グラスアーカイブ   作:外神恭介

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じゃあ自称部員の皆で銀行に──

 執務室に顔を出すと、珍しく先生がいなかった。

「……先生?」

 一応声を掛けてはみるが、当然ながら反応はない。が、油断してはいけないとシロコは思う。先生のことだ、いないと見せ掛けて背後から肩を叩いて来たり、床下や天井から飛び出して来たりする。そのくらいはやる。

 だが身構えても、周囲を見回しても、五分程待っても何も起きず。吐息を零して構えを解き、次の瞬間正面に跳んで振り返ってみてもやはり誰もおらず、

「……本当にいないんだ」

 ギャグや仕込みの類ではないらしい、と判断して肩を落とした。

 

     ●

 

 アビドスにおける長期休暇は、ぶっちゃけあってないようなものである。

 何しろ廃校の瀬戸際なのだ。日々借金の返済に専念している中で、普通の学生生活など望むべくもない。少人数故の連帯感もあり、休みだろうと何かと理由を付けて集まっているのが常態だ。先生が来て以降マシにはなったが、溜まり場が学校とシャーレに分散しただけでルーチン自体は変わらない。

 なので今日も今日とて、自転車を走らせやって来た訳なのだが。

「…………」

 匂いを嗅ぐ。狼の姓を持つせいか、鼻はかなり利く方だ。去って間もないのであれば、匂いから足取りを追うなど造作もない。自称部員のダベり場である執務室は、燻製や茶菓子に甘い物などの匂いも多く空きっ腹に大ダメージなのが難だが、

 ……シャワーではなさそう。

 タオルや着替えに付き物である柔軟剤の香りがしない。となると食事かトイレか、或いは急な仕事による外出か。だが残り香からするに前者としては短く、後者としては長い。念の為ドアノブを確認するが外出中のプラカードもなく、仕事という線も消えた。

 ……だとすると、休憩でその辺りをぶらついてる?

 ん、と腕を組んで記憶を辿る。下のコンビニにはいなかったし、エレベーターの残り香もかなり薄かったので下にはいないだろう。となると階段で移動可能な範疇で、先生の行きそうなところは、

「……あ」

 心当たりが一つだけあったので、一度デスクの方へ移動し匂いを確認。果たして予想通り、漆独特の匂いが鼻についた。

 そうなれば行き先は割れたようなものだ。匂いを追いつつすぐさま移動。小走りに廊下を抜け、階段を二階飛ばしで上がって行く。

 果たして辿り着いたのは、シャーレの屋上だった。

 耳に届くのは、百鬼夜行で聞けるような笛の旋律。

 ゆったりとした、聞く者の心に染み入るような、そんなメロディ。

 それを邪魔せぬよう、音を立てずに扉を押し開ければ、探し人の姿はそこにあった。

 朝日を背に、調べを奏でる姿が。

 腰まで届く白の髪。長身を包むスーツは対照的な黒。目を伏せ、横に構えた篠笛もまた黒く、しかし紡がれる音色は空のように澄んでいて。

 肩の力が抜けて軽くなるような。或いは、別れの相手を送り出すような。そんな印象を抱かせる曲だった。

 

     ●

 

 それを初めて見たのは、先生がゲーム開発部の廃部回避に成功しシャーレへ戻って来た頃だった。

 ホシノ奪還戦でチャーシューのようになっていた先生の腕も完治し、お祝いと称して対策委員会総出で押し掛け、夜通し騒いだその明け方。休憩部屋の床に布団を広げ雑魚寝状態となっていた中、ふと目を覚ますと先生の姿が見当たらず、探しに出たのだ。

 当時はまだ人の出入りも少なく、朝の澄んだ空気のおかげで匂いは辿りやすかった。当時は漆を知らず、慣れ親しんだ先生の香りに混じる異物感に眉を寄せていたものだが、彼女の私物だと知ってからは頑張って慣れた。

 ちょうど今のように、屋上の扉を開けて入って来た自分は、何も知らぬが故に素直に問うた。初めて見る楽器、初めて見た先生の姿、そういった物珍しさにテンションを上げていた自分は、しかし聞かされた経緯に言葉を失ったのを今でも覚えている。

 妹の遺品だという。

「ゲームに縁の品なのだが、これまた妹がヘタクソでね。一向に吹ける気配がないので代わりに吹いてくれ、と押し付けられたのだよ」

 当時から多芸だった先生は一発で習得したものの、面倒だからと披露したのは妹が亡くなる前日の一度きり。以降触れる機会すらなかったそうだが、キヴォトスに来てからはこうして度々吹いている。

 先生曰く、己にとって節目の象徴がこれなのだ、と。

 先生が口を付ける私物というあらゆる生徒が食い付きそうなネタにも関わらず、誰も手を出さないのも当然だ。触れることも、演奏の邪魔をすることも、披露するようせがむこともタブーとされている。先生自身は全く気にしないだろうが、だからこそ生徒の側はきちんと一線を引いておく必要があった。

 先生という複雑な、しかし呆れる程のお人好しの根幹に関わるものに、軽々しく触れるべきではない、と。

 故にシロコは足音を殺し、気取られないよう離れた位置で終わるのを待つ。綴られる音色に耳を傾けていれば、退屈などする暇もない。

 戦場に散った命を弔い、昇って行く魂を送る為の旋律。ゲームにおいてはそういう設定の曲だそうだが、言い得て妙だとシロコは思う。

 ギターやドラムのような激しさも、ベースのような安定感も、キーボードのような華やかさもない。奏者が息を吹き込むことで音を奏でる楽器であり、しかしラッパやトランペットのような力強さはなく。風が吹けば掻き消えてしまいそうな程脆く、儚く、だけど弱いだけでも暗いだけでもない。

 何となく、色彩戦やシェマタの一件を思い出すのは、あれらの解がこの曲そのものだからだろう。

 辛いこと。苦しいこと。どうにも出来ないこと。世界は理不尽で、不条理で、どうやっても覆せないことはある。万能の魔法使いと思える先生とて、もう一人の己の世界において志半ばに止められてしまった。

 それでも、先を望むことをやめなかったからこそ今がある。

 変えられぬ過去も、困難と思える未来も、飲み込んだ上で前に進むしかない。そうやって駆け抜けた大人がいたからこそ、自分達は別の道を選ぶことが出来た。

 ほんの小さな覆しでも、変えられるものはあるのだと。

 一人では届かぬ指先も、別の誰かの助力で届くのだと。

 自分が勝てなくても、皆で勝てば良い。あの一件の中で、もう一人の己に対し言い切ってみせた言葉。その場限りの思い付きではないつもりだが、思えば自分達はずっとそうして来たし、

 ……そんな私達が勝つことに、向こうの先生も賭けたんだ。

 だとすれば彼女は惨めな敗者でも、道半ばで果てた愚者でもない。最後の最後に逆転の目を残し、託して行った、自分達と同じ側だ。

 巡り巡って、託された二人が、ホシノを救う一手となったように。

 先生と、その周りにいる誰も彼もが、互いを後押しする足りない手であれれば良い。

 そんな酔ったような感傷を、しかし否定する意味もなく。物思いに浸っている間に、いつの間にか笛の音も止んでいて、

「砂狼君」

 大事な人の笑みが、目の前にあった。

 

     ●

 

 笛をケースに収めた先生は、白い息を吐きつつ会釈を寄越した。

「待たせてしまったようですまない。──感謝である」

「ん、押し掛けたのはこっちだから。気にしないで」

 そうか、と苦笑。肩を叩かれ、連れたって屋内へと戻る。年の瀬の朝方、それも高層ビルの屋上ともなればかなり冷える。今更になって寒さを思い出す辺り、どれだけ先生のことに頭が行っていたのかと我ながら呆れてしまうが、

「何かあった?」

 シロコの問いに、先生は苦笑して首を振った。

「今年の吹き納め……、という程でもないが、何となくそんな気分だったのでね」

「年の変わり目、って意味では良いタイミングだと思う」

「段々ダレて季節の変わり目や月の変わり目にダウングレードして行くパターンではないかね?」

「私としてはそれでも良い。たくさん聞けてお得」

「次からはお捻りを入れる缶ケースでも置いておくべきか」

「じゃあ自称部員の皆で銀行に──」

「引き落としにしろ強盗にしろ大金を払う程の腕前ではないと思うがね」

「そんなことない。聞くと元気が出る」

 だって、とシロコは傍らの大人を振り仰いだ。笑って、先程聞き入っていた時にも思ったことを口にする。

「きっと良いこともあるから頑張ろう、って」

 告げた先、先生が呆気に取られたように動きを止めた。ややあって、笑いに肩を震わせながらこちらの頭を荒っぽく掻き回し、

「全く君は……。前向きにも程があるだろう」

「ん、身近な大人が良いお手本だった」

「では、それに恥じぬよう私も頑張らねばならんな」

「でも先生は少しくらい休むべき。この年末年始は引きずってでもだらけさせる」

「義務化した休息は休息と定義して良いのかね」

「大丈夫、皆と一緒ならだらだらしてるだけでリフレッシュ出来るから」

 廊下の先、聞こえて来る声がある。多忙な先生を手伝おうと、誰に言われるでもなく集まって来た自称部員達の声が。片付いたら何をして遊ぼうかと、そんな先を望む話題もあって、

「行こ、先生」

「……ああ、行こうか砂狼君」

「ん!!」

 どこまでも。どこまでも。皆と一緒に、どこまでも続けて行く青春の日々を。




書き溜め分尽きたので毎週更新はおしまい
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