来訪は唐突だった。
「アロナ君!! プラナ君!! 毎度唐突で申し訳ないが力を借りることは可能だろうか!?」
半壊した教室のような風景の中、アロナが視線を向けた先から、こちらへと歩み寄って来る人影がある。白の長髪を靡かせる長身を、黒のパンツスーツに包んだ女性。首から下げた名札には連邦捜査部シャーレ顧問という役職と、葵・硝子という名前が併記されている。
ここはシッテムの箱の中、先生の持つタブレット内に存在する位相空間だ。詳細な理屈は一切分からないが、ある種異世界のように存在するこの領域に、自分達は出入りすることが出来る。基本としてこちらの存在である己はここに常駐だが、先生も単独の場合はこちらで過ごすことが多い。
その理由は、外界との時間差だ。
基本として五倍から三十倍、要所では一千倍までの時間圧縮・展開を可能とするこの世界は、一瞬の判断が生死を分かつ鉄火場においては勿論、日常においても有用される。先生が膨大に溜め込んだ書類を一瞥しただけで即応しているのも、戦闘時に逐一的確な指示を飛ばすことが出来るのも、一日二時間しか睡眠時間を設けていないのも、この場所で莫大な時間を得られているからだ。外面的には即断即決で迷いなく動いているように見えるが、その裏打ちとして存在するのがこの場所であり、つまりここに先生が来る時は自分達の力が必要な局面だということで、
「どうしたんですか先生!! 何か事件ですか!?」
多重の表示枠を展開しつつ、アロナは先生に駆け寄る。時間密度の設定をくつろぎモードの五倍から準警戒態勢の五十倍に変更し、いつでも加圧出来るよう手元でキープ。
エデン条約の襲撃を受けた際や、地下生活者の仕込みによる爆破の際など、命に関わると判断された場合の処理速度は最大十万倍にまで達する。無論そのような無茶に普通の人間である先生の脳は耐えられない。使えて百八十秒程度が限界だが、死に瀕した際でも約三分の時間が与えられるというのは大きい。仮に先生が倒れ意識を失ってもある程度の指針を各方面に送れるし、死に至るとしても最期の言葉くらいは残せる。
プラナから聞いた話ではプレナパテス、向こうの先生はこれをほぼ常用する形で己を保たせていたという。掛かる負荷については意地と根性だけでどうにかしていたというのだから彼女らしいとも思うが、それをさせない為の自分達でもあろう。故にいつでもどこでもサポートは万全。そのつもりで真剣な視線を向けた先、こちらの眼前で足を止めた先生は一つ頷くと、
「うむ! この後シスターフッドに寄るついでで伊落君に餌付けを行うのだが、ショートケーキとチョコレートケーキとチーズケーキのどれを見せびらかせば最も早く篭絡出来るかシミュレーションしてもらえないだろうか!」
盛大にズッコケた。
「先生!! 生徒との交流はギャルゲじゃないんですよ!!」
「何を言うのかねアロナ君、人間関係など極論エロゲそのものだよ。選択肢を誤れば関係が破綻し正解を選べば親密になれる。そこに何の違いがあるのかね?」
「誰か!! 誰か!! 問題発言しかしない先生がここにいます!!」
声音に真剣なものを感じ取ったからこちらもマジになって迎えたというのにこの始末。割とよくあると言えばそうだが、毎度肝を冷やすこちらの気持ちにもなって欲しい。特にプラナは血相変えてスッ飛んで行くものだから、ネタバラしの後は拗ねてしまいご機嫌取りからスタートするのが日常風景だ。平和なのは否定しませんけど。
とはいえ濃い付き合いだ、さすがにある程度はネタか本気か分かるようにはなって来ている。以前見切ってドヤ顔したら演技が巧妙になったが、これは一種の遊びなのだろうか。どうなのだろうか。
「まあ挨拶のジャブはこのくらいとして本題に入ろうか」
「ジャブどころかボディを滅多打ちされたくらいの重さでしたけど」
「細かいことは置いておきたまえ、ストレスを抱え込むのは良くない」
原因に言われましても。
「ああ、今回の差し入れはサイダーグミだ。炭酸入りの大人の味だよフフフ」
「わあい! アロナあのシュワシュワ大好きです!」
餌付けで懐柔されている気もするが許した。だってシュワシュワの美味しさには代えられませんし。プライドでお腹は膨れないのです。
口内に広がる炭酸の刺激に口を窄めていると、先生が適当な椅子に座り視線を巡らせた。教室の隅、机に突っ伏すようにして眠っている姿を見て、
「プラナ君は……、睡眠中か」
ああ、とアロナは納得した。その「用事」ならマジになるのも致し方ない。とはいえそれをこちらに気遣わせないよう、ボケを挟んでワンクッション置いたとか、そんなところか。相変わらず気の回し方が複雑過ぎる人だが、つまり気にするなということだろう。なのでこちらもいつものテンションで、
「例の件で常に動き回ってますから。少しは休むように言っても聞かなくて……」
「無理もあるまい。頼んだ私が言えた義理でもないが、彼女自身の意思でもあるのだ。本当に危険だと判断出来るまでは、傍で見守ってやってくれるとありがたい」
グミを詰め込んで口が塞がっているので親指を立てて返しておく。先生の心配と焦りも理解出来るし、プラナの気持ちも分かるので、結局のところそれしかない。余剰リソースは既に割り振っているので、後は自分がスリープに入るとか負荷分散処理を組むか、その辺りだろう。欲を言えばヴェリタスの手を借りられれば話が早いのだが、モノがモノなのでなるべく内々に事を進めたいので結論としては自分達でやるしかない。頑張ります。
「……それにしても、やっぱり先生も気になります?」
「答えるまでもない問いに意味はあるのかね?」
苦笑で応じる先生に、こちらも苦笑で返した。言われてみればその通りだし、自分とて気になっているのだ。それに彼女の場合、
「私自身の興味がないとは言わないが、優先度としては下の下だろう。何を置いてもまずはデカ狼君だ」
「どこまでも先生は先生ですねー……」
「当然だとも。小鳥遊君絡みの一件で、あちらでの出来事に区切りはついたように見える。だが簡単に割り切れるようならば、彼女も最初からああなってはいなかっただろう」
大まかな経緯はアビドスの面々にも知られているが、自分達はプラナから追加で情報をもらっている。タイムパラドックスを恐れ、過ぎた時間軸の出来事に限られてはいるが、それでも彼女達の辿って来た軌跡は過酷なもので。それを少しでも和らげたいと願うのは、もう一人の自分達としても当然のことだ。
「近しい者を失った記憶は、薄れたとしてもなくなりはしない。忘れることなど出来ないのだ。デカ狼君とてまだ子供、悩んだり揺らいだりすることもあるだろう。だからこそなるべく早く渡しておきたいのだが……、完了見込みはいつ頃か予測出来るかね?」
「解析率は七十八パーセントです。復元そのものは一時間と掛からないでしょうが、独自仕様の断片だけあってプルーフが取れず、検証に時間を取られるのがネックで……。先生の方はどうですか?」
「業者の方は伝手を確保出来たので納品待ちだ。エンジニア部の方もそちらと同様手探りで地道に進めている。もはや私には待つことしか出来ん」
吐息。
「……焦れるものだが、急いては事を仕損じる。こと今回の件においては、一つのミスも許してはならない。慎重に、そして出来る範囲で急ぐよう頼む」
「
「承知した。彼女達を送る意味も含めて、普段の三倍程賑やかに行くとしよう」
掲げた手にハイタッチを一つ。快音の残響が宙に溶け、伸びをした先生がこちらを見て笑みを浮かべた。
「では大事な話も終えたので少し遊ぼうか。最近メロンフロートの美味しい喫茶店を見付けてね」
「えっ。……そそそそそそれはメロンソーダの上にアイスとさくらんぼまで乗っているというあの!?」
「うむ、今度テイクアウトで持って来よう。まだ消化していない映画が幾つかあったので、ポップコーン片手にいただこうか」
「じゃあその時間を捻出する為にもお仕事は迅速に片付けないといけませんね!!」
「見るからにやる気が増したね?」
「欲求は最もシンプルな原動力ですよ!!」
両の手を握って力説していると、先生に苦笑されながら頭を撫でられた。優しい感触に表情を緩めされるがままになっていると、背後で呻くような声。二人揃って振り向いた先、プラナが目元を擦りながら身を起こしていて、
「……先生、いらしていたのですか」
「いや何、アロナ君からプラナ君の寝顔が見られると教えられてね。これは是非とも見ておかねばなるまいといそいそやって来た次第なのだよ」
「はい! バッチリしっかり観察させてもらいました!」
先程までの話はしない。例の件はプラナにプレッシャーを掛けるし、メロンフロートの件は諸々片付いた後の打ち上げ。そんな言外の示し合わせで、二人仲良く親指を立ててみせた。そんな言葉の向かう先、プラナは小首を傾げていたものの、やがて意味が理解出来たのか、頬を薄く染めながら足早にこちらへと来て、
「先生は馬鹿なんですね? そうなんですね?」
「それ以外の何に見えるのかね」
「……反論の余地がない返しは卑怯ではないでしょうか」
「ははは私に口先で勝とうなど十年早いよ」
「そうです! 私だって一度も勝ててないんですからね!」
「アロナ先輩、膝の上でお菓子頬張りながら言われても勝つ気が微塵も感じられません」
まあまあまあ、と宥めつつプラナと場所を交代。自分と同じように餌付けされる光景を眺めつつ、戸惑うプラナを見てアロナは笑った。結局そのまま五倍速で三十分程を戯れ、息抜きを終えた三人はそれぞれがお互いの成すべきことに戻る。
これがいつもの私達。ギャグに厳しく頭のおかしいやり取りを挟みつつ、何だかんだと楽しみながら役目を果たす。
そんな