「先生、いらっしゃいますか?」
そう声を掛けつつ、ナギサは室内を覗き込んだ。
十メートル程先、探し人はそこにいた。ジャケットを脱ぎ、袖を捲って機材を弄っていた後ろ姿が、振り向いてこちらを認め口元を緩める。手招きの動きに会釈を返し、心持ち早歩きで近付くと向こうも立ち上がって、
「やあ桐藤君。アポなし突撃とは珍しいが、何か急ぎの用件でも?」
「あ、いえ。ミカさんにティーパーティーの書類を届けに来たのですが、先生にもご挨拶をと思いまして」
「律儀なことだね。とはいえその辺り疎かに出来ないのが桐藤君の美点でもあるか」
苦笑し、一息ついた先生が言った。
「──感謝である」
「……礼を言われるようなことはしていませんよ?」
「公務で多忙な中、取り立てて用もないのにわざわざ時間を割いてくれた意味が分からぬ程、野暮ではないつもりだが?」
「……やっぱり先生は意地悪です」
抗議のジト目を向けてみても、大人は悪びれもせずに笑うだけだ。傍らの椅子を指差し、作業に戻る背中越しに、ナギサは改めてそれを見る。
組み立て中らしきアーケードゲームの筐体を、だ。
シャーレオフィスビル内の娯楽室、その一つ。先生が趣味で買い漁った型落ちのゲームが大量に設置されていて、自称部員からは直球で「シャーレのゲーセン」と呼ばれている場所だ。元々多芸かつ投資を惜しまない性格の為、目的に応じた部屋が多重に乱立しているのがシャーレの敷地内であり、
「知識として知ってはいましたが、本当にシャーレは奥深いというか、懐の広い場所ですね……」
「素直にカオスと言って良いのだよ? 節操なしなのは自覚しているのでね」
確かに燻製専用の部屋まであるのはちょっと普通じゃないとは思う。下層には娯楽用と別で「訓練用」と書かれたプールがあったり、建物の裏手には畑もあったりで自由が過ぎる。かく言うナギサもアトリエや厨房を利用しているのであまり言えた義理ではないのだが。
そんなこちらの内心を見透かしてか、ディスプレイを設置した先生が室内を見回す。自分達しかいない室内の静けさを埋めるように、様々な電子音を奏でる筐体群を眺め、
「まあ、確かに桐藤君にはあまり馴染みのない場所ではあるね。百合園君辺りは度々出入りしているが」
「……セイアさんが?」
「バカンスの時、友人から教わったと言っていただろう? あの時交友を持った面々の作品が置いてあると知って以降、ちょくちょく顔を出すようになってね」
ほら、と示された先を見れば、ドット絵のプリントされたプラスチックカバーの隅に、小動物を模したロゴがある。第五特務であるアリスの所属団体、ゲーム開発部のものだ。確かに注意深く観察してみれば、他の筐体と比べてサイズが一回り小さかったり、電飾などの飾りが少なかったりと、一般的な市製品ではないことが分かる。だが、遠目に見る分にはさほど違和感もないくらいには仕上がっていて、
「こういったものは、業者にしか作れないものかと思っていましたが……」
「そこはそれ、シャーレのコネと伝手というものだ。中身のゲームが自前で用意出来るなら、ガワだけ発注すれば良いのだからね。茶葉とて大手の商業ルートに限らず、小口の輸入出でやり取りされるだろう?」
成程、と頷きを返し、少し周囲を見て回る。こういった娯楽に疎い為詳しいことは分からないが、分かる者には堪らない品々なのだろう。世界は広く、自分には想像のつかないようなものが幾らでもあるのだということは、このところで身を以て学ばされてばかりだ。ナギサ自身も紅茶や絵画など嗜んではいるが、もう少し幅を広げるべきだろうか。幸い先生はこの手の趣味に強いし、あわよくば色々とレクチャーしてもらえるかもしれない。本題そっちのけになりそうなのが難だが。
「……と、あら?」
ふと、異質なものが目に入り足を止めた。
壁際に設置されたデスクの上に、一冊のノートが広げられている。忘れ物か何かだろうかと近付いてみれば、中には落書きや情報交換の走り書きなどが書き連ねてあり、
……あ、この文字はセイアさんですね……。
隅の方に小さく五日前の日付と共に「6面B、六十二万点」と書かれていて、それらに矢印を引っ張って激励や応援のコメントが記されている。記名もなく、誰が書いたかも分からないものだというのに、それが当然であるようにエールを送っていて、
「気になるかね?」
背後から掛けられた声に、危うく飛び上がり掛けた。
「……心臓が止まるかと思いました」
「別段気配を殺していたつもりはないのだが、随分と熱心に見入っていたようだね」
隣に立った声が、先程まで触れていたノートのページをめくる。慣れた手付きで流されて行く過去のページにも、似たような書き込みやイラストなどで埋め尽くされていて、
「今のご時世オンラインで幅広い層に向けて発信することも容易となっているが、こういったローカルな繋がりも悪くないものだよ」
そうなのだろうか、とナギサは思った。
わざわざここに通わなくても、SNSなどを通じて同じことは出来るだろう。ゲームだって、わざわざ硬貨を投入してプレイしたところで、一時の楽しみしか得ることが出来ないのなら、買い切りの物を買った方が良い。
……ですが──
「そういうもの、なのかもしれませんね」
自分もまた紅茶を嗜み、最近シャーレへの出入りが増えた身ではあるが、同じことなのかもしれない、と。
紅茶を飲むだけなら、淹れ方や条件を変えない限り味は変わらない。
言葉を交わしたいだけなら、電話やモモトークでも十分に事足りる。
ならば何故茶会を開いたり、わざわざここへ足を運ぶのかといえば。
……そこでしか得られないものがあるから、ですね。
シャーレに足を運んでみても、誰がいるかはその時々による。飲む物だって紅茶に限らないし、先生の気分で変わった品が出されることもある。特にお茶請けはその傾向が高く、紅茶とセットで食玩付きウエハースチョコが出された回数はそろそろ三桁の大台に突入する勢いだし、酷い時はシロコが釣って来たばかりの魚で作った刺身が出されたりもしたが、
……自分の部屋や、ティーパーティーの居室で一人でいては、決して経験出来なかったことです。
経験して良かったのか、という言及は避ける。先生の不規則言動については習性のようなものですし、昨今役職者の皆さんに伝染している感もかなり。だがプラスもマイナスもひっくるめて、後から振り返ってみれば楽しかったと、そう言えるのは確かなのだ。今日は何があるだろう、どんな日になるだろうかと、まだ見ぬ未来を期待出来る。不安も心配もなく、好奇心任せに、ただこの先を思っていられる。
一切代わり映えのないプラマイゼロの日々に比べて、どれだけ芳醇なことか。
このノートも同じこと。この時、この場所でしか得られないもの。その全てとは行かずとも、断片がここに残されて、次の誰かへと繋がって行く。
場違いかもしれないが、ナギサはふとそんな感想を抱いた。
規模も程度も違うものの、先生の言う「失わせない」という、一つの形がこれなのかもしれない、と。
「……随分と柔らかい表情だが、何か良いことでもあったかね?」
首を傾げ問うて来る先生に、ナギサは笑った。腰の後ろで手を組み、肩で先生を小突きつつ、
「あった、のではなく、あるんです。いつだって、どこにだって」
言うと、先生が眉を上げた。ややあって、苦笑と共に混ぜるように頭を撫でられ、、
「存外、人生の楽しみ方をよく分かっているようだね?」
「身近な見本が参考になり過ぎるから、かもしれません」
言うものだ、とノートを戻した先生が踵を返した。作業の方は大詰めに入っているらしく、散らばっていたパーツや配線類は元々一つであったようにパッケージングされている。それを見たナギサは脳内で今日の予定を思案し、その背中を追って、
「先生、……よろしければ、私も挑戦してみて構わないでしょうか?」
お、と足を止めた先生が振り向いた。虚を突けた、という悪戯に成功したような笑みが自然と浮かび、隣に追い付いて、
「セイアさんも嗜んでいらっしゃるようですし、きっとミカさんも少しは手を出しているのでしょう? 私も触れるには良い機会だと思いまして」
告げた先、先生が考えるように腕を組んだ。傍らの筐体とこちらの間で視線を往復させ、
「こいつは他のゲームとは毛色が違うのだが……、まあ入門としてはちょうど良いか。仕上げと動作確認が終わるまで待ってもらえるかね?」
「ええ。今日は午後からティーパーティーの業務を行う予定ですが、シャーレでも対応可能な案件なので」
「なら昼食は共にいただくとしようか」
「ふふ、喜んでご相伴に与らせていただきます」
作業の為避けられていた椅子に座り、先生の作業を見守る。相変わらず詳しいことは分からないままだが、それでも楽しい時間だと、そう言える一時だった。
●
シャーレ地下のガレージに車を止めたセイアは、最近の習慣であるゲーセンへと足を向けていた。
階段を使いたいところではあるが、さすがに十階単位となると厳しい。無用な消耗を避ける為という大義名分で、今日もエレベーターの世話になる。
なった。
進む廊下は、壁の大半がガラス張りだ。古風な建築様式の多いトリニティからすれば、よくもまあこれで強度が確保出来るものだと感心させられる。実際窓越しに差し込んで来る昼前の日差しは心地好いものだし、夜景などを見る分には良い塩梅だろう。時たま高層では展望台代わりにしてはしゃいでいる生徒もいる辺り、そこまで考慮された設計なのかもしれない。
……先生のことだから、増築改築の類も平然と実施しそうだからね。
自由な人だ、と吐息を零しつつ歩を進める。財布から取り出した硬貨をトスし、目を切ってキャッチ。初めて挑戦した際は回らないわキャッチし損ねるわで散々だったが、さすがにもう慣れた。こうしていると歴戦のプレイヤーになったようで格好良い。見栄えは大事だからね。
二度、三度と繰り返しつつ財布を仕舞う。連コインはしない。最悪の反例がガチャポンの筐体に対してセミになっているのを何度も見ているから、というのもあるが、単純にセイアのプレイスタイルと噛み合わないからだ。
ワンコインクリア。一度の挑戦で全てを攻略するというのが、己の当面の目標だった。
前回の挑戦は五日前。そろそろクリアが見えて来るところまで到達しているともなれば、自然と足取りは軽くなる。ゲーセンももう目の前だ、この角を曲がったらあと少しで、
「おや」
「あっ」
自分と同じ方に進んでいた後ろ姿が、声に気付き振り向いていた。表情を綻ばせた彼女は、足を止めたこちらへと駆け寄って来て、
「やっほーセイアちゃん。こんな時間から来るなんて珍しいね?」
「やあミカ。今日は午後に用事が固まっているから、先にこちらに来ようと思ってね。そちらは?」
あ、うん、と手に抱えていたファイルを掲げ、ミカが笑いながら言う。
「ナギちゃんの持って来た書類でちょっと分からないところがあってさ。ゲーセンにいる先生のとこに顔出すって言ってたから、まだいるなら直接聞いた方が早いかなー、って」
「ミカらしからぬ勤勉さだね。悪いものでも食べたか、はたまた明日は大雨か。……車を置いて電車で帰った方が良さそうだ」
「むっ、私だってシャーレの活動を通して色々成長してるもん」
頬を膨らませながら言う友人は、確かにこのところ色々と挑戦し、少しずつ学びを得ているらしい。先生に褒めてもらいたい、という動機こそ相変わらずだが、シャーレの副長としての実績は確かなものだし、良いことだとセイアは思う。住み込みということもあり、対策委員会や便利屋68などの資金難組を除けばトップクラスの働きぶりだそうで、
……それらの実績が、彼女への悪評や偏見を変えることにも繋がる、か。
頑張り過ぎるのが難ではあるが、ホシノやヒナという友人も出来た。先生もいるから大丈夫だろう。なので釘を刺すこともなく、ゲーセンの方を指差して歩みを再開。
「セイアちゃんはいつもの?」
「ああ。先生やユズの指導もあって、そろそろワンコインクリアが見えて来てね」
「おー、凄い凄い。確か最高難易度でしょ?」
「勉学であっても娯楽であっても、反復による訓練は体得への近道だ。毎日通える程暇な身ではないが、だからこそ一度の挑戦に集中出来るというものだよ。自室に置ければベストではあるが、それはそれで緊張感がない」
「……合間を縫って頑張ってる、で済む話をどうしてそう回りくどく出来るかなあ」
「長く難しく物が言えると賢く見える、という訓示もあるくらいだ。ミカも少しは見習えば、シロコに先輩扱いしてもらえるのではないかい?」
「むっか、絶対今のままで認めさせるもんね……!!」
口喧嘩のような応酬も慣れたもので、言葉とは裏腹にミカの声は弾んでいる。私もそう聞こえていれば良いが、と決して口には出来ないであろうことを思いつつ。並んで入口を潜り、さて先生はどこだろうかと視線を巡らせて、
「あっ、せ、先生!! どうしたら良いんでしょうか!? 私、こんなの初めてで……!!」
「落ち着きたまえ。一度スティックから手を放し、中央のボタンを……、いや、そっちではなく、そう、そこだ、それを一思いにグッと奥まで」
何か、正気を疑う光景が見えた気がした。
「……ねえ、セイアちゃん? もしかして私、夢を見てるのかな?」
「そうなのだとしたら、複数人で全く同じ夢を見る確率がどれ程のものか計算しないといけないね」
結果はほとんどゼロに等しいだろう。つまりこれは現実。今日のキチガイタイムの始まりか、と内心身構えつつ寄って行けば、
「……おや、聖園君に百合園君。この場で見るのは珍しい組み合わせだね」
と振り向くシャツ姿の先生の傍ら、大画面を前にコンソールパネルの操縦桿を握り、おっかなびっくりボタンを叩いているナギサがいる。映し出されているのはトリニティの街並みだが、見下ろす建造物が指先程のサイズしかない。つまり超高空。画面の中央には船のような機械がスラスターを噴かしており、つまり一言で纏めると、
「フライトシミュレーター、というやつだ。奥空君や棗君など搭乗型の車両を使用する生徒はそこそこいるが、実際に動かすには燃料やら整備やらの手間がある。なのでゲーム感覚で訓練が出来れば、とエンジニア部やヴェリタスと素体を作っていてね。──テストケースとしてウトナピシュティムの本船でキヴォトスを飛び回るプログラムを組んでみた訳だ」
キヴォトスを救う一手になったオーパーツが教習所のシミュレーターに転用されているとか、設計者は泣いて良いのではないだろうか。
「……先生の突拍子もない発想は毎度のことだが、モノがモノだけに実用性がないのではないかい?」
「あくまでお遊びのテストケースなのでね。一旦設置してみて、好評なようなら各種車両対応版を順次増やして行こうと考えている。ちなみにテストプレイを担当してくれたゲーム開発部の諸君には大好評だったよ。天童妹君が頭を抱えていたのが謎だが」
その光景を想像するのがあまりに容易過ぎたので、セイアはそれ以上考えるのをやめた。ひとまずキチガイは置いておいて、問題は前のめりで空の旅を楽しんでいる、
「ナギちゃんがこの手のやつに興味持つんだ……」
「百合園君が最近ここに通っていると聞いて、見識を広めるべく触れてみたいと言われてね。仮想空間の遊戯という意味では満点の入門編だろう?」
「それ自体は良いことだと思うが、……確かナギサは九時過ぎにはシャーレに到着していたはずではなかったかい?」
壁際の時計を見てみれば、時刻は既に十二時前。ミカとのやり取りがあったとしても、二時間近く貼り付いている計算になる。それだけこのゲーム……、とりあえずはゲームで良いだろう。ともあれコレが面白く、夢中になっているのは構わないのだが、
「ティーパーティーの仕事が控えていることを考えると、さすがにそろそろ昼食の時間ではないかい? よもやインスタントで済ませる訳ではないのだろう?」
「下拵え自体は設置前に済ませているので十五分もあればお出し出来るが、……急いで掻き込むというのも行儀が悪いか」
こちら同様、時計を一瞥した先生が肩を竦める、ナギサの肩に手を置き、軽く揺すりながら、
「桐藤君、お楽しみのところ申し訳ないが店仕舞いだ」
「え!? もう終わりですか!? ようやく機動中の超信地旋回のコツが掴めて来たのですが……」
「何かしれっとパワーワード出て来てないかな?」
ミカが半目でツッコんだが先生もナギサも無視した。
「そこまで気に入っていただけたのなら開発者冥利に尽きるね。礼と言ってはなんだが、自宅でも楽しめるよう後でコピーを贈らせてもらおう。操縦桿のスティック型デバイスも、テスト用のお下がりで良ければ差し上げるが」
「良いんですか!?」
「……ここまで食い付いているナギサを見るのは初めてかもしれないね」
「うん、こんなに目をキラキラさせてるナギちゃんは小等部以来じゃないかな……」
さしものミカも、翼をパタパタさせながらスティック型デバイスを掲げ持つ程ハイテンションなナギサはレアらしい。コレがデフォルトで堪るか。いや、まあ、ティーパーティーのホストでもトリニティの模範生でもない素のナギサがナチュラルに出ていると考えれば良いことなのだが、夏のバカンスで色々悩んだのが馬鹿馬鹿しくなって来るのは心が狭いだろうか。
……とはいえ、過程などどうでも良いことか。
水着じゃなくて下着だと思えば下着、などという台詞を残して行ったかと思えば、エデン条約の行く末をひっくり返したような大人だ。一々気にするだけ無駄だろう。失わせないという結果の為なら、ありとあらゆる手段を用い無茶苦茶な過程も是とする、それ故の悪役なのだから。
ならば今は、深く考えず楽しめばそれで良い。
「はあ……。こんな楽しみが出来てしまった以上、本日の業務は迅速に片付けなければいけませんね……」
「桐藤君、テンション高めなのはとてもよく分かったのでスティック握ったまま手を上下に振るのはやめたまえ。デリケートなのだよそれは」
「最後の一言の言葉選びを鑑みるに先生も楽しんでいるようだが。……私も今後はスティックを一層優しく扱うとしようか」
「はいナギちゃんストップ!! 二人が変なこと口走る前に手を放す!! 没収!!」
「? 変なこと、とは一体……。あ、ああっ!! 返してくださいミカ!! 私のスティック!!」
「ははは見たまえよ百合園君、桐藤君が私の使い込んだスティックを求めてムキになっているよ」
「ははは運が良かったね先生、先生が男ならその場で張り倒されてもおかしくないよその発言は」
二人を宥めずこんなやり取りしてる私も大概だがね。
●
その後、休憩や隙間時間の大半をフライトシミュレーターに注ぎ込む程ハマったナギサが正気に戻るまで、ミカのツッコミが絶えることはなかった。