「シロコさん」
シャーレオフィスビル、執務室。本来この部屋の主が座っているはずの場所に腰掛けている相手の名を呼ぶと、向こうもこちらに気付き顔を上げた。手元、睨めっこしていたコーヒー豆のパッケージを机に置くと立ち上がって、
「ミヤコ、今帰り?」
「はい。第一特務としての情報収集に目処がついたので、記録の纏めと報告に」
ん、お疲れ様、と返して来るシロコにミヤコは小さく一礼。室内に幾つかある生徒用の机の内、シロコの対面に抱えていたクリアケースを置いて、そのまま書類仕事に移行。程なくして湯気を上げるカップが差し出され、
「コーヒー。お茶請けはいつものウエハースだから、ミルクと砂糖はお好みで」
「あ、ありがとうございます」
受け取ったカップを口に運ぶ。程良い苦みが舌に乗り、続けて口にしたウエハースチョコの甘さを引き立てる。大食らいでもないのに三つも盆に載っているのは、恐らくまた先生が箱買いしたのだろう。爆死してないと良いのだが、先生はこの手の運が壊滅してるので多分無理でしょうね……、と内心眇めになりつつミルクを追加。見れば隣、椅子を転がして来たシロコもカップ片手にミヤコの持って来た書類を眺めていて、
「シロコさんは何を?」
「最近ユウカが安くて質の良い豆に変えたら再現率が落ちた。原因究明中」
ああ、とミヤコは納得する。自称シャーレ部員の間では、シロコのコーヒー好きは周知の事実だ。先生の味の再現に躍起になる内にハマったとのことで、事実生徒の中ではトップクラスに淹れるのが上手い。それでも先生には敵っておらず、ユウカやノアにノノミ、果てはヒナ達も交えあれこれ話し合っている光景はよく見掛ける。
そんな彼女達を笑ってけしかける先生の姿も、だ。
……大きな山も越えましたし、しばらくは仕事をお休みにしてこっちに混ざるのも良いかもしれませんね……。
そんなことを思っていると、シロコが書類から顔を上げた。スマホを取り出し何かをチェックしつつ、
「ん、中身も問題なさそう。先生、この件が片付いたら小隊の皆も含めてしばらく休暇にした方が良いんじゃないか、って言ってたけどどうする? このところあちこち飛び回ってたみたいだし」
「え? ……あ、ええと、調整が利くならお願いしてもよろしいでしょうか?」
「分かった。サクラコやアコから妙な話も来てないし、お休み中に何かあってもサオリ達に頼むから気にせず羽を伸ばして」
頷き一つで手筈を進めて行く辺り、臨時とはいえ
……突発的な言動が多いだけで、基本優しくて気遣いする方なんですよね……。先生もそうですけど。
シャーレに世話になっている団体のうち、対策委員会とRABBIT小隊はそれなりに付き合いがある。正確には対策委員会がどことでも付き合いを持っているという方が正しいが、RABBIT小隊側から見ればそう評するのが近い。
何しろお互い少人数、廃校もしくはその寸前、先生のおかげで持ち直したなど、意外と共通点は多いのだ。特にシロコとは感情が表情に出にくかったり、動物的な要素が外見にあったりと、謎のシンパシーを覚える面もあって、
……小隊の皆や先生を除けば、一番親しい相手と言って良いかもしれませんね。
幾度か顔を合わせたことはあったが、友人付き合いの切っ掛けは先生の仲介だ。元々好戦的なシロコがこちらの事情を聞いたらしく、紹介を頼まれたのだと言う。SRT仕込みの戦闘技術を教えて欲しい、と。
事実シロコの秘めた才は確かなものだが、如何せん我流でラフ過ぎた。銃を持たない先生では体術の指導は出来ても、射撃系の面倒は見れない。逆に言えば正規の訓練を受けていないのに、噂に聞く数々の戦果を挙げていると考えると末恐ろしいのだが、だからこそミヤコの側も興味があった。
結果互いの技術交換から始まり組手や共同出撃、果てはランニングや水泳の付き合い等々。単なる趣味でこちらに追随する銀狼のフィジカルに戦慄を覚えることも多々ありつつ、基本的には良い先輩と後輩の間柄。臨時部長であるあちらと臨時第一特務であるこちらでは立場が違うが、普段の付き合いではそういった差を感じさせず、
「そういえばこれ」
と、思い出したようにテーブル上のコンビニ袋を差し出して来る。受け取ってみれば小分けにしやすいスティックタイプの菓子が幾つか入っていて、
「差し入れ。良かったら小隊の皆で食べて」
「あ、ありがとうございます……!!」
餌付けと言ってしまえばそれまでだが、こんな感じでちょくちょく菓子類を恵んでくれる。質素倹約を主とする自分達ではなかなか食べる機会もなく、たまの贅沢として皆にも好評だ。アビドスとて資金に余裕はないだろうに、買い過ぎた余りという建前で分けてくれる彼女には感謝しかない。
「では、お礼代わりというのも難ですが、今度一緒にランニングに行きませんか? ちょっと足を伸ばす必要はありますけど、海が綺麗に見える砂浜があって、すぐ傍に大きな銭湯も」
「良いね。水着を用意してそのまま遠泳まで堪能したら、サウナと風呂上がりのフルーツ牛乳で〆る夢の一日コース」
「夢が広がりますね……!!」
互いに親指を立てる。作戦行動然とした普段の訓練を否定する訳ではないが、こういった友人付き合いの延長としての運動も気楽で良い。余裕が出来たらサイクリング用の自転車も買いたいところではあるが、作戦時の足として経費で落とそうとしたら却下されたので当分先だろう。いくらシャーレの払いが良いとしても、衣食住の出費を考えるとやや厳しい面がある。
やはり切り詰めるなら食費か。だが栄養失調で動けないなんて事態になったら頭が悪過ぎるし、ぴょんこの餌を少なくするのは言語道断。衣もさほど持っている訳ではないが、先生と買いに行った水着や先生との外出用の私服はちょっと手入れをし過ぎかもしれない。とはいえ先生にみすぼらしい姿を見せたくないので要検討。公園暮らしの時点でみすぼらしいとか思ってはいけません。住はいつものテントだし、そうなると倹約出来そうなところはええとええと、
「ミヤコ、梅干しを同時に十個くらい食べたみたいな顔になってる」
「はっ!?」
いかん、頼れる先輩に見苦しいところを見せてしまった。誤魔化しの咳払いと共に居住まいを正し、何でもないことのように書類仕事を再開。つい雑談に興じてしまったが、本来の目的を果たさぬまま遊んでいては示しがつかないというものだ。別段急ぎの仕事ではないとはいえ、先生の過密スケジュールっぷりを考えると早いに越したことはない。
頑張らねば、と内心で気合いを入れ直す。だが出鼻を挫くようにシロコが、
「ところでミヤコ、一つ聞きたい」
「はい、何でしょう?」
手を止め、シロコの方へ向き直る。一度考えるように上を見た彼女は、ややあって視線を戻すと、
「ミカの件で先生が通した法案、ミヤコ達も十分保護の対象に入ると思うけど、受けないの?」
「……あー」
微妙に返しづらい話題で、思わず視線を逸らした。が、シロコが容赦なくキャスターを転がして回り込んで来て、しかしミヤコも回って回避。
そのままフェイントを織り混ぜつつ七回程回ったところで引き分けということになった。
「で、どうなの」
「……引き分けじゃなかったんです、か」
「お望みならまだまだ回れる」
椅子上でくるくる回り始めたのでさすがに止めた。段々先生みたいな不規則言動が増して来た気がするが、自分も行く行くはこうなるのだろうか。ただでさえうちの小隊は個性豊かな面々が多いので、纏め役である自分くらいはマトモでなければいけないと思うのだが。あまり深く考えると嫌な結論しか見えない気がするが、自分の将来に関わるので真剣に考えなければいけない気もする。どっちですか。ともあれ公的な回答としては、
「元々野営などの訓練も受けているので、今の暮らしでもやって行けないことはありません」
「でも長期間となると色々苦労するはず。実際シャーレの浴場を借りに来てるし、ミヤコ達の部屋も用意してあるって聞いてる」
うーん、と腕組みして身体ごと傾ける。律儀に付き合ってシロコまで同じように曲がって来たのですぐに戻したが、これはちゃんと答えないと納得しそうにない。気にし過ぎなのだろうと、そう思いつつも否定出来ない本心を、ミヤコは観念して口にする。
「今でこそ打ち解けてますけど、先生には顔合わせ時から多大なご迷惑をお掛けしましたし……。SRTの看板を背負っている以上、情けない姿を見せる訳にも行きませんから」
正直に言ってしまえば、先生と共に守り抜いた居場所への愛着というのもある。だが理由の比重としては、どちらも同じくらいには重かった。
総長連合第一特務。単純な実働である第三特務以降や、総合的な戦闘力を求められる総長・副長とは違い、情報や諜報を扱う重要な役職だ。主に先生が協力者から受けた不穏な情報の裏付け、調査などをメインとする、実働時の作戦立案にも関わる業務。そのような大役を任じられている以上、ミヤコとしては先生の信頼に応えねばならないという気負いがある。敵対した引け目もあるのだし尚更だ。あまりシャーレに顔を出していないのも、それらの任務に専念しているからで、
「大丈夫」
如何にも先生が言いそうなことを、彼女に最も近しいシロコが口にする。面を上げた先、いつもの無表情で親指を立てた彼女は悪びれもせず、
「そこまで気にしなくていい。先生と派手に敵対したけど同居生活を満喫してるお姫様もいるし」
●
「あれ、どしたのミカちゃん。急に胸押さえて」
「アイタタタ、何だろ、どこかで飛び火して耳の痛いことを言われたような気が……」
「二人共、列が進んでる。限定ケーキが手に入るかどうかの瀬戸際で周りも殺気立ってるから、動きを乱さない方が良い」
「おおう、ヒナちゃんはクールだねえ。どうするミカちゃん、あっちのベンチで待ってる?」
「んー、多分だいじょぶだいじょぶ!! ここまで来たのに人数分買えなかったらもったいないし!!」
「なら手早く済ませてシャーレに戻りましょう。ミカも無理せず、危ないと思ったら素直に言って」
●
「……あの、シロコさん、何か連絡来てるみたいですけどいいんですか」
「気にしない。多分ホシノ先輩から「あんまりミカちゃんイジっちゃダメだよ?」って来てるだけだから」
トリニティ最強クラスを相手にこの扱いだから豪胆というか肝が太いというか、先生と波長が合うのも納得だ。恐ろしいことにミカの方も友人達もそういった扱いをギャグで済む分には許容している節があり、一言で言うなら人徳なのだろう。詳細は分からぬまでも、砂狼シロコという存在が先生の支えになっている点は、自称部員の誰もが知っている。
……もう一人のシロコさんが合流してからは自由人っぷりが倍増しですけど。
この三人についてはふと視線を横に向けたら謎の踊りで背景として通過して行きそうな、そういう負の方向への信頼がある。いや、まあ、正の方向でも信頼はしているが、それ以上に何をしでかすか分からないというか。そんなある意味物凄くコメントに困る相手は、容赦なくスマホの通知を消すと、
「ミヤコ」
「あ、はい」
つい姿勢を正してしまう辺り、年功序列の習性が抜けないというか、先輩で上位役職者なのだからこれで良いんじゃないかという感もあるが、そんなこちらにシロコは小さく頷いて、
「犯した過ちは、償えないと思う?」
「……え?」
思わぬ方向に話題が吹っ飛んで、思わず首を前に倒した。問われた言葉を頭の中で転がし、
「ええと、公的な罰を受けて社会的に赦されることはあっても、当人がどう思うかは別なのではないかと……」
先生は気にするなと言ってくれるし、色彩の件で大いに助けられたから貸し借りなしだとも言ってくれた。だが、だからといって開き直るのも都合が良過ぎる気がするし、性格上ちょっと無理がある。大体借りと言うならば、既に返しきれない程作っているのだ。が、シロコは小首を傾げると、
「じゃあ、妹と死に別れた先生は一生後悔したまま?」
「そ、それは哀しい擦れ違いの結果であって──」
「同じだよ」
こちらの言葉を遮って、シロコは静かにそう告げた。
「貴女達が先生と一度敵対したのも、擦れ違いの結果。それが解消された今、一緒に同じ方を向けているなら、それで十分だと思う」
だって、
「先生だって妹のことやケイのこと、上手く行かなくて悩んだり、落ち込んだりすることはある。だけど自分の中で折り合いをつけたり、私達が支えたり、そうやってここまでやって来た。それぞれ立場や目的が違っても、見ている方向が同じなら共に行く、って」
現に、
「ヒナ先輩……、は違うけど、ホシノ先輩もミカも、サオリもアルも、それにもう一人の私も。先生と対立したりぶつかり合ったりして、でもそれを乗り越えて今の関係になってる。コーヒー飲んでダベったり、変な思い付きで振り回されたり、見苦しい共食いで騒いだり」
スマホが連続で着信を通知したがシロコは無視した。
「変えられない過去に浸るより、幸せな先を望もう? そうしていればきっと、過去にあった色々も、そんなこともあったね、って笑えるようになるから」
それに、
「先生ならこう言うんじゃないかな。いつまでも落ち込んでいるものではないよ、って」
それは、かつて彼女に掛けられた言葉と寸分違わぬ同じもの。思わず顔を上げた先、シロコは相変わらずの無表情ながら、少しだけ口元を緩めていて。だからミヤコは肩の力を抜き、苦笑と共にこう言うしかない。
「シロコさんには敵いませんね」
「ん、まだまだ伸び盛り。もう一人の私よりもっと強くなる」
ガッツポーズを決めてみせる姿は、どこまでふざけていてどこまで本心なのやら。最も先生に近しい生徒という評を本当の意味で理解し、しかし譲るつもりもなく。だが友人でもある相手に、一つだけ言うことがあるとすれば、
「シロコさん、先生とか向いてると思いますよ」
「……つまり、先生の同僚として一緒にお仕事したり深夜のオフィスでコーヒー淹れたりが合法的に……?」
「今と大差ない上にどうしてそう逞しいんですか」
苦笑で返すが、首を傾げられては降参するしかない。広げていた書類を一つに纏め、ホワイトボードの前に移動すると、ミヤコは微笑と共に振り向いた。
「シロコさん、明日の午後にやりたいことがあるんですけど、ご一緒してもらえませんか?」
●
「おや、月雪君。今日はオフだったと記憶しているが、忘れ物でも?」
「あ、いえ、その、……ご迷惑でなければ、ここで過ごしても構わないでしょうか?」
「断る理由がどこにあるのかね? 適当に座って待っているといい、今ココアでも用意しよう。砂狼君はコーヒーの方がいいかね?」
「ん、ココアで大丈夫。それと先生、今夜はミヤコと一緒にチキンカレー作るから、お腹空かせて待ってて」
「ほほう、チキンカレーには同期の洗脳で一家言あるので期待させてもらうとしよう。月雪君もよろしく頼む」
「はい。ご期待に沿えるよう頑張りますので、楽しみにしていてください、先生」