ミューゼシアは、談話スペースでデュエルディスクを展開する。そして、バトレアスから受け取った《風霊使い ウィン》のカードを盤面の中央に置いた。
バトレアスは、キューティアとドリーミアと共に、「天門術」によってこのウィンを含めた「霊使い」の暮らす世界に呼び寄せられた。そこから戻る際にこのカードを渡されたと、バトレアスは言う。前に似たようなケースを経験したのもあり、彼女たちとコンタクトを取るためには、このカードをこうして使うと、ミューゼシアたちはすぐに気づけた。
ディスクがカードを認識したことを示す光を走らせると、実際のデュエルと同じように、ミューゼシアの前に緑のポニーテールの少女の姿が現れた。
『んぐ……んぇ!?』
サンドイッチを口いっぱいに頬張っている姿で。
「……お食事中に悪かったわね」
『い、いえ! しゅぐ食べ終えまふ!』
「だ、大丈夫ですよ~? 何なら出直しても……」
『もがもが……』
ドリーミアとキューティアが落ち着かせるが、ウィンはサンドイッチを高速で咀嚼し、リスのように頬を膨らませて何とか食べ終える。またこんな感じか、とクーリアは内心で嘆息し、ウィンがちゃんと食べ終えるのを確認してから後ろを振り返った。
「バトレアス、大丈夫よ」
談話スペースから離れた場所に控えていたバトレアスを呼ぶと、彼は静かにクーリアたちの下へやってくる。
以前、似たようなやり方でマスカレーナに連絡をした際、彼は間が悪くシャワー中のマスカレーナに繋いでしまい、ひと悶着起こしてしまった。その反省を活かし、バトレアスは一時的に席を外していたのだ。
おかげで(と言えるかは微妙だが)、今回はウィンの恥ずかしい姿を異性のバトレアスにまで見せてしまうのを避けられた。
「えー、お忙しいところごめんなさい」
『い、いえ。こちらこそ気の抜けたところをお見せしてしまい……』
ミューゼシアがまず謝るが、ウィンは手を横に振って恥ずかしそうにする。入浴中や着替えよりはマシだが、それでもあんな風に無防備に食事を摂っている姿を見られるのは嫌だったろう。
「私はミューゼシア。さっきあなた方の下に呼ばれたらしい、キューティアとドリーミア、そしてバトレアスの上司にあたる天使よ」
『ご丁寧に、どうも……。私はウィンです』
自己紹介をしたところで、ウィンは何かに気付いたように、手をポンと合わせる。
『ちょっと、待っててください、ね』
断りを入れたウィンは、一旦立ち上がるとどこへ行ったのか姿を消す。そういうシステムなのか、とバトレアスたちは顔を見合わせて納得するが、ほどなくしてウィンは誰かの手を引いてまた姿を見せた。黒い短髪の少年だ。
『ええと――ダルクだ。こっちでは、まぁ、みんなのとりまとめ役みたいな、感じだ』
「よろしく」
頭を掻きながら挨拶をするダルクを見て、さっき実際に会ったキューティアたちはちょっとだけ違和感を覚えた。ここまで他人行儀な態度ではなかった気がするのだが。
「改めて……さっきはキューティアたちがそちらに呼び出したようだけれど、『天門術』を使ったということで合っているかしら?」
『ああ、その通り――だが……「天門術」を知っていた、のか?』
「もちろんよ。私も伊達に上位天使のひとりではないわ」
『上位、天使……』
ミューゼシアの言葉に、ウィンが冷や汗を流した。どうやらあちら側の世界では、天使という存在は本当に別次元の存在で、共存或いは姿を見せることが全くないらしい。
その時、ウィンとダルクの姿がわずかにブレた。
「あ、脅かすつもりは別に……」
「いや、これは多分向こうと距離が離れてるせいかと」
キューティアがちょっとだけ慌てるが、バトレアスは冷静に指摘した。マスカレーナと初めて通信する時がそうだったので、多分これも同じだろう。
『だったら……直接会って、話をした方が――いいかなぁ?』
「そうね。これだと話もままならないし……座標を教えてもらえればこちらから行くわ」
『座標……あ、それなら』
ウィンの提案にミューゼシアが頷く。そしてダルクは、何を思い出したのかポケットに手を突っ込むと、紙片を開いてミューゼシアたちの方へと見せた。
『これで、大丈夫か?』
「ええ、ありがとう。それじゃあ、一旦通信を切るわね」
すぐに座標を覚えたミューゼシアが頷き、ウィンのカードをディスクから取ると、ウィンとダルクの姿は消えた。そしてミューゼシアがディスクを収納し、タクトを取り出す。
だが、そのタクトを振る前に。
「とりあえず、私とクーリアが行くわ。後はバトレアス、あなたも」
「分かりました」
ミューゼシアに指名され、クーリアは頷き、バトレアスも返事をする。
天門術がどういうものかミューゼシアは知っているが、グランドレミコードの大天使としてやるべきことが他にある以上、そう何度も行き来はできない。なので、グランドレミコードと同等の力を宿すクーリアに共有する意味も込めて、同行させる。そしてバトレアスは、アポロウーサから直々に事態の解決を命じられているため、積極的に起用しなければならない。
さらに、ミューゼシアの視線がキューティアとドリーミアに移る。
「2人は残りなさい。外の世界で何が起きるか分からない以上、大人数での移動は避けるべきだわ」
「悔しいけど、仕方ないわね……」
「お気をつけて……」
ドリーミアとキューティアは渋々ながらも、待機を受け入れた。「浄化」中に襲われかけたビューティアやファンシアの例があるため、ドレミコードの天使が大所帯で下界に出るのは避けたい。特に、ドリーミアとキューティアはドレミコードの中でもまだ力が弱いとされる。だから余計、大切な仲間を危険に晒したくはないのだ。
しゅんとする2人の頭をクーリアが優しく撫でてから、3人で向かうのは先ほどの天門術が発動したと思しきホール。そこでミューゼシアはタクトを振ると、今度は正式な光のゲートを生み出して、バトレアス、クーリアと一緒にそのゲートをくぐる。
「……おぉ」
ゲートをくぐった先でそんな驚きの声を洩らしたのは、さっきも目にしたヒータによるものだ。
そこはさっきの神殿みたいな場所とは違う、どこかの家の中。温かみのある色合いと配置のインテリアでまとめられ、アンティーク調のものも多く、薬草と思しき匂いが少し感じられる。
そこで待っていたのは6人の霊使い。ウィンとダルクは、今しがた通信で話をしたからさほど驚いてはいないようだが、他の4人は初めて会うミューゼシアとクーリアを目にして少したじろいでいる。
「改めて、先ほどお話したミューゼシアよ」
「私はクーリア、どうぞよろしく」
「ど、どうも」
会うのが初めてな2人の挨拶に、エリアはわずかに気後れしたようにお辞儀をして、椅子に座るのを促してくれる。ミューゼシアとクーリアが何の緊張もせず椅子に座るのを見ると、ドレミコードの上位天使は適応性が高いと感心した。俺はといえば、2人の後ろに立って待機だ。
「……あの、何か?」
そこでクーリアが、座る自分たちを見て呆気にとられたようなヒータたちに話しかける。ハッとしたようにヒータは手をパタパタと振って、曖昧な作り笑いをした。
「あ、あー失敬失敬。いや、さっき見た2人と比べると、なんというか天使っぽさがすごいなぁって」
「その発言が結構な失敬だよヒータ……」
隣にいたアウスが小さな声でツッコむ。
ただ、俺はヒータの意見が分からなくもない。キューティアとドリーミアもれっきとした天使だが、見た目の幼さと外見年齢相応の言葉遣いから、なんというか過度な距離感や緊張感を抱くことなく接せられる。一方、クーリアとミューゼシアはグランドレミコードという一段階上の天使、何もかも洗練されているように見える。ヒータたちが畏れ多くなるのも無理はないだろう。
「まぁ、そこまで腰を引かないで大丈夫よ」
ミューゼシアが優しく言い伝えると、ヒータたちはぎこちなく頷く。打ち解けるには時間がかかりそうだ。
「それで、先ほどはこのバトレアスも含めて、2人のドレミコードが天門術で呼び寄せられたと聞いているのだけれど……」
クーリアが話を進める。呼ばれた本人である俺も目礼し、改めて霊使いに事情を伺うことにした。
その切り出しに、ウィンはペコリと頭を下げた。
「その……ごめんなさい。そちらの事情も分からず、呼び出してしまって」
「そこに関しては気にしていないわ。天門術はそういうものだと聞いているから」
ミューゼシアが笑ってやんわりと告げたところで、アウスが席についている人数分のお茶を用意してくれた。ミューゼシアはそれに口はつけない。やはり上位天使は、下界からコンタクトを取る際の手段について詳しいらしい。
けれどミューゼシアは、「ただ」と付け加えた。
「詰めデュエルをされたって聞いた時は、ちょっと驚いたけれど」
「ああ、それは……」
ダルクは座ったまま、頭を下げる。
「改めてお詫びする。こちらとしても、天使族を信用していいものか分からなかったもので」
「よい心掛けよ。天使の中にも、苛烈な思想を持つ天使はいるもの」
ミューゼシアは笑って告げると、霊使い一同は微妙な表情を浮かべた。大方、一歩間違えればそんな天使を呼び出してしまったのではないかとヒヤッとしたのだろう。
そしてその言葉を聞いて、俺としても胃袋がわずかに縮む。誰とは言わないが、その「苛烈な思想を持つ天使」に責め立てられたのだ。
「……実は以前、別の者が天門術を発動した際に、呼び寄せた天使がちょっとしたトラブルを巻き起こしまして」
ライナの弁明を聞いたミューゼシアは、少しだけ考えてから、思い当たる節があったかのように「あぁ」と声を上げた。
「その話、多分知っているわ」
「え、そうなんですか?」
「確か、疫病の蔓延を食い止めるために召喚された治癒の天使でしょう。同じ天門術で呼び出されたと聞いたわ」
アウスが興味を示し、ミューゼシアが告げるとこくこくと強く頷いている。
「その天使って、結局どうなったんだ?」
「天界を追放されたわ。天使族内で裁判に掛けられてね」
さらりと告げるミューゼシアの言葉に、霊使いたちは身震いした。軽い気持ちで聞いたのだろう、ヒータ自身も固まっている。
「追放」という言葉は恐らくは聞いたことがあるのだろう。それに、禁忌を破った魔法使いが国や里を追放される、なんて話もフィクションでだが聞いたことがある。だけど、天使族が告げるその言葉の重みは全然違うはずだ。
「……」
後ろに組んだ手を強く握る。同じく天使族裁判に掛けられ、ギリギリで無罪放免になった身として、決してそれは他人事ではなかった。ややもすれば、自分もそうなったかもしれないと思うと肝が冷える。
「詰めデュエルを仕掛けたのは、差し詰め天使の信用性を確かめるためというところかしら」
「……仰る通りで」
ウィンの答えにクーリアが頷く。
そこまで分かったところで、改めて本題に入ることになった。
「天門術に頼るぐらいなのだから、あなたたちは藁にも縋る思いで救いを求めている、ということになるけれど……どうにも食い違いがあるみたいね」
「本題はそこだ」
ミューゼシアがお茶を一口飲んで話しかけると、食い気味にダルクが告げる。
「天門術は、発動した時点で親和性が一番高い天使を呼び寄せるとあった」
「ええ、そう聞いている」
「それで僕らは、この酷い天候をどうにかして、この辺りに暮らす人たちや自然、地域そのものを守りたかった。だから、それを何とかできる天使を呼ぼうとした、が……」
そこで、窓の外で雷鳴が鳴り響く。一瞬、落雷で部屋の中が照らされるが、全員もう慣れてしまったのかほとんど反応しない。
「あなた方は天候を操れないと聞いた」
「その通りよ。それで、うちのドリーミアが話したと思うけれど、天気に干渉できる天使は確かに存在するわ」
「じゃあ、何で……」
「今呼べなかったのは、恐らくその天使たちにも不調が出ているからでしょうね」
霊使いたちが前のめりになる。天使に遭遇することすらない上に、天界の事情も知らないから、俄然興味深いらしい。
「その天気を操る天使たちも、この1週間原因不明の不調で力を発揮できていない。だから、例え天門術で呼べたとしても、あまり力添えはできなかったでしょう」
「……では、なぜあなた方が? そもそも、あなた方はどのような天使なんですか?」
ウィンが問うてくる。そういえば、それについては説明していなかったか、と今気づいた。
その質問を受けて、ミューゼシアとクーリアは姿勢を正す。
「私たちは『ドレミコード』。世界の淀みを『浄化』する旋律を奏で、世界をより良い方向へ変える『きっかけ』を生み出す天使よ」
「……淀みを浄化?」
ミューゼシアが告げる、ドレミコードの存在意義。普段なら外の世界でそれを容易く口外しないが、霊使いたちは天門術を使い偶然ながらもコンタクトを取った。だからこそ、話して大丈夫だと判断したのだ。
エリアが聞き返すと、クーリアは小さく頷き、お茶を飲んで口を湿らせる。
「私たちの力は、人の心に作用して、気持ちを正しい方向へ向けさせる。『浄化』の音色は基本的に人の耳には聞こえず、それでも心に流れ込む。時には、私たちの旋律や姿を察知できる人もいるけれどね」
その説明に、アウスは少し考えるようなポーズを取った。
やがて、顔を上げる。
「……気持ちを正しい方向へ向ける、と仰いましたね?」
「ええ、そのように」
「であれば……お願いしたいことがあります。この異常気象の解決、ではなく」
アウスから引き継いだライナが咳ばらいをひとつして、ミューゼシアとクーリアを真剣な眼差しで見る。天使相手だからと腰が引けているようではない。
「こちら側の世界では、連日の荒天が原因で災害が多発し、人々は苦しんでいます。私たちはまだ大丈夫ですが、この近くの集落は住民が避難して生活せざるを得なくなっている……」
「だから、もしできれば……その人たちを励ますような演奏を、してほしい」
ライナとヒータの申し出を聞き、俺は以前テレビで見たニュースを思い出す。こうした災害が起きることもだが、普段と違う苦しい生活を強いられると、心理的な負担は当然増える。俺はそういった状態に陥ったことはないが、もし俺がそうなれば気が参ってしまう自信があった。
そして、霊使いたちが懸念するそれも、ドレミコードが清めるべき心の淀みとも言えるものだろう。
クーリアとミューゼシアも、同じことを考えたらしい。少しだけ視線を交わし、頷き合う。
「そういう願いであれば、私たちが応じる十分な理由になるわ」
ミューゼシアが応えると、霊使いたちの表情がわずかに明るくなった。当初の目的とは違うが、それでも悩み事を解決してくれるのは今の状況で非常にありがたいのだろう。もしかしたら、天門術でドレミ界とつながったのは、親和性だけでなくそういった部分で救いを求めていたからかもしれない。
「あ、でもお願いしたら何か対価を払わなきゃいけないとか……?」
そこでエリアが思い出した風に告げると、霊使いたちの表情が曇る。懐事情に深入りする気はないが、どうやら潤沢な資金を得ているわけではなさそうだ。
「確かに、通常なら相応の『見返り』をいただくけれど……」
ミューゼシアがゆっくり告げると、ヒータの顔から血の気が引く。
だが、何を不安に思っているかはミューゼシアにも分かっていた。
「今は、そうも言っていられない異常事態だしね」
「え?」
そこでミューゼシアは、俺の方を見る。俺は頷いて、一歩前に出て口を開く。
「……実は、今こちらで起きているような異常気象が、他の場所でも多発しているのです」
「?」
「もっと言えば、天使族の間でも異変は起きています。さっきの天気を操る天使もですが、ドレミコードも」
信じられない、と口元を押さえるウィン。
霊使いの皆の下で起きている異常事態は、アロマの庭やアポロウーサたちから聞かされたもの関係していると見ていいだろう。上位天使から直々に事態の究明にあたるよう命じられた俺は、事前にミューゼシアたちとすり合わせ、上位の天使族に使命を全うしていることを示すためにも積極的に関わると決めていた。
「天使族側でもこの事態を憂慮し、解決を目指しておりますが……今は人手が少しでもほしいところでして」
「人手……?」
「はい。なので、あなた方に求める対価として、我々に協力してもらいたいのです」
こちらの要望を聞いたダルクは、頬を掻く。
「それは……この状況を解決できるのなら喜んでそうしたいが……どうすればいいものか」
「何も問題を解決しろとは言わないわ。何かおかしなこととか、奇妙な人、不審な出来事とかがあれば、私たちにもぜひ伝えてほしいの」
クーリアがやんわりと補足する。
霊使いたちは、再び視線をそれぞれ交わし、クーリアたちを見た。
「……それで、対価になるのなら」
ライナの言葉は、ドレミコード側の提案を受け入れた、ということだろう。
俺とクーリア、ミューゼシアの3人で頭を下げる。ドレミコード側からすればかなりのイレギュラーではあるが、下界の人たちと一時的な同盟関係を結んだことになった。
「では……信頼してもらう証として、先にあなたたちの願いを履行しましょう」
「?」
クーリアは立ち上がるとタクトを取り出し、軽くそれを振って妖精体を呼び寄せる。霊使いたちは妖精体を見てぎょっとするが、当の妖精体は気にも留めずぺこりとお辞儀をした。そしてクーリアは、外へ出ようとする。
「え、この天気で外に……!?」
「大丈夫よ、慣れているから」
アウスが止めようとするが、クーリアはただ微笑んでそう返す。
クーリアが何をする気が俺は分かったが、ふて気になったことをミューゼシアに尋ねてみる。
「……即興で『浄化』の旋律って演奏できるものなんですか?」
「できるわよ。クーリアはグランドレミコードの力を持っているし、それなりの経験と力があるからね」
それを聞いて思い出した。
転生直後、動転していた俺に対して、ファンシアが浄化の旋律を演奏してくれた。あの時は、目の前の俺ひとりに対してだったが、これからクーリアがしようとしているのは、ここではない他の場所にいる、複数の人に向けてのもの。それをするための技量は、普通のドレミコードにはできないようだ。
そしてクーリアは、家の外に出ようと戸を開けた。俺はすぐに折りたたみ傘を懐から取り出して一緒に外へ向かい、クーリアと妖精体のために傘を差す。クーリアはありがとうと笑ってくれた。
家の周りは高い木々で囲まれており、空があまり見えない。雨も他の場所と比べればまだマシな方だが、雷は今なお轟いていた。
しかしクーリアは気にせず、タクトを振り始める。妖精体はバイオリンを奏で始めた。
「……何、この感覚……?」
不思議なことに、家の外に出ていても、雷が轟いていても、その旋律は屋内にも聞こえてきた。エリアは胸に手を当てる。
「心に直接触れてくるような……」
「……心地いいねぇ」
ダルクが戸惑う一方、ウィンは目を閉じて演奏に浸っている。
その様子を見つつ、ミューゼシアは「浄化」の旋律自体には問題がないことを確認した。とすれば、ドレミコードの間で起きている不調とは、「浄化」中の存在を隠蔽できないところだろう。「天気界」の天使のように使命すらも全うできなくなるのに比べれば、幾分軽微かもしれない。
「……おぉっ?」
そこで、ヒータの足元に使い魔の《きつね火》が現れると、床に寝転がって演奏を楽しんでいるのか尻尾を軽く振り始める。他の霊使いたちの使い魔も現れ、各々主人の傍でリラックスした態勢を取り、あたかもクーリアの妖精体の演奏に酔いしれているかのようだった。
「使い魔たちにまで影響を及ぼすなんて」
肩に寄りそう使い魔《ハッピー・ラヴァー》を片手で撫でるライナが、目を丸くしている。
使い魔たちは、今の世界的な異常事態を受け、基本的には異空間で身体を休めている。そんな彼らにまで演奏は届き、その上こうして姿を見せるほどに回復したのだから、やはりただバイオリンを弾いているだけではないようだ。
やがて10分ほどでクーリアは演奏を終え、再び家の中へ戻ってくる。
するとヒータが、無言でぱちぱちと拍手をしはじめた。それも、皮肉や冷やかしなどではなく、ただただ感銘を受けただけのようで、表情は呆けたようにも見える。
「何というか、すごく……すげー」
「言葉になってないよ……」
「でも、分かるかも」
ヒータにアウスがツッコむが、ウィンもまた小さく拍手をしていた。
クーリアは皆に対しニコッと笑い、「ありがとう」と短く返す。
「今回はあくまでも私たちの力を証明するため、その上即興だからこれぐらいしかできなかった。だから、正式な『浄化』はまた改めて、定期的に来て行う。そしてその時、あなたたちも何か掴んだ情報があれば、教えてもらえるとありがたいわ」
「分かった、そうしよう」
クーリアとダルクが改めて取り決めを交わす。
控えるバトレアスは、これが少しでも事態の改善につながれば、と願わずにはいられなかった。
◆ ◇
アポロウーサは、執務室で書類の束を前に溜息をつく。
どれもこれも、天使族から寄せられた、各世界で起きている異変の報告だ。自分は天使族のトップとして精神力がそれなりに強い自負があったが、こうも悪い話題が五月雨式に来ると流石に疲れを感じずにはいられない。
その時、扉がノックされた。断りを一言入れて入ってきたのは、《ウィクトーリア》だ。
「失礼します、アポロウーサ様」
「どうかした?」
「事後報告になる形で申し訳ございませんが……下界で『幻魔の扉』を開こうとした者が現れました」
ウィクトーリアが冷静に告げた事実に、アポロウーサは額に指をあてた。
冷静なその言い方、さらに「事後報告」という前置きからして、恐らく事態はそこまで深刻ではないのだろう。
「……状況を聞きましょう」
「他と同様に天災級の豪雨に見舞われた『ある世界』で、早まった人間たちが禁を犯し、『幻魔の扉』を開いて三幻魔を復活させ、世界を道連れにしようとしました」
これだから、という言葉は口に出る前に飲み下す。
「事後報告というのは?」
「事態は急を要すると私の方で判断し、ヴァニティー様と彼の麾下にある下級天使に出ていただきました。幸いにも開放の初期段階だったため、現在その人間たちは鎮圧、『幻魔の扉』も閉じなおして厳重に封印しております」
「賢明ね」
危険な状況では、一度アポロウーサに報告するようウィクトーリアには話している。ただし、こちらの判断を待てるほどの余裕がない場合は独断で動いても構わないと、一定の権限をウィクトーリアには与えていた。それがあり、ウィクトーリアは大事になる前に動いてくれたらしい。
「それで、ヴァニティー様が人間たちへの懲らしめに『天罰』を所望しております」
「……苦痛を伴う警告に留めるよう言いなさい。二度目はないと」
勝手に世界を破滅させる真似は許されないし、気が立っているヴァニティーの気持ちは分かる。しかし、追い詰められた状況で自己保身に走ったり自棄を起こすのは、人間の脆さでもある。手のつけようがなくなった世界よりはまだマシだし、命までは取らなくていいだろう。
「承知いたしました。ではこちらに報告書、置いておきますね」
「ええ、お願い」
「後……」
書類の束の近くに報告書を置くウィクトーリアは、アポロウーサを見て少しだけ眉を下げる。アポロウーサが小首をかしげると。
「……コーヒー、お持ちしましょうか?」
「……そうね。お願いしようかしら」
「では少々お待ちください」
この書類の束を片付けるために、少し気持ちを切り替えたいところだった。アポロウーサはウィクトーリアのありがたい申し入れに、甘えさせてもらう。
そしてウィクトーリアが部屋を出た後、アポロウーサは窓の外を見る。夜の上、曇りなので一層暗い空だが、幸いまだこの世界にはそこまでの影響が出ていない。ただ、それもいつまで続くか。
「……ハァ」
書類の山に目を戻す。
今日、覇王門が解放されたと報告を受けた。すぐにバッハを含め「幻奏界」の天使が事態の解決に動き出したが、バッハからはまだ解決したとの報告を受けていない。予断を許さない状況が続いているらしい。
ただ、これは天変地異の影響で封印に綻びが出たからだろう。覇王龍、さらに覇王門の封印には自然界のエネルギーを使ったと聞くから。つまり、あれは意図的なものではない。
しかし、「幻魔の扉」は話が別。こちらは人為的なもので、人間の歪んだ思想で世界を破滅させかねなかった。人の手によるものだからこそ何とか介入が間に合ったが、こういう事態は今後増えていくだろう。天災でどうにかなってしまう前に、暴走した人の手で世界が滅んでしまう方が早い気がしてきた。
「……本当に、何とかしなければ」
それは自分に言い聞かせたものか、あるいは誰かに縋るような言葉か。
それだけ口にして、アポロウーサはウィクトーリアがコーヒーを淹れてくれるまでの間、少しだけ目を休ませることにした。
◇ ◆
ウィンたちが暮らす屋敷がある地域は、夜になっても天気が回復しなかった。この1週間そうだったからあまり期待はしなかったが、寝てる間も雷が鳴り響くというのは中々ストレスになる。
「情報、かぁ」
そんな窓の外を見ながらウィンは呟く。
それを拾ったエリアが、ホットミルクの入ったマグカップを片手にやってきた。
「ドレミコードの人たちの言ってたこと?」
「うん。私たちも勿論、この天気はどうにかしたいと思っているけど、私たちだけで得られる情報は少ないんじゃないかなぁって」
「だけど、僕らは既にあの人たちと契約関係にある。何か少しでも、違和感があったらそれを伝えなきゃならない」
ひとりテーブルで本を読んでいたダルクの言葉に、ウィンとエリアは曖昧に頷く。
雰囲気からして、自分たちが有益な情報を提示できなくても怒る気配はなさそうだが、やはり相手は天使族だ。怠惰な態度でも見せようものなら天罰を下されかねない。それにウィンの言う通り、この状況を黙って見ていられないのはみんな同じだし、解決できるのなら協力は惜しまない。
「でもよかったぁ。あの人たちが心を癒せるのなら、避難している人たちも少しは気が楽になるだろうし」
エリアに差し出されたホットミルクを飲み、ウィンが微笑む。
天気を操れないドレミコードを天門術で呼んでしまった際には少し肩透かしだった。しかし、ウィンの心配事のひとつだった、ほかの人達のメンタルケアをしてくれるのはありがたい。心配事がひとつ減れば、自分たちは自分たちのすべきことに、より向き合える。
するとその時、家の戸がノックされた。エリアとウィンは顔を見合わせる。
「こんな時間に……?」
首をひねると、またノックされた。
エリアは不審に思いながらも、戸を開けて確かめることにする。
「はい、どちらさ――」
そして、そこにいた人物を見て、エリアの声は止まった。
いたのは、エリアよりも背が低い少女。水色の長い髪をサイドテールでまとめ、ゴスロリ調の白いドレスを着こなし、傍らには魔力で付随させているらしい綺麗な装飾の杖が浮いている。
「どもども、おばんだね~」
そして、何とも緊張感のない挨拶をしてきたその女性は。
「ヴェ、ヴェールさん!?」
様子を見に来たライナが、後ろで素っ頓狂な声を上げた。
まさにその通り、訪れたのは《ウィッチクラフトマスター・ヴェール》。魔導工芸ギルドのリーダーで、こんな風体ながらも図抜けた魔力を有することで名が知られている魔法使いだ。霊使いたちも以前会ったことがある。
「お、ライナ。やっぱりこっち戻ってたんだ」
「え、ええ。というか何故こちらに?」
「まーちょっと、ね。とりあえず上がっていい?」
返事も待たずにヴェールは家に上がり込む。出迎えたエリアは何も言えず、ただ黙って中に通すことしかできなかった。
「……お久しぶりです、ヴェール様」
「あ、ダルクもいたんだ。元気してた?」
「最近はあまり」
まるで我が家のようにソファにくつろぐヴェールを見て、ダルクは狼狽えたりせず正面に座る。さらに、騒ぎを聞きつけたアウスとヒータも2階から降りてきて、ヴェールの登場に驚いている。
「おーおー、みんな元気そうだねぇ。私は嬉しいよ」
「それはそうと、急にどうされたんです? こんな辺境に」
「まぁ、このおかしな天気でしょ? 何か手掛かりとかないかなー、なんて色々探しているんだよ」
出ずっぱりで疲れたんだけどね、とヴェールはあくび交じりにダルクの質問に答えた。
ヴェールという魔法使いは、普段は掴みどころがない。言動からしてぽやんとしているし、彼女のギルドでも専らサボっていることが多いとまで聞く。それでいて、魔法力は世界トップレベルという噂だけは疑われていない。今の言葉だって、どこからどこまで本気かは霊使いにも分からなかった。しかしながら、ヴェールはこの異常気象が作為的な何かだと既に掴んでいる。やはり侮れない。
「んで、みんなはどーなの? 何か、困ったこととか変わったこととかなかったりする? 聞くだけ聞いちゃうよー?」
「……困ったことなら、いくらでも」
ライナは皮肉を返し、逆にヒータは「あ」と声を上げた。
「そういえばあたしたち、『天門術』って魔術を使ったんすよ!」
「……天門術?」
ぴく、とヴェールの食指が動き、雰囲気がわずかに変わる。それに気づいた者は、ヒータやダルクも含めて誰もいない。
「ええ、それで――ぇ?」
さらに話を続けようとしたヒータだが、突然口を手で押さえた。
「どうしたの?」
「いや……何か舌がもつれて」
アウスに聞かれたヒータは、舌をペロと出して咳払いをする。ちゃんと喋れるかどうかを確かめるために。
「で、その天門術でどうしたの?」
「あ、はい。ええと、長老の命を受けて天界と交信して、天使を呼び寄せたんです」
「おー、何か知らないけどすごそうじゃーん」
ヒータから引き継いで説明するエリアに、ヴェールはぱちぱちと真意の読めない拍手を送る。
「で、どんな呼び寄せたのってどんな天使?」
「それはですね――っ?」
だが、ヴェールの質問にエリアは途中で言葉を切った。本人の意思とは全くの無関係らしい様子で。
それを見たヴェールは、ふむと頬に手を当てる。
「……ライナ、どんな天使を呼んだの?」
「え? あれは――ぁ」
「ダルクは言える?」
「はい。あの方たちは――ぅ」
2人にも聞くが、やはりその天使のことを言わない。いや、言おうとすると何らかの力が働いて言えなくなるようだ。
「……じゃ、名前は置いといて。その天使たちとどんな話をしたの?」
「あ、そう。そうです。それで、その――っ、天使たちも色々な場所でこんな天気みたいな異変が起きているのを把握していて、解決のために私たちと手を組みたい、と」
「……それで、頷いたんだ?」
「はい。見返りとして、近くの集落で避難してる人たちの心を癒す――っ、心を癒してくれるって」
ヴェールの改めての質問に、ウィンが答える。やはりウィンも、その天使たちのことは話せなかったが。
「……なるほど」
すっとヴェールの目が細くなる。
ウィンは少しだけ背中に寒気が走った。
「それじゃあさ、ちょっと一つだけ、頼みごといいかな?」
言いながらヴェールは、にぱっと笑い、霊使いたちに紙とペンを用意するように伝えた。
《答え》
クーリア「キューティアとドリーミアから、詰めデュエルをあなたが解いたと聞いたわ」
バトレアス「ええ、確かに」
クーリア「それであなたは、《風霊使い ウィン》のカードを選んだみたいね?」
バトレアス「……はい」
クーリア「よければ、理由を聞かせてもらえないかしら? 霊使いたちのカードの中で、ウィンを選んだ理由を」
バトレアス「……言わないと、ダメですか?」
クーリア「是非とも聞きたいわ」
バトレアス「……クーリア様が」
クーリア「え、私?」
バトレアス「……クーリア様が、風属性だったものですから。だから同じ風属性のあのカードを使いました」
クーリア「……もう、それならそうとすぐ言ってほしかったわ」
バトレアス「すみません。どうにも……照れくさくて。あなたのことを常に頭に置いている、なんて面と向かって言うのが」
クーリア「……もう」
グレーシア(おかしいですね。ブラックコーヒーを飲んでいたはずがコーヒー牛乳並みに甘くなりました)
ビューティア(奇遇ねグレーシアちゃん。私もよ)
キューティア(やっぱりバトレアスさんはクーリア様のことをちゃんと考えていらしたんですね!)
ドリーミア(……アホらし)
第三部第1章はここまでです。
続きは気長にお待ちいただければと思いますので、よろしくお願いいたします。