狼二人の殴り合いをホシノとノノミが仲裁している間、セリカはアヤネと共に飲み物の補充をしていた。
シャーレのキッチンには、先生の購入した生徒用の菓子や飲料が多岐に渡ってストックされている。先生の代名詞の一つである豆から挽くコーヒーに始まり、紅茶や緑茶の茶葉にココアの粉末、市販のジュースや牛乳など。手早く済ませたい時は五百ミリのペットボトルも各種常備されていて、一カ月くらいは被りなしのローテーションが組めそうな程だ。あまりのバリエーションにファミレスのドリンクバーの如くテンション上げる生徒も多いが、
「ここも随分と物が増えたわね……。うわ、新発売の苺ミルクまで」
「リクエストがあると大体翌日には対応されてるからね……。先生も忙しいはずなんだけど」
苦笑で応じるアヤネ共々、シャーレとの付き合いは最古株と言っていい長さだ。まだ空き部屋の方が多かったシャーレオフィスビルを知る身としては、懐かしいやら感慨深いやら。設備の充実っぷりは先生の多忙さとほぼイコールなので素直に喜べないのが難だが、その分彼女を手伝うことで返して行ければとセリカは思う。今日は珍しく趣味の燻製に時間を割いているようだし。でもよくよく考えるとストックがないと美食研究会を筆頭に一部の生徒が暴れ出すのである意味仕事の一環な気もする。
……先生がご飯を与えている間は滅茶苦茶優秀なのよね、美食研……。
伊達に色彩戦において最終決戦まで付き合った仲ではない。その縁もあってかハルナを代表として臨時第四特務に任命されており、どこに叩き込んでも概ね成果を挙げて来る最強の隙間家具扱いだ。戦闘力で言えばいくらでも上がいるが、汎用性に関しては役職持ちの中でも上位に位置する。
少人数故しがらみもなくフットワークの軽い自称部員と言うと自分達対策委員会は勿論、便利屋68にRABBIT小隊、FOX小隊やアリウススクワッドなどがいる。だがそれぞれ借金返済や、アウトローな依頼に拘る、第一特務としての仕事やお尋ね者故大っぴらに動けないなど、何かしらの事情で動けない場合もあるのだ。その点元々が美食の為なら他一切を気に留めない美食研究会は、
「先生の手で一食作ってください。それが報酬ということで」
という合意さえ成れば緊急だろうが深夜だろうが僻地だろうが嬉々として突っ込んで行く筋金入りのキチガイ。加えて言えば目的の為なら常識的な振る舞いも可能で実力行使となっても躊躇わないなど、つまるところ先生の同類だ。先生の調理スキルがトラブルを起こしがちな美食研に対する外付けのブレーキ兼アクセルになっている訳だが、美食研の単純さに感謝すべきか、上手く手綱を握っている先生を褒めるべきか。いずれにせよ一つだけ確かなのは、
「どうしたのセリカちゃん、お湯ならそろそろ沸くよ?」
「ううん、先生が突き抜け過ぎてるから忘れがちだけど、周りも割と大概よね、って」
心当たりしかないのかアヤネが無言で目を逸らした。
そんな雑談を挟みつつ人数分の紅茶を淹れ休憩室へと帰還。ダブルシロコのデイリーファイトも終わったようで、今はチップスタイプの菓子をどれだけ縦に積み重ねられるかで勝負中らしい。自分達が戻って来たことで勝負はお預けとしたようで、互いに崩すタイミングが全くの同時なのはやはり同一人物故か。そんなことを思いつつカップを配り終えたセリカは腰を下ろし、
「それで、ホシノ先輩を助けた時の記録を見るのよね?」
「あ、それについてなんですけど、ちょっと提案がありまして」
不意に手を挙げたノノミに視線が集まる。が、彼女は物怖じすることもなく、リモコンの縁を指先でなぞりながら、
「ホシノ先輩の救出って、最後の最後のイベントでしたよね? そこに至るまでにも色々ありましたし、出来ればそっちも見ておきたいなあ、と」
「確かに色々、という一言で済ませるのもどうかというくらいにはありましたけど……、例えば?」
アヤネの促しに、ノノミは満面の笑みで言った。
「セリカちゃんが先生を好きになるシーンとか☆」
「ちょっとおおおお!?」
思わず全力で叫んでいた。全員が躊躇いなく「何を今更騒いでるんだコイツは」と言いたげな半目を向けて来たので、セリカはテーブルをバシバシ叩き、
「べ、別に先生のことなんて好きでも何でもないんだから!!」
言うと、もう一人のシロコがスマホを取り出した。素早く操作し耳元に当て数秒、
「あ、先生? セリカが先生のこと好きじゃないって」
「ぅわあ──!?」
襟首掴んで揺さぶったが、ドヤ顔で見せられたスマホはロック画面のまま。ハメられたと気付きうなだれるも、シロコが優しく肩に手を置き、
「セリカ、素直になろう。認めれば楽になれる」
「犯人に自白を促すようなノリでコイバナかー」
呑気に笑っているホシノはまさしく対岸の火事を見ているようだが、最後の最後で自分がターゲットになると分かっているのだろうか。否、分かっていてもネタにするか。私だってそうする。皆そうする。隙を見せると狩られるのは先生周りの常だ。もう慣れた。慣れたくなかったけどね……!!
溜め息交じりに身を起こすと、苦笑したノノミが手を打った。リモコンを手に取り、再生ボタンを押しつつ、
「じゃあセリカちゃんの名誉の為に訂正しましょう。セリカちゃんの先生への見方が変わるシーンです」
○
先生と呼ばれる大人と、アビドスが交流を持って二日目。
バイト先へ向かう途中に鉢合わせた彼女をどうにか撒くというトラブルこそあったものの、セリカは始業前に紫関ラーメンへと辿り着いた。
振り切れて心底良かったと、安堵の息を零したのは紛れもなく本心だ。何しろこちらがどれだけ拒絶してもエクストリームポジティブに絡んで来るし、逃げるこちらを内股の猛烈な女走りで追って来る絵面がホラー過ぎる。どう見ても不審者だし中身も大体危険人物な彼女が、自分のバイト先を知ったらどうなることか想像するだけで恐ろしい。酷いことになるという確信だけはあったが、ともあれ撒けたのだからもう心配はないだろう。
明日からルートや時間帯を変える必要はあるが、今はひとまず仕事に集中。
そう、思っていたのだが。
「何で皆して人の仕事を邪魔しに来るのよ……!!」
バイト先の制服に着替えたセリカの眼前、テーブル席でダベる姿が五つ。シロコとホシノ、ノノミとアヤネ、そして大将の許可をもらいカウンターの椅子を通路側に横付けして座る先生だ。
時間としては昼のピークを過ぎた頃。一息ついて休憩に入ろうかというタイミングで、ホシノを先頭にやって来たのだ。愕然とするこちらをよそに、ほとんど指定席となっているいつもの場所に陣取った彼女は、
「やー、今日は全員予定がなくてねー。そんなところに「バイト先に向かう黒見君と追い掛けっこをしていたら迷子になってしまった馬鹿から昼食のお誘いなどしてみてもよろしいだろうか!!」なんてメッセージ来たらここ来るしかないじゃん?」
色々な意味で頭が痛くなった。一切気にせず置き去りにして来たが、まさかそんな展開になっているとは。撒く為に脇道小道に逸れまくったセリカにも責任の一端はあるが、だからと言ってそっちに飛び火しなくてもいいだろうに。恨み全開の半目を向けても、当の本人は傍のシロコに親指を立てていて、
「いやあ、昨日砂狼君と連絡先を交換していて幸いだったね!! まさか彼女を経由して対策委員会全員に連絡が行くとは思ってもみなかったが、親睦会と考えればナイスアシストだよ砂狼君!!」
「ん、皆とグループトークで雑談してたところだったからちょうどいいかな、って」
「ちょうどいいかな、じゃないわよ!! ストーカーをターゲットのところまでご案内って立派な犯罪幇助でしょ!?」
セリカの主張に、ストーカーは首を傾げた。そのまま腕を組み、はて、と前置きまで付けた上で、
「何を言っているのかね? 私はただ黒見君との関係構築を目的とした会話をしたかっただけで、急ぎバイト先に向かう君の時間を割くのも心苦しいが故追い掛けながら言葉を交わしていたに過ぎんよ? それをストーカー認定するのは君の自由だが、私には私の見解があるし、被害届を出すには第三者の公正な裁定が必要だと思うが? では一丁ご学友に審判いただこう、ハイスタート」
「ん、先生は無罪」
「ぶつかり合うことで分かり合えることって、ありますよね☆」
「ええと、まあ、相互理解の一手順ではありますし……」
「つまり纏めるとー?」
「うむ、──冷静に考えると名実共に黒見君のストーカーだね?」
「最悪過ぎるわこの大人──!!」
こっち側だと思っていたホシノが完全に茶化す態勢に入っている為、全員あっちの味方というのがまたやりづらい。シロコとノノミについては経緯を知らないが、少なくともアヤネは昨日のやり取りで彼女を信じると決めたようだ。確かに指揮は的確だったし、物資も多めに持って来てくれたし、自分達の苦労に涙を流し努力を労ってもくれたが、
……結局は部外者じゃない。
今までだって、良い顔をして取り入ろうとする大人はいた。一時の信用を得る為に、便宜を図るという手口だって存在する。さすがに彼女がそうだとまでは言わないが、昨日会ったばかりでアビドス所属でもない人間に好き勝手されるのも迷惑だ。今更自分達の仲間に入って来られても、忌避感が先に立つ。
どうせ数日もすれば、顔を出さなくなる。
期待すればするだけ、落胆も大きくなる。
これまでだって、ずっとそうだったのだから。
だというのにこの大人は、こっちが色々考えているとも知らず呑気な顔で、
「時に大将、この店はカードでの支払いに対応しているだろうか。いや何、生徒達に奢るに当たって現金かカードかで予算も変わるからね。……少しくらいサービスする? いやいや大将、心遣いはありがたいが商売である以上正当な対価は支払われなければならんよ。それが貴殿に対する敬意というものだ。同じサービスであれば生徒達が困っていた時にしてやってくれたまえ」
などと人の雇用主と友誼を深めている。対策委員会の面々は奢りと聞いて容赦なく高いメニューを品定めしているし、セリカだけアウェイ感が凄い。おかしい、ここ職場のはずなんだけど。どちらかといえばホームのはずなんだけど。
「ほらほらセリカちゃーん、しかめっ面してないで笑顔笑顔ー。接客業なんだからにこやかにー」
「だ・れ・の・せ・い・よっ!!」
「先生ですかね☆」
「ん、そして私も共犯」
「あの、一応お仕事中なのであんまり茶化すのも……」
「確かに、あまり羽目を外しては店の迷惑にもなるしこの辺りが潮時ではあるね。という訳で黒見君、沢山頼んで売り上げに貢献して行くので、今回の件は大目に見てくれたまえ」
「そもそもの元凶がフォローに回るなぁ──!!」
ああもう、とセリカは内心の苛立ちを抑え切れない。結局昨日だってヘルメット団との戦闘で借金周りの話は全く進んでおらず、しかし時間は無情にも進んでいて。焦ってはいけないと分かっていても、周囲の呑気さを見ていると必死でバイトしている自分が馬鹿らしく思えて来る。
自分だけが、空回っているようで。
そんなこちらの内心を悟った訳ではないだろうが、シロコが不意に席を立った。こちらに両の手の平を向けながら近付いて、
「セリカ、落ち着いて。あんまり大きな声を出すと、店に入ろうとする人が驚く」
「だから誰のせいよ!! 死んじゃえバカ!!」
眼前、シロコが動きを止めていた。
しまった、と後悔した時には遅かった。
この程度の応酬ならよくあること。いつもの軽口の範疇ではあったが、ネガな思考も相俟って感情が大分篭ってしまった。付き合いの長い間柄でも、本気で怒っていると思われてしまう程に。
さすがにマズいと思ったのか、真剣な表情になったホシノが口を開く。しかし、それよりも早く動いている人物がいた。
「黒見君」
座っていたはずの大人が、音もなく立ち上がっていた。
先程までのふざけた空気はどこにもない。強いて言えば昨日、自分達の事情を知り涙を流した時に近いが、あの時以上に真剣さが前に出ている。
何かに急かされて焦っているのを、どうにか押し込め堪えているように。
そんなことを思ってしまったのは、今の自分がそうだからだろうか。
呆然に似た困惑と、叱られるのではないかという恐れから何も言えない己の眼前、しかし彼女はただ首を横に振って、
「例え冗談や照れ隠しであっても、死んでしまえなどと軽々しく口にするべきではないよ」
当たり前と言えば当たり前の指摘。だが、よりにもよって部外者の大人に言われたという事実が、反骨心に火を付けた。だから虚勢だと分かっていても、セリカは真っ向から相手を見返し、
「べ、別にあんたには関係な──」
「黒見君」
単なる叱責であれば、跳ね除けただろう。だがその声音はあまりにも穏やかで、枯れ果てたという形容の方が近しく思えて。思わず口を噤んだセリカに、彼女はただ言葉を続ける。
「人は死ぬのだ。あっさりと、無慈悲に、何の脈絡もなく死んでしまう。何気ないやり取りや喧嘩、愛の語らいなど人は様々な言葉を交わすが、──そのどれが最後になってもおかしくはないのだよ」
視界の端、最後の一言にホシノが息を詰めたように見えたが、セリカにはその理由が分からない。だが眼前の大人はそれに気付いていないのか、眩しいものを見るような目で自分達を一瞥し、
「まだ付き合いの浅い私であっても、君達が強い絆で結ばれているのは分かる。気の置けない仲故の応酬であっても、だからこそ後悔とは容易く生まれるものだ。気が付いた時には手遅れだった、などということは幾らでもあるのだから」
言葉を切った彼女は、しかし眉をひそめ懐に手を入れる。引き抜かれるスマホは着信の震えを伴っていて、画面を確認した彼女は一礼と共に踵を返した。
「すまない、少々席を外す。五分程で戻るので、先に食べていてくれたまえ」
去り際、彼女がシロコを横目で見た。小さく頷きを返すシロコに少しだけ表情を緩めた大人は、一度こちらの名を呼んで、
「私を認めていない君からすれば、聞く耳持たないかもしれないがね。それでもどうかこのことだけは、頭の片隅にでも留めておいて欲しい」
引き戸を開け、暖簾の向こうに消えて行く背中が残した言葉は、きっとその場の全員が忘れないであろう重みを伴っていた。
「言葉とは、思う以上に重いのだ」
●
「この時の私、二重の意味でやらかしてたわね……」
「よくよく考えると、妹さんの件がある先生にとって特大の地雷ですよね……」
「それを抑えて、頭ごなしに叱るのではなく諭しに掛かる辺りが先生らしいですけどね」
「ん、この後何事もなかったように戻って来たり気を遣ってくれてた」
「腕組み付きの蟹歩きは気遣いじゃなくてキチガイじゃないの……?」
「ボケとツッコミのコミュニケーションとしてはバッチリですよね☆」
「ん、あっちの先生もこうやって緊張を解すことが多かった」
「世界が変わっても先生は変わらないという謎の信頼がありますよね……」
「でもこの時はセリカちゃんが諭されてる裏でおじさんにもグサグサ刺さって耳が痛かったなあ……」
「ということはこの時点でホシノ先輩も先生の評価は上がってたんだ?」
「これまでの大人とは違うのかも、程度だけどねえ。どうせすぐ化けの皮剥がれるだろうけど、って」
「手厳しい……」
「……ところでセリカ、今ホシノ先輩「も」って言った」
「……あっ」
「へえ──」
「は、ハイ続き!! 黙って続き見る!!」
「……見て良いんだ」
「え? ……あ、あ──!?」
○
「……黒見君が行方不明?」
セリカのバイト先での一幕から一夜明けた、対策委員会の居室。差し入れらしきシール付きウエハースチョコが溢れんばかりに詰め込まれたビニール袋を手にした先生は、こちらの告げた台詞をオウム返しに口にした。だからシロコは、焦る内心が表に出ないよう努めつつ、
「そう、昨夜から誰もセリカを見てない」
「電話も繋がらないし、モモトークも未読のままで……」
「部屋にも戻ってないみたいなんです。今までこんなことなかったのに……」
続くノノミやアヤネの訴えに、先生の目が細まった。盾とショットガンを背負ったホシノも、手早く荷物を纏めつつ、
「これから探しに行こうか、って皆で話してたとこ。悪いんだけど先生も手伝ってくれないかな?」
「いや、その必要はない」
え? と言葉を失う一同の前で先生は動いた。提げていたビニール袋を机上に放ると、腰のホルダーから白のタブレット端末を手に取る。素早く操作し、そのまま一秒と経たず、
「黒見君の現在位置を特定した」
「……は?」
全員が当然のリアクションを返すも、先生は意に介さない。テーブル上に置いたタブレットを操作し、学園の概要図をホログラムで表示。そのまま指が宙をなぞると、一気に縮尺倍率を下げたアビドス周辺の地形図に変化する。
「連邦生徒会のセントラルネットワークに侵入し、バイト上がりの黒見君の行動をGPSと監視カメラから追ってみた。どうやらヘルメット団に絡まれて、一発派手に食らったらしい。そのまま拘束の上で郊外方面へ連れ去られたようなので、砂に埋もれた建物の中からまだ設備が生きているものに絞ってチェックしてみたところ、運良くそれらしき一団を発見出来た」
並列で彼女が口にした通りの映像が流れ、赤のリボンラインが市街地を抜け砂漠を横断するように移動する。その先端が拡大され、遠間ながら映し出された光景は、
「陣容はトラックが一と、護送用の戦車が四。人質、或いは人目を盗んでの始末を目的に拉致されたと考えるのが妥当なところか。進行方向に拠点らしきものも見受けられることから、合流される前に奪還するのがベストだね」
淡々と、微塵の動揺すら見せず口にする先生に、アヤネが思わず一歩を引く。それを咎めようとは思えない程に、今の先生は冷静だった。否、冷静過ぎた。
砂漠でのやり取りで彼女の本質に触れた己でさえ、一瞬恐れを抱きかねない程に。
だからだろうか。彼女を深く知っているとは言い難いホシノが、疑念を滲ませた目付きを先生に向ける。
「……狂言誘拐じゃないよね?」
「そんなことをして私に何の得があると?」
疑いの言葉に対しても、先生の態度は変わらなかった。風速や降雨などの天候情報を確認しつつ、進行ルート案を吟味する彼女は、
「仕込みのトラブルを乗り越え信頼を勝ち得たところで、何かの弾みで表沙汰になれば不信と軽蔑で終わりだろう。意味がない」
「だけど──」
「私を信じるのも疑うのも君の自由だ。だが、今成すべきは問答ではなく黒見君の救出。違うかね?」
静かに、しかし鋭い視線で問う先生に、やがてホシノは視線を下げ、
「……ごめん」
「気にすることはない。私とて逆の立場なら不審に思うだろう」
肩を竦めて苦笑する先生は、すっかりいつも通りだった。が、やはり鋭さというか、張り詰めたような感が時たま見え隠れするのは相変わらずで、
「奥空君。この学園に足となるようなものは?」
「は、はい!! バギーなら一台整備済みのものが……」
「搭乗可能人数は?」
「座席は四人分、後部の荷台を使用すれば六人でも余裕があります!!」
「行幸だね。シャーレからヘリを寄越す時間を待たずに済む。──総員十分以内に支度を。準備が完了次第即座に出る」
Tes.、と応じ皆がそれぞれの用意に移る中、シロコは忍ぶようにして先生の隣へ。何事かと顔を向けて来る彼女に、周囲に聞かれないよう小声で、
「先生、顔色が悪いように見えるけど、大丈夫?」
シロコが疑問に感じていたのは、先生の対応の早さだけではない。セリカの位置を特定した辺りから、何となく先生の具合が悪いように見えていたのだ。それも遭難した先生を拾うという経験があったからこそ、もしかしてというレベルで気付けた些細な違和感。
……無理、してないよね?
そんな思いから問うた先、虚を突かれたように先生の動きが止まった。だが軽く吐息した彼女は、やはり誤魔化すような苦笑と共に、
「大事な生徒が攫われたのだ、血の気だって引くとも」
●
・あろな:『あの、先生、今更の確認ですけど、本当に活動記録を生徒さん達に見せてしまって良かったんでしょうか……?』
・私 :『本当に今更だが問題ないだろう。アロナ君やプラナ君とのやり取りまで記録しているのは、奥多摩の連中に送っているマスターデータだけだ。君達の存在が露見する心配なら無用だよ』
・プラナ:『ですが先生、今でこそこうして日常的に使用するくらいには仮想空間による加圧時間内でのコミュニケーションに慣れていますが、着任したての頃はまだ適応しきれていなかったはずでは』
・あろな:『はい、セリカさん捜索の為にネットワークから痕跡を追う際は一気に三百倍まで加速して、解除した後も時間酔いから数時間は頭痛・吐き気・眩暈などが収まらない状態だったかと』
・プラナ:『……いくら私達の存在を隠していても、一瞬で体調が悪化しているシーンを見たら不審に思われるのでは?』
・私 :『……実は虚弱体質だったということにしておけば誤魔化せないかね?』
・あろな:『何も考えてませんでしたね!? そうですよね先生!?』
●
「……やっぱり何だかこのシーン、急に先生の顔色が悪くなってる気がする」
「確かに、当時はセリカちゃんが心配で気付けませんでしたけど……」
「うーん……、ついつい校舎の修理に熱が入って徹夜しちゃった時の私もこんな感じだったような……」
「まあ遭難してから日も浅いしねえ。セリカちゃんの居場所見付けてホッとしたら一気に疲れが出たとかじゃないかなあ」
「それはそれで直接的には悪くないはずなのに私のせいみたいで複雑なんだけど……」
「…………」
●
・あろな:『先生!! 先生!! 休憩室の監視カメラ覗きに行ったらこんなこと言われてますしもう一人のシロコさんから「後で先生とプラナに話がある」と激詰めの予告メッセージが!!』
・私 :『ははは、事情を知る面々だけで事を収めようとしてくれるデカ狼君の優しさに感謝だね?』
・プラナ:『あの、私達のこのやり場のない感情はどこへ持って行けばいいのでしょうか』
○
先生の提示した作戦は酷くシンプルなものだった。
戦車は正面装甲こそ堅牢だが、側部や後部、上面の耐久性は正面と比べて劣る。本来なら随伴の歩兵部隊が展開することでそれらをカバーするものの、映像では確認されなかった。
つまりシロコのドローンを用いた強襲なら、開幕直後にある程度は無力化出来る。
先生のタブレットでシミュレーションした結果によれば、一両あたり直上から四発。それで十分なダメージが与えられるとの演算結果を元に、装弾数八発のドローンで半分を叩く。
残る問題は二両の戦車と、最悪の場合破壊された戦車の乗員を全員相手にしなければならないことだ。
後者については、映像から確認出来る敵側の人的戦力は二十名前後なので、戦う分には問題ない。普段から大人数を相手取っているアビドスからすれば、十分に対応可能な範疇だろう。
ならば戦車をどうするか、という問いに対し、先生の出した答えは、
「ほ、本当にやるんですか……!?」
助手席のアヤネが、正面に見える陣容を前に弱気な声を上げる。だが縋るような視線を向けた先、運転席でハンドルを握っている先生は飄々と、
「やるも何も、お相手が容赦なく徹甲弾ブチ込んで来てる時点で選択肢はないと思うがね。砂狼君の強襲によほどお冠のようだし、戦う以外にあるまいよ」
「ん、分かりやすくてシンプルで良い。セリカのお礼参りに遠慮は要らない」
荷台側を確認出来る後部座席のガラス越しに同意すると、隣のホシノと座席に座るノノミが、
「薄々悟ってましたけど、先生ってストッパーじゃなくてアクセルですよね。シロコちゃんと組むと特に」
「それにしたってこんな無茶苦茶な作戦立てるなんて、おじさんちょっと先生の評価を改めないとダメかなあ」
口では呆れたように言いつつも、二人共やる気満々だ。先生の最大の懸念であった「敵が足を止めセリカを人質として活用して来るパターン」は、この状況においては除外して良い。荷台に人員が配置されていないことは監視カメラの映像から割れているので、頭に銃を突き付けられた状態でセリカが登場、などという流れはないのだ。足を止めてからそのような運用を図ったところで、アビドスが敵陣を突破し割って入る方が早い。
つまり当初先生が立案した作戦に変更なし。大事な後輩を攫った連中に、派手に一発ブチかます。そういうことだ。
「では始めるとしようか。万が一があった場合は奥空君に一任するが、私はさほど心配していないよ。君達ならば上手くやるだろうし、成功を信じない指揮官は己が無能だと言っているに等しいのだから」
視線を前から外さぬまま、しかし先生が微笑した。
「君達は出来る。私が保証するとも。──行って来たまえ」
「──Tes.!!」
○
「奥空君、ここで一つ手本を見せよう」
シロコとホシノが配置につく中、ふと先生がこちらを呼んだ。彼女は残り二両の戦車が散発的に送って来る砲弾を、最低限の見切りで回避しつつ、
「ドローンを用いた支援とオペレーターが君の担当だが、ここに至るまでの運転も見事だった。故にこそ今回の私の立ち振る舞いが、君の可能性に一石を投じるだろう。この戦いを切り抜け無事に帰ったら、少し考えてみると良い」
「先生、それ死亡フラグ」
「知らないのかね砂狼君、馬鹿は死なないのだよ。何しろ死んでも治らないのだからね」
「開き直っちゃうかあ」
苦笑するホシノに笑みで応じ、先生が前傾になる。相手の挙動を余すことなく捉えんと、食い入るように二両の戦車とトラックを見据え、
「一丁良い所を見せるとしようか」
不敵に笑った先生がアクセルをベタ踏みした。
的確なハンドリングで砲弾を回避し、一気に戦車の横に並ぶ。それも左手側を走る戦車の真横、ほんの少しの揺れで車体が接触しかねないほどの至近だ。このままぶつかって来られたら一発でアウトだが、
「この距離なら射角は取れまい。──奥空君!!」
「Tes.!!」
慌てて戦車内から顔を出して来るヘルメット団を、アヤネは手持ちのハンドガンで迎撃する。向こうもこんなインファイトは想定していなかったのか、無意味に砲塔を旋回させたり距離を置こうとしたりと動きがてんでバラバラだ。そんな状態ではロクに抵抗など出来るはずもなく、アヤネの射撃で人員は減り、開いた距離は先生が詰め、そして、
「右側、来ます!!」
監視に当たっていたノノミの叫びに、アヤネは先生と振り向いた。視線の先、右の戦車が砲塔の旋回を終え、こちらに狙いを定めている。互いの距離は十メートルを切っており、直撃すれば自分達でも相当のダメージを負うだろう。先生などは木っ端微塵になりかねない。だが彼女は恐怖するどころか、拍子を読むように己に向けられた砲身を見詰め、
「──今!!」
先生の合図と共にアヤネがノノミ共々身を低くした瞬間、己の体が前側へと引っ張られるのを感じた。
急ブレーキだ。
慣性に引きずられながらも、バギーはその進行を急激に止める。その鼻先を大気を切り裂く圧が突き抜け、
「残り一両」
先生が身を起こしながら呟く通り、履帯に直撃を食らった左の戦車が、衝撃のまま横転した。
キヴォトス住民は血の気が多く、後先考えずぶっ放す者が多い。同士討ちを避けるだけの冷静さを持つ者がそこで終わりだったが、速攻で戦力の半分を持って行ったことでムキになっていたのが功を奏した。
砲弾が徹甲弾だったのも行幸だ。これが榴弾であれば爆発でこちらにもダメージが来ていただろう。おかげで車体の制御に支障はなく、
「状況を再開するぞ諸君!!」
再度アクセルを踏んだ先生の声に応じ、バギーがトラックの陰へと入った。
砲弾の装填、砲塔の旋回、照準合わせに実際の砲撃。各自治区の警備組織ならまだしも、ヘルメット団の練度では時間が掛かり過ぎる。まさか人質のいるトラックを、それも同士討ち直後にブチ抜く程馬鹿ではあるまい。とはいえ自棄になる可能性も考慮するなら、手早く済ませるに越したことはない。だから、
「十六夜君!!」
「はい!!」
トラックの助手席を狙える範囲に入り、ノノミが窓越しにガトリングを構える。向こうもこちらに気付き慌てて武器を取り出すが、それよりもノノミの方が早かった。だが、その行動は引き金を絞るものではなく、
「──シロコちゃん!! ホシノ先輩!!」
呼び声と共に、視線の先から破砕音が響いた。
トラックの運転席。その真上からガラスをぶち破ってシロコとホシノが突っ込んだのだ。
盾を構えたホシノがフロントガラスから助手席に突入し、同時にショットガンを至近で浴びせワンダウン。運転手の意識がそちらに向いた瞬間、側面からシロコが突っ掛けツーダウン。先行処理を終えたホシノがハンドルを押さえ、運転手を外に放り投げたシロコがブレーキを踏んでトラックは停止。対称の位置でこちらを猛追していた戦車は、派手にオーバーシュートして距離が開く。
ノノミの合図から二秒にも満たない、鮮やかな強襲と強奪だった。
そう、先生の作戦は至ってシンプル。
ドローンで敵戦力を漸減し、目立つバギーを囮として、シロコとホシノでトラックを確保する。それだけだ。
あくまでこちらの目的はセリカの奪還。無理に戦車を相手取る必要はなく、極論目的さえ果たせば後は逃げても良いのだ。今後のことを考えて叩くにしても、目的達成後であれば後顧の憂いなく戦いに集中出来る。
ならば引っ掻き回して時間を稼ぎ、隙を作るだけで良い。
アビドスのツートップと言って良い二人ならば、お膳立てさえすれば確実に決めてくれる。
戦車の砲撃を躱すブレーキングも、バギーの荷台からトラックへと飛び移る二人に慣性速度を上乗せする為のフェイントだ。
二人を荷台に隠れさせ、戦車の迎撃に回さなかったのも、強襲担当を相手の意識から外す為。
遠距離ならばともかく至近の砲撃であれば、圧や衝撃で瞬間的な状況の変化は捉えるのが難しくなる。
理屈としては正しい。事実目論見通りに事は運んだ。それでもなおアヤネの心中には、畏怖とでも言うべき思いがある。
……会って三日ですよ……?
信頼関係を結ぶには、十分と言い難い。実時間に直せば十時間かそこらだ。自分やシロコ達は先生を信じると決めたが、彼女のそれは質が異なるようにも思う。
一歩間違えれば全てが破綻しかねない綱渡り。ならば一歩も間違えなければ良いと言うのは簡単だ。
だが、それを実際のものとしてやってのける馬鹿がどこにいる。
戦車の砲撃を躱す際など、先生からすれば死んでもおかしくないというのに。
自分の命すら平然と賭け皿に乗せ、不安や緊張など微塵も見せず。
一体、どれだけこちらを信頼しているのか。
そんなこちらの内心を知る由もなく、先生は減速しつつトラックの周りを一周。荷台に横付けするとドアを開け放ち、
「砂狼君と小鳥遊君は前方の戦車を牽制。十六夜君は後方警戒、奥空君は運転席で皆のフォローと離脱の準備を。黒見君を回収後、向こうが交戦続行を望む場合叩きに掛かる」
「て、Tes.!!」
先生の鋭い声に、アヤネは思考を打ち切った。考えることは多くあるが、今はセリカが最優先。全てはその後からでも遅くない。
ただ、とアヤネは思う。先生のこの大胆不敵な立ち回りは、積極的に今後の参考にしよう、と。
●
「……もしかしなくても、先生が来た辺りからアヤネちゃんの運転がダイナミックになったのって」
「ええと、まあ、壊れたら修理や補修すれば良いけど、修理や補修で勝利や仲間の命は買えないから……」
「使えるものは全部使い潰す勢いで投入するよねえ、先生」
「はい、本当にこの頃から無茶やってましたね……」
「ん、不規則言動に慣れてスルーしてると危機意識が薄れがち。先生に無茶させないようにしないと」
「無茶する筆頭のシロコちゃんがそれ言っちゃう?」
「ん、短絡的に色彩に触れようとしたバカシロコだけじゃ不安」
「だったらその辺り、私達皆でちゃんとストッパーにならないといけませんね」
「……良い雰囲気醸し出してはいるけど、ホシノ先輩やノノミ先輩も大概だからね?」
「さあて、いよいよお待ちかねのセリカちゃん救出シーンだあ」
「そうですね、それじゃあ行っちゃいましょう☆」
「ぅわあ──!?」
○
黒一色で染まった世界に、光が差し込むのをセリカは滲んだ視界で見ていた。
両面開きの扉が外に向けて開かれ、四角く切り取られた空と砂漠が映る。その中央、白の長髪を靡かせて立つ姿は、
「呼ばれた気がしたので来たとも、黒見君」
普段通りのふざけた態度で、変な大人がそこにいた。
「……なん、で……?」
悠然と、しかし足早に歩み寄って来た彼女に身を起こされ、呆然とセリカは問う。だが、彼女はこちらの拘束を解きに掛かりつつ、
「はて、おかしなことを言うものだね。私をストーカー呼ばわりしたのはそちらだろう。故にストーカーらしく草の根掻き分け痕跡探してここまで突っ走って来たのだよ。つまりはストーキング猟犬……!!」
瞬く間に腕のロープが解かれ、しかし目の前の大人は大真面目に首を傾げ、言った。
「いかんな、それならそれらしくケモミミカチューシャでも付けてくるべきだった。どう思うかねこの不始末、今から買って来てリテイクするべきだろうか?」
「ばっ……!!」
馬鹿じゃないの、と言おうとして、さすがに思い留まった。このストーカーが乗り込んで来る直前、己を捕らえていたネガティブな思いが脳裏を過ぎったからだ。
彼女の仲裁で空気が最悪になることこそなかったが、自分が対策委員会の皆と喧嘩別れのような状態になったのは紛れもない事実で。
外から聞こえる耳慣れた銃声からするに、全員がセリカの為に戦っている。そのことにありがたさを覚えると同時に、昨日のやり取りを申し訳なく思う気持ちもあるのだ。
言葉は、思う以上に重い。あの時の諭しを、こんな形で実感するとは夢にも思わなくて。
俯いた視界の中、足のロープを解いた彼女が改めてこちらの手を取る。そのまま軽く全身に視線を向け、
「目立った外傷はなし、と。とはいえ黒見君は前線に出ない方が良いだろう。どこか痛んだり気分が悪いなどの症状はあるかね?」
「ば、馬鹿にしないでよ!! 私だって戦えるわ!!」
「私は先生であって医者ではないのでね。君に万が一のことがあっては、砂狼君達に申し訳が立たん」
「心配し過ぎ──」
思わず反論しながら立ち上がった身がふらついた。あ、と零すよりも早く、素早く立った長身がこちらを支え、
「まだ大丈夫、は立派な危険信号だよ黒見君。バイト上がりにこんな場所で一夜を明かしたのだ、相応に疲れもあるだろう」
冗談めかして苦笑した彼女は、そのままこちらを一息で背負った。抵抗する間もなく、背中に身を預ける形となったセリカは慌てて、
「ちょ、ちょっと、降ろしなさいよ!?」
「いいから大人しくしていたまえ。私が君達と比べて貧弱なのは確かだが、生徒一人背負えぬ程ヤワではないよ。トロフィーよろしく周囲に見せびらかしながら帰るとしよう」
「人を景品扱いするなああああ!!」
肩を叩きながら言っても聞きやしない。傍に放り出されていたセリカのバッグとアサルトライフルを拾い上げ、真っ直ぐに前を見た大人はしかし、
「──無事で良かった」
独白のような一言に、それ以上何も言えなくなってしまった。
頬どころか全身に熱を感じつつ、背負われたから体温が伝わって来てるだけだと誰にともなく言い訳している間に、担がれたセリカは外に出た。アヤネがいつか整備していたバギーが目と鼻の先にあり、荷台に立ちガトリングで射撃を送るノノミと、運転席でタブレットを操作していたアヤネが同時に振り向いて、
「先生!! セリカちゃん!!」
「黒見君は無事だ。とはいえ無理は禁物だがね。──奥空君、状況は?」
運転席後ろの座席にこちらを座らせながらの問いに、アヤネが自前のタブレットを差し出す。ドローンの空撮らしき映像には、直上から撮った周囲の概要がリアルタイムで更新されていて、
「後方の戦車を放棄した人員と、前方の戦車と少数の歩兵が接近中です!!」
「初手で撃破した戦車の人員は?」
「目視出来る範囲にはいませんが、反応はこちらに向かっています!!」
「なら、今いる面々を制圧して勝ち逃げするのが得策か。最悪戦車さえ破壊すればこちらを追っては来れまい。ヘルメット団の諸君には申し訳ないが、ここから徒歩でご帰宅してもらうことにしよう。十六夜君、引き続き後方戦力の迎撃を頼む」
「Tes.!! 先生や皆には指一本触れさせません!!」
「心強い限りだね。砂狼君、小鳥遊君、聞いての通りだ。戦車の履帯、或いは動力部の破壊を最低目標とし、後は好きに暴れて戦果を挙げて来たまえ。ただしやり過ぎない程度に留めておくこと。タイムリミットは三分二十八秒。行けるね?」
『ん、当然』
『おっけおっけ、後顧の憂いは消えたし派手にやっちゃうよー』
「存分にやりたまえ。奥空君、私がオペレーターを替わろう。念には念を入れてトラックの運転席を破壊して来てくれるかね?」
「Tes.、追撃避けですね?」
「うむ、戻ったら十六夜君の援護を頼む。そして最後に黒見君、──寝たまえ」
「扱い違い過ぎるでしょうがああああ!!」
本心からのツッコミに皆が笑った。同じように口の端を吊り上げた大人は、タブレットに戦闘指揮用のツールを立ち上げ、
「総員、──進撃せよ!!」
○
強がってはみても、結局ダメージと疲労に抗うことは出来ず、目が覚める頃には日が沈んでいた。
救われたという安堵もあったのだろう。このところピリピリしていたこともあり、ぐっすりと眠ることが出来て。付きっ切りで看病していた皆に茶化されたりもしたが、そこにあの大人の姿はなく。
だからこうしてセリカは今、校門の塀に背中を預けて待っている。
自治区の大半が砂に埋もれたアビドスには、高い建物が多くない。だから見上げる空は広く、夜になれば月や星の光もよく見える。それは人々が去り、地上の明かりが減ったということでもあるのだが、それ故にこんな綺麗な光景が見れるというのも複雑だ。
そんな取り留めもないことを思っていると、不意に足音が聞こえた。視線を下ろした先、こちらに向かって歩いてくる影があり、
「あ」
「おや」
どうやら向こうも同時に気付いたらしい。銭湯帰りなのか僅かに湿り気を帯びた髪と上気した肌、手に提げたショルダーバッグがいつもとの違いだ。服装が相変わらず黒のスーツなのはどうかしてるが、
「……学校で寝泊まりしてるって話、本当だったんだ」
「シャーレと往復する時間も馬鹿にならないのでね。幸いと言って良いかどうかは微妙だが、設立したばかりのうちに依頼など早々来ない。書類仕事ならどこでも出来るし、だったらアビドスで過ごす方が色々と楽だ」
肩を竦めながら距離を詰めた長身が、こちらの手前で足を止めて、
「隣、いいかね?」
「別にいいわよ」
そうか、と応じて隣で同じように壁に寄り掛かる。先程までのセリカと同じように空を見上げ、
「砂狼君達に任せてしまったが、その後経過はどうだね?」
「ちゃんと休んだから大丈夫よ。明日からはまたいつも通りだから、変に気を遣わなくていいわ」
「なら良かった。奥空君など血相変えて取り乱していたのでね」
苦笑が聞こえ、しかし何と応じるべきか分からず。だが言うべきこと、というより言いたいことは確かにあって、実のところ顔を合わせてからずっとその機を窺っているのだが、
「あ……、その……、うぅ……」
つい昨日まで反発していたという罪悪感から、口を開いては閉じるということを繰り返している。そもそも不規則言動へのツッコミばかりで、マトモな会話すらしていないと今更のように思い出した。それこそ助けられた時のやり取りが唯一の真面目な話だったし、その時もやはり素直になることは出来ておらず、
「……ところでこのところ通っている銭湯、駅近くの「衛星ひまわり」と言うのだが」
「……は? えっ?」
唐突な切り出しに虚を突かれ、困惑のまま問い返す。が、真剣な表情の彼女は大真面目に頷きを作ると、
「──飲み物が瓶で買える上に出口のガチャポンが充実していて、控えめに言って神だね?」
「……瓶は捨てるの面倒なだけだしガチャポンは興味ないんだけど」
「なっ、腰に手を当て一気飲みという奥ゆかしい文化を知らないのかね!? ガチャポンだってマイナータイトル勢揃いで収集の為に五桁両替したというのに!!」
「お金に困ってる私達の前でよくもまあそんなことが言えるわね!?」
バッグから大量のガチャポンカプセルを取り出そうとする馬鹿に全力のツッコミを入れつつ、セリカは深々と溜息を吐いた。あまりにも馬鹿らしくて肩の力が抜けたのは良いのか悪いのか。だから、気負いなくその疑問を口にする。
「一体どこ行ってたのよ? 今後について相談があるって、アヤネちゃん待ってるわよ?」
横目で見た先、馬鹿は一瞬動きを止めた。が、バッグに突っ込んでいたままだった手があるものを取り出し、掲げ、
「今後似たことがあった時に忘れないよう、ケモミミカチューシャを探す旅に出ていたのだよ。──ほら」
「馬鹿じゃないの? ……いや、うん、馬鹿だったわ」
そこまで口にして、己の表情が苦笑と言うべきものに変わっていることに今更気付いた。
嘘だ。
目を覚まし、バイトに遅刻すると慌てて跳ね起きた自分に、アヤネが教えてくれたのだ。紫関の大将に連絡を取り、代打としてバイトに入った馬鹿な大人がいる、と。他のバイト先を知らなかった為、紫関のシフトが入っていなかったらアウトだったが、
「今日くらいゆっくり休んでも罰は当たらないだろう? って言ってたよ、先生」
口止めされてたんだけどね、と悪びれもせず笑うアヤネに、シロコ達も肩を竦めたり苦笑するばかりで。そんなやり取りを経たからこそ、今己の隣で不規則言動をしている大人の真意も察することが出来た。
銭湯は、バイト先のラーメンの匂いを落とす為。カチューシャも姿を消した言い訳用にわざわざ買ったのだろう。皆から聞いた話では相当無茶やった癖に、口止めした上でこっちのフォローまでして。
……全く。
嘘はつくわ頭おかしいわ奇行も多いわで、不満な点を挙げればキリがない。おおよそ人の思い描く大人や教師とは、あまりにもかけ離れた存在。
だけど、一つだけ確かなことがある。
この人は、困っている誰かを見捨てない。
反抗しようが、言うことを聞かなかろうが、揉めた直後であろうが、必ずその手を取りに来る。
どんな手段を使ってでも、絶対に助けの手を届かせる。
きっとシロコやノノミも、何らかの形で彼女のそういった面を目にし、だから信じると決めたのだろう。
部外者などと遠ざけていた自分の、如何に視野の狭いことか。そういう意味でもやはり自分達は、まだまだ未熟な子供で。
だけど、この無茶苦茶な大人が一緒なら、何とか出来るのではないかと、今はそう思えた。
だから、
「その……、ね?」
ん? とこちらに視線を向ける彼女の顔を直視出来ず、やや俯いたまま。それでも届けと、精一杯声を振り絞り、
「た、助けてくれて……、ありがとう、先生!!」
顔が派手に紅潮している自覚はあり、それでも「言えた」という安堵が先に来た。
囚われ、このまま死別してしまうのだろうかと、仲直りも出来ないのだろうかと、そんなネガな感情だけが己を満たし。
心細く、不安と後悔で押し潰されそうになっていた中、青く澄み渡る空を背に現れた姿がどれだけ嬉しかったことか。
だからこそ、セリカは覚えている。
扉を開けた瞬間、張り詰めていた彼女の表情が、安堵したように緩んだことを。
その感情はすぐさま奇行の陰に隠されたが、拘束を解く時も、背負う時も、一貫して彼女の扱いは丁寧で、優しかった。
馬鹿でも分かる。彼女は本心で、真剣にこちらを案じていたのだと。
ここまでされて、信じない方がどうかしている。
そんな思いを込めた、セリカなりの和解と感謝の言葉。緊張から何倍にも感じられる時間の中、不意に小さな笑いが聞こえ、
「──無論である」
俯いた頭に、大きな手が乗った。風呂上がり故か体温高めの手の平が、労わるようにこちらの頭を叩き、
「生徒を守るのが先生の仕事だ。私は己の責務を全うしたに過ぎんよ。礼なら奥空君の依頼を完遂し、アビドスの問題が全て解決するまで取っておくと良い」
それは、彼女が今後も自分達とやって行くということであり。本心が通じたという嬉しさと照れ臭さがない交ぜになって、つい噛みつくように、
「あ、当たり前じゃない!! まだまだやることは山積みなんだから!!」
「では、今後も精進せねばならんな。私も最善を尽くすので、長い目で見守ってもらえるとありがたい」
笑って応じる彼女の表情は、全てを見透かしているようで。だからセリカは何も言えず、先生の手を掴み引きずるようにして、
「ほら、早く行くわよ!! 皆律儀に打ち上げ始めるの待ってるんだから!!」
「何と、それは申し訳ないことをした。詫びの品を買い漁って来た方が良いだろうか」
「だから待ってるんだってば!! その沢山あるガチャポンあげればいいでしょ!?」
「名案だね? よし、それで行こう」
足を速め隣に並んで来た先生と共にセリカは走る。今更のように感じるのは、石鹸の匂いに混じる仄かな桜の香りだ。
背負われた時にも感じたもの。それは繋いだ手を通じて感じる温もりにも同じことが言えて、
……うん。
今日のことをずっと覚えていようと、そう思った。
●
「ヒュウ──!!」
「茶化すなああああ!!」
両腕を振り上げながら叫んでも、皆が生暖かい眼差しをやめない。マグカップを手にしたホシノがしみじみと、
「いやあ、当時手を繋いで来た二人に「セリカちゃんがデレた」って言った記憶あるけど、デレどころかデレデレだねえ」
「ん、やっぱり先生は魔性の女。三日で四人も篭絡する恐ろしい大人」
「同性でも構わない宣言以降、明らかに自称部員の出入りする頻度が増えましたよね☆」
「……でも、自称部員総掛かりでも連戦連敗だよね、現状」
もう一人のシロコの指摘に全員顔を背けた。ややあって、落ち着けと言うようにシロコが両の手を上げ、
「それでセリカ、先生とはその後どんな感じ?」
「ね、根掘り葉掘り聞くつもり……!?」
「いやあ、ほら、生徒会長としてはさ、自分の学校の生徒がどう過ごしているかを知るのも大事だし?」
「明らかに今思い付いたような建前を平然と言わない!!」
「うんうん、先生のおかげで皆どんどん言い訳が上手くなってますね☆」
「い、言い訳って言った!! 言ったわね!?」
「だ、大丈夫だよセリカちゃん!! 私もさっき死んでたし!!」
アヤネのフォローが涙ぐましいが現実は変わらないので意味ないのでは。ツッコミ疲れでセリカが息を荒げている中、指折り数えていたもう一人のシロコが一つ頷き、
「ともあれこれで、先生とアビドスの協力体制はほぼ盤石になったね」
「……まあ、そうね。万全だと思ってたわ。……ホシノ先輩がいなくなるまでは、だけど」
半目を向けると、同じように全員がそっちを見た。
自分を安全圏に置いたと錯覚している、我らが生徒会長に。
「それで? 「馬鹿者」って言われるまで先生を信じてなかったホシノ先輩は、当時どんな心境だったのかしら?」
「……うへ?」
集まる視線とセリカの向けた笑みに、ホシノはようやく事態を察したらしい。咥えていた煎餅がテーブルに落ちるが、皆が笑みで圧を掛ける。
直近のシェマタにしろ、かつてのカイザーへの身売りにしろ、事態の中心となるのはホシノだ。それはつまりどれだけ話題が脱線しようと、最終的にはホシノの元へ戻って来ることを意味する。
言い換えるならば彼女はこの記録語りのトリを務める主役であり、最後の獲物なのだ。
じりじりと包囲網を狭める後輩達に気付いて、ホシノが後退りしつつ両の手を振る。誤魔化すような笑みを周囲に向け、
「だ、だってほら、おじさん曲がりなりにも皆の代表だからさあ。万が一を考えると、皆が心を許しても、最後まで疑ってないといけなかったというか、こう、ね?」
見苦しい言い訳に対し、シロコが半目で手を上げる。作り笑顔全開のホシノ、その取り繕いを打ち砕くように、
「ホシノ先輩、疑ってないと「いけなかった」って過去形だよね」
告げた先、ホシノの動きが止まった。木魚の音が幻聴で聞こえて来そうな間を置いた後、
「あっ」
しくじった、と言わんばかりに狼狽えた声を上げるホシノに、全員が目を弓にして、
「ふ──ん」
「……その温度のない笑顔やめない?」
セリカも含めて全員が無視した。そのまま二人のシロコがホシノを両脇から押さえ逃げられないようにして、リモコンを手にしたノノミとアヤネが、
「さて、それじゃあ言及のあった先生とカイザー理事の交渉シーンから行ってみましょうか」
「そうですね、便利屋や風紀委員会の皆さんと揉めてたタイミングではホシノ先輩いませんでしたし」
「いや、あの、当事者置いてけぼりで話進めるのやめよ? ね?」
やはり全員無視したが、因果応報というよりは隙を見せると狩られる先生の周囲環境が悪い。