・本作品はヘイト創作に片足突っ込んでいます。
※本作品はpixivにも投稿しています
ただただ不味いだけの、憂さ晴らし。
父親は懐古主義者だった。自分がいかに親――つまりは俺にとっての祖父母――に暴力による躾が行われたのかを雄弁に語り、それを言い訳に3時間にわたる詰問と鳩尾へのしつけを行った。
母親は正義の人間だった。自分の正義は絶対に正しいと考え、子供たちを教育し反論を屁理屈だと弾圧することで封殺した。
兄は優秀だった。小学生の時から陸上を始めて高校では部活の大会で優勝を果たし、現在では年始のテレビで姿を見る。元陸上部だった母にとっては自慢の息子だった。
姉は優秀だった。小学生時に友人に誘われて中学受験の受け、半年程度しか通塾していないにも関わらず、福島県内有数のエリート校に合格した。
俺は幸運だった。少なくとも、父の気まぐれで町の空手教室に小学低学年から通えたことは俺にとっては幸運だった。
俺は姉が通っている中高一貫校への受験に落ちた。
俺は不幸だった。公立中学初めての定期テストで数学で98点を叩き出した。
*
「今日、部活の卒アル用の写真だったよな。大丈夫か?」
「大丈夫だろ」
同じ部活に所属して、かつサボった3人組はのんびり歩く。唯一眼鏡をかけた彼が唆した作戦は見事に成功した。
「部長が『お前らにサボる勇気はないだろ』とか余計なことをいうのが悪い。どうせ元より幽霊ばっかりだったし、俺なんか部室の掃除しかしてなかったし」
「昔、結構マジメ君だったのになぁ」
夕焼け帰り道、アイスを交換しようにも校則で登下校中の店舗への立ち寄りは禁止だから不可能。塾がないため歩みはスローペース。他の生徒がごった返すため回り道を使って帰宅をする。
「そういや高校、決めた? 俺は$$高校と私立をいくつか」「俺も$$受ける。どうして教育委員会は公立高校1度しか受けられないようにしたんだろうな……絶対受かる場所しか受けたくない。三峰は?」
「@@@高校」
「どこ?」
「あの……@@市の。$$よりも偏差値はかなり高いが、定員割れギリギリってとこだな」
「うわ、優秀ー」
「本当はすぐ近くの++が良かったんだが、母さんがダメだと。だからある程度偏差値が高くてある程度倍率低そうなトコにする」
「――お前って帰り道、こっちだっけ?」
「早く帰ってもやることない。遊ぼうにもアニメや漫画を見ていたら怒られるから」
「うーわ、ウチは気楽。遊んでも文句は言われない」「うちも制限はあるけど……三峰んとこはネット1日30分だろ? それにゲーム禁止」
「都合がよければ、だ。基本的に父さんが占領してる」
近道へ向かうコースは何度も見送っている。家に帰って何をするかは今は考えたくなかったし、いつも何をしていたか思い出せない。
*
家に帰ると手洗いうがいをして足を洗う。足を石鹸で洗わないと母はわざとらしくえずいて周りに不快感をまき散らすのだ。
自分の部屋に戻る寸前にリビングを覗くと母はいつものようにニュースをテレビで流しながらガラケーでゲームをしていた。テレビに表示された時間はすでに18時を超えており、あと20分もすれば姉が帰ってくるだろう。
ネットで遊ぶことを選択してしまうと後で食事がどうだとか言って犬のようにキャンキャン吠えられることを考えると自室に閉じこもるのが正解に思える。
自室はいつも通り、汚い。整理整頓されていないが、猿知恵で整理を行い時間と場所を浪費することを考えると積みあがった教科書の山に絶対にあるという安心感は何物にも代えがたい。
適当にノートを開き、いかにも宿題の途中です感を出して本棚のライトノベルを取った。無論ドア越しに誰かが歩く音は聞き逃さないように意識の過半数は耳に。
ページを開く。既に展開もほとんど理解していたが、月1000円のお小遣いという制限と新しく本が増えたことを悟られるリスクよりも安寧を選んだ。古本屋でライトノベルのみを買っているのも、一般書籍は図書館でも読めるし漫画は一冊当たりの情報に対するコスパが悪すぎる。
ガラガラと玄関が開く音がした。姉が帰ってきたのだろう。出迎えてやる義理もないので無視。
しばらくすると足音が聞こえた。急いでいつものように偽装を施す。
「ごはんでーす」
姉の声だ。ドアは開かなかった。
*
母はいつものように彼や姉が食事の準備を手伝わなかったことに文句を言っていた。いざ手伝おうとするとヒステリックに叫んで「使えない」と文句を言うくせに。
「全国大会っていつだっけ?」
「ん?」
珍しいという風に――実際、姉と前回真っ当な会話をしたのはいつだったか覚えていない――彼女はこちらをちらりを見た後食器を持ったまま後ろを振り向いてカレンダーを見た。
「んー……金曜日に東京だから……3日後?」
「ふーん……」
「寂しい?」
「まったく」
聞いた彼ですらなぜこんな質問をしたのか分かっていない。ただ“差”が増えたなと感じた。
家にある複数個のトロフィーは6割が兄の、3割5分が姉のもので、彼のものは1つしかない。しかも複数の空手教室のちっぽけな合同大会で、彼は1回だけ勝って準優勝しただけの軽いプラ製だ。
「放送部の全国って遅いんだね」
「アナウンス部門優勝候補は甲子園のウグイス嬢になってるから、遅れるの」
「……なにやるの? 野球みたいに点でも取り合う?」
「うちは映像ドキュメント部門。原発の事故とか……ってそんなこと知りたいわけじゃないよねぇ……。まぁ……映像やナレの出来とか、正確性とかそんなのを比べるってわけ」
「ふーん」
母親が作った肉の炒め物は、食べ慣れすぎて感動も何もない。駄菓子やファストフードは制限されていたし、そんなもののために1000円の余裕を狭めたくなかった。
母が会話に割って入る。
「あんたも何か作ったら。誰かが作った動画を見るだけなんかよりも、作ったほうが有益でしょ」
「嫌だよ」
そんなことをすれば母や父に姉のものと比較されて自分が惨めになることは最初から分かっていたし、フリーゲームすら青息吐息の我が家のノートPCが1日30分の制限下で正常に動作するような動画ソフトがあるとは思えなかった。
「そんなこと言ってあんたパソコンで遊ぶことしか使ってないでしょ。何の役にも立たないことばかりに使うぐらいだったら少しは――」
「あー、考えときます」
またいつものようにキャンキャンが始まった。胸中のもやもやが脳を侵食する前にいつものように思考を閉ざした。
*
姉が参加する大会というものは中継されていない。もしかしたらネットとかでしていたのかもしれないが、具体的な大会名などは知らなかったので検索する気もなかった。
土曜日の夜。空手教室を辞めてまで参加した塾から帰って機械的に食事をとる。家族の団欒、という架空の物体を求めて食事中にテレビは点かない。
「あんた、高校は@@@を受けるのよね」
「うん」
1年生の時、高校について調べるという授業があった。近くにあったからという理由で地元の高校を調べようとしたら「あんなバカな高校のことなんて調べるな」と言われて姉経由で彼女が通っておりかつて彼が落ちた###高校について調べさせられたことをよく覚えている。@@@など3か月前までは知らなかったが、塾で配られた福島県内の高校の偏差値や倍率などをまとめた冊子を見て、決めたのだ。
「###にしなさい」
「………は?」
だから食事を終えて皿を洗おうとしたとき、母親の言葉を聞いたときは流石に正気を疑った。
「なんで」
「そっちのほうが有益だから。結華を見てみなさい。あんなに自由にやれているのはあの学校が延び延びとできるからよ」
「有益……? 諦めてないだけでしょ、母さんが」
4年前――いや、5年前。姉が###に中学受験で成功してから彼の人生は変わった。何も知らない小学4年生の時に塾の夏期講習に参加させられ、そのまま5年生から中学受験に参加させられた。
あのときはっきり拒否していれば、流されずに自分の意志を持っていたら3年の月日と大量の授業料は無駄にならなかったのかもしれない。###を受ける、と言ったかどうかも覚えていないから自発的に「やりたい」と言ってしまったのかもしれない。
それに――
「わかってるよね? 中学の時とは違って、国公立の高校受験は少なくとも1度しかチャンスがない。その1回を何の対策も立てていない学校に?」
「1回じゃない。2回ある。定員割れしている高校は2回目がある。それに私立も受ける。だから――いけるでしょ」
「第2日程……!? あんなの――普通、定員割れなんて起きない。@@@は定員割れギリギリであって、しているわけじゃない。1倍は超えていることが多い。今回が“そう”なるわけじゃない」
それに――、彼は苛立ちを隠さずに言った。
「……それに、特色はどうする。###の特色試験なんて対策していない」
福島県内の高校は第1日程の時はすべての高校受ける適性試験と一部の学校が独自に行う特色試験という2つに分けられる。多くの高校は適性試験のみで特色は実施していない。彼の志望校である@@@高校が倍率1.00に限りなく近いのはそれのせいだ。
しかし……###の特色はレベルが違う。小学生の時に受けたのだ。あれの理不尽さなど、内容は忘れていてもおぞましさは覚えている。
「今からすればいい」
「……3か月で出来るわけがない」
「結華は――半年でやったわよ」
「――」
また、姉か
小学生の時に空手を習えて良かった。少なくとも中学生から父からのしつけは無くなったし、兄の後追いをさせられなくなった。
それに、目の前にある母親を、本気で殴って殺さないように、感情を抑えることができた。
「……英語や国語はアレだけど、数学に理科は結華よりも点数が高いあんたが出来ないわけじゃないでしょ」
「公立中学と県内トップのエリート校の試験を比べても仕方がない。それに――」
「――っ、うるさい! 屁理屈ばっかり言うな!」
母は立ち上がると彼に詰め寄って、言った。
「誰が、お金を出してると思うの!?」
「…………」
また、それか。
金なんてどうでもいい。ただ、産んでほしくなかった。
最初のテストで98点など取るべきじゃなかった。ただ「なぜ満点じゃなかったのか」と叱責された記憶しか残らなかった。
「……わかりました」
「反抗的な目、やめなさい」
母のその言葉を無視して彼は皿洗いを始めた。
*
思考は、必要ない
父からリスニングとかいろいろの対策のために買い与えられた3000円ほどの海外製音楽プレイヤーがこの世界から逃げる方法だった。
日曜夕方のラジオドラマはいつものように楽しそうだった。もう外が黒くなった今では内容も覚えていないけど、毎週のように楽しそうにテーマソングを歌っていたのだけは覚えている。
動画サイトに転載された楽曲を、合法か疑わしいサイトでダウンロードして聞く。プレイしたこともないゲームの二次創作の歌の歌詞は理解できなかったが楽しそうだというのはよく分かった。
帰り、たい
ガラガラと玄関が開く音がした。姉が帰ってきたのだろう。母親が出迎えたのを感じたので無視をした。しかし扉を開ければすぐに玄間であり――まぁ、塾の宿題があるので真面目にノートに書き込む。
しばらくすると部屋のドアが無遠慮に開けられた。
「ただいま」
「お帰り」
制服姿の姉だ。母親はリビングに引っ込んだらしい。
「下から2番目だった」
「そう」
どうでもよかった。
姉の顔はすべてを終えてすっきりした表情をしていた。これから大学受験の準備をするのに。
*
少し時間が経って彼は体育館ですし詰めにあっていた。インフルエンザの季節にはまだ早いが、これが最後だと思いたい。
中学校の保険のビデオ授業、要は性教育である。全校生徒が雁首揃えてビデオの内容を見ていた。誰かが野次を飛ばすほどこの学校の治安は終わっていないらしい。
《人間の一生で精子は1兆個、卵子は500個作られると言われています。つまり、あなたは500兆分の1の可能性から生まれた、選ばれた人間なのです……》
選ばれた……? “これ”が……?
殺意を感じた。一体何をもってそんなことを言えるのか、製作者の脳みそには代わりにカニみそでも詰まっているのではないか。
運動能力も、顔面も、身長も、知能も――選ばれるべきでなかったモノが?
体育館から自分の教室に戻り、つまらない感想を書かなければいけなくなってもその思考は脳を汚染していた。
どうして500兆分の1である兄や姉が恵まれていて、俺はコレなんだ……?
薄っぺらいプリントにそれよりも薄っぺらな感想を乗せていく。罵詈雑言を書き連ねたかったが、内申点ため今は大人しくしなければならない。
感想欄の8割を書き終えてもこの心は変わらなかった。
*
塾講師が提供してくれた###高校の問題は複雑怪奇なものだった。受けたくない、と言っても不可能なのは明白だった。
どうして行きたくもない高校を受験しなければならない?
どうして受かるわけがない高校のために必死こいている?
受からない確率のほうが高い高校よりも、行けそうな高校のために勉強したかった。発想力も文章構成能力/読解能力も劣っている人間が、天才のための場所に行けるわけがない。
どうして自分はこんなにも劣っている?
どうして自分は自分の意思を使えない?
どうして――
「――**?」
「……結華さん?」
「やめてよ、さん付け」
こうやって話すのは一体いつぶりだろうか。自分の脳に時間の彼我が失われてから既に何年も経っている。
「母さんがね、**に問題教えてあげなさいって」
私も大学受験忙しいのになぁ、と姉はつぶやいた。
「いや…………いいよ」
「いいって……落ちるよ。3年前みたいに」
「――いいよ別に。結華さんの受験のほうが重要でしょ」
「重要って……**だけじゃ」
「どうせ落ちるものに、期待しても時間をかけても無駄でしょ? 落ちるだけだよ。3年前みたいに」
「でも――」
「関係ないでしょ。ただの他人なんだから」
彼のその言葉に、姉は目をつぶってカクカクとわざとらしくうなずいた。
「……そう。じゃあ私は勉強に戻るから。あとで落ちても知らない」
姉はため息をついて部屋を出て行った。
かけられた言葉を無視して彼は音楽プレイヤーの音に注力して思考と感情を閉ざす努力をした。
*
どうして家族だから、弟だからと言って優秀な姉に自分の道をつぶされる?
どうして無い才能をフルに動員させて姉の引き立て役にならなければならない?
どうやって、自分の未来を、人生を、尊厳を、姉によってグチャグチャになったスクラップの山でどうやって前を向けばいい?
*
2月。担任教師から告げられた不合格という言葉を無感動に聞いた。
「三峰は私立は受かってるんだったか」
「はい」
「……第2日程、受けるか?」
「まぁ……はい」
そう言うと教師はとん、とん、と木製の天板を指で叩くと書類を出した。
「三峰が受けようとしていたところ……@@@高校は第2日程、行けるぞ」
「……! 本当ですか!」
「あぁ。難易度は……ちょっと分からない。第2日程は共通じゃなくって学校ごとに別の問題だから分からん。だが……頑張って過去問を入手しよう。第1日程の特色も今渡そう」
「ありがとうございます……!」
首の皮一枚つながった。
落ちることはほぼ分かりきっていたから@@@高校の受験ができる嬉しさだけが勝っていた。
家に帰って手洗いうがい、そして足も洗っていると母親にリビングに呼び出された。
「落ちたみたいね。結華が昼に電話してきたわ」
「そう」
どうでも良かった。
彼の白けた顔に苛立ったのか母親は詰問を始める。
「……何かないの?」
「何か――って?」
「志望校落ちたんだよ。大勢の前で結華は恥をかいた! だというのに、あんたは何も思わないの!? 悔しかったとか、今度からはこうしますとか、そういうのは無いの!?」
「別に。なんもないよ」
志望校? お前が勝手に選んだだけの学校だろう。行きたくとも何ともない。
姉が恥をかいた? ネットでも見れる結果をなんでわざわざ他人のために見たのも意味不明だし、本気で受かると思っていたのだろうか。
何も思わない? 反省すればいいのか? 何に?
「あんたは――」
「第2日程、@@@やってるらしいから……受けるから。先生が教えてくれた」
「――……ほら見なさい。やっぱり第2日程やってたじゃないの」
その不遜な態度に彼は自分のことを棚に上げて激しく嫌悪的な感情を抱いたが、言い返すのも面倒だった。
「それで? これからどうするの? どう頑張るの?」
「は?」
「これからどのようにどうするのかって聞いてるのよ」
「…………」
これから始まるであろう禅問答を前に、彼は時計をちらりと見る。
3時間適当に頷いていれば解決すれば良いほうだな、と思って思考を手放した。姉が帰って来たらすぐ終わるだろうか、と蜘蛛の糸を願った。
*
母の詰問は父親が帰ってきた20時30分にようやく終わった。いつも帰りが遅い父親がこの時間に帰ってくるのは珍しいなと思いつつ、姉の帰りが遅いということは今日は塾なのかとよぎった。
悪態をつきながら母が部屋に戻るように命じたのは覚えているが、一度閉じてしまった思考を再び稼働させるのはなかなか難しくてシャーペンの動きは稚拙で遅い。このあと実家を出た兄を除いた家族4人で食事をとるということを考えると面倒だ。
「**、いる?」
「ん? うん」
姉が部屋に入る。
「その……残念だったね」
「母さんだけ。残念がっているのは」
姉の言葉に機械的に答える。
「どうして……どうして私を頼ってくれなかったの?」
「迷惑でしょ。ただの他人のために、自分の時間を使うの」
「家族でしょ……? 私は**の姉で……」
「家族……? 結華さんのコピーなだけじゃん。これまでの人生で俺の選択に、俺の意志ではなく結華さんのこれまでをどれだけ優先されているか分かってる? 家族っていうのは、その人の人生を凌辱しても構わない存在ってこと?」
「それは**が自分の意思をはっきり示さなかったからじゃん……!」
「じゃあ結華さんは父さんに数時間にわたって何度も殴られたことがある?」
「………!」
黙った姉に、反論できない姉に、ようやく彼はその尊厳をぐちゃぐちゃにする権利を得た。
「何度も何度も腹を殴られた。鳩尾を何度も殴られて、呼吸もまともにできなくって、思考もまとまらない。そんな状態で親にとっての正答を言うまで殴られ続けるなんて状況、結華さんは経験したことある? 何度も殴られたせいでトラウマが染みついて、空手ではまともな試合にはならない。反論をしても聞き入られないし、いつ殴られるか分かったものじゃない。そんな状態で自分の意思を示せと? 何も考えないほうが楽じゃん」
「それは……」
「……もうやめてよ。結華さんも受験勉強、必要でしょ」
「いや……もう私、私立の志望校に受かってて……。今は退屈だから、勉強を……教えてあげようかと……」
「いらない」
「…………わかった」
姉が部屋を出ていく。彼に持っていない物をたくさん持っているくせに、不幸面をする姉が嫌いだった。
(姉が私立大に行くんだったら、公立いかないと母さんがさらにヒステリックになりそうだな……)
*
@@@高校の第2日程には不合格だった。倍率が一体何倍になったなど、調べたくもない。母や父になんて言われたかはもう覚えていない。
ただただ、無駄な苦労だった。姉が通っていた高校に入れさせるために母親だけが奮起して、当の自分には何のリターンもなかった。
強いて得られたのは姉への憎悪だった。
あの姉がいなければうまくいけたのではないか? 姉の栄光が自分の意思も未来も焼き尽くしたのではないか?
あの姉が、三峰結華がいなければ、自分の人生は幸せになったんじゃないか?
*
私立高校に入学した。
当然、特待生など不可能。むしろ勉強への意欲が完全に失われ、高校の成績は下がり地の底を這った。当然、家に自分の場所はなく図書館で時間をつぶすしかできない。
もう親には何も言われなくなった。製造者責任ぐらい果たして欲しいと思ったが、単に家で思考をつぶした結果家出の出来事のすべてを忘れてしまっただけなのかもしれない。
反面姉はキャンパスライフを満喫しているらしい。最近は家に芸能事務所の人と一緒に帰ってきたらしく、モデルにでもなるのだろうか。
「三峰ってあのアンティーカの三峰結華の弟?」
「は?」
だから教室でかけられたその言葉の意味が理解できないほどには、彼と姉の関係性は希薄なものだった。
「アン……ってなに?」
「アイドル」
「アイドル……?」
「ほら大雨の中のMV人気出たじゃん」
「…………?」
最近テレビなど見ていないし、スマホも大量のフィルタリングや監視機能を追加されることを考えると欲しくなかった。
数か月同じクラスであるため彼の無知を把握している同級生は苦笑しながらスマホを見せる。
「ほらこれ」
「………………は?」
どこかのインタビューの画像だろうか。黒色とところどころ歯車のアクセサリーがついている衣装に見覚えはなかったが、その顔は確かに姉のものだった。
「ま、さすがに姉がアイドルやってるなんて知ってるよなー」
「………」
他人の空似、という可能性も考えたがそれ以前にこういうのを下手に肯定すれば姉にも迷惑がかかると思って認めなかった。
沈黙をどう捉えたのか。つまらなさそうにはけていくクラスメイトを無視して彼は目をつむる。
*
あの姉が、アイドルに?
アイドルに興味があったのか?
――なんで、あんなに、楽しそうに、生きられるんだ?
あの幸せをぐちゃぐちゃにするにはどうすればいい?
姉を不幸にするにはどうすればいい?
能力も努力もその他一切合切がない人間が、自分のすべてを焼き殺した女にどうやって復讐すればいい?
――凌辱すればいいのか。
あの女が幸せなら、魂の殺人を行えばいい。
まともな未来を切り開いたというのであれば、自分がつぶせばいい。
生まれてくる子供も、遺伝子異常を示す欠陥児であれば彼女の尊厳を更に傷つける。受け継いだ才能がろくに発揮されないのであればなおさらに良い。
弟に何も与えず、何もかもを奪った女のすべてを屑鉄に変えてやる。
この日初めて自分は恋をした。純粋な恋愛感情ではなく――理想化した家族像と、思春期の性欲と、あるはずだった未来への羨望が入り混じった、腐臭に塗れた何かを恋愛感情と呼ぶほかなかった。
*
別のクラスメイトの自分の姉の質問には答えた。それから高校生活は少しだけ変わった。何をするにも「アンティーカのメンバーの弟」という称号が素肌に縫われていたからだ。
どうやら高校生というのは勉強ができなくとも許されるらしい。模試でも最底辺を這っていたら、同じく勉強しない組がよって集まって、一種の寄り合い所帯みたいなものが出来た。同じように親や家族に嫌悪の感情を持っている人間もいたし、単純に一緒に図書館で参考書ではなく雑誌や小説を読む人間もできた。
世間の事情など全く知らなかったが、彼らが自分を憐れんで流行というものを教えてくれた。タピオカとわらび餅を混合したときはさすがに呆れられたが。材料はほぼ一緒だろうに。
きっと彼らにも何らかの問題はあるのだろうしそれは自分のものよりも大きいはずだと思いつつ、少なくとも表面上は自分を慰めてくれる人間がいることに感謝した。
それでも
「お姉さん、やばいらしいよ」
その言葉の意味は理解できなかった。
「やばい?」
夕焼け、帰り道ですらない避難所でもある図書館へ向かう道。オウム返しに聞いてみたところその同級生は神妙な顔をしてスマホを叩く。
「まずアンティーカが炎上した。リアリティー番組に出演して悪意ある編集されて、暇人たちが……何というか、メンバー間の対立煽りをはじめた」
「『宇宙世紀以外認めない』みたいな?」
「いや、俺ガンダムわかんないからその意味はよく分からんけど……まぁ、ガノタ同士の争いって言われればそんな感じなのかな……」
正直彼にとってはリアリティー番組が一体何なのかすら意味不明だったが、例に肯定してくれたおかげでよくわかった。
要はファン同士、身内の醜い取っ組み合いってことか。
「それで……いろいろあった結果、リーダーの恋鐘と……お姉さんが炎上している。これが……大体1週間かそこら前」
「ふぅん。まぁ、でも……」
「それで精神クリニックになったらしい」
「精神クリニック……?」
「なんかこう……病院に通っているのを盗撮されたらしい」
「……写真を」
常日頃から低かった彼の声がそれ以上に低くなったことから同級生が無言でスマホを見せる。
ツイスタというものはどうして全員がケンカ腰になるのかが理解できなかった。
「その……」
「もとより結華さんは体調が悪くなりがちだから、単純に病院に行っただけだろ。それに、番組の放送と収録がほぼ同時ではないだろうし……偶然の一致だろ。――ツイスタの人間は偶然という言葉を知らないのか?」
「体が弱いの?」
「もとよりあの細さだからな。家には生理周期を安定させる薬が常備されていたほどだ」
操作方法がよく分からないからただただ指をスワイプさせて罵詈雑言を眺める。この書き込みが人道的になのか、それともジェンダー論的になのか、それともルッキズムとか名誉棄損とかブランディングに対してか……とにかく何かしらの法に問題なのではないかと思わされるものだった。
どうして何もされていないのに、その人を匿名性に隠れながら凌辱しようと考えるのだろうか。どうして文字で隠れながらこそこそとやるのだろうか。
「………そういえば、お前ってアンティーカ好きなのか? わざわざツイスタで調べてるのか?」
「一応、アイドルの弟がいるクラスだぞ……! 興味なくってもクラスチェインで流れる」
「その当の弟が一番知らない……」
*
しかしこの話は彼の思惑以上の展開であった。
簡単に言えば、大学が長期休暇でもないのに姉が実家に帰ってきた。
プロデューサーと名乗る人間曰く「1週間でいいから精神を安定させたかった」らしい。いったい何があったのか、と質問すると「事務所の爆破と殺人予告がでた」。
「東京のほうが良いでしょう。確かに人員は配置されているみたいですが………」
客間の窓の外では見慣れない車が何台か配置されていた。おそらく覆面パトカーだろう。
はっきり言って実際に殺人予告を受けているのであれば東京のほうが対処しやすいのではないかと思っての質問だった。
差し出がましい質問かと感じたが、事務所の人間は努めて営業的に答えた。
「お姉さんが『折角、急に休みになったんだから実家に帰りたい』と」
「………一応、犯罪行為の渦中にあるんですよね?」
「まぁ……。でも恐らくこの感じだと正月の帰省はおろか春休みにも帰れないはずなので」
「姉がそこまで実家に愛着があったとは思えませんが」
それとも母親あたりが帰省しろとうるさかったのだろうか。
差し出がましいことばかり言っていると母の耳に入ってあとで面倒になりそうだ。東京に戻るであろうプロデューサーを引き留めたことを謝罪し、彼を見送った。
土曜日の昼だ。イレギュラーだったが、日常は変わらない。下手に図書館に行って本を借りて帰れば小言を言われるのであればと、自室に籠って何もしない。ただ毎日の小テストに怯えながら勉強する毎日である。
「**、いる?」
「いるよ」
姉が入ってくる。1年前よりも瘦せており、やつれている。それがアイドル活動の結果なのか、それとも今回の騒動の結果なのか分からない。
「大変だったみたいだね」
「まぁ……前々からあったんだけど、今回は特にキたね」
「いつぐらいに東京に戻るの?」
「次の土曜かな」
「ふーん……」
と考えるならば、この1週間は母の意識リソースがこっちではなく姉に向けられるだろうか。いや、あの母のことだ。3日ぐらいで姉と比較してこき下ろしが始まるに違いない。
「明日は兄さんも帰ってくるし、久しぶりにみんな揃って暮らせるね。……**的にはイヤかな」
「まぁ……穀潰しだって感情もあるし」
自虐はデフォルトである。変わらないね、と姉は言う。
「元気してる?」
「食事は無理やりにでも食わされるからね。そっちは更に細くなった」
「アイドルは痩せていることが美徳だからね」
「美徳……」
その体が? とはとても言えなかった。
アイドルとは、ボロボロの体をトロフィーとして飾るモノだったのか。
「そういえば、病院に行っていたっていうのをネットで見たけど……あれは何?」
「…………まぁ、今に始まったことじゃないよ。今回の騒動でひどくなっただけで」
「そうか……」
彼女は幸せなんかじゃなかった。
アイドルになったことで、むしろさらに過酷な人生を辿ることになった。精神的苦痛に対するリターンがあまりにも小さすぎる。
姉へ向けられる復讐心が消えていく。自分が不幸であったからと言って、姉は幸福ではなかった。
「――結華さんはさ、アイドルになって良かったって思ってる?」
「うん――! とても、楽しいんだ」
「そっか――」
俺はそうは思わない。
復讐するはずだった相手すら奪われ、自分は明日生きる意味すら失ってしまった。そのくせ復讐する相手はいまだに自分が幸福だと信じ続けている。痛々しすぎて、見てられなかった。
俺のこの恋は、終わってしまった。
残ったのはどこへ向ければいいのかも分からない、濁って歪んだ恨みだけだった。その感情を一体どうやって見切りをつければ良いのか、今の自分にはまだ分からなかった。
*
「断ります」
電話の相手に彼は即答した。
サマール、と呼ばれるアイドル戦国時代に逆行するがの如くそれらを否定する団体の代表からの電話越しの提案に否定する。
「三峰結華は、もうボロボロだ。精神は治っていても、体は……」
《だからこちらとしてはお姉さんは説得力のあるとても良い例なんですよ》
「あの人には幸せに――真っ当に、いち文明人として幸福になってもらわないと困る。――結華さんには手を出して欲しくない。でなければ、こちらにも考えがあります」
《じゃあ、引きましょうか》
あっけらかんと相手は引いた。一瞬で諦められたことに拍子抜けだ。
《その代わり、こちらへある程度は協力していただきたいですが……》
「良いですよ。姉が幸福になるのであれば、いくらでも」
《お姉さんの幸福を追求したいのであればどんなことをしても構いませんよ。――あぁ、電話の録音のデータはきちんと保管してくださいね。お姉さんに飛び火させたくないでしょう?》
「………」
ではでは、と相手は簡単に電話を切った。
アイドル業界の消滅を願っている人間がどうして芸能界で働いているのだろうかとかなり疑問に思ったが、こちらとしても好都合なのは事実だ。
姉はアイドルになったことで目が眩んでいる。肉体がボロボロになっているのに精神はそれを見ない。
電話相手が言っていた「アイドルというのは5年の起きるかどうかも分からない奇跡のために、その後の50年を捨てる」が事実なのはモデルの栄養失調から晩婚化による流産・障害児の増加のデータを見ればわかる。高校の保険の教科書にも載っている情報を業界が知らないわけがない。
他の人はどうでもいい。ただ自分の人生を永遠の呪いに沈めた姉が別の人間によって不幸になるのが許せなかった。
スマホを充電器に挿し、パソコンを熾す。ツイスタでは姉ではないアイドルの炎上が取り上げられていて、将来姉もこんな風になるのかと不安になる。
大学入学のため実家を出て1年半が経過した。法学部の勉強は惰性的で、自分では先ほどの電話相手が期待していることが実現できるとは思えない。
それでも……期待されることは、嬉しかった。
炊飯器の音が鳴る。キッチンに行き冷蔵庫から作り置きの肉を雑に焼いたものを取り出して温め、ご飯に乗せる。せいぜい3分程度の食事だ。机など必要ないのでそのままシンクの前で食べる。
「――うまい」
その味はあの母親が作る料理に比べて稚拙なものだったが、濃い味付けが今になっても彼にとって嬉しかった。