岸辺露伴は揺るがない『特定危険用語保険』   作:甘草粥

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受け皿の無い天秤

 プロローグ 

 

 「物事を判断するときの思考は〈平静(フラット)〉であるべきだ」と岸辺露伴は思う。

 十七世紀を代表するフランスの思想家──ブレーズ・パスカルが遺した言葉に「人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」というものがある。思想家であると同時に哲学者や発明家、事業家など様々な側面()を併せ持つ彼がその結論に思い至ったように、漫画家として現代を生きる露伴もまた、〈道徳の原理〉の本質は〈思考〉に宿ると信じていた。

 人生は決断の連続である。人間という生き物は、決断を迫られたとき、体内に備え持った姿なき天秤に〈事実〉という名の(おもり)を乗せて、どちらを選ぶべきかを推し量る。決断(・・)とは言い換えれば何に(・・)重き(・・)()置くか(・・・)であり、まだ何も置かれていない天秤は均衡を保っていなければならない。

 漫画を作り上げる作業においても同じことが言える。良いアイデアだと思って取り入れた設定が殊の外読者に受け入れられず、(かん)を幾つか跨いだ頃には跡形もなく消え去っているという展開は、週刊少年ジャンプに掲載された過去の作品を振り返って見ても多数存在する。パワーの指数や意味深なシルエット、キャッチーさを意識し過ぎたせいでやけに浮わついたセリフなど例を挙げれば枚挙に暇がない。

 物語を通して真に伝えるべきことを見失っていないか、キャラクター性にブレはないか、トリックに矛盾はないか……。作品を読むという作業の中で、人は無意識に作品の粗を探そうとする。そういった面だけを切り取ってみれば、漫画家にとって読者とは〈敵〉といっても過言ではない。批評とは名ばかりの純度一〇〇%の賛辞のみを与えて作者に慢心を(もたら)す読者も同様に〈敵〉と言えよう。だからこそ作り手は慎重に〈選択〉し、作品を構築していく必要がある。

 〈判断〉の話に戻るが、未確認生物、超常現象、呪物、忌み地、怪異といった、子供心を忘れた大人が聞けば「そんなものはロマンが作り上げた与太話だ」と一笑に付すような謎に満ちた〈未知の存在〉も、実際に確かめなければ「無い」とは言いきれない。だからこそ露伴は、〈リアリティ〉の元となる〈リアル〉を追及するために幾度命の危機に見舞われようとも徹底した取材を続けるのだ。

 余計な先入観や邪念は思考回路を狂わせる要因のひとつである。未知の存在の正体を掴むには、余計な肉を削ぎ落とした〈事実〉のみが必要であり、その他は事前に排除しておかなければならない。人によって導き出される選択は当然違ってくるが、多様性が重んじられる現代社会において、その素晴らしくも厄介な〈特性(個性)〉こそが、世界を構築する〈欠片(かけら)〉だということを露伴は深く理解していた。

 重要なのは〈結果〉ではなく、自分(・・)()選んだ(・・・)という〈過程〉である。

 生まれや階級、肌の色や世論といった不必要な先入観によって天秤を狂わせることなく、自分自身の意思によって掴んだ事実を双方の皿に置き、取るべき選択肢を見定める。そうして人は、無限に分岐する先の見えない人生という道を歩んでいくのだ。

 

 それを踏まえた上で露伴は胸の中で独りごちる。

 ()に変えられて目の前で横たわる男──丙暖壬(ひのみず)シスイは〈死刑〉の実刑判決は免れない……いや。そうであるべきだ、と────。

 

 

 

 

岸辺露伴は動かない

──特定危険用語保険── 

 

                  

 

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