グラスアーカイブ   作:外神恭介

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……色彩戦で助けてもらったお礼、言ってない

 日の落ちた、人気のない寂れた街中。とある一戸建ての前でシロコは自転車を止めた。

 慣性に引かれ長い髪が宙を踊るが、構わず下りた自転車を引いて歩き出す。家屋の横、ガレージ内に自転車を停めると、そのまま鍵を開けて中へ。

 街中とは対照的に、中は綺麗に整えられていた。

「ただいま」

 返る言葉はないと理解しつつ、シロコは軽い足取りで二階の自室へ。スクールバッグを床に放り、勢い良くベッドに倒れ込む。スプリングの軋む音と共に柔らかな感触が身体を受け止め、ややあってから寝返りを打ち仰向けになった。

 制服の襟元を緩め楽にして、しかし赤のマフラーは外さない。そうして両腕を大の字に広げながら零すのは、

「……楽しかったな」

 

     ●

 

 今日は対策委員会の定例会議の後、皆でトリニティ系列の喫茶店に寄って来た。

 先生が仲介を務め、ホシノがティーパーティーと取り纏めた案件。紅茶が評判の店らしく、最初は値が張るのではとアヤネが身構えていたものの、

「あ、一応うちがオーナーみたいなものだから、優待券で割引利くよ?」

 とホシノが十枚綴りのそれを取り出した瞬間、全員が容赦なく高いのを頼み始めたのはさすがと言うしかない。パンケーキなどの軽食も充実していて、思った以上に長居してしまった。各自持ち帰りの茶葉も買っていて、明日の集まりでそれぞれ淹れて飲むことになったが、

「……先生の分、どうするの?」

 というセリカの問いに牽制の視線を飛ばし合ったり、こっちのシロコと殴り合いになったり、たまたま居合わせたミカに意見をもらいつつ全員で選んだりと、シャーレでダベっている時のような賑やかさで。

「……普通の学生らしい放課後を過ごしたの、初めてかも」

 傾けた視線の先には、写真立てに飾られた大判の写真。制服とマフラーを贈られた際、全員でアビドスに移動して撮影した臨時入学式の一枚だ。対策委員会のみならずユウカやノア、ヒフミに便利屋68の面々まで写ったそれを見ていると、自然と口の端が緩む。

 ……幸せだな、私。

 ゆっくりと目を閉じて、シロコは改めて今を思う。

 この家についても、最初はこちらの世界に来てから見繕った空き家に過ぎなかった。が、先生が身元や本籍などの手続きに手を回してくれたおかげで、現在においては正式にシロコの持ち家となっている。実質対策委員会第二の居室のようにもなっていて、皆と泊まりで過ごしたことも一度や二度ではない。

 自転車のレストア作業で稼ぎも得ているし、自警活動も問題なく順調。借金返済にも先生の手を借り匿名で支払いを行っていて、自活していると言って良い状態だ。

 この辺り、先生の距離感が上手い。

 気に掛けてくれているのは相変わらずだが、こちらが立ち直ってからはそれを表に出さなくなった。シロコが自分で解決出来ることについては、助けを求めない限り手を出さない。だが不意に人恋しくなってシャーレまで会いに行けば、仕事そっちのけで相手をしてくれる。

 だからこそ己もこの感情が単なる依存ではなく、確かな想いだと自信を持って言えるのだが、

「居室に置くのとは別で、先生へのお土産の分も買って来れば良かったかな」

 バッグからはみ出して見える包装紙を一瞥し、苦笑と共にそう零す。生徒達が礼を述べても、当然なのだから気にすることはないというスタンスを崩さないのが先生だ。だがだからと言って感謝の気持ちはなくならないし、それ故に生徒もまた返答が分かっていてもそれを口にする。シロコもそれは同じこと。件の喫茶店も早速集客効果を上げているようだし、その辺りも含めて今度会ったら礼を言おうと思い、

「────」

 瞬間的な動きでシロコは跳ね起きた。

 とんでもない事実に気付いたからだ。

 額に手を当て記憶を反芻し零すのは、

「……色彩戦で助けてもらったお礼、言ってない」

 

     ●

 

 シロコは己の背中に、嫌な汗が一気に噴き出した自覚を得た。

 これまでも背筋を悪寒が走ったり、脂汗を掻いたことはある。かつての世界でホシノを討たざるを得ないと悟った時もそうだし、友人達がいなくなってしまった時もそう。“先生”がプレナパテスへと変じた時などはその最たるもので、大体無茶苦茶重いエピソードばかりなのが難だが、今回のこれはちょっと違うベクトルで前例がない。

 何しろ、命が懸かっている。

 あの時、崩れ行く箱舟に残っていたのは都合三名。己と、二人の先生だ。正確にはA.R.O.N.Aもいたが、シッテムの箱というオプション内の存在なのでノーカンとする。そして“先生”は厳密に言えば死んでいて、つまり自分と先生だけ。戦っていた生徒達は強制転移シーケンスで順次脱出を果たしており、あとは先生が脱出して作戦完了と、そういう状況だったらしい。

 だが、彼女は自分に使うべき最後の一回を、シロコを救う為に使用した。

 “先生”の最期の言葉に、Tes.の一言で応じ躊躇いなく。

 何を、と思って面を上げた時には、既にシロコは地上にいた。

 警戒から囲まれ掛かり、しかしアビドスの皆が仲裁に入ってくれて、やがて先生の帰還手段がないということが周囲の会話から理解出来た。

 また失ってしまったと、そんな思いでふらふらと逃げるように歩き出したことは今でも覚えている。

 結果的には二人のA.R.O.N.Aの尽力によって、先生は無事に帰って来た。後を追って来たこちらの自分にそれを教えられ、同時に繋がりの品を譲渡されもした。

 だがもし自分が同じ状況に直面したとして、同じように戻って来ることは出来なかっただろう。

 返そうにも返すことの出来ない、己が持つ最大の借りだ。

 それを返す為にもホシノ暴走の件で協同したし、以降幾度も力を貸している。先生は都度礼を言ってくれるし、気にしないでと返すのもお決まりのやり取りだ。

 だが、そもそも自分が礼を言っていなかった。

 これはいかん。由々しき事態だ。過去のあれそれとか己の存在意義とか、それら全てを二の次に放り投げても良いレベルの深刻な問題だ。

 無論、言い訳はある。

 世界を滅ぼすのが己の役割だから、と諦観で封じていた感情のフラッシュバック。色彩に呑まれたと思っていた“先生”の本心、それに応えた先生の覚悟。茫然自失だった己に、繋がりをくれたもう一人の自分。

 目まぐるしく動き続ける現実を、受け入れるにはそれなりの時間が必要で。

 再会した際もホシノの反転でそれどころではなかったし、以降の関わりにおいてもこちらが引きずり気味だった後悔の払拭や、こちらの世界でやって行くにあたり必要な手続きなど。その過程で先生には随分と泣かされたものだが、おかげで大分前を向くことが出来た。

 あの時己を終えてしまっていたら、得られるはずのなかった数々の感情と未来。いくら感謝してもしきれないし、どれだけ掛かっても同じだけのものを返して行きたいと思っている。

 だが、それらを経て落ち着いたからこそ、改めて当時を俯瞰してみると。

 経過や感情を度外視して言えば、敵であったはずの己を救う為に自らの命すら手放そうとしていた、という一文に集約される訳で。

「……それはそれで思い出したら腹が立って来た」

 据わり目になっている自覚はあるが、これについてはしょうがないとも思う。

 ホシノの件からして、犠牲を以て何かを成すという行為を酷く嫌うのが先生だ。失われれば哀しいからという酷く単純な、しかしそれ故に何よりも強い絶対の方針。どれだけ無茶な策を用いたとしても、自身を限界まで酷使しても、誰かが死ぬようなことは絶対にしない。

 だが、それをどうあっても避けられないと判断した場合、先生は躊躇いなく自分をその勘定から外す。

 大人である自分の役目だから、と。

 それによって自分達が哀しむと分かっていても、悪役である己にしか出来ないことだから、と。

 ……ズルいよ。

 酷い大人だ。生徒にはダメだと言っておいて、自分はいざとなれば死ぬことすら是とするのだから。

 それを自身でも理解しているからこそ、彼女は先生である己を聖職者や聖人のようには扱わず、悪役を自称する。

 芯にあるのが純粋な善であっても、良い大人とは決して言えない在り方だ。

 反面教師ならばもっとそれらしく振る舞えば良いのに、根っこのお人好しが全く隠せていない。

 本当に、酷い大人だ。

 ……だから皆好きになっちゃうんだけど。

 おかげで競争率激高なのに当の本人のガードが固過ぎて、本来恋敵であるはずの生徒達が休戦し共同戦線を張るくらいには難攻不落で、それ故に基本シャーレでの付き合いは気楽で居心地の良いものとなっているのだが、そこは一旦置いておく。今の問題は先生の矛盾を抱えた魅力ある人間性ではなく、命を救われた礼を言っていない己の人間性だ。

 どうしたものか。これまで散々メンタルケアをしてもらっただけあり、礼の言葉は述べ尽くしている。今更感謝の念を伝えたところで、こちらが思っている以上には届かない可能性が高い。

 ならば言葉だけでなく行動で示すべきか。贈り物。ダメだ。先生は財力もあるので欲しいものは自分で買うし、興味のストライクゾーンが広過ぎて選定が困難だ。バレンタインのように対象がチョコと決まっている訳でもないし、誕生日やクリスマスのようにハンカチやカフスボタンというのも芸がなさ過ぎる。先生が血の涙を流しながら買い漁っているウエハースチョコも、シールの収集状況までは把握していないし当たりが引けなければ悲惨だ。積みプラモ崩しはヒナの担当だし、共通の趣味である自転車関係の用品はこの前こっちのシロコと三人で買い揃えた。新作はまだ出ていない。

 ……何より最大の問題は、何をしても先生は喜んでくれるってことだよね……。

 結果を蔑ろにするという訳ではないが、どちらかというと先生は過程を重んじる。正確には過程の中にある思い、願い、意思、それらを元に行動を起こしたという事実そのものを喜ぶ。例として挙げれば料理の不得手な生徒が頑張って作った一品を、焦げていようが不味かろうが残さず平らげた上で、改善案をアドバイスしつつ努力を労い、

「──感謝である」

 と〆るのがいつものパターン。そしてこの理屈に当て嵌めると、贈るのが現金だろうが石ころだろうが棒人間レベルの似顔絵だろうが彼女は喜ぶ。間違いなく喜ぶ。頑張りの度合いによってはその場で踊り始めるという確信がある。だからこそ選択肢が絞り切れず頭を抱えるというのは自称部員共通の頭痛の種だが、今回の件は特殊過ぎて周りに参考意見を聞くのも難しく、だとすれば──

「シロコ、少々お時間いただけますか」

 不意打ちに名を呼ばれ、反射的に跳ねさせた身は間違いなく三十センチ以上はベッドから浮いた。

 

     ●

 

 身を強張らせながら飛び跳ねるという器用な真似をして、数秒滞空した後にベッドへ落下するシロコをプラナは見た。

 どう見ても不規則言動だが、先生に比べればまだまだ常識の範疇なのでツッコミはしない。声を掛ける機会を窺っている段階でも、頭を抱えたりのたうち回ったり唸ったり溜め息を吐いたりと、何かを思い悩んでいるのは明らかだったからだ。これが先生の場合片腕で倒立しつつスクワットし始めたと思ったら反対の手でアロナとオセロで勝負していたりするので、脈絡があるだけまだマトモ。

 やがて亀のような鈍さで身を起こしたシロコが、躊躇いない半目をこちらに向けた。彼女のスマホからホログラムのように表示される己を見て、気分を切り替えるように一度深呼吸すると、

「A.R.O.N.A……、いや、今はプラナだっけ」

「Tes.、折角いただいた名前なのでそちらを名乗っていますが、別にA.R.O.N.Aでも構いません」

「ん、慣れてないだけだから気にしないで。私はシロコ()で良いって言ってもらえたけど、貴女みたいに新しい自分として続けて行くのも、思いの形という意味では同じだから」

「……お気遣いありがとうございます」

 会釈を送ると、気にするなとばかりに首を振って返された。

 お互いの関係を、一言で言い表すのは難しい。

 色彩の教導者と化した“先生”の配下、という意味では同僚だ。だが己が実体化して活動出来るのはナラム・シンの玉座の影響下に限られ、彼女と直接顔を合わせたのはこちらの世界へとやって来る直前。それまでのやり取りは事務的なものばかりで、“先生”が去って以降は別行動だった為、疎遠になったと言ってもいい状態だった。

 地下生活者の一件が起こるまでは、だが。

 あの件ではシロコと協同し、共に危機を乗り越えた。以降も彼女は独自で行動するつもりだったようだが、“先生”に後を託された我らが先生がはいそうですかと頷く訳もなく。あれよあれよと言う間に戸籍などキヴォトス住民として過ごす為の手続きを済ませ、“先生”の遺したメッセージ解析を始めメンタルケアを継続。すっかりアビドスの一員となった彼女に、先生が譲渡したスマホはしかし特注の代物だった。

 先生のバックアップを務める外の組織が、シッテムの箱の一部機構を組み込んだ疑似オーパーツ。本家シッテムの箱との専用接続回線を備え、短時間であればプラナの常駐先として機能しバックアップも可能。加えて実体化でこそないものの、ホログラムのように己を投影し動き回ることが出来る。

 天童アリスの複製ボディですら一ヵ月で用意するようなデタラメ連中だ。プラナとシロコが直接コンタクトを取れるように出来ないかという先生の打診から、僅か一時間後にはシャーレ宛にこれが届けられ、

「……先生の元居た世界、正直キヴォトスの技術力超えてませんか」

「ははは裏技というかイカサマの産物なので正味五十歩百歩だよプラナ君」

「大丈夫ですよプラナちゃん、人もAIも慣れる生き物ですから!!」

 などという今後に不安しか感じない危険なやり取りもあったが、このアドバンテージは大きい。仮に今後緊急の事態が起きたとしても、確実に通じるホットラインが出来たのだから。シッテムの箱にも限界はあるし、バックアップとして機能するという意味での心強さは計り知れない。無論実利以外の面でも、もはやお互いしか残っていない同郷の者としての交流がしやすくなったという点はプラスだろう。

「……とまあ、そんな訳でシロコに救援を求めに来たのですが」

「何? 総長連合や生徒会では片付かないような事件でも起きた?」

 座り直したシロコに、プラナは深く頷いた。力押しではどうにもならない、そんな火急の事態が迫っている。

 こちらの真剣な表情を見てか、シロコもまた眉を立て緊張から喉を鳴らした。だからプラナは率直に、まず結論から言おうと思って、

「──先生がこの一ヵ月お風呂に入っていません」

 アッパーカットを食らったようにシロコが後ろへ倒れこんだ。

 

     ●

 

 クリティカル過ぎた。

 経緯が経緯だけに、シロコはスキンシップを好む。それも触れたり、寄り添ったり、互いの存在を重ね合うようなものを、だ。嗅覚が鋭いこともあり、それらの記憶はいつでも鮮明に思い返すことが出来る。それがプラナの言を受け、先生との時間を濃縮状態で想起してしまい、

「……大丈夫ですか」

「……ん、ちょっと刺激が強過ぎた」

 血圧が一気に上がったような感覚を得たが、幸い鼻血は噴いていなかった。曲がりなりにも女子高生なのだから、外聞は大事にしたい。とりあえず深呼吸を繰り返し平静を取り戻してから、率直過ぎるAIに半目を向け、

「……シャワーは浴びてるんだよね?」

「当然です。年頃の多感な少女達の前に燻製のスモークミックススメルを撒き散らす訳には行かないと朝晩二回、夏場は昼も浴びています。先生の香りは常に桜と石鹸の爽やかフローラルです」

 親指を立てつつ言うプラナも大分ハジけて来たなあ、とシロコは静かに深く思った。色彩側として動いていた際は事務的なやり取りや陰鬱な雰囲気が多かったからギャップが凄いけど。まあこれも一種の成長だろう。何しろ先生がアレなので、そういった面を学習している可能性は多分にある。だが、

「相変わらず忙しいんだね」

「精神のみですが時間が可変だからとやりたい放題ですので。先程もミレニアムの財政回復案を考えるのに三百倍で一時間程」

 シッテムの箱が持つ位相空間内の時間圧縮技術についてはシロコも知っている。というより死に体であった“先生”が何故自分の元まで辿り着けたのかを、当時プラナに説明されたのだ。だからこそ“先生”の残り少ない時間を使わせぬよう、自分が矢面に立って動き回っていたのだが、五体満足でも躊躇いなく使う辺りはさすが先生と呆れるべきか。

「……ちなみに睡眠は」

「現実側では二週間前に小鳥遊ホシノと空崎ヒナが昼寝に巻き込んで三時間程。ちなみに私達がこちらに来るまで、睡眠は全て加圧時間内で済ませていたそうなので現実側から見た場合不眠不休です」

 両手で顔を覆った。二週間前の仮眠でマシになった方ってどういう生活だ一体。ちょくちょく思うが先生本当に人間なんだろうか。そんなこちらの内心を察してか、プラナも深々と溜め息を吐き、

「最近は依頼も多く、生徒と一緒に食事をする機会も減ったのでズボラ飯が加速している始末です」

「だからいい加減休ませよう、って? 皆が散々言っても聞かないのに?」

「あるじゃないですか。我々にしか出来ない方法が」

 首を傾げて視線を返すと、肩を竦めつつプラナはこう言った。

「また私達を置いて逝くのか、と泣き落としを掛ければ良いのです」

 想像の三百倍は重い説得方法だった。

「……随分と卑怯というか、えげつない手を考えるね」

「このくらいしないと先生は聞く耳を持たないでしょう。ただ一人の生徒を救う為に、世界すら滅ぼすような人ですよ」

 つまり、とプラナが指を立てる。

「言い換えるのであれば、その情の深さこそが先生の最大の強みであり、弱点でもあります。そして犠牲を厭う先生に対し、既に失った私達が訴えかければ効果は覿面。二度目以降は上手く躱されるかもしれませんが、初回であれば確実に通るかと」

「……ゲームで敵の攻略法考えてるみたいだね」

「否定は出来ません。先生の屁理屈ロジックを如何に掻い潜るかという論理パズルでもありますので」

 ただ、と不意にプラナが表情を緩めた。

「こういう馬鹿げたやり取りも、先生は楽しんでいるようですから。生徒の皆さんとしょうもない言い合いをしている時、凄く生き生きした表情をするんですよ、先生。直前まで無理難題の解決に頭を酷使していたのに、誰かがシャーレを訪れると途端に元気になるんです」

 一息。

「誰に強制された訳でもない挑戦と競い合い。勝敗はあっても損失はなく、そもそも勝負を投げ出しても良い。その結果として友誼を深め、笑っていられるのなら、贅沢な幸せだと思いますし──」

 気のせいと思えるレベルの、そんな微かな笑みと共に、

「私自身も楽しいですよ、これはこれで」

 ああ、とシロコは思う。いつの間にかこの子も変わったんだ、と。

 淡々と、目的に至る為の手順を遂行するだけかと思えば。不規則言動に困惑したり、ズボラっぷりに頭を抱え、状況を打破しようと汚いとも言える策を練って。

 これまでは余裕がなく、ただただ必死だっただけで、本来はこういう一面もあったのかもしれない。

 そういう意味でも、自分達は同類だ。

 だとすれば、とシロコは居住まいを正す。何事かと眉を上げるプラナを真っ直ぐ見据え、深々と頭を下げた。

 かつて砂漠で拾った”彼女”が、自分に対してそうしたように。

「ありがとう。先生を守ってくれて」

 

     ●

 

 不意の感謝に、プラナは困惑した。

 自分が先生を守るのは当たり前だ。目となり耳となり手足となると宣言し、世界の終焉を招くことすら是としたのだから。そんな”彼女”の遺志を継いだ彼女に対しても、剣となり盾となると誓っている。

 力不足を咎められこそすれ、礼を言われる筋合いはないはずだ。

「私は先生を手伝っただけで、一人では何も出来ない道具(AI)ですよ?」

「違う」

 即答だった。その真っ直ぐな眼差しに先生を想起したのは、彼女もまた教え子だからだろうか。それも経験という意味では、このキヴォトスでも最上位クラスの修羅場を掻い潜って来た最古の教え子であり、

「あっちのことも、こっちに来てからも、ずっと先生の傍で支えてくれてた。今だって先生の身を案じて、私に相談しに来てくれてる」

 ならば、

「私達は同じ。一人の力不足を嘆くのなら、それがそもそも間違ってる」

 だって、と笑みさえ浮かべてシロコは言う。

「皆で最終的に勝っていれば良い。先生は最初から、ずっとそうやって来てたでしょ?」

「────」

 かつての記憶。十数人掛かりとはいえ、個々の演算能力で見れば己とは比べるべくもない少女達に敗れた際、先生が笑みで告げた言葉。味方のいない当時は皮肉でしかなかったが、今となっては自分達もこちら側なのだ。

 自分に出来ることを成し、出来ないことは周りに任せれば良い。

「“先生”を守れなかったという後悔は、貴女も私も同じだから。だから今度こそ、って逸る気持ちも分かる」

 だけど、

「先生は無事だった。ホシノ先輩も帰って来た。私が手伝ったおかげだと言うなら、それは貴女だって同じこと。貴女も含めた皆がいたから「出来た」の。あの子達だって、きっとそれは分かってる。だから──」

 かつての世界。まだ全てが平和であった頃と同じような、澄んだ笑みがこちらを見ていた。

「貴女はAIであっても道具じゃない。立っている場所が違うだけで、同じ仲間だよ、プラナ」

 泣いて、叫んで、苦しんで。光を失った瞳で滅びの尖兵となっていた彼女が、幸せそうにそんなことを言う。

 良かった。

 かつての世界で、やり残したことは多々あれど。

 やっておかずに後悔することが、なくて良かった。

 “先生”と皆の墓参りに行こう、とプラナは思う。彼女と二人で、今の自分達を見せに。形見の品があるだけで、そこに本人が眠っている訳ではないけれど。

 もう大丈夫だと、胸を張って伝えて来よう。

 故に応じる。プラナもまた彼女に倣い、幻影に過ぎない頭をそれでも下げた。やっておかずに後悔することのないよう、最初の仲間である彼女に対し、

「助けに来てくれたこと、感謝します」

「ん、仲間の危機に駆け付けるのは当然」

 親指を立てて来たので、同じように返しておく。

 いつの間にか先生から感染った癖も、自分達の繋がりの一つだ。それを守る一助とすべく、プラナは表示枠を広げる。先生の予定や懸念される問題の発生予測をリストアップし、

「それでは、本題に戻りましょうか。キヴォトスの平和と皆の安寧の為に」

「ん、私も着替えと、夕飯の支度があるからその合間で話そう。ちょうど私も、先生に何か返したいと考えてたから」

「良いタイミング、ということですね。では早速プランの詳細を練りましょう」

 ラフな部屋着に着替え、それでもマフラーは外さないシロコに微笑しつつ、プラナは友と言葉を交わす。きっと明日は今日よりも、良い一日になるだろうと夢見て。

「……ところでプラナ、箱舟から助け出されたお礼、先生に言った?」

「天上から帰還したその日の内に言いましたが、……それが何か?」

 残念そうに俯かれたが、何か悪いことをしただろうか。

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