グラスアーカイブ   作:外神恭介

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罪を赦す為の咎が罰ならば
罰されぬ罪は罪ではないのか
配点(贖い)
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=27398798


私の怒りは世界を救うよ

「鏡子ちゃん……」

 一人砂丘を下って行く友人の背を見送り、ムイ(ユメ)はそう小さく零した。

 アビドス砂漠、大オアシス付近。ホシノの反転により顕現したセトの憤怒。彼女を止めようと奮闘する対策委員会や皆の元へと向かう神性に対し、ムラサキが足止めを買って出たのだ。

 神様が相手でも、負けない。そう宣言した後ろ姿は、まるで散歩にでも行くような調子で歩を進める。吹き荒ぶ風も、鳴り響く雷も、その歩みを止める脅威ではないように。

 自分よりも遥かに低い身長。小さな背中は己とは対照的に、こんな異常事態の中でも揺るいでいない。それはかつて己が残念としてホシノの盾に憑いていた際、幾度となく目にした先生によく似ていた。

 本当に姉妹なのだと、そう理解させられる。

 だが、とユメは思う。夢の中で邂逅し、こちらを悼み涙を流した彼女は、生徒の前では一度しかそんな姿を見せていない。いつだって堂々と、自信に満ちたその背中は、背後で守られる生徒にとって万難を排する不壊の盾だっただろう。

 任せておきたまえと、そんな台詞が聞こえて来そうな力強さがあった。

 だが、妹の鏡子は違う。力強さと、任せられるだけの信頼は同じ。しかしそこに在るのは自信や自負ではなく、もっとどす黒い、捻じれて歪んだ何かだ。

 先生の熱量が生命を育み、実りを呼ぶ陽光だとすれば、鏡子のそれは対象を燃やし尽くす過程で、自分自身をも焼き焦がさんとするような。灰すら残さないと言わんばかりの廃絶の炎はまるで、

 ……怒ってる、の?

 彼女は元々口が悪く、息をするように皮肉や憎まれ口を叩く。だがその根底は身内を大事に思うが故で、窘めや警告としてしか口にしない。少なくとも自分に対してはそうだった。(ナコ)と日常的に言葉で殴り合ってる気もするが、アレは幼馴染み故の気安さということでノーカン。

 そんな優しい彼女だから、姉やその教え子達を危険に晒している相手に怒りを抱く、というのは分かる。

 でも、それだけではないような気がしてならなかった。

「ベレツ・ウザの最終調整、シッテムの箱のブラックボックスへの仕込み、……完了。聖譜武装はテクスチャの変更完了見込みが十八時間後、となると今回は間に合いませんね。将来的には特異現象捜査部と連動してキヴォトス側での製造ラインを確立したいところですが、ひとまず今はユメの魂を情報体として分離、経路を繋いで……、と、ユメ?」

 数十単位の表示枠を捌いていた奏が、こちらに怪訝そうな目を向けた。が、己の視線を辿り納得したのか、ああ、と肩を竦めると、

「大丈夫ですよ。危ういところがあるのは確かですが、鏡子は強いですから」

「ええと、うん、不良さん達を素手で張り倒してるからそれは知ってるんだけど……」

 銃社会のキヴォトスにおいて、ムラサキは頑なに銃を使わない。カモフラージュとして所持はしているが、実態は水鉄砲だったり玩具だったりと武器としての機能はまるでないものだ。それで十人単位を数分で殴り倒すから頭おかしいのだが、今回の相手はそれが通じるように思えない。

「相手は神。対する鏡子は硝子同様、神秘を持たないただの人間。いくら肉体強度がキヴォトス基準まで引き上げられているとしても、人が神に勝てるとは思えない。……と言いたそうですね」

「え?」

 慌てて振り向いた先、奏が苦笑した。そこまで顔に出ていただろうか。いや、まあ、昔ホシノにも似たようなことは言われたが、死んでも治らない辺り本気でダメなのでは。馬鹿は死んでも治らないとは言うけれど、性格や個性も同様らしい。

 うーん、とちょっと悩んでしまうが、腰を上げた奏がこちらの隣に座り直した。

「大丈夫ですよ」

 だって、

「窮鼠猫を噛むと言うように、決死の覚悟を決めた者は強い。何しろ死んだら負けではなく、負けることが死より怖ろしいのですから」

 それは、

「自分が負けたら大事な人達を守る者がいない。だけど自分が死んでも勝ちさえすれば、大事な人達は守られる。……そういう歪な、しかし深い愛情の持ち主。あの姉妹はそういう馬鹿です。……だからこそ、死なないように誰かが傍にいないといけないんですけど」

 本当に、姉妹揃って手間を掛けさせる天才ですね、と奏が哀しげに笑った。が、すぐにその笑みを引っ込めて、

「──面倒な諸々は任せろと、そう言っていたでしょう? 確かに彼女は馬鹿ですが、己の言葉を違える程馬鹿ではありません」

 だから、とこちらの肩を叩いて、

「少なくとも小鳥遊ホシノを取り戻すまで、鏡子は絶対に死にません。硝子が失敗するとは万に一つも思っていないでしょうが、結果が確定する前に死んでしまえば無駄死にですからね。……つまり私達は鏡子が持ち堪えている間に、小鳥遊ホシノを連れ戻せば良い訳です」

 さあ。

「思い悩んでいても、テキトーでも、事態は進むし結果は出ます。だから気楽に()きましょう。そして信じましょう。彼女は己が審判の履行を。私達は私達のなすべきことを。そして我々の総意として──」

 一息。

「──失わせない。シャーレもアビドスもメビウスも、この場の全てはその為に」

 そうだ。

 アビドスを救いたい。そんな己の理想を継いで、戦ってくれている後輩達がいて。

 それを叶える為、あらゆる手を尽くすことを厭わない、抵抗を掲げる大人がいて。

 その願いを決して間違いではないと、裏から支え共に戦う自分達がいるのだから。

 ホシノも、鏡子も、他の皆も絶対に、失わせなどしない。

 その為に、自分に出来ることを最大限貫き通す。

 ならば答えは一つだ。

「──Jud.!!」

「Jud.、では横になってください。本来の肉体を持たない貴女は、魂の在り方がその精神状態に大きく左右されます。自分を強く持つことが、作戦の成功に繋がりますからね」

 返る言葉に、ユメは枕代わりの折り畳んだ大盾を置く動きを止めた。目を瞬かせ、小首を傾げつつ問い掛けるのは、

「……もしかして、その為にお話してくれたの?」

「優秀な情報体(AI)ですので」

 ドヤ顔で言う辺りがすごいと思った。だが、それに対し返すべきは決まっている。

「ありがとう」

「礼は全てが上手く行ってからにしましょう。当然、鏡子も一緒に、です」

 Jud.、と身を横にすると同時、周囲に大量の表示枠が展開。こちらの五体に重なり、眠気にも似た感覚を覚えるのは、この身体に固定されている魂を外しに掛かっているのだろう。

 だが、そこに怖れはなかった。

 死んだ時と、ホシノへの未練が薄れ盾から離れた時。そして今回が三度目ともなれば、さすがにもう慣れっこだ。固定が緩んで幽体離脱癖が付くかもしれないが、その時は笑い話にでもすれば良い。それもこれも、この局面を乗り越えられればの話ではあるが、

 ……大丈夫。

 先生も、奏も、鏡子も、後輩達も、誰一人として諦めていない。独りではないし、一人でもないのだ。ミスがあってもフォローがあり、お人好しの誰も彼もが寄って集って助けに入る。

 ならば上手く行かないはずがないだろう。

 だから思う。自分よりも大変な役割を担う友人や後輩達、そして己の為に泣いてくれた大人へと、

 ……頑張って。

 全員笑って終われれば良いと、心からの願いを胸に、ユメの意識は眠るように落ちて行った。

 

     ●

 

 怨敵であるホルス目掛け、宙を滑るように移動していたセトの憤怒が、不意にその動きを止めた。

 眼下、まるで行く手を阻むように、一人の少女が歩み出て来たのだ。

 歪なヘイローの持ち主だった。双頭の蛇が作った八の字を、円形に圧縮したような形。片側は青、片側は赤。小柄な黒髪赤目で、黒のセーラー服を着た、どこにでもいそうな外見をしていた。

 ややあって、セトの憤怒が動きを再開する。

 片や天に在る神の形。

 片や地を這う人の子。

 誰が見ても、どう判断しても、後者が前者に敵う道理はない。

 どれ程の神秘を宿していようとも、矮小な人の身体に括られた状態では抗いようなどないのだから。

 故にセトの憤怒は無視した。少女には目もくれず、本来の目的たるホルスを目指す。

 それを詰まらなそうに見上げた少女が、調息と共に地を蹴った。

 高い。一足飛びに数メートルの高さへ身を躍らせ、身を回しつつ振りかぶった拳を振るう。

 神の御姿に外見通りの質量があるかどうかは別として、雷で形作られた身体だ。小柄な少女の拳一つ、天地がひっくり返ったところで通じるものではない。

 だから極めて順当に、何の面白味もなく、現実はただその結果を返した。

 人間が神性を殴り飛ばしたのだ。

 

     ●

 

 右の正拳突きだった。

 跳躍の勢いと全体重を込めて放った一発は、暴風の神を地に沈めた。

 激突した砂丘が崩れ、しかし受け止めるには足りず、引きずられるように地を滑り、十メートル以上を移動してようやく止まる。

 同時、身軽に降り立った少女がゆっくりと身を起こした。

 調子を確かめるように右手をスナップ。風切る音と共に腕を下ろし、そのまま小首を傾げて問う。

「目は覚めた?」

 無表情で。詰まらなそうに。淡々とした口調のまま、しかし瞳に暗い炎を宿して。

 ともすれば、セトの憤怒を形作る雷撃よりもなお苛烈な激情を内に秘め、しかしその声は絶対零度と呼ぶのも生温い程に冷めていた。

ホルス(ホシノ)しか眼中になかったんでしょ? 良いよ、それで」

 だって、と告げつつ踏んだ一歩は、既にかの神性の直下へと至り。

「──そっちの方が楽出来るから」

 二度目の打撃が、神の身を空へと跳ね上げた。

 

     ●

 

 反応は即座のものだった。

 宙に舞ったセトの憤怒が、空中で体勢を立て直した。振るわれた掌の動きに合わせ、天から地へとそれが突き立つ。

 オベリスク。

 二柱の巨大な石柱は己を狙うものではない。むしろこちらを囲むように、左右の離れた位置に配置される。

 同時、振りかぶられた右の掌底から雷撃が地を走る。高温が砂を焼き、散弾のように周囲へと弾けさせながら、蛇の群れの如く襲い掛かる。

 こちらの身を容易く飲み込むであろう雷の津波を前に、しかしムラサキの感想は怖れでも怯えでもなかった。

 ……さすが。

 古くても神、ということか。戦神としての権能も持つが故に、戦いに対して迷いがない。直前まで歯牙にも掛けていなかった相手に対し、即座に潰そうとしてくるのは見事と言うべきだろう。

 基本は見逃す。ただし敵対するなら容赦なく叩き潰す。そういうことだ。

 これが普通の人間であれば、見知らぬ相手でも情が働き、実力行使には躊躇いが生じる。軍人のように訓練を受けた者か、生まれながらにしてズレた者でもなければこうは出来まい。神に倫理を説く気はないが、憤怒を冠し意思がある以上、精神の扱いは人と考えていいだろう。

 だが、悪の組織も大概なイカレ集団だ。そんな中で十年も揉まれていれば、普通の範疇などとっくに外れている。

 故にムラサキも即応した。

 左へ跳躍。突き立つオベリスクの壁面を駆け上がり、雷撃を躱す。眼下を青と白の奔流が駆け抜けたと同時、地表に向けて再跳躍。

 間髪入れず、先程まで足場にしていたオベリスクに雷が落ちた。

 一秒でも遅れていれば直撃だっただろう。だが回避した。それに開幕派手にブチ込んだ一発は、相手を一度地に叩き落とし、注意を引くことが出来ている。

 つまり、対処出来ない相手ではないということだ。

 原典とも言える神話の知識と、実際に相対し観察して得た情報。これらを元に敵の穴を見付け、こちらの手札を効果的に切る。

 ゲームと同じだ。

 ならばどうとでもなる。

 生前、身体が弱く、一生のほぼ全てをベッドの上で過ごした己だ。退屈を紛らわせるインドアの趣味には粗方手を出していて、中でも最も好きだったのがゲームと読書。

 その中で培った経験が、この場においては最大限に生きる。

 ……なら、後は通しに行くだけ。

 行った。

 

     ●

 

「……さて、我々の意地を通しに行く前に、まずやっておかねばならないことがある」

 アヤネの視線の先、口火を切ったのは先生だった。ホシノから溢れ出す圧に白の長髪を靡かせ、しかし構わぬと言うように彼女が告げる。

「砂狼君。デカ狼君。……一分だ」

 それは、

「一分だけ場を空ける。動きがあれば即座に取って返すが、その間小鳥遊君の警戒を頼みたい」

「ん、任せて」

 綺麗にハモった二人が顔を見合わせ火花を散らすが、間を置かずホシノへ身構えるのが見事過ぎる。こっちのシロコは勿論、向こうのシロコも容姿や経緯が違うだけで、同じ存在なのだと改めて実感出来た。

 それを既に承知の上か、微笑した先生が振り向いた。青の瞳が見遣る先、推移を見守っていた瓜二つの少女達へ会釈を送り、

「橘姉君、橘妹君、朝霧君を連れて退避したまえ」

 理由は簡単だ。

「列車砲はともかく、あの小鳥遊君にハイランダーは関与していない。発端はどうあれアビドスのトップが他校の生徒を害したとなれば、風聞としても交渉としても面倒なことになる。それは君達二人にも言えることだ。気絶した人間を守りながら戦う余裕はないし、意識が戻ったとして協同出来る保証もないからね」

 ボロボロのスオウを一瞥し、ヒカリとノゾミに視線を戻した先生が微笑した。

「ここまで連れて来てくれて助かった。──感謝である」

 掛けられた言葉に、二人が肩の力を抜いた。立ち上がり、それぞれがスオウの足を掴んで引きずりつつ、

「……頑張って。でも、無茶しちゃダメだよ?」

「スモークチーズ、まだ食べ足りなーい」

「うむ、諸々が片付いたらシャーレへ遊びに来たまえ。自家製の焼きプリンでも振る舞うとしよう」

「先生、私も焼きプリン食べたい」

「リクエストとは余裕だね砂狼君!!」

 先生とシロコがノールックで親指を立て合った。デカい方のシロコがそれを羨ましげに眺めていたが、多分混ざっても先生はフツーに受け入れると思うので気にしなくていいのでは。同じ感想なのかセリカとノノミも呆れやら苦笑やらで見守っていて、先程までのどん詰まりっぷりが嘘のようだ。

 ……これが先生の強みですよねー……。

 真面目にやれ、と言われるかも知れないが、真剣だろうがふざけていようが実力を発揮出来れば良いのだ。結果が全てだと言うのなら、それこそ先生のやり方が正解だと証明することになる。

 気負い過ぎず、しかし全力で。それが苦難に負けず最後まで抗う最適解なのだと、そう教わったのだから。

「──奥空君、支援物資の残量は?」

 そんなことを考えていたせいか、不意の呼び掛けにアヤネは身を震わせた。慌て、持参していたバッグを漁りつつ、

「て、Tes.、完治とまでは行きませんが、全員分の応急処置が出来る程度には」

「Tes.、ならば全て放出したまえ。空崎君を最優先に、十六夜君と黒見君にも治療を頼む。砂狼君達が負けるとは思っていないが、切れる手札が多いに越したことはないからね」

「ちょ、ちょっと先生!? 私達も一緒に──」

 反発したセリカが立ち上がるが、その先を口にすることは出来なかった。

 先生が軽く肩に手を置いただけでバランスを崩し、倒れ掛けた身体を支えられたからだ。

「フィジカルお化けの砂狼君ならまだしも、他の面々は既に限界だろう。ここで無理をするより、後に備え休んでおく方が安全だ」

 セリカを座らせつつ諭す言葉は、悔しいが正論だ。こんな状態で戦列に加わったところで、足手纏いが関の山だろう。むしろこちらに気を割かねばならない分、シロコ達にも危害が及ぶのは明らかだ。あのホシノを前にそんな余裕はないことくらい、セリカにも分かっている。

「助けが必要なら呼ぶ。それまでは静観し回復に専念。いいね?」

 悔しげに俯いたセリカが、しかし小さく頷きを返す。その頭を軽く叩き、先生はヒナへと目を向けた。

「空崎君も、今は待機で頼む。砂狼達に万が一のことがあれば、頼れるのは君だけだ」

「……その万が一を避ける為ならいくらでも無茶する癖によく言うわ」

「心配性なことだね。私がこれまで無茶を仕出かしたことなど一度もないよ?」

 セリカが声にならない叫びと共にビシビシ手刀を叩き込んだが、キチガイは笑ってスルーした。それを見たヒナは嘆息し、苦笑と共に、

「死にに行くような真似だけはしない、って信じてるから」

「無論である。それでは小鳥遊君を救えたとて、トラウマを増やすだけの悪手だ」

 言って、先生が立ち上がり踵を返した。悠然とした足取りで、シロコ達の間に戻ると、

「すまない二人共。一分と言ったが七秒も早く戻って来てしまった。何せ寂しいと死ぬウサギのようなハートの持ち主なものでね」

「……ウサギネタはミヤコの十八番じゃなかったっけ」

「独占したければ特許でも取るべきだね。それすらも私は突破するが」

「ん……、相変わらずで安心した」

 その通り過ぎる。心配していないと言えば嘘になるが、彼女達ならきっと大丈夫だろう。故にアヤネも指示された通り、待機組の治療に掛かる。手伝いに入るノノミが横目で見る先、シッテムの箱を構えた先生は鋭い声で、

「細かい補正はこちらでする。君達は思う存分動きたまえ」

「──Tes.!!」

 Tes.、と先生が応じた瞬間、二人の狼が地を蹴った。白の長髪を風に靡かせ、自信に満ちた堂々たる声が、

「さあ、巻き返しの時間と行こうか諸君!!」

 

     ●

 

 打ち合わせはなかった。

 言葉は不要。何しろ同じ己と、先生なのだ。何を考えるか、どのように戦術を組み立てるか、どうやって勝ちへと繋げるかなど、分かり過ぎる程に分かっている。

 それ故に二人の初動は、シロコが予想したものと寸分違わず同じだった。

 シロコが右から、時間差を付けてこっちの己が左から仕掛ける。

 ホシノが右手にショットガンを持っているからだ。

 彼女から見て左手側に位置するこちらを狙う際、構え直す為に時間を無駄にする。

 先行するこちらにとっても、後から突っ掛ける自分にとっても、最適と言える連携だ。

 僅かな隙だが、それを有用出来るかどうかは己次第。それを肝に銘じた上でシロコは行く。

 手負いの向こうを先に潰しに掛かる可能性もあったが、果たしてホシノの視線はこちらを捉えた。

 やはり今の彼女に、自意識と言えるものはほとんどない。大事な後輩達に全力の砲撃をブチ込んでいる時点で予想出来ていたが、ホシノの動きは反射や本能と言っていい程に稚拙なものだ。

 目に付いたもの、近いものから優先して排除しに掛かる。

 だからこそ最大戦力である己が最前線に出る意味がある。

 跳んだ。

 姿勢を低く。構えられた銃口の更に下へ。射撃の反動で銃口は跳ね上がるから、その下を行くのがセオリー。ショットガンの攻撃範囲を考えれば気休めだが、直撃よりマシだ。こちらもこの姿勢ではアサルトライフルの取り回しに難があるが、対処法はある。

 左手でハンドガンを抜き放つと同時に発砲した。

 反転後の凄絶な経験から両利き対応になったとはいえ、本来の自分は右利きだ。牽制目的、当たれば上々の盲管射撃。それでも瞬間的に放たれた三発は、それぞれがホシノの腹、胸、眉間へと飛ぶ。

 ヒット。

 直撃し、ホシノが一瞬だけ動きを止める。が、即座にその虚ろな目がこちらを捉え、

『右!!』

「っ!!」

 耳元で響いた声に従い反射的に跳んだ。

 コンマ数秒の差で耳元を散弾が掠めて行き、遅れて轟音に等しい銃声が届く。直後に大量の砂が巻き上がり、横向きの豪雨染みた勢いで周囲へと飛散する。

 ホシノのショットガンが、こちらに向けて放たれた結果だった。

 ……やっぱり威力が桁違い。

 着地と同時に疾走を再開しつつシロコは思う。かつて交戦した際の記憶が、鮮明になって蘇る程の空恐ろしさだ。そもそもショットガン自体有効射程を代償に威力を上げたような代物だが、戦闘慣れしたホシノが手足のように扱うそれは驚異的な破壊力を叩き出す。

 ましてや暴走状態の今は、無尽蔵に溢れ出す神性が威力を底上げするオマケ付き。

 こちらの送った射撃によるダメージはほとんどない。やはりサイドアームのハンドガン程度では通じないということだろう。その再確認が出来ただけでも収穫だと前向きに考え、シロコは左腕を振るった。

 ホシノを挟んだ対角線上、こちらに注意が向いたことを悟り、こっちのシロコが攻撃に出た。愛銃であるアサルトライフをセミオートで七発、胴体から頭部狙いで射撃。

 命中。しかし効果は薄い。そしてホシノがショットガンを握った右手を、向こうのシロコ目掛け構える。

 引き金は引かれなかった。

 射撃直前に向こうがオーバースローで投擲していたグレネードと、それを読んでホシノの注意が逸れた瞬間にこちらがアンダースローで投じたグレネードが爆発したのだ。

 やはり記憶の通り、今のホシノに戦術的思考はない。泣いて駄々を捏ねる子供のように、力任せに手足を振り回しているようなものだ。彼女の心情を思えばそのものズバリの例えではあるが、その子供が天を貫き地を割る程の力の持ち主ともなれば洒落にならない。

 虚を突いて、動きを止め、ありったけの火力を叩き込み削って行くのが上策だろう。

 かつての世界においても、同様の方法で勝ちを拾った。結果アヤネは無理を押して重傷を負ったが、今の彼女は後衛で治療中。犠牲になることはないし、セリカやノノミに先生も健在で、加えてヒナという増援があり、おまけに当時の自分と同等以上に動けるこっちの自分もいる。

 条件は、あの時よりずっと良い。

 幸いと呼ぶのも烏滸がましい、しかし確かなそれと共にシロコは右手を伸ばす。スリングベルトで吊ったアサルトライフルを背に回し、代わりに位相空間から引き抜くのはマシンガン。

 ノノミの遺品だ。

『集中砲火!!』

 こちらの判断を後押しするように指示が来て、その通りにシロコは動いた。ノノミ程体幹が出来ていないので射撃の度に銃口がブレるが、許容範囲内。対面からややズレた位置でこっちのシロコも射撃を送っており、十字砲火が成立する。

 命中し、ホシノの動きが止まった。それも先程のような一瞬ではなく長時間だ。強敵ではあれ、決して無敵ではないし、策に掛けるだけの余地もある。

 付け入る隙がない訳ではないのだ。

 ……でも、簡単に負けてくれるホシノ先輩じゃないよね……!!

 その信頼に似た警戒心があった故に、シロコはそれに一早く気付いた。

 こちらを見据えたホシノが銃持つ右手を、天に向けて掲げていることに、だ。

 背中に嫌な汗が浮いた。

 かつて彼女と対面した時、見覚えたその動き。戦闘の終盤、こちらを吹き飛ばし、アヤネに致命的な傷を負わせたあの一撃。

 それを、こんな序盤から放つというのか。

『退避!!』

 動きと指示はまたも同時だった。マシンガンを位相空間に叩き込み、ホシノの盾を引き抜く。自動展開された盾で身を隠しつつ斜め後方、先生達から遠ざかる方へ跳躍。牽制に片手撃ちでアサルトライフルの射撃を放つが、既にそれは始まっていた。

 ホシノの掲げた銃口に、膨大な圧と熱が集束。発光現象さえ伴った力の奔流は、影に浸したような桜色。上げた右腕を、しかし下ろし、即座の動きで振り上げる。長物を下段から振り回すような動きという感想は、そう外したものではないと直後に証明された。

 赤の衝撃波が扇状に放たれていた。

 分かりやすく例えるのならば、火災現場で吹き荒れる熱風。燃焼によって周囲の酸素を食い尽くした炎が、更なる己の拡大を図って突っ走る高温の大波。

 人が自然災害に敵わないように、ただただ全てを飲み込み潰す圧倒的な暴力だ。

 無論タダで食らう道理はない。引き抜いたショットガンの連射による相殺、盾による防御、後方跳躍による衝撃の緩和と、打てるだけの手を打つ。

 それら三種の防御を行ってなお、シロコの身は優に三十メートルを飛ばされていた。

「っ……!!」

 盾を構えた左腕が軋む。斜めに受けて力を逃がしてもこれだ。マトモに食らったら炭化どころか五体を留めているかどうかも怪しい。

 だが、凌ぎはした。

 当時は自分もかなりのダメージを負ったが、今は吹っ飛ぶだけで済んだ。これまで幾度も修羅場を潜って来ただけあり、自分も成長しているということだろう。

 戦えている。

『無事かね!?』

「大丈夫……!!」

 応じつつ身を回して着地。幸い砂のおかげでヒールでも支障はない。追加で数メートルを下がらされるが、明確な負傷はないようだった。

 銃眼はないので側面から前を窺えば、随分と距離を離されている。だが反対側にいた先生達に余波が降り掛かっていることもなく、こっちのシロコも戦闘続行中。

 素早く五体と武装をチェック。異常なし。戦線復帰まで四秒と言ったところか。

 あとは急ぐだけ。

 畳んだ盾を仕舞い、シロコは走った。死なないでね、と心の中で呟きながら。

 

     ●

 

 もう一人の己が宙を舞い、しかしきちんと足から着地したのをシロコは反対側から見ていた。

 防御はしていたし、怪我も多分ないだろうが、かなりの距離を吹き飛ばされた。復帰まで恐らく四秒、その間を自分だけで凌がねばならない。

 こちらに視線を向けた、暴走状態のホシノを、だ。

「上等……!!」

 今回の一件で久方ぶりにホシノと戦ったが、やはり彼女は強い。かつては毎日のように挑んでは返り討ちにあっていたものだが、昨今はそういう機会もなかった。事態が事態故素直に喜べないが、強者との競い合いは楽しいとシロコは思う。

 運動と同じで、自分の成長を肌で実感出来るから。

 とはいえ、今回ばかりは負ける訳に行かない。故にこの四秒を凌ぐ為、シロコは思考を走らせる。

 シャーレの生徒会長(部長)。そんな役割を任された以上、指揮や連携も習得し先生の助けとなると、そう決めたのだ。

 考える。戦闘中、自分達はホシノを中心にシロコが時計回り、もう一人の自分が逆時計回りに動いていた。先生達の本陣が六時の方向で、もう一人の自分は吹っ飛んで二時方向。そして自分は十時から十一時の辺りに移動中。

 本陣側の安全を考えるなら、このまま十二時の位置で戦うのが良いだろう。もう一人の自分の復帰に合わせて逆時計回りに動き、対称位置に陣取って半包囲で叩く。移動のタイミングをパターン化出来れば、本陣側からの支援もし易いはずだ。

 先生もきっと、そう考えるだろう。

 ……ん。

 方針は決まった。あとは行動に移すのみ。

 目の前にホシノが迫っていた。

 速い。後方、間欠泉のように砂が巻き上げられているのは、跳躍の踏み込みによるものだろう。突き出される銃口は躊躇いなくこちらの眉間を狙っていて、引き金が絞られる様が酷くゆっくりと目に映り、

『砂狼君』

 声が聞こえた。

『拳の握り方は覚えているね?』

「……ん!!」

 

     ●

 

 爆発に等しい轟音が響いた。

 ホシノのショットガンが火を噴いた結果だ。

 だがその銃口は、シロコを捉えてはいない。

 シロコが左の裏拳で銃身を殴り付けたからだ。

 元々シロコは蹴りや銃床による殴打など、戦闘スタイルはかなりラフだ。記憶がなく、ホシノとの勝負の中実践し覚えて来たのだから、教科書的な行儀の良い戦い方に縁はない。

 銃社会であるキヴォトスにおいて近接戦の心得がある者は少なく、故にこそシロコの無法とも言える戦い方はハマれば強い。それでもなお色彩戦においては、もう一人のシロコに後れを取った。

 それで引き下がるような性分ではない。

 以後、先生がシャーレ内に役職者の枠組みを設けたのと同じタイミングで、シロコは格闘戦の師事を願い出た。運動は好きだし、先生のデタラメ体術も知っていて、身を守ることに繋がるからと先生側も快諾した。

 その成果と言える一発だった。

 右腕を外に開かされ、ホシノの身体が泳ぐ。左腕を振って姿勢制御を試みるが、ショートダッシュの直後だ。慣性は抜けきっておらず、些細な乱れがバランスを崩し、即座の回復は望めない。

 そこでシロコが一歩を踏み込んだ。

 左を軸足に、右足を鎌のように振り上げる。その軌跡の先端である爪先は、過たずホシノの顎をカウンターで穿った。

 そこで全てが終わらない。振り上げた右足の勢いに引かれるようにして、追って左足も地を蹴った。上半身は大きく動かさず、慣性任せにただ跳ぶ。

 後方宙返り。

 ある程度まで振り上げたら足を縮め回転をコンパクトに。二メートル程の高さに浮いた身で、シロコは抱えたアサルトライフルのトリガーを絞る。

 後方に跳んだとはいえ相手は目の前。馬鹿でも当たる。

 当てた。

 瞬間的に七発。片手撃ちだが全弾ヘッドショット。これが生身であれば蹴りの脳震盪と合わせて確実に鎮圧だろう。だがホシノは暴走状態、意識がないのだから脳震盪も起こしやしない。効いてはいても、痛打にはなり得ない削りだ。

 そこで終わっていればの話だが。

「支援攻撃、一斉射!!」

 鋭い声と共に、シロコが左腕を振るった。ポケットから取り出し放るのはグレネード。先に投げたのと同じものだ。

 外しようのない至近というだけが片手撃ちの理由ではない。ダメージ足り得る高火力を、確実に当てられるタイミングで当てに行く。アサルトライフルの射撃もその為の布石に過ぎない。

 同時、宙返りの為に縮めた足の直下を弾頭が抜けた。

 シロコのドローンが放つミサイルだ。

 シャーレにおけるユウカとの親交、その繋がりでドローンもミレニアムの改修を入れている。具体的にはスマホやコントローラーを介さず、インカムからの音声認識による操作に対応したのだ。常に状況が変わり続ける戦場において、ハンドレスで使用出来るドローンの有用性は言うまでもない。

 今がまさにその状況だ。

 縮めた身体の前面にアサルトライフルを立てガードとし、爆風に乗って距離を開ける。シロコ自身も衝撃を食らうが、もう一人のシロコ同様ダメージは逃がしている。ホシノに比べれば被害は少ない。

 そこにもう一人のシロコが追い付いた。

 バランスを崩した上で爆発により仰け反ったホシノに、ショットガンを至近で二発。装填が必要になったそれを宙に放り、畳み掛けるようにアサルトライフルを連射。一マガジン分を撃ち切った時点で位相空間に叩き込み、両の手を宙に伸ばす。

 右の手には落下して来たショットガン。左の手にはアヤネの遺品であるドローンから投下されたショットガンシェル。

 装填。

 しかし同時にホシノが動いた。

 連打と称して良い猛攻を食らい、地に倒れ行く動きの中、それでもショットガンをもう一人のシロコに向ける。流れるようなスムーズさで発砲。しかしその一撃は届くことなく、長い銀髪を靡かせるだけに終わった。

 もう一人のシロコが身を翻しつつ、ホシノの右腕を蹴り払ったからだ。

 踊るように、しかし戦う為に回り終えた黒き狼の手の中、ショットガンは装填を終えていた。

 射撃する。

 

     ●

 

 ……これはまた、何とも面倒だな……!!

 僅か四秒。しかし濃密な交錯の果てにホシノが吹き飛び、それでもなお獣の如く四肢で着地し飛び出す姿を見て、先生は口元を歪めた。

 これまでにも変質したベアトリーチェ、アビ・エシュフを纏ったトキ、箱舟で相対したもう一人のシロコ、そして度々姿を現す預言者や特異存在など、数々の戦いを経験して来た。

 だが戦闘という一点に限って言えば、今の彼女こそが最大の敵と言って良い。

 色彩によって反転したシロコは肉体こそ成長しているものの、精神は本人そのものだ。その壮絶な経歴故に摩耗している節はあるが、砂狼シロコという一個人の範疇から外れるものではない。

 対しホシノは色彩ではなく、地下生活者の干渉によって生じた人工的な反転だ。自意識はほとんど残っておらず、戦闘行為も反射的な迎撃と言う方が近い。それは力をいなせるなら御しやすいということでもあるが、

 ……正面から当たるしかなくなった場合、確実に押し負ける。

 人であれば、自壊や殺傷を恐れて振るう力を抑えるだろう。

 獣であれば、欲求よりも生存を優先し戦いを避けるだろう。

 だがどちらでもないホシノは、己の死すら厭わず力を振るい続ける。

 自分にはそうすることしか出来ないとでも言うように。

 そうすることでしか痛みに耐えられないと言うように。

 と、ここまではもう一人のシロコが駆け付ける前に読めていた。

 己とて喪失を食らった身だ。あの後悔や憤りがない交ぜになった軋みを、今なおホシノは抱え込んでいる。

 故に止めたいと、そう思ったのだ。

 問題はホシノを止めるにあたり、彼女と同等以上に渡り合える人材がいなかったこと。この一点に尽きる。

 己の知る限り、ホシノに相対し勝ち得る生徒はキヴォトス上に五人といまい。今回は雷帝の案件という大義名分を元に、シャーレの暫定総長でもあるヒナを頼った。そのヒナがダウンした時点で、対策委員会が束になって掛かっても差し違えるところまでしか持って行けないだろう。

 それではダメだ。

 勝負に勝って試合に負けるようなもの。己にとっての勝利条件とは、ホシノは当然として対策委員会やヒナ、もう一人のシロコにハイランダーの面々も含めた全員の生存と生還だ。

 死と隣り合わせの激戦を潜り抜けることが前提で、制してもホシノを連れ戻せる確証はなく、その経過において誰が欠けても敗北確定の、一歩も踏み外せない綱渡り。

 だが、それでもやるのだ。

 諦めないと、そう決めたのだから。

 ……まあ、奮起した程度で引っ繰り返せる程現実は甘くないのだがね……!!

 眼前の戦闘から注意を外さぬまま、横目で左を見た。ホシノの影響か赤く染まった空とは対照的に、蒼の雷が迸る空の一角がある。

 もう一つの懸念。元の世界の知識において神と称される存在だ。

 ホシノの反転に引かれて現れたとなれば、恐らくはセトの係累か。彼方の空より舞い降りた雷の神は、しかし目立った動きを見せていない。陰になった砂丘の向こう、遠方に圧倒的存在感を捉えてはいるが、一向にこちらへとやって来ない。

 顕現に問題があったのか、単なる神の気まぐれか、はたまた別の要因があるのか。ヒナやセリカ達を休ませたのもあちらへの保険のつもりだったが、この好機を生かさない手はない。アレが動き出すよりも先に、ホシノを救わねば皆が危険だ。

・私  :『プラナ君、領域構築までの予測所要時間は?』

・プラナ:『十……、いえ、九分四十二秒です』

 遅い。否、プラナ達が遅いのではない。状況の進行が速過ぎるだけだ。地下生活者の監視に強制転移シーケンスの起動、そして混沌の領域の構築と、ここまでのオーバーワークは色彩戦以来だろう。いくら二人が優秀とはいえリソースが限られている以上、足りない分はどこかを切り詰めねば補えない。

 ならばこの状況で最も負荷の掛かっている処理は何かと言えば、

・私  :『……アロナ君、私への防護系加護をカット。思考加速と戦闘指揮を除く全てのリソースをプラナ君に回したまえ』

・あろな:『先生!?』

 アロナの驚愕も当然だ。防護系加護の解除とは、即ちシッテムの箱による守りを捨てるということ。生徒のような頑丈さを持たない己の身体は、銃弾一発で死に至る。今目の前にしている戦闘だって、流れ弾を食らうだけで致命傷だ。特にホシノの強力な砲撃など、消し炭どころか塵一つ残るまい。それを最もよく分かっているであろうプラナが慌てて、

・プラナ:『いけません、いくらシロコ達が引き付けているとはいえ、衝撃や圧による被害は出ます!! 思考加速の反動相殺も──』

・私  :『ならば構築完了まで私が耐えられる域に思考加速を緩める。砂狼君達が奮闘しているのだから直撃は絶対にない。その程度の負傷と痛みなら根性でどうにかなる』

・あろな:『精神論にも程がありますよ!? ただでさえここまで無理を利かせて来たんです、今の先生の身体では……!!』

・私  :『構わん!! 傷は治る、痛みも和らぐ、生きてさえいれば!! だが──』

 言う。

・私  :『喪失は覆せないのだ!! 故に失われることだけは、何があっても止めねばならん!!』

・あろな:『……思考加速を十倍まで順次減圧、防護系もショック状態にならないよう段階を踏んで解除します!!』

 逡巡は一瞬だった。きっと彼女もまた、あの箱舟でもう一人の自分に救われたことを、心のどこかで引きずっていたのだろう。こちらの安全を考えるという点ではプラナも同じだが、この一点だけは彼女にも劣らない。

 崩れ行く箱舟をもっと早く掌握出来れば、遺体を持ち帰るくらいは出来ただろうから。

 そして、それが来た。

「──っ」

 脳を締め付けられるような痛みが来る。身体が震え、視界が霞み、口内には鉄に似た味が広がって、意識を手放しそうになるが、しかし耐える。

 妹を失った時の呆然に比べれば、ケイやもう一人の己の最期を思えば、この程度苦しみにも値しない。

・あろな:『先生!! 大丈夫ですか!?』

・私  :『問題ない……!! プラナ君、予測所要時間を再計算!! どれだけ縮められる!?』

・プラナ:『──あと二分!!』

・私  :『──任せた!!』

 託し、意識を眼前の戦場へ戻す。思考加速の恩恵で、これだけやり取りを交わしても現実においては一秒未満だ。戦闘においては致命的な隙だろうが、伊達にホシノが見込んだ逸材ではない。サシならともかく二人掛かりでなら、ミスはあっても負けはしないと、そう信じている。

 ……さて。

 二分。それまでにホシノを無力化し、シッテムの箱で干渉出来るだけの隙を作らねばならない。

 二人が、否、四人が頑張ってくれたおかげでホシノの動きも大体読めた。あとはそれをどう生かすか、多重の策を巡らせながら己は言う。

「短期決戦。元よりそのつもりだったが、急がねばなるまいよ……!!」

 

     ●

 

 短期決戦の全力投球。それがムラサキの方針だった。

 いくらこの肉体が名もなき神に通じるオーバーテクノロジーの産物とはいえ、限界は存在する。例えば天童アリスが単騎でコレを抑え込めるかと聞かれれば、答えは当然否だろう。もう一人のシロコやキヴォトス最強クラスを含め、十人掛かりでならどうにか、という領域だ。悪の組織で訓練を受けてはいても、神秘も持たない元一般人の自分では長くは保たない。

 故に短期決戦。アクセルベタ踏みで飛ばすだけなら、ハンドリングなど関係ない。削れるだけ削り、疲弊したシャーレでも撃退出来るレベルまでコイツを引きずり下ろす。それがこの戦闘の最低勝利条件だ。

 無論、だからと言って勝ちを諦める訳ではない。

 武器は拳。銃は持たない。姉が持たないからというのもあるが、相手を力で排除するという行動の重みを忘れぬ為望んでそうした。ユメ程徹底した非暴力主義ではないが、力による解決が良くないという意識はある。

 それも時と場合によるが。

 今がそれだ。

 相手は神。躊躇っていたらこちらが死ぬ。迷う暇も悩む隙も与えてくれないのはありがたい。

 行く。

 正面やや左、カーブの軌道で雷球が来る。色は赤。暗雲と雷が広がる一帯の中、異なる色は殊更に目立つ。

 殴り付けた。

 擦れ違い様にフックの一発。ボールを投げるような、無用な力の入っていない一発だ。

 それだけで雷球が割れ爆ぜ、飛沫と散った。

 そもそも雷とはエネルギーだ。人が拳で殴ったところで意味はなく、感電するのが普通だろう。電力や電圧次第では即死か、破裂か、いずれにせよタダでは済まない。

 故にこそ古来より、神鳴りとも呼ばれ恐れられて来たのだから。

 だが、言ってしまえばそれだけだ。

 神も悪魔も天使も妖怪も人もそうでないのも古きも新しきもありとあらゆる矛盾がありのままに在るこの世界(キヴォトス)において、ただ神であるというだけの存在など旧世界の遺物でしかない。

 加えて目の前の相手は意図的か偶発的かはさておき、姉やその教え子達に要らん迷惑を現在進行形で掛けている。

 張り倒す理由としては十分だ。

 跳ぶ。大きく左に、次いで右。一度左へフェイントを入れてまた右へ。スケールの違い過ぎる相手に意味のない行動と思えるが、現在戦場は落雷のバーゲンセール状態だ。愚直な進行は直撃に繋がる。ボディの頑健さはあくまで保険とし、食らわないに越したことはない。

 だが向こうもそれを理解してか、攻め手を変えて来た。落雷や地を這う雷を牽制に、両の掌による打撃を仕掛けて来たのだ。

 平手による押し潰し、薙ぎ払い、そして拳の打ち下ろし。隙あらばこちらを捕えようと手を伸ばし、距離が詰まれば潔く下がりもする。

 戦神というだけあり、柔軟かつ多彩な攻め手だ。

 それらを凌ぐには知恵と経験と思い切り、そして何より力が要る。

 ムラサキにとっては双の拳がそれだ。

 打撃の際、纏ったグラブが黒と赤の光を放っている。

 U-13と名付けたこのグラブの力は単純明快。

 使用者が望む限りあらゆるものに打撃を通じさせる。

 相手が雷だろうと風だろうと神だろうと、振るう拳が届かぬことは決してない。

 無論、強化されてはいても人の拳。一発の打撃で全てを散らすことなど不可能だし、神を打ち破るにはどれだけ途方もない数の殴打を積み重ねれば良いのか見当も付かない。

 だが、雷撃により高温化した大気の揺らぎの先、一つ見えている事実がある。

 セトの憤怒を形作る雷が、徐々に薄まっているのだ。

 無尽蔵の力に見えても、神もまた形ある有限の存在。ここまでの三分、放った力と砕かれた雷撃の負担が、少なからず相手を弱体化させている。

 神とて殺せば死ぬ。それだけの話だ。シンプルで分かりやすくて良い。

 ならば自分のやることもシンプルだ。

 死ぬまで殴る。否、殺してはダメなので寸止めか。ともあれお相手はまだまだ元気いっぱい、こちらも擦過や火傷など増えて来たが、まだまだ許容範囲内。

 戦闘続行。空を覆う雷掌をアッパーカットで弾き上げつつ、調息で焼けた大気を肺に取り入れつつムラサキは思う。

 ……セトの憤怒、か。

 

     ●

 

 セト。

 エジプト神話における主神クラスの一柱であり、砂漠と戦闘を司る神。兄であるオシリスを殺し、その息子であるホルスと争った邪神とされる。

 だが、ここにちょっと面倒な経緯がある。

 本来のセトは邪神を打ち倒す高潔にして勇猛な神として、古代エジプトで絶大な信仰を向けられていた。一時はホルスをも凌ぐ人気を得ていたという歴史からも、その偉大さは伺える。外敵や動乱など戦いも身近な時代であればこそ、戦闘神を崇め加護を賜ろうというのは自然な流れだ。

 しかし時代の変遷と共に、ファラオの始祖たるホルスの敵対者であり、その親にして自身にとっても兄である神を殺したという点に焦点が当てられ、徐々にセトの扱いは悪化して行った。特に主流であるホルスの側にとっては、対抗馬となり得るセトの信仰を削ぐという面も大きかっただろう。

 神話は人が紡ぎ、語ることで生まれるもの。如何に強大な力を持ったとて、その在り方は人の定義に縛られる。

 結果セトは邪神として名を馳せ、ホルスとの戦いは世界の終焉を招くとまで謳われた。

 セトの憤怒。

 その怒りは宿敵との邂逅を阻まれたからか、悪神として歪められた故か、或いはそれらから解き放たれる人の形を得られなかった憤りか。

 本質を幾許か残しながらも割と自由にやっている生徒と違い、神は己の在り方を変えられない。

 人々が思ったように。

 人々が願ったように。

 人々が作ったように。

 望まれた役割を果たすだけの舞台装置として、存在の根底に刻み込まれた筋書きの通りに動くのみ。

 ……ああ。

 本当に、世界は理不尽で、不条理で、不完全だ。

 その怒りが今天を荒らし、地を焦がし、自身を阻む小娘を排斥せんと持てる権能を全力で振るって来る。

 理解はある。

 共感もある。

 この同情にも似た感慨を抱えたままでいれば、瞬きする間もなく雷撃の雨に沈むだろう。

 それも良いのかもしれないと、ふと、一瞬そんなことを思ってしまった。

 

     ●

 

 少女の動きが、僅かに鈍った。

 それは瞬き一つ程、一呼吸分にも満たないような、ほとんど存在しないといっていい程の乱れだ。

 戦神相手には致命と言える隙だった。

 荒々しくも、芯の通った動きを通して来た少女が、ここに来て初めてブレた。

 疲労はあろう。負傷もあろう。だがこのような隙を見せる程のものではなかったはずだ。

 ならば精神由来のそれか。

 神と相対する戦場で愚かな。戦神故の侮蔑と共に、セトの憤怒が畳み掛けた。

 或いはかつての、瑕疵なき頃の神であれば、神聖なる一騎討ちとして見逃したかもしれないが、今のそれは暴虐に耽る悪性なれば否はない。

 雷を滝のように降らせ、左右からは大雷球。そして正面から拳を振るう。退いたところでこちらの拳に腕はない。どこまでも届くし、迂闊な回避は挟撃と落雷への被弾に直結だ。動きを止めれば拳が穿つ。両の黒拳で迎撃しても、全てを捌き切ることは出来まい。

 だが、

「──知ったことか」

 三発で八割を消し飛ばした。

 右のフックで雷球を。左のジャブでもう一つの雷球を。再度の右がアッパーで雷掌をかち上げ、その余波で落雷を掻き消していた。

 当然ながら無傷ではない。セーラー服は各所が裂け、黒の色も布地より焼け焦げによる部分が多くなっている。残り二割のガードに回した左腕は、上腕下腕共に裂傷から血の蒸気を噴き上げている。

 それでも血よりなお赤い瞳に込められた激情は、些かも衰えていなかった。

「時間の多寡で想いの強さに優劣がつくなんて誰が決めたの」

 迎撃の為に止めた足を動かす。ただ速く、何より速く、駆け抜けるという表現そのままに戦場を行き、

「あなたの怒りが世界を壊すなら、私の怒りは世界を救うよ」

 

     ●

 

 かつての自分は、どうしようもなく馬鹿だったとムラサキは思う。

 世界は単純。努力は報われるもので、可能性にゼロはなく、すべからくハッピーエンドに至る。

 無知で愚かな子供が夢見た真理は、やはり正しくなかった。

 その最たる結果が、己の姉だ。

 容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群で、自分にとっては憧れだった。

 彼女に追随出来る者がおらず、それ故に冷めていて、しかし何だかんだと言いつつ優しかった。

 それが自身を守る為の無意識な防衛機構だったことに、死ぬまで気付けなかったのが己の最大の罪だ。

 姉は優しかった。優し過ぎた。だからこそ他人に共感し、入れ込み、あらゆる感情を等しく受け止める。多感な子供時代にそんな感情の共有をしていれば心が保たない。だから「自分の周囲には馬鹿しかいない」と、正しくも間違っている解釈を元に他人から距離を取った。

 それを壊したのが自分だ。

 悪気のない無邪気な一言。馬鹿な自分にも教えるのが上手かった姉に、先生が向いているなどと口にした。あの雑談中の一言がなければ、姉の人生はまた別のものになっていただろう。

 だが己は死に、喪失で呆然となった姉は記憶を縁に、自分の行く道を明確に定めた。

 確かに姉が先生となり、キヴォトスに来たことで、救われたものは多い。

 対策委員会、ゲーム開発部、補習授業部、ティーパーティーやアリウススクワッド、RABBIT小隊に百花繚乱紛争調停委員会、細々した事件まで含めればキリがない。

 それらの中で少なくない労力や対価を払い、時には傷を負うこともあった。

 自分で望んだ道だと、姉はそう言うだろう。

 だがその陰で彼女が傷付き、苦悩し、心身を削って苦しんでいたという事実もまた、消えることはない。

 だから私は、私が嫌い。

 ホシノがユメへの最後の言葉を苦悩していたように、己もまた姉への言葉を悔やみ続ける。

 言葉は呪いだ。

 その呪いに縛られていたが故に、ホシノも姉も「こう」なった。

 理不尽で、不条理で、不完全で。

 そんな中でも藻掻き、足掻いて、しかし「こう」なってしまった。

 酷い世界だ。

 その中に自分の大事な人達がいて、傷付いていて。

 そしてその一端に、自分が関わっていることは確定した過去なのだ。

 自分も酷い存在だ。

 醜悪で、救いようがない。

 だから、全部終わってしまえば良いと。

 そう思えるだけの幼稚さが残っていれば、まだマシだったのに。

 姉が必死で頑張っているのを尻目に、一人死に逃げ出来る程の身勝手さも、また己は持ち得なかった。

 だから今、ここで「こう」してる。

 ああそうだ。

 今の私は「こっち」だ。相手と同じ、主役を引き立てる舞台装置。舞台の成立に必要ではあっても、顧みられることのない裏方であり大道具。

 それで良い。むしろそっちの方が気楽だ。

 スポットライトの当たる花形など性に合わない。愛、友情、青春、奇跡、そういうのは姉の担当。

 正しくないけど間違いではない、そんな子供の理想を叶える為に悪役を背負う馬鹿なお人好しには、「そっち」の方が似合っている。

 優しさ故に失わせないと叫び、世界の悪意の最前線に己を置いた姉。

 ならば己はせめて、知られることなく姉の負担を少しでも軽くする。

 姉が誰かを救う度に、妹はその成果を喜び、しかし道行きで経た姉の懊悩から己への怒りを燃やす。

 姉がその役目を終える時まで、姉の前に立ち塞がる障害を何度でも何度でも自身ごと焼いて。

 どうせ死んだ身。存在しない者だ。消えたところで誰も哀しみはしない。そういう思考は良くないと度々奏に窘められるが、十年染み付いた妄執がそうそう変わるものか。

 罪は重く。

 赦しは求めず。

 しかし贖いは絶えることなく。

 どんな手を使っても。如何なる代償を支払うことになっても。

 

     ●

 

 少女が、三つ詰めた。

 一つ目は距離。

 そもそもが巨体である神は雷撃を主とする中、遠距離戦の得手だ。少女の打撃は近接仕様であり、迎撃を除き攻撃を当てるには近付く必要があった。

 二つ目は工程。

 巧みに攻撃と牽制の網を張った神に対し、少女は無理に前へ出ず雷撃のパターン化に努め、打って出る際の立ち回りを迎撃と並行で練っていた。

 これら二つの複合として、三つ目の効率を大幅に詰めた。

 雷を殴り散らすとはいえ、砕かれたそれは即座に消える訳ではない。宙に溶け、霧散するように、段階を踏んで大気に順化して行くのだ。

 その途中で他の雷撃にブチ当てて連鎖崩壊させれば良い。

 パズルゲーと同じだ。色や柄を揃える必要がないので、狙う順序を間違えなければさほど難しいものではない。それさえも音ゲーの譜面と同じで、見切りさえすればコンボは安定する。

 させた。

 ノルマは一発の打撃で五つ。左右のコンビネーションで二桁を破壊する。

 三十メートルあった距離を半分まで詰めた。

 だが、相手は神だ。砕いても防ぎきれない余波が、少女の身体を打ち付け傷を刻む。既に無事な部分を探す方が難しく、赤光の照り返しではなく零れる赤が彼女の身を染めつつある。

 それをこそ望んでいる少女を止める要因にはならなかった。

 ジャブ、フック、ストレート、アッパー、スマッシュ、そしてそれらの複合と連動。

 原始的な、しかし最も身近な力を以て、少女は戦場を突き進む。

 放つ力は青と黒。

 散る飛沫は白と赤。

 迎え撃つ方は蒼白の雷を降らせ多重の網以て絡め取り。

 進撃する方は赤の光纏う黒拳にて障害を穿ち破壊する。

 一進一退。否、少女は下がらない。退く選択肢など最初から持ち得ないとでも言うように、ただ前を望み進撃する。

 さながら一本の矢。キヴォトスに合わせて表現するのであれば、銃弾のように。

 残り十メートル。

 戦闘開始から既に三分半。全力で動けるのは残り一分強。その制限を理解した上で少女が行く。噴き上がる怒りで身体を動かし、しかし挙動はどこまでも冷静に。進行と負傷の損耗計算を他人事のように切り詰め、自損を厭わず目的を果たしに行く。

 だが、状況の変化は不意に訪れた。

 神の攻撃が止んだのだ。

 だがそれは諦めによるものではない。決め手となる大技を放つ瞬間、その一瞬の静寂に似た、寒気すら感じさせる刹那の沈黙だ。

 事ここに至り手の内を隠しておける相手ではないと踏んだ神が、全力を以て排除に掛かった証だった。

 少女が視線だけで見上げた先、神がその巨大な掌を天に掲げ、莫大量の雷を集束させている。

 その構えはお互い知る由もなかったが、反転したホシノが大規模砲撃を放つ際の動きによく似たものだった。

 唯一違う点があるとすれば、ホシノは地から噴き上がる一撃だったのに対し、セトの憤怒のそれは天から飛来する一撃だということ。

 神は天上に座するもの。その言葉の通りに、極限まで圧縮され日輪の如く輝く雷槍が振り下ろされる。

 直撃した。

 

     ●

 

 全域雷撃とでも言うべき大爆破が、少女のいた一帯を飲み込んでいた。

 爆心地となった地点は球状に抉れ、高温で焼かれた砂は塵さえ残さず蒸発。余波の熱風で焙られた同心円の範囲は陽炎を立ち昇らせ、大気が焼ける苦みに似た臭いを風に乗せて周囲へと運ぶ。一部に至ってはガラス化している地帯もあり、到底人の生存し得る環境ではなくなっていた。

 それも当然だろう。神とは人ならざる者。埒外の力を振るい災いすら容易く引き起こす、存在の格が異なるモノ。自由を対価に神性を弱体化させた生徒では、手厚い支援がなければ無事では済まない。

 故に終わった。それだけの話だ。

 だからセトの憤怒は、それ以上少女について考えるのをやめた。

 随分と手間を掛けさせられた。だが、類を見ない強敵でもあった。少なくとも本命のホルスとぶつかる前に、このような手練れと当たるという事態は避けたかったと思うくらいには面倒だった。

 消耗はある。こちらの手札のほぼ全てを用いただけならばともかく、切り札たる憤怒の雷槍まで使わされることになるとは。だが怨敵たるホルスを討つ絶好の機会であり、もはやその相手は手の届くところにいる。

 不利な状況でも、行くべきだ。

 だから行く。周囲の、帯電した大気から力を急速に取り込みつつ、

「──残り三十五秒」

 そんな鋭い声が、己の絶対性に否を叩き付けた。

 

     ●

 

 懐に潜り込んだ。

 開戦の号砲となった初手の二連撃以降、戦神によって阻まれ踏み込めなかった領域。こちらが全力を発揮出来る、己が最も得意とする間合い。

 そこに辿り着くまで、随分と苦労させられた。

 ガードに回した左腕はウェルダン通り越して黒焦げだし、額から下った血が左の視界を塞いでいる。右腕も限界寸前で、一撃叩き込めるかどうかだ。いやホント、この身体が良く出来過ぎてて、焼かれた神経とか風が吹くだけで超痛い。

 だが、それだけの成果はあった。

 先の雷槍がよほど堪えたのか、あれだけ激しく迸っていた雷が弱まっている。動きも鈍く、即座の回避や迎撃は不可能だろうというのが分かった。

 再度力を振るえるようになるまで、恐らくは二十秒前後。

 十分だ。こっちは五秒もあれば事足りる。

 傷も痛みも苦しみも、己の死後姉が食らったそれに比べれば掠り傷と変わらない。

 ならばやることは決まっている。

 人の勝手な都合で変えられた神と。

 過去を忘れられず変われない人と。

 変わってしまったが故にここにいる姉と。

 変えてしまったからこそここにいる妹と。

 何かの掛け違えで、違う側に立っていたであろう様々なもしも(IF)。その一つを身勝手な理由から、ただ力で打ち払う。

 正しくない。そして間違っている。そう理解していても実行する。

 悪役ですらない、悪である己にしか出来ないことだ。

 拳を握り、初動として身を縮める己の傍ら、一枚の表示枠が射出される。

 これ以上の力の行使は躯体に深刻なダメージを与え、魂さえも傷付ける恐れがあるというシステム側からの警告だ。

 無視した。

「穿て、アンラッキーサーティーン」

 声に応じ、右のグラブが光を放つ。目を焼く程の赤の光は、拳として力強く握り込まれ、

「──天乱拳」

 

     ●

 

 ねえ、ホシノ。

 貴女は私とは違う。

 ユメに会いたいと、今でもそう思っているんでしょう?

 消えない後悔を抱えたまま、それでも会いたいと願っているんでしょう?

 私はお姉ちゃんに会う気はないけれど。

 貴女にはまだ、そのチャンスが残ってる。

 なら、こっちに来ちゃダメだよ。

 日の当たる温かい場所で、待っている人達がいるんだから。

 影の中に踏み入ったからこそ、その輝きが掛け替えのないものだと私は知ってる。

 だから、こっちは私が引き受けるよ。

 あったかもしれない貴女の(IF)として。

 お姉ちゃんと私が、道をつけるから。

 

     ●

 

 四連撃だった。

 セトの憤怒の直下やや手前。そこから真上へと飛び上がった少女が、右の拳をフック気味に放つ。

 無理を承知で回避を望んだセトの憤怒、その動きを完全に読み切った一発だった。

 相手の力の軸線を把握し、揺らす打撃は、一つの結果を生んだ。

 地に足が付いていない、浮遊している身だというのに、確かにバランスが崩れたのだ。

 そこに少女の二発目が入った。

 返す一撃は右の裏拳。姿勢の乱れを加速させること、その一点に特化した速度重視の打撃は威力こそさほどではないものの、セトの憤怒の身を回し、地へと落とした。

 大質量が砂原に打ち付けられ、暗雲の空に砂塵が舞い上がる。

 そこで全てが終わらなかった。

 神を打ち伏せたというだけなら、開幕の二打と変わるところはない。そしてそれだけで済ませる程、少女は甘くも優しくもなかった。

 落下を待たず、足場を展開する術式を蹴った少女がセトの憤怒の正面へ。轟音付きで着地した様は、落雷と見紛う程の速さだった。

 三発目。

 二発目の裏拳を放ち、右外へと縮めたまま保っていた拳を、踏み込んだ足、腰、肩、腕と連動した連続加速からアッパーで放った。

 打ち上げる。

 自身の十数倍を誇る神の身体が宙へと浮いた。勢いが付き過ぎた故か、浮かされた巨体は高速で回転し続け、ジャイロ効果で落下すら許されない。

 その直上に少女が飛んだ。

 〆の四発目は打ち下ろしのスマッシュ。地表、天の足場術式と跳弾のように跳ねた全慣性と全体重を乗せた、シンプルな右のストレートだった。

 叩き込む。

 力を使い過ぎ、三連撃に振り回されるままとなっているセトの憤怒には、防御も回避も望めない。

 振り抜くことなく、放った拳を当て、止めた一発は、その威力を正しくセトの憤怒に発揮した。

 目で追うのも至難な程の速度で吹き飛んだ戦闘神が、眼下の大地へとスタンプされたのだ。

 

     ●

 

 すり鉢状に変化した砂原に降り立ち、ムラサキは己の成果を見た。

 自分も大概ボロボロだが、同等以上に被害を得たセトの憤怒がいる。

 冠のようだった装飾は砕け、白に等しかった雷が青の一色まで薄れていた。雷雲も天を覆い尽くす程ではなく、帯電していた大気も風に流れ徐々に沈静化しつつある。

 先の大技が相当の消耗を強いたという点を加味しても、完全復活には相当な時間を要するだろう。この後姉やホシノ達と一戦構える場合、不完全な状態での戦闘になる。

 それだけの負債を与えてやった。

「恨むなら私だけにしておいてね。私怨で動いている者同士、そっちの方が後腐れないでしょ」

 言って、しかしムラサキは苦笑した。首を傾け、赤光を収めて行く右手のグラブを見て、

「格好、付け過ぎたかな」

 言葉と同時、少女の右腕が弾け飛んだ。

 積み重なったダメージと、振るった力のフィードバックに耐え切れず、内破したのだ。

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