グラスアーカイブ   作:外神恭介

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ええい離れろデカチチもぐぞこの天然

 連邦生徒会管区、D.U.。キヴォトスの首都と言っていいエリアであり、連邦生徒会拠点やシャーレオフィスビルなど、重要な施設が立ち並ぶ区画だ。当然ながら往来は人の行き来が激しく、各々がそれぞれの目的地に向かって足早に進んで行く。休日ということも相俟って密度は高く、人々の流れに淀みはなく途切れることもまたない。

 そんな中を、散歩と呼ぶのも憚られる程緩慢な歩みで行く一団があった。

 見慣れぬ制服に袖を通した二人組だ。

 一人は、短い黒の髪に赤の瞳を持つ、日に当たったことさえないような色白の少女。黒のセーラー服を纏った姿は、八の字を一つの円形に縮めたようなヘイローを頭上に持っている。

 一人は、白とも黄とも金ともつかぬ、陽光そのもののような長髪を持つ少女。白と黒を主体としたブレザーを纏った姿は、斜めの一線で貫かれた円形のヘイローを頭上に持っている。

 控えめに見てもかなりの美形。街中を歩けば大半が振り返って視線を送り、喧騒の一つでも起こしそうな顔触れだ。おまけに子供でももう少し早いのではないかと思わせる程の進行にも関わらず、周囲は何の反応も示さない。それどころかまるで彼女達の存在に気付いていないように、視線を向けることさえなかった。付近を通り掛かる際も、そこに見えない障害物があるかのように自然な動きで避けて行き、それ故に誰も彼女達には気付かない。

 だが当の少女達はそれらに構うこともなく、相変わらず亀のような歩みを止めることもない。黒髪の少女は真っ直ぐ前を見て、金髪の少女は周囲に興味深げな視線を向けつつ。

 やがて後者が足を速め、前を行く黒髪の隣へ追い付く。傍ら、自分より低い位置にある顔へ横目を向け、

「どうですか、ムラサキ。初めてその足で歩くキヴォトス中枢は」

 

     ●

 

 ムラサキは己を呼ぶ声に、眉を寄せながら振り向いた。普段と変わらぬ微笑を浮かべた友人に、久しぶりの高い声で応じる。

「どうもこうもないよ。元々が箱入りで外にすら出たことないんだから。その辺りはかな……、ナコだって知ってるでしょ?」

 途中で言い直すと、ナコは満足げに頷いた。仰々しくスカートの裾を摘まんで一礼し、

「ええ、今は江田ナコと名乗っているので、その辺りくれぐれもご注意を。──貴女のムラサキはもうちょっと捻った方が良いと思いますけど」

「はいはい、センスなくて悪かったねー、っだ」

 舌を出してやってから顔を背けた。容赦なく置いて行くがナコは気にした様子もなく笑みで付いて来る。だからムラサキは嘆息と共に上を見て、

「身体は問題なし、健康そのもの。動かしてて違和感もないし、まあ動くこと自体が違和感っていうのもアレだけど、どっちかと言えばメンタルの方が問題かな」

「十年来の付き合いなので豆腐メンタルなのは重々承知してますよ?」

「そーじゃないよ。いやそうだけどそうじゃなくて」

 一息。

「箱入りだって言ったでしょ? こんな大量の人混みなんて画面越しか想像の中でしか見たことなかったからさ。──端的に言うと陰キャにクリティカル過ぎて吐きそう」

 ナコがきっかり五メートルの距離を開けた。

「オイ」

「ええ、大丈夫です。大丈夫ですよ? ──ゲロった後は他人ですが」

 拳を振り上げるとダッシュで逃げて行った。舌打ちと共に歩みを再開すると、素知らぬ顔で戻って来たナコは肩を竦め、

「話戻しますけど、貴女の場合そもそも顔が割れてないのであまり気にする必要もないでしょうね。もう一人の方はその辺り気にしなさ過ぎで頭抱えますが」

「だったらしっかりしてよお目付け役。隠蔽系の概念、効果半径三十メートルしかないんでしょ? ……すぐふらふらと店先に誘われてくんだから、あの子」

 ほら、と顎先で示した先には、ナコと同じデザインのブレザーを羽織った姿がある。ショーウィンドウ内を眺めているその少女は緑の長髪に、太陽を象ったようなヘイローを持っていた。長身に巨乳という外見とは裏腹に、線路を走る列車の玩具に目を輝かせる様は子供そのもので、

「ムイ」

 ナコの呼び声に、ムイと呼ばれた少女は反応しない。故に嘆息したナコがムイの肩を叩きつつ、

「聞いてますか井伊ムイ」

「え? ……あっ、そっか!! それ私の名前だった!!」

 感情豊かなデカい声を受け、ナコが真顔で振り向いた。

「……ムラサキ、今からでも遅くないのでこの馬鹿外に叩き返しませんか」

「馬鹿度合いで言ったら貴女の兄や姉に比べれば十分マトモだと思うけど」

「問題起こしても対応全部こっちに投げるつもりですね? そうですね?」

「大丈夫だよかなちゃん、何かあっても私ときょーちゃんとで手伝うから」

 一切の悪気なく放たれたムイの言葉に、ムラサキは真顔でナコを見た。

「……ナコ、今私物凄い身の危険を感じてるんだけど、ムイの延髄に手刀ブチ込んでも許されるかな」

「ムラサキ、貴女ちょくちょく「私なんてお姉ちゃんに比べれば全然」とか言ってますけどぶっちゃけかなり大概ですからね?」

「もっと頭のおかしい連中と組んでた貴女にしてみれば甘口も良いとこでしょ」

「あの、あの、きょーちゃんもかなちゃんも何だか顔が怖いよ? あっあっ、頭ぐりぐりしないで、ひぃん」

「ムラサキ、気持ちはよく分かりますがその程度に。そしてムイ、いい加減呼び方を変えてください。特にここはシャーレオフィスビルの近辺、万が一が起きないとも言い切れません。拠点に戻ったら元の名前で呼んでも構いませんので」

「ご、ごめんねナコちゃん、まだ全然慣れなくて……」

「すぐ慣れるようなら今ここにいないしアビドスもああなってないでしょ」

「あうぅ……、ごめんねムラサキちゃん……」

 律儀に頭を下げるムイから視線を外し、ムラサキは歩みを再開する。落ち込んだ様子のムイも続くが、その背中をナコが叩き、

「ムイ? 今のムラサキの台詞は「変にスレてない良い子なんだから貴女はそのままで良い」って、遠回しに褒めてますからね?」

「……えっ?」

 驚いたムイがこちらに顔を向けて来たので思いっ切り睨んでやるが、ナコは素知らぬ顔でカレーのスパイスが買える店を調べている。一発ぶん殴ってやりたいところだが騒ぎになるとマズいという程度の自制心はあり、故にこちらが反抗しないところまで織り込み済みの茶化しだ。本当にこのイイ性格だけはどうにかならないだろうか。無理か。

 それにしても面倒なことをしてくれた。何しろこのムイという性善説極まるお人好しは、他人の善意というものを無条件に信じてしまう。こちらが訂正したところで聞く耳は持つまい。時間と体力と気力の無駄だ。現に理解の追い付いたらしき彼女は、瞳を輝かせながら抱き着いて来て、

「ムラサキちゃん……!!」

「うるさい。暑苦しい。ええい離れろデカチチもぐぞこの天然」

「あっあっ、痛い痛い痛いオッパイ取れちゃう」

「取れたら良かったのにね!! 本当にね!!」

 いかん、つい本音が出過ぎた。ムイとは対照的な己の絶壁に内心海溝より深い溜め息を零していると、口元を押さえ笑いを噛み殺しているナコに気付く。何事かと視線を向けてみれば、目尻を拭った彼女は心底おかしそうに、

「他人からどう見られても全く気にしない癖に、良い人扱いされるのは気乗りしないところ、本当にそっくりですよね」

「惨めさで死にたくなるからやめて」

「これは失礼」

 全く悪いと思っていなさそうな笑みで言われたので額に手刀をブチ込んでおいた。

 ともあれ、と吐息したムラサキは面を上げる。通りを挟んだ向かい側、一面のガラス張りが目立つ建物を横目に。

 門には敷地内へと入って行く銀髪のマフラー姿がいて、その後を足早に追い掛けて行くミレニアムの制服を着た二人組も見えた。先を行く少女に合流した二人は抱えた袋からケーキの箱を取り出して見せ、楽しげに言葉を交わしている。そんな光景を遠目に、違う世界の出来事のように眺めていると、後ろからムイが恐る恐る、

「……寄らないの?」

「寄ってどうしろって?」

 思った以上に冷えた声の行く先、ムイが身を竦めた。が、この件に関してだけは今後心配されるのも面倒なので、無駄だとしても言っておく。

「私が死んでも頑張ってたんだね。凄いね。偉いね。その結果死に掛けたり辛く苦しい思いもしてるけど、自分で決めた道なんだから最期まで投げ出さず頑張ってね。……とでも言えば良いの?」

「そ、それは……、でも、先生ならきっと──」

「言葉は呪いだよ。神秘や恐怖なんて関係なしに、一生人の心に根付く。ポジティブなものであれば祝福と呼ぶかもしれないけど、何の気なしに放った発言がその後を永遠に縛って、ただただ痛々しいだけの時だってある。……その呪いを掛けた張本人が、今更どの面下げて会えって言うの?」

 最後の一言に、ムイが息を詰めた。しまった、と思うより早くナコが拳骨を頭頂部に叩き込んで来る気配が来て、これは甘んじて受けておく。

 轟音が響いた。

「……ええと、ムラサキちゃん、大丈夫?」

「……ねえナコ、貴女手加減って言葉知ってる?」

「馬鹿は殴って分からせる。お兄様直伝の作法ですので」

 あっれ師匠そういう人じゃなかったと思うんだけどなあ。でもやっぱり身内相手だと色々違うのかなあどうかなあ。そんなことを思いつつ、ムイに手を引かれながら座り込んでいた身を起こし、

「ごめんねムイ、さっきのは言い方が悪かった。貴女の場合それで解決出来たんだもんね」

 だけど、

「貴女とホシノのような例だけが全部じゃない。少なくとも私はお姉ちゃんに会えないし、会いたいとも思わない。それだけは覚えておいて」

「……うん」

 何か言いたげではあったが、ひとまず納得してくれたらしい。まあ十中八九今は引き下がっただけで、今後またここを通るようであれば躊躇いなく同じことを言うのだろうが。

 ……損ばかりする子だよね、本当に。

 だからこそ自分と同じように「拾われた」のだろうし、こういう愚直なまでの優しさは有り難いとも思っている。当人も色々と思うことはあったのだろうが、最近その辺りが解消したおかげか明るさも五割増しだ。ナコや彼女の同僚達も、出来れば“彼女達”に合流させてやりたいようだが、

「情報体であり、バックアップが残ってたケイとは訳が違う。──本当に必要な時が来るまでは、伏せとくしかねえだろ。歯痒いけどな」

 という師匠の判断もあり、今のところはこの三人で行動中だ。身分が身分故表立って動くこともなく、匿名で各所にタレコミを入れたり騒ぎを鎮圧しているくらいだが、

「何もしないよりはマシ、かな。偽善でしかないとしても」

「それでも善であることに変わりはありませんよ。うちの大方針である「失わせない」ことは、貴女も望んだことでしょう?」

 苦笑しこちらの肩を叩くナコに、ムイがうんうんと頷いて、

「ムラサキちゃん、当たりはキツいし何も言わず勝手に一人で決めて行動するしオッパイ目の敵にしてるけど、……本当は優しい子だもんね」

「病床育ちで成長に不備を来すのは仕方のないことですよ。──まあ似た境遇のお姉様はデカいですし私も持つ側なので理解出来ませんけど」

「引き千切るよ?」

 作り笑いを向けるとムイを抱えたナコがダッシュで逃げて行った。それで良いのかお目付け役。

 嘆息と共に足を動かす。そもそも今日の外出とて広義のリハビリ兼、ムイやナコの付き添いでしかない。適当に進んでいれば、またムイが店先に吸い寄せられて普段の空気に戻るだろう。首だけを動かして見ればしれっと二人共戻って来ていたので、とりあえずこのまま次の角で曲がれば、

「────」

 乾いた音に、ムラサキは足を止めた。

 銃声だ。それも比較的近い。他の二人も反射的に身構えている辺り、師匠達の仕込みが生きていると言うべきか、よくよく考えたらナコは師匠の同期だっけ。まあいい。ともかく反応しているなら見て見ぬふりはナシだ。だから、

「──ナコ」

「名前だけ呼んで具体を言わないのは卑怯だと思いますよ? まあ、無言で突っ込むお兄様方に比べれば遥かにマシですけど」

 ナコが嘆息しつつ位相空間から漆黒のロングコートを取り出し、こちらに放られたそれをムラサキは身に纏う。同じように渡されたムイが慌てて着込みつつ、特徴的な長髪をフードの中に押し込む。そこまでを見届けると、ナコもまた宙から舞い降りたコートに袖を通し、青白と赤黒の二挺拳銃を抜き放った。

 不敵な笑みで彼女は言う。

「演算によれば猶予は三分。余裕で片付けられるでしょう。存分に力を振るいなさいムラサキ、私達がその手伝いをします。──Jud.(ジャッジ)?」

 

     ●

 

 騒動の現場は一つ通りを戻った先、百メートル程離れた場所にある喫茶店だった。

 店先で暴れているのはヘルメット団が十八人。漏れ聞こえる声を聞くに、買いたかったケーキが先の客で品切れになったことに対する鬱憤晴らしのようだ。それだけでこの騒ぎな辺りキヴォトスらしいというか、一応の首都でこの治安の悪さはどうなのかというか、とりあえず情状酌量の余地なしということで、

「どうするの?」

「全員纏めて叩き潰す」

「シンプルで分かりやすい回答をどうも」

 皮肉と共にナコが跳躍。ロングコートを靡かせて、高所を押さえるべく近場のビルの外壁上へ。その物音にヘルメット団の一部が気付き、しかし真っ先に視界に入ったこちらの立てた音と誤認したのか銃口を向けて来る。だがムラサキは走る足を止めず、故に相手も躊躇いなく発砲。銃弾は瞬く間に彼我の距離を詰め、

「させないよ!!」

 こちらの前に出たムイが、背から抜き放った展開式の大盾を構えた。

 全高二メートル、全幅一メートルを超える盾はムイとムラサキの身を完全にカバー。着弾の金属音が耳障りという以外は何の影響もなく、

 ……考えなしに撃って来るだけ、か。

「ムイ、肩借りる。標的がこっちに移ったら救護に回って」

「Jud.!!」

 頷きを返すと跳躍一発。ムイの肩を足場に更に跳び、近くの街灯の上に着地。ヘルメットで視界が狭まった中、大盾の裏から素早く跳んだこちらを向こうは捉えられていない。故にムラサキはそのまま街灯を足場に跳んで行き、一団の中央に音一つなく飛び降りて、

「こんにちはそしてくたばれ」

 振り向くより早く手近な一人に立ち上がりながらのアッパーカットをブチ込んだ。

 膝から崩れ落ちる姿に構わず、その後ろにいた一人が長銃を捨て拳銃を取り出すのをムラサキは見る。取り回しの悪い長物を即座に捨てる判断は敵ながら見事だ。だが遅い。

 半身に踏み込んだ腹の正面を弾丸が抜け、こちらの放った膝が相手の顎を打ち抜いた。

 ヘルメットで守っていようと、生物である以上頭蓋があり、脳がある。人間の場合顎先に打撃を叩き込めば、振動によって脳震盪を起こす。

 ましてや銃社会であるキヴォトスにおいて、近接戦を修めている者はさほど多くない。高速のステップで左右に身を振り、懐に潜り込んでしまえば、ロクに応戦も出来ず蹂躙されることになる。

 だからそうした。

 遠距離であれば集団で弾幕を張ることも出来るが、乱戦になってしまえば誤射を恐れて撃つことは難しい。いくら銃弾が当たっても死なないとはいえ、巻き込むことを容認してぶっ放せるかどうかは別の問題だ。ましてや見知らぬ他人ではなく、ある程度知った仲なのだから。

 対するこちらは単独で、獲物は選り取り見取りの手当たり次第。しかも向こうは倒れる味方が邪魔になり、身動きを取ることさえ難しい。こちらは打撃一発で一人を沈め、吹き飛ばした先で最低一人以上を足止めするように立ち回り、それを繰り返すだけで相手は勝手に瓦解して行く。

 が、さすがに初期の混乱を抜けると立ち直る面々も出て来る。なるべく味方が倒れていない方へと移動し、足元か頭狙いで射撃を叩き込もうとする。さすがのムラサキも乱戦でなくなってしまえば、無手で複数人を相手取るのは厳しい。

「一人なら、ね」

 呟きと同時、右手側の四人が銃を取り落とした。手の甲を押さえ振り仰いだ先、ビルの外壁上に陣取ったナコは寒気すら感じさせる笑みと共に、

「ご安心を。──模擬弾ですので」

 地面に撃ち込み跳弾したゴム弾が的確に四人の顎を打ち抜いた。

 彼我の距離は五十メートルを超える。理論上は拳銃の有効射程距離だが、乱戦で動き回る相手をピンポイントで狙えるものではない。だというのにナコの射撃は寸分の狂いもなく、一切の減衰がないかのように直撃し昏倒させ続けた。

 後は単純だ。ムラサキの手の届かない、或いは対応が間に合わない相手をナコが止め、それ以外はムラサキが叩く。既に相手の注意はこちらとナコに向かっており、周囲を巻き込む恐れはない。流れ弾も全てナコが撃ち落としており、遠目に見れば通行人や店員の対応にムイが当たっている。これなら残党を潰せば粗方決着するだろうと、そこまで算段を立てたムラサキは師匠譲りの手首のスナップを利かせ、

「残り二分。シャーレが来る前に片付けようか」

 

     ●

 

 シロコが現場に駆け付けた時には、全てが片付いていた。

 ユウカとノアが通って来た方、シャーレの自称部員の行き付けである喫茶店の方角から銃声が響いたので、準備の上で引き返して来たのだ。荷物類は二人に預け、いつものアサルトライフルやハンドガンを手に猛ダッシュ。時間にして三分程度だったはずだが、下手人らしきヘルメット団は全員拘束されており、

「……誰?」

 黒いロングコートを着込んだ姿だけが、傷一つなく立っていた。

 フードを目深に被っており、顔は分からない。だが僅かに見える肌は白く、ヒマリのような日を浴びていない感がある。しかし立ち姿に隙はなく、銃も持っていない以上体術のみで場を収めたとしか判断出来ず、

「……あーあ、出会っちゃったか」

 小さく零された言葉も含め、シロコは内心で警戒のレベルを上げた。

「……私は連邦捜査部シャーレ、臨時部長の砂狼シロコ。貴女の名前と所属、この場で何をしていたのか答えて」

 腕に留めたシャーレの腕章を掲げ見せると、コート姿は肩を竦めた。先程も聞こえた高い少女の声が、傍らの出入口が破損した喫茶店を指差しつつ応じる。

「ちょっと暴れてたから、穏便に処理しといたよ。気絶させただけだから良いとこ軽傷。事後処理はシャーレ任せで良い?」

 見れば彼女と同じ黒いコート姿が人々の手当てをしていたり、廃材を運び出したりしている。嘘は言っていないと判断し、頭を下げつつもシロコは気を抜けなかった。

「対応については礼を言う。でも、他の質問に答えてもらってない」

 動きやすさを重視してか、コートのボタンは腰の辺りまでしか止められていない。その下から覗けるスカートは正義実現委員会のものに似たデザインだが、シロコの知る限りこんなコートを纏っている者も、どこか己に似ている気がする声の持ち主もいなかったはずだ。

 シャーレの至近、素性の知れぬ生徒、しかも相当強いと、警戒すべき要素は山程ある。だが先生の方針上、無闇に事を荒立てる訳にも行かない。だからこれが最後の問い掛けのつもりで、

「貴女は、何者?」

 問うた先、少女はふと上を見た。考え込むように。その仕草に既視感を覚え、何故だろうかと考えるよりも早く少女が視線を戻す。

「都市伝説、って言っても伝わらないかな。人が生み出した怖い話の一つに、特定の年齢になるまでその単語を覚えていると呪われて死ぬ、っていうものがあってね」

 それは、

「知らなかったり、忘れればいいと言えばそれまで。だけど人はそう簡単に忘れたいと思って忘れられるように出来てない。仮に出来てもそうやって誰もがそれを忘れて行ったら、その単語は本当の意味で消えて、死ぬことになるんじゃないかって、そんな風に考えたことがあったんだ」

 ならば、

「誰かが覚えていること。どこかに口伝が残っていること。つまりは記憶と記録が途絶えない限り、あらゆるものは本当の意味で死なないんじゃないかって、そんな言葉遊びからムラサキ。ナコやムイと違って逆読みもし辛いし」

 だから、

「バイバイ、シロコ。覚えていたら、また会えるかもね」

 どこか哀しそうに、しかし口元を緩ませた少女が踵を返す。いつの間にか隣に来ていた二人の連れと共に、名残惜しそうにゆっくりと歩き出す後ろ姿をシロコは止めようとした。言っている意味はまるで理解出来ないし、どうしてかは全く分からないが、彼女達をこのまま去らせてはいけない、と。だが、

「砂狼君!!」

 大事な人の呼び声が、シロコの足を止めていた。反射的に振り向いた先、ホシノとミカを伴って走って来るのは、

「先生……」

「うむ、早瀬君から連絡を受けてね。こちらに向かう道中で二人と合流出来たので、押っ取り刀で駆け付けたという訳だ。既に解決済みとは思わなかったがね」

「ううん、私もさっき来たばかり。先にこの人達が対処してくれたみたいで──」

 振り向くが、しかしそこにコート姿はおらず。ホシノが目を眇めて見ても、ミカが額に手を翳して視線を巡らせて見ても、それらしい人物は見当たらない。夢か幻でも見ていたかのような感覚に陥り掛け、しかし先生がこちらの頭を軽く叩く感触が、ここが現実だと教えてくれて、

「その辺りは執務室で一息入れてから、だね。ともあれお疲れ様、砂狼君」

「……ん」

 労いの言葉と撫でられる心地好さに己を納得させ、シロコは先生の後を追った。事後処理の為各所へ連絡を飛ばす背中に、理由のない既視感を覚えながら。

 

     ●

 

「間一髪でしたね。というかムラサキ、思わせぶりなこと言ってちょっと楽しんでませんでした?」

 キヴォトス某所。半壊した研究所のようなその一画で、抱えていた荷物を置いたナコがそう口にした。だがムラサキは身を横たえたソファーの上、周囲の雑多な機材類を見回して、

「毎度思うんだけどこの背景どうにかならない?」

「私の原風景に近いので一番維持が楽なんですよ」

「ハイハイ省エネ万歳。ムイも何か言ってやって」

「え? うーん……、あ、アビドスの風景とか作れないかな?」

「いるだけで干からびそうというか貴女トラウマ発症しないのそれ」

「確かに悪い思い出もないとは言わないけど、……それ以上に良い思い出も沢山あったから」

「……本当に、善人ばかりが死んで行くものですね、どこの世界であっても」

「また世界壊そうとしないでよ?」

「しませんよ。お兄様達との約束ですから」

「……暗に師匠達いなかったら容赦なく壊すって言ってるね?」

「ははははは、──何を当然のことを」

 真顔で言い切られたのでムラサキは顔を背けた。苦笑いしたムイが街で調達した紙袋を渡してくれるのに礼を言い、中から取り出したチーズバーガーにかぶりつく。

「あー、ジャンクフード最高……。今私物凄い生きてるって感じ……」

「自動人形の身体とはいえ食生活には気を遣った方が良いですよ?」

「身体気遣ってメンタル死んだら意味ないでしょ? ただでさえ今の私達は「そういうもの」なんだし」

「ハイハイJud.Jud.、それで質問の答えはどうなんです?」

「……サラッと人の健康観を流したね?」

 いいから、とナコに手を振られ、落ち着け、とムイに手の平を向けられたので深呼吸。手元のチーズバーガーを片付け、ポケットに手を突っ込んで、

「何と言うか、人の心は複雑怪奇でさ。情報体である貴女には不可解極まりないだろうけど」

 取り出した手に握られているのは、古びて変色したガチャポンのカプセル。未開封の、しかし大当たりらしきそれを見上げるように掲げ、

「忘れられるべきだと思っていても、心の底では誰かに覚えていて欲しい。そんなものなのかもしれないね」

 吐息。

「弱いなあ、私」

 零れ落ちた本心に、ナコは何も答えない。だがムイがこちらの手を、差し伸べた両の手で握った。祈るようなポーズは、穏やかな笑みでこちらを見ていて、

「大丈夫だよ」

 だって、

「私は絶対忘れない。(かな)ちゃんだって忘れない。先生や、先生の過去を聞いたホシノちゃん、それに皆もきっと忘れない」

 だから、

「今ここにいるムラサキちゃんとは別で、シャーレの皆の中でも生きてる。二倍生きてるんだから、誰からも忘れられるなんてことはないよ」

 そして、

「いつか二人のムラサキちゃんが、同じになれる日が来ると良いね」

 笑って告げられる言葉に、どうしようもなく揺らいでいる己を自覚して。

 ……ああ。

 かつて、好きな人がいた。

 強くて、格好良くて、優しくて、憧れていた人だった。

 だが己の不用意な言葉が、その人の生き方を決定付けてしまった。

 何にでもなれたであろうその人を、辛さや苦しさに塗れた今の道へと誘導してしまった。

 謝りたいのか、赦されたいのか、今の己にはもう分からない。

 だが、かつての彼女と同じように、しかし今の自分の傍にいてくれる人がいる。

 同情も憐憫もなく、ただ同じ方を共に向くことの出来る人達が。

 ただそれだけの、ありふれた、しかし得難い幸いを改めてムラサキは思う。

 己は姉になれない。彼女のように全てを救おうと、泥臭くも懸命に足掻くことなど出来ない。

 だけど、二度目の生において得たこの友人を。

 馬鹿で阿呆で要領が悪くて、だけど本当は強くて格好良くて優しい少女を。

 そんな彼女が信じて託した、あらゆる喪失に抗い未来を望む人と生徒達を。

 守りたいと、そう思うことは決して間違いじゃないと、胸を張って言える。

「ありがと、ユメ」

 告げた先、ムイが目を丸くした。が、即座に花の咲くような笑みを返し、

「どういたしまして、鏡子(きょー)ちゃん」

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