グラスアーカイブ   作:外神恭介

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調子に乗ったら梯子を外して来るのは先生の基本でしょ……

「あっ、ミドリお帰りー!!」

 こちらに気が付いたモモイが、無邪気に手を振っている。先生もまた軽く手を上げてくれて、会釈を返したミドリは一旦目を閉じた。心の中で十秒程数え、目を開けて、目の前の光景が変わっていないことを確かめてから、

「……何してるの、お姉ちゃん」

 ミドリの視線の先、姉は上下逆さまの状態だった。それも先生の肩に膝裏を引っ掛けて。

 幸いスカートはめくれていないものの、短い髪やら羽織ったジャケットは重力に引かれており、幼少期に鉄棒で似たような遊びをした記憶を思い返す。当時は二人仲良く落っこちた気がするが、既に忘れ去っているのか腕を組んだ姉は得意げに胸を張って、

「カップが欠けちゃったから、棚の上にある予備の分を出すことになってね? 私が肩車で取ってあげたという訳なのさ!!」

 シャーレ執務室の壁際に置かれた食器棚、その高さは優に二メートルを超える。元々先生が百八十オーバーの長身ということもあるし、自称部員が入り浸る為人数分のカップを仕舞っておける大型の棚が必要だったということもある。棚の上には予備の食器類や雑多な小包が置かれていて、時たまもう一人のシロコが踏み台に乗って掃除機を掛けている光景は見慣れたものだが、

「……先生なら手が届くしどこに何があるかも記憶してるから、肩車されてまで手伝う必要はないんじゃ……」

「いやいや才羽妹君、私とて手元が見えぬまま作業すればミスは起こるよ。才羽姉君の心遣いを断る理由もないからね」

「そうそう、先生を手伝えてノッポになった気分も味わえる一石二鳥の作戦ってこと!!」

 イエーイ、とタッチを交わす姉と狂人に若干イラっと来たが堪えた。先生の不規則言動がぶっ飛んでいる為忘れがちだが、元々モモイもノリで生きてる先生側のタイプだった。ツッコミに回ることの方が多いとはいえ、一緒になって悪ふざけすることも多々。今回はこっちに害がない分マシな方。ともあれ、

「これで無事に万事解決、とは行かないのが現実の厳しいところでね。ミッションコンプリートの余韻で才羽姉君が伸びをした結果──」

「──ひっくり返って起き上がれなくなった!!」

 満面の笑みで言うことじゃない。

「晄輪大祭の時にも思ったが、キヴォトス住人の頑丈さとフィジカルは別物なのだね。戦場ではあれだけ駆け回っているのに、意外と言えば意外だったものだが」

「いえ、まあ、ミレニアムが理系ばかりで運動が苦手というのは否定出来ませんけど……」

 スミレやトレーニング部の面々は例外中の例外だ。開発や研究を主としている以上、身体を動かす機会などそうそうない。それこそ以前先生がケイ絡みで持ち掛けて来た鬼ごっこのような遊びでもない限り、自発的に運動することなど絶無と言って良いだろう。晄輪大祭の前であれば多少はやる気になるかもしれないが、直前にランニングを始めたユウカとて本番ではあの結果だった辺りやはり継続しなければ意味はない。

「とはいえ色彩の件や、鋼鉄大陸の時のようなこともあるからね。私が別件で出払っていて力を貸せないことだって十分起こり得る。いざという時に備えチョイと鍛えてみてはどうかということで、腹筋で起き上がれるまで肩から下ろさないゲームが始まった訳だ」

 だが、

「最初の三分は頑張っていたのだがエンジョイする方に転向してしまったので、どうしたものかと考えていたところなのだよ」

「楽しいー」

 振り子のように揺れて遊んでいる姉が能天気過ぎる。先生も先生で気にせずコーヒーを淹れているので、姉も調子に乗っているようだ。だが自分が席を外している間にそんな美味しいイベントを独占、もとい多忙な先生に負担を掛けるのも良くないだろう。なのでミドリは、先生の性格を踏まえた上で少し考えた後、

「ところで先生、お姉ちゃんを乗せてからはずっと立ち仕事を?」

「そうだね。休憩にクッキーやジュースなどを準備していたよ?」

 手に乗せた盆を掲げて見せる姿に、ミドリは傍らのソファーを横目に見つつ、言った。

「お姉ちゃんを下ろさないと、座ってお茶出来ないんじゃ……」

 姉の振り子運動が止まった。

 ややあって、一度盆を置いた先生がモモイの足首を両の手でホールドする。

「……せ、先生?」

「思えば才羽姉君をライドオンしてから立ちっぱなしだったね。何だか急に疲れて座りたくなって来た」

 見事なまでの棒読みだった。事ここに至って事態を察したモモイが、慌ててじたばたと藻掻き始め、

「潰れる!! 先生とソファーの背もたれにサンドされて潰れちゃう!!」

「心配は要らないよ才羽姉君。銃弾を食らっても痛いで済むのだから、人体とクッションにプレスされるくらい大したことはないだろう」

「笑ってるよね!? 見えないけど絶対満面の笑みでニコニコしてるよね先生!? うわちょっとソファー目掛けてバックしないでプレッシャーが怖い怖い怖い!!」

「才羽妹君、私のパソコンからオルタブレイド2のトラック76を流してくれないかね。今の状況ならこれが一番だろう」

「シリアス過ぎませんかそれ……。私としてはトラック23が良いと思うんですけど」

「呑気に選曲談義してないで助けてー!!」

 一通りイジって遊んだので仲裁に入ることにした。中腰でジリジリ後退する先生という絵面がシュールだったが、このくらいならまだ甘口。酷い時はホラー染みたお面を両胸に付けてにじり寄ってきたりするし。以前部室に泊まり込んだ時やられて腰を抜かした。躊躇なく外して自分で被るアリスも大概だったが。

 ともあれ屈んだ先生がソファーに姉を下ろし、解放された姉は荒い息を整えながら、

「た、助かった……」

「調子に乗ったら梯子を外して来るのは先生の基本でしょ……、何で行けると思ったの?」

「才羽妹君も意外とズバズバ言うね?」

 先生との付き合いが長ければこうもなる。ツッコミを躊躇していると被害が加速度的に増すのは何度も経験しているので。

「でも先生とギャーギャー騒ぐの楽しいから好きだよ?」

「ははは光栄だね。──次から手加減抜きで行こう」

 躊躇なく頭を下げて手加減を要求する姉に何とも言えぬ感慨を抱くミドリであった。

「というかお姉ちゃん、ここに来た本題忘れてない?」

「ああっとそうだった!! それで先生、例の物は!?」

 うむ、とこちらの眼前にメロンフロートを置いた先生が踵を返す。執務用のデスクから手に取った、分厚い大判の本を掲げて見せ、

「本日発売のゼルナの伝説最新作、設定資料付き攻略本だ」

「おー……!!」

 手渡されたモモイが、目を輝かせながら受け取る。逸る動きで開くページは攻略情報ではなく、巻末のオマケとも言えるコーナーであり、

「昨今はゲーム内でもこの手のコンテンツや攻略情報が閲覧可能となっているが、やはりゲーマーなら攻略本だね。開発陣のコメントやコラムなどは貴重だし、作り手にとって良い刺激になる」

「うんうん、うちの次回作の参考にしたかったらすっごい助かるよー!!」

「また要素がとっ散らからなければ良いけど……」

 ぼやきつつ、ミドリも横から覗き込む。

 今月のゲーム開発部は納期と試験勉強に追われシャーレでの仕事もさほど出来なかった為、懐具合が宜しくない。それで先生に相談してみたところ、ちょうど買う予定があるから遊びに来れば良いと誘われたのが一週間前のことだ。試験をどうにか赤点なしで乗り越え、作品の提出も終えて駆け付けたのがつい三十分前。セミナーでの手続きを終えたらユズとアリス達もすぐに来るとのことで、先んじて二人でお邪魔した次第なのだが、

「うーん、やっぱり色々考えてるなー……。私ももっとチャレンジ精神を持たないとダメだね!!」

「……お姉ちゃんの場合チャレンジ精神というより節操がないだけじゃ」

「ああ、以前の打ち合わせではリアルタイムカードバトル国盗りシミュレーションという死亡フラグ全開のコンセプトを打ち出していたね。それで結局?」

「先生の交渉をモチーフにしたカードバトル部分が上手く纏まらずシンプルな占領シミュレーションに変更しました」

「で、でもちゃんと詰めれば別のところで生かせるし!! ミドリの描いたキャラクターカットインもビシッと決まると思うんだよね!!」

「しかし私の屁理屈と暴論ムーブを才羽姉君の頭でゲームに落とし込めるとは正直思えないのだが」

「じ、事実だけど容赦がなさ過ぎるよー!!」

 良いではないかね、と対面に座った先生が笑った。

「何事も挑戦だ。歳を取ると新しいことに踏み出す機会も減り、やがては変化を疎むようになりがちだからね。時間と気力を潤沢に持て余している学生時代にこそ、様々な経験を積んでおいた方が後々に生きるものだよ。……まあ上手く結果に繋げられるかどうかは別の問題だが」

 うぐ、と胸を押さえたモモイが横倒しになるがスルー。寝て起きるどころか二時間後には元に戻ってるだろうし。そういう姉だ。だからミドリは、両の手に抱えたメロンフロートを口に含んでから先生を見て、

「先生も、学生の頃は色々なことにチャレンジしたんですか?」

「以前にも話した通り、昔の私はひどくつまらない人間でね。妹の一件以降、師匠連中に鍛えられることになった訳だが、それはもう恐ろしく濃密な時間を送ったものだよ」

 例えば、

「こちらの世界で言うと、着の身着のままで知らない自治区まで拉致されて名所巡りとか、島影一つ見えない沖合に連れ出されて二メートル超えの大物五種釣り上げるまで帰れないツアーとか、軽めのネタでこの始末だからね」

「……先生の無茶苦茶具合って、師匠譲りというかまだマシなレベル?」

「いやでも、前にシロコ先輩とキヴォトス縦断とかしてたような……」

 うーん、と姉妹揃って腕を組んで考え込んでしまうが、深く考えたら負けな気がする。先生周りは基本そう。

 そんな無茶苦茶な大人はしかし、己のフロートに乗ったサクランボをこちらと姉に分けつつ、

「何はともあれ、やりたいことが出来たら言うと良い。私や暇な連中が手伝うし、口にするだけならタダだからね」

「……はい。ありがとうございます」

 幾度も自分達を手伝ってくれた大人の言うことだ。信じるに否はないし、ちょっとした観光くらいならその場で出発するだろうというくらいの理解はある。だがそこに甘え過ぎないよう、自分に出来ることを頑張って行こうと、そう思った。

 失敗しても、上手く行かなくても、頑張りを汲んでくれる人がいるのだから。

「あ、じゃあゲーム開発会社として上場したい!!」

「学業と両立出来るのなら出資しても構わんが?」

 モモイの動きが止まったので、半目を向けてから嘆息したミドリは、デザイン画の掲載ページに意識を傾けることにした。

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