「何だ馬鹿」
『あァ? その馬鹿に体捌き教わった馬鹿はどこの誰だよ。あれあれもしかしてその歳でもうボケちゃいまちたかあ?』
「ははははは女性相手に年齢の話題を出すとは相変わらずの朴念仁だな腐れ野郎。山奥篭りの猿には難しかったかね?」
『歳とか気にするようなタマかよオメエ。同性バッチコイのエクストリーム宣言ブチかまして教え子の性癖壊したって奏から聞いてんぞ』
「本心ではあるよ。私は貴様のように全てを大事にするなどと器用な真似は出来ないがね」
『生徒の為に流れ星になっといて言えた義理か。もう少し自分を大事にしとけ』
「鏡見てから言え」
『ああ、隣に嫁いるから聞いたけどいつも通りだってよ』
「ええい揃いも揃って狂人ばかりだな相変わらず。私以外マトモな人間はいないのか」
『鏡見てから言え』
「うむ、いつも通り容姿端麗で隙のない私が映っているね」
『何で俺の周りキチガイしかいねえんだろーなー……』
「いいからさっさと本題を言いたまえよ、
『へいへいTes.Tes.、暇無しはお互い様ってな。もしもの為って頼まれてたやつ、完成したから送っといたぞ』
「どちらだ?」
『器。もう片方はうちの銃担当がテスト中』
「……念の為に聞くが、妙な仕込みはないのだろうな?」
『“そっち”合わせでうちの副会長や小樽の連中が調整してるから心配すんな。ま、ちっとばかし保険とオプション盛ってはいるが、ギリセーフの範疇にしてある。オリジナル程じゃないにしろ、自分や部員守るくらいは余裕だから安心しとけ』
「……そうだな。確かに貴様はどうしようもなく馬鹿で阿呆でデタラメで不規則言動の絶えない朴念仁な色ボケだが、己の言葉を違えるような人間ではない。ならばその言葉を信じるとも。──感謝である」
『ディスりと感謝を並行してぶつけるのやめろ。……ま、失わせない、ってのは俺らの方針でもあるんだし気にすんな。オメエが上手くやり遂げることが最大の対価ってやつだ。恩に着とけ』
「……私などより貴様の方がよほど向いていると思うのだがね」
『あー無理無理無理。こっち楽しくて離れらんねー。つーか十人単位の大所帯で行ける訳ねえだろ、娘連中までついて来るぞ絶対』
「ははは家族仲睦まじくて結構なことだね末永く爆発しろ」
『ははは生徒とイチャイチャ仲良く青春してるオメエもな』
「否定はせんよ。……さて、それでは早速行って来る。彼女達の喜ぶ顔を一刻も早く見たいのでね。またな、師匠」
『……誰より喜んでるのはオメエだろうによ。楽しんで来い馬鹿硝子。現役の学生じゃなくても、青春するのに遅いなんてこたあねえんだからな』
●
「
部室のドアをブチ破ってキチガイが転がり込んで来た。
モモイの視線の先、身を丸くした狂人が転がり、壁にぶつかる寸前で停止。そのまま人型へと変形し、肩を回しつつ埃を払うと、反応を待つように両の腕を広げる。
無視した。
触らぬ神に何とやら。作業中のミドリ、ソファーでゲーム中のアリス、ロッカー内で考え事をしていたユズと密かにアイコンタクトを交わし、この肝心な時以外駄目人間な大人に巻き込まれまいとスルーを決め込む。信頼しているし、頼りにもなるが、キチガイフルスロットタイム中はなるべく関わりを持ちたくないというのがゲーム開発部の共通見解であり、彼女を知る者全員が納得する方針だろう。昔は一々ツッコんでいたがさすがに慣れた。
「……一体何の騒ぎですか、先生」
だが、キチガイ耐性が低く部室に出入りするようになってから日が浅い為、このノリに付いて来られなかった者が一人。何とも形容し難い機械製のボディ、その正面側に配置されたディスプレイに映し出されたのは、長い黒髪と赤目が特徴の少女。
ケイだ。
紆余曲折を経て復活を遂げたアリスの別人格、という表現で良いのかどうかは微妙なところだが、まあ大枠では合ってるだろう。出オチにも程がある今の見た目と生真面目さからすっかりイジられキャラ兼ツッコミ担当となっているが、やはり不慣れな面はある。そして芸人というのは概ね、リアクションがあれば調子付くのだ。その証明のように先生が手を上げ、
「おや天童妹君、今日も関節の駆動音が良い感じで何よりだ。ところで脚部代わりのタイヤはヘタれてはいないかね? 交換が必要であれば私手ずから対応するよ?」
「答えになってない上に徹頭徹尾意味不明な言動をしないでください。真っ当なコミュニケーションをする気がないのですか」
「おかしなことを言うものだね。私はキヴォトスに来て以降生徒達と健全かつ好意的なコミュニケーションを図れていて、意思疎通に難儀したことなど一度もないよ?」
「目の前でリアルタイムにその反例が繰り広げられていることは無視ですか!? モモイ!! 貴女も何か言い返しなさい!! こういう時真っ先に食って掛かるのは貴女でしょう!?」
耳を塞いで顔を背けた。巻き込まれたくないからだ。だが一台と一人は背後からステレオで、何なら後者はこちらの周囲を反復横跳びしながら、
「モモイ!! 無視してないでこちらに来なさいモモイ!! 私一人にこの不規則言動の塊を押し付けようなどと狭量ですよ!!」
「否、これは塩対応でも適切なコミュニケーションが図れるはずだという才羽姉君から私への厚い信頼!! ここからウィットに富んだジョークで場を和ませ優雅なティータイムへと雪崩れ込み、キャッキャウフフと円満解決!! そういうことだね才羽姉君!!」
「正気度がモリモリ下がるようなネタを振るなぁ──!!」
つい振り返ってツッコミを入れてしまった。トリニティじゃあるまいしどう考えてもそんなお嬢様校みたいなノリがこの面々に似合う訳がない。そして、
「せ、先生、それならお姉ちゃんの代わりに私と正しいコミュニケーションを……!!」
「あ、アリス知ってます!! 先生が前に話していたぎゃるげえ? というやつですね!!」
「先生!! アリスの教育に相応しくないものを軽々と口にしないでください!! 物事には順序というものがあるのです!!」
「……け、ケイちゃん、何で相応しくないって即断出来たの? あと、順を追ったら教えて良いの?」
各々が好き勝手言い出して瞬く間に収拾がつかなくなった。というか被害担当が決まった瞬間全員でボケ倒し始めるの本気でどうにかならないだろうか。一部素なのもいるだろうが、ミドリは間違いなく押し付けに来てる。後でゲームで張り倒さねば。勝てるかどうかは知らん。大事なのは意気込み。
一瞬で喧しくなった部室内に視線を巡らせ、先生が大きく頷いた。腕を組み、爽やか過ぎる笑みを浮かべ、
「いやはや、全員元気で何よりだ。だが騒がし過ぎるのも時と場合、その辺りは気を付けたまえよ?」
「あんたのせいだよ!!」
全員でツッコむが先生は踊ってスルーした。
「さて諸君、掴みはオッケーということで本題に入ろうか」
「その掴みだけで気力がごっそり持ってかれた気がするんだけど!! けど!!」
まあまあ、とミドリに宥められた。気の立った猫のような呼吸をしていると、先生はこちらに両の手の平を向け、
「落ち着きたまえ、今日は朗報を持って来たのだ。そう警戒する必要はないとも」
「つい数十秒前までの言動を振り返ってから言って欲しい……」
半目でぼやくが先生は既に動き出していた。部室のドアから身を外に出し、大きなトランクを中へと持ち込む。すっかり一箇所に集まっていた面々の前にそれを置くと、
「内容は他でもない、天童妹君のことだ」
一同の視線が向かう先、ケイがディスプレイの中で首を傾げた。その動きはアリスと変わりないが、やはりガワがデカ過ぎる。ただでさえ物が多く散らかっていることの多い部室内では、身動きを取るにも苦労が多く、
「個人的には調月君の独創性溢れるその身体も捨て難いところなのだが、さすがに日常生活を送る分には不便も多いことだろう」
「前半は戯言として無視しますが、後半については全面的に同意します」
だろうね、と先生が頷いた。トランクに手を乗せ、物理・電子問わず幾重にも掛けられたロックを外し、
「そんな訳で私のコネと伝手とシャーレ特権をフル活用し、このようなものを用意した」
開け放たれたその中身を見て、全員が言葉を失った。
自らを縮めるようにして、一人の少女が身を丸めている。
黒の長髪。ミレニアムの制服。膝を抱え顔を伏せているとはいえ、自分達が見間違えるはずもない。
アリスと瓜二つな、人間としか思えない人形がそこにいた。
「外見に関しては天童君を完全に再現している。生体式故に食事や睡眠等も人間と同様に必須、身体能力に関しては天童君程ではないが、不自由を感じることもないだろう」
「ちょちょちょちょちょ、ちょーっとストップ!!」
堪らず立ち上がって制止した。慌てて皆の方へ振り向くと、ケイも含めて全員が激しく頷きを返して来たので代表してモモイは言う。
「トランク詰めの女の子とかビジュアルがHANZAI過ぎるよ!!」
「お姉ちゃん!! お姉ちゃん!! それは確かにそうだけどそっちじゃなくて!!」
いやこっちの方が重要かと思って。先生が牢屋にブチ込まれたらさすがに困るし。まあこの人の場合秒で出て来そうだけど。
ともあれ今度こそ、モモイが代表してその疑問を口にする。
「アリスってリオ会長が危険視するくらいに意味不明な技術のはずなのに、どうやって用意したの!?」
否、リオに限った話ではない。エンジニア部やヴェリタス、更にヒマリですらまるで解析出来なかった代物のはずだ。だからこそリオはアリスを回収し、自分達と一戦構えることにもなっているのだから。
確かに先生は多芸で頭も良く人脈の広さも尋常ではないが、いくら何でもこれは度が過ぎている。
そんな驚愕と尊敬と疑念が入り混じった視線を受け、先生は上を見た。そのままきっかり三秒、改めてこちらを見た彼女は真剣な顔で、
「花岡君や天童妹君でも付いて来れるか怪しい話を、基本アホの才羽姉君に説明しても理解出来ないと思うのだが」
「み、身も蓋もないこと言った……!!」
仮にも教育者が言って良い台詞じゃないと思うのだが、一切否定出来ないしコレが平常運行なので気にしたら負け。何だかんだで濃い付き合いだし、ギャグと地雷の線引きはしっかり分かっているのだ。それはそれとして腹は立つのでツッコミは全力だけど。
「まあ細かいことは置いておきたまえ。子供の願いを叶える為なら、手間暇惜しまぬのが大人というもの。そう、つまりこれはサンタクロースが運んで来た季節外れのクリスマスプレゼント──、いかん赤装束で来るべきだったか!? すまない諸君、三十分後にリテイクということで一旦全て忘れてもらえないだろうか!?」
「いやいやいやいやいや」
こんなとんでもないものを引っ提げて来ておいて忘れろはMURIがあり過ぎる。全員が立てた手の平を横に振って返すと、部屋の隅に移動した先生が膝を抱えてルールー歌い出し、アリスが励ましに行って連れ帰って来るまでが一ターン。長い。でもよくある。このくらいのムーブならまだ大人しい方。
なのでそれ以上はツッコまず、改めてミドリやユズ共々トランクの中を覗き込む。目を伏せている姿は身動きがないとはいえ、眠っているようにしか見えず、
「うわあ、ホントにそっくり……。ほっぺのぷにぷに具合もそのまんまだよ」
「か、勝手に触らないでよお姉ちゃん、うっかり壊しちゃったら責任取れないよ」
「そ、それはそれで耐久性に難があるような……」
「気持ちは分からんでもないが当事者不在で盛り上がり過ぎではないかね君達」
盛り上がらない方がおかしい。そんな訳で騒いでいる部員達の中、ふとアリスの声が小さく響いた。
「先生」
その声音に真剣なものを感じ取り振り向いた先、アリスが先生を見上げている。イジけた先生を連れて来る際に繋いだままだった手を、不安そうに握り締めたアリスは、
「このアリスは、以前のアリスみたいに良くないイベントを発生させたりしませんか?」
問いに、先生が眉を上げた。だが即座に表情を緩め、手を握り返した長身が腰を落とす。正面から己と同じ色の瞳を見据えると、
「絶対にない、とは言い切れないね。全てが思い通りに行く程、現実とは単純でも簡単でもないのだから」
だが、
「そういう面倒事には私が出張るので安心したまえ。仮に何かが起きたとしても、乗り越えられぬ君達ではあるまい。セミナーやC&C、エンジニア部にヴェリタス、特異現象捜査部、そしてシャーレの自称部員達と、力を貸してくれる者も多くいるのだから。……仲間と力を合わせ困難に打ち勝つのは、勇者の醍醐味だろう?」
頭に乗せられた手に、アリスもまた口元を緩めた。一度頷き、笑みを満面としながら再度頷いて、
「……はい。アリス、絶対に負けません。コインがなくなっても、コンティニューボタン連打します」
「その場合私が払うから筐体を壊す前に声を掛けたまえよ? あと両替中は大人しく待っていること。いいね?」
Tes.、と元気良く応じるアリスに、部員一同もほっと一息。微笑して立ち上がった先生は、アリスの背を押してこちらに送り出しつつ、
「ちなみにこの件についてはセミナーに予め話を通してあるので、天童君の時のような騒動は生じない故安心したまえ。……まあ、ミレニアムの愛され枠である天童君に瓜二つの人物が登場、という意味では大騒ぎになりそうだが」
あー……、とユズが目を逸らす。ケイは事情が事情故あまり部室から出ないが、この身体になればアリスが喜んで連れ回すだろう。そうなれば部室への訪問者も増えるので、対人関係の苦手なユズにとっては死活問題だ。その辺りは追々考える必要があるにしても、やはりケイにも一人の人間として自分の思うように過ごして欲しいとモモイは思う。
「って、あれ? そういえばケイは?」
思い返してみると、ここに至るまでリアクションらしいリアクションがなかった気がする。狭い室内に視線を巡らせると、見れば探し人は下にいた。それも、機体が転倒しかねない程身を低くして先生を拝んでいて、
「あの、先生、これまでの発言について謹んでお詫び申し上げますので、どうかそのボディを譲っていただけないでしょうか……」
「ははははは自分の立場というものが分かったようだね、理解が早いよ天童妹君。──まあ下手に出たところで頷く私ではないが」
鬼だ……、と全員で俯いてしまうが、まあ先生こういう人だし。だが単に性格が悪い訳ではないというのは、続く台詞が証明している。
「私とて何も天童妹君に見せびらかして悦に浸る為に持参した訳ではない。当然、無茶苦茶な交換条件を提示するつもりもないよ。元よりこれは天童妹君の為に用意したものなのだから」
おお、と期待の声が上がる中、先生が一度トランクを閉じる。扉を開け、付いて来いと言うように手招きする後ろ姿を追い、廊下に出た一同に先生はこう言った。
「さて諸君、ちょっとした注意力のテストをしようか」
「……へ?」
首を傾げるこちらと、何かに気付いたように口を横に広げるユズとケイの視線の先、トランクを抱えた先生が先導しつつ、
「先程第一声で私はこう言ったはずだよ? ──
奇行の連打ですっかり忘れていた最初の一言に、モモイも遅れて気が付いた。
ミドリやアリスと顔を見合わせ、恐る恐る視線を向けた先。先生はセミナー貸与のセキュリティカードを使い、空き教室の中へ足を進める。入ったそこにはかつてアリスを見付けた廃墟のような寝台と無数の機材やケーブルがあり、先生はそっと置いたトランクから抱え上げたボディを寝かせつつ、
「話は簡単だ。今からこのボディを貸与された天童妹君と、ゲーム開発部を合わせた五人で、私と勝負してもらう。もし私に勝つことが出来れば、このボディは正式に天童妹君へ進呈しよう。ただし負けてしまった場合、天童妹君はハンカチを噛んで悔し涙を流しながら調月君謹製のボディに戻り、私に返却したボディが持ち帰られるのを眺める羽目になる」
要するに、
「欲するならば己の力で勝ち取れと、そういうことだよ諸君」
大型ハンガーの方へケイを誘導し着々と準備を進める背中に、考えるより早くモモイは一歩を踏んだ。ミドリやアリス、ユズも並び、挑戦者として真っ直ぐに視線を向け、
「……勝負の内容は、何?」
問いに、先生は笑った。楽しそうに、嬉しそうに、袖に音を立ててこちらを指差すと、
「──鬼ごっこだ」
●
数分後、無事に新たなボディへと移ったケイは、ゲーム開発部の面々に囲まれていた。
「おおおおおケイだ!! ホントにケイだ!!」
「ドッペルゲンガーってこんな感じなのかな……」
「パンパカパーン!! ケイは新たな身体を手に入れた!!」
「よ、良かったね、ケイちゃん……」
全員が口々に感動や祝いの言葉と共に距離を詰めて来て、押しくら饅頭状態だ。四方から己を囲み、身を寄せて来る熱や圧、それに付随する空気の流れなども己の身体で感じられており、
「改めての質問になるが、新しい身体に問題はないかね?」
「はい。前のボディに合わせて最適化を進めていたので再調整が必要ではありますが、それ以外は問題ありません」
応じ、動かす腕の動きはやや鈍い。だがそれは己があの屈辱極まりないボディに順応していたからであり、フラットな状態でこの身体を得ていれば一切不備はなかっただろうと判断出来る。そのくらいには優れた器であり、
「正直に言えば、アリスと身体を共有していた時のような違和感のなさです」
「お気に召したようで何よりだよ」
苦笑で述べる先生に対し、ケイは改めて身を向けた。拙く、緩慢な動きながらも頭を下げ、
「ありがとうございます、先生」
「気にすることはない。かつての借りをようやく返せて、こちらも肩の荷が下りたというものだ。あの時は別れの挨拶も出来ず仕舞いだったので、改めて言わせてもらいたい」
止める間もなく、先生が深々と頭を下げた。
「──感謝である」
告げる声が震えていたように聞こえたのは、気のせいでも聴覚素子の故障でもないのだろうと、ケイはそう信じた。
己が消えてから何があったのかは、概ねアリス達から聞いている。事態の元凶とも言えるもう一人の先生についてや、決着の過程で別世界の生徒にすら手を伸ばしたこと。その生徒も今ではシャーレに入り浸り、昔のように笑えるようになったこと。
そしてこの何があってもへこたれそうにない大人が、一連に目処が付きミレニアムへ訪れた際、ゲーム開発部の部室の前でずっと逡巡していたことも。
関わりを持った全ての生徒のプロフィールを把握している彼女が、ユズの知覚能力を失念する程だ。先生として己の弱さを見せようとしないという点でも、本来なら有り得ないはずの二重のミス。恐らくはミレニアムに来るまでも、相当の苦悩があったであろうことは想像に難くない。
付き合いも浅い、アリスの別側面に過ぎず、世界を滅ぼしかねない己を、それでも一人の生徒として扱い、その喪失を嘆いてくれた。
十分だ。
なりたい己になれと彼女は言った。
世界を滅ぼす魔王ではなく、アリスを、その友人達を、世界を守る自分になれた。
不規則言動を差し引いてもお釣りが来る。己が身を呈し守った少女は、仲間と笑い、何てことのないありふれた日々を過ごすことが出来ているのだ。それを陰から支えていたであろうこの大人に、返すべき言葉は一つしかない。
「顔を上げてください」
アリスの支えと共に歩を進め、先生の正面に立つ。ゆっくりと、肩に当てた手に力を込め身を起こさせて、
「私が助力すれば、後は貴女が事態を収めてくれるだろうと、そう信じていました。その信頼に応え、アリスや皆を守り、こうして新たな身体まで用意してくれたのですから、礼を言うのはこちらの方です」
だから、
「──感謝します」
アリスに比べればぎこちない、しかし彼女と身を同じくしていた時に感じていたのと、同じ温かさに由来する笑みを浮かべる。同時、こちらの援護なのか何も考えていないのか、軽いステップで前に出たモモイが先生の腰をバシバシと叩き、
「ほらほら、湿っぽいのはおーしまい!! 良い雰囲気作ってデバフ掛けようったって、そう簡単に負けたりしないんだからね!!」
「……うむ、柄ではない真似をして背中がむず痒くなって来たことだし、慣れないことはするものではないね全く」
苦笑し、上体を元に戻す先生は、すっかりいつも通りだった。背後からはミドリとユズが安堵の息を零す音が聞こえ、モモイとアリスも目を弓にして笑っている。恐らく五分後くらいにはいつもの不規則言動が始まり、部員一同頭を抱える羽目になるだろうが、これで良いとケイは思う。
後悔は祓ったのだから、前を向いて行けば良い、と。
「それで先生。鬼ごっこ、とはどういうことでしょうか」
故に場の空気を変える為にも、ケイは率先して話題を変えた。先生もまた頷きと共に、懐から取り出した一枚の書類を掲げ、
「良いかね? まずはこの部費追加申請書に、あることないこと書き込んでセミナーまで持って行くのだ。そうすると早瀬君が事態を明らかにしようとムキになって追い掛けて来るので、上手く逃げ回りつつ陳情を通してだね」
「今すぐセミナー居室で土下座して来た方が良いのではないでしょうか」
五分も保たなかった。こういう人だと知ってはいても、実際にやられるとイラッと来るのは心が狭いだろうか。スマホでゲームのカタログを開き始めるモモイはミドリが手刀を打ち込んで止めたから良いとして、
「せ、先生が、鬼として皆を捕まえるんですか……?」
「いやいや花岡君、さすがの私でも五人相手では身が保たんよ」
本当に……? と疑念の視線を全員が躊躇いなく向けたが先生は踊ってスルーした。
「さて、変則的ではあるが、これから君達には五人掛かりで私を捕まえに来てもらう。インドア揃いの諸君もたまには身体を動かすべきだ。乙花君レベルとまでは言わないが、有事の際にヘバらず動けるくらいにはしておかねばなるまいよ」
「あの、それと鬼ごっこにどういう関係が……?」
至極真っ当なミドリの問いに、先生が苦笑して踵を返した。開けた扉の先、夕方に向かい傾き始めた日を浴びて、
「君達の売りはチームワークだ。対策委員会のような人外魔境は除外するとしても、要所要所で各々の強みを生かせれば強力だというのは、C&Cや調月君相手の戦績が証明している。今後は天童妹君も行動を共にする以上、その辺りも考えておく必要があるだろう?」
故に、と操作していたスマホを懐に収め、腕時計のアラーム機能を設定しながら彼女は言う。
「制限時間は一時間。場所はミレニアム部室棟敷地内。当然ながら銃火器の使用はなし、他団体・個人への協力願いもなしだ。勝利条件は制限時間内に私を捕まえるか、敷地外に追い込み反則負けに持ち込むこと。以上に反しない限り、ありとあらゆる手段を用いて構わない。セミナー及び各団体・生徒には連絡済み、エンジニア部やヴェリタスなどの有志がドローンを飛ばしてくれているのでウッカリ人身事故が発生することもない。仲良く手を取り合って、この私を捕まえに来るが良い」
不敵な、挑戦的な笑みを浮かべた先生が軽く身を沈め、
「──さあ、ゲームを始めよう」
走り出した。
●
それは、キヴォトス有数のフィジカルを誇るアリスの目から見ても速い動きだった。
先生とゲーム開発部は幾度か鉄火場を共にした仲ではあるが、彼女は律儀に前線まで付いて来る。一発の銃弾が命に関わる身だというのに、子供の後ろに隠れている訳には行かないと。事実不意打ちや連射でさえなければ、射角や弾速を計算し射撃を回避する程度の能があり、ぶっちゃけ銃火器なしで殴り合ったら自分以外の部員には余裕で勝てるんじゃないかと思うが、
……本気で来てますね!?
一時間を走り切る為か、全力ではない。かといって手抜きはなく、自分達の中でもアクティブなモモイがギリギリ追い付けるかどうかという速度だ。部室棟という入り組んだフィールドであれば、アリスとて追うのは至難の業。まさか壁ごとブチ抜いて追う訳にも行かない。ならば、
「行きます!!」
走り出す。後からモモイとミドリ、やや遅れてユズとケイも続く。現在廊下は直線一本道で、階段のある曲がり角に至るまでは百メートル近い距離がある。他部室への扉はあっても、逃げ込めば退路はないのだ。先生は真っ直ぐ逃げるしかない。
つまり、捕まえるならここが好機だ。
行く。床を壊さない程度に、しかしアリスは全力で地を蹴った。身を前傾に、空気抵抗を減らし、飛ぶような勢いで突っ込む。走るというよりも跳躍に等しい動きで、先生の背後から仕掛けに行く。
狙うのは背中だ。シャーレ近辺やミレニアム内で鉢合わせた際、半ば負ぶさるようにして抱き着きに行くアリスを、先生は毎回受け止めている。走っている最中であっても、そこならばバランスを崩し転倒する可能性は低い。鬼ごっこの最中で警戒はしているだろうし、顔とか足に行くよりはマシだろう。姿勢制御や衝撃緩和などの体術も、先生にとっては慣れたものだからだ。仮に二人仲良く転がることになっても、こちらで受け身を取れば先生にダメージは行くまい。
行けると、そう判断する。
集中故か遅く感じられる時間の中、アリスの視界の中央で先生が動く。それは踏み出した左足一本を軸に、こちらへと振り返るもの。右回転で振り向く動きに合わせ、確保の為に伸ばしたこちらの腕を右手で掴み、
「良い判断だが後先は考えたまえ」
左手でこちらの腰を取ると、慣性のまま縦に一回転させられた。
「……え?」
目を瞬かせてみれば、アリスは床に正座で座っている。それも、後から追って来ていたはずのモモイ達やユズ達を迎えるような向きで、だ。何が起きたのかと戸惑うこちらに、ミドリが前を指差しつつ、
「アリスちゃん!! 後ろ!! 後ろ!!」
言われるまま振り向いた先、遠ざかって行く先生の背中があった。その速度は先程より落ちているものの、足を止めてから再度走り出したような速さではない。
そこまでを認識し、アリスはようやく一連の流れを悟る。先生は迎撃の為に振り向いたのではなく、三百六十度身を回す途中の動作としてこちらを迎撃したのだと。
半回転時点でアリスをキャッチし、もう半回転のタイミングで下ろした為、アリスは今後ろ向きで座っている。そういうことだ。
結構な速度で着地させられたはずなのに、こちらに痛みは全くない。時折気配を殺して忍び寄るシロコを回して正座させている光景はシャーレでも幾度となく見ていたが、まさか走りながらやって来るとは。それを知っていたからこそ、スピードに乗せようと加速に意識が傾くこのタイミングでアリスは仕掛けたというのに、
「凄いです……!!」
振り向きつつ立ち上がり即ダッシュ。速度を完全に殺された為モモイやミドリに追い抜かれる形となってしまったが、最低限の仕事は果たした。慣性任せの回転迎撃とはいえ、先生の速度が僅かに落ちたのは確かなのだから。これなら二人でもどうにか追い付けるし、アリスが追い上げれば三人掛かりだ。
だが、それを生かすには地形が悪い。
「そろそろ階段だよ!!」
ミドリが叫ぶ通り、間もなく丁字路に差し掛かる。曲がれば階段、直進すればまた部室の並びが続く廊下だ。一直線の逃走であれば程なく追い付かれるのは、先生とて承知の上だろう。ならば彼女が取る選択肢は、
「インド人を右に!!」
「それハンドルだし階段は左だからね!?」
ツッコミまで律儀なミドリであった。だが二人と並びつつ見た先、先生の動きはただ前を望む疾走のままで、
「真っ直ぐ逃げる気!?」
モモイが疑問の声を上げつつも、チャンスと見て飛び掛かった。アリスも逆サイドから同じように跳び、中央はミドリが行く。
いくら先生と言えど腕は二本、三人同時攻撃を捌くのは難しいはず。取った、と確信したアリスは、しかし信じられないものを目にした。
どう見ても前へと走る動きの先生が、そのまま真横へと跳んで行ったのだ。
「嘘ぉ!?」
驚愕の表情で先生を見送るモモイをキャッチしつつ着地。ミドリは自力で体勢を立て直したが、三人揃ってオーバーシュートだ。慌てて階段まで引き返すがアリスもミドリも、恐らくユズやケイも皆同じ気持ちだろう。
まるでキャラクターのアニメーション設定を間違えたかのような、どう見てもバグ染みたふざけた動きだったのだから。
「前動作や姿勢で本命の動きを隠す。体術のフェイントとしては基本だよ。これが長じたものを忍術などと呼ぶ訳だが、なかなか面白いだろう?」
上階へ通じる階段の踊り場から、先生の楽しげな声が聞こえる。足を止め見上げた先、やはりそれなりに無理を利かせていたらしく右足の調子を確かめていた彼女は、こちらに気付くと親指を立て、
「皆大好き初見殺しというやつだ。どうやらこういった搦め手は、キヴォトスにはほとんどないようだからね。まあ、美甘君のように全く通じない相手もいるが。さすがはダブルオー、ミレニアム最強は甘くな──」
そこまで言って、はて、と先生が首を傾げた。
「美しく甘いと書くのに甘くないというのもおかしな話だね? 今度会ったらネタにしよう」
はっはっは、と笑いながら悠然とした足取りで上の階へと昇って行った。それを見送ったモモイは、口を横に広げつつ、
「……間違いなくネル先輩に怒られるよね」
「……アスナ先輩が悪乗りして更に酷いことになりそう」
「でもアリスも気になります。舐めたら味が分かるでしょうか」
「いやアリスちゃん、そういう甘いじゃないから」
そういうことらしい。が、やがてハッとした顔でミドリが振り向き、
「な、和んでる場合じゃないよ二人共!! 先生本気出し過ぎだし!!」
「そ、そうだった!! あまりにもいつも通り過ぎてうっかり流され掛けてた!! というか何アレ!? 前から思ってたけど先生を主人公にしたゲーム作ったらどんな内容でも許されそうじゃない!?」
実際そういう人だからしょうがない。頭がおかしいだけで能はあるのだ。それは先生としての事務や交渉に限らず、調理や裁縫といった日常的なスキル、悪ふざけに至るまで多岐に渡る。戦闘力こそキヴォトス基準ではほぼないに等しいが、それを補うだけの技術と根性があるのだ。
臨時第五特務として、シャーレへ頻繁に出入りするアリスは知っている。かつて先生が初めてアビドスに訪れた際、自転車で逃げるシロコを走りで追い抜いたことを。十キロは下らない荷物を背負ったまま、百メートル十秒強という俊足を見せているということを。更に、
「アリス知ってます!! 先生はこの前シーフ王に上級の体術を伝授したそうです!!」
「そうだ最近大人しいから忘れてた!! あの人存在自体がバグ染みてるんだった!!」
「この前も部室棟の壁よじ登って窓から部屋に乗り込んで来たし説得力しかないね!!」
あはははは、と笑みを交わしてから三人共真顔で全力ダッシュした。階段を一段飛ばしで駆け上がりつつ、
「先生!! 先生!! いくら何でもマジになり過ぎじゃない!?」
「勝負事は本気で挑むから面白いのだよ才羽姉君。泣き言は負けてから言いたまえ」
「で、でも基本インドアな私達相手にコレはちょっとハードルが高過ぎるというか……!!」
「創作活動において修羅場を支えるのは気力と体力だよ才羽妹君。君達は前者こそ見所があるが後者はもう少し鍛えるべきだね」
「先生!! さっきの忍術、アリスも覚えてみたいです!! 勇者からジョブチェンジしなくても覚えられますか!?」
「ははははは、天童君はチャレンジ精神旺盛だね。後で飴をあげつつレクチャーしよう」
「わあい!!」
「和んでる場合じゃないってばー!!」
ギャアギャア騒ぎつつ上階へ到着。急ぎ左右を見渡すと、右側の廊下を先生が歩いていた。体力を温存していたのか、こちらが追い掛けるとすぐに足を速め、
「ほらほら頑張りたまえ。残り五十七分、時間は有限で貴重だよ?」
「この大人余裕綽々過ぎるんだけどー!!」
「ほ、本当に勝てるのこれ……!?」
「諦めてはいけませんミドリ!! 諦めない先にこそ未来があります!!」
よくぞ言った、と足を止めぬまま先生が声を送って来る。
「解けぬ問題を出す教師はいないよ。色々と条件は重なるが、クリア出来ぬ難易度ではない。ならば挑みたまえよ
それとも、
「──諦めてゲームオーバーを受け入れるかね?」
その一言に、モモイとミドリがハッとした顔になる。が、即座に瞳に闘志を燃やし、
「そんな訳ないじゃん!! まだ勝負は始まったばっかりだよ!!」
「やれるだけ全部やってもいないのに、諦める訳には行きません!!」
「そうです、勇者は諦めず突き進むものですよ先生!!」
口々に応じた先、先生が笑った。満足げに、こちらへと順に視線を送って、
「その意気だ諸君。掛かって来たまえ、私は逃げも隠れもせんよ」
「今思いっ切り逃げてるじゃん!!」
「そこに関しては鬼ごっこがそういうルールなので申し訳ない!!」
素直に謝ることの出来る大人であった。というか一度足を止めて土下座してからまた走り出す辺り先生も楽しんでる。間違いない。それはきっと隣を走るモモイやミドリ、後方で作戦会議中であろうユズやケイも同じはず。だから、
「アリス、追撃します!!」
●
ユズの見守る先、戦況は散々の一言に尽きた。
モモイが考えなしに突撃しては躱され、
「才羽姉君、身体を張って床を雑巾掛けする一発芸は忘年会辺りまで取っておきたまえよ」
「むっきいいいい!!」
アリスがフィジカル頼りに追えばフェイントを掛けられ、
「天童君、君の身体能力は確かに驚異的だが、その運用はまだまだ甘いと言わざるを得ない。勇者たるもの力押しだけではなく、技も身に付けねばならんよ?」
「はい!! アリス、修行してスキルポイント稼ぎます!!」
ミドリが姉やアリスを囮に不意を突いては一歩及ばず、
「才羽妹君、君は比較的頭が回るが、いざという時以外の思い切りに欠ける。勇敢と蛮勇は別物だが、踏み込まねば得られぬものはあると覚えておきたまえ」
「が、頑張ります……!!」
という具合に幾度もアタックを掛けては失敗を繰り返し、既に一時間の内半分を回っている。実戦でもキツい状況は幾度かあったが、休みなく駆け回るという経験はさすがにない。銃を抱えていないとはいえ少しずつ呼吸は乱れ、成果も上がらないとなれば士気は落ちる。負けん気の強いモモイや真っ直ぐなアリスはともかく、ミドリにはそろそろフォローを入れておきたいところだが、
「う、薄々予想はしてたけど先生が滅茶苦茶過ぎるね……」
「ミドリは審議の余地ありですが、アリスは素直でモモイは直情的、即ち子供です。大人かつ不規則言動免許皆伝の先生相手では分が悪いでしょう」
冷静に呟きつつ小走りに行くケイの動きは、やはりぎこちない。何しろ部内最弱フィジカルかつサンダル履きの自分と並走しているくらいだ。作戦会議の為こちらの速度に合わせているという面もあるだろうが、まだ慣れていないという要素も大きい。
時たま躓いたようにつんのめるが、即座に立て直す辺りやはりボディが高性能なのだろう。色々とコメントに困る部分の多い先生ではあるが、生徒に隠し事をすることはあっても、生徒を裏切ることだけは絶対にない。その彼女が自信を持って宣言したのだから、ボディについては心配要らないとユズは判断している。
だが逆に言えば器に問題がなくとも、中身までそうとは限らない。
「ケイちゃんの方はどう? 前に出れそう?」
「遺憾ながら否と言わざるを得ません」
言って、ケイが右手を掲げる。拳を握って開く動きは、時たま何かに引っ掛かったような震えを含むものだ。それを見るケイの表情は、眉を浅く立てた険しいもので、
「今の私は元の身体を動かす命令と、今の身体を動かす命令とで、OSが二重に存在しているようなものです。加えて完全に機械だった前のボディと異なり、生体式のこちらは呼吸や瞬きといった無意識の動作を制御・自動化する必要もあります。どうしても齟齬が出ますし誤動作も起きるので、欲を言えば旧ボディ周りのデータを丸ごと削除したいところですが、……この身体を失った場合再構築が面倒ですので」
「実地で慣らして最適化して行くしかない、か……」
そういうことです、という返答と同時、また前方でモモイの叫びが上がる。ミドリとのコンビネーションで仕掛けたようだが、ダブルで正座させられている辺り結果はお察し。その隙を突いてアリスが手を伸ばすも、後方宙返りで躱す先生が大概過ぎる。体育の授業でもこんな動きはそうそう見ない。スミレ辺りなら目を輝かせるだろうが。だが、
「先生だって体力が無限にある訳じゃない。皆の攻撃を捌きつつ一時間走り通す以上、必ずどこかで限界は来る」
「私の最適化の面でも先生のスタミナの面でも、時間を掛ければこちらが有利。故にこそ先生は短時間の勝負を提示して来ました。ならば我々が狙うとすれば──」
「──先生の疲弊が激しい終了間際、そこに全力を投入するしかない」
それを早期に理解したからこそ、ユズは体力の温存を優先し前衛三人のかなり後ろを走っているのだ。ケイもボディの掌握と並行しつつ、感覚を補正するように身体の動きを確かめている。大器晩成型、と言うのも微妙に語弊があるが、お互い見据えているのは終盤という点では同じ。
「無論、先生とてそのくらいは予想済みでしょう。モモイについてはその時まで体力が残っているか怪しいですが、そこしか勝ち目はありません」
うん、とユズは頷きを返した。
先生は弱い。いや、メンタルについてはダイヤモンド級というかカンストした上でリジェネ付きというか、いずれにせよ頭のおかしさと不屈っぷりについてはキヴォトス最強クラスで、しかし単体での戦闘力という意味では最弱だ。
ポリシー故に護身用としてすら武器を持たず、得意の格闘戦とてキヴォトス住民のフィジカル相手では沈めるのは困難。だが戦闘行為だけが全てではない場合において、その頭の回転と駆け引きに関しては並の生徒を遥かに凌ぐ。
手の内を知っているとはいえ、あのネルを相手に組み手で互角に渡り合うような相手なのだ。
……でも、付け入る隙がない訳じゃない。
これまでの動きを見ていて分かった。先生は全力じゃない。本気ではあるが、全ての力を出してはいないのだ。それは終盤への温存という意味もあるだろうが、こちらに対する手加減も含まれている。
だって先生が躊躇なく全力なら、皮肉や煽りに買収といった精神攻撃や、キャッチしたアリス達を窓から放り出し時間を稼ぐくらいは平気でやる。少なくとも色彩戦では建造物ごと爆破して下敷きの後袋叩きとか、自身を囮に敵の射線を固めて左右から挟撃とか、ちょっと教育者としてどうなんだとか悪役全開過ぎないかとツッコミたくなる策を平然と実行していたのだから。
……それも生徒達をなるべく危険な目に遭わせない為だけど……。
サンクトゥム攻略でヒナやミヤコ達が同じ配置だったのも、戦いに不慣れな自分達をカバーする為だったと聞いている。生徒とそれ以外で扱いが極端過ぎると言うべきか、ともあれ彼女が故意に自分達を害することは絶対にないと言い切って良い。例え自身の死や敗北と天秤に架けることになったとしても、彼女は必ず『先生』としてのルールに則って動く。
彼女はこれをゲームだと言った。全員がそれぞれの力を合わせれば、ちゃんとクリア可能だと。
根本的にクリア不可能な無理ゲーでさえないならば、突破口はきっとある。
「問題は、それを見付けたとしてどうやって皆に伝えるか……」
現在ユズ達が先生を見失っていないのは、三人が代わる代わる波状攻撃を仕掛けて速度を削っているからだ。三人掛かりでもギリギリな現状、攻め手を欠けば瞬く間に引き離されるだろう。作戦通達の為に呼び戻そうものなら確実に見失うし、スマホを触っている余裕もなく、かといって口頭は論外。どうにかして先生に気付かれないよう仕込みを行いたいところだが、どうしたものかと考えていると、
「それならば、私にアイディアがあります」
不意の言葉に、ユズは面を上げた。傍ら、己の額を指先で叩く、しかし真剣な表情のケイがいる。
「曲がりなりにも同型機、ということでしょうか。先生がこの身体に仕込んだオプションの一つに、共通記憶というものがありました。平たく言うならば無線に近い独自回線を介した意識共有兼ストレージシステムのようです」
「……安っぽく説明するとテレパシー?」
「思考や経験をログとして保管出来る分テレパシーより上等でしょうね。応用すればアリスが実戦で得たデータを元に、私が初陣から同等以上の動きを見せるということも可能でしょうから」
つまり、
「私とアリスを経由する必要はありますが、ユズの策を先生に悟られず伝達することは可能です。……これもまた、先生の言う「持ち得る全て」の一つなのでしょう」
「────」
ユズ、とこちらを呼ぶ声がする。
「私は貴女を買っています。生徒相手で手加減しているとはいえ、先生を相手に戦術面で一矢報いることの出来る者がキヴォトスに存在するとすれば、間違いなく貴女はその一人でしょう。少なくとも現状において、彼女を上回るには貴女の力が必要不可欠です」
だから、
「足りなければ補いましょう。数も、力も、正しさも、足りぬまま抗い、しかし集い、合わせることで乗り越えて来たのが貴女達です。それは先生も同じこと。ならば彼女の教え子らしく、今回も最後まで足掻き抜く。それだけでどうにかなる程世界は甘くありませんが、その諦めぬ意思こそが大事なのだということは、私も理解しているつもりです」
ならば、
「──ユズ、指示を」
正面を見据えるケイの瞳に、かつてアリスを救いに行くと叫んだモモイや、己の身を厭わず光の剣を抜刀したアリスと同じものをユズは見た。
「私達が全員で勝利に至る為の指示を」
小さな、しかし確かな強さを秘めた声に、ユズは無言で頷いた。
●
残り三分。さすがに息が上がって来た己を自覚しつつ、しかしミドリは足を止めない。
あれから部室棟内を駆け回り、とうとう一階まで降りて来た。エントランスホールを含むこのフロアは上階より広い間取りが多く、大人数でも立ち回りやすくなり、
「お姉ちゃん左!!」
「うおおおお今度こそ捕ったりゃああああ!!」
「アリスの攻撃!! チェストー!!」
「なかなか鋭くなって来たが、私を捕らえるにはまだ足りんよ……!!」
言葉こそ先程までと変わらず余裕を保ってはいるが、アリスとミドリの指先は先生のジャケットを掠めており、先生自身も動きに合わせ汗を散らしていた。明確な成果こそ上がっていないものの、確実に追い詰めつつある。そういう状況だ。少なくとも開始当初よりは遥かに勝負になっている。
ここまで先生に苦戦させられていた理由は、逃げる側である彼女が自由にルートを決められるという点が大きい。いくらこちらの方が大人数とはいえ、廊下の幅を考えると大きく動くことは出来ないのだ。それ故こちらの行動パターンも絞られ、対処する側の先生にとっては楽になる。
だから、まずはその前提を覆す。
アリスとケイの共通記憶により、互いの情報は即座に交換が可能。故にアリス、モモイ、ミドリによる追撃を陽動とし、ケイとユズが別ルートから奇襲を仕掛け逃走先を誘導する。本校舎ならまだしも部室棟はさほど複雑な構造ではなく、丁字路はあっても十字路はほとんどない。だからこちらとケイ達で二方向から攻め立てれば、先生は残る一方向に逃げるしかないのだ。そうやって自分達に有利な戦場へと追い込み続け、最終局面の今がある。やはりその要は、
「捉えました」
ホール側、エレベーターから飛び出して来たケイが強襲を掛けた。アリスの攻撃をギリギリで躱し、呼吸を整えるタイミングを狙った不意打ち。寸でのところで反応した先生に回避こそされたが、その動きは地を転がって距離を取るというもの。後方宙返りをカマしていた序盤の余裕は既にない。
追い詰めている。その証明となる光景に、士気が上がらないはずがなく。
「よーし行ける!! 行けるよ皆!!」
先生に避けられ身体を張って床を雑巾掛けしていたモモイが跳ね起きつつ言う台詞に、全員が一斉にダッシュを掛けた。
モモイが右、ミドリが左。アリスが正面から行き、ユズを背負ったケイが続く。
先生の先回りという至難の業を成し得た策がこれだ。最適化が済んでいないとはいえ、ケイの身体はあのアリスの再現ボディ。ユズ一人を背負ったまま走り回るくらい造作もなく、アリス共々まだまだ体力に余裕がある。ミドリは既に結構キツいし、モモイに至っては汗だくで呼吸というより掠れた風音に近いような有様だが、司令塔でもあるユズは万全の状態であり、
「さすがはゲーム開発部の軍師担当。どうにか騙し騙しやって来たが、ここまで追い込まれるとはね」
楽しそうな笑みと共に先生が下がる方角は、こちらの作戦通り部室棟の中庭。気分転換の軽い運動や、屋内では出来ないような作業を行うスペースとして設けられた場所。外周こそ観賞用の木々や植え込みがあるものの、他に遮蔽や障害物は一切ない。
開けた地形。人数有利。ここまでアタックを掛け消耗させた体力。勝負を決めるには絶好の、そして最後のチャンスだ。
「残り二分、ここからどう出るつもりかね!?」
「突撃ぃ──!!」
腕時計を一瞥し不敵に笑う先生に、両の手を構えモモイが跳んだ。あまりにも考えなしの攻撃に、しかし先生は対応する。怪我や打ち付けたりすることのないように、尻から着地するよう身を回させた上で、
「行ってらっしゃいませ、だ」
「ぬあー!?」
スライディングの姿勢で姉がフェードアウトした。だが、一瞬なりとも先生の速度を落としたのは確かな成果であり、既にその時には自分が逆サイドから攻め上がっている。しかし、
「く……!!」
「外れましたー!!」
跳躍と共に手を伸ばすも、転ぶような動きで躱された。同時に仕掛けていたアリスの手も、片腕の側転で距離を開けられ届かない。しかしその着地地点、全てを読んでいたように待ち構えているのは、
「お付き合いいただきます、先生」
両の手を緩く構え、背中にユズを貼り付けたケイが仕掛けた。
繰り出されるのはストレートとフックの動きと、左右の足捌きによる細かな位置取り。対するは逃走としての足を完全に止め、回避に徹する見切りの動きだ。
右腕を構えたかと思えばモーションレスで左腕を伸ばし、スウェイバックで躱されれば背中側へ回り込む。下がって距離を取ろうとすれば、他の部員が位置する方角へ誘導を重ね細かく位置を変えて行く。詰将棋のように一手ずつ、しかし着実に追い込んで行く立ち回りは、ケイにしがみつきつつも先生から目を離さないユズがいてこそだ。
ユズの最大の弱点はフィジカルであり、これは自他共に認めるところだ。いくらフレーム単位を視認出来る動体視力と判断力があっても、身体が付いて行かないのではどうしようもない。現実はゲームではなく、だからこそ色彩との戦いでもアヴァンギャルド君という己の反応速度に追従出来る
……操作キャラクターを担当出来る人がいるなら、UZQueenとしての能力はいつでもどこでも発揮出来るってことだよ!!
ケイに負ぶさり、しがみついたユズの手はケイの両肩。五指の入力をコントローラーとし、それに反応したケイが最善かつ最適の動きで応じる。先生の得意とするフェイントや搦め手は本来ケイに対して特効だっただろうが、そこをユズが補正すれば互角に渡り合える。まして一時間逃げ回り続け疲弊している今の先生相手ならば、
「サシではないとはいえこうも出来るか、素晴らしいね天童妹君!!」
「驕るつもりはありません、ユズの支援あってこそですので……!!」
掠めてはいる。しかし届かない。時折指先や手の甲が触れはするが、それを「捕まえた」と強弁するには無理がある。せめて手の平で触れなければ、勝利宣言は出来ないだろう。故にこそ互いの応酬は加速し、交戦から八秒時点で先生が凌いだ攻撃の数は七十を超えた。だが、
「っ!?」
不意にケイがバランスを失し、膝から崩れ掛かった。急なつんのめりにユズも堪えが利かず、尻餅を着く形で脱落する。見えない背中側へと落ちる恐れと驚きからか、サンダルを履いた足が真っ直ぐ空に伸びていた。
それを見逃す先生ではない。
後方に跳躍すべく、先生がその長身を低く沈める。同時に腕時計が残り一分を告げる短いアラームを鳴らし、いよいよ時間がないことを否応なしに自覚させに来た。それでも、
「ケイもユズもナイスファイトです!!」
二人が必死に稼いだ八秒。その間に態勢を立て直し距離を詰めていたアリスが跳んだ。激しい立ち回りの結果、アリスの位置は先生の真後ろ。回避の為に跳べば自動的に、アリスの腕の中へと飛び込むことになる。そして、
「お姉ちゃん今!!」
「おんどりゃあああ!!」
先生の左手側からミドリが、そして右手側からモモイが突っ込む。ここが正念場だと理解してか、先生の口元が喜の笑みを作った。
全てが決着へと向かう。
●
四方向からの同時攻撃。正確にはケイとユズが動けない為、三方向同時攻撃と退路の遮断だが、包囲網と呼ぶには十分なものだ。
右も左も後方も、迂闊に跳べば捕まる距離。かといって正面へ逃れようとしても、二人を掻い潜って抜けるのは不可能だろう。
そもそもの問題として先生が避ければ、全員の激突は避けられない。いくらキヴォトス住民が頑丈とはいっても、頭から突っ込んで来ている以上万が一は起こり得る。
詰んだと、そう言って良い状況だ。
しかし、一つだけ隙と言える点があった。
同時攻撃が、ほんの僅かに乱れていたのだ。
考えるまでもない。アリスとケイに比較すれば、インドア揃いであるゲーム開発部のフィジカルは低いのだ。ある程度セーブしていたミドリでさえ息が上がっていて、後先考えず全力で突っ走っていたモモイの疲労は言わずもがな。
故にこそこの局面において、同時攻撃に僅かな時間差が生まれていた。
完全同時ならばともかく、タイミングにズレがあるなら捌く難易度は遥かに下がる。例え一秒未満のラグに過ぎないとしても、対処のバリエーションは増やせるのだ。優先順位を付けるのであれば、到達順からしてアリス、ミドリ、そしてモモイ。姿勢を崩したケイとユズは一旦放置し、まずは三人の軌道を変えつつ安全に着地させる。そう即座に判断した先生は、まず右斜め後ろに一歩を踏もうとした。
擦れ違う形でアリスを捕らえ、回して下ろして安全確保。その為には到達が最も遅いモモイ側で立ち回るのがベスト。そういう狙いだ。
左に下がりアリスとミドリを同時に迎撃する選択肢もあったが、疲労の重なった身でしくじれば生徒に怪我をさせかねない。ならばここは右一択。
行く。跳躍の為に沈めた身を立ち上がらせながら、上げた腕の下にアリスを通過させるべく肩を上げる。対象を確実に捉える為、背後へと一瞬視線を送る。
そこにアリスはいなかった。
息を呑む先生の眼前、視界を塞ぐように何かが落ちて行く。その正体を見極めんと半ば反射的に追った視線の先、そこにあるのは見覚えのあるものだった。
ユズのサンダルだ。
先生の視界の端、ようやく身を起こし始めたユズがいる。その両足を覆っているはずのサンダルはなく、白い素足を晒していた。
先程ケイの背から落ちた際、足を伸ばす動きに合わせ、靴飛ばしの要領で上へと放っていたのだ。
アリスが二人を讃えた叫びも、ミドリのモモイへの合図も、自分達に注意を引き悟らせない為の囮。
地に落ちたサンダルが音を立てる。その音は一つに聞こえ、しかし二つの重なったものだった。右後ろに移動しようとした先生にとっての逆サイド、左後ろ側にもサンダルが転がっている。
左右のどちらに下がっても、先生の動きを邪魔する位置だった。
なまじ反応出来てしまう分、視界を掠める正体不明の何かを確認せずにはいられないと、そう踏んだユズの仕込み。
そしてそれで全てが終わらなかった。
最適化が済んでおらず、一瞬動きを止めていたはずのケイが何の支障もなく身を飛ばす。先生への意趣返しのように、崩れた膝をバネとして、ショートジャンプで距離をゼロに詰め切った。
隙が出来たと、そう錯覚させる為の演技だった。
戦術、戦略、ブラフ、フェイント、そして仲間との連携プレイ。それら全ての集大成として、ケイの両腕が先生の背中へと回り、
「──捕まえました!!」
●
次の瞬間。
四方向からのほとんどタックルに等しい同時突撃を受け、先生の呼吸が三秒程止まった。
●
四重の打音にケイを含めた四人が動きを止め、座り込んだままのユズがおろおろと両の手を彷徨わせる中、最初に復帰したのは先生だった。緩く、長く息を吸い、全身に力を入れ直すと、微かに身を震わせつつ、
「……全く、大したものだよ君達は」
顔を上げるが、胸がデカくて何も見えない。立ち上がりながら飛び込んだ為、正面から抱き着くような形になっているせいだ。
恐る恐る手を放し下がった先、両腕にしがみついていたモモイやミドリも同じように離れていて、その中央に立つ先生は一瞬ふらつきながらも己の足で立った。タイムアップのアラームを鳴らし始める腕時計を手刀で黙らせ、背中に貼り付いたままのアリスを優しく下ろす。
肺の中身全てを吐き出すような深い息を零した。
「逃げ場を断つ同時攻撃。それが体力差で崩れ対処の隙が出来ることまで計算に入れた一手、か。司令塔に徹するように見せ掛け、最後の最後に仕掛けて来るとはね」
ああ、
「してやられたよ花岡君。それに応じ果たしてみせた皆も見事だ。そこまで読むことの出来なかった私の負け、それ以外の何物でもあるまい」
そう口にした先生は、心底楽しそうに、晴れやかな笑みを浮かべた。
「天童妹君」
懐を漁っていた彼女が、こちらを呼ぶ声と共に何かを放る。緩い放物線を描いて来たそれをキャッチしてみれば、己の名が刻まれたミレニアムの学生証であり、
「セミナーとヴェリタスには手を回しておいた。晴れてこの瞬間より君はミレニアムの生徒として、大手を振ってこの学園内で過ごすことが出来る。──入学おめでとう、天童ケイ君」
こちらの頭を軽く叩いて、先生が擦れ違い去って行く。呆けたようにそれを見送った自分達は、顔を見合わせ、しかし告げられた言葉の意味が理解出来るにつれて、
「────!!」
●
歓喜の声と共に身を寄せ合うゲーム開発部に背を向け、ゆっくりと歩き出す姿の前で、ユウカは立ち塞がるように足を止めた。腰に手を当て見上げた先、彼女は今気付いたように、
「早瀬君か。部室棟の貸切手配など、色々と手間を取らせてしまったね」
苦笑した先生がジャケットを叩き、付いた砂や埃を払う。その動きが誤魔化しにしか見えなかった為、ユウカもまた苦笑でその確信を問うた。
「先生、勝負がどう転んでもケイちゃんにあの身体を譲るつもりでしたよね?」
今回の騒動が始まる前から、彼女は各所に手を回していた。自分達セミナーは当然として、ヴェリタスにヒマリやリオにも。今日の午後一で押し掛けて来て、ものの三時間程度でケイの入学手続きと鬼ごっこの事前準備を全て済ませるのだから無茶苦茶だが、そういう人だというのは分かりきっている。そして、
「目論見通り、ケイちゃんの人気凄いことになってますよ?」
手にしたスマホが映すのは、鬼ごっこの開始直前、先生がミレニアムの公式SNSに掲載するよう依頼して来たもの。ケイをアリスの双子の姉妹として紹介する写真付きのそれは、今なお爆発的な勢いで拡散され続けている。
そして、バズっているのはそれだけではない。部室棟を駆け回るゲーム開発部を、部室内から見守っていた各団体の隠し撮りや応援のコメント。加えてヴェリタスがハッキングして来た各所の監視カメラや、ドローンによる撮影から一連の鬼ごっこはライブビューイングのような状態で学園全域にお届けされており、
「部室棟を走り回ってたのも、部員達の運動不足解消以上に、ケイちゃんのミレニアム生へのお披露目が目的。ですよね?」
「はて、早瀬君は随分と曲解がお好きのようだね。私は単にヒーヒー言いながら後を追って来る教え子達を眺めて楽しんでいたに過ぎんよ」
表情一つ変えずに言うのだから相変わらず過ぎる。こうやって悪ぶるからシロコや便利屋がエスカレートするのよね、と内心で苦笑しつつ、
「たまには素直に感謝されたって良いんじゃないですか? 悪役だって年中無休という訳じゃないでしょう?」
「過大評価も相変わらずだね君は。本来今日の午後に予定していたエンジニア部との打ち合わせを延期して、別の生徒達相手にキャッキャウフフと戯れていた私は紛れもなく悪だと思うが?」
そのエンジニア部にも謝罪を入れた上で、事情を聞いた当人達がノリノリでケイの寝台や移行用設備の設置を手伝っていたのだから実質無罪だろうに。相変わらず自分を良く見せる気がないというか、周囲からの評価に無頓着というか。だが横目を向けた先、興奮冷めやらぬ様子のゲーム開発部がこちらに大きく手を振って、
「せんせー!! 打ち上げ行こうよ打ち上げ!!」
「アリス、前に先生から聞いた焼肉カルタやってみたいです!!」
「ええと、アリスちゃん? それゲームじゃないしお行儀悪い……」
「というかまた先生はアリスに悪影響な遊びを教えて……!!」
「け、ケイちゃん、落ち着いて、先生だし仕方ないというか……」
一緒に来ると信じて疑わない声の数々に、先生の肩から力が抜けた。そんな背中を叩き、引きずるようにして連れて行きつつユウカは言う。
「観念してください、先生。貴女の周りに、素直に帰らせてくれるような生徒はいませんよ?」
満面の笑みで言ってやると、先生が呆れ混じりの吐息を零した。
「……全く、揃いも揃って誰に似たのだろうね」
「ごく身近な優しい誰かさんじゃないですか?」
知らんよ、と苦笑で答える先生は、もはやこちらが引っ張るまでもなく自ら歩き出している。そこにはかつてシロコが励ました際の陰りや、自責の色などどこにもない。
彼女の中でもようやく区切りが付いたと、そういうことだろう。
……良かったですね、先生。
心からの思いを、口には出さず留めておいて。
「ほら、打ち上げはシャワー浴びて着替えてから!! お店に迷惑掛ける訳には行かないんだから!!」
疲労と汚れに塗れた、しかし眩しい笑顔を浮かべる面々に、ユウカは先生と合流した。