「せーんーせーいー!!」
執務室のドアを蹴破る勢いで開け放ったセリカの声に、先生が顔を上げた。その僅かな動きに机上で縦に十個くらい積み上げられていたシュガースティックが倒壊するが、彼女は気にした風もなく、
「おや黒見君、見るからにご機嫌ナナメ四十五度といった風情だが何事かね?」
「その原因がいけしゃあしゃあと言ってるんじゃないわよ!!」
大股でデスクに歩み寄り、天板を勢い良く叩いた。
同時に叩き付けられたのは一枚の紙。書類やプリントなどでよく見るA4用紙だ。シャーレにおいては日常的に触れる機会のあるものだが、問題はその中身であり、
「人のバイト先にドローン飛ばして来たと思ったら何よこれ!!」
指差した先には、先生の筆跡で手書きの一文。それを覗き込んだ先生が二、三と頷いて読み上げる。
「バイト店員である黒見セリカ君が愛情たっぷり丹精込めて作った柴関ラーメン、大盛りで一丁よろしく頼む。……どこからどうみても注文票だね?」
「シャーレからアビドスまでドローン飛ばして注文するなああああ!!」
至極真っ当なセリカのツッコミに、しかし狂人が首を傾げた。背後、遥か彼方のアビドス自治区を指し示して、
「とはいえ柴関で出前はやっていないだろう。そうなれば直接足を運ぶしかない訳だが、年末を前に書類が山積状態。そこでふとシャーレの備品である高性能ドローンの存在を思い出し、これは使わない手はないと思ってね?」
「思ってね? じゃなーい!! というか公私混同しない!!」
後者に関しては今更過ぎる気もするが、あまり深く追及すると自分達への援助や助力はどうなんだと藪蛇になりそうなのでスルー。この大人の場合そうなっても息を吸うように屁理屈と暴論で押し通しそうなのが難だが。しかしまだツッコミどころは尽きず、
「そもそも形容詞がおかしいでしょ!! 何よこの私があ、あ、あい……」
「愛情たっぷり丹精込めて作った柴関ラーメン」
「平然と言うなああああ!!」
襟首掴んでガクガク揺さぶってもキチガイは笑っていた。一方的に頬へ熱を得ている自分が単純過ぎるのか、向こうがイカレてるのかどっちだろうか。両方、と即答するアビドスの面々が一瞬脳裏を過ぎったが、色々とヘコみそうなのでそれ以上考えるのをやめておく。
深々と溜め息を吐いていると、まあまあ、と平手を立てた先生が、
「落ち着きたまえ黒見君、気の置けないコミュニケーションは望むどころではあるが、スーツの生地が伸びてしまうよ」
「何で頭おかしいのに身嗜みはキッチリしてるのかしら……」
「人間中身が大事と言えば聞こえが良いが、第一印象が後々まで尾を引くことも否定出来まい。先生という立場上、その辺りはキッチリしておかねば」
それが分かっているのに何故奇行を改める気が一切ないのだろうか。というか初対面であれだけブチかましておいて言えた義理か。
……まあ、今更マトモになる方が心配だけど……。
キチガイムーブのない先生とか想像するだけで寒気がする。全会一致で病院に叩き込み精密検査を受けさせること間違いなしだ。
「何やら不穏な想像をしていないかね」
「だ・れ・の・せ・い・よっ!!」
ツッコミの手刀を連打で叩き込むと少しだけ溜飲が下がった。数秒後、リクライニングを限界まで倒して仰け反っていた先生が額をさすりつつ戻って来て、
「というか黒見君、何故ここに?」
「……あんなメモ書き届けた張本人がそれを言う?」
「いやそういう意味ではなく。……いつものパターンであればまだ就業中ではなかったかね?」
先生が視線を飛ばした先、壁掛けの時計は午後八時半。ピークは越えたとはいえ夕食時、飲食業にとっては稼ぎ時だ。そんな人手が必要な時間帯なのに何故、と問うて来た大人を、セリカは呆れ全開の目で見遣る。
……相変わらず自己評価低いのが腹立つわー……。
先生が生徒の助けになるのは当然だが、その逆は否である。故に人格破綻者たる大人の己を、好き好んで助ける者はいない。
と、何の混じり気もなく心底本気で思っているというのが、悪役とかキチガイとかエクストリーム狂人以前の、先生の最大の欠点だとセリカは思う。
恥ずかしながら色彩戦直後、シロコに打ち明けられるまで気付かなかったものだが。思い返してみればこの大人は、己の能を誇示することはあっても、己が成したことを誇った場面は一度も見ていない。
ホシノを救った時も、シェマタの一件を収めた時も、聞いた話ではエデン条約やエリドゥの時でさえ、礼を述べる生徒達に返す言葉は決まって一つ。
先生なのだから当然だ、と。
彼女にとって先生というハードルがどれだけ高いものなのか、セリカは想像の範疇でしか知らない。
だが、キヴォトス全土を襲った色彩の件を、自分の命すら賭け皿に乗せ最大限の解決を図ってなお。
二人も失わせた、と己を責めるくらいには責任感が強いのだ。このお人好しは。
十分よくやっただろうに、取り零してしまった己を赦せず嫌悪する、甘いにも程がある馬鹿なのだ。
最近その片方は帰って来たし、もう一方もシェマタの件の後墓を作ったりで区切りを付けたようだが、それでも己を低く見積もる部分は変わっておらず。
出前用にドローンを飛ばした程度で、わざわざバイトを中断してセリカがシャーレにやって来るという、馬鹿でも分かる理由が全く分かっていないようで。
……何でこう、変なとこで頭が悪いのかしら……。
普段は異常なほど切れ者なくせに、とジト目で思う。もっと自信持ちなさいよ、とも。シロコ曰くこれでもマシになった方だというのだから末恐ろしいが、少なくとも先生にとって自分は彼女よりバイトを優先すると思われている訳だ。改めて成文化すると無性に腹が立って来たが、これはセリカが怒りっぽいのではなく、誰だって同じことを思うだろう。少なくとも自称部員の連中は残らず首を縦に振るという確信がある。
やってしまえと、半目で親指を立てるだろう、と。
即ち、言って分からない馬鹿は実力行使で分からせるという
腹は決まった。元よりその為に来たのだから。故にセリカは傍らに放り出したスクールバッグを漁りつつ、
「大将に送り出されたのよ。こっちは良いから先生に出来立てを食べさせてやれ、って」
「……被雇用者なら就業時間は順守すべきでは?」
「今から戻っても店閉まっちゃうわよ」
横目で言い返し、タッパーに詰めて来た麺や薬味、スープ入りの魔法瓶を手に踵を返す。
「作ってあげるから、大人しく待ってて。頭おかしいのはナシで」
「頭おかしい、というのが理解不能だが、そうだね。静かにシュガースティックで黒見君の似顔絵でも作りながら──」
「却下!!」
下のコンビニで買って来た紅茶のペットボトルを投げ付けてから、セリカは足早に給湯室へと向かった。
●
「しかしまあ、シャーレで柴関ラーメンを食べるというのもなかなか不思議な感覚だね」
応接用のテーブルセットに向き合って座り、ラーメンを啜る午後九時前。先生にもらった燻製卵と、自分で燻した卵を食べ比べていると、不意にそんな言葉が耳に入った。面を上げれば、丼に視線を落としている先生がいて、
「言ってくれれば今回みたいに用意するのに……。前にもあったでしょ?」
「確かにその通りなのだが、柴関は店の雰囲気も気に入っているのでね。あの場所で食べてこそ価値がある」
勤め先が褒められると嬉しいものだ。アビドスと関わりを持って以降度々通っているのは知っていたが、それが社交辞令でないということに安心する。セリカにしても先生と打ち解ける一連のスタートが柴関なので、感慨深いものはあるのだ。まあ現場の店舗吹っ飛んだけど。
「それに、大将と黒見君の話も出来るからね」
「えっ」
不意の一言に動きが止まった。慌てて見た先、先生はとても良い笑顔で、
「常連からも好評だよ? いつも明るく笑顔で元気をもらえるとか、小まめに掃除をしていて気が利くとか、対策委員会との共食いが良い肴になるとか」
「最後のバイトに関係ないわよね!? 絶対!!」
ホシノ達が来る度に茶化されて軽く騒ぎを起こしているのだが、まさかネタにされていたとは。今後は控えねば。あ、でもちょっかいかけて来るの先輩達の方だからどうしようもない気も。
思わず黄昏れていると、チャーシューに海苔を巻いていた先生がこちらを見遣り、
「しかし本当に戻らなくて大丈夫なのかね? ヘリを飛ばせば三十分も掛からないと思うが」
「教え子をバイト先へ送るのにヘリまで持ち出す馬鹿がどこにいるのよ……」
「目の前だが? 眼科と脳外科どちらをご所望かね?」
「あーはいはいTes.Tes.……」
どっちに連れて行ってもこの大人が患者ではお手上げだろうな、と嘆息。丼を傾け、スープを味わい一息ついてから、肩を竦めて応じる。
「心配しなくても大丈夫よ。今日のシフトにはハルカちゃんも入ってるし」
何だかんだと付き合いの長いアビドスと便利屋だが、実は先生の差し金で柴関の支援を行っている。
ムツキはまあいつもの調子とはいえ、主にアルとハルカのメンタルダメージは相当だったようで。匿名の資金提供こそしたものの気に病んでいた面々に、颯爽と現れた我らが狂人が、
「恨みを買う職を営む者が、陰から支援を行い礼を求めないという事例は幾らでもある。……これもまた一種のハードボイルドではないかね?」
と、アウトローっぷりならある意味キヴォトス随一なキチガイの言い包めによって、二つ返事で計画がスタート。カイザー残党や土地の利権を狙う者を逐一潰しつつ、一部は暇を見てバイトとしても手伝っている。アル本人は隠し通せているつもりらしく、まあバレバレなので気付かないフリをしているのが実情だが。
そんなこんなで精力的にシフトに入っているのがハルカで、同学年なこともありそれなりに親交も出来た。水に流した、と言い切るには微妙なところではあるものの、結構上手くやっている。基本真面目だし、暴走特急っぷりも先生に比べれば全然マシだし。
……今度穴埋めしてもらったお礼しないとなあ……。
先生には世話になっているから、と二つ返事でセリカの代打を買って出てくれたのが彼女だ。今度賄いを出す時自腹でサービスくらいはしても罰は当たるまい。おかげで自分でも満足行く出来のラーメンを先生に提供出来た。が、
「……何ニヤニヤしてるのよ」
微笑ましいものを見るように表情を緩めているのが気になり、口を尖らせながらセリカは問う。が、先生は大仰に肩を竦めると、
「いや何、当時は鬼神の如く怒り狂っていた黒見君が、随分と打ち解けたものだと思ってね」
「それはまあ……、反省してるし、色々手伝ってくれてもいるし、そんな相手に怒っても意味ないでしょ。先生だって、受け持ってる生徒同士が険悪じゃやりにくいだろうし」
「だからだよ」
そう口にした先生の苦笑は、普段とは違い自嘲の色が濃く表れたものだった。
「黒見君のそういう実直さを、私はついぞ持ち得ぬまま大人になってしまったからね。謝意に付け込んで毟れるだけ毟り取ればいい、とナチュラルに下種な算段を頭の中で転がし始める私のような人間とは違う」
「よくもそんな悪魔的発想を……、と思ったけど、よくよく考えればカイザー相手に無茶苦茶やってたし今更だったわ……」
吹っ掛ける形で背負わされた莫大な負債を口先だけで半分以下に減らした大人だ。悪徳企業相手とは言え揚げ足取りでビルごと爆破したり、交渉という名のワンサイドゲームで資産を全て巻き上げたりと、苛烈という表現すら霞むようなやり口を平然と行うのは、セリカとて知っている。第三特務であるアル達便利屋とは、そういう荒っぽい仕事をこなしていることも。
「だからこそ、どれだけ困窮し追い込まれようとも、善性を失わなかった対策委員会の面々が、私には酷く眩しく映ってね。君達が私のようにならず済んだのなら、こんな反面教師でも赴任して来た意味がある」
そう。悪役を自任し、生徒に降り掛かる理不尽や不条理をそれ以上のデタラメで捻じ伏せるからこそ、己は正道たり得ないと。
正しさを良しとしつつ、正しく在りたいと思っていない。
当然と言えば当然だ。出会ってからこの方、彼女がおよそ一般的な正しさを見せたことなど一度もない。先生という言葉から想像される人物像とは、何もかも掛け離れた存在だ。良いにしろ悪いにしろ、その一点においては誰も否を唱えないだろう。
でも。
「……確かに先生は無茶苦茶やるし、頭おかしい作戦を平然と通すし、周りがドン引く悪辣な弁術を振るうしで頭痛くもなるわよ」
「私のことをとてもよく理解しているようだね」
「否定しないのが一番凄いと思ったわ今……、だけど」
だけど、
「
本当に彼女が額面通りのデタラメなら、そもそも先生など放り出してしまえば良いのだ。
能があり、頭も回る。もっと楽な生き方だって出来るだろう。
銃撃戦が当たり前の世界で子供のお守りなど、どう考えたって割に合わない。
それでも彼女は、これまでずっと成し遂げて来た。
どんな状況でも、諦めることなく、活路を拓き道をつけてみせた。
確かに彼女は無茶な戦術や悪辣な弁術も用いるが、その行使は「生徒を守る為」で一貫している。
単なる使命感や義務感だけで出来るようなことではない。幾ら能があったとしても、使わなければないのと同じだ。
役目だからというだけで、ぶっつけ本番であり合わせ素材のバンジージャンプや、超高空から着のみ着のままで自由落下なんてする訳がない。
失わせない。
回りくどく奇行ばかりで底が知れない大人ではあるが、その根底は微塵も揺らいでいない。
正しくなくとも、間違ってはいないと、それだけを矜持とするが故に。
如何なる無茶も押し通す悪役ではあれ、決して悪人ではないのだから。
失敗しても、取り零しても、なお諦めず前へ進むと言うのなら、
「私達が保証してあげるから、もっと胸張りなさいよ」
笑みと共に告げた先、先生が動きを止めた。ややあって、器を置いた先生はしみじみと、
「まさか黒見君に一本取られる日が来るとは……、交渉役の引退も視野に入れねばならんなこれは」
「どういう意味よそれ!!」
先生が笑顔でゲルマニウムブレスレットを取り出したので目を逸らした。というかまだ持ってたのかそれ。セリカが購入した値段そのままで買い取ってくれたのはありがたいが、こうやってネタにしたかっただけという可能性が否定出来ないのが嫌過ぎる。「黒見君をからかって楽しめるなら十分元は取れるからね!!」とか笑顔で言いそうな辺りが特に。
「……気が付けば、随分話し込んでしまったね。麵が伸びない内にいただかねば黒見君に失礼というものだ」
励まして損した、と内心眇めになっていると、苦笑した先生が身動きを作った。小さく吐息し、しかし通る声でハッキリと、
「──感謝である」
ハッとして視線を戻すも既に遅く、先生の顔は傾けた丼の陰になって見えなかった。
本当に、これだからこの大人は困る。一本取られたと嘯いておいて、即座に取り返して行くのだから。
直視出来なかったことを悔しがるべきか、直撃せずに済んだことに安堵すべきか、頬の熱を意図的に無視して真剣に悩みつつ。しかしふと疑問が浮かび、躊躇う理由もなかったので聞いてみる。
「そういえば、何でわざわざ
シャーレには有事に備えて保存食や携行食は大量に保管してあるし、茶菓子の類だっていくらでもある。多忙を理由にアビドスまでドローンを飛ばすくらいなら、もっと楽な選択肢はあったはずだ。温かいものを食べたいと言うのなら、それこそレトルトをレンジに放り込むだけで良い。
そんな何気ない問いに対し、空の器を置いた先生は笑って言う。
「どうしてもこれが食べたい、という腹具合になる日があるだろう? それがたまたま今日で、対象が黒見君お手製の柴関ラーメンだった。それだけのことだよ。──ご馳走様」
自分の器を置いてから、セリカはソファーに横倒しになった。
この大人には一生勝てまい、と諦めの笑みを浮かべつつ。