グラスアーカイブ   作:外神恭介

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いえいえ、先生には常々お世話になっておりますので。それはもう色々と

 トリニティ総合学園。

 伝統ある格式高い学園であり、キヴォトスでも三本の指に入るマンモス校。清楚さやお淑やかさ等、良家の子女を思わせる生徒が多い校風ではあっても、年頃の女子であることに変わりはない。三人寄れば姦しいとも言うように、学園内は賑やかで活気に溢れたものだ。

 そんな敷地内にあって、唯一と言っても良い静かな区画があった。

 大聖堂だ。

 シスターフッドの活動拠点でもある祈りの場。懺悔や相談を受け付ける場所でもあるが故に、周囲の喧騒もここまでは届いて来ない。荘厳な外観も相俟って神聖さを醸し出す一帯は、しかし今日この時に限っては別の理由で沈黙を強いられていた。

 入口前に佇む一人の少女と、そこに歩み寄る一人の女性が原因だった。

 遠目であっても人目を惹く見目麗しい二人。だが遠巻きに彼女達を見守る生徒の視線は、好奇心を孕みつつもどこか敬遠さを感じさせるもの。そんな注目の中にあっても、一切委縮した様子を見せないこともまた、二人のどこか浮世離れした印象を加速させる。

「待たせたね」

 女性が声を掛けると、少女は可憐な笑みと共に一礼した。

「ようこそお越しくださいました、先生」

「うむ、こちらこそお招きいただき光栄だよ歌住君」

「いえいえ、先生には常々お世話になっておりますので。それはもう色々と」

「お互い様、と返しておこうか。君からいただいた情報の数々は私も有用しているのだから」

「まあ、先生のお役に立てたのなら光栄です。これも引いてはトリニティやキヴォトスの安寧の為ですので」

「いやはや全くその通り。さて、立ち話もなんだし続きは中でと行こう。あまり表立って話すことでもあるまい?」

「それもそうですね。では、こちらへ。いつもの用意は済ませておりますのでご心配なく」

「フフフ、随分首を長くして待っていたようだね。その期待に応えられるだけの物を持って来たつもりだ。楽しみにしておくと良い」

 和やかな談笑と共に、二人が大聖堂の中へと消えて行く。その後ろ姿が見えなくなると、疎らに推移を見守っていた生徒達が動きを再開した。それは己と同じような者達と顔を見合わせるもので、やがて二人が去った方を一瞥し、

「…………」

 全員がそそくさと距離を取った。

 

     ●

 

「ん、んー……!!」

 サクラコは、幸せというものを改めて感じていた。

 大聖堂内、シスターフッド居室。来客用の応接セットも備えた室内で、先生と茶会の席を囲んでいる最中だ。

 エデン条約以降シスターフッドと救護騎士団もトリニティの運営に関わることにはなったが、未だ安定したとは言い難い。現在においてもホスト代行であるナギサがその責任感の強さから、自分以外に業務を振りたがらない為だ。当然ミネは良い顔をしていないが、それは不信からではなく心配故のもの。そこで先生に相談を持ち掛けた結果、折良くと言っては難だがトラブルが重なった為一計を案じたのだ。

 先日のナギサの業務逼迫の際、助力願いを受けた先生はティーパーティー代行としてこちらとミネを招集。シスターフッドや救護騎士団の権限で対応可能な案件を「シャーレ名義で依頼」という建前を以て秘密裏に分配した。

「どれだけ小さなことでも良い。君達が桐藤君の作業を一つだけでも出来るようになれば、彼女は確実に一つ楽になる」

 とのことで先生がお膳立てしてくれた簡単な案件を多く捌くことを優先とし、経験を重ねることで習熟度を上げた。

 その後ほとぼりが冷めてから三団体による会談の場を設け、先生が真実をぶっちゃける。一度実績を作ってしまえば、心情はともかく公的に断る理由はなく、能力にも不足はない。それらの大義名分とミカやセイアの後押しもあり、そこでようやくナギサが折れた。

 最も彼女自身以前程の頑なさはなく、何かしら心境の変化があったのだろう。少しずつだが助力を乞われることも増え、負担は確実に減りつつある。だがまだティーパーティー以外には余力があるのも事実なので、サクラコは更に一つ手を打つことにした。

 友人や知己の伝手から学園内の情報を集め、不安材料があれば先生に相談を持ち掛けること。元よりミカの件で生徒達の動向を気に掛けていた先生にとっては渡りに船で、どれだけ小さな件であっても対応の際にはナギサ達やミネに話を持ち掛け協力すること、プライバシーに関わる場合口外しないことを条件に許可が下りた。結果だけ見ると諜報組織のようになってしまっていることは先生にツッコまれたが、今のところトラブルなく回っている。そしてこちらの意を汲んでくれた先生は、隔週で行う報告会の際に時たま手製の差し入れを持って来てくれるようになったのだが、

「本当に、先生は料理がお上手で……。腕前については聞き及んでいましたが、このようなスイーツまで作れるとは」

「昔研修を受けた際、その辺りに明るい者達が多くてね。今になってこんな形で役に立つとは夢にも思わなかったが」

 焼きたてのアップルパイに舌鼓を打つこちらを、先生は紅茶のカップ片手に見守っている。だが発言の内容が気になって、サクラコの意識がスイーツから離れた。一度フォークを置き、対面に座る青の瞳を見据え、

「先生の恩師、ということでしょうか。以前お伺いしたお話の……」

「いや、それとは別だ。どちらかと言えば同期や同僚という方が近いが、顔を合わせれば嫌味や皮肉が飛び交う腐れ縁のような連中だよ。見苦しくてとてもお見せ出来たものではない」

 苦笑で言う言葉の割には、表情に忌避や嫌気といったネガな感情は見えず。気の置けない友人達だったのだろうと、そんなことをサクラコは思う。どんな人達なのでしょうか、とも。だが詮索するのも悪いと思い、それ以上触れることなく話題を戻す。

「マリー達が相席出来ないのを残念がっていましたが、同時にこうも言っていました。きっと以前の差し入れのように、冷めても美味しいのでしょうね、と。シャーレに食事処などを開いたら、毎日沢山の方が詰め掛けそうですね」

「その気になれば店を構えることも出来るだろうが、さすがに専門で知識や技術を身に付けて来た者達には敵わんよ。如何に私でもそこまで傲慢ではないのでね。分相応に、私は私に出来ることだけやれば良い」

 ゲヘナの給食部や美食研究会にも一目置かれている時点で十分だと思うのだが、相変わらず冗談なのか本心なのかが掴みづらい。だがそこに呆れはあっても警戒がないのは、芯の人柄故でしょうかと、そんな苦笑と共にフォークを手に取って、

「ところで歌住君、先程の表でのやり取りだが、周囲からドン引きされていたのに気付いていたかね?」

「えっ」

 思うより早く声が出た。そのままサクラコは右を見て、左を見て、もう一度右を見てから視線を戻し、

「えっ」

「……やはり素だったか」

 どこか遠くを眺めながら零す先生の声が酷く憐れみを帯びていたのは、気のせいだと思いたいサクラコであった。だが先生はこちらに向き直ると、大聖堂の入口側を後ろ手に示し、

「では改めて先程の会話を復唱してみよう。省略抜きで意図は正確に。ハイ、スタート」

「え、ええと……、ようこそお越しくださいました、先生」

「うむ、こちらこそお招きいただき光栄だよ歌住君」

「いえいえ、先生には常々シスターフッドの業務補佐などお世話になっておりますので。それはもうマリーにヒナタのことも含め色々と」

「お互い様、と返しておこうか。君からいただいた質の良い茶葉の店等の情報の数々は私も有用しているのだから」

「まあ、先生のお役に立てたのなら光栄です。これも引いてはトリニティやキヴォトスの安寧、シャーレや訪問先の生徒の皆様が楽しく健全な学生生活を送る為ですので」

「いやはや全くその通り。さて、立ち話もなんだし続きは中でと行こう。私手製の差し入れなどあまり表立って話すことでもあるまい?」

「それもそうですね。では、こちらへ。いつもの紅茶の用意は済ませておりますのでご心配なく」

「フフフ、随分首を長くして私の菓子を待っていたようだね。その期待に応えられるだけの力作を持って来たつもりだ。楽しみにしておくと良い」

 復唱終了。そのまま十秒が経過し、三十秒、一分、三分と経ち、しかし先生は口を開かず、

「……?」

 首を傾げると、先生が額に手を当て天を仰いだ。

「何というか、君は本当に苦労人というか、艱難辛苦の星の下に生まれたというか……」

 何かマズいことを言っただろうか。内心気まずい汗を掻いていると、半目になった先生が姿勢を戻し、

「もはや無意識の領域だと思うのだが、歌住君は聡明であるが故に言葉の選び方が難解なものになりやすく、しかも己が理解していることを他人も理解しているものと思い省略して会話を進める傾向がある。専門用語を塗り潰された説明書のようなものだね。私や浦和君ならば追従することも可能だろうが、残念ながら世の中そうではない者の方が多い。ましてやトリニティは派閥争いから周囲へ疑念を抱きやすい土壌が出来上がっており、そんな中で要領を得ない歯抜けの会話が行われていれば……、後は分かるね?」

 熟考三秒。サクラコはテーブルへと突っ伏した。

「私、一体何を間違えたのでしょうか……」

「古来より人は群れると派だの所属だの対立の種を蒔くのが大好きな度し難い生き物でね……。割を食うだけになる君や桐藤君がいなければ躊躇いなく自治区ごと解体するのだが」

 しれっととんでもないことを言っているが、今はちょっとそれどころではない。どうにも自分は己の意図しないところで誤解されがちというか近寄り難さを醸し出しているようなのだが、原因が無意識レベルの言動とか一体どうしろと。だがそこでサクラコは一つの事実に気が付き、慌てた動きで身を起こす。

「さ、先程の復唱を鑑みるに、先生だって省いているではありませんかっ」

「私は周囲からどう思われたところで気にもせんよ。むしろ悪辣だの得体が知れないだの言われる方がハッタリも利いて有用だ」

 そうだった。この人根っこが善なだけで思考も行動も黒い方が多いんでした。悪役を任じる身からすれば生徒の盾になりやすくて好都合とか、平気でそう思うタイプ。これでは比較対象にならないというか相手が悪過ぎる。そんな優しい偽悪者の彼女は、素知らぬ顔でこちらのカップに追加の紅茶を注いでおり、

「……損な生き方ですね」

「君には負けるがね」

「先生と違って望んでやってる訳じゃないんです……」

「おや、普段の活動のことを言ったつもりだったのだが、違ったかね?」

 マリーやヒナタに残す分のアップルパイを取り分けつつ、先生はそう首を傾げた。

「聖園君から聞いているよ。ボランティアの手配や、嫌がらせ避けにシスターフッドからも人員を出してくれていると。それらも全て望まずやっている、と?」

「それは……、人として当然ではありませんか? 隣人に救いの手を差し伸べること。ましてや知らない仲でもないのですから、困った時はお互い様です」

「同じことだよ」

 はい? と伏していた身を起こし問い返した先、先生は笑っていた。目を細めただけの、木漏れ日を見上げるような優しい表情で。

「私は今の生き方を損や大変だと思ったことはない。自ら望み、そう在ろうと決めた役割だ。その信念が揺るがぬ限り、労はあっても苦はないのだよ」

 それに、

「例え私がどうであろうと、砂狼君や早瀬君、小鳥遊君に空崎君、聖園君。他沢山の生徒達も、私を信じ応えようと力を貸してくれている。彼女達がそう思えるような存在であったというだけで、私にとっては十分だ。例え世界全てから否定されたとしても、笑って流すことが出来るだろう」

 そして、

「君とてそういった、芯に抱えた思いがあるからこそ、あの時ユスティナ聖徒会の礼装を纏い駆け付けてくれたのではないのかね?」

 言われ、もう随分と昔のことのように思える一連の出来事を思い返し、サクラコは思わず苦笑した。居住まいを正し、会釈を送って吐息を零して、

「先生のお話を聞いていると、先生がどこにでもいるようなありふれた方に思えてしまいますね」

「ははは、私など所詮ごくごく普通の天才女教師に過ぎんよ」

 秒で矛盾しているがそういう人だ。先のやり取りだって遠回しにこちらを励ましていたのだろうし、素直に感謝しておくべきだろう。彼女もまたそれ以上は触れず、取り分けた小箱を脇に避けて、

「しかし話を戻すと表の一件、私としてはどこかで歌住君に違和感を抱いて欲しかったのだが、コレは一筋縄では行かなさそうだね」

 ふむ、と先生が腕を組む。そのまま上を見て考えることしばし、視線を戻した彼女は口の端に笑みを乗せ、

「歌住君、迷える君に一つ提案があるのだが」

 何でしょうか、と小首を傾げ視線を向けた先、先生がカップを置いた。茶器や食器を纏め、荷物を手に席を立ち、

「先程も言った通り、トリニティは疑心暗鬼が増長しやすい。ならば場所を変えてみるというのはどうだろう」

 言って、胸元に下がった連邦捜査部シャーレ顧問の名札を掲げた先生がこちらに手を伸ばした。

「シャーレは武力を禁じた中立の場。ならば気兼ねなく他の生徒と関わることも出来ると思うが、試してみる気はあるかね?」

 

     ●

 

「……しかし結局我々も、多忙と言いつつ頻繁にシャーレへ訪れているね」

 不意に零したセイアの本音に、隣を歩くナギサが息を詰めた。

 足を進めるのはシャーレオフィスビル内、執務室に繋がる廊下だ。窓越しに見える空は徐々に日を落としており、夕暮れになるのもそう遠いことではないだろう。本来であればティーパーティーの業務を行っている時間だが、今日は早めに片付いたのでこうして先生の元へ足を運んでいる。先程の一言で菓子折りを抱えたまま歩みを止めているのが一人いるが。

「ナギサ、別に咎めたかった訳ではないよ。私自身ここにこうしている時点で同罪だからね。今のは単に、人は案外簡単に変わるものだなと、そんな感慨に浸っていただけだ」

「……ですが、先生はシャーレの案件で常に多忙なのですから、公務でもないのにお邪魔するのも……」

 俯いて吐息するナギサは生真面目が過ぎるとセイアは思う。先日先生と仕事を捌いた日以降、少し前向きになってはいるようだが、気を遣い過ぎるところは相変わらずだ。間違いなく損をするタイプ。元よりこのキヴォトスにおいて、ここまでしっかりとした性格でいること自体が奇跡に等しいのだが。きっとその理由は、

「まあまあ、気にし過ぎなくても良いと思うよ? 折角お仕事終わってフリーな時間なんだし、好きに使っても許されるって」

 能天気ともいえるこの幼馴染が、上手くバランスを取るのだろう。

「先生も言ってたよ。来る者は拒まず、ただし去る者は地獄の果てまで追い掛けるって。ここまで来て帰ったら、逆に先生が追い掛ける方が手間掛けさせちゃうと思うけど?」

 笑みでそう告げるミカに、セイアは正直感嘆した。吐息と共に肩を竦め、両の手を広げて見せ、

「ゴリゴリの武闘系だったミカがそんな詭弁で説き伏せに掛かるとはね」

「その擬音は何かの暗喩かな? ねえ」

「ははは気のせいだから安心してくれ」

 全くもー、と頬を膨らませたミカが、ややあってから表情を崩した。ナギサの後ろに回り、背中を押すことで遅れた分を取り戻しながら、

「まあ、ちょっと前までの私だったらナギちゃんと同じようなこと考えたかもしんないけどさ。悲観的になっても現実は変わらないじゃん? だったらあーだこーだ理由付けて足を止めるより、何とかなるなるーって動いてから考えれば良いんだよ」

 だって、

「そういう誰かを絶対に放っておかない人が、助けになってくれるから」

 笑みで断言する姿に、かつての陰りはどこにもない。仮にまた己の身に何かが降り掛かったとしても、彼女は自分を諦めず前を向けるだろう。どうとでも出来るはずだと、一切の疑いを抱くことなく。

「……本当に、人は変わるものだね。ミカ」

「自称悪役に毒されちゃった☆」

 笑って言うミカに、ナギサも少しだけ表情を緩めた。だからセイアは躊躇うことなく、辿り着いた先の扉を開ける。壁一面が窓となった一室だ、差し込む光に目を細め、逆光の中に立つシルエットを認めて、

「ちゃろー★」

 腰に手を当て顔の横でピースをキメたサクラコがそこにいた。

 

     ●

 

 ……わーお。

 何かなコレ。ちょっと理解が追い付かないというか、想像の範疇超え過ぎだと思う。でもよくよく考えるとシャーレ周りでは割とよくあることだった。そう、ドアを開けたら紙飛行機が雪崩を起こしたり、大量のプラモでジオラマ作り始めてたり、ブリッジの四足歩行で徘徊してたりとか。じゃあいっか。うん、解決。

 ……いやいやいやいや。

 落ち着こう。想定外のあまり動揺したのは分かるけど一旦落ち着こう。ホシノちゃんも戦場では冷静にって言ってたもんね、うん。ここ戦場じゃないけど。先生の争奪戦という意味ではバチバチの激戦区だけどね……!!

 ……ハイ現実逃避終わり。

 まず彼女の発言だが、意味はサッパリ分からない。先生の不規則言動くらい意味が分からない。つまり先生の仕業かなコレ? 少なくとも一枚噛んでいるのは確実だと思うので後で問い詰めて超叱る。違ったら謝ろう。

 ただ、とミカは思う。今の発言のタイミングは、挨拶っぽかったよね、と。

 エデン条約時の公的な処罰におけるボランティア活動について、斡旋してくれるのは主にサクラコだ。単身では嫌がらせに遭うやもと、シスターフッドのメンバーを同行させてくれる手配など、色々と世話になっている。無論そういった場合はお互い事務的なやり取りしかしないが、かといってオフでここまで弾けるようなタイプにも見えなかった。

 連動して思い出すのは一つの過去。ナギサから緊急の呼び出しを受け、武力による鎮圧を依頼された時のことだ。

 確かあの騒動も、サクラコやミネのイメージアップが図りたいという思いからスタートしたものだったはず。わっぴーとかよく分からないことも言ってたし、これもまたそういう謎言語の類だろう。そんな彼女がシャーレで他生徒とコミュニケーションというのは、まあ分からなくはない。謎言語だけはフォローのしようがないけど。

 ……だとしたら……。

 ミカは決めた。己が取るべき行動を。

 

     ●

 

 ……ど、どうでしょうか……!!

 期待と緊張と不安がない交ぜになった思いの中、サクラコは相手のリアクションを待っていた。

 あの後先生と共にシャーレへと移動し、この新たな親しみやすい挨拶を授けられた。鏡を前に練習もした。それはもうアイドル活動の際と同等かそれ以上の熱意を持って取り組んだ。

 その成果を披露するのがまさに今この瞬間。

 まさか一発目のお相手が同じ学園の、しかもティーパーティーの三人になるとは思っていなかったが。だが冷静に考えるとミカはシャーレの預かりであり、鉢合わせる可能性は十分にあったのでこれは私の見積もりが甘かっただけですね。反省。

 だがここはトリニティの外であり、中立が約束された場所。ならばそう悪い反応はないだろうと、祈るような気持ちでサクラコは待つ。

 永遠にも錯覚される時間の中、やがてある動きが生まれた。それは正面に立つセイアと、その隣に立つミカがこちらと同じポーズを取るもので、

「ちゃろー☆」

 通じた……!!

 

     ●

 

 これはどうしたものだろうね、とセイアは内心楽しさと困惑が半々だった。

 シスターフッドの代表であるサクラコがいる。これはまあ分かる。生徒である以上シャーレを訪れることに否はないし、決して知らない相手でもない。こちらを出迎える位置で待ち構えていた理由は全く分からないが、手掛かりは彼女の第一声にあった。

 ちゃろー。恐らくはチャオとハローを組み合わせた造語の挨拶、というところまでは推測出来た。サクラコの天然気質については、共通の友人であるハナコからも聞いている。唐突過ぎて面食らいはしたが、先生という頭のおかしい比較対象がいたので復帰もすぐだった。不規則言動の絶えない彼女のことだ、今日一日はこの謎挨拶で応じない限り執務室は立入禁止とか、そのくらい思い付きでやり始めかねない。

 郷に入りては郷に従え。余程の無茶や理不尽ならともかく、奇声一つなら可愛いものだろう。最近は何事も挑戦がセイアの信条。故にポーズまで付けて応じてみた。ミカまで乗って来たのは予想外だったが、彼女もまたシャーレでの暮らしで色々と学び成長しているということか。そんな保護者みたいな感慨も抱きつつ、さてお相手の反応はと言えば、

「……!! ……!!」

 瞳を潤ませながらこちらとミカの手を取り、振り回す勢いで握手された。感極まっているのか声にならない声を上げつつ、背後の先生に嬉しそうな表情を向けてもいる。ほぼ間違いなく仕掛け人であろう先生はこちらに親指を立てながら全力で笑いを噛み殺しているので、サクラコが落ち着いたら超叱る。

 ……しかし、色々と怪しげな噂の多い人ではあったが……。

 まさかこんなに愉快な人だったとは。最近のアグレッシブなセイアとは良い友人になれそうな気がするのは錯覚だろうか。まあ元々天然が強いだけの善人で、その天然がかなり前衛的というか未来に生きてるだけの人だというのは節々から察せていたし、これを機に友誼を深めればお互い慣れるだろう。先生の奇行に比べればまだまだ正気の範疇だしね。だが、

「……おや?」

 不意に硬質な音が聞こえ、獣耳を跳ねさせながらセイアは振り向いた。背後、抱えていたはずの菓子折りを落とし、身を震わせている姿がある。

 ナギサだ。

 しまった、とセイアは思う。サクラコも大概天然だが、この手の冗談が全く通じそうにないのがもう一人いたね、と。

 ……まあ、先生もいるしどうにでもなるか。

 ネタの範疇で状況を更に混乱させに来るかもしれないけどね。

 

     ●

 

 ナギサは、混乱の極みにいた。

 ミカの励ましもあり、暗いことばかり考えるのはやめようと、そう思った直後に出くわすにはインパクトがあり過ぎだった。直前まで揺らいでいた心の均衡を、一瞬で傾けるには十分過ぎた。

 何がいけないかと言えば、やはりそのタイミングだったのだろう。今日は一日大聖堂に詰めているはずのサクラコが、シャーレで出迎えをやっていたのがまたいけない。しかも謎の奇声に対し、自分以外が即座に応じたのが更にいけない。

 点と点が線を結び、平時であれば馬鹿馬鹿しいと切り捨てるような一つの疑念を抱かせる。

 よもや己の知らぬところで、何かの事態が動いているのではないか、と。

 つい最近もナギサの負担軽減の為とはいえ、先生は秘密裏にサクラコやミネと連動していたのだ。不甲斐ないホスト代行を見兼ね、ミカやセイアに話を持ち掛けた可能性は十分ある。

「……えーと、ナギちゃん?」

 こちらを怪訝に思ったのか、振り返ったミカが首を傾げる。そこに作為は感じられないが、かつて己の裏を掻いたこともある彼女だ。本気で演技に徹すれば、真意を見抜けるかどうかは分からない。

 ……いけません。

 心の中の冷静な部分が声を上げる。あれだけの事件を経たのだ。今更ミカがそのようなことをするはずがない。ナギサやセイア、何より先生の信頼を裏切るようなことをするなど、絶対に有り得ないことだ。

「……桐藤君?」

 だが、その絶対に有り得ないことを信じて疑わず、各方面に多大な迷惑を掛けたのは誰だ。その結果ティーパーティーの名を貶め、先生にも苦労を掛けたのは一体どこの誰だ。

「桐藤君」

 いつもの冗談だろうと、そう頭では分かっている。だが万が一、億が一、那由他の果てにしかない可能性であっても、一学園のトップに立つ身であるなら簡単に信じ切っては、

「──桐藤君!!」

 口に燻製ソーセージをブチ込まれた。

 

     ●

 

 酷い絵面であった。

 サクラコの視線の先、半身で身を前に突き出した先生がいる。拳を打つように伸び切った右手は、あるものを握っていた。

 ソーセージの燻製だ。

 十五センチ程の大型サイズ。肉厚でかぶりつけば堪らないであろうそれは半開きになっていたナギサの口へと突っ込まれ、その口内を埋めている。喉に詰まってこそいないようだが、多分舌は濃厚な肉の味を甘受させられているだろう。

 やがて我に返ったのか、ナギサが軽く身を震わせた。驚き故か目尻に軽く涙を浮かべた彼女は、長身である先生を上目遣いで見上げ、

「ふぇ、ふぇんふぇい……?」

「残念だが疑問質問意見上訴全て却下だ。今はその咥えたものを美味しくいただくことだけ考えたまえ。ハイ、スタート」

 半目の先生の有無を言わせぬ語調に、ナギサが恐る恐る頷く。迷うような間を置きつつもその先端を噛み切ると、ゆっくりと咀嚼して飲み込んだ。噂に聞く先生の燻製は相当に美味だったのか目を弓にして味わうも束の間、先生は休む間も与えず残りを差し出す。強引に捻じ込まれた先程とは違い自分からとなるとさすがに羞恥があるようで、ナギサは若干躊躇う様子を見せる。しかしその逡巡は僅かな間で、小さく口を開け先生を受け入れた。

「ねえセイアちゃん、私達何を見せられてるのかなコレ」

「そうだね、広義の餌付けではあるんだろうけど、ビジュアル面がHANZAI過ぎるかな」

 セイアさんが何を言っているのか私には分かりませんでした。理解が追い付かないことだけは分かりますが。

 そんな蚊帳の外を余所に餌付けは進行し、とうとうナギサが全てを食べ切った。喉が鳴って最後の一欠片を飲み込み、油による光沢で照り返しを持った唇が熱を持った吐息を零す。先生も満足そうに頷き、紙ナプキンを差し出すと、

「さて、食後の挨拶を欠かす桐藤君ではないね?」

「……ごちそうさまでした」

 うむ、と先生が笑みで応じた。手元に残った燻製の包みを丸め、手首のスナップで部屋隅のゴミ箱に叩き込みながら、

「聖園君と百合園君は薄々察したようだが、今のは歌住君なりの挨拶だ。自身のイメージを明るく親しみやすいものにしたいとお悩みのようだったので、一枚噛ませてもらったのだよ。故に桐藤君が危惧するようなことは一切ないと、妹に誓って断言しよう。……落ち着いたかね?」

「……いえ、こちらこそ早とちりでみっともないところをお見せしてしまい面目次第もございません……」

 深々と下げられたナギサの頭に、先生の手が乗せられる。慣れを感じさせる、しかし優しい手付きで軽く叩き、

「気にすることはない。上に立つ者として慎重さは必要であり、桐藤君のそういう生真面目なところを私は買っているのだからね。もう少し気楽にやっても良いとは思うが。肩ならいつでも貸すよ?」

 最後の一言に、ナギサがようやく笑みを浮かべた。何がどうしてそうなったのかは分からないものの、大事には至らなかったようでサクラコも内心安堵の息を零す。が、いつの間にかナギサの落とした菓子折りを回収し、応接用のテーブル上に広げていたミカが顔だけで振り向いて、

「ところで先生、さっきのソーセージ見覚えないんだけど新作?」

「うむ、暇を見て試作していたものがようやく完成してね。残念ながら先程の物が最後の一本だったのでお出しすることは出来ないが、チーズの新作ならあるのでそちらで我慢してくれたまえ」

「やった、先生ありがと!! 皆の分も取って来るね!!」

 駆け出して行くミカを苦笑で見送り、先生が新しいカップに紅茶を注いで行く。こちらもまたいつの間にかソファーに腰を落としていたセイアが、やや呆れたように両手を上げ、

「しかし随分とアグレッシブな試みだね先生。ゲヘナ辺りの生徒にブチかましていたらとんでもないことになっていたと思うが」

「ほほう、迂闊にシャーレで問題を起こせば住人である聖園君と、その友人付き合いから小鳥遊君と空崎君と錠前君、同じく間借り中の月雪君達一個小隊、そして過激派筆頭のダブル砂狼君や伊草君に狐坂君等々同害報復と呼ぶのも生易しい大惨事が始まると思うが? 仮に切り抜けたとしても生塩君や明星君に調月君、浦和君や百合園君に掛かれば逃げ切るのも不可能に等しいだろう。そんな面々を相手に事を構えようという胆力のある者がいるなら、是非ともお目に掛かりたいものだね?」

 相変わらず布陣がえげつなさ過ぎる。正直キヴォトス最大の火薬庫なんじゃなかろうかここ。ちゃっかり話題を振ったセイアまでカウントされている辺りは信頼なのだろうが、苦笑で応じている辺り満更でもなさそうで。

 普段が普段にも関わらず信頼を寄せられている姿を、羨ましく思うのは卑しいだろうか。

「まあ、残念ながらそういった見所のある生徒は今のところ現れていないようでね。いっそ私から生徒諸君に挑戦状を叩き付けるのも面白いかもしれないと、そんなことを考えてもいるよ」

「間違いなく大騒動になるのでやめてください……」

「ははは、前向きに検討しておくよ」

「……あの、先生、どっちが前ですかそれ」

「気にする必要はないよナギサ。──なるようにしかならないからね」

 ナギサがソファーに横倒しになったが、会話の流れが速くてちょっと付いて行けない。エデン条約を乗り越えたティーパーティー組が身内感の強い集まりということもあるが、実際この場で一番浮いているのはサクラコだろう。いくら挨拶を成功させても人付き合いがこれでは前途多難だ。

 どうしたものかと考えていると、両手に燻製を抱えたミカが戻って来る。そのままこちらの隣に座り、成果物をテーブルに広げたタイミングで先生が視線を向けて、

「しかし、難しい問題ではあるね。造語というものは一度耳にしただけでは意図が通じにくい。先のちゃろー等は少し考えれば分かる範疇ではあるが、わっぴーだとなかなかそうも行かない。歌住君、わっぴーを捨てるつもりはないのだろう?」

「勿論です。夜通し悩み、丹精込めて生み出したのですから、そう簡単に諦め切れる訳がありませんっ」

 ティーパーティーの三人が味わい深い表情を向けて来たが、何かおかしなことを口にしただろうか。

「だそうなのでティーパーティー諸君に忌憚のない意見を聞きたいのだが、実際学園内における歌住君の印象はどうなのかね? 主にわっぴー」

「後半無視しますけど、やはりシスターフッドの長という肩書きが大きい面はあるかと。私が言えたことではありませんが、協同もまだ不慣れですし」

「そういう意味で先のアイドル活動は衝撃的だったね。一部熱狂的なファンもいるようだし、間違いなくプラスにはなっているだろう」

「とはいえその、わっぴー? そこまで全体に認知されているかと言われると怪しいよね。学園大きいし生徒も多いから、大規模なイベントとかこまめな活動がないと難しいんじゃないかな?」

「やはりネックは根付いた風聞と、歌住君自身のギャップの落差か……。救護騎士団も噛ませて、となると……」

 独り言のように零した先生が、腕を組んで天井を見上げること十秒。視線を戻した彼女は名案だと言わんばかりに目を輝かせ、

「桐藤君!! 責任は全て私が持つのでトリニティ内にっわっぴー推進委員会を設けられないだろうか!! ティーパーティーも寛容さから親しみやすくなってイメージアップが図れるかもしれんぞ!!」

「正気度がダウンするの間違いではないでしょうか」

 半目でバッサリと切り捨てられた。しかしそのやり取りを横に、サクラコはミカやセイアに混じりひそひそと、

「でも先生がバックに付いたら何やっても大体違和感なく流されそうだよね」

「ああ、先生の不規則言動はキヴォトス周知の事実だからね。これ以上の説得力はあるまい」

「ええと、つまり先生とティーパーティーとシスターフッドと、更に救護騎士団も力を合わせわっぴーの嵐を巻き起こすと、そういうことで良いんでしょうか……!!」

「……あの、サクラコさん、お願いですから常識人担当を私一人に押し付けないでくださいませんか」

「ははははは何を言っているのかね桐藤君、常人と狂人の境は母数で決まるのだよ? ──つまりここでは我々の方が常識人だ」

「先生、先生、焚き付けといてなんだけどナギちゃん泣いちゃうからその辺にしよう、うん」

「な、泣いたりなんてしませんっ!!」

「良いじゃないか泣いても。先生に泣き付いて思う存分慰めてもがっ」

 最後はナギサがロールケーキをブチ込んだことによる語尾変化だ。ミカが笑って頭を掴み上を向かせると、ロールケーキがシュレッダーに吸い込まれる紙の如く縮んで行く。飲み込み終え一息をつく姿に先生が紅茶のカップを渡す辺り独特の循環が出来上がっているというか、トリニティ内で顔を合わせる時とは随分雰囲気が違う。ミカもセイアも大概はっちゃけているし、口を尖らせて拗ねるナギサなど、今まで見たことがない。

 ……これもシャーレという場があればこそ成せることなのでしょうか……。

 今後はもう少し顔を出してみても良いのかもしれないと、そんなことをサクラコは思った。

 

     ●

 

 その後も、ああだこうだと多数の案が挙がってはナギサに却下されるという時間を過ごし、日没辺りで解散となった。

 成果こそ上がらなかったものの、三人とは少し距離が縮まり、以後のトリニティ運営において会話を交わすことも増えた。その点だけ見ればちゃろーより始まった一連の騒動は、間違いなく得るものがあったと言えるだろう。

 なお、それらに自信を得てシスターフッド内でちゃろーを布教しようと試みたが全く定着せず、結局シャーレ限定の挨拶ということで落ち着いた。残念です。

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