「先生」
「何かね?」
何気なく零した呼び声でも、先生の返答は即応だった。
返る言葉に内心嬉しさを感じつつ、シロコは問う。視線の先、先生の口元を見詰め、
「スティック菓子をピコピコさせるのは行儀が悪いと思う」
先生が口に咥えていた、中にチョコが詰まったタイプの菓子の揺れが止まった。ややあって、鉛筆削りに吸い込まれて行く鉛筆のように縮んで行った菓子が先生の口の中へと消え、
「板チョコでやっていた師匠よりはマシだと思うがね」
「板チョコって咥えるものだっけ」
「頭脳労働に糖分は必須だよ砂狼君。程々にしておかねば虫歯になるが」
小さく息を吐いた先生が、マウスを握っていた手を離す。片手打ちのキーボードで仕事を続行しつつ、傍らのスティック菓子の包みから取り出した一本をこちらの口元に差し出し、
「食べるかね?」
「ん」
咥えた。先端に舌を押し付け、中のチョコを体温で溶かし吸い出すようにして味わう。
甘い。
昔に皆と食べたっけ、とかつての光景を懐かしんでいると、先生がこちらを一瞥した。彼女は口元に苦笑を浮かべ、
「君もやっているではないかね」
「先生の真似。子供は大人を見て学ぶから」
「学ぶべきところは他にあるように思うのだが」
「暴論とか屁理屈とかエクストリーム入った交渉術とか?」
「砂狼君には素直で直向きなままでいて欲しいというのはワガママかね?」
「ん、先生がそう言うならしょうがない」
ふやけて来た菓子を、先生と同じように鉛筆削り式で完食。簡単なように見えて意外と難しく、途中で何度かつっかえた。練習しておけば一発芸になるだろうか。そんなことを考えていると、再びこちらに視線を寄越した先生が、
「ところで砂狼君、一つ聞いてもいいだろうか」
「何?」
聞き返すと、先生が一瞬動きを止める。首を傾げるも、やがて先生は傍らの椅子に目を遣ってから、
「……座った方が楽ではないかね?」
言われて、改めてシロコは己の現状を顧みた。
デスクで仕事中の先生が座る椅子、その背に負ぶさるようにして、肩に顎を乗せている現状を。
熟考三秒、頷きと共に口を開き、
「新スタイルのセミ」
「既に冬も目前のはずなのだが」
「暖房だってタダじゃない。節約出来るならそうすべき」
「今日は暖かい予報なので空調は入れていないのだがね」
交わされる応酬に、嫌気の色はない。だけど一応、念の為に聞いておく。
「……ダメ?」
「砂狼君が疲れないのであれば好きにしたまえ」
「ん、じゃあこのままで」
微笑し、首に回した腕で抱き締めるようにする。密着度が更に上がり、先生の背中に押し付けられた胸が圧迫され歪み、
「オブラートに包んで言うと、……成長したものだね?」
ちょっと予想外の方向にボールが飛んで、一瞬動揺し内なる獣を解き放ちそうになったが頑張って堪えた。
「……しみじみ言われても、先生の方が大きいと思うけど」
「自前と他人は別腹だとも」
堂々と宣言されてどうしたものか。ただ、一応という感じで、
「先生がイオリの足とかアコの横乳以外でカラダネタに言及するの、珍しいね」
「こうも密着されては嫌でも意識せざるを得まいよ。ついでに言うとその二名は向こうからネタを振ったので乗っかったに過ぎん」
ああ、ホシノ先輩救出の助力願いに行った時、冗談交じりに足を舐めろって言われたんだっけ。今でも会う度「契約は履行せねばなるまい」って一悶着起こすのがルーチンと化してるみたいだけど。後者はある意味フルタイムでボケてるからしょうがない。服が。
「まあ真面目に答えると、身体の変質が色彩由来でも、生きている以上食事や睡眠が疎かになれば痩せ細るだろう。その体形が維持出来ているということは、砂狼君がちゃんとした生活を送れているという証明だ。それを身を以て知ることが出来て安心した、というのでどうだろうか」
「最後の一言がなければ良い話で終わったのに」
性分だよ、と笑って返された。こういう上げて落とすというか、自分を良く見せようとしない辺りは相変わらずだ。それでも節々から滲み出るお人好しっぷりが、生徒達から信頼される由縁だろうが。今は朝方ということもあり二人きりだが、遠からずいつもの面子が顔を出しに来るだろう。
ちょうどいいので、気になっていたことを聞いてみる。
「先生は、大きい方が好き?」
「以前髪の長さで似たような話になった際も言ったが、身体的な特徴で好みを決めることはしないよ。ファッションと違い、一朝一夕で変えられるようなものでもないのだからね。なりたい自分と今の自分をイコールにするというのは、残念ながら難しいものだよ」
具体的な言及こそなかったが、思い当たる節は幾つかある。身長が伸びないことを悩む者もいれば、背が高過ぎて困っている者もいるのだ。褒めるつもりで言及したとしても、それによって傷付くということは十分に起こり得る。
自分とて今の身体に不満はないが、もし先生の好みが以前の自分だったら、と思うと気分は沈む。なので、
「今の私はどう思う?」
「元々運動好きなこともあってボディラインは美しいと思っていたが、背が伸びたことでより魅力が増したね。特に足が良い。胸もそうだが、髪が伸びたことも含め曲線美が増えたことで、大人の女性らしさが身に付いて来ていると思う」
「そこまで絶賛されるとは思ってなかった」
「良いものは良いと言うのが信条なのでね。ご希望なら具体的に長々とソムリエの如く語るのも吝かではないが?」
「かなりすごくとても興味深いけどまた今度にする」
よしよし、と頭を撫でられた。先の言葉と、温かな手の平が触れる感触に口元が緩む。見れば先生も、苦笑という形だが笑っていて、
「正直自分の性別に拘りはないのだが、キヴォトスに来てからは女で良かったと思っているよ。異性であれば色々と気を遣うところだが、同性だとその辺り突っ込んだコミュニケーションも遠慮が要らないのでね」
「今のご時世は同性でも訴えられるって聞いた」
「その場合は口八丁手八丁で無罪を勝ち取るだけのことだよ」
先生の場合本当にやりかねないのが凄い。さすがは自称有言実行の女。一昨日も確か「当たりを引くまで帰れないのだよ……!!」とガチャポンの筐体に対しセミになって、通報を受けて駆け付けたヴァルキューレが先生を視認した瞬間ソッコでUターンして帰って行ったのは伊達じゃない。その後カンナに電話で説教されてたけど。
思い出し笑いで身を震わせていると、先生が撫でる動きを止めた。首を傾げつつ視線を送れば、空調のリモコンを手に取って、
「寒いかね?」
「ううん。でも、あったかい方が好き」
言って、シロコは身を寄せた。背もたれで一部遮られてはいるが、制服越しに先生の温もりが伝わって来る。まだ曇っている空は、かつてのように雪こそ降っていないけれど、
「小鳥遊君にボコボコにされて、マフラーを与えられたのが始まりだったか」
「ボコボコじゃない。惜しいところまでは行った」
「悔しさのあまり主観で判断していないかね?」
「そんなことない。当時は私の方が小さかったから身軽」
「つまり一撃の重さが足りずジリ貧だった訳だ」
「スタミナ不足は克服した。もう負けない」
「実は運動が趣味なのはその手のトレーニングも兼用だった可能性が浮上して来たね?」
「そういう側面がなかったとは言わない」
そうか、とまた撫でられた。今度はゆっくりと、体温を分け与えるように。
通じている。それだけのことが、ただただ嬉しい。だから何だかんだ理由を付けて、皆シャーレに押し掛けるのだろう。
ここは、とてもあったかい場所だから。
とはいえ、あまり先生の邪魔をするのも良くない。名残惜しいが、先生の手を頭から離そうとして、
「先生、今日は暖かくなるから、お昼は皆でシャーレの屋上で──」
スーパーの袋を提げたこっちの自分が、入室と同時にこちらを見て動きを止めた。
シロコも、先生も、動きを止めてこっちの自分と視線を交わす。
動かない。
なので、シロコは状況を動かす為の初動を生んだ。大仰に肩を竦め、小首を傾げながら口角を上げ、
「……ふっ」
鼻で笑うと、こっちの自分が荷物をソファーに放り投げた。そのままダッシュで寄って来て、デスクと先生の隙間に身を潜らせる。そして膝に座り、両手足でホールドを決めれば、
「砂狼君もセミかね?」
「ん!!」
先生の胸に半ば以上顔を埋もれさせながら、こちらに威嚇の眼差しを向けて来る。分かるよ、うん、私も逆の立場ならそうしただろうし。でもまあ、セミになる口実はあげたんだし、文句は受け付けないってことで。
そんなこちらの内心もお見通しであろう先生は、笑いを噛み殺しながらゆっくりと立ち上がった。セミになっているこっちの自分は元より、十センチ以上の身長差があるこちらも足先が宙に浮く形となり、
「樹液は出ないが、飲み物くらいは用意しよう。いつものコーヒーでいいかね?」
「ん、お茶請けは燻製が良い」
「毎度のことながら絵面がカオスだね?」
「先生、私は燻製二つで」
「うむ、育ち盛りは食べた分だけ伸びるものだよ。デカ狼君はどうするかね?」
「ん、じゃあ私は三つ」
「ん!!」
己を挟んで火花を散らす光景がよほどツボだったのか、もはや笑みを隠さぬ先生に抱えられ、シロコは給湯室へと運ばれて行った。