売れない絵、消息不明の妹、死の藝術による事件。
考えば考えるほどネガティブな思考に陥る彼女に、そっと近づく影があった。
ほんのりとした優しさ(と少しのヤンデレ)を感じていただけたら幸いです。
「ふぅ……」
アトリエでゴッホは絵を描いていた。
彼女がよくモチーフにする黄色い大輪の花。いつも描いているのに、今回はあまり筆が乗らない。
「このコも、ダメなのかな……」
「何がダメなんだい?」
「きゃっ!?」
俯いて悲観的になっていたところに、不意に後ろから声がかかり、ゴッホは飛び上がるほどに驚いた。
「もう、館長さん! 驚かさないでください!」
「ごめん、ごめん」
頬を膨らませてプンスカ怒るゴッホを、館長が宥める。その両手には、湯気の立つマグカップ。
「とりあえず、一息入れたら?」
館長はマグカップのひとつをゴッホに差し出すと、自分はもう一方に口をつけた。
「ありがとうございます」
ゴッホもそれを受け取って一口。中身はコーヒーだった。砂糖が入っているのか、苦すぎずほんのり甘かった。
「また描いてたの?」
館長がコーヒーを飲みながらキャンバスに目をやる。描きかけの花がこちらに向いていた。
「はい。けど、また売れないかも……」
ゴッホは悩んでいた。
彼女は藝術家。今は死の藝術に起因する事件が多発していて、その解決に奔走しているが、本来の仕事は絵を描くことだ。
しかし、クライアントから依頼があったものはともかく、彼女自身が一から描き上げた絵は、中々売れていなかった。
「どうせ私の絵なんて誰も求めてないし……」
ネガティブな思考が止まらない。夢幻美術館に来てから少しは改善したとはいえ、まだまだ根は深そうだ。消息不明となった妹のテレサのこともその要因だろう。
「……」
館長はジッとキャンバスを見つめると、
「ゴッホ」
そのまま彼女に話しかけた。
「なに?」
「甘いもの、食べたくない?」
「え?」
美術館に併設された簡易キッチンにエプロン姿でゴッホは立っていた。横には同じエプロンをつけた館長。2人並んでボールの中身を泡だて器でかき混ぜている。
「なんで、パンケーキ作りなの?」
甘いものと言われて甘味処に行くのかと思ったら、キッチンに連れられてパンケーキ作りが始まった。
「落ち込んだ時は、甘いものを食べると元気が出るからね」
「それは、分かるけど、わざわざ作らなくても」
アテナイには美味しいパンケーキを出す甘味処はいくつもある。そちらに出向いた方が楽なはずだ。
「いいじゃないか。そんな気分だったんだよ」
「なに、それ」
あっけらかんと言う館長に思わずゴッホからも笑みがこぼれる。その笑顔で、館長もニッと笑った。
「じゃあ、焼くよ」
低温に熱したフライパンにバターを入れる。フライパンの熱でバターがゆっくりと溶けていき、フツフツとしたところで生地を入れる。フライパンより一回り小さい円形に整えて、じっくりと待つ。
「……良い感じだ」
ヘラで焼き面を確認すると、館長は「えい」とフライパンを返す。片面が焼けた生地がクルッと半回転して無事フライパンに着地。小麦色の肌があらわになった。
「ゴッホ。そっちはどう?」
「大丈夫だよ」
ゴッホが切り分けられた果物の入ったバットを見せる。
イチゴにバナナ。キュウイ、マンゴー。生クリームにチョコレートソース。飾り付けの準備も万端だ。もちろん、定番のバターにメイプルシロップも欠かせない。
「ほいっと」
館長が焼き上がったパンケーキを皿に移す。
「あ、ちょっと待って」
「え?」
出来上がったパンケーキにクリームをかけようとしたゴッホを館長が止める。
「ちょっと一工夫」
そう言うと、館長は空けたフライパンに少量の生地を何回かに分けて焼き始めた。ゴッホも不思議そうにそれを見つめる。
次々に焼き上がっていくのは、花びらの様な楕円形の生地だった。
「これをこうして……」
出来た小さなパンケーキを、先に作っていたパンケーキの周りに並べていく。
「最後に、チョコレートソースをこうして……出来た!」
「これって……」
チョコレートソースを格子状にかけて出来上がったのは、パンケーキのひまわりだ。
大輪のひまわりの周りには、ゴッホが切ったフルーツも散りばめられていた。
「はい。ゴッホ。召し上がれ」
館長は出来上がったひまわりパンケーキをゴッホに差し出す。
「え? いいの?」
「もちろん。そのために作ったんだから」
戸惑うゴッホに、館長が優しく微笑む。
その笑みを見ていると、ゴッホはくすんだ気持ちが晴れていく気がした。
「じゃあ、いただきます」
ゴッホはパンケーキの真ん中にナイフを入れた。一口大に切り分けたパンケーキを、恐る恐る口に運ぶ。
「……美味しい」
少し冷めてはいるが、まだしっとりとしてふわふわな生地。シンプルなチョコレートソースが、生地本来の甘みを引き立てる。
なにより、『ひまわり』の形が、その美味しさに拍車をかけた。
「良かった。気に入ってもらえたようだね」
館長もゴッホの表情に会心の笑みを浮かべた。
「美味しい。けど、なんでひまわりを?」
「好きだからだよ」
「え!?」
館長から発せられた『好き』と言う言葉に、ゴッホが気色ばむ。
「好きだから。ゴッホの描いたひまわりが」
「あ……」
ゴッホが先ほど描いていたのも、ひまわりだ。ゴッホは夜の星と、ひまわりを好んで描いた。館長もそれをよく知っていた。
「ゴッホの描くひまわりは、なんて言うか、優しい雰囲気がして、本物のひまわり以上に皆を笑顔にしてくれる。そんな気がするんだ」
だからゴッホのひまわりが好きだ、と館長は笑った。
「そう、なんだ」
ゴッホは恥ずかしさで下を向いた。
絵を売らなければという気持ちが先走って、自分の絵が周りからどんな目で見られているのかまで気が回らなかった。
売れる売れない以前の問題だった。
「だから、僕もゴッホを元気にしたくて、ひまわりにしてみたんだ」
はにかんで笑う館長が、ゴッホには眩しく見えた。自分にはこんなに自分のことを考えてくれる人がいる。それが、ゴッホには嬉しかった。
「ありがとう、館長!」
ゴッホの暗い気持ちは、太陽によってかき消されていた。
「ところで、パンケーキなんていつ練習したの?」
もしかしてこの日のために練習してくれたのかと、ゴッホの胸が躍る。
「ああ、それは前にマネにせがまれてね。作ってみたら案外楽しくて」
「……へえ」
ピシっとガラスにヒビが入るような音がした。
「それからちょくちょく作るように――ゴッホ?」
ゴッホのこちらを見る笑みに圧を感じる。
「館長」
「はい」
ゴッホは館長のネクタイをグイッと引っ張る。
「次からは、私だけに作ってね」
「え? でも」
「分かった?」
「……はい」
ひまわりの花言葉『アナタだけを見つめる』
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