グラスアーカイブ   作:外神恭介

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迷うことなく前を向け
これまでの何もかもが
君をそこに連れて行く
配点(軌跡)
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=27550792


──行って来ます

「……ユメ、せんぱ、い?」

 ホシノが呆然と問うた先、口にした通りの存在が目の前に在った。

 自然を思わせる豊かな長髪も、気の抜けたような表情も、やたらデカい胸も、全てが記憶の中から抜け出て来たようにそのまま。小さく頷き、微笑する動きも、生前をトレースしたように同じもので、

「うん。久しぶりだね、ホシノちゃん」

 柔らかな声が、こちらの名を呼んだ。

 たったそれだけのことなのに、自然と涙が零れ落ちて、不確かな足取りで一歩を踏み出し、

「……どうし、て?」

 思わずそう口にした視線の先、ユメが一瞬硬直した。

 気のせいか、物凄く気まずそうに視線を逸らし、見て分かる程に汗を掻いている。付き合いの長い自分が見るに「何も考えてなかった」とか言い出しそうな顔。やがて沈黙に耐えかねたのか、両の手を立ててこちらに見せた彼女は取り繕うように笑顔を見せると、

「ち、違うよ? これはあくまでホシノちゃんが見てる夢の中の私であって、ああ、夢の中っていうのは私の中って意味じゃなくて寝てる時のユメであって、あれ? ええと、ユメが夢でユメが私で、あれれ?」

 両手を宙にアウアウ泳がせること数秒、我に返ったのかユメが慌ててこちらを見て、

「と、とにかく、本当の私はもう死んでるはずで、実は生きてたとか今は陰でこそこそ動き回ってるとか、そんなことは絶対ないよ!? ないからね!?」

 このポンコツ具合は紛れもなく本物だが、これをエミュレート出来る程彼女を理解していたのか、或いは自分の馬鹿っぷりが追い付いたのか、どっちにしろ人として終わってないだろうか私。

 

     ●

 

 ……危なかったー!! 何とか誤魔化せたよ……!!

 誤魔化しきれていない気もするが、まあ多分大丈夫。言葉尻こそ辛辣なことも多かったホシノだが、根は良い子なことは知っていて、だからこそ通じていた部分もあったのだ。自分が突拍子のないことを言っても、あれこれ苦言を呈しつつ、最終的には折れてくれることが多かった。それこそ例外は最後のやり取りくらいで、だからこそ彼女の心に暗い影を落としているのだが、

 ……それを祓って、前に進んでもらわないと。

 奏の世界では禊祓、と言うのだったか。もはや己はこの世にないものとして、しかしそれを良くも悪くも認め、受け入れなければ、ホシノはずっと止まったままだ。今回は特例ということで接触許可が下りたが、こちらの現在について気取られぬよう気を付けつつ、抱えたしがらみを解きほぐさなければならない。

 ……色々とバレちゃったら、奏ちゃんや鏡子ちゃんにも迷惑が掛かるもんね。

 でも仮にバレたところで、キヴォトスに残留していた魂が遺品の盾にくっついたまま事の顛末をずっと見ていて、未練が晴れて成仏しかかったところを悪の組織に拾われ新たな体に宿った上で日夜シャーレのフォローとして様々なトラブルに対処してるとか、想像超えてるだろう。現実味がなさ過ぎて信じる方がおかしい与太話と思われるのは確実だ。何が一番恐ろしいかといえば全て事実だということだが。

 まあその辺りの諸々は一旦置いておいて、

「ずっと、探してくれてたんだね」

 ホシノが胸に抱いたままの手帳を見ながらそう言うと、身を竦めるような動きが返って来た。

 手帳を見付けられなかったこと。喧嘩別れのような最後になったこと。それらを主とした後悔を思い出したのだろう。こっちはそんなこと全然気にしていないのに、相変わらず真面目な子だ。

 ……私の方こそ、もっとしっかりしてないといけなかったのにね。

 昨今特にそう思う。主に鏡子(ムラサキ)(ナコ)に苦労を掛けっぱなしの現状について。一昨日もまた砂糖と塩を間違えて焼き魚が甘くなったし。でもマヨネーズを掛けるのも何か違うと思うよ鏡子ちゃん。生前出来なかったからって不健康な生活を謳歌しないで。

 話が逸れた。

 今思うべきはそんなフリーダム過ぎる現在ではなく、己とホシノの間に通じる過去だ。叱られるのを怖がるように身を縮こまらせているホシノに対し、伝えたいことは数え切れない程ある。その中でも真っ先に言いたいのは、

 ……ごめんね。

 その言葉が口をつきかけたが、寸でのところで踏み留まった。彼女の気持ちを思うなら、ここはこう言うべきなのだ。

「ありがとう。それ程までに私のことを、大事に思ってくれて」

 能力もない、実績もない、馬鹿で足りない私のことを、ずっと忘れずにいてくれた。

 辛い記憶だったろうに、己に爪立てるようにしながらも、ずっと覚えていてくれた。

 何も出来ていなかったつもりでも、自分の生きた時間は決して無駄ではなかったのだと。

 ホシノの苦しみを思えば不謹慎かもしれないが、一人の先輩として、それが嬉しかったという気持ちは嘘じゃない。

「別れが辛くて哀しいのは、一緒にいた時間が幸せだったってことだから」

 そう。どれだけアビドスが貧乏で、毎日が大変で、衰退に歯止めを掛けられないどん詰まりの土地であっても。

 共に過ごした何の変哲もない、しかし温かかった日々は、掛け替えのない奇跡であり、幸せだった。

 正しくなくても、間違いではなかったのだ。

 これは夢の中。束の間の邂逅。都合が良くても、事実じゃなくても、当人が信じるなら真実の出来事。

 先生の時と同じだ。何のしがらみも制約もなく、思うままを口にして良い。実は生きてたとか、こっそりアビドスに寄付してるとか、言えないこともあるけど、そこに嘘は決してない。

「例え終わりがどんな形でも、ホシノちゃんと一緒に過ごした時間は、私にとって幸せだった。それはどんなことがあっても、絶対の事実だから」

 これは生前も、そして死後も、彼女をずっと見て来たから言えること。

「死は終わりじゃない。ホシノちゃんが私を継いでくれたみたいに、私はずっと、ホシノちゃんと一緒にいる」

 鏡子の願いを継いだ先生が、ここまで繋いでみせたように。

 かつての己を真似ながら、ホシノが後輩達を導いたように。

「それは、ホシノちゃんが一番よく分かってるはずだよ」

 

     ●

 

 崩れるのは一瞬だった。

 表情を歪めたホシノが、涙を堪えようとして、出来ず、目尻から滴を零しながら、反射的に一歩を踏んだ。一度動いてしまえば続く歩みを止める理由もなく、ぶつかるように駆け寄って来る。

 抱き締めた。

「ああ……!!」

 そこでようやく、ホシノが泣き声を上げた。

 抱え込んだ全てを吐き出すような、ありとあらゆる感情の篭った声だった。

 産声のようだ、という感想は決して間違いではあるまい。自分がいなくなってから、彼女は一度も泣かなかった。

 人前で決して涙を見せず、一人の時でさえもそれを押し殺し続けた。

 ようやく泣けた後輩を抱き締めつつ、ユメはふと先生と鏡子のことを思った。

 ホシノと同じ苦しみを抱えた姉と、似た苦しみを抱えた妹。

 ホシノと違って未だ泣けていない姉妹のことを。

 失ってから妹への無理解に気付き、しかしそれ故に先生という生き方を見出した姉。

 生徒に寄り添い、躊躇いなく己を削り、自分のことでは決して泣くことがない悪役の女性。

 敬愛する姉の人生を歪め、しかしそれが正解であった故に感情の行き場を失った妹。

 姉をそうした己と、理不尽な世界への怒りを燃やし、己を削ってでも戦い続ける優しい子。

 いつか彼女達も、泣くことが出来るだろうか。

 先生はきっと、大丈夫だろう。言葉を交わした彼女の瞳は、その熱を失っていなかった。それにシロコやホシノ達、沢山の生徒が傍にいて、彼女を支えて行くだろうから。

 だけど、その手は死人である自分達には届かない。

 なら、とユメは思う。先生が(そっち)を守るなら、自分が死後(こっち)を守って行こう、と。

 自分如きが、先生のように上手くやれるとは思わない。それでも彼女の救いが及ばぬ範囲を、少しでも狭く出来るのなら。それこそが彼女に救われた一人として、今の自分に出来ること。奏もいるのだし、鏡子のことも、何とか良い方向に変えられればと思う。

 だからこれは、最後の手向け。

 死後(こっち)に引きずられているホシノを、生者の世界へ送り出す。

 忘れられなくても、割り切れなくても、前を向くことさえ出来れば、あとは先生がどうにかしてくれるはずだから。

「頑張ったね」

 労わるように頭を撫でる。昔は反発されたものだが、今は素直に身を預けて来る。それだけでも彼女がどれだけギリギリのところで堪えていたのかが分かるし、自分の想いを上手く伝えることの出来なかった未熟さに落ち込みもする。

 だけど後悔は後。僅かな間にだけ許されたこの時間を、過去への逡巡で浪費することは出来ない。そういったものはこの一件が終わってから、奏や鏡子を交えてあーだこーだと愚痴ったりダベったりすれば良いのだ。だから今は、

「大丈夫だよ」

「……大丈夫なんかじゃないです」

 弱々しい反論が返って来た。視線を落とした下、こちらのシャツにシワを作る程強く拳を握ったホシノがいる。こちらを見上げることもなく、涙と共に吐き出される言葉は、

「空回ったり、上手く行かなかったり、後輩達に迷惑掛けてばっかりで……!! 先生にだって助けられっぱなしで、何一つ返せてなくて……!! 皆が不安にならないよう、先輩ぶって、余裕に見せるのが精一杯で!! ユメ先輩のいない私なんて、結局その程度しか──」

「大丈夫だよ」

 全部聞くべきかとも思ったが、気が付けばそう遮っていた。虚を突かれたのか呆然とこちらを見上げるホシノに、ようやく視線が合ったと嬉しさを感じる。それに先のホシノの自己評価は、明確に否を唱えることが出来るのだ。だって、

「かつてそうだった私が、これだけホシノちゃんに慕われてるんだもん。そんなホシノちゃんの後輩達なら、同じようにホシノちゃんのことを大事に思ってるよ」

 それに、と己と半分だけ同じ瞳を持つ後輩を真っ直ぐ見据え、

「先生だって、馬鹿者って叱ったのはあの時だけでしょ? ならあの時以外は、ホシノちゃんが大丈夫だってこと。ホシノちゃんが大丈夫じゃなかったら後輩の皆は支えたり話を聞いてくれるし、先生は叱って正してくれるよ」

 ハッとしたようにホシノが息を呑んだ。こちらの指摘が的を射ていたからか、或いは夢の存在だと思っているこちらが、死後のことに言及した故か。鏡子や奏がこの場にいたらやらかしカウントされそうだけど、このくらいならセーフだよね? ね? ともあれ、

「後輩の皆も、先生も、ちゃんとホシノちゃんの傍にいる。なら、思っていることは言葉にして伝えないと」

 かつてそう出来なかったことを悔いるなら。今周りにいる大事な人達にこそしてやって欲しい。それがユメの、偽らざる本心だ。

 大丈夫、と今度は口に出さず思う。

 選んだ道が正しいのか、間違っているのか分からなくても。

 振り返れば、そこに遺されているものが、いつだって答えを教えてくれる。

 自分にとってのホシノがそうだったように。

 先生にとっての生徒達がそうだったように。

 ホシノにとっては、後輩達がきっとそうであるはずだから。

「大事だって伝えて、その通りにして、……そうすれば必ず、ホシノちゃんの本心は届くよ」

 言ったところで、ホシノを抱いている己の腕が淡く透け始めていることに気付いた。

 時間切れだ。そのことを悟ったのか、ホシノがこちらを留めようと手に力を込めつつ、

「ま、待ってください!! 私、ずっと先輩に謝りたくて……!!」

 大丈夫だよ、とユメは笑った。幾度目であろうと、ホシノが不安を抱くなら、何度だって口にする。

「通じてるから。だからワガママを言うなら、謝るよりお礼を言って欲しいかな」

 一息。

「私にとってはその言葉が、私の人生が間違いじゃなかったって何よりの証明だから」

 そう告げると、ホシノが身を固くした。だが、自分などより遥かに聡い子だ。こちらの意図も通じているだろう。

 名残惜しそうに、ゆっくりと、しかし確かにこちらから離れる。瞳に涙を湛えながらも、深々と頭を下げ、

「今まで、ありがとうございました……!!」

 うん、とユメは笑った。

 例え強がりでも、この場限りでも、別れは済ませたのだ。今後も折に触れ思い出すだろうし、本当の意味で哀しみが消える日は来ないかもしれない。

 だけど、この区切りを忘れなければ、きっとまた歩き出せるだろうと、そう信じる。

「ホシノちゃん」

 最後に一つだけ。もはや陽光に霞む程薄れた身ながら、先輩として一つだけ伝えておくべきことがある。

「待つのは慣れてるから。色々やって、楽しんで、満足してからゆっくりおいで」

 どれだけ大事に思っていても、いつかは死んで、現世から離れることになる。

 だが、死を終わりと捉えなければ。いずれまた違う場所で、再会することだって出来るはず。

 別れではない。

 例え夢の残り香のような、淡く頼りないものであっても。

 皆の行く先に、一筋の希望(明かり)を。

 だからここで言うべきは、さようなら、ではなく。

「また会おうね、ホシノちゃん」

 

     ●

 

 夕焼けの琥珀色に満たされた屋上で、ホシノは一人座り込んでいた。

 もはやユメはここにいない。否、元々が己の思う彼女の幻影だ。どれだけ本物に似ていても、自分は最初から一人だった。

 一人芝居という例えそのもの。傍から見れば滑稽で、哀れなものと映るだろう。

「……だけど」

 覚えている。馬鹿な悪役が言ったことを。最もユメを知る己が思うのならば、事実は分からずとも真実は在ると。

 ならば例え都合の良い想像だとしても、ホシノにとっては紛れもなく本物だった。

 そういうことにして良いのだと、かつて己を救ってくれた馬鹿がそう言ったのだ。

 手放さなくて良いという、彼女の言葉を信じたのなら。

 この夢のような束の間の奇跡も、手放さず抱えて行って良いのだ。

「うん」

 振り返れば、後悔しかないけれど。

 やり残した幾つもの後悔が、今へと自分を連れて来たのなら。

 新たな後悔を生まぬ為には、今を生きて進んで行くしかない。

 一瞬だけ見えた光景。満身創痍ながらもこちらを止めようと抗ってくれた皆と、それら諸共己を屠ろうとする強大な存在。自分がこのままここで立ち止まっていては、誰一人助からないだろう。

 そんなのは嫌だ。

 失わせない。

 自分にとって大事な何もかも、何一つ失わせたくない。

 喪失の意味を知るからこそ、大事な人達にそうなって欲しくない。

 ならばやるべきことは決まっていた。

「行こう」

 目元を拭い、ゆっくりと立ち上がる。

 いつの間にか、涙は止まっていた。

 息を吸う。夕焼けの暖かな大気が、震える身を包み込んでいる。

 先輩のようだ、と思うのは感傷が過ぎるだろうか。

 そんなことを思える程度には余裕の出て来た己に苦笑。踵を返し、しかし手にしたままだった手帳に気付く。

 逡巡は刹那。屋上の隅、出入口傍の壁に、ゆっくりと手帳を立て掛けた。

 自分には、もう必要のないものだから。

 持っていたところで、現実の手帳は見付からないのだ。記されていた内容も、知りたかったことも、先の再会で分かった。

 ならば無駄と知りつつ持って行くよりも、思い出の場所で眠ってもらった方が良い。

「そうだね」

 ユメは死んだ。もういない。それはどうあっても覆せない、絶対の事実だ。

 だけど、決してそれだけじゃない。

 かつていたユメが、自分と関係しアビドスの今に繋がったように。

 そんな自分と関わった後輩達や先生が、これからのアビドスを変えて行くように。

 良いことも悪いことも、全てひっくるめた上での先がある。

 太陽が沈んで、しかしまた昇るように。

 分からないことばかりでも、綺麗じゃなくても、明日は来るから。

「いつか必ず、会いに行きます。ユメ先輩」

 本音を言えば、すぐにでもまた会いたい。

 地団駄踏んで、泣き叫んで、縋り付いていたい気持ちもある。

 もういないと分かっていても、それでもなお大事だったし、だからこそ今までずっと抱えて来たのだから。

 会いたい。

 でも、それは今じゃない。

 やるべきことを果たしていない。

 散々彼女を叱り、苦言を呈していた自分が、己の責務を全うしなければ立つ瀬がないだろう。

 だから、言うべきは「会いたい」ではない。

 アビドスの復興も。

 後輩を守ることも。

 前へと進むことも。

 そしていつかの再会も。

 為すべき全てを内包した一言として、

「──行って来ます」

 

     ●

 

 この痛みも、苦しみも、楽しさや掛け替えのない思い出の全て。

 あなたと私がいたからこそ、得ることの出来た宝物なのだから。

 

     ●

 

 意外と痛みはないな、というのがムラサキの素直な感想だった。

 悪の組織製名もなき神の技術入り超高性能義体。思った以上に一単語が長くなったが、ともあれ本来死人であるはずの己の魂が収まっているこの身体の由来はそういうことだ。こちらの精神を守る為、欠損レベルの負傷を得た際には自動で痛覚遮断が入る。

 機能として知ってはいたが、実際に世話になるのは初めてだ。当たり前か。そんなホイホイ五体が欠損する程の無茶をするキチガイがいて堪るか。うん、師匠とか同僚とか姉とか周囲にそんなのばっかな気がするけど、今回のはちゃんと理由があってやってる訳だしノーカン。私ノーマル。マトモな一般人。オーケイ。

 でも現実はダメかもしんない。

 考えるまでもない。いくら痛覚がカットされているとはいえ、右腕が酷い有様になっているのは変わらないのだ。筋繊維は千切れ、骨も砕け、破裂した風船のような状態になっている。皮や神経が辛うじて繋がっている為原形のシルエットは留めているが、中身は空っぽに等しいのだ。力を込めても微塵も動く気配がないし、腕としての機能は完全に死んでいる。

 痛々しいが、痛みがないならどうでも良い。長く病床に就いていた故の達観、というかスレた感性からすれば、パーツ交換で直るのだし負傷そのものはさほど問題ではないのだ。

 だが、現状がよろしくない。

 一度叩き伏せたセトの憤怒が、緩慢にだが身を起こしつつある。有史以来積み上げられた怒りはそれだけ強いということか、衰えはしても揺らぎ消える程脆くはないようだ。それならそれでもう一セットくらいブチ込んでおいても良かったかもしれないが、アレをもう一度無防備に食らってくれるような戦神ではあるまい。

 ……やってることは千年単位のストーカーだけど。

 まあこっちの世界には死んだ嫁恋しさにあの世まで追い掛けた挙句変わり果てた姿にビビり散らして鬼ダッシュで逃げ帰って来たなんて神話もある訳だが。それも一つや二つではなくそこそこある。自由過ぎるだろう神。そりゃ人間もザッパに育つ。

 とはいえ、どうしたものか。

 こっちは右腕が吹っ飛んでいて、左腕も黒焦げでほとんど使い物にならない。全力駆動で無茶な機動をしたから足回りも結構厳しく、蹴ったとしても迎撃は無理だろう。というか拳にしたってU-13があったから通じたのであって、なければただの蹴りに過ぎず、何の意味もない。

 どう考えても詰んでる。

 対する正面、セトの憤怒はこちらを警戒して浅く身構えたまま。現状睨み合いの状態だが、遠からず戦闘は再開されるだろう。もはやこちらに戦う力はないと理解した瞬間、容赦なく消しに掛かるはずだ。

 抵抗は、するだけ無駄だろう。

 ……ま、いいか。

 本音を言えば、自分の命には全く頓着がない。

 どうせ十年前に死んでいたはずの身だ。死に場所がベッドの上か砂の上かの違いでしかない。

 姉がその道行きを終えてもいないのに死に逃げすることを赦していないだけで、死にたくないという気持ちは微塵もないのだから。

 なら、やることは変わらない。

 既に五分は稼いだ。これだけあればあの姉なら、ホシノを引っ張り戻す手前くらいまで至っているだろう。奏とユメのサポートもあるのだから、そう遠くない内にホシノは帰って来る。

 だったらこっちのやるべきは、少しでも長く目の前のストーカーを止めること。

 左腕もあと一発くらいは保つはず。そこが最後で意識が強制的にスリープモードに入るだろうが、死にはしないだろう。魂の核部分だけ回収出来れば器は替えが利くし、自分を置いていく奏でもあるまい。

「──じゃ、そんな感じで」

 言って、ムラサキは歩を進めた。動かぬ右腕の代わりに左腕をスナップし、辿々しい動きで拳を握る。超痛くて死ぬ程後悔したが、まあ師匠譲りのジンクスだし。姉とも被っているのが難だが。

 そんなことを思いつつ見上げた先、セトの憤怒が動き始めていた。顔……、と言って良いのかは微妙だが、感覚器らしき上部構造が、こちらではなく更に後ろを見ていたのだ。

 ホシノや姉のいる方角だった。

「……は?」

 戦神ともあろうものが目の前の敵を無視して何故。そんな間抜け極まりない疑問の答えなど、考えるまでもなく決まっている。

 相手は狙いを変えたのだ。もはやこちらに構うことなく、本来の目的を果たす、と。

 こっちの目的がホシノ達へのインターセプトだということは向こうも既に理解しているだろう。ならばホシノ達を狙って攻撃すれば、こっちは割って入らざるを得ない。

 ホシノを仕留められれば良し、妨害されても疲弊したこっちを磨り潰せるので良し。

 掛かる時間に違いはあれど、結果は変わらないのだ。

「くっそ……!!」

 よりにもよってこのタイミングで。否、このタイミングだからこそか。急ぎ身体強化の術式を躊躇いなく規定量超えてブチ込む。後のことなぞ知らん。今この瞬間を乗り切れればそれで良い。

 ああホント、現実ってやつはままならない。加圧されスローモーションになって行く知覚の中、セトの憤怒が両手を掲げて、オイオイオイ何を二つも雷球作ってんの。私が邪魔しても確実に当てるつもりか。どんだけホルス負かしたいんだ。正直引く。だがムカつく程正解だ。こっちの迎撃は一発限り、殴り壊すことは出来ても弾いて逸らすのは今の状態じゃ無理だし。行こうが行くまいが結果は同じってか。ああ本気で腹立つ。お姉ちゃんと違って馬鹿だからどうすれば打開出来るかなんて微塵も思い付けやしない。どうしろってんだ。だけど、ああだけど、それでも、だとしても、

「失わせて堪るかあッ!!」

 

     ●

 

 少女の選択に対し、現実の寄越した答えは当然のものだった。

 右足を砕く勢いで跳び上がった少女が、先行して飛んだ右の雷球に、赤の光を纏う拳をぶつける。

 破り、壊し、しかし砕ききるには至らず、散って行く雷撃の余波が少女の皮膚を焼き、反動で左腕も弾け飛んだ。

 左の雷球は何の障害もなく、一直線にホルス目掛け飛ぶ。

 そして全てが終わらなかった。

 セトの憤怒の空いた右手が、少女目掛け振るわれたのだ。

 出力が足りていないのか、放たれたのは数条の雷撃のみ。だが全身を負傷し迎撃の手段も持たない少女の身を、完全に破壊するには十分なものだ。

 落下し、砂原に横たわる少女からは、文字通り手も足も出ない。

 直撃する。

 

     ●

 

 二重の轟音が響いた。

 雷球と雷撃。形は違えど、両者共に破壊の力を宿した雷。当たれば砕き、耐えられるものなどいない。そういう力だ。

 その行先である二箇所もまた、莫大な力により大気は荒れ、地は抉れ、全てを消し去られているように見えた。

 だが、程なくその認識は誤りであったと分かる。

 晴れて行く砂塵の中、立っている人影が二つあるからだ。

 一人は、戦闘用のベストを着込んだ制服姿の少女だった。

 一つに結んでいた髪は解け、靡く風が宙に桜色の軌跡を残している。

 一人は、白と黒のコートを羽織った制服姿の少女だった。

 流れるような長髪は、吹き荒れる風にも負けぬ美しさを湛えている。

 どちらも盾を構えていた。

 背後に置いた者。己にとって大事な者を、前に出て守っていた。

 無用な力の入っていない自然体で、少女達が面を上げる。

 ベストの少女は、右の目が琥珀色。

 コートの少女は、両の目が琥珀色。

 毅然としたその眼差しは、太陽に等しい色だった。

 

     ●

 

 薄れて行く意識の中、ムラサキはそれを見ていた。

 己の前に立ち、展開式の大盾を構えた少女が、戦神の神威を防ぎ切ったのを、だ。

 自身を葬った力の担い手。顕現した際にはあれだけ震えていた少女は今、一切の恐れなく立っている。見上げる背中は普段の頼りなさなどどこにもなく、酷く頼もしいものに映っていて。

「鏡子ちゃん、大丈夫!?」

 振り向き問うて来るその真剣な声音に、ムラサキは今更ながら一つの事実に気付いた。

 彼女にとって自分は、それだけ大事な相手なのだと。

 昔、姉を見ていた自分も、こんな目をしていたのだろうか。

 分からない。だが、動きは別のところから来た。

 目の前の相手の正体を察したのか、セトの憤怒が再度雷球を生成する。両の掌が生み出すそれは、瞬間的に直径五メートルを超え、

「私の友達に何してますか。泣かしますよ」

 聞き慣れた声と共に、白と黒の光条が飛んだ。

 出所は後方。数は二。内訳として白の一発が雷球を破壊し、黒の一発がセトの憤怒を吹き飛ばしていた。

 先に己が見舞った四連撃に比肩する砲撃が、戦神を地に沈める。

 

     ●

 

 射撃を終えた二挺拳銃を宙に溶かしつつ、奏は髪を宙に払った。

 意識を取り戻し、ボロボロの鏡子を見るなりスッ飛んで行ってしまったユメのおかげで、鏡子は辛うじて生きている。そっちに注意が行って警戒を解いてしまうのが何とも彼女らしいが、

「そういう諸々をフォローするのが優秀なAIの役目ですので」

 砂丘の上、見下ろす前と後ろで、対照的な光景が繰り広げられているのが見えた。

 前においては、ボロ雑巾の方がマシな状態になっている鏡子に慌てふためきながら腰を落とすユメがいる。

 後ろにおいては、戻って来たホシノを囲むようにして寄って行く対策委員会と、それを見守る硝子がいる。

 どちらにも関わっていて、どちらにもその場にいない、言うなれば境界線上に立つ者として、奏はゆっくりと口を開いた。

「マスターから聞いた昔話です。光あれ、と神は言った。その結果世界に光が生まれた。ならばこの説話において最も強いものとは何でしょう」

 答えは神? 否、不正解だ。全能であっても、行動を起こさなければ神とて置物に過ぎない。

 ならば言葉? それとも光? 言葉にせねば生み出せないなら全能ではなく、光もまた神がたまたま選んだだけ。何かの掛け違えで闇や星々など別のものに取って代わる。

 だとすれば、神が光を選択し、口にして、創造させたものとは、

「──意思ですよ」

 

     ●

 

 己の意思で前へ、鏡子とユメの元へと歩き出しながら、熱に浮かされたように奏は続ける。

「理性は世界を繋ぎ止め、感情は神さえも殺す。矛盾した両者を束ね、行動という形で表すのが意思。そうやって数多の、有史以来無限に等しい者達の意思を、一つのキャンバスに描き続けて来たのが歴史であり、世界というもの。無名であっても、歴史に残らずとも、無駄なものは一つもありません」

 だから私は、人の意思を愛する。

 理不尽で、不条理で、不完全な世界の中。困難と絶望を前にしてもなお、諦めぬと先を望む人の輝き。その可能性こそが無形の、しかし莫大な未来を照らす標となる。

 ユメの遺志を継いだホシノが、アビドスをここまで守ったように。

 己の意思を定めた硝子が、キヴォトスの破滅を悉く覆したように。

 捻れて歪んだ悪意を向けられても、どれ程の苦境にぶつかっても。抗い、戦い、望む未来を勝ち取った。その瞬間に立ち会えたことに清々しいものを覚えるし、彼女達に加担した自分達の選択が間違っていなかったと確信出来る。

 失わせないという子供のワガママを、一片の疑いもなく信じ続けたが故の軌跡(奇跡)がここに在るのだから。

 溢れる笑みもそのままに、軽い足取りでユメと合流。向こうもこっちに気付き、鏡子を揺する手を止めた彼女は涙目で、

「奏ちゃん!!」

「Jud.、よく頑張りました、ユメ。この馬鹿を治療する必要もありますし、これ以上は硝子達にも気付かれるでしょう。私達はここまでです」

 言って、意識を失った鏡子を担ぎ、奏は歩みを再開。ユメに手招きしつつ、隠蔽系概念を掛け直しながらこの場を離れる。

「──後は彼女達に任せましょう」

 兄の見込んだ次代なら、この程度どうとでも乗り越えるだろうから。

 

     ●

 

 盾を背負い、ホシノは皆へと振り向いた。

 順に全員の顔を見て、一人一人がそこにいてくれるというありがたさに一度目を伏せる。面を上げれば、自然と力の抜けた柔らかな笑みが浮かび、

「ただいま、皆。──ありがとう」

 

     ●

 

 告げたホシノを、対策委員会の面々が改めて抱き締めた。

 見ればヒナも肩の力を抜いて微笑しており、もう一人のシロコは瞳を潤ませつつも笑っている。シッテムの箱の位相空間内に意識を向ければ、アロナとプラナも互いの手を握り合って喜んでいた。

 大団円と、そう言って良いだろう。

 ……良かった。

 色彩戦の二の轍は踏まない。救おうとした相手に救われたり、勝利の代償に生徒を犠牲にしたり、そんな無様を晒さぬよう尽力して来た甲斐があった。特にこちらの心の支えとなってくれたシロコとユメには、いくら礼を言っても足りるまい。前者は今後の付き合いの中で返して行くとして、後者は墓でも作るべきか。その場合小鳥遊君とも相談せねば。ああ、今回の件の打ち上げやもう一人の砂狼君の歓迎会も必要だね。やることが多くて大変結構。我が教員生活は充実である。

「……と、そんな楽しい未来予想を詰めて行く暇も与えてくれないとは、無粋極まりないね全く」

 苦笑と共に口にした瞬間、全員が身構えと共にそれを見た。

 彼方の空、ゆっくりと浮上した雷の神が、明らかにこちらを見据えているのを、だ。

「……一応聞くだけ聞いておくが、やたら小鳥遊君にご執心らしきアレ、知り合いかね?」

「いやあ、さすがにちょっと心当たりないなあ……」

 それを聞いて安心した。

「では小鳥遊君に言い寄る不審なストーカーをぶっ飛ばして〆、ということで一丁やろうか」

「……昔、人の出勤中に言い寄って来た挙句バイト先まで押し掛けて来たストーカーがいた気がするんだけど」

「何と、如何ともし難い不届き物がいたものだね。出すとこ出して賠償金をせしめねば。それで黒見君、下手人に心当たりは?」

「鏡見ろよ!!」

 もう一人のシロコを含めたアビドスの総ツッコミに、己は腕を組んで頷く。見事な一体感。素晴らしきかな友情。このところシェマタ絡みで陰鬱な雰囲気が多かったものだが、ようやくいつものアビドスらしくなって来た。これはつまり、

「勝ちパターンだね?」

「そりゃまあ負けるつもりはないけど、現状皆ボロボロじゃん? 大丈夫? 無茶のやり過ぎで頭おかしくなってない?」

「はて、これまでそんな所業をした覚えは微塵もないのだが、具体的に何かあったかね?」

 ホシノとヒナの目が据わり二人のシロコが無言でシャドーボクシングを始めた。他の面々も温度のない目を向けて来るが、実際こうして生きている訳だし問題ないと思うのだがね。

・あろな:『…………』

・プラナ:『…………』

 思考を読んで圧を掛けるな圧を。

「まあ、ボロボロならボロボロでやりようはあるということだよ。例えば月並みなプランだが援軍を呼ぶ、とかね」

「──じゃ、私達が手伝ってあげる」

 不意に背後から、聞き覚えはあるが耳慣れない声が響いた。

 おや、と振り向いた先、こちらに近付いて来るのはヒカリとノゾミ。自分達をここまで送り届けてくれた、ハイランダーの生徒会だ。ホシノが反転した際、スオウを連れて退避させていたが、

「ま、ここまで来たら最後まで付き合うべきじゃん?」

「受けた恩はー、倍にして返すのが心意気ー」

 自前のハンドガンを取り出し、片やウインク付きで、片やマイペースにそう口にする双子。だが、己は半目になると視線を浅く下へ落とし、

「……言葉こそ頼もしいが抱腹絶倒レベルで膝が笑っていないかね」

「し、しょうがないじゃん!! あんな訳分かんないのと戦ったことなんてないんだし!!」

「世界は不思議に満ちているー」

 いつもの間延びした口調で言うヒカリも小刻みに震えており、恐怖を押し殺して駆け付けてくれたことは馬鹿でも分かる。列車砲などという物騒極まりない代物に衝突上等で突っ込んでくれた時にも思ったものだが、付き合いが良いと言うべきか、義理堅いと言うべきか。逆説的にアビドス組のメンタル強者っぷりが際立つが、まあそもそもが限界集落絶対存続させるウーマンの集まりなのでそんなものかもしれない。

 ……そんな非常識集団と最初に関わったからこそ、エデン条約や天童君の騒動で取り乱さず済んだ訳だが。

 キチガイも意外と役に立つ。常識人の私には縁遠いことだが。とりあえず二人を宥めるべくチョコ菓子を与えていると、ホシノが一同を見回し指折り数えつつ、

「援軍は頼もしいけど、まだちょっと厳しくない?」

「おやおや、橘双子君については嬉しい想定外だが、本命の援軍はこれからだよ?」

 は? と全員が首を前に倒した。だが己は構うことなく、立てた手の平を前後に振って、

「心配は無用だとも。キヴォトスに来て以降、何かと後手に回らされてばかりだったのでね。性根のねじ曲がった悪役らしく、対策はそれなりに打って来た」

 なあ、と同意を求めて振り向いた。

「来ているのだろう、──鷲見君」

 呼び掛けるのは、対策委員会やヒナ達ではなく更にその向こう。かつてアビドス入りした己のように、大荷物を背負って不意に姿を現すのは、

「──Tes.、シャーレ保健委員長、鷲見セリナ。到着しました」

 

     ●

 

 優先順位の設定が必要ですね、と現場を見たセリナは思った。

 最古参クラスの自称部員である対策委員会やヒナとは見知った仲だ。故に会釈一つで挨拶をすっ飛ばし、医療品と弾薬類の詰まったセットを渡す。各自負傷も疲労もあるようだが、自前で処置出来る範疇だ。だからそれぞれに必要な物資を渡すだけに留め、己はもう一人のシロコの元へ。

 こっちのシロコとは良い友人関係となっているが、彼女の世界でもそうだったのかは分からない。だが、自分にとっては彼女もまた同じだと、そう示す為に補給品のセットを渡し、

「はい、どうぞ。多めに持って来ましたので、遠慮なく使ってください」

「……ん、ありがとう」

 やや間はあったものの、そう返してくれたのでファーストインプレッションとしては成功だろう。そして目下最大の問題だが異様に時間を取られるであろう先生へと向き直るが、肩外れてるのに何で平気そうな顔してるんでしょうかねこの人……。あまつさえ無事な方の手を上げていつも通りに、

「良いタイミングだ。ヒーローは遅れてやって来ると言うがまさにその通りだね」

「身体はともかくメンタルはお元気そうで安心しました……。あ、シロコさん、ちょっと肩を嵌めますので、先生の身体を押さえていてください」

「ん」

 どっちも前に出て一瞬止まったが、二人でやるということで落ち着いた。

 腰を下ろした先生に歩み寄り、セリナは肩と腕に手を当てる。呼吸を落ち着け、人体の構造と眼前の身体を重ね合わせ、力を入れ、

「──えいっ」

 軽い音が鳴り、突っ張っていた先生の肩が元に戻る。即座の動きで先生が肩を回し、コンディションを確かめに入るが、問題はないようだ。ただ一応、背後の皆からの視線が痛いので言うだけは言っておこうと思い、

「……痛くないん、です、か?」

「来ると分かっていれば耐えられぬ程ではない」

 二人のシロコ以外全員俯いた。そうですよね……、この人即席バンジーでチャーシューになった前科がありますもんね……。でもよくよく考えると耐えられる訳がない超高空からの落下も躊躇いなく選択する辺り単なるキチガイの可能性が拭い切れず。それ以上考えると色々と放り出したくなる気がしたので、とりあえず手持ちのキットから湿布を処方し、先生については二人のシロコに任せることにした。

 遠くの空、こちらへと近付いて来るセトの憤怒が到着するまで、もうしばらくの猶予がある。その間自分は残りの対策委員会やヒナの治療を手伝いに入り、素早く的確に対応を開始。そんな中、先生にジャケットを返していたこちらのシロコが、

「……それにしても、どうしてセリナが?」

「私の神出鬼没ぶりを忘れました? ……シャーレが爆破された時、真っ先に駆け付けたのは私とワカモさんですよ」

 いつでもどこでも現れる自分は言うに及ばず、停学処分を受けている番外特務という、自称部員の中において最上位のフットワークの軽さを誇るのがワカモだ。利権やしがらみに縛られず、個人の判断で動くことが出来る。

 あまり馴れ合うことを好まない彼女ではあるが、先生の危機となれば話は別だ。先生の応急処置と搬送先への付き添いをする己に、護衛として付いてくれた。その後目を覚ました先生から依頼を受け、お互い色々と動き回っていたのだが、

「私の方はここで合流、ですね」

 一方ワカモの方はといえば、先生の不在で不安定になるD.U.内、不穏な動きを見せかねない集団の監視に回っている。同じように連絡を受けた第一特務のRABBIT小隊(ミヤコ)がシャーレの警備と検分に当たり、第四特務の美食研究会(ハルナ)がゲヘナの巡回警邏、第三特務の便利屋68(アル)がアビドス市街地、そして第二特務の補習授業部(ヒフミ)がアビドス高校の守りに就いている。

 全てシャーレの個人的な依頼であり、あくまでもシェマタには関係ない治安維持の一環。そうやって建前を通す形だ。

 幸いなことにゲヘナ以外から交戦の連絡は来ておらず、遠出の夜歩き状態だそうだ。その旨を伝えると対策委員会が胸を撫で下ろし、しかしヒナが怪訝そうにこちらを見て、

「でも、あなたがこの場にいて大丈夫なの? 雷帝の遺産という大義名分がある私とは違って、トリニティとの外交問題になるんじゃ……」

 ええ、まあ、と嘆息しつつ、セリナは背後の先生を振り仰ぐ。ジャケットに袖を通した大人は、如何にもわざとらしく小首を傾げ、

「時に鷲見君、シャーレ保健委員長として契約した業務内容は何だったかね?」

「先生の依頼に応じて、治療関係の物資の選定、注文を担当し、救護騎士団との共同購入で予算削減。並びに購入物資を先生まで届けることです」

 ええ。

「先生まで届けること、です。先生が受領の判を押すことで完了となりますが、その受け渡し場所を含む具体的な内容は契約書内で一切明示されていません。つまり──」

「──つまり派手にドンパチやってるアビドス砂漠の最前線まで届けに駆け付けたとしても、契約内容には一切反していない」

 言って、先生は明らかに楽しげな笑みを皆に向ける。

「単に依頼された品をお届けに上がっただけで内政干渉と言うのなら、キヴォトスの運送業者はこれからさぞ窮屈な思いをすることになるだろうね?」

 二人のシロコを除く全員が、一斉に口を横に開いた。全く以て正しい反応ではあるのだが、一応のフォローとしてセリナは口を開き、

「し、シャーレは緊急での出動も多い部活です。それ故に急ぎで医療品が必要になることもありますので、先生の依頼を受けた際私が受諾するのであれば、二十四時間三百六十五日、キヴォトスのどこにでも支援物資一式を届けることが出来る。そういう抜け道を予め用意していたんです」

「政治がどうであれ命には代えられん。こういった事態を想定し、鷲見君と合意の上で仕込んでおいたのが功を奏した訳だ。当然蒼森君や桐藤君から抗議を食らうだろうし、一度限りの切り札だがね。──同様の契約は氷室君とも結んでいるが」

 しれっと付け足された最後の一言に大半の面々が俯いた。その中の一人であるアヤネが、空になり放り出されたバックパックを一瞥し呆然とした表情を浮かべると、

「まさかさっき、医療品も全て放出させたのは……」

「補給の目途も立っていないのに全額ベットする程豪胆ではないよ、私は」

 どの口が……、とセリカが零したが、結果としては正解だ。事情は大まかにしか聞いていないが、激戦だったことは傷の具合や物資の残量を見ればよく分かる。出し惜しみしていれば、セリナが到着するまで保っていなかった可能性の方が高い。この「やると決めたら即座にどこまでも徹底的にやる」切り替えの潔さが、先生の強みだと個人的には思っている。

「ともあれこれでちょうど十人。態勢も立て直したことだ、勝てない勝負ではないと思うがね」

 などと気楽に言う辺りは相変わらずだが、後入りの三人以外もある程度は立て直した。万全とは言い切れないものの、一方的にやられる程ではないとも思う。

 だが、セリナには一つの懸念があった。

 ……これだけの人員を、同時に指揮したこと、ありましたっけ?

 過去の例を見るに、先生が一度に率いたのは六人までだったはず。色彩戦において大人数を同時に指揮した際は、事前に指針や戦術を共有しておき、ある程度は独自の判断で動いてもらうという、そんな形での対応だった。

 無論先生の能力の高さは知っているし、決して不可能ではないだろう。だが相手は未知の存在で、初の協同である二人を抱え、勝手知ったる対策委員会も完調とは言い難い。

 自分一人だけならまだしも、生徒も込みでそんな危ない橋を渡る真似を、この大人がするだろうか。

 信頼と心配が半々の内心を持て余し気味に見た先、しかし先生は気負った様子もなく。ただ何気なくシロコの方を見て、即座に頷きが返ったことに少しだけ口元を緩めると、

「では、シャーレ初の大規模戦闘指揮、やってみせようではないか」

 

     ●

 

・プラナ:『シッテムの箱、制約解除。プロセス「ベレツ・ウザ」限定稼働開始』

 空が広がった、というのが最初に抱いた感想だった。

 シッテムの箱の中に広がる位相空間内、教室と呼ばれる仮想領域。半壊の一室から覗ける空は夜の色を持ち、そこにオーロラのような光が架かっている。

 美しい、という月並みな感想を口にすることさえ憚られる絶景の下、プラナが両の手を広げていた。

 周囲には紫の表示枠が数十枚単位で展開され、各種処理を進めている。アロナもまた青の表示枠を相手に、出力上限の解除設定や流体経路の最適化を行い、新たな力を組み上げて行く。

 混沌の領域を構築に掛かった際、プラナがブラックボックスから見付け出した新機能。まるで自ら望んで使われに来たように、今の自分達に最も必要な力が解放される。

 アロナとプラナという二人のOSによる処理能力拡張を以て、戦闘指揮支援システムを時限式で大幅に底上げする、ベレツ・ウザ。

 連邦生徒会長がこのような状況を読んでいたのか、奥多摩の連中が要らん気を利かせたのかは分からない。だがかの神性を相手取るにあたり、この力は間違いなく有用なもので、

・プラナ:『今の私は無敵です。普段の二倍は強いです』

・私  :『二乗の間違いだろう?』

 言うと、プラナが微笑した。普段の彼女らしからぬ不敵な、浅く眉を立てた自信の笑み。アロナも両の手を握って気合いを入れている辺り、やる気十分と言って良い。

・私  :『──補助は任せる』

・A&P:『Tes.!!』

 即座の応答に笑みを返し、己は意識を現実に戻す。手元に射出した十数の表示枠内、最も下の一枚にそれが映っていた。

 混沌の領域と呼ばれる暗い空間、そこで何かを喚き散らしている地下生活者の姿が、だ。

 要領を得ない罵詈雑言は、プラナが展開した力の意味を悟ったからだろう。これまで一度も使っていなかった技術。今回の一件において多重に対策を打って来た向こうからすれば、面食らうどころではないはずだ。卑怯だのチートだの、聞くに堪えない負け惜しみを口にしている光景が想像出来る。

 こんなものか、と冷めた思考で思った。

 傲慢で悪辣なベアトリーチェでさえ、ゴルコンダの仲裁がなければ抵抗をやめなかっただろう。負け札に過ぎなくとも、切れる手札が残っている以上、勝負を降りることはしない、と。プライドが高いからこそ、勝負に全てを賭すという最低限の意地があった。

 だが地下生活者には、そんな矜持すらない。

 故に、かつて彼が彼女に押した烙印を己もまた口にしよう。

「──黙れよ、私の敵ですらない舞台装置が」

 こちらの言葉が届いたのが、地下生活者が愕然とした様子で動きを止めた。視界の片隅、表示枠に映ったプラナが「やっちまってください」とばかりに半目で親指を立てており、アロナが若干引いているが、ともあれ告げる。

「詰めを誤ったな、地下生活者。現実はゲームではない。目標を達成したところでエンディングは流れず、エピローグで未来に飛ぶこともない。ただただどこまでも続いて行く明日があり、結果はすぐに経過へと変わるのだ」

 ならば、

「私を殺し損ね妥協した時点で、貴様に勝ちの目は残っていなかったのだよ。不屈の抵抗者は負けたところで止まりはしない。従属がない以上、抵抗すると決めた時点で勝利しているも同然なのだから。消し去ることで盤面として勝利は出来ても、抵抗者個人に勝ったことにはならん」

 何とも頭の悪い開き直りの暴論だが、それが正解だ。

 昔、師に問うたことがある。己を鍛え上げたキチガイ共の親玉、一つ年上のその男は、自分と同様異世界への干渉・交流を行うリーダー格で。傍から見る分にはノリと勢いだけで突っ走っているようにしか見えない度し難いレベルの馬鹿なのだが、技術交換や人命救助において成果を叩き出し続けるエースでもあった。

 だが当然、全てが上手く行く訳がない。それでもなお歩みを止める素振りのない、当時まだ二十にも満たなかったその馬鹿に問うたのだ。

 何故諦めないのかと。どれだけ思案し行動しても瑕疵は生まれ、掲げた理想は歪になる。その矛盾をどう解決するのだ、と。

 だがその馬鹿は、何を言っているのか分からないとでも言いたげに眉をひそめ、

「あぁ? 馬っ鹿だなオメエ。この世界(ゲーム)は無理ゲーです、何をどうやっても勝てません、胴元だけが美味い汁吸って負け犬をゲラ笑い出来ます、なんてどこに書いてあんだよ。──原理的に勝利不可能じゃない以上、勝てないだなんて誰が決めた」

 世界は単純なゲームである。努力は報われるもので、可能性にゼロはなく、すべからくハッピーエンドに至る。

 勝ちか、負けか、引き分けか。世界はその三つだけで出来ていて、誰にだって必ずチャンスはあり、舞台を降りない限り次の勝負に挑むことが出来る。

「俺らがダメでも、次の誰かが、俺らを継いでくれる新しい連中が、それを超えて行けるかもしれねえ。だったら何もかも無駄じゃねえよ。そいつらの先を支える土台になるんだし、そんな奴らが作る世界なら、きっと俺らの望みも叶ってるだろ。……ま、結局のところ失われるのは嫌だっつー自分勝手なワガママだけどな!!」

 そんな子供の夢想に等しいそれを、しかし決して間違いではないと信じて通し続けた、そういうどうしようもない馬鹿がいた。

 そんな子供の駄々でしかない祈りを叫び、十年もの間走り続けたその馬鹿は、次第に仲間を増やし今なお最前線で戦っている。

 そんな子供のような正論を掲げるからこそ、その馬鹿を信じ託そうとする者は先を、己の思い描いた未来を夢見て生きに行く。

 そうだ。

 理不尽で、不条理で、だからこそ現実をゲームにせんと、戦い続けて来た馬鹿共がいた。

「──その不肖の弟子にお遊び気分で挑んだことが最大の敗因だ。真のゲーマーに一時の敗北はあっても、投了はないと知るが良い」

 無論、そこまで突き抜けられる馬鹿はそう多くない。自分もかなり馬鹿な方だが、あの連中程イカれてはいないのだ。夢見た先へ我武者羅に突っ走って行ける程の熱量も、如何なる困難にも屈さず折れない無敵メンタルも持っていない。

 守るべき生徒達の支えを得て、ようやく強がることが出来る程度の半人前だ。

 だから、大人らしく不足は別の手で埋める。

 懐から抜き放つのは黒の四辺。クレジットーカードに似た、しかし悍ましささえ感じる気配を持つアーティファクト。

 因果律変換式願望機C型(大人のカード)

 資産、才能、そして寿命。使い手のあらゆる可能性を代価に、望むままの事象を具現化させる。

 この力の最も恐ろしい点は、使用条件が可能性による支払いというただ一点だけであることだ。

 紙飛行機を遠くまで飛ばすという無意味な才覚とて、リソースとして取引材料となるのだから。

 思えばこれこそが、己の在り方そのものだったのだと今更に悟る。

 奇跡を起こす力などない。どこにでもいるただの人間。キヴォトス基準で見れば赤子にすら劣る脆弱な存在。

 正義の味方でもヒーローでもなく、ましてや神でも救世主でもない。

 認めよう。どこまで行ってもこの身は結局、取るに足らない一個人だ。

 だがこの世界において、ただ一つ自分だけに出来ることがあった。

 それは、大人であり、先生であること。

 戦う力はなくとも、年若い生徒達より確実に上だと言える己だけの武器。

 経験と時間。それだけだ。

 己が今まで積み上げ、重ねて来たもの。

 選択し進んで来た、あまねく軌跡の終着点が己なのだ。

 そしてそれは、己を形作るという意味では終わりであり。

 これからを自由に選び進めるという点で始まりでもある。

 終着点にして始発点。過去と未来とを矛盾したまま体現出来る今があるということ。

 その意味を真に理解した時、可能性に満ちた子供達は何もかもを叶えるだろう。

 いつか黒服はこちらを、奇跡の担い手と称したことがあった。

 かつては反射的に否定していたものだが、今は明確に否を唱えることが出来る。

 この身はただ進撃する者。前を望む軌跡の描き手に過ぎない。

 先に生きると書いて先生なのだから。

 生徒達の望んだ未来に、先達として道をつける。それだけだ。

 故にこの選択こそが、今の己に出来ること。

「これで決着だ。これ以上アビドスで、否、キヴォトスで誰も失わせはしない」

 

     ●

 

《いらっしゃいませ》

《契約者:葵・硝子:生体認証:完了》

《ご利用の機能を選択してください》

 指定生徒の所持技能を再現せよ。

《要請:受諾》

《対象:天雨アコ:確認》

《対象:明星ヒマリ:確認》

《対象:浦和ハナコ:確認》

《対象:勇美カエデ:確認》

《検算:開始》

《再現素体マテリアル:六〇〇〇〇円》

《再現素体マテリアルアップグレード:二四〇〇〇〇円》

《再現素体マテリアル強化素材・資金:九二四八〇円》

《以上三点を一パッケージと定義》

《四パッケージ購入:一五六九九二〇円:確認》

《因果律干渉利率:八〇〇パーセント:適応》

《小計:千二百五十五万九千三百六十円》

《取引リソースの設定をお願いします》

 保有する技能、才能による取引を開始。

《取引用プール才覚:残高ゼロ:別時間軸の同一存在との相対時に全て放出されています》

《保有才覚:一〇二四:確認》

《才覚査定:所要時間見込み:一時間三分:続行しますか?》

 口座からの引き落としは可能か。

《指定口座:確認》

《該当の口座は現在三ヶ月先まで収支予定が埋まっています》

《別の支払い方法をご選択ください》

 ならば寿命を使用した一括払いで即時の決済を。

《給与明細参照:時給換算一二五〇円:確認》

《保有寿命査定:認可》

《寿命四百十九日分:概算一年二ヶ月分での支払いが可能です》

《この取引は後の買い戻しが利かない不可逆性の取引となります》

《続行しますか?》

 無論である。

《決済:完了》

《ご利用ありがとうございました》

 

     ●

 

 己の保有する可能性(寿命)を捧げ、身体が軽くなったような錯覚が来る。血を抜かれたような寒気と虚脱感に襲われるが、その効果は雄弁だった。

 生徒達の傷が完全に癒え、活力に満ちて行くのが目にせずとも分かるからだ。

 ヒナ達が戸惑っている気配が伝わって来るが、色彩戦でそれを見ているシロコ二人は慣れたもの。後で色々と追及されるだろうが、それはこの場を切り抜けてから考えるべきだろう。

「どんな手を使っても。如何なる代償を支払うことになっても。大人として、先生として、幾度でも掲げ諦めはしない」

 風が吹く。雷撃により大気が焼かれ、焦げたような匂いを帯びた風が。

 荒れた風が砂丘上に立つ己へと吹き上がり、白の髪が宙に舞う。これまで動き回ったことで少しずつ引き出されていたのか、胸ポケットに収めていたはずのシャーレのストラップが風に靡いた。

 裏面に、もう一人の己が遺したカードを収めたストラップが。

 お守り代わり、と言うべきか。感傷でしかないと頭では分かっていたが、この決断を下した当時の己に感謝する。

 ああ、分かっているとも。

 辿った道筋に差異はあれど、同じ己なのだ。

 根底にあるものは変わっていない。ならば我々はどこまでも同じだ。

 だから、共に行こう。

 世界で苦しんでいる子供がいて。

 助けて欲しいと手を伸ばしているのなら。

 いつ、いかなる時であっても。

 共に生きる大人として責任を負わねばならない。

 子供が責任を負わねばならない世界など、あってはならないのだから。

 覚えている。

 崩れ行く箱舟の中、最期に向けられた言葉を覚えている。

「生徒達を……、よろしく、お願いします」

 Tes.と、そう応じたのだ。

 我ここに契約せり。

 契約とは刀持つ主に大く約すもの。力を持つことを自覚し、世に己を確かめる為の言葉。

 死を賭して託された約定を、生きて果たすが我が務め。

「──我らの契約(誓い)を、穢させはしない」

 失わせない。

 幾度失敗し、足を止めそうになっても、何度でも立ち上がり、掲げ続ける。

 謳い紡ぐは青春礼賛。

 子供達が願う夢を、その実現に助力することこそ我が望み。

「総員──」

 借り物でも、偽善でも、この世界においては己こそが最先端。そのつもりで腕を振り上げ、叫ぶ一語は不断の進行。

「──進撃せよ(ゴーアヘッド)!!」

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