グラスアーカイブ   作:外神恭介

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シロコちゃんが先輩って呼んでくれないー!!

「納得行かない」

 十五時過ぎ。シャーレ執務室に響いたそんな一声が事の始まりだった。

 ミカの上げた声に対し、視線を返して来るのは都合三名。ホシノ、ヒナ、そして、

「どうしたの、ミカ」

「それだよ!!」

 応接用のテーブルを叩きながらの返答に、シロコが首を傾げた。両隣に座るホシノもヒナも、事態が分かっていないのか困惑した視線を返すだけだ。故にミカは身を乗り出し、

「シロコちゃん、ホシノちゃんのこと何て呼んでる?」

「ホシノ先輩」

「じゃあヒナちゃんは?」

「ヒナ先輩」

「私」

「ミカ」

「ほらあああああ!!」

 テーブルをバシバシ叩きながら言うと、理解が追い付いたらしいホシノとヒナが口を横に開いた。しかしシロコは相変わらず首を捻っており、そのことにツッコミを入れようとして、

「……何の騒ぎかね一体」

 呆れを帯びた新たな声に、全員の視線が吸い寄せられた。

 給湯室の方から歩みを進めて来るのは、もう一人のシロコと先生だ。二人共手に盆を持っており、載せられているのは人数分の紅茶に焼き立てのタルト。シャーレの休憩時間に合わせて先生が準備しておいてくれたものを、二人が運んで来たのだ。広がる香りに己以外の三人が表情を緩ませるが、ミカはダッシュで先生に飛び付き、

「せんせー!! シロコちゃんが先輩って呼んでくれないー!!」

「聖園君の駄々っ子ムーブは大変可愛らしいが、とりあえず持っている物を置いてからにしてくれたまえ。タルトがダメになっては全員から恨まれるよ?」

 苦笑で言われたので大人しく座った。慣れた手付きでカップと小皿が配膳され、全員が合掌の上で手を付ける。まだ温かい生地に仕込まれているのはスライスと賽の目切りの林檎。食感の違いが良いアクセントになっていて、手が進んで止まらない。相変わらずの美味しさに場の空気が緩み、それを見計らったようなタイミングで先生が口を開いた。

「つまり聖園君としては、砂狼君から先輩として敬われたい訳だね?」

 口がタルトで塞がっているのでこくこくと頷く。成程、と応じた先生は傍らのシロコを見て、

「だそうだが砂狼君、聖園君は信頼に値しないかね?」

「信頼はしてる。実力も、先生を絶対に裏切らないところも。ホシノ先輩とのコンビネーションだって、現状のキヴォトスで敵う相手はそうそういないと思う」

「うへー……、そうやって褒められるとおじさん照れちゃうなあ」

 はにかみつつ頬を掻く親友は大変可愛らしく、ヒナも満足げに頷いているので後からその辺たっぷり語り合おうとミカは心に決めた。だがシロコは嘆息と共に肩を竦め、

「でも圧倒的に威厳が足りない。あと馬鹿」

「馬鹿って言ったああああ!!」

「おおっと馬鹿さ加減で張り合おうと言うのかね!? 私は手強いぞ!?」

 何故かノリノリで介入して来た先生を全員で止めた。自分で言うのはどうかと思うが確かに頭のおかしさではキヴォトストップだろう。他色々な面でもトップな気もするが、深く考えるとダメな気がしたので放置。しかし、紅茶のカップを手にしたシロコは首を傾げつつ、

「でも、ミカがヒナ先輩より役職下なのは頭が悪いからって聞いた」

「先生!?」

「待ちたまえ、今の砂狼君の説明には語弊がある」

 落ち着けと言うように両の手の平を向けた先生がこちらとヒナ、そしてホシノに視線を巡らせた。

「正直なところ、単体での戦闘力という面では聖園君も空崎君も、小鳥遊君とて同等だろう。そうなれば勝敗を決するのは精神面だが、安定度の高さで言えばこれは空崎君がトップだと判断している。故にこそ臨時とはいえ、総長という武のトップである役職を彼女に託したのだ」

 公的に部員を持たないシャーレではあるが、契約が成立した場合複数の生徒を指揮下に置くこととなる。だが色彩戦のような広範に渡る戦場を、先生一人で管理するのはさすがに厳しい。

 故に設けられたのが総長連合と生徒会。前者は武の代表として実働や警備を行い、後者は政の代表として事務や交渉を行う。これらの役職者は他の契約生徒より上位の権限を持ち、先生認可の元臨時の指揮権やある程度の特権を貸与されることもある。自称部員であるメンバーも臨時雇用とはいえ大半がこの役職者に該当し、ミカは総長連合の副長。総長であるヒナは上役に当たり、基本多忙な彼女に代わり実働の大半は自分とホシノで対応しているが、

「まあ、おじさんも一度負けてるからねえ。次は負けないと思いたいけど」

 そう苦笑するホシノは副会長(副部長)。総長連合であるヒナと直接の上下関係はないが、権限という観点で見ればヒナが上位だ。条件が悪かったとはいえ敗北したこともあり、ホシノは素直にそれを受け入れている。

 ……元々権力への欲とかないもんね。

 派閥争いの絶えないトリニティから見れば信じられないことだが、正直そっちの方が自分に合っている気はしている。ミカ自身もヒナとの付き合いを得たことで、彼女の下ということに不満はなくなった。が、

「ねえヒナちゃん、一回で良いから総長の権限譲ってくれない? 少なくともそれで生徒会長(部長)のシロコちゃんと権限的には同等になるから」

「同等になるだけじゃ条件的にはあまり変わらないし解決にもならないと思う」

「ん、そういうところが尊敬出来ない」

「せんせぇ……、皆が正論でイジメるぅ……」

「やれやれ、シャーレの姫君は身内相手だと打たれ弱いね」

 泣き付いたら頭を撫でられた。優しい。好き。思わず頬擦りしかけたがシロコに引き剥がされ渋々着席。そんなこちらに苦笑を零すと、先生は紅茶のカップを手に取り、

「確かに聖園君が空崎君に比べて不安定なのは事実だが、逆に言えば感情が乗った時の爆発力は誰も敵わないということだよ。錠前君達を守ってくれた時のようにね。苦手な戦術周りをカバー出来るからこそ同格の副部長に小鳥遊君を据えている訳だし、砂狼君の言う通りバディとして見るならキヴォトス最高峰だろう。求められる役割が違う、ということだよ」

 それに、と横目でホシノを見た先生が、

「副副コンビ、嫌かね?」

 釣られて見た先、ホシノがいつもの緩い笑みで己の膝を叩いた。そちらの方に身を倒し、頭を撫でられたところでミカは観念して、

「副長が良い……」

「うむ、とはいえ砂狼君の問題が解決していない訳だが、そうだね……」

 腕を組み、上を見た先生が考えること三十秒。満面の笑顔で視線を戻した彼女は、これまで聞いたこともないような可愛らしい声で、

「聖園先輩、お疲れ様です。今日は暖かくて風も気持ち良くて、散歩に行きたくなる良い天気ですね」

 ミカは盛大にむせた。

 

     ●

 

 口元を押さえ激しく咳き込むミカの背中をさすりながら、ホシノは容赦ない半目を向けた。視線の先、どうかしたのかとでも言いたげに小首を傾げている先生に手を上げると、

「……今の、何?」

 先程の声は、普段の先生と明らかに違うものだった。

 いつもが張りのある低音だとすれば、今のはどこまでも沈んで行きそうな柔らかく高い声。聞いているだけで脳が溶けてしまいそうな、そんな錯覚すら抱かせる程の甘い声だ。そんな可愛らしい声で不意打ちに先輩呼びされたら、ミカでなくともこうなる。誰だってこうなる。正直当事者でないホシノや、傍らのヒナですら冷や汗混じりだ。ダブルシロコは感心したように頷いていたり言って欲しい台詞リストを書き出し始めたり相変わらず過ぎるのでノーカンとするが、当の先生は腕組み付きで、

「まあ、何だね? 聖園君の願望を叶えようと、僭越ながら昔の私の声で後輩っぽく振る舞ってみたのだが」

 いやあ、と先生は笑って、

「ここのところ高い声を全く出していなかったもので、全然納得行かない出来だねこれは!! 自己採点で三十点だ!!」

 百点の声を出されたらこの場の全員が死ぬんじゃないだろうか、とホシノは真剣に思った。

 しかしマズい。これはマズい。かなりマズい。先生は信頼の置ける大人ではあるが、普段は不規則言動でキチガイだ。生徒をからかう茶目っ気たっぷりモードの際は、割と容赦なくイジって来る。たった一声で死に体となっているミカなど、格好の的だろう。そのまま流れ弾がこちらに飛んで来れば、死屍累々と言うのも生易しい大惨事だ。いやまあ、正直呼ばれたくないかと聞かれれば答えは当然否なのだが、ダメージがデカ過ぎるというか多幸感で死にかねないというか。少なくとも当分シャーレの総長連合・生徒会は休止状態だろう。本来の所属元である学園や団体にも被害が及びかねない。

 そこまでを思案したホシノは、ヒナと密かにアイコンタクト。頷きを交わし合い、先生の矛先がこちらへ向かないよう上手く会話を着地させることを試みる。最悪ミカを盾にしてでもだ。ごめんねミカちゃん、でも逆の立場ならミカちゃんもそうするだろうし、良い目を見た分差し引きがあってもいいよね? ね? という訳でひとまずヒナが無難な話題の展開として、

「普段とイメージが全く違う気がするのだけど、……声変わり?」

「ぶっちゃけてしまうと成り行きだよ。昔の私が度し難い阿呆であったことはご存じの通りだが、あんな可愛らしい声だと懲りずに近寄って来る馬鹿な男共が多くてね。故にクール系というか威厳出して「寄るな」オーラを醸し出すべく低音を心掛けていたら、すっかり地声がこうなってしまったという訳だ。それでも結果が変わらなかった辺り私も馬鹿だが」

 コメントに困る返しが来て、ヒナ共々曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。と、ようやく復帰したミカが息も絶え絶えに身を起こし、

「この不始末、どう思います? 聖園先輩」

 先程より質が上がり五十点くらいになった先生の声にミカがソファーへと突っ伏した。

 ガクガクと身を震わせながら、手を着いたミカが懸命に身を起こす。頬どころか顔全体を赤くし、混乱のあまり視線をあちこちへ彷徨わせながら、

「せ、せんせ、ごめ、それ、本気でヤバ、死ぬ、死んじゃう」

「どうしたんですか聖園先輩? いつもの明るく可愛らしい笑顔が台無しですよ? 私、あの笑顔大好きです」

「ごふっ」

 ミカが沈んだ。

 ソファーから転げ落ち床に激突しても、全くと言って良い程反応を返さない。どこか遠くを見て緩み切っただらしない笑みを浮かべている辺り、危ない薬でもキメたような絵面になっていて物凄く反応に困る。それで良いのかお姫様志望。写真に撮っておいて後でネタにしようかとも思ったが、さすがに人の心がなさ過ぎるだろうか。どうだろうか。そんな現実逃避に専念していると、やや狼狽した様子のヒナが必死で、

「先生、保身の為にも言うけど今ここで倒れたら風紀委員会の活動に多大な支障が出る。早まった行動はしないで」

「心配要りませんよ。空崎先輩のサポートは、私が責任持ってしっかりやり遂げますから。空崎先輩の凛々しくて格好良いところ、私尊敬してます」

 七十点でヒナが沈んだ。

 目を見開き、呼吸器官がやられたように胸元を押さえ必死で荒い息を繰り返す様は、そこそこ付き合いのあるホシノをして初めて見る光景だ。無理もないとは思うが、先生の視線がこちらを捉えているのは気のせいということに出来ないだろうか。逃げ切るのは不可解だとしても、せめて心の準備をする為の時間を稼がなければ、二人の後を追うことになるのは間違いなく、

「……えーと、先生? ルーチンギャグも度が過ぎるとウケが取れないっていうか、天丼だって食べ続けたら飽きが来るっていうか、……そんな感じでダメかなあ?」

「どんな感じですか、小鳥遊先輩? 二度あることは三度ある、とも言いますよ? 今度はお昼寝じゃなくて、小鳥遊先輩と一緒にお勉強しましょうか」

 九十点が来てホシノも沈んだ。

 

     ●

 

 凄惨、という言葉の意味を、改めてシロコは考えていた。

 眼前、三人の少女達が死んでいる。あくまで比喩表現だが、実態としてはそう遠からずだろう。アビドス、ゲヘナ、トリニティ最強クラスと言える面々が揃って敗北している姿など、色彩の一件でさえ見たことがない。

 ……私、ほとんど現場にいなかったけど。

 まあアレとコレは質が違い過ぎるというか、比較対象にするのが間違っているというか。ある意味自分が発端となって生まれた光景とはいえ、同情心はあまりない。本人達は幸せそうだし、先生と対等のパートナーになりたいシロコとしては先輩や後輩の括りは心惹かれるものではないのだ。ノアとランニングした際にはそれでしくじったが。あとどことなく私と似た声になってるし。

 ……つまり練習すれば私の声で先生の声が再現出来る?

 大発見だ。後でじっくり検討しよう。ともあれ過ぎたことより今は前を見て、

「……ホシノ先輩、大丈夫?」

「うへっ!?」

 先生と勘違いしたホシノが身を跳ねさせた。が、声の主がこちらだと分かると肩の力を抜き、

「いやあ……、危うく三途の川が見えたよ……。シェマタの件で精神攻撃に耐性付いたつもりだったけど、私もまだまだだなあ……」

 素の一人称が出てる辺りダメージはデカそうだ。ミカやヒナも緩慢に身を起こし始めており、とりあえずは無事らしい。しかしこの惨状を引き起こした先生は、相変わらず楽しげに笑っていて、

「ははは、思った以上に効果覿面のようだ。砂狼君達も一丁行くかね?」

「ん、だったら一緒にデートの方が嬉しい」

 先に反応したのはもう一人の自分だった。欲求に正直かつ大胆な言葉に、先生は苦笑しつつも頷いて、

「比重が違い過ぎるので難しいところだが、まあ買い出しついでの散歩程度なら許容範囲か」

 もう一人の自分がガッツポーズをして三人が信じられないものを見るような目を向けたが、ここはもう一人の私の作戦勝ち。更に言えば同じ「シロコ」として便乗出来る私の一人勝ち。ん、漁夫の利。

「……おや」

 内心満足の息を吐いていると、不意に先生がスマホを手に取った。そのまま席を立ち上がると、

「すまない、月雪君が急ぎ報告したい案件があるとのことなので少々席を外す。今日の案件はC&Cからの演習依頼だったから、十中八九物損の手続き関連だろう。出場待機は不要なので、そのままくつろいでいてくれたまえ」

 と言い残し仮眠室の方へと移動して行った。背中が遠ざかり、扉が閉まるところまでを見届け、そこでようやく三人が肩の力を抜き、

「すごかったね」

「うん、すごかった」

「すごかったとしかいえない」

 言語野が破壊されてないだろうか。アビドスとトリニティはともかくゲヘナには対策委員会辺りが出向いた方が良いのではないかと思っていると、不意にもう一人の己が手を上げる。緩慢な動きで視線を向ける三人に対し、彼女は己のスマホを向けて、

「さっきのやり取り、こっそり録音しておいたけど、……欲しい?」

 三人が無言で俯き、しかしゆっくりと手を挙げた。

 一応シロコももらっておいた。

 

     ●

 

・あろな:『……結局のところ、シロコさんはどうしてミカさんを先輩と呼ばないんでしょうね? 普段は抜けててもいざという時はキメる、という点ではホシノさんもミカさんも同じだと思うんですが』

・私  :『その小鳥遊君と親しくしているから嫉妬混じりなのだろう。空崎君のように共に窮地を乗り越え、家族に等しい大事な仲間を救ってくれた訳でもないからね。自覚の有無までは分からんが』

・プラナ:『物凄く納得しました』

 

     ●

 

「……と、そんなことがあった」

「……何でそう貴女達、人がいないタイミングでもそうやって平然と美味しいイベントを……、こほん」

「あの、ユウカちゃん、気持ちは分かりますしこれだからシャーレにズルズル居座ってしまうのは完全に同意ですけど、その場にいて耐えられた自信あります?」

「ん、きっと照れ隠しに長時間説教コース。間違いない」

「そんなこと……!! ……ない、とは言い切れないけど……」

「むしろいなくて良かったのはノア。面と向かって言われたら一ヶ月くらいマトモに先生と会話出来なくなってたと思う」

「い、いえいえ、いくら何でもそこまでは……」

「……お姫様抱っこ」

「うっ……!!」

「……ノア? 今ちょっと聞き捨てならない単語が聞こえた気がするんだけど? 説明してもらっていいかしら? ねえ」

「あ、あの、ユウカちゃん? 笑顔が怖いですよ? ええとその、シロコちゃん、ヘルプ!! ヘルプお願いします!!」

「ユウカ、今度足元にバナナの皮を設置するから、上手く転んだフリをして。腰を打った演技もあるとなお良い」

「どういうアシストよ!!」

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