グラスアーカイブ   作:外神恭介

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──ぶっちゃけ私、必要ないのではないかね?

「──以上が「虚妄のサンクトゥム攻略戦」の全貌です」

 一度言葉を切り、リンは深く息を吸った。倍以上の時間を掛けて吐き出し、伏せていた面を上げれば、そこはシャーレオフィスビル内の一室。

 管制室と呼ばれる、通信系の主要設備が纏められた部屋だ。

 ガラス張りの壁面から覗ける空は赤の一色。天を貫く捻じれた巨塔が点在する様も合わせ、まさにこの世の終わりとしか言い様のない光景が広がっていた。それらを背後に置き、しかし自分達は宙に展開されたホログラムやデスク上の機器を操作し、キヴォトス全域を繋ぐネットワークを構築している。

「ここからはシャーレの力が必要です。防衛及び攻撃──、全ての戦闘の指揮を先生にお願いします……!!」

「うわぁ……、正直身体が幾つあっても足りなさそうだけど……、ま、この作戦は先生がいないと成り立たないからさ。よろしくねー」

 各々に任された役割を全うしつつ、アユムとモモカも声を送る。その行く先は別室、最上層の機密区画にて自分達の纏めた情報を制御している先生だ。大判の表示枠上、大写しになった先生の顔が確かにこちらの姿を認め、

『七神君、由良木君、岩櫃君、よくやってくれた。改めてここまでの助力に感謝を』

「いえ、まだ終わっていません。これからが正念場ですので」

 そう、ここまで整えた手筈はあくまでも始まりに過ぎない。各地のサンクトゥムに対する攻撃、及び各自治区の防衛、累計で二桁を超える戦場の全てを、これから先生は指揮するのだ。相手側に対応や対策の時間を与えない為の同時攻撃、いくら先生の指揮能力が並外れたものだとしても、相当な難行であることは想像に難くない。

 自分達に出来るのは、その負担を少しでも減らせるよう補佐することだけ。

 気遣いは内心へ押し込める。指揮本部のフロントである自分が不安を表にすれば、各地の生徒達も弱気になり、作戦の成功率が下がる。故にあくまで毅然と、普段通りの己を心掛け、

「……それでは最後に、先生から皆さんに何かありますか?」

 問いに、先生が腕を組んだ。ややあって手元で何かを操作すると、各地の作戦担当のみならず、作戦に参加する生徒全員へと通神を繋ぐ。ネットワークへの負担が急激に跳ね上がるが、短時間ならば問題ないだろう。そう判断し静観する先、先生がいつもの調子で軽く手を挙げ、口を開いた。

『ご機嫌よう生徒諸君。シャーレの先生こと葵・硝子だ』

 一息。

『これから我々は前例のない大戦争に繰り出す訳だが、その前に少しだけ時間をいただこう。一つ、大事な話をしておかないといけないのでね』

 先生の言葉に、皆が耳を傾ける。普段は騒がしい者や不真面目な者も、現状が深刻な事態だと理解してか、揶揄も野次もなくただ次の言葉を待つ。

 そんな静寂の中、先生が肩を竦めつつ、

『──ぶっちゃけ私、必要ないのではないかね?』

 何か、訳の分からないことを口走った。

 ……は?

 一体何を言い出しているのかこの狂人は。そんなこちらの内心に構うことなく、キチガイはしれっとこう続ける。

『各方面の作戦担当には既にプランを提示済みであり、想定外のトラブルが発生したとしても十分対応出来るだけの面々が揃っていると私は考えている。優秀な生徒達の多いことで教員としては鼻高々だが、──私はビミョーに暇を持て余しているのが現状だ』

 なので、

『私は後ろで諸君をモニタリングしつつ、野次でも飛ばしながら茶菓子や燻製を摘まんでいよう。うん、それがいい』

 

     ●

 

 キヴォトスの全域で、一瞬誰もが動きを止め、沈黙した。

 

     ●

 

「ねーねーイロハ先輩、先生がまた変なこと言ってるー」

「あの、マコト先輩、腹抱えてのたうち回りながら笑ってないで、ちょっと」

 

     ●

 

「あ、あのっ、全域通神が来たから開いてみたら先生が……」

「いえ、きっと主殿のことですから、何か深い考えがあるはずです!!」

「……イズナのその真っ直ぐな信頼が時たま眩しくなるねえ」

 

     ●

 

「……ニヤ様、これ、どうしたら」

「にゃはは、いやはや大物だとは思ってましたが、……まさかここまで突き抜けているとは」

 

     ●

 

「ほう、これが噂の先生、か……。近い内に直接言葉を交わしてみたいところじゃが、さて」

 

     ●

 

「コラそこ、割り込むな。避難所の収容人数には余裕があるから落ち着いて行動しろ」

「……カンナ局長、思った以上に冷静だね」

「どうにもこのところ、先生周りについては考えるだけ無駄な気がしていてな……」

「あのっ、あのっ、遠くを見つつコメントしている場合ではっ」

 

     ●

 

 キヴォトス陣営の本陣とも言えるシャーレオフィスビルにおいても、少しずつ動きが生まれていた。

 まずリンが青筋立てた笑顔でインカムを床に叩き付け、アユムが書類を抱えたまま右往左往。そんな光景を後ろに置きつつ、モモカが各地の担当と通神を繋ぐ。苦笑だったり呆れだったり無表情だったりと様々な反応を示す彼女達と手振りで同期を取り、さん、はい、と両手を上げ、皆で、

「えぇ──!?」

 

     ●

 

 砲座の上で周囲の警戒に当たっていたアズサは、端的に現状を伝えることにした。

「大変だヒフミ、先生の不規則言動が始まった」

「あ、あはは……。まさかこんな状況でもやらかすとは思いませんでした……」

「逆にシリアス一辺倒になったら、ある意味この世の終わりですよねー☆」

 合いの手を入れて来たのは、並走するトラックを運転するアカリだ。ゲヘナ学園給食部のロゴが刻まれた車体の上、助手席で風を浴びたハルナが背後、D.U.の方に視線を向け、

「ふふっ、相変わらず先生のエキセントリックさはスパイスのように効きますわね」

「いやスパイスどころか劇薬でしょコレ!!」

「え? それが何か問題?」

 ジュンコに問い返したイズミが、後部座席のボストンバッグから取り出した形容し難い何かを摂取しているが、深く追及するのはやめておくことにする。

 

     ●

 

 第二サンクトゥム担当メンバーの中で、最も復帰が早かったのはネルだった。完全に据わった目でシャーレオフィスビルの方角を見た彼女は、耳元のインカムに手を添えると、

「オイオイオイコラコラコラ、何言い出してんだ先生。もう降下準備終わってんだぞこっち」

『ああ、ジャンケンで負けたのは美甘君の方だったか。ダブルオーのコールサインは返上か……、このまま私がフェードアウトして美甘君がヒーヒー言いながら作戦を成功させてもダブルナインになる訳で、世の中ままならないね?』

「アンタどっちの味方だあ──!?」

「あはははは!! ご主人様と部長はどんな時でも息ピッタリだね!!」

「……息ピッタリという表現で良いのか、これは」

「ボケとツッコミのコミュニケーションという意味では間違っていないかもしれませんね……」

 赤い空に響き渡る叫びの下、地上側でもちょっとした騒ぎになっていた。付き合いが長く慣れのあるハスミが耳を塞いで視線を逸らす一方、ツルギとマシロは無言で武器の再点検を行い、未だ顕現していない第六サンクトゥム担当である為こちらを支援していたヒマリと打ち合わせ中のエイミが、

「ヒマリ部長、呑気に笑ってないで、続き」

『ああ、ごめんなさいエイミ。先生があまりにもいつも通り過ぎて……、ふ、ふふふっ……』

「……えーと、コントロール0、作戦担当が上役のツッコミに回ってますけど、どうしたらいいっすかねコレ」

『すみませんイチカさん、先生のいつもの発作だと思うので、そのまま待機で』

 

     ●

 

 第三サンクトゥム担当メンバーは、率直に言って地獄絵図を目の当たりにしていた。

「先生!! 先生!! 悪質なドッキリでユズが過呼吸起こしてるんだけど!!」

『花岡君は平時のプレッシャーに弱いのが惜しいところだね……。まあいざという時頼りになることは知っているので、そのままで良いだろう』

「良かったですねユズ、先生に信頼されてますよ!!」

「あ、アリスちゃん、それ追い討ち……」

 ミドリがフォローに入るも遅く、既にユズの身は地面に横倒しになっていた。身を丸め、頭を抱えガクガクと震える姿に、吐息したミヤコがインカムに対し、

「先生、現場の指揮担当としてさすがにこれは危険だと思うのですが」

『月雪君の進言であれば仕方あるまい。天童君の荷物に特効薬が入っているので与えてやってくれたまえ』

 特効薬? と首を傾げるミヤコに、背中のリュックを漁っていたアリスがある物を差し出した。分厚い原稿用紙が束になったそれは、表紙に綴られた文字によると、

「……TSC2プレイ感想文?」

『うむ、以前前作のプレイ感想を懇切丁寧に語ったところいたく感激されてね。録音しておけば良かったと嘆かれたのでいつでも読み返せるようコツコツしたためておいたのだ』

「何でこんな嵩張る物を作戦行動に持ち込ませるんだ……」

 サキが容赦ない半目を向けるが、教本を持ち込んでいる時点で説得力は微塵もない。そして先生の方も大袈裟に身振りを交えて、

『心の動きとは言葉を尽くしても語り切れぬものだが、故にこそ語りたくなるのが人情というものだよ? 何なら空崎君が音読するかね?』

「……遠慮しておく」

 半目で吐息を零すヒナをよそに、ミユが恐る恐るといった動きでユズの傍へと屈み、

「あ、あのう……、大丈夫、ですか?」

「だ、大丈夫、です、先生のバフがあれば……」

「最初にデバフ掛けたのも先生だけどね!!」

「自己回収、ってこういう時に使うんだっけ?」

 モエがケラケラ笑いつつ、ミヤコから受け取った原稿用紙をユズにパス。生まれたての小鹿のように震えながら手に取ったユズは、しかしそれを懐へと仕舞い込み、

「な、中身は本当に挫けそうになった時か、この戦いを終えたらにする、から……」

「いや死亡フラグだよそれ!!」

 

     ●

 

 第四サンクトゥム担当メンバーは、轟音を耳にした。

「全くあの人はいつもいつも……!!」

 衝動的にカタコンベの壁を殴り壊したミネの台詞に、セリナが頭を抱えた。生真面目で融通の利かないミネに、先生の不規則言動を捌くのは無理があり過ぎる。日常においても似たようなじゃれ合いは多々あったが、さすがに今ここでやられたらキレるのは自明の理だろう。ひとまずマリーとヒナタが宥めに入るが、言われた意味が分かっていないのかハナエはひたすら首を傾げていて、

「え? あれ? えーと、この場合は……、あれぇ?」

「ハナコさん、申し訳ないのですが作戦担当として皆さんを纏めてもらっても……、ハナコさん?」

 振り向いてみれば口元を押さえ笑いを噛み殺していた。大丈夫ですかね……、とあまりにも当然な疑念をセリナが心中で抱く一方、

「あ、ああっ、先生の不規則言動でリーダーが固まっちゃいました!!」

「一通り馬鹿やったら話を戻すと思うから無視して進むよ」

「……やっぱり先生、ユーモアのある面白い人だね?」

 移動中であったアリウススクワッドの面々も、フリーズしたサオリを引きずって先を急ぐ。

 

     ●

 

 第五サンクトゥム担当のバックアップを務めるヴェリタス、その一人であるコタマは、通神越しに現地のメンバーに声を送った。それは、見るからにイライラした様子で落ち着きなく歩き回っている、

「ユウカ、先生の奇行にいい加減慣れた方が良いのでは」

「だからってこんなタイミングでやらかす馬鹿がどこにいるのよ!?」

「動員可能なドローンを調整しつつ口を挟むが、現在進行形でその馬鹿が最高責任者に鎮座しているね」

「はー……、私久々に見ましたけど、あそこまで酷かったでしたっけ先生の奇行」

『フフフ人は進化する生き物だよ黒崎君。獲れたてのハマチのようにピチピチと若々しい私は成長率も倍以上。無敵だね?』

「ああ、うん、確かに水揚げされた魚みたいというか、動いてないと死ぬ系の生態だよね、先生」

 完全に据わった目で呟いたチヒロが、深い溜め息と共に天を仰いだ。ハレが無言でエナジードリンクを目の前に置くと、ノールックで手に取り一気に呷り始める。

 

     ●

 

 不規則言動の影響は、シャーレ以外の陣営にも波及していた。作戦に参加していない小規模の学園圏で防衛戦に当たっていた黒いコート姿が、手にした大盾を放り出す勢いで、

「どどどどどどうしようきょーちゃんにかなちゃん!! 先生が作戦をボイコットし始めちゃったよ!?」

「……教科書に載せたい程の狼狽えっぷりありがとう」

 嘆息混じりにぼやいたムラサキが、ムイの眼前にまで肉薄していたオートマタを蹴り飛ばす。即座に距離を詰め、貫手で胸部を貫通。内部のコアを力任せに抉り抜き、

「その辺りどう考えてるの? お姉ちゃんの教育担当だった一人としては」

 握り潰したコアを放り捨てつつ問う先、ナコもまた戦闘中だ。手にした白黒の二挺拳銃から飛ぶ光弾は、明らかに物理法則を無視した動きで宙を翔け、オートマタの関節部や排気口などの弱所を的確に撃ち抜いて行く。近付くどころか動くことすら出来ぬまま一方的に蹂躙されて行く敵軍を前に、ナコの表情は明らかに笑っていて、

「……物騒なストレス解消?」

「ああ、いえ。この手の決戦前の演説は、私を止める際にお兄様もやっていましたが……」

 懐かしむように、しかし確かな喜悦を帯びた苦笑を浮かべ、

「弟子というだけあって、その個性が存分に引き継がれているようで」

「……ナコはホント、師匠やお姉ちゃんのこと大好きだよねえ」

「違いますよ」

 否定したナコが、右手の拳銃を三度鳴らした。ムイに飛び掛かって来たミメシスを散らし、手首のスナップで構え直しつつ、

「私が好きなのは困難や絶望を前にしても、諦めぬ意思を以て道を切り拓く、そんな人間です」

 

     ●

 

「いやあ、分かりやすく阿鼻叫喚だねえ」

 第一サンクトゥム、アビドス砂漠。他の作戦エリアと比べ、呑気な声が宙に響いた。

 声の主であるホシノが見る先、別動隊となる便利屋68の面々はチョイと騒がしい。というのも、先の先生の宣言を受けた結果、

「アル様!! 大丈夫ですかアル様!!」

「……薄々予想はついてたけど、社長はいつもの?」

「うん、白目剥いて固まってる♪」

 と、概ねいつも通りの光景が繰り広げられている。それでも他の面々に比べれば普段通りと言っていい範疇であり、こちら側の対策委員会に至っては、

「というか、そっちは大分落ち着いてるね?」

「どれだけの付き合いだと思ってるの? このくらいで一々キレてたらそれこそストレスでおかしくなって死ぬわよ」

「状況が悪くて切羽詰まってる中、パニック起こして瓦解したらそれこそ終わりだからねー。キチガイでワンクッション入れるいつものやり口だよ」

「うんうん、ツッコミに追われている間に色々とどうでもよくなっちゃうんですよね☆」

 と、作戦前の補給タイムとして、レジャーシートの上でノノミ手製の弁当を平らげつつ三人でムツキへと応じる。関係各所との通神を制御しているアヤネも、お茶のペットボトルを口に運び一息つくと、

「まあ、同様のリアクションがキヴォトス中から飛んでいると思いますが、そろそろキッチリ締めてくれると思いますよ」

 だって、とアヤネが苦笑交じりに肩を竦め、

「シロコ先輩が行方不明で、キヴォトスが滅び掛かっているこの状況を、先生が本気で放り出す訳がありませんし」

 

     ●

 

「さて、そろそろ落ち着いたかね?」

『誰のせいだよ!!』

 学園も学年も区別なくあらゆる生徒が声を揃えるのを、アロナは生まれて初めて聞いた。

 シャーレオフィスビル最上階、その最奥に隠された一室。自称「悪の組織」由来の技術で改造を施されたその部屋は、元は各地の作戦担当達と一堂に会した会議室と同じくらいの広さがあった。

 ある、ではない。あった、だ。

 たった一人で占有するには広過ぎるはずのその部屋は、足の踏み場もない程に物が溢れているからだ。

 有事のみ解禁される全方位集中指揮室。その名に違わぬあらゆる機材が取り揃えられたこの部屋は、戦術・戦略的行動を行うにおいて最上級と言える設備が存在している。本来であれば下層フロアで情報処理を担当しているリン達も連れて来るべきなのだろうが、それが出来ない理由はただ一つ。

 シッテムの箱の全能力開放を前提に設計されたこの部屋は、キヴォトスどころか先生の元いた世界の水準すら超える技術のオンパレードだからだ。

 虚妄のサンクトゥムが存在する六箇所、そして敵軍の動きが見られる各自治区の情報。アロナやリン達がネットワークから掻き集め精査してもなお十人単位で捌かなければならないであろう莫大な文字と映像と音声とを、先生は一人で掌握している。思考加速も既に百倍で運用しており、

 ……通神システムの制御もあって、シッテムの箱は完全にオーバーワーク状態ですね……。

 この非常時において先生が使用を決断した通神システム。ヒマリやエイミが用いるホログラム型の通信ネットワーク兼インターフェースは、先生が全生徒に協力を依頼したメールに添付したアプリによって、キヴォトスの全域と瞬時の意思伝達を可能としている。文字や音声のみならず動画すらラグなしでの双方向通信は、前例のない不明点ばかりのこの戦場において、自分達が唯一相手を上回る点だろう。

 問題はそちらの処理にシッテムの箱のリソースが常時食われることと、莫大な情報を把握する為に先生が思考加速を常態化する程の負担を強いられること。それらの負荷軽減の加護もシッテムの箱から供給される為、これ以上の高度な処理を行えないことだ。万が一この状態で先生が戦闘に巻き込まれでもすれば、アロナの守りを展開する間もなく先生は命を散らすだろう。

 反撃開始を謳ったは良いが、何もかもギリギリだ。

 そんなことは重々承知しているだろうに、二、三と頷いた先生はゆったりとした動きで拍手を送ると、

「素晴らしい連帯感だ。此度の作戦に伴い初めて顔を合わせた面々も多いはずだが、これなら支障ないだろう。現場は現場の苦労もあることだし、私への愚痴を肴に盛り上がってくれて構わんとも」

 追加の煽りに生徒達からブーイングが飛ぶ。数十人単位の野次を受けつつも、先生はいつも通りだ。それこそ普段のシャーレで生徒をからかったり物理的にツッコミを食らっている時と変わらず、微塵も取り乱した様子を見せない。無論、動揺した姿を見せて生徒を不安にさせない為、というのもあるだろうが、

 ……本当に、大丈夫ですか?

 シロコの失踪、カイザーによる拉致監禁、虚妄のサンクトゥムタワーの出現、そして色彩の襲来。これらの騒動が始まってから、まだ二十四時間と経っていないのが現状だ。あまりにも目まぐるしく状況が動き続けており、文字通りの不眠不休で動き回っている。既にD.U.防衛で大人のカードを用い、少なからず代価を支払った後。万全とは言い難く、しかも今回は事件の規模が大き過ぎる。

 暇を持て余しているなど嘘も嘘。無理を押しているのは、傍から見ても明らかだ。

 そんな内心の不安を消しきれないアロナが見る先、先生が笑みを零した。無理に作ったものではない、自然と浮かぶ柔らかな笑み。弧を描いた口の端が、やや間を置いてゆっくりと開き、

「まあまあ、良いではないかね。当分このような馬鹿をやる暇もなくなるのだから」

 そう、

「我々が敗北すれば、全てが終わる。そうなれば授業も、宿題も、試験も、そして放課後も。部活や委員会にバイト、その他課外活動も長期休暇も季節の催しも何もかも、二度と来ないものとなってしまうのだ。……文字通り、全てが断絶する。終わりとはそういうものだ」

 告げられた事実に、生徒達が押し黙る。改めて現実を突き付けられてか、息を詰めるような沈黙や、不安げな息遣いなど、総じてネガティブな反応が返って来る。だが、それらを受けてもなお先生は、

「怖いかね?」

 笑みを絶やさぬまま、静かにそう問い掛けた。

「怖くない、と言うことは簡単だろう。だが己の大事なものが失われるかもしれない状況で、恐怖を抱くのは当たり前のことだ。虚勢を張ったところで現実は変わらない。だから素直に認めよう」

 何故なら、

「怖くとも進む勇気を持つ者はいるし、不安を吐露すれば支えようとしてくれる物好きもいるのだから」

 息を呑む音や気配に、先生は大きく頷きを返す。

「現状、不明点や不可解なことは多い。これまでの対応とて推測混じりの事後的なものでしかないし、これから行う対処が本当に正しいものかさえ分からない。だが一つだけ確実なのは、抵抗をやめればその時点で全てが終わるということだ」

 良いか諸君。

「諦めてしまえば、そこで終わり。ゼロだ。だが諦めなければ、抵抗し続ければ、それがどれだけか細い可能性であっても、必ずゼロ以上の何かは残る。ならば彼我を区切る境界線とは、我々の意思そのものだ。そしてそれは共に行く誰かがいれば、より道が拓ける確率が増えるということだ」

 いいか。

「我々は弱く、未熟で、どうしようもなく愚かかもしれないが、──共に行く者達と力を合わせれば、完全に近くなれるのだ」

 どうかね?

「頼るべき友や仲間はいるか。進む背を押す信念はあるか。譲れぬ大事な何かはあるか。恐怖と対峙してでも守りたいものはあるか」

 そして、

「──帰るべき場所と、諦めぬ意思はあるかね。主人公諸君」

 

     ●

 

『では諸君、私から一つ命令を下そう。基本放任主義の私ではあるが、この指示はあらゆる作戦行動よりも最優先で適用される。そのつもりで聞いてくれたまえ』

 全員が、それを聞いた。

『──総員、生き延びろ』

 

     ●

 

 かつて小突かれた頭頂部に触れ、小さく笑みを零しながらホシノは聞いた。

『ありとあらゆる手段を使って生き延びろ。少なくとも私より生き延びろ。何故なら──』

 ゲーム開発部の面々と円陣を組み、手を重ね意気を上げながらアリスは聞いた。

『何故なら君達が守ってくれる私が死ぬ訳がないし、生徒を置いて先に死ぬ先生などいないからだ』

 戦車を止め、運転席から身を乗り出しシャーレの方角を仰ぎつつヒフミは聞いた。

『故に己を失うな。そして周りの誰かを失わせるな。ふと教室で周りを見た時、無人の座席が在るという状況を生み出すな』

 ナギサとセイアの指示を受け、配置につくべく手を振って別れながらミカは聞いた。

『負ければ世界滅亡? 勝たねば意味がない? だからどうした。それは諸君が命を投げ出さねばならない理由にはならん』

 何かを思い返すように、握った手を胸元に寄せつつ目を閉じながらヒナは聞いた。

『我々の目的は勝つことではない。生き延びること。そしていつもの日常を取り戻すことだ。ならば誰かが欠けてしまえば、その時点で敗北だ』

 作戦前の最終確認を念入りに済ませ、愛銃を手に立ち上がったミヤコは聞いた。

『誰かを犠牲にしなければ存続出来ない不良品の世界など、無地のノートとして好き勝手に書き換えろ。進む道は己で決めるべきなのだから』

 カタコンベへと向かう速度を、駆け足から疾走に変えつつサオリは聞いた。

『諸君の命は私が預かっているということを胸に刻め。勝手に捨てるような真似は許さん。如何なる状況下であろうと、抗いの心を忘れるな』

 作戦に携わる誰も彼もが、馬鹿でお人好しな悪役の言葉を聞いた。

 

     ●

 

 天上七万五千メートルの空。結界によって隠匿された空間の中、色彩の本陣とも言える箱舟内。暗く広い空間の中央にて、地上の宣言を聞く三つの影があった。

 長い銀髪を流す黒いドレスの少女と、長い白髪にセーラー服の少女。そして白い外套に身を包む、仮面を付けた長身の人物。彼女達は十字を組み合わせて作られた表示枠の中、白の長髪を靡かせる黒いスーツの女を注視していた。

『心折れそうになったら周りを見ろ。そこに必ず誰かがいる。見えずとも、聞こえずとも、志を共にし、同じ空の下で、必死に抵抗を続ける誰かが。一人であっても、独りではないと、そう信じろ』

 聞こえる声に、ドレスの少女が面を伏せた。白くなる程に力を込めて拳を握る彼女に対し、セーラー服の少女が気遣わし気な視線を送る。口を開き、しかし何も言えず、目を閉じてただ侍るのみだ。

『それでもなお抗えぬと思ったら声を上げろ。聞いた誰かが、気付いた誰かが、そして戦場全域を掌握するこの私が、必ず救いの手を届かせる。だから如何なる状況であっても、生きることを諦めるな』

 それらを左右に置く仮面の人物は、しかし動かない。ただ陰になって見えない双眸が、表示枠越しに映る女の姿を無言で見ている。

 微動だにせず、強い執着すら感じさせる程に、目を逸らすことなくじっと見ている。

 

     ●

 

「連邦捜査部シャーレ顧問、葵・硝子はその権限を以てここに宣言する。我々は戦うと。どれだけの苦難や絶望が立ち塞がっても、最後まで足掻き抜くと。破滅、終焉、如何なる滅びを前にしても、明日を望む意思以て力の限り抵抗すると」

 故に、

「共に行こう、この世界に生きる愛すべき生徒達。世界を救うなどと大層な理由は要らん。ただ己が失わせたくないものを守る為に、その力を存分に振るうと良い」

 立ち上がる。

「勝つぞ、とは言わん。負けるな、とも言わん。ここで終わりにしない為に──」

 一息。

「──生きに行くぞ、諸君」

 告げた先、一瞬の沈黙が返る。だがそれは言葉を失っているのではなく、応じる為の呼気に過ぎない。

 答えは一つだ。

『──Tes.(テスタメント)!!』

 シャーレの符号。契約を意味する応答。その一声が通神越しに、キヴォトスの全域から己へと届く。

Tes.(テス)!! ああ、我等ここに契約せり!!』

『泥臭くとも見苦しくとも、抵抗を止めぬ者なり!!』

『なれば我ら、須らく生きることを諦めぬ者達なり!!』

 応じる声は様々だ。気勢を上げる者、僅かに怯えが残る者、開き直って叫ぶ者、それら全てがただただ愛おしい。

 異世界からの来訪者。大人で先生で悪役という、この世界における明確な異分子。そんな己を相手に信頼を寄せ、戦場を共にしてくれる者がこれ程までにいるという事実にただ、

「……感謝である」

 通神に乗らないよう小さく、しかし確かにそう零す。伝えるべき言葉ではあるが、今はまだその時ではあるまい。

 言うのなら、全てが終わった後で全員に。

 吐息一つで感傷を終え、ゆっくりと右手を振り上げる。無数に展開する表示枠、そこに映る生徒達全員を視界に収め、

「これよりキヴォトス連合による、虚妄のサンクトゥム攻略戦を開始する!! 総員──」

 掲げた拳を握り締め、振り下ろし叫ぶ。開戦の号砲は、ただ自分達が成すべき一言で良い。

 我等の青春は奪わせない。

「──進撃せよ!!」

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