岸辺露伴は揺るがない『特定危険用語保険』   作:甘草粥

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ベビィ・メタル その①

「『ヘブンズ・ドアー』」

 黎明(れいめい)の光によって宵闇に紛れていた輪郭が露になりはじめた勾当台地区の片隅で露伴の声が昇る。相手の体験(・・)()記憶(・・)()読む(・・)特殊な能力──〈ヘブンズ・ドアー〉によって()へと変えられた、思わず見惚れるほどに顔の整った男は意識を失い、砂浜に打ち上げられたクラゲのように地面へと座りこんだ。

 男の格好を見るに、トレーニングウェアに身を包んだ自身と同じように、ランニングの途中というわけではなさそうだった。落丁したページのように汚れのない露伴の吐息が瞬く間に世界に溶け込んでいく。目を奪われるような耽美な朝焼けを背に佇む露伴と、露伴邸の影に呑まれて未だ夜に囚われたままの男の〈曖昧さ〉を表す対比は、クロード・モネやエドゥアール・マネが得意とした印象派の筆のタッチを彷彿させる。

「悪いがここのところ厄介な連中に酷い目に遭わされてるせいか、ちいっとばかし神経質になっててね。恐らくただの(・・・)人間だろうが念のためだ」

 『読ませてもらうぞ』露伴は自宅の中の様子を盗み見ていたシルバーのドレッドヘアの男が沈んだ()へ足を踏み入れると、「当然の権利だ」と言わんばかりの宛転(えんてん)たる態度で体験の記憶を読みはじめた。

丙暖壬(ひのみず)シスイ……27歳。……オイオイオイオイ。こいつはッ!この男はッ!!」

 目を突き刺すような刺激に押されて思わず数歩後退る。露伴が開いたページには、丙暖壬が〈強盗〉の下調べのためにここ──勾当台へ訪れたという旨が記されていた。

 普段であればこの時間帯、露伴はまだ眠りの中にいた。隣家が外壁工事をするに伴い、昨日一日中足場組みの作業をしていたこともあり、作業音のせいでいつになく筆が進まずにいた。ならば工事が始まる前に作業に取りかかろうと思い立ち、身体を起こす意味でも軽いランニングをするために外へ出ていたのだ。

 夜間の勾当台地区は、接待帰りのサラリーマンやパトカーに乗った警察の巡回など人の通りが比較的多いが、逆に早朝である今の時間帯は皆無に等しく常に静寂に包まれていた。それを理解した上で、各家庭の間取りや家族構成から金目のものを持っていそうな目当ての家を見定めるために丙暖壬はこの地を訪れたのであろうと露伴は推察してみたものの、最早そんなことはどうでもよくなっていた。

 〈凶兆〉を知らせるかのようにどこかでカラスが鳴いている。

 丙暖壬の体験の記憶にたじろいで建物の影から追い出された露伴は唾を飲み込むと、覚悟を決めて再び丙暖壬の世界に足を踏み入れた。

 

12歳──他校の男子生徒に対して暴行を働き、全治二ヶ月の怪我を負わせる。

     傷害罪が適用され有罪判決。

     TH少年院(第一種)へ収容。

14歳──帰宅途中の会社員に対して複数人で暴行を働き金銭を窃取。会社員はその後死亡。

     傷害致死罪が適用され有罪判決。

     KH少年院(第二種)へ収容。

17歳──街中でぶつかった男と言い合いになり暴行を加える。全治三ヶ月の怪我を負わせる。

     傷害罪が適用され有罪判決。

     KH少年院(第二種)へ収容。

20歳──M県S市内の宝石店に仲間と共に押し入り、貴金属合わせて五百三十万円分を強奪。

     強盗罪が適用され有罪判決。

     M刑務所へ収容。

27歳──M県S市内の風俗店の売上の…………────。

 

 決して履歴書に載せることはできないであろう悪逆無道の蛮行の数々が澄まし顔をして立ち並んでいた。所々赤い文字で書かれた〈殺人〉や〈強姦〉の文言と、そこに並ぶ〈被害者の名前〉が凶行の凄惨さと陰湿さを物語っている。

 他に比べて大きく太いフォントで特筆されたそれらの他にも、明るみになっていない軽犯罪や、イジメの域を越えた暴行を苦にした関連死なども含めれば、半日などでは到底読みきれないほどのドス黒い記憶が本を埋め尽くしていた。しかし、そこに反省の色は露ほども無く、有り余るほどの〈黒〉で塗り潰されていた。

「まるで平穏を乱すことを目的として作為的に産み落とされたような気さえする『邪悪』の『権化』ッ!他人の権利を踏みにじろうとも何とも思わない……いや、むしろそれを生き甲斐(・・・・)にしているフシさえある!この本に浮かんだ文字のひとつひとつから底知れない『悪意』が溢れだしているッ!!」

 スタンド使いとスタンド使いが引かれ合う運命(さだめ)にあるように、丙暖壬という男もまた、世の中を震撼させた連続殺人鬼──片桐安十郎や吉良吉影の邪気に満ちた精神に引き寄せられてこの杜王町に生を享けたのだと露伴は思った。無言のまま周囲を威圧する厳ついドレッドヘアと、虫の一匹も殺せないような儚げな容姿の〈ちぐはぐさ〉が、丙暖壬を見初めた悪魔と天使両方から授けられた寵愛の〈証〉のように思えた。

 丙暖壬から(くゆ)る吉良とは趣の異なる〈悪〉の香りは通りに吹き付けた風に乗ると、悪意を次なる継承者(・・・)へと伝播させるかのように勾当台から杜王町全体へと広がっていく。目覚めゆく悪意の鼓動を暗示するかのように、どこか遠くからバイクのエンジン音が響いていた。

「はッ!『安全装置(セイフティーロック)』をかけなくては……!」

 〈岸辺露伴を攻撃できない〉の一文を書き込み終えると、憑き物が取れたかのように一気に身体が軽くなったのを感じた。吉良を最後に純粋悪を宿した人間と相対(あいたい)することがすっかり無くなっていたことで忘れかけていたが、人智を越えた怪異や超常現象などよりも生身の人間の方がよっぽど恐ろしいのだと自身の認識を改め、露伴は今一度ページへと目を向けた。

 三日前。丙暖壬は風俗店に勤務する西園(にしぞの)公隆(きみたか)金崎(きんざき)()竜平(りゅうへい)の二人に、「言うことを聞かなければ恋人に危害を加える」と脅して店の金庫から売上金を盗み出させ、金を受け取った(のち)に仲間と共に彼らに暴行を加えて病院送りにしていた。その際、非番だったものの所用で事務所に立ちよった店長──遠見塚(とみづか)泰典(やすのり)と鉢合わせとなり、狼狽える西園と金崎を他所に、丙暖壬は遠見塚を撲殺して命を奪っていた。一見金目的の犯行にも思えるが、その動機の本質がただ人が苦しむのを見たいがための愉快犯的なものであることを見抜けたのは丙暖壬本人を除けば露伴ただ一人だけであろう。

 露伴は勧善懲悪の理念に沿って生きているわけではない。だが、この男をこのまま野放しにしてしまっては、町全体に再び蔓延しつつある〈悪意〉によって、第二、第三の吉良吉影が引き(・・)寄せ(・・)られ(・・)かね(・・)ない(・・)と思った。

「こいつには然るべき『処置』が必要だ。治療とかそういった生易しいモンじゃあなく……もっと根本的(・・・)な……再起不能な『』がッ!」

 朝焼けと共に使命感を燃やす露伴の背後に一台のバイクが停まる。

「ようやく見つけたぜ。このゲス野郎(・・・・・)がよォ──ッ」

 聞き覚えのあるその声には怒り(・・)の〈(にお)い〉があった。

 かつて着ていた学生服を脱ぎ捨てた代わりに、容姿端麗な顔に良く似合うドルチェ&ガッバーナの新作を身に纏った男の顎には、あの時(・・・)と同じ〈H☆S〉と描かれたタトゥーが刻まれていた。

スタンド使い引かれ合う(・・・・・)……か」

 振り向いた露伴を見て、バイクに跨がったままの男は目を(みは)った。

「き、岸辺露伴ッ!?」

 驚嘆の声をあげた男の名は噴上(ふんがみ)裕也(ゆうや)。露伴と同じ〈スタンド使い〉であった。

 今から十年前、噴上は二つ森トンネルにて相手の臭いを追跡して養分を奪う(・・・・・・・・・・・・・・・)スタンド──〈ハイウェイ・スター〉を用いて、露伴を襲った過去があり、露伴にとっては因縁のある相手だった。〈写真のおやじ〉こと吉良吉廣(よしひろ)に加担し、悪の側に付いていた男が、丙暖壬の悪意に引き寄せられたのか、スタンド使いとして引き寄せられたのかは今は誰にも分からない。

「なんでてめーがここに……」

「まずはバイクのエンジンを切れ」

 『近所迷惑だ』露伴が目配せした方向には、カーテンの隙間から二人を見やる中年女性の姿があった。いったいなにごとかと(いぶか)しむ女性の眼差しには、視線だけで人を殺してしまいそうな鋭さがあった。

「そもそも人に尋ねる前にまずは自分の方から話すのが『道理』ってモンだと思うがな」

 皮肉を突き付ける露伴に対し、後ろめたさと居心地の悪さを感じながらも噴上はエンジンを切り、バイクから降りて、近寄ることもなく一定の距離を保ったまま語り始めた。

「おれの親友(ダチ)が……そいつ(・・・)にヤられたんだよ。公隆(きみたか)と竜平っつう中学からの幼馴染みだ。そんであいつらの(ツレ)から連絡があって俺はそいつを追ってたって訳だ」

「…………この男と知り合いなのか?」

 事件から二日と経っておらず、警察さえ未だ身柄を拘束できていない現状にも関わらず、今こうして黒幕である丙暖壬の元へ噴上が辿り着いたことから露伴はあること(・・・・)を察し、嫌悪感を混ぜて尋ねる。噴上はばつが悪そうに僅かな間を空けてから口を開いた。

「ああ……。まだ中坊だった頃だ。同級生の父親がそいつに……殺された……。『親父狩り』の標的になっちまったんだよ。『不幸』としか言いようがねえ……。既に暴走族に片足突っ込んでたおれなんかとは違ってそいつは真面目で良いヤツだった。敵討ちじゃあねえが落とし前つけてやろうってんで翌日そいつらの溜まり場に行ったら警察(サツ)連行さ(パクら)れてくとこだった……。イキって飛び出したのはいいが、結局何もできず終いさ……」

 丙暖壬のページを遡ると確かに同様の〈過去〉が記録されていた。噴上は深く息を吐いてから更に続ける。

「あんたを襲うきっかけになったトンネル事故も本当は…………。まァ詳しい話は省くが、街中でヤツ(・・)を見つけて追っかけてる最中に事故(ドジ)っちまって、そこを吉良(写真)のおやじに利用されたってわけだ」

 『そんなゲス野郎の臭い(・・)を忘れるかよ』込み上げる怒りで潤んだ瞳は、明け方の冷気を孕んだまま震えている。

 吉良吉影との決着から数ヵ月が経った折、露伴は「被害者(・・・)としての正当な権利の行使だ」という主張を振りかざし、噴上に対して半ば強引に暴走族の活動や構成についての取材(・・)を敢行したきりその後は連絡はとっていなかった。噴上の話を聞くに暴走族からは足を洗い、持ち前の嗅覚と観察眼を生かして四年前に私立探偵事務所を立ち上げたのだという。差し出された名刺には〈ハイウェイ・スター探偵事務所〉の文字が印字され、その中央にはエンボス加工が施された〈H☆S〉のロゴマークが刻まれていた。もうひとつの候補だった〈スピード・キング〉と迷いに迷い、最終的にサイコロの出目で雌雄を決した経緯を露伴は知る由もない。

 いかにも(・・・・)な名刺を前に不意に溢れた苦笑をなんとか呑み込み再び噴上を見やる。居心地が悪そうに眉を(ひそ)めたままの噴上に対し、露伴は少し呆れた様子で忠告した。

「先に断っておくが、別に過去(・・)のことを今更どうこうゆうつもりは無いさ。ぼくだって矢に射抜かれて得たスタンドの『万能感』に酔って仗助や康一くんを攻撃したこともあるしな……。それよりも今、ぼくたちが解決しなければいけない問題は──」

 『この男をどうするか(・・・・・)だ』二つの視線が丙暖壬の顔の上で重なる。本になって開いたままの顔に記された〈特筆事項〉は、関わったものを呪う〈呪詛(じゅそ)〉のように見えた。

「……竜平と公隆だったか?その二人は無事なのか??」

「正直なところ詳しくは分からねえ。『シスイ』の名前を聞いて反射的に家を飛び出してきたからな……。電話じゃあ『集中治療室』に入ってるって言ってたが……」

 噴上に問いかけながら丙暖壬のページを捲っていた露伴の手が止まる。異変を感じて二人の元へ駆け寄ろうとした噴上を制するように露伴の声が飛んだ。

死んだよ

「は?」

 たった〈四文字〉。それにも関わらず噴上はその言葉の意味を読み取ることできなかった。

 

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