グラスアーカイブ   作:外神恭介

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先生にとってはゴミでも、私に捨てられる訳ないよ……!!

 ミカは、退屈していた。

「ひーまー」

 口にしつつ、椅子に座ったままグルグル回ってみても、残念ながら現実は変わらない。己の声は執務室の中で反響し、消えて行くだけだ。

 反応を返す者は、誰もいない。

 生徒のダベり場であるシャーレは、珍しいことに無人だった。

 主である先生は当然として、訪れる生徒達だって色々とやることがある。その噛み合わせが悪ければ、こういうことも起こるだろう。聞いた範囲ではホシノが対策委員会としての活動日、ヒナは風紀委員会居室で打ち合わせ、アリスはゲーム開発部と締切前の修羅場だそうで、来るかどうかは分からないということらしい。ナギサとセイアもミネやサクラコと話し合いの最中で、本来であればミカもそこに出席すべきなのだが、

 ……暫定の立場だからなあ……。

 元より実務面においては二人の方が上だし、いても聞き役にしかなれないので、こちらから辞退した。二人共心配していたが、無論気遣いだけが理由で断ったのではない。出席するか否か決めかねていたところ、どこかから連絡を受けた先生が、

「すまない聖園君!! 至急の用件でチョイと席を外さねばならなくなってしまった!! 大変申し訳ないが留守番と来客時の対応を頼む!!」

 と言い残しスッ飛んで行ってしまったのだ。トリニティ内での度を過ぎた扱いから保護する為シャーレに住まいを移して以降、こうやって留守を任されることは度々ある。なので最初こそ先生の椅子に座り、真面目に出入口の方を見守っていたのだが、

 ……基本、遊びに来る以外の来客ってないんだよね。

 依頼であれば正式な書面やメールが来るし、急ぎであれば電話もある。色彩戦のような緊急時であればその限りではないが、少なくともミカはそのような場面に立ち会ったことはない。だからこそ自分でも留守番が出来る訳だが、友人達は別件で出払っていて雑談などの時間潰しも利かないとなれば、

「退屈だよーう……」

 デスクに身を伏してみても、やはり現実は変わらない。何ならガラス越しに差して来る陽光が心地好くて眠気すら覚える。気分転換になるかと思い先生の置いて行った茶菓子を漁ってみたが、手製のチョコを見付け頬張ったところめちゃくちゃ美味しくて余計気が入らなくなった。だって好きな人の手作りチョコなんて食べたら頭がふわふわして当然じゃんね。バレンタインの時期じゃないのが酷く惜しい。フライングということでカウント出来ないだろうか。ダメか。ダメだ。うっかり口走ろうものなら居合わせた生徒達による全面戦争がおっ始まりかねない。ついでに言うと要らんことも口にしがちなタチなので間違いなくやらかす自信がある。それでシャーレ吹っ飛ばしたりしたら先生に申し訳が立たない。なのでこの件は心にしまっておこう。ついでにもう一個いただきます。

 超美味しかった。

「……えへー」

 顔がだらしないことになっている自覚はあるが、込み上げて来るものはどうしようもない。そもそも理性で堪えが利くなら惚れてない。実際綺麗だし格好良いし頼りになるしで、頭がおかしいという最大のデメリットに慣れで適応出来るならこれ以上の伴侶はいるまい。キチガイだけどキメる時はキッチリキメるしね。アリウスのカタコンベで助けに来てくれた時も格好良かったなあ。口調も相俟って本当に王子様みたいだったなあ。

 トリップするあまり寝落ちしかけていた。

「……はっ」

 これはいかん。百歩譲って先生の勇姿にクネクネしていたのは良いとしても寝落ちはいかん。先生に頼まれた留守番を放棄することになってしまう。いくら来客が珍しいこととはいえ、万が一訪れた際受付担当がクネクネしているのと寝落ちしているのでは天と地程の開きがある。近寄り難いのはどっちも同じな気はするが、まあセーフセーフ。なので伏せていた身を起こし、背筋を伸ばし、両の拳を握って気合いを入れて、

「戻って来たよ──!!」

「ぅわあああああああ!?」

 ドアをブチ破る勢いで狂人が帰って来て思わず悲鳴が出た。

 メンタルを切り替えている最中だったのでちょっとというか大分不意打ち気味。慌てて両手をオタオタさせてしまうが、幸い先生に気付かれた様子はなく、

「って、あれ? 何か先生ボロボロじゃない!?」

 改めて見た先、先生の外見は出立時と比べて激変していた。

 手どころか髪や頬にまで土や葉が付いていて、纏う黒のスーツも同様だ。特に上着であるジャケットは酷い有様で、ポケットに枝が刺さっていたり各所に擦過や裂いたような跡まである。大怪我こそしていないようだが、明らかに普通ではなく、

「大丈夫!? 何か事件に巻き込まれた!?」

 急ぎ席を立ち駆け寄ると、先生が不思議そうにこちらを見た。ややあって、納得したように頷くと苦笑を浮かべ、

「心配は要らないよ聖園君。これらは脱走した犬の捕り物に参加したことによるものだ」

「犬」

「うむ、何分臆病な子でね。顔見知りである私ならばとも思ったのだが、まさか植え込みに突っ込んでまで追い掛けることになるとは」

「植え込み」

 特定の単語を繰り返すオウムみたいになってしまった。普段の不規則言動には慣れたものの、時たまこういう変化球が飛んで来るのが先生の恐ろしいところ。以前も夏日にびしょ濡れで帰って来たと思ったら「川に飛び込んで来た」とかブチかまされたことがある。聞いた話では落ちそうになった子供を引っ張り上げて代わりに落ちたとのことだったが、深い上に流れの速いところだったらしく後でユウカちゃん達に超叱られてたっけなあ。ともあれ、ミカは先生の脱いだジャケットを受け取り、

「怪我とかしてない? 平気?」

「出血を伴わない程度の擦り傷くらいだよ。とはいえ引っ掻かれたジャケットはダメになってしまったがね。買い替える前だったのが不幸中の幸いだ」

 笑って、安心させるようにこちらの頭に伸ばされた手が、しかし寸前でその動きを止めた。すっかりその気だったのに空かされたので口を尖らせつつ視線を上げると、土の茶や葉の緑、犬の毛と思わしき白が付着しており、

「……ひとまず身綺麗にして来た方が良さそうだね。すまないが、そのジャケットはゴミに出しておいてくれたまえ」

「……えっ」

 思わず腕の中の黒い上着を見て、告げられた言葉の意味を理解するまで約三秒。だがその間に先生は、既に動き出していて、

「え、ちょ、ちょっと先生!?」

 反射的に呼び止めるも、軽く手を振った先生が執務室を出る。行く先は階下のシャワー室だろう。

 去って行った。

 

     ●

 

 ……えぇ──!?

 参った。何が参ったかと言われれば何もかもだ。

 今ミカが抱えている黒のジャケットは、修繕すればまだ使える範疇だろう。だがそれなりに長い間使い込んでいたらしく、くたびれているとまでは言わないがそこそこガタが来ているように見えた。買い替える前と言っていた辺り、先生もこうなることを想定して着て行ったのだろう。

 不規則言動ばかりが目につくが、先生は身嗜みもキッチリ整えるタイプだ。先生という唯一無二の立場であることもあり、その辺りはしっかりしている。シャツもスラックスも予備を含め十数単位でストックしてあるのを見たことがあるし、そういう意味では直すより買い替える方が良いのは確かだ。

 つまりこれはゴミ。先生にとってはもはや捨てる以外にない、価値のない物という扱いになっている。

 だが、先生以外もそうとは限らない。

 先生の私物。それもつい先程まで袖を通していたもの。加えて修繕すればまだ使えるとなれば、引き取る大義名分は揃っている。この状況に複数の生徒が直面すれば、間違いなく血で血を洗う争奪戦に発展しただろう。だが幸いなことにこの場にいるのはミカだけで、競争が生じることはない。

 何よりも、ジャケットというのがまた参る。

 かつてサオリ達への追撃を防ぐ為に戦った際、決着をつけ舞い戻って来た先生。彼女はミカの奮闘を労い、制服までボロボロのこちらに上着を掛けてくれた。その際のやり取りも、毅然と立ち向かう後ろ姿も、こちらをお姫様抱っこで抱えて脱出してくれたことも、何もかもを鮮明に覚えている。だからこそ、

 ……先生にとってはゴミでも、私に捨てられる訳ないよ……!!

 参った。

 直前までその時のことを思い返していたのも相俟って、それがまた自分の手の中にあるというだけで泣けて来る。このまま羽織ったりしたら号泣する自信がある。自分でもちょっと気持ち悪いかなと思うが、それだけ自分にとっては大事で、全てがひっくり返るような出来事だったのだ。

 とはいえ、先生に頼まれたのも事実。なのでミカは頑張って、抱えたジャケットを己から離す。そのまま捨てるには嵩張っているので、荒っぽく畳んで、近くのゴミ箱に視線を向けて、

「……無理ぃー!!」

 ジャケットを抱き締めつつ座り込んだ。無理。足がその場から微動だにしない。捨てるというワードを認識した瞬間、理性も本能も全力でストップを掛けて来る上に、それを否定する理由が全くないのがまた参る。MURI。無理過ぎる。捨てるなんてとんでもない。これと比べたら一晩でトリニティ内の派閥を全て統合する方が簡単と思えるくらいにハードルが高い。もはやハードルどころではなくサンクトゥムタワーばりの高さ。というか捨てられる生徒がいるのか。ユウカがいれば千年難題の解明とどっちが簡単かと襟首掴んで揺さぶりながら問い質す勢い。勢いあまってシャツの襟を引き千切りかねない。

 落ち着け。

 冷静になろう聖園ミカ。問題はそこじゃない。この場にいる生徒は自分だけだし、仮にいても満場一致で廃棄に否を唱えるであろうことは想像に難くないので迅速に落ち着け。何故ならもっと大きな問題があり、それを解決しなければ焼却場行きの運命は変えられないのだから。

 そう、いくら自分が駄々を捏ねたところで、先生が戻って来たら処分ルート一直線という大問題を。

 当然だ。先生にとっては予備もある以上手元に置いておく理由がない。生徒の想いは尊重してくれるだろうが、やはり先生にとってはゴミに過ぎないのだから。このままミカが右往左往して時間を無駄にすれば、戻って来た先生に諭され、宥められ、涙を呑んでゴミ箱行きを見送る未来しかない。

 それは避けねば。

 やはりそうなるとこっそり回収するしかないか。だがいくらゴミとはいえ勝手に持って行くのはさすがによろしくない。保管しておくにしても汚れなどは落としておかないといけないだろうし、シャーレ住まいである以上洗濯に出せば一発バレ確定だ。かといってコインランドリーやクリーニングに持って行くにしても、何かの拍子で発覚すれば騒動になる。下手すればアーマゲドンだ。キヴォトス滅亡、その引き金は聖園ミカによる先生の私物横領、なんてことになったらシャレにならん。間違いなくそうなるという確信が持てる辺りが尚更に。そうなると正当にこのジャケットを入手するしかないが、その為には先生を説得しなければならない訳で、

 ……あっれ、詰んでない!?

 自他共に認める悪役である先生の弁術は、キヴォトスにおいても最上位と言って良い。以前機会があってカイザー相手に交渉した際の記録映像を見たが、それはもう酷いことになっていた。普段の馬鹿話ですら先生相手には敵わないのに、あんな調子で相対されたら間違いなく負ける。そしたらこのジャケットはゴミ箱行き。まずい。どうしよう。馬鹿な自分ではもはや打てる手がない。ここは恥を忍んでナギサやセイアに助力を求めるべきだろうか。特に後者は先生と舌戦になっても何とかしてくれそうな気がする。代償としてこの件をネタにされ長々イジられるだろうが、捨てられずに済むなら本望だ。ナギサもフォローくらいはしてくれるだろう。そうと決まれば今すぐ連絡を、ああでもティーパーティーとしてお仕事中だった、でもあんまり待ってると先生が帰って来ちゃうし、緊急事態ということで許されないだろうか。ダメだろうか。

 ……うん、ダメ元で連絡してみよう!!

 腹は決まった。立ち上がり、俯いていた顔を上げる。

 目の前に先生がいた。

「えっ」

 思考がそのまま声に出た。対面、新しいスーツを着て身形を整えた先生は軽く首を傾げ、壁に架かった時計を指差す。

 シャワー行きを見送ってから三十分近くが経過していた。

「えっ」

 おかしい。何か時間が歪んでる。体感五分にも満たないくらいだったのに、六倍近い時間が経過している。キヴォトスには不思議パワー持ちが多々いるけど、時間系の人っていたっけ。でもここには私と先生しかいないし、もしかして眠れるパワーが目覚めちゃったかな? いやあ参ったなあ。

 ハイ、現実逃避ここまで。

「え、えっと、その、ええと」

 どうしよう。先生から見れば処分を頼んだジャケットを抱えて三十分のたうち回っていただけの状態だ。その時点で大分アウトだが、事情を説明してもアウトだし何なら重い上に面倒くさいと思われそうで。だが仮に上手く誤魔化せたとしても、もはやゴミ箱行きの運命は決まったも同然で、それだけで胸が詰まり、口の中が乾き、視界がぼやけ、知らず俯いてしまって、

「──すまない」

 そんな声と共に、頭に手が乗った。

 え、と震える息を零し見上げた先、先生が微笑していた。大丈夫だと、心配するなというように軽く叩いて、

「よくよく思えば、聖園君に捨ててくれと頼むのも酷な話だったね。申し訳ないことをした」

 内心を言い当てられ心臓が跳ねた。

 先生が聡いのか、単にミカが分かりやすいだけか、或いは硝子という名前故か。彼女は時折こうやって、心を読んだように相手の気持ちを悟り、寄り添う。何かと空回りしがちな自分にとっては、それが何よりも有り難い一方で、通じた嬉しさと恥ずかしさから頬が熱を持ってしまう。

 そして先生は、こちらの抱えたジャケットに目を遣り、

「残念ながら、それを譲渡することは出来ない。砂狼君を筆頭に争奪戦が始まること請け合いだからね。ほぼ間違いなくアーマゲドンだろう」

 分かっていた。先生は優しく、どんな生徒にも公平に接しようとする。その方法が「あらゆる生徒に対し全力で肩入れしてトータルのバランスを取る」というのが狂人たる由縁だが、ただでさえミカは全生徒で唯一のシャーレ住まいだ。いくらルールに基づいた保護という名目があるとはいえ、火種となり得る優遇は出来ない。こちらの身を思うからこその気遣いであり、それは自分にも分かっている。

 だから、十分だ。

 自分が大事に思っていることに気付いてくれて、通じていると示してくれた。ダラダラ留守番していただけの駄々っ子には、勿体ないくらいのお返しだ。故にこそこれ以上彼女を困らせることのないよう、笑って礼を言い終わりにすべきだろう。

 ……うん。

 大丈夫、と心中で頷き、息を吸って、

「──という訳で、そのお詫びと言うのも難なのだがね?」

「……へ?」

 先を越され、間の抜けた顔で見上げてみれば、先生は悪戯げに笑っていた。

 こちらの頭からゆっくりと手を離し、羽織っていたジャケットを脱ぐ。石鹸と桜の仄かな香りがするそれを、ミカの肩に掛けるようにして羽織らせて、

「留守番を務めてくれていた時間だけ貸し出そう。その間どのように扱っても私は関知しない。それで良いかね?」

 クラっと来てそのまま横のソファーに倒れ込んだ。

 もうホント、これだから先生大好き。

 

     ●

 

「先生ー、いるー?」

「おや、小鳥遊君? 今日は対策委員会の方に専念すると聞いていたが」

「思ったより早く終わって解散になったよ。それでちょっと顔出しに来たんだけど……」

「えへ……、えへへぇ……」

「……何かあったの? ミカちゃんすごいニヤけてるけど」

「何、ちょっとした二度ネタというやつだよ」

「……?」

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