仮に未来視の力を失っていなかったとしても、この大人を遣り込めるのはMURIだろうと、そのくらいには呆れにも似た信頼がある。

 参った。

 厭世的で諦観に満ちていた己が、こうも容易く心を揺さぶられるとは。それだけ先生との出会いや一連の出来事が衝撃的だったのは確かだが、自分でもキャラが変わって来たという自覚はある。それでもセイアはミカ程素直にアプローチ出来る性格ではないし、ナギサのような放っておけない危うさもない。口調故か普通に話していてもどこか不自然さというか空々しさを醸し出してしまい、雰囲気作りにも一苦労だ。その辺り先生は奇行のパンチ力があり過ぎて、何やってても大体「まあ先生だし」で流せてしまうのはかなり強い。やはり私もあのぐらいアグレッシブにならなければいけないのだろうか。

「何やら愉快なことを考えてはいないかね百合園君」

 誰のせいだい一体。

「……先生は自分の言動を省みて疑問を抱いたりしないのかい?」

「目下慎ましく一般的な生活を送っているつもりだが、そこに何か疑問でも?」

「うん、聞いた私が馬鹿だったよ」

 匙を投げた。冗談なのか本気なのか全く判断が付かない辺りどうしようもない。無論それだけでこの複雑怪奇な人格が出来上がっている訳ではなかろうが、少なくとも今のセイアにそれを読み解くのは難易度が高過ぎる。

 ……そんなやり取りでさえ悪くないと思っている私自身が一番どうしようもないのだけど。

 などと思いつつメロンソーダのコーラ割り、名付けてメーラを口に運ぶ。炭酸の刺激が心地好いが、心の内は晴れることなく、

「フフフ頬杖着いてアンニュイな表情も絵になるね百合園君」

「見世物ではないのだからやめてくれ」

 残念だ、と先生があっさり引いた。手に取った塩の瓶を振り味変に勤しんでいるが、ちょっと多過ぎじゃないだろうか。ただでさえ自身の摂生には鈍感な人だし、かと言って先程注意された手前自分を棚上げするのも難だ。後でミカに告げ口しておこう、と吐息したセイアはポテトの平皿に手を伸ばし、

「……?」

 何かがおかしいと、そう思った。

 

     ●

 

 先生は現在進行形で、塩の瓶を手にしたままだ。だがそれはつい先程まで、セイアが手元でキープしていたもの。応接セットのテーブルを挟む位置関係上、先生は身を折って手を伸ばすか、一度席を立たねば手に取ることが出来ない。なのに、

 ……いつの間に?

 ダベってはいたが、曲がりなりにもティーパーティーの一員だ。有事に備えての警戒は、意識せずとも反応を返す。特にエデン条約の一件以降、先生が各学園上層部に護身術を指導しているのだ。知らぬ間に至近で気配を察せば飛び退くくらい、現行の役職持ちなら基本技能と言って良い。だと言うのにセイアの意識も無意識も、先生の動きを察知出来なかったとしか思えず、

「────」

 こちらの視線に、先生が笑った。気付いたかね、とでも言わんばかりに。そして彼女は瓶を置き、先の会話を続けるように、

「では謝罪も兼ねて、百合園君に一つ面白いものを見せよう」

 言葉が終わると同時、舌に塩の味が来た。

 眼前、先生の手が伸ばされていた。こちらへと。その指先は一本のポテトを摘まんでおり、それが己の口の中へと捻じ込まれている。その光景だけ見れば親しい友人か、仲睦まじい恋人か、いずれにせよ見掛けなくはないものだろう。

 セイアが先生の動きを全く知覚出来ていなかったことを除けば、だが。

「今のは──」

「歩法、というものだ。私の師達が仕込んでくれた技の一つだよ」

 ポテトを咀嚼し飲み込んでからの問いに、先生が肩を竦めた。姿勢を正すこちらに向けて、彼女は一歩指を立てる。

「いいかね? 百合園君の視線の先、意識の中心がここだとしよう。その後ろにいる私の存在は知覚出来ているだろうが、おぼろげで正確な把握は難しい。そうだね?」

 戸惑いつつも頷きを返す。すると立てた指を動かさぬまま、先生が座る位置を横に移した。その動きはセイアの視界の端側で行われたもので、どれだけ動いたのか明確な距離は分からない。その上で先生が立てた指を下ろせば、もはや黒いスーツ姿は曖昧な輪郭しか捉えられず、

「さて、これで私は百合園君の知覚からズレた位置に移った訳だ。このズレをより深く大きなものとされたら、実際に触れられるまで気付くことは難しいだろう?」

 言われ、その意味を理解したセイアは正気を疑い二秒後にそれをやめた。

 要は体捌きの一環だ。人の身に完全なマルチタスクは不可能であり、相手と一対一で対面していようと意識はどこか、主に目や顔、上半身等に寄る。その集中の外へと少しずつ己をズラし、その乖離が一定以上に積み重なれば、知覚から抜け落ちることも出来るだろう。気もそぞろな時周囲の音が己の耳を素通りするように、通行人の顔を一々全て覚えないように。だが、

「原理は分かったが、実行するには難易度が高過ぎないかい? まあ、先生ならやるだろうというか実際にやっている訳だけど」

「伊達に何人もの生徒を受け持ちプロフィールまで記憶している訳ではないよ。個々人の特徴、視線、注意の方向、間合い、思考パターン等はおおよそ把握している。加えて先程は大仰な前振りで、百合園君の意識を傾けてもいた。これだけ揃えば実行するのはさほど難しくはない」

 言い終わる頃には先生が隣に座っていた。驚きから身を跳ねさせると、苦笑した先生が立ち上がり、

「この技に必要なのは相手の意識や癖を見抜く観察力と、僅かな隙に己を潜り込ませる為の判断力と思い切りだ。百合園君向きの技能だと思うが、自衛手段の一つとして履修してみては如何かね」

 無茶を言う、とセイアは口を横に開いた。理屈の面では先生の言に嘘はないが、それはあくまで理屈に過ぎない。相手の集中の先を捉えたところで、抜け落ちるには身体が出来ていなければ不可能だろう。運動初心者が大技に挑戦し失敗するように、途中で察知されるのが関の山だ。セイアも活動的になったとはいえ、基礎体力は同年代と比較しても低い。そんな己がこのデタラメ技術を身に付けようなど、

 ……無理があり過ぎじゃないかい?

 思い、俯いていた視線を上げれば、先生は変わらず嫌味のない笑みを浮かべていて。しかしその背後、彼女に気付かれぬまま忍び寄る影が一つあった。

 シロコだ。

 

     ●

 

 自称シャーレ部員の中でも、最古株と言って良い存在。そんな相手が今絵に描いたような不審さで、先生の後ろから近付いている。ナレーションを付けて良いのなら、抜き足差し足忍び足という表現がこれ以上似合う状況もあるまい。細心の注意を払い、眼前のセイアに意識を向けている先生の隙を突いて、勢い良く背中から飛び掛かり、

「残念賞だ」

 合気道染みた動きで縦に一回転させられたシロコが隣のソファーに正座で軟着陸した。

 虚を突かれたようにシロコが目を瞬かせ、緩慢な動きで先生の顔を見上げる。そこでようやく理解が追い付いたのか、俯いて肩を落とし、

「……失敗した」

「殺気、と言うのも語弊があるが、力み過ぎたね。自然体の方が違和を覚えにくいので、次はもう少し落ち着いて──」

「──こんな感じ?」

 もう一人のシロコが、己の指を絡ませるようにして先生と繋いだ手を掲げて見せた。

 歩法の対象ではなかったであろうセイアにすら不知覚の動き。悪用すれば暗殺すら可能とするであろう技を受け、しかし先生は狼狽えることもない。握られた手に軽く力を籠めると、制服姿の教え子の成長を喜ぶように目を細め、

「砂狼君に意識が向いた一瞬の隙を突いて来たか。なかなか出来るねデカ狼君」

「ん、今のは状況が良かった。本気の先生と一対一じゃ出来る自信はない」

「謙虚なことだ。だが、今はまだ、と続くのだろう?」

「気を付けてね、先生。気を抜いてると色々危ないから」

 口の端に笑みを乗せたシロコが、名残惜しそうに手を解いた。そのまま彼女はこちらのシロコを見下ろすと、

「……ふっ」

 シロコが拳を振り上げてダッシュしもう一人のシロコが綺麗なフォームで走り去って行くのをセイアは先生と見送った。

「とまあ、実際に出来た例がいた訳だし、そう重く考えることもないと思うがね」

「……貧弱な平部員とフィジカルに優れた部長補佐を比べないで欲しいものだね」

「仮にも一学園のトップが言えた義理ではなかろう。あと公的にシャーレの部員は存在しないので、語弊のある言い方は控えるように」

 Tes.、と気のない返事を返しておき、セイアはソファーに身を沈めた。酷く疲れたような気がするのは、単なる錯覚ではないだろう。先生といると退屈しないのは周知の事実だが、事と次第によってはその日の気力を丸ごと持って行かれかねないのが難だ。これに平然と付き合う自称部員の役職持ちはやはり格が違う。実は裏では疲れて寝てるかもしれないが。こんな環境で暮らしていればミカが逞しくなるのも納得というか、そもそも正気を保っている時点で適性が高過ぎる。ティーパーティーの一角で獣耳と尻尾持ちのシマエナガ連れた元予知夢使いという己もかなり濃い方だと思っていたのだが。

 ともあれ、と面を上げたセイアはナプキンで手を拭う。傍ら、すっかり冷めてしまったポテトをムキになって口に詰め込んでいる背中に向かって、

「面白くはあったが履修は無理だろう。アビドスの銀狼でも不完全な動きなど、私には到底──」

「──出来る訳がない、と思っていたエデン条約の事態を収拾した私の言が信用出来ないかね?」

 最後の一本を咥えた先生が、ウェットティッシュで手を拭きつつ振り向いた。差し出されるパックを受け取ると、彼女は改めて隣に座り、

「何も悦に浸る為にこの技を披露した訳ではないのだよ。率直に言えば、百合園君にこそ知っておいてもらうべきだと思ってね」

 何故なら、

「結局のところ人は主観の中で生きている。ならば後は何事も捉え方次第だよ。一歩ズレるだけで見え方は変わるし、誰もが思わぬ一面を秘めている。一部だけを見て物事を判断してしまうなど、人生を詰まらなくするだけだ」

 そうだろう? と笑みの花が咲く。

「踏み出すことに恐れもあろう。だが決してそれだけでないことは、エキスポの一件で体感したはずだ。ならば諦めなど捨ててしまえ。この私が保証しよう。君なら何もかもが出来る、と」

 それに、

「この歩法を習得すれば、心配性な二人から隠れて好きに色々動き回ることも出来るようになるよ?」

 気軽に、散歩にでも行くように付け足された一言に呆気に取られ、しかしセイアは笑ってしまう己を止めなかった。

 ウェットティッシュのパックを抱えたまま故、口元を隠すことすら出来ず。だからこそセイアは己の内に生じた嬉の感情を、余すことなく自覚する。

 全く、とセイアは思う。この人は他人の不可能を、どれだけ壊せば気が済むのか。

 諦観。無力感。至らず、及ばず、やがて身を浸す絶望を、しかしこの人は否定する。

 どれだけ困難な道行きであろうとも、必ず道をつけてみせる。

 そんな馬鹿が出来ると言うのなら、応じぬ方がよっぽど馬鹿だろう。

「先生も人が悪いね」

「悪役なのだから当然だろう?」

 そう、悪役。お世辞にも清廉潔白とは言えない、やることなすこと無茶苦茶ばかりで。

 だけどそんな完璧ではない人だからこそ、可能性にゼロは存在しないという体現者だ。

 理不尽も不条理もある不完全な世界で、しかしそれだけが全てではないのだから、と。

「感謝するよ先生。……どうやら私も、まだまだ頭が固いようだ」

「撫で心地は抜群だと思うがね」

 しれっと頭に手を置きつつ言うのだから本当に人が悪い。普段は近寄り難い程の狂人なのに、必要な時は必ず傍に寄り添う。そんな先生が支持するからこそミカやナギサ、他沢山の生徒達も、様々な出来事を乗り越え前に進めたのだろう。

 ……なら、私だけ足を止めるのは怠慢だね。

「先生」

 頭上の手をそっと持ち上げ、席を立ったセイアは振り向く。袖を捲り、先生へと手を差し伸べ、

「見覚えることが出来る程簡単なものでもないだろうが、もう一度見せてもらっても良いだろうか」

「おや、随分とやる気に火が付いたようだね」

 当然だろう、と肩を竦めた。口の端に作ったものではない、自然な笑みを浮かべつつ、

「あれだけ焚き付けたのだから、練習に付き合うくらいは期待しても良いのだろう?」

 

     ●

 

「──だからね? こう、力尽くで先生引っ張ってこうとしたんだけど、ぐるんて回ったと思ったらソファーに座ってて、あと五分で片付くからもう少しだけ待っていてくれたまえ、とか言われちゃってね?」

「あの、ミカさん、……一応ティーパーティーの定例会議なんですけどコレ」

「厳密過ぎると心を病むよナギサ。それに、先生の動向を聞いておけば健康状態を把握する助けにもなる。いざとなったら救護騎士団を引き連れてシャーレを強襲しなければならないだろうしね」

「……どうしてそう極端なんですか手段が。目的自体は全面的に同意しますけど」

「あ、決行する時は事前に知らせてね? 顔出してる面々によっては私が抑えないといけないだろうし。そして最後のドーナツげーっと!! ……あれ?」

「油断したねミカ。シャーレ臨時副長を拝命される機会が多くなって、少し浮かれているんじゃないかい?」

「えっ、えっ、何今の!? いつの間に!? 全然気付けなかったんだけど!?」

「別段妙なことはしていないよ。しかし仮にも武のナンバー2が、平の部員に後れを取るとは。これは下剋上も視野に入れるべきかな?」

「うーわ言ったね!? 言ったね!? そのドーナツ絶対取り返す!! 待てー!!」

「はっはっはっ、捕まえられるものなら捕まえてみたまえ」

「……片付け、私一人でやらざるを得ないんでしょうね……」

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