岸辺露伴は揺るがない『特定危険用語保険』   作:甘草粥

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ベビィ・メタル その⑤

 丙暖壬は足場の最上段に居座ったまま冷静に盤面を観察していた。

 ベビィ・メタルの毒牙に罹った(・・・)二人が〈何か〉を仕掛けて(・・・・)くるならば、それは比較的動くことのできる露伴であろうと丙暖壬は思った。だが、その予想に反して露伴との間合いは徐々に広がっていく。確かに距離を取るほどディバインアタックの重力は軽減されて行動の自由は確保されるかもしれないが、それは同時に近距離型のヘブンズ・ドアーの能力が腐ることを意味する。

「だからこそッ!このおれがやる『必要』があるッ!!」

 狼狽する露伴に向けて言い放った噴上の瞳には言い知れぬ含みと共に確固たる自信が込められており、それは丙暖壬の神経を大きく逆撫でた。吹けば飛ぶような死に体でありながら、いったいどこからその自信が沸いてくるのか丙暖壬には不思議でならなかった。これまで幾度となく自身を救ってきた〈嗅覚〉が「噴上から目を離してはならない」、「鍵となるのはその男だ」としきりに告げていた。

 

 朝霧が晴れる気配は無い。丙暖壬は掴み所の無い〈違和感〉の正体を探ろうと思考を巡らせていたが、嗅ぎわけようにも臭いは淡く、見定めようにも霧が邪魔をし、輪郭をなぞろうにも手が届かない今の現状がどうにももどかしく、もういっそのことこのまま奴らの前に出向いて懐に忍ばせたナイフで刺し殺して(方を付けて)しまおうかとも思い始めていた。

(そう急くことはない……。動かない(・・・・・)ことが確実な勝利への近道だ)

 丙暖壬は胸の中で独りごちて深呼吸し、ナイフに伸ばしかけた手を引いた。

 霧によって多少視界が悪くなってはいたが、手前にいる噴上は勿論のこと、遠ざっていく露伴を見失うほどではなかった。〈特定危険(ベビィ・)用語保険(メタル)〉を発動させた今、丙暖壬の選択肢からは撤退の二文字は完全に消えていた。生殺与奪の権利を奪い、勝利を確信したからこそ、こうしてむざむざと自身の姿を晒した相手に対し、追撃するならまだしも、反撃を恐れて再び隠れることは、搾取する側に立ち続けてきた強者としてのプライドが許さなかった。

 

 睨み合いが続く膠着状態の中で、本人の意思に反して露伴だけが冷戦の輪から徐々に外れつつあった。この現状(・・)を作り上げた〈原因〉の所在は未だに不明のままだが、間違いなく一枚噛んでいる男が好機とばかりに口を開いた。

「露伴センセは何もしなくていい(・・・・・・・・)。何もせず、待って(・・・)いる(・・)だけ(・・)でいいんだ」

「それは私たち(・・・)の『セリフ』だと思いますけどね?」

「ハッタリかましやがってムカつくぜええ~~~~!!」

(血を流しすぎてオカしくなっちまったのか?)

 露伴は敵ながら丙暖壬の言う通りだと思った。方法と立場は違えど〈待っていれば勝てる〉と確信する二人を前に、露伴は疎外感のようなものを感じていた。到底理解できない噴上の〈勝利宣言〉を呑み込めるはずもなく、露伴は一人孤独と向き合いながら思い(あぐ)ねる。

重要(・・)なのはヤツから『離れる』ことだぜ。離れれば離れるほど『近付く(・・・・)』ことになる。余計なアドリブだとか難しいことは必要ない。あとは時間が解決してくれる。それでおれたちは『()()()』んだ」

 『おれを信じてくれるだけでいいんだ』揺るぎ無く強い言葉は露伴を勇気づけるどころか新たな苦悩の種にしかならず、露伴は無意識に眉を(ひそ)めていた。噴上は勝利を確信しているようだったが、現状を打破できる策を持っているとは考えにくかった。ベビィ・メタルの言う通りはったり(・・・・)の可能性も十分に考えられる。どちらに転ぶとも分からない以上、思考は〈平静(フラット)〉であるべきだ、と露伴は先入観を削いで再び思考を巡らせた。

 

 敵である丙暖壬も露伴同様に思考に耽っていた。歯牙にもかからぬ羽虫がいったいどのようにして一矢報いようとしているのかが気になって仕方がなかったのだ。一度沸いた好奇心を押さえつける術はなく、歯向かおうとする弱者に対する怒りと好奇心は(ない)()ぜとなり、丙暖壬の身体に熱を持たせた。

 露伴はいよいよ庭の芝生を抜けて歩道に差し掛かろうとしている。丙暖壬が見つめる先で、それとは別の〈覚悟()〉を宿した者が口を開く。

あんたが言った(・・・・・・・)んだぜ。『何もしなくていい(・・・・・・・・)』って言ったのは露伴センセーあんた(・・・)自身(・・)なんだ」

「何を言っている?そんなこと言った覚えは無いぞッ!本当に……このぼくが……この『岸辺露伴』が言ったのか??」

 噴上は完全に振り向くことなく、端正な横顔で〈肯定〉を唱えて見せたが、等の本人である露伴には一切の心当たりがなかった。見えない鎖で縛り付けられているかのように強ばった露伴の身体は、噴上の言葉に宿る妙な魅力に抗えず、馬鹿の一つ覚えのように後退を続けている。芝生を抜けた露伴の足の裏に冷たいアスファルトの感覚が染み渡っていく。

 

 丙暖壬は勝利を確信しつつも警戒を怠ることはなかった。

 ベビィ・メタルと契約(・・)するよりも遥か前、丙暖壬が生まれながらにして持っていた〈嗅覚〉が嗅ぎとるモノは、自身に対する〈敵意〉である。目の前の二人からも当然その臭いが放たれていたが、露伴から放たれる臭いの中にこれまで嗅いだことの無い奇妙な臭いが混ざっていた。

 もしも露伴がヘブンズ・ドアーによって自身の記憶を書き(・・)変えた(・・・)のだとしたら、噴上とのやりとりに齟齬が生じるのも納得がいく。だが、嗅覚を欺くことが目的なのだとしたら、わざわざ自身の記憶を中途半端に残していることに説明がつかなかった。最初に露伴に〈安全装置〉をかけられた際に〈徐々に酸素を取り込めなくなる〉といった旨の遅効性の命令を書き込まれたかもしれないと丙暖壬は一瞬思ったが、もし仮にそうだとしたら二人揃ってこの場に残り続けることに疑問が生じてくる。「どうぞ見つけてください」と言わんばかりに見通しの良い庭の中央で警戒するよりも、動けないながらも何処かへ逃げ隠れていた方が幾許(いくばく)かは勝率も高くなるはずである。

「……どうも辻褄が合わない」

 丙暖壬が独りごちるのに合わせたかのように、中腰で立っていた噴上が重さに耐えかねて地面に這いつくばる。丙暖壬にはその様が王様に平伏す貧民のように見えた。越えられない壁。埋まることの無い身分の差。この世界は決められた筋書き通りに何もかもが上手くいくファンタジーの世界ではない。その日暮らしの(いや)しい盗人が王族になることもなければ、お姫様と結ばれることもない。現実とは往々にして非情なものであるというこの世の理が十坪余りの庭先に展開されていた。

「『ハイウェイ・スター』」

 最後の精神力を振り絞って具現化した噴上のスタンドが足場の最上段に現れる。銀色の足場板は一瞬にして〈黒い足跡〉によって斑模様となり、丙暖壬とベビィ・メタルを完全に包囲した。

「もう少し楽しめるかと思ったのですが……」

「クケケケケェ──ッ!!本当の大バカ野郎だぜこいつはよおお~~~~!!」

 形勢逆転の包囲網(奥の手)がディバインアタックによって圧し潰され、ひとつ、またひとつと解けて消えていく。噴上は叫び声をあげる気力さえ残っていないのか、荒い吐息と共に血反吐を吐きつつ、地面に向かって静かに沈んでいった。話すだけでも全身に激痛が走るにも関わらず、噴上は「知ったことか」といった様子でおもむろに語りだした。

「カッコよくて美しいおれにも苦手なことがあってよ~~~~。自分以外の誰かを演じる(・・・)っつーのだけはどうもできねえんだよなああ~~。こう見えて不器用だからよォ──」

 そうして話している間もディバインアタックによる重力が絶え間なく浴びせられていたが、噴上がハイウェイ・スターを解除する気配はなかった。

「映画でも漫画でも脇役がいるから主役が輝くんだよなあ~~。『ダークナイト』でジョーカーを演じて助演男優賞貰ったヒース・レジャーみたいによォ~~~~」

 路上を占拠する三羽のカラスが「早く止めを刺せ」と言わんばかりに騒ぎ立てる。露伴と噴上の末路を暗示するかのように無惨に食い荒らされたゴミが広がる道路に向けて露伴は霧の中を後退し続けていた。

「それならおれは引き立て役(・・・・・)の方がお似合いだぜ」

 動き出した流星は燃え尽きるまで光り続ける。暗闇によって進むべき道を見失った迷い人の〈道標〉として。生きる意味を忘れてしまった人の〈希望〉として。最後の一瞬まで命の火を絶やすことは無い。

「露伴がいないッ!?」

 足場板の上で蠢くハイウェイ・スターに気を取られ、ほんの一瞬目を離した隙に露伴の姿は綺麗に消えていた。焦りの色を隠せない声を丙暖壬があげたときには、その〈臭い〉さえも見失っていた。

「バカなッ!?姿と敵意を完全に消したとしても『臭い』は既に『記憶』したッ!」

 『見失うはずが無いッ!!』風は噴上たちがいる方向から丙暖壬に向かってやや上向きに流れている。風下にいた丙暖壬は、例え露伴が隠れた場所から何かしようとも、その前に見つけて阻止することは容易だと高を括っていた。

「おいおい。噴上の野郎を攻撃するのか?しないのか?どっちにすんだよォ~~~~」

「待て……。迂闊に手を出すのは『危険(マズイ)』ッ」

「あぁ~~ん?俺様が付いてるっつーのにビビりやがって!このフニャチン野郎がよォ~~~~」

「いいから少し黙ってろッ!!」

 丙暖壬は腕を振り上げてベビィ・メタルを叩きつけようとしたが、丙暖壬自身はひとり歩きするスタンド──ベビィ・メタルから力を借りているだけでスタンド使いではないため、その左手は空を切るに留まった。

(のぼ)ることができないのなら、更に高みへ(のぼ)っていくッ!!

 噴上の声を浴びて地上で光る星が空へと駆け上がる。

 『本物の大バカ野郎(・・・・・)は……丙暖壬シスイ。てめえの方だぜ』重力に従って上から下へと丙暖壬の目の前を過ぎていく黒い羽根は朝露を孕んだように艶めいていた。その羽根の出所を辿った先には、三羽の〈カラス〉に掴まれて空を舞う露伴の姿があった。

 

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