グラスアーカイブ   作:外神恭介

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実を言うと私もたまに、どうリアクションして良いか分からなくなる時があります

 シャーレオフィスビル、その休憩室は気まずい沈黙に満たされていた。

 心置きなくくつろげるよう、土足厳禁でクッションやソファーも多く配置されたカーペット敷きの一室。それぞれの位置に陣取った少女達の視線は、とある一点に注がれている。

 椅子の上で膝を抱えている、もう一人のシロコへと、だ。

 見るからに落ち込んだ様子の彼女を前に、一同は目配せし合う。だが敢えてそれらを無視するように、組んだ両手ごと身を伸ばす姿があった。桜色の髪に左右色違いの瞳を持つその少女は、いやあ、と大袈裟に肩を竦め、

「まさか先生に会いに行ったシロコちゃんが大泣きして帰って来るとはねえ」

 

     ●

 

 ……タイミングが悪かったかなあ。

 内心でホシノが抱いた感想は、実際その通りとしか言い様がない。

 砂狼という姓の通り、シロコは常人より鼻が利く。それ故汗の匂いなどにも人一倍気を遣うし、先生の洗濯を手伝いあわよくば埋もれようと隙を窺ったりしていて、もう一人のシロコが合流してからは主に後者が倍どころか二乗くらいの勢いだが、今回はそれが完全に裏目に出た。

 先生は現在燻製部屋で仕込みの真っ最中であり、そもそも燻製とは多量の煙を排出することで香り付けするもの。きちんと周知や対策を取らなければ近隣に火事と誤認されたり、火災報知器の誤作動を招く程だ。一度それでシャーレを水浸しにして、シロコ共々ずぶ濡れの状態でユウカに超叱られたと聞いている。

 そんな量の匂いを伴う煙を、嗅覚の鋭い者が浴びればどうなるか。

 いくら良い香りでも、濃縮されれば悪臭と変わらない。大好きな先生に会いに行った結果カウンターを食らい、服や身体に桜の匂いが染み付いてしまって、身綺麗にする為戻りが遅れると先生から連絡があったのが三十分前。一風呂浴びて戻って来はしたが、見るからにテンションは低く、

「だから大丈夫、って聞いたのに。バカシロコ」

「……ん、今回ばかりは何も言い返せない」

 目尻を赤く腫らしたもう一人のシロコは、今でもちょっと桜の香りを漂わせている。煙をモロに浴びた制服は先生がクリーニングするとのことで、今着ている制服はシャーレにストックしてある予備の分。仕事柄夜間対応や待機などもあるし、ダベりの延長で泊まり込みも発生する為、着替えや日用品をシャーレに置いている生徒は多い。結果的にそれが功を奏した形だ。

 だが、マフラーばかりはそうも行かない。

 先生と対策委員会一同から贈った手編みのマフラー。世に一つしかない思い出の品も、制服共々先生の預かりだ。貰って以降風呂と睡眠時以外外していないらしい赤の色は、現在彼女の首元にない。獣耳まで倒れている辺り、相当落ち込んでいるのは明らかで。

 ユメの手帳を探し続けていた自分とて、その気持ちは痛い程分かるのだ。

「ほらほら、元気出してシロコちゃん。先生が夜までにどうにかするって言ってたんだし、絶対大丈夫だって」

「そうですよ。料理や裁縫、登攀から楽器の演奏、果ては発破やヘアカットまで多芸な先生ですよ? クリーニングだって上手くやってくれます」

「……ん」

 ノノミ共々励ましつつ頭や背中を撫でてやると反応があった。それに希望を見出したのか、互いに顔を見合わせたセリカとアヤネも、

「ほ、ほらシロコ先輩、私のケーキのイチゴあげるから」

「ええと、じゃあ私はフルーツタルトのお裾分けを……」

 餌付けがダイレクト過ぎるのはさておき、気遣いは通じたらしい。もう一人のシロコも小さく頷き、目元を擦りながら顔を上げる。そして、隣に座っていたこちらのシロコがもう一人の己の肩を叩きつつ、

「逆に考えれば良い。匂いが残っても、これからはいつでもどこでも先生の香りと一緒」

 ハッとした顔の後、ガッツポーズで天を仰ぐもう一人のシロコに、シロコ以外の全員が半目を向けた。

 いや、元気になったならいいんだけどさ。

 

     ●

 

 セリカにもらったイチゴを容赦なく貪るもう一人のシロコを尻目に、対策委員会の五人は顔を見合わせた。テーブル上のリモコンを手に取り、掌中で弄びつつシロコは口を開く。

「余計なトラブルが入って中断してたけど、私と先生の出会いはこんな感じ」

「……改めて思い返すと、確かに轢き逃げとゾンビと約束ではあったわね」

「……途中経過をすっ飛ばすと、結論が意味不明になりがちですよね、先生周り」

「……実を言うと私もたまに、どうリアクションして良いか分からなくなる時があります」

「……覆面水着団の時クリスティーナ云々って即応してたノノミちゃんですらそんな感じかあ」

「そう言うホシノ先輩も目には目をとか我が道の如く魔境を行くとかモットーをスラスラ言ってた」

 半目を向けた先、いやいや、とホシノが手を振った。そのまま肩を落とした彼女は不意に真顔で、

「ぶっちゃけ呼吸するように無茶苦茶言い出す先生に比べたら、私達って全然フツーじゃない?」

 誰もが内心思いつつ触れていなかった事実に、全員が顔を背けた。

「……そ、そういえば私、気になってることがあるんだけど!!」

 沈黙に耐えかねてか、セリカが大声と共に手を上げた。もう一人の自分含め視線が集中したことを認めると、彼女はこちらとノノミを見て、

「先生が初めて対策委員会居室に来た時、ノノミ先輩も一緒だったわよね? どこで合流したの?」

「あー……」

 至極真っ当な問いに、ノノミが苦笑と共にこちらを見た。一番最初に先生と会ったのは自分だが、実は二番手はノノミだったりする。その時の経緯についても、お互いと先生の間でしか通じてはおらず、

「……よくよく考えると、先生のあの登場、裏事情全く触れてなかったですね?」

「ん、伏せておかないといけなかったから。でも今なら話しても大丈夫だと思う」

「お? 何々? おじさん達の知らないサスペンスとかスペクタクルがあったりする?」

 見るからに興味津々なホシノの背後、セリカとアヤネも好奇心を隠し切れない視線を向けて来る。そんな眼差しに笑みを返したノノミは、軽く目を伏せ胸に手を当てた。

「そうですね。シロコちゃんの時くらい突き抜けたものではありませんが、……先生を信じようと、私がそう思った最初のきっかけではあります」

 そうなんだ、と改めて知った友人の内心に感慨を抱きつつ、シロコはリモコンを操作。すっかり調子を取り戻したもう一人の自分が隣に戻って来たのを見て、頷きと共に言う。

「まだ時間もあるし、さっきの続きから行ってみようか」

 

     ○

 

 握手の後、シロコは女性と共に歩みを再開した。

 補給を得て回復したとはいえ、失った体力の全てが戻った訳ではない。このまま別れ、仮に再度遭難してしまった場合、助かる可能性はゼロに等しいだろう。故に遠慮する彼女を説き伏せ、同道することにしたのだ。まだまだ話してみたいという私欲もあり決断はすぐで、対策委員会の面々にも少し遅くなる旨はモモトークで連絡済み。あとは心置きなく互いの話を聞き、伝え、反応を返しながら足を進めるだけだ。やがて砂漠を抜け、アビドス高等学校が間近に見え始めた頃、

「さて、そろそろ目的地か。ここまで付き合ってもらい助かった。改めて礼を述べさせてもらいたい」

 足を止めた女性が、一度荷物を背負い直した。出発の際持とうかと申し出はしたが、そこまで迷惑は掛けられないと断られている。それでも数十分休みなく歩き通している辺り、実は物凄くタフなのではないだろうか。ともあれ、

「ん、全然大丈夫。色々と話を聞けて楽しかったから」

「それは重畳。私も有意義な時間を過ごさせてもらったよ。──感謝である」

 互いに笑みと会釈を交わす。一息つき、女性は己の懐を漁りペンと手帳を取り出すと、

「ではまたいずれ、状況が落ち着いたら連絡しよう。無論約束の件に限らず、何かあれば気軽に連絡してくれたまえ。すぐにでも飛んで行くとも」

「ん、それじゃあ私の連絡先も──」

 言って、スマホの電話帳を呼び出したところで気付く。向こうも同じ思考に至ったのか、紙にペンを走らせる直前で動きを止めていた。そのまま視線を交わし、同時に遠くの空を眺めて、

「……そういえば、まだお互い名乗っていなかったね?」

「……ん、タイミングを逃したままここまでズルズルと」

 乾いた風が、二人の間を吹き抜けて行った。

「……ここは前向きに考えよう。お互い、名乗ることなく別れずに済んで良かった、と。だが礼を失した対応については謝罪させてもらいたい」

「……ん、お互い様だから気にしなくて良い。私の方もごめんなさい」

 二人揃って頭を下げ、大きく息を吐く。顔を上げると一度荷物を下ろした女性が、改めてこちらを見て、

「遅まきながら自己紹介と行こう。私は葵・硝子。ガラスと書いてショウコだ。なかなか馴染みのない名前だろうが、それ故印象に残ると思うよ」

「ん、綺麗で良い名前。覚えたよ、硝子」

 頷いて、シロコもまた自転車をアビドスの塀に立て掛ける。最初に話した時みたい、と既に懐かしさを覚えつつも、真っ直ぐに視線を返して、

「私はシロコ。砂狼シロコ。アビドス高等学校の二年生」

「……アビドス高等学校?」

 告げた言葉に、硝子が動きを止めた。彼女はそのまま背後、アビドスの校門を一瞥し、視線を戻すとこちらが胸元に付けた学生証に目を留める。

「まさか君は──」

「シロコちゃーん!!」

 不意の呼び声に、硝子共々視線を向ける。校門を挟んで反対側、こちらへと駆け寄って来る姿が見えた。手を振る動きに長髪と巨乳を揺らしているのは、アビドス唯一の同級生。

 ノノミだ。

 

     ●

 

「あれ? ノノミ先輩ここで合流だったの?」

「てっきり道中で合流して雑談混じりに学園まで来たものと……」

「仮にそうだった場合おじさん達のツッコミじゃ到底太刀打ち出来ないカオスワールドが展開してただろうなあ……」

「シロコちゃん、前にミヤコちゃん達が集めて来た情報教えてあげたらどうですか」

「ん、メンタルや言動が先生に一番近い学園ランキングでアビドスは堂々の一位だった。誇らしい」

「類は友を呼ぶ。つまり私達がカオスならホシノ先輩達もその仲間」

「わあい……、わあい……」

「ちょ、ホシノ先輩もアヤネちゃんも顔を背けながら万歳しないでよ!!」

 

     ○

 

 ノノミはシロコと、連れらしき女性の前で足を止めた。

 当然ながら面識はない。ヘイローのない大人というだけで僅かな警戒を抱いてしまうのは一種のアビドス病だが、足元の大荷物だったり砂まみれのスーツだったり違う意味でもコメントに困る。

 だがシロコと同じ色の瞳には淀みも曇りもなく、空のように澄んでいて。少なくともこちらを騙したり、取り入ろうとしに来たようには見えなかった。とはいえ会話の糸口もなく、どうしたものかと思っていると、

「失敬。君も彼女と同じ、アビドスの?」

「え? あ、はい、二年生の十六夜ノノミと言います。それで貴女は……?」

 気遣いか、或いは本心か、振ってくれた話題に乗っかり自己紹介を済ませると、女性は待てと言うように手の平を向けた。そのまま傍らのシロコに振り向くと、こちら同様何事か分かっていないシロコが首を傾げる。

 その動きに釣られて、胸元の学生証が揺れていた。

 凝視すること三秒。女性が手で顔を覆い身体ごと背けてしまい、

「あのう……?」

「ああ、いや、すまない。己の馬鹿さ加減に呆れ果てていただけだ。数日飲まず食わず不眠不休で砂漠を彷徨った程度でここまで思考の巡りが悪くなるとは」

 しれっととんでもないことを口走っていたような気がするが、ツッコミを入れられる程親しい間柄でもないので堪えた。

 やがて気を取り直したのか、身に入った力を抜くように肩を上げ、下ろす動きの後に女性が姿勢を正した。懐に手を入れ、抜き出すのは自分達の学生証に似た、セキュリティカードのようにも見えるネックストラップ。刻まれているのは青と十字を基礎とした、見覚えのあるエンブレムで、

「互いの立場も分かったことだし、改めて名乗らせてもらおう。連邦生徒会長たっての希望により、同会長が組織した連邦捜査部シャーレの顧問に就任した、葵・硝子という者だ。此度はアビドス高等学校所属、奥空アヤネ君の救援依頼に応じここへ来た。彼女への取り次ぎを願いたいのだが、少々時間をいただけないだろうか」

 告げられた言葉の内容に、シロコ共々息を飲んだ。

 足元の大荷物も、不用意にアビドス砂漠へ踏み入ったことも、アビドスの生徒であることを聞いて自分に呆れていたことも、全ての疑問が納得に変わる。アヤネから救援依頼を送ったとは聞いていたし、来るにしても役人のように仰々しい訪問を想像していたのだが、

「……シャーレの先生だったんだ」

「如何にも。キヴォトスに来たのもつい先日のことでね。ここ何日かは施設の把握やある程度の知識を仕入れていたので、今回の依頼がシャーレとしての仕事初めとなる」

 半ば呆然と零すシロコの心中は、察するに余りある。ここまで一緒に歩いて来たと思しき相手が、まさかの待ち人であった先生。二人には単に道を共にしただけではない気安さ、或いは信頼とも言える関係が窺えて、一体何があったのか興味をそそられるし、

「そういった訳で何かと至らぬ点はあるだろうが、全力を尽くすことを約束しよう。出来れば末永くよろしく頼みたい」

 ストラップを首から下げ、こちらとシロコに左右の手を差し出す彼女は、これまで見て来た大人とは明らかに違う。こちらを下に見ることもなく、事務的な対応に徹するでもなく、対等なパートナーとして接しようとしている。砂まみれなのが格好付かないが、その気取らなさが逆に親身さを感じさせて、

「ん、改めてよろしく硝子……、先生」

「はい、不束者ですが、どうぞよろしくお願いします、先生」

 シロコと共に一歩踏み出し、差し出された手を握る。シロコが右手で、ノノミが左手。触れた手は細く柔らかい女性のもの。しかしこちらより大きく、力強さも感じられる不思議な手。

 同性でありながらシロコやアヤネ達とは全く違う、大人の手だ。

「さて、本来であればこのまま茶でも飲みつつ交友を深めたいところではあるが、まずはやるべきことをやらねばなるまい。依頼人の奥空君にも面通しが出来ていないしね」

 握手を済ませると、先生が荷物を手にし肩へと担う。結構な重量があるのは容易に見て取れたので、ノノミはごく当たり前に、

「私が運びましょうか? 力には自信がありますし」

「気遣いには感謝するが、厚意だけ受け取っておこう」

 えっ、と思わず声に出してしまった。が、先生は苦笑と共に荷物を背負い直し、

「気を悪くしたのなら申し訳ない。だが初対面の相手に荷物を運ばせるような輩が、どうやって相手の信頼を得ると? 元より奥空君に渡すまでは私の管轄、責任持って届けるとも」

 ぐうの音も出ない正論で、もはやノノミの介入する余地はなくなってしまった。そんなこちらの内心を汲んだのか、シロコが心配ないというように親指を立ててみせ、

「大丈夫。先生はこれを背負ったまま自転車の私を追い抜いたから」

「……一体お二人の間で何があったんですか」

「些細なことだからスルーしたまえ。一つ確実に言えるのは、砂狼君に出会わなかったら私は野垂れ死んでいたということだ。何しろ砂漠で遭難し掛けてね」

「未遂じゃなくてガッツリ遭難」

「未遂だとも。砂狼君が助けてくれたのだから」

「……そういうこと言うの、心臓に悪い」

「ははは、自分に正直に生きるのが私のモットーでね」

 照れ隠し兼ツッコミの手刀をビシビシと入れているシロコは、やはり先生に対して気安い。彼女がアビドス入りした頃からを知る身としては、何とも感慨深い光景だ。成長が喜ばしくもあり、同時に一抹の寂しさを覚えるこれが、母親の心境というものなのだろうか。そんなことを思っていると、壁に立て掛けていた自転車を引き寄せたシロコがこちらを見て、

「ノノミ、先生と先に行ってて。私は自転車停めて来る」

「あ、はい。行ってらっしゃいシロコちゃん」

「急ぐあまり転んだりしないようにしたまえよ」

「ん、気を付ける」

 軽く一瞥してから、駆け足でシロコが去って行く。その背中に手を振り見送っていると、

「良い子だね」

「……え?」

 不意の言葉に顔を上げれば、目を細めた先生がシロコを見ていた。そのまま横目にこちらを見遣ると口元を緩め、

「彼女は私と戯れつつも、ずっと君のことを気に掛けていた。それは単なる友人という以上に、十六夜君のことを大事に思っているということだよ」

 一息。

「君達の間に何があったのか、私は知らない。会って半日と経っていないのだからね。だがそんな私でも悟れる程に、君達の結び付きは強固だ。……或いは、君達二人に限った話ではないのかもしれないが──」

 人気のない校舎を一瞥してから、改めてこちらに向き直った先生が言う。

「彼女が信を置いているのなら、それだけで信頼に値する。奥空君との話し合いがどう転ぶかは分からないが、君達のありとあらゆるが損なわれぬよう、私も出来る限りの手を尽くそう」

 故に、

「荷物運搬の代わりと言ってはなんだが、十六夜君に頼みたいことがある。君にしか出来ないことだ」

「は、はいっ、何でしょう」

 一体何だろうか。知り合って間もないにも関わらず、ノノミにしか出来ないというのも気に掛かる。内心僅かに身構えた先、大仰に頷いた先生は笑みを浮かべ、

「砂狼君が戻るまで雑談に付き合って欲しいのだ」

「……はい?」

 今、間違いなく間の抜けた顔をしているでしょうね、と頭のどこかで思うくらいには、予想外の言葉が返って来た。

「……どうしたのかね? 何やら拍子抜けという顔をしているが」

「え、いえ、あの……、私にしか出来ないこと、という話では……?」

「おやおや不思議なことを言う。ここに君と私以外の誰がいると? 私は目に見えないタイプの友人はいない口だが、十六夜君は違ったかね?」

「いえいえいえいえいえ」

 慌てて首と手を振ると笑われた。が、それは微笑ましいものを見た時のような柔らかい笑みで、

「そう構える必要はない。口に出来る範囲で、お互いについて語るだけのことだ。好きなこと。やりたいこと。悩んでいること。何を思い、何を感じ、何を考え過ごしているのか。私はそれが知りたい。砂狼君の友人である十六夜君ではなく、私の知る十六夜君として関係を結ぶ為に」

 だから、

「君の話を聞かせて欲しい。──どうだろうか」

 こちらへと向けられた問い掛けに、ノノミは先程抱いた感想が誤っていなかったことを悟った。

 大人と子供。知識においても経験においても、後者が前者に敵うことはそうそうない。故にこそ「大人の言うことだから」と、正しい判断として従うことを強要する者はいくらでもいる。単に高圧的というだけでなく、当人からすれば親切のつもりで押し付けることもまた然りだ。

 未熟であろうと、間違っていようと、子供は子供なりに懸命に考えていたとしても。

 極端なことを言ってしまえば、先生は部外者だ。歩み寄り、理解を深めることは役割上必要かもしれないが、絶対という訳ではない。アビドス専属ならいざ知らず、他の学園にも関わりを持つことになるか、或いは既に持っているだろう。それら全てを把握しようなど、不可能に等しいはずだ。

 だが、彼女は分かり合おうとする。目の前の相手と、ここに至るまでを作り上げた個性や関係を知ろうとする。

 分かった。

 分かってしまった。

 シロコが半日足らずで心を開いた理由も、今ならば納得出来る。それは彼女と他の大人が、明確に異なる一点に由来するもの。

 尊重だ。

 思い出すのは、この学園唯一の先輩格。かつて己の提案を理詰めで窘めつつも、しかし意を汲んで指針をくれた人。見た目も言動も性格もまるで違うが、その人に近しいものをノノミは彼女に感じた。

 だから決めた。

「はいっ、私で良ければお付き合いさせていただきますね」

 会って一時間と経ってはいないけれど、この人を信じよう、と。

 

     ●

 

「……ノノミ先輩の美化が入ってないとは言わないけど、何この史上稀に見る綺麗な先生」

「よくよく思い返すと、先生ちゃんとマトモな対応出来るんだよね。──しないだけで」

「ん、つまり最初からフルスロットだった私と先生はツーカー」

「ん、奇遇なことに私もツーカー」

「対抗意識燃やすのは程々にお願いしますシロコ先輩……」

「うんうん、真面目な先生も素敵ですけど、やっぱりいつもの方が私は好きですね☆」

 

     ○

 

 それからノノミは、先生と色々なことを話した。

 シロコが戻って来るまでと、戻って来てからは三人で。穏やかな時間を惜しむように、ゆっくりとした足取りで。階段を昇り、廊下を渡って、取り留めもない話題を延々と。

「……それじゃあ先生は、お休みの日に燻製を作って過ごすことが多いんですね」

「うむ、さすがに外から一式は持ち込めなかったがね。元々日持ちさせる為に生まれた概念なので、非常食にもなって有用だ」

「ん、美味しいものはモチベーションにも繋がる。私も釣った魚でやってみようかな」

「ならばその内シャーレに来ると良い。簡単な入門用なら有り合わせの材料で設備は作れるからね」

 などとシャーレ訪問の予定も取り付けつつ、歓談の時間は終わりを迎えた。自分達の溜まり場である、対策委員会居室に着いたからだ。扉の向こうから聞こえる声からするに、既に全員集まっているようで、

「ちょっと遅くなっちゃいましたね」

「ん、先生の救助もあったとはいえ悪いことした」

「気に病む必要はあるまい。文字通りのお荷物を拾って来たのだから、非があるとすれば私だけだろう。君達の会話の端々から察するに、本気で遅刻を咎める者もいなさそうだしね」

 とはいえ、と先生はこちらとシロコを見遣り、腕を組んだ。

「だからといって簡単に割り切れる程薄情な君達でもあるまい。ならばここは私が責任を持って、この状況を打開しよう」

「いえいえ、そんな、先生に気を遣っていただくことは……」

「良いのだよ十六夜君、一石二鳥というやつだからね」

「……どういうこと?」

 至極もっともなシロコの疑問に、先生は己を示すように両の腕を広げた。見るからに質の良い黒のスーツは、しかし砂にまみれ汚れており、先生自身もやややつれているのが見て取れて、

「砂漠を飲まず食わずで彷徨ってこの有様だ。普通に挨拶をしたところで、心配を掛けてしまうだろう。込み入った話までは聞けていないが、色々と苦労しているであろう君達の心理的負担を増やすのは私も望むところではない」

 なので、

「私の見栄えや君達の遅刻が霞む程の、衝撃的なファーストインプレッションを与えれば良い。それには外様の私が適任だろう。要は派手にブチかまして、何だコイツは、とでも思わせれば良い」

 何かとんでもないことを言い出した。

 どうしましょう、とノノミはシロコとアイコンタクト。促しを受けたので、小さく手を挙げたノノミは当然の反応として、

「初対面なのに印象を悪くしてしまうのはどうなんでしょうか……」

 自分達は彼女の人となりを多少分かっているが、これから対面するアヤネ達はそこからが全てだ。あまりに不真面目な登場をすれば、セリカ辺りは強く反発するだろう。先生側にも事情があるのだし、泥を被るようなことまでしなくていいように思うのだが、

「逆に考えてしまえば良い。──いっそどん底まで評価を落とせば、後はただ上がるだけだ、とね」

 ノノミは思う。ホシノに近しいものを感じはしたが、マイペースな部分までそっくりじゃなくて良いんじゃないでしょうか、と。ベクトルは正反対だが。あっちは静的でこっちは動的。

 呆れと困惑が入り混じった複雑な視線を二人で向ける先、先生は窓ガラスの反射を利用して身嗜みを整え始める。襟元を正し、手櫛で軽く髪を梳いて、

「信頼は行動で勝ち取れば良い。私がどのような人間かは、関わりを深くして行く内に知れるだろう。奥空君や君達二人が私を見限らない限り、門前払いということもないだろうからね」

 それに、と先生が顔を向ける。

「大抵の困難や苦境は、おお快なりと言っておけばどうにかなるものだ。砂狼君、試しに何か困っていることを言ってみてくれたまえ」

「先生にあげちゃったから今日の私は昼御飯がない」

「おお快なり!!」

「先生、先生、単に嫌な性格の人になっちゃってますよ」

「ん、ホントに言うとは思わなかった」

「つまり砂狼君の思惑を超えた私の一勝だね?」

 してやったりと楽しげに笑っているこの人には一生勝てまい、とノノミは思った。悔しそうに口を尖らせているシロコは多分相性が良いのだろう。はは、と笑みを零した先生は荷物を下ろし、

「さすがに今のは極端だが、存外気の持ちようで楽になることは多い。どんな状況に直面したところで、結局は逃げるか対処するかだ。どちらであっても前向きに取り組んだ方が、悲観的に挑むより上手く行きそうだとは思わないかね? 少なくとも私はまだ見ぬアビドス生との交流を、非常に楽しみにしているよ」

 だから、

「任せておきたまえ。これは決して君たちを庇う為とか嫌々仕方なくではない、望んでフザけ倒しに行くのだ。大人だシャーレだで変に構えられるより、いっそ雑なくらいの扱いの方が私としてもありがたい」

「ん、なら面白くなかった時のフォローは任せて」

「仮にブーイングが飛び交っても、ちゃんと骨は拾いますね」

 うむ、と先生がドアの取っ手に手を掛けた。心を落ち着けるように一度大きく息を吸って、

「何、心配は要らんよ。何しろ私が外で所属していた組織は、恐ろしくギャグに厳しいところでね。私の芸風とはかなり違うが、参考になり過ぎる嫌な連中もいた。お茶の間大爆笑の一つや二つ、余裕だと言わせてもらおう。──いざ」

 勢い良く扉を開け放ち、先生が一歩踏み出した。

 すぐに自分達も続き、少し引いた所から彼女を見守る。居室内ではいつもの席に陣取っていた三人が、不意の出来事に目を丸くしていた。

 当然とも言えるその反応に、しかし構わず先生が口を開く。

「コーニチーワアビドスノミナサーン」

 第一声でそう口にした先生は、写真に収めておきたい程の満面の笑みで両手を広げ、

「オゲンキディスカア?」

 盛大に滑った。

 

     ●

 

「……裏側が見えて来たからようやく納得、は出来ませんけど腑に落ちた感が」

「……一番大事な経緯をすっ飛ばしてるせいで、ただのキチガイにしかなってないわよね」

「……そういうのあんまり見せてくれないからねえ、先生。だから結論部分のビジュアル面が最強過ぎるんだけど」

「ん、私とノノミと先生のやり取りを知らないセリカやホシノ先輩が、最初先生を信用しないのも仕方ない」

「知っててもコレはナシだよ!!」

 

     ○

 

 沈黙。

 そうとしか言いようのない空気が部屋を満たし、得体の知れないものを見る眼差しが先生に注がれる。しかし渦中の当人はというと、十秒経ってもリアクションがないことを認めて腕を組むと、

「ふむ、どうやらウケがよろしくないようだね。これが文化の違いというやつか、なかなかどうしてコミュニケーションというのは難しいものだね?」

 見知らぬ人物から関わりたくない変人にグレードが上がった半目を受けつつも、先生は納得したように頷くだけ。やがて片手を上げながら踵を返し、

「泣きの一回ということでリベンジだ。これで滑ったら潔く土下座しよう」

 そう言い残し部屋を出て、扉を閉めた。三秒後、再び勢い良く扉を開け放ち、堂々とした足取りで先程と同じ位置に立つ。

 姿勢は腰の後ろで手を組み、やや仰向けの直立。朝礼で大勢の前に立つようだ、というシロコが抱いた感想のまま、大きく息を吸った先生は、

「コニチワーアビドスノミナスァーン」

 アヤネが噴き出しかけ、口元を押さえつつ顔を背けた。

 アビドス組の視線がアヤネへと移る中、先生は無言で歩みを進める。靴音も高らかにアヤネへと歩み寄り、そのまま身を曲げて下から覗き込むようにして、

「ゴキゲンイカガア?」

 アヤネが堪え切れず噴き出した。

 

     ●

 

「……当時は言わなかったけど、コレで笑っちゃうとかアヤネちゃん大丈夫……?」

「だ、だって明らかに滑ってるのに二度ネタで来るとは思わないでしょ!? 微妙にイントネーション変えた挙句二言目は変化球だし!!」

「……翌日以降先生が来る前にそわそわしてたの、実はギャグ待ちだったりしました?」

「その場合セリカちゃんとおじさんの先生に対する信用度はガンガン下がってっただろうねえ」

「ん、あくまで遭難を心配させない為の措置だったから、次からは普通に来てた」

「……私、その普通って私達基準の普通? 先生基準の普通?」

 

     ○

 

 部屋の中は二極化していた。

 ウケを取った先生が膝を着きながらガッツポーズをしていて、そのあまりにも全力過ぎる執念に敬意を表しシロコは拍手を送る。その傍らでは肩を震わせるアヤネの背中をノノミが苦笑交じりにさすっており、しかしその光景を絶対零度と呼ぶのも生易しい冷えた眼差しでセリカとホシノが見ていた。

 とりあえず当初の狙い通り、先生の風体や健康状態に対する言及は阻止出来た。代わりにもっと大切な何かを失っている気もするが、当人の選択なので口は挟まない。

 やがて身を起こした先生が、そこでようやく二人の視線に気付いた。彼女は不思議そうに首を傾げると、

「どうしたのかねそんな険しい顔をして。無理せず笑ってくれて構わんよ。哀れむような目でね……!!」

 親指を立てつつ言う先生にセリカが一切隠す気のない蔑みの目を向けたが、先生は身を捻ってスルーした。凄い。この状況でここまでブチかませるメンタルの持ち主を、シロコは今まで見たことがない。砂漠でのやり取りで既に彼女に対する信頼度はかなり高めをキープしていたが、こんなユーモア溢れる行動まで取れるとは嬉しい誤算だ。借金故にともすれば焦りがちな対策委員会にとって、良い息抜きになるだろう。

 

     ●

 

「……息抜、き?」

「息抜きではあるねえ。──鳩尾に正拳叩き込んで無理矢理肺の中を空にする類の」

「でも実際、先生が来てから皆明るくなりましたよね」

「ツッコミどころが多過ぎて余計なことに気を回す暇がなくなった、という方が近いですけどね……」

「そう? 楽しいよ?」

「ん、心の栄養」

「シロコ先輩の順応性高過ぎ……」

 

     ○

 

 そんなこんなでアヤネ的には二重の意味で衝撃的だった邂逅を終え、各々が自己紹介に入る。当然のように先手を切ったのは廊下に置いたままだった荷物を運び入れ終えた先生で、

「改めて、私が連邦捜査部シャーレ顧問、葵・硝子だ。ガラスと書いてショウコと読むので、今日はそれだけ覚えてから解散してくれるとありがたい」

「先生、実は先生じゃなくて芸人だったの?」

「ツッコミ良い感じだね砂狼君!!」

 互いに親指を立て合っている先生とシロコを見るに相当打ち解けているのは理解出来た。ノノミも笑顔で拍手を送っており、随分と好意的なように見える。同時に入って来たということは到着までに何かしらのやり取りがあったのだろうが、自分達と同等の付き合いの長さなのではないかと錯覚してしまう程に馴染んでいて、

 ……悪い人ではなさそうですね。登場シーンはさておき。

 不覚にも笑ってしまったが、堅苦しいよりはありがたい。切羽詰まっていたこともあり、シャーレへの依頼は賭けに近い部分も大きかった。良くて断りの返事、悪ければ無視くらいは覚悟していたこともあり、直接訪問してくれたというだけでも好印象だ。そんなアヤネの内心を知る由もない先生は、

「話を戻すが、キヴォトスの外から来たが故に色々と不慣れでね。事前にアポを取るべきかとも思ったが、手紙での依頼であった為やり取りに時間が掛かることと、切迫した状況らしかったのでこうして訪問させてもらった次第だ。その点については謝罪しよう」

「……アポなし突撃よりも先に詫びるべき点があったような気がするんだけどなあ」

「五人中三人に好評だったので民主主義に基づきセーフ判定だ」

「うへえ、口が上手いねえ」

 口を横に開いて苦笑したホシノだったが、それ以上を追及する気はないらしい。登場時こそ怪訝な目を向けていたようだが、曲がりなりにも自分達の長だ。例え本心がどうであれ、建前上の対応をこなすくらいはやる。そういう人だ。自分が呼んだという引け目もあり若干不安だったが、ひとまず表立った衝突はなさそうで一安心。

「ええと、私は奥空アヤネと言います。一年生で、書記とオペレーターを担当しています」

 シロコとノノミは既に済ませたらしいので省略として、依頼人という立場もあるのでアヤネが続く。こちらの名乗りを聞いた先生は、眉を上げると口元に笑みを見せ、

「成程、君が奥空君だったか。依頼のあった物資類についてもご覧の通り持ち込んでいるので、後で受領手続きを頼みたい。念の為申請より三割程多めに持って来ているが、不要であれば持ち帰るので気にする必要はないよ?」

「そ、そんなに沢山……!?」

 道理で重そうな訳だ。十キロは下らないであろう荷物を背負い、恐らく砂漠地帯も歩いて来たはず。やや悪そうに見える顔色やスーツに付いた砂などを見れば、ここに来るまで苦労があったことは察するに余りある。だというのに当人はそんな素振りも見せず、

「戦闘となれば不測の事態も多いだろう。備えあれば憂いなし、備蓄もまた一つの戦いだ。幸い私の権限でその辺りはかなり自由にやれるので、今後は遠慮なく申請を出すと良い」

 懐から取り出した明細を机上に置き差し出して来る姿は、恩を着せようという意思を感じられない。自分達が貸し借りや助け合いを「気にするな」と笑うように、さもそれが当然であるような態度で。

 分からない。

 先生という立場故か、本人がそういう気質なのか。いずれにせよここまで親身に、こちらに対して便宜を図ってくれた相手は初めてで。感謝や礼よりも先に困惑の念が来てしまうのは、それだけアビドスが孤立無援でやって来たからだ。そんなこちらの戸惑いを曲解したのか、大仰に肩を竦めた変な大人は、

「想像していたのと全く違う変な大人が来て驚いたかね?」

 肯定も否定も出来なかったので視線を逸らした。視界の端、シロコは躊躇いなく頷いていてノノミは嫌味のない苦笑を浮かべているから慣れだろうかとも思うが、ホシノは品定めするように目を細めている辺りさすが過ぎる。だが変な大人は、構うことなく開いた手を前後に振った。

「私は役人でもお偉方でもない、どこにでもいるフツーの人間だよ。敬意を払う必要はないし、歳の離れた知り合いくらいのテキトーな接し方でよろしく頼む。……ああ、その辺りそっちの彼女などは理想的だ」

 先生が視線を向けた先には、目下アヤネの最大の懸念がある。席に着いてから腕を組み、一言も発していないセリカという爆弾が。一同の注目を浴びる中、睨むような目で先生を見ていた彼女はやはり無言で、

「…………」

 不満そうに眉を寄せて顔を背けた。

 当然と言えば当然か。直情的な彼女は表面上の態度とは裏腹に、身内に対しては絶対の信頼を置いている。だが逆に余所者に対しては、警戒心もあって突っ掛かるような態度が多い。なまじアビドスが辿って来た経緯もあって、自分達を助けるどころか見向きもしない大人というものをあまり信用していなかった。

 いくら先生がこれまで見て来た大人と違うとしても、ファーストインプレッションがアレ過ぎた。一連のやり取りを見て以降、彼女は明らかに先生を敵視している。支援物資の話が出た際も、バッグを一瞥しただけで顔色一つ変えない辺り根が深い。当然ながら自己紹介など望めるはずもなく、空気が悪くなる前にアヤネがフォローに入って、

「彼女は黒見セリカ、私と同じ一年生で会計を担当しています。そして……」

「三年生の小鳥遊ホシノ。一応対策委員会の委員長だけど、まあ柄じゃないからテキトーで。よろしくねー先生」

 机にもたれ掛かったまま手を振るホシノをシメとして、一通りの面通しは終わった。が、思い出したようにシロコが掴んだノノミの腕ごと手を挙げて、

「さっきは言ってなかったけど私は行動班長。ノノミが一般委員」

「ほう。なら私は顧問か、或いは下っ端のパシリというところか」

 しれっと返された先生の言葉に、全員が目を瞬かせた。それは先生の突拍子もない発言もだが、不意に見せた先程までとは全く異なる表情に対するものでもある。

 真剣、と言うのも生温い、細められた鋭い瞳。心の奥底まで見透かされるような、まるで己の全てがガラス張りになってしまった錯覚を与えて来る。その視線は自分達ではなく教室内や窓の外を見てはいたが、一対一で見据えられたらどうなっていただろうかと思わせる程で、

「街はシャッターの下りた建物や空き家が多く、生きている施設内も整備の行き届いていない箇所があり、更には昼前だというのに君達以外の生徒が全く見受けられない。奥空君の手紙だけでは確信が持ち切れなかったが、……実際は相当に厳しい状況なのではないかね?」

 図星であるが故、誰も何も言えなかった。

 先生に宛てた手紙には学園が襲撃に遭っている旨しか書いておらず、借金については一言も触れていない。いくら事情があるとはいえ、九億超の借金があると知られれば引かれるか、関わりを持ちたくないと思われるだろうから。だがこの眼差しを前にしては、それを隠しきれるなどとは到底思えず、

「差し出がましいことは重々承知だ。だが見て見ぬ振りをするのは性に合わん。だからどうか一つだけ、君達に問うことを許して欲しい」

 ここまでかと、内心諦めを抱いたアヤネの眼前、しかし先生が口にしたのは、

「何か私に、手伝えることはないだろうか」

 そんな、助力の申し出だった。

「……何があったのか教えて欲しい、じゃないんですね」

「事情を知らずとも力を貸すことは出来るよ。聞かせてもらえるならありがたいことではあるがね。……まあ、私に対する判断材料が足りない今では難しいとは思うが」

「そんなことない」

 苦笑する先生の言葉を遮ったのは、席を立ったシロコだった。彼女はそのまま早足で、先生の隣まで辿り着くとその手を取り、

「先生は信頼出来る。その証明も見せてもらった。あの言葉は本心だったって、私にはちゃんと伝わってる」

 あの言葉? とノノミに視線を向けてみるが、彼女も不思議そうに首を傾げる辺り両者の間でだけ通じることか。だがそれで十分だったのか、先生が軽く息を詰める。そんな大人に対し物怖じなく、シロコは真っ直ぐな眼差しを向け、

「先生さえ良ければ、私達を助けて欲しい」

「──Tes.」

 応答は即座だった。が、状況に相応しくない耳慣れぬ言葉に、シロコが数拍置いてから身体ごと顔を傾け、

「……てすためんと?」

「シャーレ独自の符号だよ。元は契約を意味する言葉で、主に了解や応答の相槌として使う」

 要するに、とシロコに握られていた手を彼女の頭に乗せ、

「己の発言に対する責任は果たす。ああ、元々そういう話だったからね。私に何が出来るかは分からないが、全力で手伝うと宣言しよう。……君達の許しをもらえるなら、だが」

 先生の言葉に釣られるように、シロコが皆の顔を見た。独断専行にも程がある発言ではあったが、アヤネとしてはちょっと判断しきれない。ノノミはシロコと同意見のようだが、見るからに反対のセリカ共々とある一点を見ていて、だから己もそちらを窺った。

 ゆっくりと身を起こしたホシノへと。

 ホシノが先生を見て、先生もまた正面から視線を返す。そのまま優に五秒が経過し、やがて肩の力を抜いたホシノの判断は、

「ま、良いんじゃない? これまで話を聞いてくれた大人なんて、誰一人いなかったんだしさ。こうして物資も持って来てくれた訳だから、事情くらいは教えないと罰が当たるかもよー? もしかしたら本当に何か出来ることがあるかもしれないし、愚痴るだけでも気が楽になることだってあるからねえ」

 許可が下りた。呆気に取られ口を開くセリカの反応が大概だが、それ以上に手を取り合って喜んでいるシロコとノノミが喜色満面でインパクトが凄い。アヤネ個人としては割合後者寄りになりつつあるが、トップの許可が出たならば迷う意味もない。

 だから、どうか話し終えた後先生のこちらを見る目が変わりませんようにと、それだけを祈りつつ。

「実は──」

 

     ●

 

「……よくよく思い返すとあの時、居室に借金関連の資料や書類広げっぱなしでしたよね」

「……元々、借金への抜本的な対策を話し合う会議するつもりだったからねえ」

「……つまり打ち明けるまでもなくバレてたってこと?」

「……ん、言わないのも一つの優しさ」

「あのっ、あのっ、今良い話の途中なので現在の視点から無慈悲なツッコミは控えていただけるとっ」

「……アヤネ、こっちでも苦労してるね」

 

     ○

 

「……と、そういう訳なんです」

 高頻度で発生した自然災害に端を発する、復興と借金の無限ループ。それらの説明を終えたアヤネは、意図的に視界から外していた先生の顔を恐る恐る見上げた。失礼だとは思ったが、反応が怖くて目を見て話すことは出来なかった。だが話し終えてしまった以上、その反応を直視せざるを得ない。

 どうなるだろう、と視線を上げて、しかしそこでアヤネの動きは止まった。

 先生が両の瞳から、涙を零していたからだ。

「せ、先生……?」

 思わず呼び掛けてしまった先、そこでようやく先生も己が泣いていることに気付いたらしい。己の頬を伝う雫を拭い、湿った指先を見下ろす。その目が宿す色は呆然とも、後悔ともつかない不思議なものに見えて。ポケットを漁っていたシロコがハンカチを手渡すが、アヤネはノノミと戸惑うように顔を見合わせるしかない。

 やがてハンカチで目元を拭った先生が、シロコに少し待つように手の平を立てる。頷き、座り直すのを見届けると、彼女は新たな動きを作った。

 頭を下げたのだ。

「申し訳ない。私もこちらに来たばかりで立て込んでいたとはいえ、もっと早くに来るべきだった」

 唐突な謝罪に、アヤネは混乱した。

 先生はアビドスの専属ではなく、キヴォトス全域を活動範囲とするシャーレの顧問なのだ。アビドスが切羽詰まっていたとしても、借金の件を伏せて連絡を取ったのはこちらの都合でしかない。

 先生に非などあるはずがないのに、何故彼女が謝らなければならないのか。

 シロコ達を含めた先生に好意的な面々が何も言えずにいる中、沈黙を破ったのはセリカだった。組んだ腕を解かぬまま、顔すら向けずに一瞥の後、

「同情なら要らないわよ」

 何もそんな言い方、と思いはするが、やや据えたような目になっているホシノも窘めはしない。ともすれば「自分がいればどうにか出来た」とも受け取れる先生の発言は、最上級生である彼女にとって思うところがあるだろう。セリカの言葉とて部外者が中途半端に関わり、引っ掻き回されることを警戒してのものだというくらいは分かる。

 ただこの場所を守りたいと、思っていることは全員同じなのだ。

「同情ではない」

 だからだろうか。先生の即応に、セリカを咎める色は微塵もなかった。

 物言いたげなセリカがようやく顔を向ける中、身を起こした先生は息を吐いた。震えの残る、形容しきれない感情の篭ったものだった。

「本来であれば私のような大人が手を回し、不備なく過ごせるように取り計らうべきだ。しかしそれは叶わず、それでも君達は何とかしようと努力を重ねて来た。同年代の子供達が本来得られていたはずの時間を、少なからず削ってまで。……それがただ哀しいのだ」

「それは……」

 何を言っても嘘になりそうで、アヤネはそれ以上を言えなかった。

 口にはせずとも、誰だって一度は思ったことがあるだろう。自然災害という人知の及ばぬ原因から困窮し、見限った生徒や住民達は土地を離れ、それでもどうにか学園を存続させようと、必死で頑張ってはいるけれど。

 どうしてこんな目に遭わなければいけないのか、と。

 他の学園に目を向ければ、何一つ不自由なく過ごしている生徒がいて。彼女達とて悩みやストレスがあるだろうが、自分達程切羽詰まったものではないだろう。放課後に街へ繰り出したりとか、休日に遊びに出掛けたりとか、そういう当たり前すら実現し難い自分達は、ならば何の為にここにいるのだろうかと。

 それが哀しいと、貴女は言うのか。

 出会って数時間と経っていない、無数に存在する学園の一生徒に過ぎない自分達に対し、涙を零してまで。

「遅くなったことを謝罪すると共に、これからは私も出来る範囲で全力を尽くそう。何かあれば気兼ねなく頼ってくれたまえ」

 様々な理由から言葉を失っているこちらの心情を知ってか知らずか、改めて先生はそう口にする。そして一同の顔を順に見て、目を細めただけの柔らかい笑みを浮かべ、

「──今までよく頑張った」

 ああ、とアヤネは思う。シロコやノノミが彼女を信じた理由が、これ以上なく理解出来た、と。

 アビドス自治区にも、少なくはあるが他に生徒がいる。借金についても大半が他人事で、高等部進学において大体は別の学園へと去って行く。どうにか出来る規模ではないということもあるが、そもそもからして「どうにかしよう」と行動に移す者はいなかった。その希少な例外が自分達対策委員会な訳だが、それ故に外部の助力など得ようがなかった。

 ニュースで誰それが事故に遭ったとか、どこそこが経営難と聞いても、結局は他人事でしかないように。

 自分達の苦しみも焦りも努力も、周りからすれば他人事でしかないのだから。

 だが、泣いてくれる人がここにいた。

 部外者だとしても、出来ることを手伝いたいと、そう言ってくれる人がここにいた。

 それだけでこれまでの何もかもが、決して無駄ではなかったのだと思える。

 ここまで頑張って来たからこそ、手を伸ばしてくれる誰かが現れるまで持ち堪えられたのだと。

 変な人であることは否定出来ない。ホシノはまだしもセリカとの関係や、実際の借金にヘルメット団への対応など、問題は山積みだ。

 だけど、どうにか出来るのかもしれないと、不確かな展望ではなく確とした希望を抱くことが出来た。

 だからアヤネは決めた。この人を信じようと。仮に今後、他メンバーが先生と揉めてしまったとしても、自分は彼女の側に立とうと。

 見据えている先が同じなら、立っている場所が違っても、共に行くことは出来るはずだから。

 

     ●

 

「それで、この直後に仕掛けて来たヘルメット団を、先生の指揮の下徹底的に負かしたんですよね☆」

 映像を一度止めつつ言うノノミに、シロコ達はうんうんと頷いた。遠くを見て懐かしむように、

「ん、ホシノ先輩と話し合って、襲撃の足掛かりになる前線拠点まで潰しに行ったっけ」

「初手から悪役全開だったねえ。おじさんを囮に裏口経由で回り込んだノノミちゃんが敵陣の後ろ側から制圧射撃したりとか」

「上手く行ったから良かったものの、二人で時間稼げって言われた時は真剣に先生を呪ってたわ……」

 呆れ十割で零すセリカだったが、ふともう一人のシロコが首を傾げた。記憶を辿るように上を見て、戻し、

「でも、私の世界では最初に先生が囮を申し出た時、セリカも止めに入ってた気がするけど」

「……どの世界でも先生は先生だなあホント」

 苦笑するホシノに全員が俯いた。よくよく思えば単独でアビドスの砂漠地帯に突っ込む時点で兆候はあったのだが、我が身の省みなさっぷりではキヴォトストップな気がしてならない。ホシノやヒナを始め上に立つ生徒は多少なりともそういう傾向があるが、全員で束になっても先生には及ばないだろう。しかし、

「アヤネちゃん、クッションに突っ伏してないでもっと先生のお話しませんか?」

「思い出し羞恥で死んでますのでお構いなく……」

「ん、ならアヤネの分のタルトは全部私がもらう」

 のそのそと戻って来た。そんなに先生の作ったタルトが大事か。いやまあ私が同じ立場でもそうすると思いますけど。

 ズレた眼鏡を直しつつタルトを口にしたアヤネが、口の端に付いた欠片を指先で拭い一息。マグカップの紅茶に視線を落として、

「ギャグの民主主義の時に先生も言ってましたけど、この時点で対策委員会の過半数が先生を信頼する方に付いた訳ですよね」

「二日後にはセリカちゃんも陥落してたけどねえ」

「べっ、別に陥落なんてしてないわよ!!」

 全員が生温かい眼差しをきっかり五秒は向けた。

 真っ赤になって縮こまっているセリカを横に、ふとホシノが後ろを見た。傾けた顔が見る先は、下のフロアにある燻製部屋の方角で、

「アヤネちゃんに追い打ち掛ける訳じゃないけどさ。……よく頑張ったって言ってくれたの、嬉しかったよね」

 ホシノの呟きに、皆が表情を緩めた。あの時ノノミが胸に感じた温かさは、今でも鮮明に覚えている。だから率先して頷いて、

「そうですね。おかげで自分達の行動に、自信が持てるようになりました。……まあ、素直に受け取れない子もいましたけど☆」

「い、良いじゃない別に!! 今はちゃんと感謝してるし!!」

「ん、でも言葉にしないと伝わらない。そうやって疎かにしてると後で悔やむことになるからきちんと口にするべき」

「デカい方のシロコ先輩に言われるとシャレにならないんだけど!?」

「なら私から言う。セリカ、後で一緒に先生にお礼を言いに行こう」

「付き添わなくていいし駄々っ子扱いやめてってば!!」

「でも絵面は完全にその通りだよセリカちゃん……」

「まあまあ、その辺にしてあげなよ。おじさんだって当時は「何を分かったようなこと言ってるのかなこのキチガイは」って思ってたし」

 手厳しい……、と全員が俯いた。色々な意味でいたたまれなくなったのか、恐る恐る手を挙げたセリカが、

「逆にホシノ先輩はどのタイミングで先生を信用したの……?」

 うへ? とホシノが目を瞬かせる。クッションに背を預け、考えるように上を見て数秒、

「うーん、正直言うとカイザー相手に交渉で一矢報いた辺りで、さすがにもう信じて良いかな、って思ってたんだけどね?」

 言って、何かに触れるように己の頭上に手を伸ばしたホシノが、柔らかい笑みと共に、

「やっぱり、馬鹿者って言ってくれた時かな」

 ああ、と全員が納得して頷いた。そりゃそうだ、とでも言うように苦笑を浮かべ、

「アレはまあ、反則ですよね」

「ん、微妙に当事者だけど惚れ直した」

「直後の展開が全力で台無しに掛かってたけどね……」

「それも先生らしい、って納得しちゃう辺り慣れちゃったよね……」

 二年生組と一年生組の温度差が激しいが、よくある。そしてもう一人の三年生も、記憶が繋がったのか二、三と頷いて、

「思い出した。アコやイオリ達も含めた皆で重傷の先生にチョップしまくった時」

「覚え方ぁー」

 ホシノが笑みで言うが、事実だからしょうがない。

「じゃあ、次はそこを見ましょうか。シロコちゃんにとっても懐かしいお話でしょうから」

「ん、お願いノノミ。もう一人の私のボケが深刻になる前に」

 ポカポカと狼二人が殴り合い始めたが、これもよくある。

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