江田ナコこと日向・奏は、情報体である。
プログラム、AI、疑似人格、言い方は幾らでもあるが、つまるところ人の手で作られた文字通りの情報的な存在。デザインチャイルドやクローンなどと明確に異なるのは、物理的な実体を持たない点だ。ハードウェアの中にしか存在することが出来ない代わりに、老いることも死ぬこともない。
これだけ聞くと大それた存在のように聞こえるが、ぶっちゃけ当人としてはそんなつもりは全くなかったりする。
創造主が我が子として扱い愛情を注ぎ、一つの生命として普通に育ててくれたから、という点もある。ええ、普通と言うには些か以上に異常な面子でしたが、ともあれずいぶんと恵まれた環境だったのは確かだ。守秘義務故関わることの出来る相手は限られたが、可能な限り自由にさせてもらえたのだから。そんな人達と関わり、過ごし、学んで行くという行為は、充実であり幸せだったと胸を張って断言出来る。
創造主亡き後はその子供、生まれで言えば兄に当たる人物と、その周辺人物達と送る別の充実があり。紆余曲折の末「先生」である葵・硝子のバックアップとして、同僚を伴ってキヴォトスに降り立ってもなお、毎日楽しく過ごしているフツーの少女だ。製造されたの三十年近く前ですけどね。毎日不要情報のクリーン化を行っていると考えれば零歳なので、間を取って少女ということで良いでしょう、ええ。お兄様も中身子供のままですし。
話が逸れた。
ともあれそんな奏だが、高度な技術によって作られてはいるものの、唯一無二の存在では決してない。例えば霊体などは人体から自然的に発生し得る、最も原始的な情報体と言って良い。当の人類に制御が利いていないのが難だが、似たような存在はそれこそ有史以来出現していて、科学的にアプローチした結果生まれたのが己だったというだけに過ぎないのだ。ダイブ型のゲームとて使用者の精神や魂をデータとして送り込んでいると考えれば、いずれ到達し得る技術の一つでしかないのだから。
逆説的に言えば、義体さえあればそういった存在とて一個人として現実を歩き回り、一人の人間として生きられる。
「──という訳で現状、作られた生命である私はこの身体を使って現実世界に干渉しているんですね。見た目が高校生なのは潜入先であるキヴォトスが学園都市であることも大きいですが、私が一番人生楽しんでた時期の姿なのでイメージが染み付いていると、そんな感じで」
病室のような部屋の中、大判展開した表示枠に情報を映しつつ、奏は己について説明する。視線の先、ベッド上で二年ぶりの食事を取っているのは、自分と同様のボディに魂を突っ込んで蘇ったユメだ。今後対外的にムイと名乗ることになる彼女は、手にしたスプーンの動きを止め、
「……ええと、じゃあ奏先輩って呼んだ方が良いのかな?」
「今はオフだから良いですけど、表ではナコと呼んでくださいね? 硝子には知らせずこっちに来てるので、うっかり耳に入ろうものなら愉快なことになるでしょうから」
一応釘を刺しておくが、正直あまり厳命しなくていいと奏は思っている。死んだ者は生き返らないというのは、あらゆる世界において絶対のルールだ。仮に今のユメを目撃したとて、一見すれば瓜二つの他人としか思われないだろう。言動まで見られると身バレ確定だが、その辺りのフォローはこっちの領分。何しろ異世界交流なんて無茶を人類に隠し通している悪の組織だ。年季と実績が違う。なので、
「別に畏まる必要はありませんよ、何しろ零歳ですので。……まあ、有事の際は指示に従ってもらわないと困りますけどね」
冗談めかして笑うと、気が抜けたようにユメが笑みを零す。まだ目覚めたての為精神状態が安定していないが、数日もすれば慣れるだろう。
記録を見る限り本来の彼女は無邪気で人当たりの良いお人好しだ、悪意を持った相手でもない限りコミュニケーションに難はない。天然過ぎてナチュラルにイラつかせる可能性もあるが、こちとら年中無休で容赦皆無のキチガイ共と見苦しいやり取りを繰り広げて来たのだ。多少の出来事で動じるようなことはない。
「奏、師匠達から新ダンジョン踏破したって自撮りが来てるけど」
突っ伏して床を何度も殴り付けた。
「どうして……!! どうして誘ってくれなかったんですかお兄様!!」
「異世界で仕事してる妹を遊ぶ為だけに呼び戻す兄とか嫌過ぎでしょ」
「ハアアアア!? 喜んでスッ飛んで行きますけど!? 何もかも放り出して駆け付けますけど!?」
「家族としては合ってるけど人間として間違ってない?」
「厳密には人間じゃなくて情報体ですもーんもーん」
鏡子が拳を振り上げたのでダッシュで逃げた。
●
ホントにコイツは……、と鏡子は眇めになる己を自覚した。
奏に限った話ではないが、自称「悪の組織」の連中は煽り性能が高過ぎる。姉も元々その気があったが、本格的に開花したのは彼女達との関わりを持ってからだ。特に奏の姉についてはその所業が筆舌に尽くし難く、酷い時は三分に一回くらいのペースで拳を振り上げることになる。そのおかげでカイザーやゲマトリア相手に舌戦で無双出来たと考えると良いんだか悪いんだかという感じではあるが、
「傍から見てると不真面目が過ぎるよね……」
「真面目だろうが不真面目だろうがやることをやれば良いんですよ。真剣にやったからと言って必ず結果が出る訳ではないでしょう?」
平然とのたまうからこの情報体は凄い。こんな鋼鉄メンタルの連中に鍛えられたのだから、そりゃ姉もああなるだろう。無論彼女達とて自分や姉同様、色々と経て来たからこそこうなった訳だが、多少は慣れのある自分はまだしも、この場には耐性のない相手もいるのだ。
「……大丈夫? このキチガイ時空に飲み込まれてない?」
「え? 二人共仲良いなあ、って温かい気持ちになれたよ?」
音の出てしまいそうな力感で顔をしかめてしまったが、腹抱えて笑いを噛み殺してる奏は後で絶対張り倒そうと心に決めた。
●
目尻の涙を拭いながら復帰した奏は、嫌気全開の眼差しを向けて来る鏡子を無視し口を開いた。
「さて、有意義な脱線をしましたが、改めて畏まる必要はありませんからね? 先程も言った通り私は歳を取るという実感がありませんし、中身も正直大人とは言えませんから」
「うん……、師匠達はもっと酷いもんね……」
鏡子が黄昏れているがこれもスルー。フォローしようにもどうしたものかと、ユメが持ち上げた手をアウアウさせているが気にするなと手を振っておく。すぐ慣れますし。
「外では身元を隠す為ムイと呼びますが、普段はユメと呼ばせてもらっても?」
「え? あ、うん。よろしくね、奏ちゃん」
「Jud.、よろしくお願いします」
歩み寄り、握手を交わす。握った手は温かく、柔らかくて、人形のものとは思えない。それを言い出したら自分もそうなのだが、やはり技術は日進月歩だ。いずれは人間と変わらぬように歳を取り、老いて衰えて行く人形も作れるだろう。役に立つかは分からないが。研究なんて概ねそんなものですし。
……うちはその辺の予算も潤沢ですからねえ。
兄や兄嫁その他周りの連中が優秀で良いことだ。騒動にも事欠かないのが玉に瑕だがアクセントの一環。ともあれ懐古はこのくらいにして、
「鏡子も何か言ったらどうですか? これから一緒にやって行くんですし」
「必要なことはもう奏が言った」
相変わらず過ぎるが、こういうキャラだ。情が深過ぎるが故に、己と関わる相手を必要最小限まで絞ろうとする。でないと背負いきれないから。そういう優しい部分が昔の兄にそっくりで、だからこそ奏も鏡子を気に入っているのだが、
「それじゃあ、鏡子ちゃん、って呼んでも良い?」
「許可する理由も拒否する理由もない」
「ええっと……」
「好きに呼べ、と言ってるんですよ。鏡子、捻くれてますから」
苦笑と共にユメの背中を叩くと、安心したような笑みが来た。鏡子の表向きの態度がどうであれ、気質さえ分かってしまえばユメは気にしまい。いずれは良いコンビになるだろうと、そう思いつつ奏はわざとらしく肩を竦め、
「もう少し素直になっても良いと思うんですけどね。──見た目中学生ですけど中身は実質二十四なんですから」
ユメが信じられないものを見るような目で鏡子を見た。
「……としう、え?」
Jud.、と鏡子がどうでもよさそうに頷いた。
「生まれつき身体が弱くてね。十年前、今際の際にイチかバチかってことで、魂を情報化して生かせるかもしれないって持ち掛けられて。結果成功して、ちゃんとした身体が出来るまで電子世界でダラダラと。奏とはそこからの付き合い」
つまり、
「私達三人は過程や境遇は違えど、種族的には似た者同士ということです。チームを組むならこういった共通項があった方が色々とやりやすいでしょう? 貴女に目を付けたのも、そういう理由が大きかったりします」
まあ、と奏は窓の外、遠目に見える砂漠地帯を一瞥し、
「何の因果か、硝子が初めて能動的に関わりを持ったアビドスの出身という辺りが出来過ぎではありますけど」
だが、得てして人の縁とはそういうものなのかもしれないと、そんなことを奏は思う。創造主やその同僚達の子供が、何も知らぬまま今の所属に集って行ったように。去り、消えた人達であっても、残したものが繋がって、新たな関係を生み出して行くのではないかと。
情報体の身でありながら、そんな夢にも似た思いを抱くのが感傷ではないと信じられるのは、それだけのことを経て来たからだ。
「……ところで、今の今に至るまで誰も指摘しなかったから私が言うんだけど」
ふと生まれた沈黙を打ち破ったのは、半目でこちらを見る鏡子だった。大方こちらが浸り気味だったのを察して、ユメがおろおろする前にフォローを入れたのだろう。有り難く思うと同時に、だからこそ損を背負いがちなタチなのだと内心嘆息しつつ、
「何です?」
「……何でカレー?」
鏡子が指差すのは、ユメの膝元。ベッド上に正座したユメが抱えた、白い平皿の積載物。
カレーだった。
人形の身体とはいえ、当然ながら活動にはエネルギーを消費する。補充の方法は様々だが、生体式であれば人間同様食事が手っ取り早い。ましてやユメは二年間飲まず食わずだったのだ、美味いものを食わせたいと思うのは当然であり、そのチョイスがカレーになった理由も至極単純。
「知っているでしょう、鏡子。──新入りはカレーで迎えるのが我が家のルールです」
「寝起きに重い物食べさせない……!!」
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鏡子は、狂人が理解出来ないものを見る目を向けて来たのを見た。ユメのベッドに腰掛けたキチガイは、両の手を広げると肩を竦め、
「何を言っているんです? 肉も野菜も入った栄養バランスの良さ、投入する具材で如何様にも変化する汎用性、温かく冷めにくい一家団欒の象徴、おまけに作成難易度が低く量産も可能。まさしく至高の食べ物ですよカレーは」
「ホント奏も師匠もカレーキチガイだよね……」
「三十年以上受け継がれて来た秘伝の味ですからね、そんじょそこらの愛好家とは訳が違います」
胸を張って言われても。奏もそこそこデカいはずだが、隣のユメがもっとデカいせいで並乳に見えるのが恐ろしい。お姉ちゃんは更にデカいけどね……!! 私? 聞くな。中等部でご臨終した病弱娘がデカい訳ないでしょ。しかもこのボディ成長しないんだよ。クソが。
私怨が混じったので深呼吸してメンタルリセット。その間二人は和やかに、
「どうですかユメ、我が家のカレーは。身内外にも絶賛の自信作ですが」
「うん、凄く美味しい!! 今度作り方教えて欲しいな!!」
キチガイがユメに見えないよう渾身のドヤ顔を向けて来たので、後で絶対殴り倒そうと心に決めた。
「ひょーほひゃん、ほうひたのほんなはおひて」
「……食べながらしゃべらない」
もしかしたらマトモな人間は私しかいないのかもしれない、と嫌な現実に頭を抱えたくなった。だがそれよりも優先すべきが今はあり、故に鏡子は後ろ手にアビドス自治区を指し、問う。
「アビドス、というより対策委員会の問題は一区切り付いた訳だけど。今後私達はどう動くの?」
「ほえ」
返って来たのは奏の声ではなく、ユメの間の抜けた声だった。彼女はスプーンを手にしたまま、こちらと奏の間で視線を彷徨わせ、
「先生にフルーツ盛り合わせとか差し入れしたいなあ、って思ってたんだけど……。もしかしてメビウスって、凄く忙しかったりする?」
ややあって、奏が納得したように、ああ、と手を打った。
「……そういえば、連邦捜査部メビウスの活動内容について具体的な説明をしていませんでしたね」
「……今更だけど、そんな状態で加入を決める辺りとんでもなくアホなんじゃ」
「ひぃん……、だ、だってアビドスやキヴォトスを守るお仕事って」
まあまあ、と奏が間に入り、吐息。表示枠を広げ、キヴォトスの地図を映し出すと、
「基本的にはヴァルキューレや各自治区の治安維持組織と変わりませんよ。騒ぎを起こしている生徒がいれば、殴り倒して大人しくさせる。各地を回り不穏な情報が耳に入れば、それとなくシャーレに流して対応させる。そんなところです」
後半部分を聞いたユメが、カレーを摂取する動きを止めた。しばしの間を空け、ゆっくりと奏に振り向いた彼女は眉尻を下げ、
「情報収集はともかく、戦うのはちょっと……」
「じゃあ放っておいて被害の拡大を黙って見守る?」
反射的に口を挟んでいた。
●
視線の先、虚を突かれたようユメが振り向いた。彼女は慌てて両の手を振りつつ、
「た、戦いで解決するのは良くないと思うの。まずはお互い話し合って、それから──」
「相手が話し合いに応じなかったら、どうするの?」
言葉に棘があるのは自覚の上で、鏡子は厳然たる事実を口にする。
「現実は理想の手を取ってくれない。ましてやこの世界は、銃弾が当たった程度じゃ死なないんだから。互いの意見を擦り合わせるより、相手を叩き潰して自分を押し通した方が遥かに早い。貴女が話し合おうとしても、邪魔だと痛い目に遭わされるのが関の山でしょ?」
そんなことは、彼女とて分かっているだろう。軽く調べた程度だが、生前のユメが辿って来た苦難の道筋はある程度知っている。悪意を持った相手に幾度も騙され、ホシノがいなければどんな目に遭っていたかは語るまでもない。その優秀な後輩も、仲間を思うがあまり騙され、囚われの身になっていたのはつい昨日のこと。遺品である盾に憑いた彼女は、それを間近で見ていたはずだ。
それなのに、まだそんなことを口にするのか。
……酷い話。
鏡子、という己の名を恨めしく思ったのは久しぶりだ。性善説と理想論に基づいたユメの言葉は、古い記憶を掘り起こされる。
十年前。病床の上で、何もかもを知らぬが故に、世界は美しく輝いていると信じ込んでいた馬鹿な子供。
安易な一言で、姉の未来を決定付けてしまった愚かな子供。
死んで、しかし普通ではない形で生き残り、姉の辿った道を見て来たが故に己は歪んだ。
現実を知った。或いは大人になったと、そう言うべきか。
だが、己とよく似た道を辿りながら、それでもなお自身の信条を曲げない目の前の相手は、
「言葉だけで解決出来ないことは確実にある。それでも貴女は──」
「鏡子」
静かな声が、鏡子の言葉を断ち切った。
「ユメの考えを肯定するも否定するも、貴女の自由です。自由な気風の悪の組織ですからね」
ですが、
「納得出来ないからと、自分以外を変えて思い通りにしようとするのは、子供の癇癪と同じですよ」
告げる奏の表情が、懐古と悲哀の入り混じった複雑な笑みであることに気付き、ヒートアップしていた感情を落ち着ける。知らず浮かせてしまっていた腰を落とし、頭を下げ、
「……ごめん」
「お気になさらず。誰もが一度は通る道ですからね」
それに、と奏が浮かべた笑みを、不意に邪悪なそれへと変えて、
「またユメが心を痛めることになるのではないかと心配していることは、とてもよく伝わりましたから」
●
「はあ……!?」
ユメは、鏡子が声を跳ね上げたのを見た。
だが奏は気にした風もなく、むしろ満面の笑みを向けると、
「過剰に反応するのは図星ということで?」
鏡子が苦虫を噛み潰したような表情で顔を背けた。知り合ってから一時間にも満たない自分だが、この二人が互いに遠慮なく色々と言い合える仲なのはとっくに察している。そこに上下や無用な気遣いはなく、だがやはりどちらかと言うと、奔放な奏とツッコミ役の鏡子という印象が強く、
「……あんまりからかわないであげてね?」
「心配は要りませんよ。お互いマジになって殴り合ったことも十や二十では利かないくらいの付き合いですので」
それはそれで大丈夫なんだろうか。
「……まあ、鏡子のツンデレはさておき、戦うことを強制はしませんので。気が向いた時だけ手伝ってください」
曖昧な笑みでノーコメントに徹していると、空気を読んでか奏が話題を戻した。だがそれは、少なくとも自分が役に立たない場面が少なからず発生するのを認めるということでもあって、
「……良いの?」
「その気がない者に無理強いしたところで結果は出ませんからね。とはいえ自分の身を守るくらいはしてもらわないと困るので、後で盾を贈りましょう。今の身体に慣れたら、防御系の訓練もしておきたいところです」
「が、頑張る……!!」
両の手を握って意気込みを示すと、奏が笑った。自分がホシノを見守る時のような、という連想が働いたのは、やはり目の前の相手が自分より長く生きているが故か。外見や振る舞いに差はなくとも、時折こういった面を覗かせる辺り大人というか、どことなく先生に似たものを感じる。或いは彼女やその友人達と共に過ごしたから先生がそうなったのか、今の自分には分からないが、
……やっぱり、良い人だよね。
うん、と内心で二人への信頼を強めていると、窓の外を眺めて逃避していた鏡子が手を挙げた。注目を集めた上で口を開いた彼女は、
「で、結局これからの方針は?」
Jud.、と奏が手を振るってホログラムを呼び出す。高速の手捌きで映し出されるのは、白い蛇に似た機械や発掘作業に勤しむカイザーのもので、
「今回の一件でアビドスと有志連合が派手に暴れた為、当面砂漠では動けません。下手に目に付くのは避けるべきですからね。なので預言者やお宝関連は一時保留です」
なので、と今度はキヴォトス各所の空撮らしき映像を表示し、
「そうなるとミレニアムの廃墟調査、エデン条約に向けてトリニティやゲヘナの治安維持補助がメインの活動になるでしょう。SRT周りも気にしておきたいところですが、こちらは一旦後回しで」
幾つかの知っている単語と知らない言葉が連続するが、そこは追々知らされるだろう。借金返済に追われ終始アビドスで活動していたユメとしては、初めて外の世界に出ることになるのだ。あ、でも一応ホシノちゃんに憑いてた時にブラックマーケットには行ったっけ。鯛焼き美味しそうだったなあ。よくよく考えると甘いものも二年以上食べてないなあ……。
「お代わりが欲しいなら用意しますけど?」
「えっ、あっ、ご、ごめんね? そうじゃなくて」
事情を話すとポケットから取り出したチョコレートを渡されて泣きながら食べた。
「甘い……、美味しい……」
「……師匠の真似がこんな形で役に立つなんてね」
「お兄様の仕事は頭脳労働ですからね。破壊活動の方が頻度高くて忘れがちですけど」
サラッと奏がとんでもないことを口走っているような気がするが、考えることが多過ぎるのでスルーしようと思う。
チョコの最後の一欠を飲み込み終えると、さて、と奏がベッドを降りた。スカートの裾を舞わせながら振り向いた彼女は、手の平を上にした右手を差し出し、
「腹ごなしと身体の慣らしも兼ねて、少し歩きましょうか。さすがに市街地や学校の付近はダメですが、人気のない地域ならアビドスに行っても問題ないでしょう」
「えっ」
鏡子と声が重なった。顔を向けると追い払うように手を振られたので、譲ってもらったのだろうと会釈を返してから、
「行っても良いの?」
「目立たないように髪や服は考えないといけませんけどね。……二年ぶりの故郷です。結果はどうあれ懸命に守ろうとしていたのですから、そのくらいしても罰は当たりませんよ」
笑って、そのまま視線をスライド。相も変わらず壁際、床に座っている鏡子を見て、
「鏡子、準備を。昨日の今日でカイザーやヘルメット団が動き回っているとは思えませんが、万が一に備えて戦闘可能な状態にはしておいてください」
「Jud.、とはいえ師匠譲りのステゴロだから準備も何もないけどね」
「知ってます。だからこそカモフラージュ用の銃はちゃんと持てと、そういうことですよ」
「面倒な……」
半目で零した鏡子が立ち上がり、部屋の隅に置かれた棚へと向かう。引き出しの中を乱雑に漁り、やがて手に取って掲げたのは、
「水鉄砲で良い?」
「見た目が実銃相当なので良いですよ」
結論として安っぽい黒塗りのハンドガンに水差しを突っ込むという異様な光景が出来上がった。
「まあ、顔に当てれば目潰しくらいにはなるし」
「投げ付けるというのもアリかもしれませんね」
「ふ、二人共自然に物騒過ぎない? 大丈夫?」
まあまあ、と両の平手を向けられたが、間違いなく二人共本気で言っていただろう。そのくらいはさすがに分かるようになって来た。腰のホルスターに水鉄砲を収める鏡子も、手を差し伸べたままの奏も、今はこちらに目を向けている。
あとは自分次第だと、そういうことなのだろう。
……うん。
ならば、思う通りにしよう。
かつてアビドス生徒会でも、そのようにしていたのだから。
あの頃はホシノがいた。可愛くて、頼りになって、だけど今はもう会えない。
その代わり、と言うのも失礼かもしれないが、こちらと共に行こうとしてくれる新たな友達がいる。だから、
「今の状況とか、二人のやろうとしてることとか、まだまだ分からないことばっかりだけど……」
手を伸ばし、しっかりと握り返す。ゆっくりと足を下ろし、僅かにふらつきながら、しかし自分の足で立って、
「一生懸命頑張るから、よろしくね」
笑顔を向ければ、同じように返してくれる。奏は柔らかな笑みで、鏡子の方はほんの少し口の端を緩めただけだけど、でも、
「──Jud.」
それが二人の審判だ。