グラスアーカイブ   作:外神恭介

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悪の組織ですよ

 ずっと、心残りがあった。

 一人遺すことになってしまった後輩。掛け替えのない大事な仲間。失敗ばかりだった自分にとって、宝物のように思っていた相手。

 自分のことが重荷となって、囚われて、段々と変わって行ってしまった優しい子。

 もはや死人である自分には、彼女に言葉も、想いも、何一つ伝えることは出来ず。

 己を責めるように過酷な道を突き進む彼女を、ただ哀しみと共に見守るしかなく。

 後輩が出来て、対策委員会という仲間に恵まれて、だけど抱えた傷は癒えぬまま。

 だけど最近、そんな彼女に変化があった。

「でも、……ありがとう、先生」

 きっかけは、とある大人。言っていることは難しくて、何だかよく分からない動きも多くて、戸惑うばかりではあったけれど。

 どこまでも真っ直ぐな青の瞳。どんな状況であっても彼女や、その後輩達の絶対の味方として、活路を拓くデタラメな人。

 元々優しい子ではあったけれど、彼女が来て以降は昔の、自分のよく知る表情を覗かせる機会が増えて。

 この人なら、彼女を助けられるのではないかと、そう思ったのだ。

「諦めなくて、良いんだ」

 実際に、その大人はやり遂げた。責任感から極端な選択肢を選び、しかし騙されてしまった彼女を救い出した。

 誰が見ても聞いても、滅茶苦茶と言うしかない方法で、だけど伸ばされた手を取ってみせた。

 手を伸ばすことで誰かを救えるなら、誰かと笑って過ごせる明日を作れるなら、それが己の役目だと。

 助けたいと思い、しかし届かせるには至らない子供の手を、彼女の元へと届かせてみせた。

「──ただいま、皆」

 故に己は安心した。頼れる後輩と、信頼に足る大人と、そんな温かな人達の中でなら、きっと彼女も前へ進めるはずだと。

 いつか己の欠け痕を埋めて、幸せな未来を掴むことが出来ると。

 そう思った時、軽くなったと、そんな自覚が不意に来た。己をこの地に留まらせていた想いが薄れ、空が近くなったような気がした。

 だがそこに不安は微塵もなく。笑って去ろうと、そう思った。過去の中にしかいない己が、今を生きる彼女を縛るべきではないのだから。

 

     ●

 

 だけど、もしワガママが許されるのであれば。

 私も傍で、一緒に過ごしたかった。

 奇跡のような日常を、皆で。

 

     ●

 

 最初に感じたのは、日の温かさだった。

 窓から差し込む陽光は、全身を温もりで包み込む。つい教室で眠ってしまった時のようだと、そんなことを思うのは、随分と久しぶりの感覚だったからだ。

 生徒会長になってからは色々と忙しく、昼も夜もなく動き回っていたから。だから懐かしい微睡みの中、こうして浸っていたいという欲があり、

 ……え?

 ややあって、頭の中の冷静な部分がその異常さに気が付いた。

 跳ね起きる。否、それ自体がそもそもおかしい。なのに顔も、手も、足も、五体の全てが思う通りに動く。飢えと渇きにより薄れて行ったはずの自由が、今こうして現実のものとして目の前に広がっていて、

「おや、気が付きましたか」

 こちらの思考を断ち切るように、聞き覚えのない声が響いた。

 反射的に振り向いた先、そこに一人の少女がいる。ベッドに横たえられていたらしい己の横、日の光を背負って立つ少女が。

 美人だった。

 見た目こちらより年下か。白とも黄とも金ともつかない、日中の太陽をそのまま落とし込んだような色の長い髪。それと同じ色を持つ瞳は、こちらを真っ直ぐ見据えている。身に纏っているのは見覚えのない、白と黒を基調としたブレザータイプの制服。絵画の中からそのまま飛び出して来たようなその少女は、周囲に浮かべていた大量のホログラムを腕の一振りで消し去ると、

「初めまして、梔子ユメ。……いえ、或いは久しぶり、でしょうか」

 言われ、そこでユメはようやく自己の認識を確かなものとした。

 梔子ユメ。アビドス高等学校生徒会長。副会長である小鳥遊ホシノと共に、アビドス自治区の抱える莫大な借金を返済すべく奮闘し、しかし些細なすれ違いから喧嘩別れのような状態になって、そして、

「────」

 震えが来て、思わず身を抱いた。だがその肉体は干からびてもいないし、まるで全てが夢だったと錯覚してしまいそうで。だがそうやって切って捨てるには、記憶の中の苦しみはあまりにも現実味に溢れ過ぎていた。

 そう。己は既に、死んだはずなのだから。

 訳が分からない。現状の何もかもに対して、一切理解が及ばない。だから、それを知る為には己以外の他者に頼る他なく、

「貴女は、一体……」

 恐る恐る視線を向けた先、少女は変わらず立っている。明らかにこちらを知っている風で、しかしユメの記憶が正しければ初対面のはずだ。これだけ綺麗な少女を見れば、さすがに忘れるとは思えない。

 それでも一連の不可解な事態について、己よりも彼女の方が確実に詳しいはずだ。

 問いに、少女は軽く首を傾げた。そのまま口の端に笑みを乗せると腕を組み、

「何者か、という問いは古来より幾度も挙げられて来た哲学ですが、そうですね。分かりやすく言うのであれば──」

 告げた。

「──悪の組織ですよ」

 

     ●

 

 次の瞬間。

 ユメは、目の前の少女が突如後ろから現れた黒髪の少女の打撃によって叩き伏せられるのを見た。

 

     ●

 

 打撃と、床への激突による鈍い音はほぼ一つに聞こえた。

 瞬間的に消失したと勘違いする程の速度で殴られればそうもなろう。だが音と衝撃の大きさの割に、金の少女は平然と立ち上がった。彼女は半目になると、斜め下から黒の少女を見上げ、

「殴りましたね? 殴りましたね鏡子? お兄様にしか殴られたことないのに……!! 許しませんよ!? 絶対ですからね!?」

「ハイハイJud.Jud.、……これ、チーズバーガー頼んだのにサンドイッチ買って来たことに私がキレた時奏が返した台詞だけど、感想十文字で言ってみて?」

「助走付きで殴りますね」

 その通りになった。

 

     ●

 

 ご丁寧に部屋の隅まで下がった金の方が、全力ダッシュで黒の方に飛び掛かった。

 対する黒い少女は金の少女の右ストレートを首を傾けるだけで躱し、擦れ違いざま放たれた左の回し蹴りを左下腕でガード。反撃に繰り出されるのは右の直蹴りで、しかし金の少女は防がれた蹴りを跳躍の足場として後方宙返り。一気に距離を取る。

 金の着地と、黒の向き直りは同時。前者はどこか楽しげなのに対し、後者は呆れ全開だが、ユメはそこに違うものを想起する。

 ……ホシノちゃん?

 一瞬そう錯覚するくらいには、雰囲気が似通っていた。低い身長も、短い髪も、鋭い目付きも、明らかに荒事慣れした体捌きも。違う点があるとすれば、こっちは髪が黒いことと、目が鮮やかな赤であること、纏う衣装が黒のセーラー服であることくらいで、

「ちっ、しっかり防ぎましたか。さすがはお兄様仕込みのインチキ空手ですね」

「黙って殴られる訳ないでしょ。というか宣言と同時に殴り掛かってくるとかどこの蛮族? 鎌倉時代辺りの骨董品だったりする?」

「では無言で張り倒しに掛かる貴女は野人と同レベルですね。……お兄様への愚弄ですかそれは!? 魂アンインストールしますよ!?」

「マッハで逆ギレしないでよこのブラコン」

「貴女にだけは言われたくないですよこのシスコン」

「いや私お姉ちゃんが死んだからって世界滅ぼしたりしないし」

「私だって滅ぼしてないですぅー。お兄様が止めたのであくまで未遂ですぅー」

 何か眼前で史上稀に見るレベルの醜い争いが繰り広げられているのだが、どうしたらいいのだろうか。仲裁に入りたいという思いと、不明瞭な事態が悪い方向に行かないかという不安とを比べ、最終的に前者が勝り、

「あのぅ……」

 小さく手を上げつつ口を開くと、二人揃ってこちらを見た。ややあって、黒が金に横目を向け、

「ほら、奏が馬鹿だから戸惑ってるじゃない」

「鏡子が暴力馬鹿女だからの間違いでしょう」

 仲良いなあ、とユメはしみじみ思った。言うと酷いことになりそうなので口にはしないでおく。

 ともあれ向き直った金の少女が、表情を緩めつつスカートの端を摘まみ仰々しく一礼。

「改めまして、私は日向(ひむかい)・奏と申します。こっちの馬鹿は葵・鏡子。三十分後くらいには忘れてもらって構いませんので」

「あ、ええと、梔子ユメで……、す……?」

 先程から思っていたがノリが独特過ぎて、ちょっと付いて行くのが難しい。一応挨拶を返しはしたものの、まだちょっと距離感を測りかねている面もある。ひとまず向こうから話を振ってもらうのと待っていると、肩を竦めた奏が歩を進めつつこう言った。

「単刀直入に言いましょうか。──梔子ユメ、貴女は確かに死亡しました。二年前に、あのアビドス砂漠で」

 鏡子というらしい黒髪が、奏の頭をひっぱたいた。

「オブラートとか気を遣うって概念がないの?」

「合理的で優秀な情報体(AI)ですので。そこを理解してもらわないと話が始まらないでしょう?」

 不満そうに鼻を鳴らした鏡子が顔を背けるのを見て、優しい子なんだな、とユメは思う。口より手が先に出たり口が悪かったりはするが、こちらの心情を慮ってくれたのだから。奏の方も叩いたことに文句を言わない辺り、鏡子がこうするのを分かっていて憎まれ役を買ってくれた節がある。

 それだけでも、目の前の二人を信じるには十分だと思った。

「馬鹿は置いておいて話を戻します。貴女は肉体的に死亡しましたが、魂はキヴォトスに残留していました。それも、遺品とも言える盾に取り憑くような形で。……そのことは、貴女自身も覚えていますね?」

 両の手で四角を描いて見せる奏に、ユメは小さく頷いた。

「覚えてるよ。ホシノちゃんが肌身離さず持っていてくれて、……私はそこでずっと全部を見てた」

 二年間。長いと言えば長いし、短いと言えば短い時間。ホシノが何を思い、何を願って歩んで来たか、ユメはずっと傍で見続けて来た。彼女のことが心配で、離れられなくて、届かないと分かっていても何度も言葉を送りもした。だけど、

「先生……、そう、先生と皆が一緒なら、きっともう大丈夫だ、って」

 ホシノを大切に思う後輩達と、己の命すら賭け皿に乗せる大人。そんな人達と一緒であれば、もう大丈夫だろうと、そう思って、

「でも、出来ることなら自分も傍にいたかった。薄氷の上の、何気ない日常という奇跡に焦がれた。そうでしょう?」

 内心を言い当てられ、ユメは反射的に面を上げた。正面、眩しいものを見るように目を細めた奏が、小さく誰かの名前を呼び、

「だから介入したんですよ、我々が。──葵・硝子をキヴォトスに送り出した馬鹿の親玉、彼女の師匠に当たる連中が、ね」

 

     ●

 

 いいですか、と奏が前置きを作った。

「硝子はキヴォトスの外……、私や鏡子がいた世界の出身です。連邦生徒会長の依頼を受け、彼女は「先生」としてキヴォトスに訪れた。ここまでは大丈夫ですね?」

 うん、と頷く。ホシノに憑いていた頃に、ある程度の事情は聞いているのだ。連邦捜査部シャーレ顧問として、連邦生徒会長の指名を受けた、と。だが、奏は肩を竦めつつ、

「対外的には伏せていますが、正しくはこう訂正しなければなりません。──連邦生徒会長が接触を持ったのは先生という個人ではなく我々であり、互いの協議と合意を経て葵・硝子がその担当に就くことになった、と」

 言葉を切ると同時、奏が踵を返した。こちらに背を向け、スリッパを脱いだ足を壁面に付ける。そのまま平然と身を後ろに倒し、もう片方の足も置く。普通に考えるのであれば、程なく背中から落ちるだろう。

 落ちなかった。

 焦りのない、ゆったりとした足取りで、奏が垂直に歩いて行く。足裏で無理矢理ホールドしているとか、粘着系の何かでくっ付いているなどではない。彼女の長い髪が床側ではなく、壁の方を下として落ちているからだ。

 まるで、引力という法則の下に己がいるのではなく、己こそが引力という法則を従えているのだとでも言うかのように。

「我々は元々異世界への介入や援助を行う組織であり、連邦生徒会長のような依頼もよくあることです。当然表沙汰には出来ないので、真相を知るごく一部だけがその対応に当たっている。ただ、それによって異世界由来の知識や技術も少なからず得ており、混乱を防ぐ為とはいえ手元で統制し独占しているのも事実なので──」

 言ったでしょう? と遂には天井に立った奏が、逆さまの状態で笑った。

「──悪の組織。馬鹿の集まりと言い換えても構いませんが、そういう集団が我々です」

 

     ●

 

 さて、と天井から物音一つなく降り立った奏が、改めてこちらへと向き直った。呆気に取られていたユメはしかし、視界の端で動きが生まれたのに気付く。

 鏡子だった。

 彼女は半目で、立てた手の平を横に振っている。そのまま彼女は、口を横に広げて奏を見遣り、

「あんまり気にしなくて良いよ。混乱したり戸惑ったりしてるの見て楽しんでるだけだし。奏、性格悪いから」

「フフフ鏡子の全方位毒舌も相変わらずですね」

 ふん、と鏡子が視線を背けた。仲良いなあ、という台詞が喉元まで出掛かったがセーブ。間違いなく鏡子は嫌そうな顔をするだろうし、奏は茶化しに掛かるだろう。そういうバランスの二人なのだということは、ここまでのやり取りで十分察せた。

 そんな内心が表に出ていたのか、鏡子が一瞬こちらを見て、口元を歪めつつまた視線を逸らす。それを笑みで見守っていた奏も、ややあってこちらに視線を戻すと、

「世界間交流は、互いの世界に影響を及ぼし過ぎないよう最低限に済ませるのがルールです。例えば我々の世界の住人は銃弾一発で死ぬのが当たり前で、武装を携行しようものなら治安維持組織にしょっぴかれます。そこに日常感覚で銃を撃つキヴォトスの住人が放り出されれば、何が起こるかは想像するまでもないでしょう」

「……すごいことになりそうだね」

「良い感じに分かっていただけて何よりです」

 親指を立てられたので同じように返しておいた。二人の人柄が分かって来たので段々慣れて来た気がする。悪い人ではないし。

「さて、実のところキヴォトスはかなり特殊な世界で、我々の世界とかなり近しい立ち位置にあります。こちらの世界で作られたものが、そちらの世界でオーパーツとして発見されたり、逆にそちらの世界の断片的な情報が、我々の世界に流れ込んで来たりと、明確な干渉がない時点でも相互に影響を受け合っていました」

 故に、

「連邦生徒会長の依頼である、シャーレ顧問として葵・硝子が。有事のバックアップと、互いの世界の繋がりに関する調査担当として、彼女には秘密裏に私と鏡子がキヴォトスに降り立ちました」

 病室のような内観の部屋を見回し、今更自分が袖を通しているのが制服ではなく、入院患者用のスモックだと気付く。そして窓の外に見える空には、覚えのある巨大な円環が見えて、

「じゃあここは、……奏ちゃん達の世界じゃなくて、キヴォトス?」

Jud.(ジャッジ)、どこの自治区でもない、ブラックマーケットの片隅ですよ。表から見たらただの廃墟ですが、色々手を入れてあるので不自由はしないかと」

 そうなんだ、と頷いて、しかしその動きが途中で止まった。頭の方、何やら聞き慣れない単語があったことに思い至ったからだ。先生も後輩達と似たようなやり取りをしていた記憶があるが、その時とは音が違って、

「……じゃっじ?」

「我々の組織の符号のようなものですよ。硝子がTes.(テス)とか言ってたのと同じです。了解とか相槌みたいなものだと思っていただければ」

 そっか、と再度の頷きと共に、ユメはベッドの上で居住まいを正す。改めて奏と、少し離れた床に座っている鏡子を見て、

「助けてくれてありがとう」

「気にしなくていいですよ、裏もありますから」

 手の平を軽く振りつつ、奏が悪戯げな笑みを浮かべた。

「いくら連邦生徒会長の許可が下りているとはいえ、本来キヴォトスに訪れる異邦人は一人だけ。公的に存在しない者である我々が、見知らぬ土地で動き回るのは手間な上にリスクも高い。故にキヴォトスの住人でありながら、既に死亡している梔子ユメ。貴女を案内人として我々の陣営に引き入れる、という案が持ち上がった訳です」

「……私、スカウトされてる?」

「もっと悪質ですよ? 断れば本来の予定通り成仏させる、とか言える立場ですし」

「はうぅ……、何度も引っ掛かったやつだ……」

「フフフいくら押し売りとはいえ助けられた以上ノーとは言えませんよ」

「奏」

 鏡子の小さな呼び掛けに、こちらへにじり寄っていた奏が動きを止める。身を起こし、両の手を広げ満面の笑みを浮かべると、

「まあ、全部後付けの言い訳ですけどね」

「……へ?」

 見えない荷物を掴むように空中を抱え、そのまま彼方へ放り投げる身振りをして、奏が窓の外を見た。天上、どこまでも青い空と輝く太陽を見上げ、

「消えたくないと願っている者がいて、私達はその為の手段を持ち合わせていた。助ける理由なんてそれで十分でしょう」

 一息。

「失わせない、というのが我々の方針ですからね。大義名分なんて後から捏ね繰り回せば良いんです。うちには硝子を鍛えたキチガイとそのお仲間が十人単位でひしめいてますし、言い訳なんてお茶の子さいさいですよ」

 そう告げる声音は、どこまでも穏やかで優しいものだった。

 悪ぶったり、ふざけたりという振る舞いばかりの奏。そんな彼女の本心というか、芯にあるものが垣間見えた気がして。だからユメは、先程はぐらかされた言葉をもう一度、

「ありがとう」

「どういたしまして」

 振り向き笑みを見せる奏は、やはり優しいのだろう。少なくともユメはそう思ったし、それを信じることにした。

 ……先生のお友達、っていうのも納得だね。

 キャラが濃過ぎる辺りも彼女そっくりで、きっと皆で充実した時間を過ごしていたのだろう。ユメの場合はホシノと二人きりだったが、それでも毎日が楽しかったのだから。水着で穴掘りとかもしたっけなあ。

 懐かしくなり、何気なくという動きでユメは視線を落とす。掲げた手の平も、握っては開く動きも、何ら違和感を覚えない。本当に、何もかもがあの頃のまま続いているかのようで、

「……何だか不思議な感じ。確かに死んだはずで、そのこともはっきり覚えてるのに、こうして生き返ってるなんて」

「生き返ってませんよ?」

「えっ」

 いきなり前提を覆されて、首を痛める勢いで振り向いた。呻き声を漏らしつつさすりながら見た先、奏は腕を組むと右の人差し指を立て、

「何を以て生きていると定義するのかは諸説ありますが、少なくとも今の貴女には明確な理性と感情があり、意思がある。ならば生きていると言って良いでしょう。ですがそれは魂に限った話であり、肉体自体は明確に死んでいます。いくら代わりの器を用意したところで、生前と全く同じ状態という訳ではありません。なので厳密に言えば、生き返ったというのは語弊があります」

「え、えと、ええっと?」

「言葉遊びしない」

 立ち上がった鏡子が奏に手刀を叩き込んだ。アイター、と奏が芝居掛かった動きで倒れるが、鏡子はそれを意に介さず、足早に歩を進める。枕元、チェスト上に置かれた水差しとグラスを二つ手に取り、片方にだけ水を注いで、

「例えるなら、コップの中の水を別のコップに移し替えたようなもの。コップが元の身体、水が魂、もう一つのコップが今の身体」

 コップの水を空の方に移して、こちらへと手渡した。受け取るのを見届けると、再び水を注ぎ、口元に運びながら、

「未練、残念、執着、言い方は何でも良い。そういった心残りを核として、死者の魂が現世に留まるのはよくあること。ただし大体はそういった拘りによって本来の性質からズレて行き、やがては悪霊とか、そういうものへと変質してしまう」

「生前を知る者からすれば明らかにありえないような行動をするのも、そういう情報が抜け落ちて行った結果ですね」

 何事もなかったように身を起こし、スカートの裾を払いつつ奏が補足した。それに頷き一つで応じた鏡子は、

「小鳥遊ホシノへの未練が晴れて、貴女は成仏しかかった。だけど別の心残りが生まれて、留まりたいという思いもあった。だから私達がそこに待ったを掛けたと、要はそれだけ」

 Jud.、と奏が頷く。

「幸運だったのは、貴女の神秘が冥界に由来するものであったことと、貴女自身がどうしようもなく単純馬鹿だったことです」

「ば、馬鹿……」

「良いですよ? 馬鹿。シンプルであるが故にブレることがない。貴女が貴女のまま、二年もの間現世に留まっていられたのは、生前の貴女がどこまでも純粋かつ真っ直ぐであったと、そういう証明に他ならないのですから」

 嫌味の一切ない、嬉しいことがあったような笑みを見るからに褒めているらしい。生前……、という表現で合っているのかは分からないが、ともかく以前は笑われたり叱られることばかりだった為、素直に受け取って良いのであればとても嬉しい。そんなこちらの内心が通じたのか、鏡子からコップを受け取った奏もまた口元を緩め、

「完全な形で残っている魂があるなら、あとは宿る器さえあれば良い。だからこちらでその身体を用意した。本当に、ただそれだけなんですよ」

「……それだけ、で片付けちゃって良いのかなあ……」

「深く考えない方が良いよ。思った以上に、世の中何でもありだから」

 鏡子のフォローがありがたい。だがその言を信じるのであれば、今こうしてものを思っているユメは生前の再現とかではなく、正真正銘梔子ユメ本人ということで良いらしい。本来の身体は失ったものの、その代わりというように、

「今貴女の身体となっているそれは、精巧に作られた人形です。私も、鏡子も、同じように人形の身体を使用しています。……まあ、そもそも情報体である私は身体を持たないので、衰弱死で肉体を失った貴女とは事情が違いますが」

 そうなの? と改めて二人を見るが、やはりどう見ても人形には思えない。見た目普通の人間だし、ヘイローもちゃんとある。ただ同じ世界出身である先生にヘイローがなかった辺り、二人のそれはカモフラージュに過ぎない可能性もあるが、そこはユメの考えることではあるまい。どう考えても私より頭良いだろうし。ただ気になる点があるとすれば、

「怪我したら手当てじゃなくて修理になるの? 私、よく転んじゃったりするんだけど、修理代ってどのくらい掛かるかな……」

「生体式なので代謝や循環は人間と同様ですよ。軽い負傷なら自然に治りますので、基本生前と同じ調子で振る舞ってもらって問題ありません。ご希望ならロケットパンチやオッパイミサイルも搭載出来ますが」

 丁重に断っておいた。

「……さて、これで概ね説明は終わりですね。他に心配なことや聞いておきたいことがあればご自由にどうぞ。今でなくても構いませんが」

「あ、うん。今のところは大丈夫。ありがとう奏ちゃん。鏡子ちゃんも」

「別に何もしてない」

 そう言って視線を背ける鏡子の傍ら、苦笑している奏もこちらと同じ気持ちだろう。だが彼女は不意に表情を真剣なものにすると、両の手を打ち合わせる。快音が響き、部屋の空気が澄んだような感覚が来て、

「では、改めて提案しましょう、梔子ユメ。もうキヴォトスにいないはずの貴女を、案内人として雇いたい、と」

 告げる。

「残念ですが、対策委員会の面々を始め、他の生徒と能動的に接触することは出来ません。死人が帰って来たらビックリ仰天ですからね。ただし遠くから見守ったり、借金返済に匿名で援助するなどの間接的な干渉は許可しましょう。その他、賃金の支払い及び衣食住の提供、可能な範囲で貴女の望むことに力を貸します」

 どうでしょう。

「表に出ることのない裏方として、アビドスを、引いてはキヴォトスを守る活動に、力を貸していただけませんか」

 これまでの飄々とした様子が一切見えない、真剣な眼差し。だがそれにユメが答えるより早く、虫でも払うような動きで手を振った鏡子が口を開く。

「断って良いからね? 訳分かってない相手に判断迫るなんて、どう考えてもあくどい人間のやることなんだし」

「まあ、悪の組織ですからね」

 笑って言わない、と半目で諫める鏡子に奏が口の端を吊り上げる。そんな二人を見ていたからこそ、ユメの答えはすぐに決まった。

「いいよ」

 気負いも、緊張もない、自然に口から出た一言だった。

「私も手伝う。ううん、手伝わせて欲しいの」

 鏡子が意外そうに、奏も感心したように口を開けつつ振り向く。だが、ユメは頷きと共に真っ直ぐ視線を返し、

「ホシノちゃんや、後輩に会えないのは残念だけど……、アビドスの皆が笑って、毎日楽しく過ごせる手伝いが出来るなら、願ってもないことだから」

 だって、

「その為に生徒会長になったんだもん。なら、場所や所属が変わっても、やることに変わりはないよ」

 胸に手を当て告げた先、鏡子は呆気に取られたまま。しかし奏は満足そうに目を閉じ、ゆっくりと頷きを作ると、

「──Jud.」

 手元に一つのホログラムを呼び出し、承認のサインを記して彼女は告げた。

「貴女の決断と信念に敬意を。審判(ジャッジメント)の名の下に、貴女の選択が、生き様が、間違いなどではなかったと保証します」

 十字で出来た鳥居型のホログラムがこちらの顔横に現れ、無数の文字列を走らせて行く。許可、承認、権限の付与、僅かに理解出来たそれらは高速で流れ、並行する形で奏が宙を指でなぞり、

「ようこそ、連邦捜査部「メビウス」へ。行き場のないハミダシ者ばかりの、ロクでもない部活へと」

 己の名。YUMEと綴られた輝く文字を、爪弾くような動きで入れ替えながら彼女が笑った。

「既に貴女は死んだ者。去った者。存在しない者。故に名前を公にすることは出来ません」

 だから、

「鏡に映る虚像のように、正逆の加護を与えることで、新たな命としての名を与えましょう」

 そうして出来上がった新たな文字列越しに、奏が黄金の眼差しを向ける。

井伊ムイ(E・MUY)。──今後、キヴォトスではそう名乗ってください。Jud.?」

 答えは一つだ。

「──Jud.!!」

 こうして、ユメ(ムイ)の新しい日常が幕を開けた。

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