「……ではこれにて、アビドス・トリニティ間における業務契約は締結だ」
先生の締めの一言を受け、ホシノは小さく息を零した。
対面、ソファーに座るナギサも同じような反応をしており、互いに気付いて苦笑。それを見た先生もまた小さく笑い、幾つかの書面を手に立ち上がる。
「私は書類をスキャンしトリニティの行政官に送付して来る。動きが早いに越したことはないだろうからね。二人はそのままテキトーにくつろいでいてくれたまえ」
言い残し、執務室隅のコピー機の方へと向かって行った。こっちは軽く手を振り、ナギサは会釈と共に見送る。
そうして二人だけになった。
同じ自称シャーレ部員として、擦れ違ったり挨拶を交わしたことは幾度かある。故に内心で身構えることもなく、こちらから話題を投げ掛けることにした。差し当たっては先程まで話し合っていた、
「まさかナギサちゃんの方から紅茶専門の喫茶店をアビドスに出店させて欲しい、なんてお願いして来るとはねえ」
「経営が上手く行っているので、二号店を出したいとの要望は以前から受けていまして。トリニティ内は競合店も多いので、出来れば他の自治区に、と。なので私の方からアビドスを推薦させていただきました」
半分近くが砂に埋もれているアビドスだが、生きている区画もある。ネフティスとの提携で鉄道網が復活し始めたこともあり、最近は少しずつだが賑わいを取り戻し始めていた。ショッピングモールもまだ空きテナントがそれなりにあるものの、稀にだが出店を希望する者は現れる。
……まさか他校の自治区から来るとは思わなかったけど。
今回の件についてはナギサの言の通り、トリニティ側からの申し出だ。先生を仲介に打診された時は当然驚いたが、調べてみればあちら側でも結構な人気店のようで。視察と称して先生と二人で幾度か訪れてみたが、評判通り味も良かった。先生と疑似デート状態で贔屓目が入っていた可能性もなくはないけどね。うへへ。
……土産に買った持ち帰り用のティーバッグも皆に好評だったねえ。
何故自分達も連れて行かなかったのかと詰められはしたが、相談の末ナギサの申し出は受けることにした。が、やはり引っ掛かりがないとは言えず、
「締結した後で言うのもなんだけど、よくまあうちに来る気になったねえ。競合店いないとはいえ集客率自体はミレニアム辺りの方が良さそうだけど」
先生が間に立っている以上、カイザーの時のような心配は要らない。下手に事を起こせば外交問題になるのは、トリニティとて承知の上だろう。エデン条約の一件以降立て直して来た諸々を、理知的なナギサがブチ壊しにするとも思えない。
加えて暫定の状態とはいえ、トリニティの最高権力者の一角はホシノの親友だ。シャーレ外でもダベり場が確保出来て、アビドス側は損がないに等しい。その内遊びに来てもらうにしても、誘いのフックとしては上々だろう。
故にこそコネとか色々言われそうなリスクを冒してまで、トリニティ側がこの案件を持ち掛けて来た理由は知っておきたい。
問うた先、ナギサがティーカップを手に取り口を付けた。その気品に満ちた所作はお嬢様校と呼ばれるトリニティのトップだけあり、絵画にでもなりそうな優雅さが滲み出ている。しかし表情は対照的に、半目でどこか遠くを眺めていて、
「概ね察しはついていると思いますが、ミカさんが「どうにかしてアビドス手伝えないかな!?」と会議の度に聞いて来るもので……」
「……あー」
行動原理が十割パッションで出来てる我らが副長の能天気な笑顔を思い浮かべ、ホシノはナギサに同情した。よくよく思えばこの人ミカちゃんの幼馴染みだった。さぞ幼少期から振り回されて来たのだろうというか、落ち着いて大人びた振る舞いはその反面教師だろうか。ただ一つだけ言えるのは、
「前から思ってたけど、ホント向いてないよねえミカちゃん」
「ええ、なまじ能がある分出来てしまうのがまた何とも……」
他学園のトップに対する愚弄とも受け取られかねない発言だが、同意が来る辺り認識は大体同じらしい。
子供、という形容がある意味一番似合いそうな生徒なのがミカだ。理性的な思考や政治的な動きも出来るのに、行動の指針がことごとく感情にのみ基づいている。人間、行動を決めるのは結局のところ感情というか気分の面が大きいが、ミカはちょっと比重が寄り過ぎているというか。素直過ぎて危なっかしい。
「……幼馴染み兼自治区のトップを務める同僚だと色々大変そうだねえ」
「……シャーレ臨時副会長としてバディを組んでいるホシノさん程では」
互いに嘆息。とりあえず疑問は解消出来たし、深堀りするとどちらも頭を抱えることになりそうなので後は流そう。
しかし、とホシノはお茶請けのクッキーを摘まみながら言う。
「共闘したりとかはあったけど、こうやって面と向かって話すのは初めてだっけ」
「そうですね。色彩の件は総力戦に近かったですけど、持ち場の関係から見知った仲で固まっていた方々も多いですから」
咳払いと共に、カップを置いたナギサが姿勢を正した。揃えた膝に手を置き、深々と頭を下げて、
「改めて、エデン条約の際はご助力いただきありがとうございました」
「いやいや、畏まらなくて良いって。おじさんだってカイザーの時に助けてもらった訳だし」
「あら、あの件はあくまで課外学習の一環ですよ?」
そうだっけ、とすっとぼけておくと、向こうも苦笑で返して来た。補習授業部の件はエデン条約が差し迫っていたこともあるが、カイザーの一件で先生に作った貸しの取引という面もあったはずで、
……ああ、でも先生連れて来た言い出しっぺはミカちゃんなんだっけ。
まあ過ぎたことでもあるし、当人達が納得しているのならそれで良いだろう。ならば、とホシノは肩の力を抜き、
「じゃ、お互いヒフミちゃんの為ってことにしとこうか」
「そうですね。それが一番丸く収まる落とし所でしょう」
共通の友人の名を口に出すと、ナギサの表情が明らかに緩んだ。よしオッケ、と内心で一息つき、摘まんだクッキーを口に放り込み、
「アビドスを推薦した理由、他にもありますよ?」
「……へ?」
思っていなかった話題の続行に、つい間の抜けた声が漏れる。対しナギサは微笑のまま、ソーサーごとカップを持ち上げ、
「暫定の立場とはいえ、ティーパーティーであるミカさんは他校の自治区へ容易に入ることは出来ません。シャーレのような完全中立の場ならともかく、些細なことで外交問題に発展しかねませんからね」
「おまけにその気になれば物理的に被害も出せるしねえ」
気まずそうに視線を逸らされた。アビドスやシャーレだとこのくらいのジョークは雑に流されるのだが、生真面目気質な彼女にはちょっと厳しかったか。相対的にうちがマトモじゃないことの証明になったような気もするが今更今更。ともあれ、
「でもトリニティの系列店なら条件をクリアしやすい、と」
「……ええ。監査や視察という建前もこちらで用意出来ますからね。お二人共シャーレの仕事を精力的に手伝っていらっしゃいますし、ここの居心地が良いのは私も身を以て知っていますが……」
一息。
「だからこそ完全なオフでホシノさんと訪ねる場があれば良いのではないか、とも思いまして」
言われてみればミカに限らず、ヒナとも基本はシャーレでダベるか、仕事で一緒に出るかだ。D.U.近辺でスイーツを買いに行ったり等はあるが、溜まり場として考えたらシャーレ一択。何しろタダだし先生手製の上手い茶や菓子類が出るし、自称部員内で不定期に起きる不規則言動イベントは観戦している分には娯楽として最適だ。高確率で外野に飛び火するので覚悟は要るが正直慣れ。各自治区における権限持ちが多いこともあり、それらから解放されるこの場が気楽というのもあるが、
……一緒にどこか行ったりとかする機会、あんまりなかったねえ。
アビドスとしても借金の件がある為倹約が基本で、遊びにお金を使おうという発想はなかなか出て来ない。ヒナも多忙故外出など時間を取られる予定は組みにくいし、今にして思うとミカは随分とフラストレーションを溜めていたことだろう。その辺りを考慮した上での今回の申し出だとすれば、
……なあんだ。
良い友達いるじゃん、ミカちゃん。
事が事だけにトリニティでは羽目を外せないというのもあるだろう。だが彼女のような者が傍にいるなら、いつかその辺りも解決して思う存分羽を伸ばせるようになるのではないか。そんなことをホシノは思い、ミカの友人の一人として礼を言おうと思って、
「……それに私自身も、視察という名目で先生をお誘い出来ますから」
照れたようにそう付け加えるナギサに、結構したたかだねこのお嬢さん、とホシノは眇めで思った。
私も生徒会長なんだから、このくらいの駆け引きは出来ないとダメかなあ、とも。
●
我ながら思い切った動きに出たものですね、とナギサは心底本気でそう思っている。
ホシノに対して述べたことは、間違いなく本心だ。ミカは明るくアクティブであるが故に、自分には想像も付かないようなものを見付けて来ることがある。最近ハジけ気味のセイアも若干そちら寄りになっている気がしないでもないが、ともあれそんな彼女からすればシャーレでの交流は楽しいものではあろうが、活動範囲を広げたいという欲求もあろう。
トリニティ内ではそれらを抑え模範的に振る舞っているだけに、反動がいつ来るかというのがナギサの懸念の一つだった。シャーレオフィスビルのあるD.U.近辺では色々と足を延ばしているようだが、聞いている限りでは基本単独行。時たま先生と疑似デート染みた状況になっているらしくそれはそれで羨ましいものの、彼女の行動力に付いて行ける友人は今のところいない。
……戦闘面ではホシノさんやヒナさん等、追随出来るご友人もいるのですけど。
故に友人達のいる自治区へこちらから行動範囲を設置してやれれば、というのが先生と考えた今回の一件だ。
相談を持ち掛けた当初は「聖園君の保護者か君は」と半目でツッコまれたが、名実共に保護者状態の人にだけは言われたくない。事実あれこれとプランを練っていると、的確な助言が狙い澄ましたかのように飛んで来て企画書は僅か一週間で纏まった。二人きりの茶会も捗って一石二鳥の七日間であった。内情を知られれば職権乱用と言われても否定出来ないが、
……頼って良いと、そう言ってくれましたから。
疑心暗鬼から、誰も信用することが出来ず、独り全てを抱え込み潰れるしかなかったかつての己。
だが先生によるトリニティ廃校案の一件から、何をすべきかではなく何がしたいのかを思い出すことが出来た。
自分がやらなければならない、ではなく。
自分がやりたいから手伝ってくれと、そのくらい気楽で良いのだと。
だからこそ未だトリニティ内で腫れ物扱いの幼馴染みに、彼女が本来望んでいたであろう普通の学生生活の出来る場を設けたいと、そう思った。
……まあ、その過程や結果で、私も少しだけ、ほんの少しだけ役得がないとは言えませんが。
このくらいは許されるだろう。多分。何ならミカはシャーレ住まいなのだし、アドバンテージとしては向こうの方が圧倒的に上なのだから。
だが、例え何か問題が起きたとしても、自分の気持ちは間違っていないと、そう胸を張って言うことが出来る。
「自ら望み、叶えようと動くのであれば必ず手を貸すと、そう言ってくれましたから」
口にした先、ホシノが目を丸くした。前後の台詞が全く繋がっていないことに今更気付くが、しかし不意にホシノが表情を変える。納得した、とでも言いたげな微かな笑みへと。
彼女もまた、アビドスに降り掛かる苦難の連続から大人を信用しなくなり、己一人での解決を望み、しかし失敗し掛けたところを救われたと聞いている。そして後輩達を大事に思うからこそ、巻き込みたくなくて己一人でどうにかしようと出奔したこともあった、と。
だが今では後輩や他校の重役たる友人達と洒落にならない冗談を交わしつつ、肩を並べて共に行くことが出来ている。
自分はまだそこまで開き直れていないがその第一歩が自分によく似た知人の手助けというのも不思議なものだ。
またその相手が、自分の幼馴染みと良き友人になるなど、誰が想像出来ただろう。
「……義務感は、もうなくなった?」
「自ら成したことに対する責任を義務と呼ばないのであれば」
空になったカップを置きつつ答えると、そっか、と笑われた。
それだけで十分だと言いたげに、ゆっくりと目を閉じた彼女は小さく、
「ありがと」
「どういたしまして」
「クンクンクン!! 何やら透明感のある青春の香りがするね!! 年甲斐もなく一丁混ざりに行っても良いだろうか!?」
背後の至近から響いた声に、ホシノ共々半目で振り向いた。見ればそこにはソファーの背もたれ越しに上半身を生やしたキチガイがいて、周囲の空気をせっせと吸引している。
どうしたものかと視線を戻せば、ホシノが指弾でクッキーを飛ばすところだった。首を傾けて回避した背後、クッキーの咀嚼音が聞こえ、
「良いコントロールだね小鳥遊君!!」
「はいはいTes.Tes.今良いとこだからもう少し静かにしててね」
笑顔で指弾が連続し結論だけ言うと先生の頰がリスのようになった。なのでナギサも手に取った先生のカップを振り向いて渡しつつ、
「先生? 空気を読まないのは常のことですが、もう少し時と場合を弁えてくださいね?」
「……ふう。いやすまない、同じ室内にいるのに私そっちのけでイイ空気を吸っていたようなのでね。無意識の放置プレイはなかなか刺さるよ?」
言われてみれば完全に二人で話し込んでしまった。席を外したのは先生の方だが、トリニティ宛の連絡を引き受けてくれていた以上指摘するのもばつが悪い。
ナギサに任せておけば良いのに、こちらを少しでも休ませようとしたのか、或いはホシノへの一方的な親近感を察していたのか。どちらも有り得そうで、先程のエクストリーム首突っ込みをしたかっただけという可能性も捨てきれないのが恐ろしい。
全くこの大人は、と幾度目かも分からぬ苦笑を浮かべると、立ち上がった先生がタブレットをこちらに差し出す。映し出されているのはティーパーティー行政部による押印のされた営業許可証であり、
「搬入業者の手配は既に終わったそうだ。内装に少しばかり時間を取られるそうだが、三日もあれば営業可能になるとの見立てが来ているよ」
「およ、意外と早い」
「業者の選定には私も関わったのでね。安い・早い・丁寧と三拍子揃った優良案件だったとも」
「シャーレの活動でキヴォトス中に人脈を築いている先生の強みですね……」
こういう人使いの上手さは積極的に見習って行こう、と心底本気でそう思う。だが当の本人は気にも留めず、擦れ違い様にこちらとホシノの頭を労うように叩きながらデスクに戻り、
「オープンしたらアビドスの面々と、ティーパーティーのメンバーで顔を出そうか。桐藤君と小鳥遊君にとっては打ち上げだね。……二人共よく頑張った」
しれっと言われてホシノが赤面で固まったが、お嬢様校の代表という建前もあるナギサはギリギリのところで平静を装った。
「ああ、どうせなら名誉アビドス生の阿慈谷君も呼ぼうか。近々顔を出したいと言っていたし、タイミングとしてはちょうどいいだろう」
限界を迎えたナギサは両手で顔を覆いソファーに倒れ込んだ。
完全に手の平で転がされているのに、悪い気が全くしない辺りが本気でどうしようもない。