グラスアーカイブ   作:外神恭介

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わーお、上げて落とすとか酷いね先生!

「さて、それでは桐藤君、百合園君、以降の些事は頼んだよ」

 トリニティ総合学園、ティーパーティーの会合場所となっているいつものテラス。そこで告げられた言葉に、呼ばれた二人が顔を見合わせた。

 ミカの視線の先、先に動いたのはセイアの方。ただしそれは我関せずと紅茶のカップを口に運ぶもので、やがてナギサが観念したように手を上げる。ジト目の向かう先は、

「今更言うのも野暮というものでしょうが……、先生、本気ですか?」

「ははは愚問だよ桐藤君、私は常に本気だとも。そもそも遊びでこのようなことは出来まい」

 長身に黒のパンツスーツを纏った、白い長髪の女性。フルネームを葵・硝子というシャーレの先生は、笑みで手元の書類を掲げてみせた。本日付けで発布されたその内容は、

「連邦生徒会からの正式通達。エデン条約時のアリウス分校のような例を見るに、己が望まぬ環境の中で、健全かつ一般的な学生生活を送れない生徒は少なからず存在する。そういった生徒に対し連邦生徒会認可、及びミレニアム、ゲヘナ、トリニティという三大学園監査の下──」

 一息。

「──シャーレの超法規的権限を以て該当生徒を保護、管理下に置く。衣食住の提供は勿論、望むならカウンセリングや転校・編入等のサポートも実施。先生の公正性と潔白を示す為定期的に監査を入れる必要はあるが、平たく言えば問題児や行き場のない生徒を手元に置き面倒を見ることが出来る。ああ、こんな荒唐無稽な強権が通るのも、偏に先生の人徳と実績故だね」

「つまり私のテキトーぶりが風聞だけでなく法としてもキヴォトス中に知れ渡る訳だ。これは胃を悪くしそうだ」

 全くそう思っていない口ぶりで言うのだから恐ろしい。仰々しく内容を要約したセイアも承知の上か、口元の緩みを隠そうともしない。

 事の起こりは三日前。今のミカを取り巻く色々を先生が知り、夜中のプールに忍び込んだ日だ。警備員からどうにか逃げおおせた後、先生は真剣な表情でこちらを見て、

「聖園君、三日だけ待っていて欲しい。三日で君の世界を変えてみせよう」

 突拍子もないのはいつものことだが、ミカはその言葉を信じた。魔女の烙印を押され破滅に向かっていた己を、それでも踏み止まらせてくれた人の言うことだから。その後各所を駆け回っているらしいということだけは聞いていたものの、先程ティーパーティーの会合に道場破りの如く入場して来たと思ったら、

「三日前の約束を果たしに来たよ」

 と、先述の法案に関する書類を広げてみせるのだから驚いた。危うくティーカップを落として割るところだったが、先生がキャッチしたのでセーフ。そしてとっくに一枚噛んでいたナギサとセイアから説明を受け、そのテストケースとしてミカの住居をシャーレオフィスビル内の空き部屋に移すことになったと聞かされ、

「聞いてないよ!?」

「だから今聞かせただろう。第一バレてしまってはサプライズにならないではないかね。何も知らないお姫様が、悪い魔法使いに攫われたと、そういうことだよこれは」

 という最高で最悪な開き直りと共に首を縦に振らされた。まあ、部屋はさすがに別だろうが、先生と一つ屋根の下というシチュエーションは素直に嬉しいし、自分の為にここまで手を尽くしてくれたことに感謝もしている。が、あまりにも突然過ぎて、今は戸惑いの方が大きく、素直にお礼を言うことも出来やしない。我に返ってみれば先生は他の二人と談笑中で、紅茶を飲む姿も様になっているのが凄くズルい。

「いやしかし、見事な手腕だよ先生。何しろ色彩の襲撃を跳ね除け、もはやキヴォトスで知らぬ者はいない程の人物の発案だ。世界を救った対価と考えれば、これでも足りないくらいだろうに」

「手札は切れる時に切ってこそだよ百合園君。連邦生徒会とて自らが発端となったエデン条約に絡む案件だ、口実としてはちょうどいいし、元よりシャーレの保有権限は連邦生徒会長と同等。これに表立って文句を言える者はいないだろうが、いたらいたで将来大物は確定だろう。見込みのある生徒がカチコミを掛けて来るかもしれないともなれば、やらない理由などどこにもあるまい」

「……普段が普段過ぎて失念しがちですけど、先生この手の交渉や根回しも得意ですよね」

「権謀術数が好きな輩に最も効果的なのは、最大の権力で上から殴り付けることだよ桐藤君。大義名分が整っていればなお良い。これで大抵の者は黙るし、それでもなお声を上げるなら建設的な議題として上訴すれば良い。そうでなければ単なる愚痴か参考意見に過ぎんよ」

「……いっそ特例措置として生徒になってトリニティ入りません? 先生なら十分ホストやれると思いますけど」

 半目で言うナギサに心底同意だった。

 エデン条約の件で権威が失墜したティーパーティーが主体で動けば、どんな案件であろうと邪推される。ただでさえ二人はこちらの減刑の為に奔走したのだ。その上でミカに得な規則を通せば、間違いなく学園内は荒れるだろう。これはシスターフッドや救護騎士団の発案であっても、結果はさほど変わらなかったはずだ。

 だが、それが先生の発案となれば話は変わる。

 セイアの言う通り先生の名は誇張も含め相当に広まっており、オマケに普段はキチガイだ。面白半分に首を突っ込む者はいても、正面から事を構えるような者はそうそういない。加えてトリニティのみならずキヴォトス中へ効力を発揮する法となれば、ミカの救済が目的でも明確な証拠にはなり得ない。アリウスという前例があるだけに尚更だ。ましてや連邦生徒会の承認があり、監査としてミレニアムやゲヘナの目もある。仮に問題が発生したとして、先生の人脈にはセミナーも風紀委員会も、万魔殿だってあるのだ。些細な問題ならそちらで片付けられるし、正式な陳情であれば先生とて耳を傾ける。そして万が一この法を潰せたとして、先生のみならず認可した連邦生徒会や他学園の面子まで潰すとなれば、損の方が大きいと馬鹿でも分かる。そうなれば問題は公的なものではなく、私的なミカへの嫌がらせとなるが、

「荷物は少なく、肌身離さず持ち運ぶと良い。携帯出来ない場合は金庫か信頼出来る者に預け、プライベートスペースを空にすることは避けたまえ」

 という先生のアドバイスに従った結果、今のところ被害はない。この会合時も例外ではなく、私物を全て詰めたバッグは椅子の下だ。今思うと法案可決と同時にこちらを連れ出す仕込みだった気がしないでもないが、何よりも最大の恐ろしい点は、

 ……こんな無茶な制度を三日で実現するとかどんだけかな?

 大人、という言葉の意味を深く思い知ったというか、この手の口先や交渉で先生を相手に回すのはぶっちゃけMURIだろう。ミカが不慣れだということを差し引いても、勝てる気が全くしない。よくこちらやセイアと一緒になってナギサをからかったりしていて口の上手さや頭の回転については分かっていたつもりだったが、見積もりが甘かったと言う他ない。というかそのくらいじゃないとエデン条約の時のあれこれ乗り切れてないよね。

 ともあれそんな訳で今日の会合は本来の目的をすっ飛ばしてこちらの送別会のようになってしまったが、あまり長引いても二人に迷惑だろう。特にナギサはほぼ単独でティーパーティーを取り仕切る必要があり、一分一秒だって惜しいはずだ。だがそれでも幼馴染であるこちらを素直に祝福し、

「今の身分であるからこそ、ミカさんに対しては何もしてあげられませんでしたが……、ええ、これで少しは好転してくれることを祈ります」

「学園内立て直しの一環として環境改善に注力する気でよく言う」

 ナギサが半目を向けるがセイアはどこ吹く風だ。こちらは曖昧な笑みを浮かべるしかないが、セイアの茶々は湿っぽい空気を避ける為わざとだったのかもしれない。

 そんな光景を先生は満足そうに、目を細めた優しい笑みで見ていた。

 やがて話も一段落したところで、挨拶代わりに放たれたのが最初の一言。席を立った先生は、二人にそれぞれ視線を向けて、

「百合園君、多少マシになったとはいえ、フィジカルに難があるのは変わりあるまい。問題や面倒事に限らず、何か困ったら気兼ねなく連絡を寄越すといい。幸い私は暇な身で、聖園君にチョイと抱えてダッシュしてもらえば、すぐに駆け付けられるだろう」

「気遣いありがとう。壁を壊さないように上手く宥めながらミカタクシーを乗りこなしてくれ」

 ひどー! と声を上げるが二人共笑うだけだ。そして、

「桐藤君、先日の件で流石に懲りただろうが、少しは周囲を信用したまえ。聖園君や百合園君、阿慈谷君に限らず君の味方は思っている以上に多い。それでもなお不安だと言うのなら、私に声を掛けたまえ。茶でも飲みながら一息入れれば気分転換にもなる」

「……そうですね。先生の手を煩わせるのは心苦しいですが、どうしようもなくなる前に頼ろうと思います」

「ナギちゃんならその三段階くらい前で頼っても良いと思うけどね」

 半目を向けられたが視線を逸らした。こっちに内緒で色々進めていたのだから、このくらい言う権利はあるだろう。そんなやり取りを見て笑いを一つ零した先生は、こちらの数少ない手荷物を持って、

「では私達はこれで。当面は毎日顔を出すつもりだ、フォローもするので思う存分やるといい」

 

     ●

 

 そんな訳で内心緊張しながらやって来たシャーレオフィスビル。幾度か先生を訪ねて来たことはあるが、あくまで一時的なものであり寝泊まりを前提としたものではない。しかも今回に限っては寝泊まりどころか、当面の間ここで世話になるのだ。つまりは同棲。いやいやちょっとそれは先走り過ぎ。だが着替えまで含めた全ての私物と共にここへ来たのは事実であり、共同生活という四文字が脳裏から離れないのはしょうがないよね。

「……とまあ、聖園君が使いそうな設備はこんなところか。これから案内して回るが、何かあれば遠慮なく言うと良い。実質私は執務室と併設の仮眠室くらいしか使っていないので、部屋は自由で構わないが決まったら一報を入れるように。門限や行動制限等も特にないが、遅くなるようであれば必ず連絡。曲がりなりにも私の保護下という扱いなので、手間だろうがそこは遵守してくれたまえ」

 という説明も「ハイッ! ハイッ!」と答えつつ右から左にならないようにするのが精一杯だが、いつでも確認出来るようにとモモトークで要点だけ改めて送っておいてくれる辺りがさすが先生。心臓バクバクでテンパってる私とは大違いだね! そんな調子で一通り敷地内を案内され、執務室までやって来る頃にはさすがに落ち着いた。だが代わりというように胸中を満たすのは、

「……本当に、上手く行くのかな」

 先生を信じていない訳ではない。だが、どうしても悪い考えが頭を過ぎるのだ。セイアと和解しようとして、しかし状況が悪化した時のように。信じた幸せが、己の与り知らぬところで壊されるのではないかと。そんな不安の発露に対し、先生は何でもないことのように言う。

「先程百合園君の要約では省かれていたが、基本的な預かり期間は一ヶ月。それでも改善が図れなかった場合、三大学園協議の上で期間の延長、最大無期限まで視野に入る。つまり聖園君を快く思わない連中が何かしたところで、聖園君の得になるようにしてあるのだよ」

 え? と顔を向けると、先生はしたり顔で頷いた。ジャケットを脱ぎ、ソファーの背に掛けながら、

「仮に一ヶ月大人しくして帰還後に動き始めたら、また私が保護下に置けば良い。ゲヘナとは違うので授業中にまで騒ぎを起こす可能性は低いし、表立って騒ぎを起こせば正義実現委員会やトリニティ自警団も黙ってはいまい。ならば休み時間さえやり過ごせばどうにかなるだろう。懸念があるとすれば机やロッカーの類だが、聖園君の私物は全て携行しているので被害はない。加えてあれらは学園の備品なので、修理や購入の経費は下手人を含めた全校生徒から徴収される。さてその場合、敵が多くなるのはどちらだろうね? そこまで考えが及ばぬ場合、身を以て知ることになるとは思うが」

 周到なのは頼もしいが、この先生悪役ムーブが似合い過ぎではなかろうか。さすが自称悪い魔法使い。だが心配事は次から次へと湧いて来るもので、

「じゃあ、ナギちゃんとセイアちゃんは? やっぱり負担は増えるよね?」

「先程釘を刺したし、後は当人次第だよ。まあ公的には歌住君と蒼森君に役割上フォローを依頼しているし、私的には補習授業部と羽川君、守月君と伊落君にも不穏や違和があればすぐ伝えるよう頼んである。元より私自身二日に一回はトリニティを訪れているし、去り際に告げた通り当面は毎日だ。ある程度問題が起きても収拾は可能で、最悪狐坂君か清す……、怪盗君と示し合わせて一騒動起こし有耶無耶にするという手もある。温泉開発部がゲヘナ所属でなければ適任だったのだが」

 周到過ぎて若干引いた。口を横に開いて半目を向けていると、苦笑した先生がテーブルに茶菓子を広げる。対面のソファーを手の平で示し、

「いくら環境を移したところで、聖園君の心が晴れないのでは意味がない。懸念や不安には最大限手を打っているので、テキトーに安心したまえ。そういう面倒なことは私の領分だ」

 軽く応じる先生の態度に、禁じていたはずの想いが再燃するのをミカは感じた。

「……どうして」

 零れ落ちた言葉に、先生が振り向いた。いつの間にか食玩の袋を片っ端から開封していたようで、両の手にキャラクターがプリントされたシールを握っていてビジュアルが酷過ぎるが、抱いてしまった疑念は止まらない。それは酷く単純な問いで、

「どうして、先生はここまでしてくれるの?」

 サオリを前に迷っていた己に掛けてくれた言葉は、今でもはっきり思い出せる。一度や二度の失敗で未来が閉ざされるなどあってはいけない、だから自分がその道をつけると、普段と変わらぬ尊大な口調で、しかし迷いなく断言してくれた。事実ナギサやセイアの尽力もあり、今なおトリニティに属することを許されてはいるが、本来ならもっと重い罰が下って当然だったのだ。既にパテル分派からの追放やボランティアの強制参加等公的な罰はあり、それでも納得の行かない生徒から様々な悪意を向けられるのは覚悟の上で、それでも十分だと思っていたのに。

 ……やり過ぎだよ。

 見れば分かる。オフィス内の書類はいつもの五割増しで積み重なっていて、ゴミ箱だって携帯食料やゼリー飲料のパッケージが溢れ掛けている。デスクの椅子にはシワだらけのシャツやジャケットが掛けたままになっているくらいだ。片付けて誤魔化す時間すら惜しんで、彼女は己を迎えに来たのだろう。この三日間、正確には二日半、どれだけ動き回っていたのか察せない程馬鹿ではない。

 浮かれた気持ちなど、オフィスに入った時点で吹っ飛んでいた。

 そして、そうされるだけの理由が自分にはないはずだ。

 短い、だけど言葉にしきれない感情が篭った問い。それが通じたのか、シールを置いた先生は、こちらに向かって手の平を見せ、

「少々時間をもらいたい。私だけの問題ではないのでね」

 と素早くスマホを操作し始めた。そのまま耳元に運び、ものの数秒で相手が出たのか、彼女は窓の外を見ながら、

「ああ、すまない錠前君。今取り込み中かね? ……傭兵業で他所のヘルメット団を鎮圧中? すぐ片付けるから五分待て? ははは気遣いは無用だよ、すぐに済む用件だ。単刀直入に言うと例の件で現在シャーレに聖園君がいるのだが、君が秤君の件で私に頼みに来た時のことを話していいかね?」

 スピーカーから何かが爆発したような音が聞こえた。が、先生は微動だにせず平然と、

「何? いきなり過ぎて手元が狂った? 危うく自爆するところだった? 意外とそそっかしいね君は。戦場では何が起きるか分からないのだから気を付けたまえよ」

 理不尽だ……、とサオリへの同情混じりに事の次第を見守っていると二、三言交わしてから通話が終わった。こちらに手を上げ、対面のソファーに座るよう促しながら、

「では許可が下りたので話を進めよう」

「ホントに許可されたのかな……?」

「あとは私と錠前君の問題なので気にする必要はない」

 何だか一気に気が抜けた。少し前までの思い詰めていた私は一体どこへ。シリアスが長続きしないタイプだとは自認していたが、上には上がいるなあとしみじみ。あと今後サオリに会う機会があったら謝ろう。ひとまず座り、同時に気になったことを尋ねておく。

「脱線ついでに質問なんだけど、サオリ達は保護しないの? 今の口ぶりだと知ってるんだよね?」

「錠前君やスクワッドの面々は、確かに苦労しているがドン詰まりという程ではないそうでね。甘えてしまいそうだし、本当にどうしようもなくなるまでは自力でやってみたいと言うので、当人達の意思を尊重した。無論やり取りは欠かしていないし仕事も斡旋しているので、危険だと判断すれば即座に介入するが」

 逆説的に今の自分が甘えていると証明されて軽く死にたくなった。が、先生はいつの間にか淹れた紅茶をこちらに差し出し、

「さて本題だ。何故私が錠前君の頼みに応えたか分かるかね?」

「それは……、先生は生徒の味方だから、じゃないの?」

 カップに口を付けつつ、本人が常々公言していることを返しておく。多分違うだろうな、とは思いつつ、しかし他に心当たりがないのも事実だ。そうでなければ聞いてない。だが先生は深く頷き、お茶請けに用意した白黒二色のクッキーをこちらに見せ、

「ふむ、では逆に問おうか」

 一息。

「今回の件は、言ってしまえば生徒同士の問題だ。発端や経緯まで含めてね。その場合私はどちらに肩入れしても、生徒の味方という宣言と矛盾する。これを聖園君はどう思うかね?」

「……え?」

 言われてみるまで気付かなかったが、確かに先生の言う通りだ。今回の場合先生はこちらの味方をしたが、それはつまりミカを快く思っていない生徒達の味方をしなかったということになる。いやまあ、確かにあの所業を見て向こうに味方しようと思う者は少数派だろうが、

「原則として先生は生徒の味方。だから外ではこういった場合、下手に干渉せず全体への注意喚起だったり、我関せずと事が収まるのを待つのが大半だ。他人の人生を左右する咎など、誰も負いたくないだろうからね」

 だが、と先生は口元を歪ませてこう言った。

「──馬鹿馬鹿しいと思わないかね?」

 

     ●

 

 いいかね? と先生は言う。

「私とて人の子だ。理性があり、感情があり、意思がある一個人だ。故に私人としては特定の誰かに肩入れもするし、公人としてはそれを表にしないよう振る舞いもしよう」

 だが、

「何もせずとも壊れる心がある。失われる命がある。閉ざされる未来がある。ならば何もしない保身より、介入し責任を負うことを選ぶよ私は。それが依怙贔屓だの何だのと言われようとも、ね。元より教員となった時点で、生徒の未来を左右する責任などとっくに背負っている。あの時ああすれば良かったなどという後悔は、人生において最も重い楔だよ」

 言われてミカは思い出す。かつて聞いた先生の過去。失うことでしか気付けず、莫大な後悔を得たという転機を。それがこちらの表情から伝わったのか、先生は苦笑を深くし、

「私とて出来は良くない。頭脳明晰で弁が立ち運動も得意で容姿も優れて性格も非の打ち所がないと自負しているが、──不良なのだ」

「ツッコミ待ち?」

「本心だとも」

 親指を立てられたので半目で同じように返しておく。そして先生はクッキーを二つに割り、

「確かに私は生徒の味方を宣言しているし、そのように振る舞ってはいる。だが状況的にそれが出来ないことは、幾度となく発生するだろう。だからそうなった時、私は己が思う通りに行動する」

 いいかね? と二度目の前置きを先生が作る。

「──正しくないのだ」

 そうだ。

「一般的に見れば正しくない。だが葵・硝子という一個人としては、間違ってなどいないと胸を張って言える。後悔を得ぬよう全力を尽くし、失わせないよう最大限努力する。それが私が私自身に課したたった一つのルールだよ。シンプル極まりない、だがそれ故に屈さぬ意思だ」

 だから、

「あの時、錠前君は秤君を救いたいと言った。かつて己が殺そうとした相手に頭を下げ、己の命さえ交渉材料として頼み込んで来た。何に代えても大事な人を救いたいという願いに、間違いなどありはしない」

 そうだろう?

「だから私は彼女に応えた。命を捨てるな、死ぬ気で生き延びろと告げた上でね」

 それは、己にも向けられた言葉だ。サオリ達を守る為、一人敵を足止めすると宣言した際、去り際に先生が残して行った言葉。その一言があったからこそ、限界を超えてなお戦い続けることが出来た。

 それはきっと、サオリも同じだったのだろう。

 聞く耳を持たずスクワッドを追撃する中、サオリは一人でこちらを足止めしようとした。こちらがどれだけの暴威を叩き付けても、最後の最後まで足掻き抜いた。結果的に先生達の介入もあり事態は収まったが、あの時のサオリはかつてない程に強かった。

 あれは、犠牲になろうとしたのではない。己の選択が、行動が、必ず友を救う一助になると、そう信じて生きに行ったのだ。

 死を恐れないことと、死を選ばないことは両立する。その一見背反にも思える一念が、何よりも強いことをミカは知っている。

 己を討って終わりにしろと言ったサオリの真っ直ぐな目を、ミカは最後まで負かすことが出来なかったのだから。

「聖園君、君は確かに不良だ。いや、君の言い方だと悪い子だったか。だが、不良と悪はイコールではないことを覚えておきたまえ」

 そして、

「不良とは出来の悪い者だ。普通とは違う逸れ者だ。だが正しくないことを正しくないと、己の信念を間違いではないと、そう宣言出来る者だ」

 いいかね? と割ったクッキーの半分、白の面をこちらに渡して、

「正しくなくとも間違いではない、そう胸を張って言えるものを見付けるといい。それは必ず、如何なる苦境にあっても、君の支えとなり誇りとなるだろう。君は既にそれを知っていて、その一端に触れているはずだ」

 何故なら、

「そういった矜持があったからこそ、君は一人でも戦い抜けたのではないのかね?」

 

     ●

 

 思い出すのは、一つの過去。

「さて、一つ問わせてもらおうか。──私の大事な生徒に何をしている貴様等、と」

 傷付き倒れた己の元に駆け付け、その献身を労った直後のこと。

「……聞こえなかったのかね? 答えたまえよ、この私が問うているのだぞ」

 こちらを庇い前に出て、今まで一度も聞いたことがないような底冷えする声で。

「──私の大事な姫君に何をしている貴様等」

 

     ●

 

 ……ああ。

 ミカは、今更ながら理解した。

 あの時、目の前に立ってくれた背中があれだけ大きく見えた理由。

 自分ですら追い込まれる軍勢を相手に、怯むことなく啖呵を切ってみせた理由。

 相手がどうとか、勝ち目がどうとか、関係ない。ああすることがあの時の先生にとって、唯一無二の選択肢だったのだ。

 ……そっか。

 知っている。己の奥深くに刻み込まれている。よく頑張ったと、こちらを褒めてくれた手の温かさと共に覚えている。

 誰も幸せになれない結末より、誰かが救われる未来を夢見た。

 だからサオリを赦し、身を挺して戦い、彼女の願いへの道をつけた。

 直前まで殺してやろうとさえ思っていた相手の為に傷付いて、ボロボロになって。

 正しくない。誰もが幸せになることは出来ず、限られたパイを奪い合うのが当たり前なのに。

 だけどそれは、聖園ミカという一個人にとって何も間違いなどではなかった。

 過ちを赦し、幸いであれと、尽力したことは決して間違ってなどいなかった。

「ありがと、先生」

 あれは、あの時限りの想いだ。だがまた同じ状況に直面した時、己は同じ選択をするだろう。

 正しくないけど間違いではないと、前を向いて生きに行くだろう。

 それを、常なるものとして掲げられるようになれと、彼女はそう言っているのだ。

 途方もない。仮に見付けたとて彼女のようにはなれないし、揺らいで不安になることもあるだろう。

 だけど、自分にそれを見せてくれた彼女がいれば。

 今なお迷うことなく己を通し続ける彼女がいれば。

「これからも頑張れそう」

「うむ、聖園君はやれば出来る子だ。いずれ大物になると保証しよう。私には及ばんがね……!」

「わーお、上げて落とすとか酷いね先生!」

 釣られるように笑ってしまって、そう出来ている自分に少しだけ驚く。だけど先程までの不安や疑念は、すっかりどこかに行ってしまっていて。

 ……ありがとう、先生。

 彼女と出会えた幸運を、彼女が味方でいてくれる幸せを、ミカはただ感謝した。




おだてると続きが増えるそうです
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