どの人形を見ても、どの人形の街に行っても、やはり抱けない。どこもかしこも冷たく、ホラーだからだ。
それでもと少女は、もう一度人形を抱くために、ふらつくようにここに来た。
――そこで出会ったのは、一人のおかしな人形作家だった。
数年前に執筆して、小説家になろうとpixivに投稿したものをそのままハーメルンにも載せてます。旧タイトルは『お人形は嫌いよ』。
お人形は好きよ。だからお人形を探しに来たの。
でも、ここはつまらない。どれもかしこも色褪せてばかりで、灰色ばかり。ごった返ししていて眩暈がしそう。
先端が見えないほどに高い坂。その両端で、傀儡師たちはびっしりと連なっていた。
彼らがからくり人形を面白おかしく動かし、あるいは指人形で物語を織りなしている様子を、街の人々が寄ってたかって鑑賞する。
なぜ人形が操られている様をわざわざ見たがるのか……ここもダメみたいね。
だけど、もしかしたらわたしが探し求めている人形があるかもしれないから、念のため。
はぁ……と浅くため息をつきながらも、少女は門をくぐり、奇妙な街の中へと入っていった。
ちらりと操り人形を見れば――ケラケラと笑い、笑わせ、おかしな動きをさせられている。
からくり人形を見れば――自分の意のままに動かしているのに、あたかも自動であるという。
指人形やパペットを見れば――無味乾燥な物語のために踊らされ、変な言葉を言わされる。
どの人形もダメね。全然ダメ。心なしか燦々と降り注ぐはずの太陽の光も薄暗いし、それほど気にならないはずの風は何かを飛ばそうと必死になってる。
それもそうなるはず、だってお人形は本来心を良くするものだもの。決して悪くするものではないわ。そのはずよ。
なのにここの人形は……わたしの気分を悪くするばかり。まるで来るのを拒むみたいにね。
拒まれるのは嫌いよ。人として普通の感情でしょう?
人として――人も人形も、同じようなものよ。だって人形は人の形と書くのだから、そんな感情を持っていても不自然じゃないわ。
わたしは人の形をしていて、人と同じ形の心を持ってるのよ。誰に何と言われようとね。
だから――わたしが拒まれるのを嫌がるのは、ごくごく自然のことなのよ。
……あの人はとても……不思議そうな顔をしていたけれど。
『あなたは私のお人形よ……?』
……そんなことは今はどうだっていいの。何も良くないけれど……それでもいいの。いいったらいいの。
それより問題なのは……ここの人形が酷いってことなのよ。
扱いが酷すぎるなんて……惨いなんてものじゃないわ。人形はもっと丁重に扱うべきなのに。
こんなの見ているだけで痛々しい。笑顔で操っている者たちが悍ましい。興味を惹かれる観客が憎たらしい。
なんであんな風に笑っていられるのか、全く理解できないわ。
お人形のことを考えたことはないの? 何も感じないの? 怖くて声をかけることすらしたくない。
ごめんね、何もできなくて……そんな罪悪感すら蝕んでくるから、人形を視界にいれるのも少し辛い。
でも、私が探し求めている人形があるかもしれないから、見なければいけない。
残酷な現実を真っ直ぐに見届けなければいけない。
……こんなことなら、誰かに頼めば良かったかしら? きっと事情を話せば、みんな協力してくれたでしょう。あの人以外、優しいから。
けど――わたしには、何の人形を探しているか自分でもわからないから、そういうこともできなかった。
どんな耳をしていたか、どんな格好をしていたか、何色であったかも、何も思い出せない。
思い出せるのは、優しい感覚になれることだけ。
――温もりを感じれるということだけ。
だからきっと、見ているだけで和むことができたならば、それがわたしの探し求めている人形だ。
……いつになったら、見つかるのだろう。
もうかれこれ何年になる? あの人形を離されて……五年以上になる。
あれ以来ずっと……あの温もりに触れられてない。
ずっと……気が遠くなるくらい、ずっと……。
このままあの温もりに触れられず、死んでしまうのではないかと考えてしまうほどに。
……それは嫌。
死ぬのも嫌だし、触れられないのも嫌。
やっとこの街に……人形で有名なこの街に来られたというのに。
来た覚えはまるっきりないけれど、ヒントがあるかもしれないと来てみたら、この様だ。
どこもかしこも、適当に重ね合わせただけの変な柄。変な色。
ここの坂を上りきった先には――何があるのだろう。
怖かった。
更なる恐ろしい景色を――見せられそうで。
それでもこのまま帰ったら、きっとあの人形を忘れることしかできないだろうから。
欠如したままは、嫌だから……だから――
「おやお嬢さん、お人形は嫌いかい? とてもそうは見えないけれど」
「……」
歩いていると、知らない女性に声をかけられた。裁縫箱を持った手を後ろへと肩に置いて、寝ぐせを直していない、みすぼらしい恰好をしている人だった。
ここで人形を作っている人だろうか。自分の嫌いなタイプの人だろうか。
「……わたしはまだ、好きとも嫌いとも言ってないわ。心を読んでいるつもりならやめてちょうだい」
ここの人間だとしたら、この街は変人が多くて敵わない。
しかし女性は、裁縫箱を持っていない方の手を振って否定する。
「いやいや、いくら何でも心を読むことはできないよ。読んだのは心でなく――君の表情だ」
「あら、お人形の造った顔ばかり見ているあなたに、人間の表情の機微なんて読み取れるのかしら?」
惜しむことなく嫌味をたっぷりと込めて薄く口元に嘲笑を載せる少女に、しかし女性は意に介さない。
「君の方こそ、私の心を読んだのかい? 私はまだ名前どころか、職業すら名乗っていないはずだけれど」
冷静にそう指摘され、少女はむっと眉を寄せてそっぽを向く。
「違ったのなら謝るわ」
「いいや、その通り。私は人形作りをしている者だ。……それで、人形ばかり相手にしている私が、人間の表情から些細な感情を読み取れるか、という話だったね」
そっぽ向いていた視線を戻せば――女性は自分と同じ目線になろうと、膝を折っていた。
同じ目線になって――自分の眼に合わせる。
吸い取られるように、見据えてくる。
少しして、彼女の唇が動いた。
「私が人形作りで最も大切にしている部位は表情でね。より良い表情を創り出すために、よく人間の表情を観察しているのだよ。だから他の人よりかは機微を読み取る自信はある」
その眼からは――嘘の気配がなかった。
ならばわたしの表情から人形を嫌っていることを……いや、嫌ってないことを?
……わたしの表情から感情を読み取ったというのは、本当のことかもしれない。
「……表情を大切にする心構えは評価するわ。いえ、拘りを持っていることに評価していると言い換えましょうか。でもだからといって……あなた何なの? なぜ私にあんなことを言ったの? 私がお人形を嫌っていようが嫌ってまいが、それは私の勝手でしょう?」
見つめ返す射貫くようなその瞳に、女性は一瞬生真面目に目つきを鋭くし、すぐに元の掴みどころのない面持ちとなる。
「君、私の店を少し覗いていかないかい?」
「……そうね」
少女は感情任せに追い返そうとするが、冷静に考えてここに来た目的は人形探しだ。彼女の店にある可能性は、ないわけではない。
変質者かもしれない。不審者かもしれない――それでもわたしは、付いて行くことにした。
あの人形がないなら生きている意味なんてない。理由はそれだけで十分だろう?
人形作りをしているという女性は、長い坂を上る。この先にあるのは彼女の店なのだろうか? 警戒心は解かず、わたしも一メートル離れたところから付いて行ったが、特に何も言われなかった。
というより、一切会話をしていない。先ほどまであれほど滑らかに回っていた舌も、閉じていた。
黙々と歩くだけ。わたしにとっては都合がよかったけれど。
言葉を交わす気はない。わたしの目的は人形探し。道の端で使われている人形を見渡しながら足を運ぶ。
「そういえば訊いてなかったわね。あなたはどんな人形を作っているの?」
ふと気になっていた問いに、彼女はこちらに背を向けたまま答える。
「ぬいぐるみだよ。柔らかくてふわふわで丸っこい、あのぬいぐるみだ」
「……ぬいぐるみ」
そのワードを聞いて、じんわりと頭が痛くなった。そういえば、そんな人形が昔うちにもあった気がする。
……見つかる、だろうか。
「――着いたよ。ここが私の家であり、店だ」
彼女の視線を追った先には、確かに動物のぬいぐるみが並んだ店だった。
だがしかし、あの感覚は……あの温もりは感じない。
……ここも外れか。家にあったのは、こんな動物の人形ではなかった。
「……やっぱりいいわ。さようなら」
そして踵を返そうとするわたしに、「まぁまぁ」と女性は呼び止める。あくまでも声だけで、腕を掴んできたりはしない。強制するつもりはなさそうだ。
「もしかしたら君の探し物もあるかもしれないし、少し中に入っていかないかい?」
「……あなた、まだ心を読んでいるつもり? あいにくだけどわたしは別用で――」
「だから心は読めないって」
鎌をかけているつもりかと少女は警戒を続けるが、あっさりと肩を竦めて苦笑する人形作家。
「大抵そういう顔をする子は、そういう動機でこの街に来ているんだよ。ここには人形以外何もないからね――それに、お人形は好きなんだろう?」
「お人形は嫌いよ」
……あ。
そんなことを言うつもりなんてなかったのに、気付いたらそう口にしていた。
反応のように。反射のように。
無機質な声で言っていた……つい、癖で。
ついなんて、可愛いものではないけれど。全然可愛い理由ではないけれど。
未だにその言葉を……呪いを口にしてしまったことへのショックが大きすぎて、訂正する余裕なんてなかった。
まだ、わたしの中に残ってたなんて。早くあのお人形に会いたい。
あの温もりに包まれたい――!
――ガチャ、と。
ドアを開く音と、続けて鳴ったベルの音で、プツンと我に返る少女。
「私の勘違いだったらすまなかったね。これ以上先に進むかどうかは、君の意思に任せるよ」
「……入らせてもらうわ」
どうやら彼女は、わたしの言葉を全て鵜呑みにしていたようだ。何もかも、嘘なのに……。
わたしの方が、嘘をついてばかりだ。
しかし、悔いることではなかった。あれだけ怪しい人物なのだ、それくらい当然だろう。
「嘘つき」
中に入って、わたしは彼女にそう言った。薄々外から見て感じていた違和感を、ここに至って確信する。
「何が表情を大切にしてる、よ。寝顔ばかりじゃない」
ぬいぐるみの表情は、一つとして例外なく寝顔ばかりだった。目を閉じて、口を閉じて、どれもこれも眠っている。
表情に拘っていると公言していたからには、もっと多彩な表情を作っているのかと思いきや……こんなの……。
「ああ……ここに来たお客さんには、いつも言われるよ。これでもどんな夢を見ているのかそれぞれ考えたり、色んな表情を作ってみて寝顔に決めただけなんだけどね」
「……こんな所に、探し物があるはずないわ」
徒労だったな、と帰ろうとする少女に、彼女はすっと無言で動物のぬいぐるみをこちらに差し出してきた。
「……いらないわよ。確かにわたしはお人形を探していたけれど、カンガルーじゃ――」
「お人形? てっきり『温もり』を探していたのかと思ったのだが、違ったかい?」
「っ!」
驚きを隠せるわけがなかった。図星であることも筒抜けだっただろう。
だから隠すのを諦めて、今回ので何度目となる質問をした。
「あなた、心を読んでいるつもりじゃなくて、本当に読んでいるというの?」
「まさか」
むしろこっちが驚いたとばかりに眉を上げる人形作家。
「ただ君みたいな人と何人も出会ってきただけだよ。見通しているわけじゃない」
「……」
わたしみたいな人……それはつまり、人形を奪われてきた人たち、ということだろうか。
そういう人たちが自分以外にいることに、それもたくさんいることに、わたしは得も言えぬ気分に沈められた。
でもきっと、あの人形たちのように見過ごすことしかできないのだろう――自分を守ることで、精一杯だから。
――怖いから。
「はい、これをあげるよ。金は支払わなくていい」
黙っているわたしに、人形作家は再度渡そうとする。それをわたしは――受け取った。
詐欺を疑うこともできたはずだが、できなかった。
何人もわたしのような人間に会ってきた彼女ならば、わたしの欠けているものを知っている彼女ならば、あるいはもしかすれば、本当に温もりに触れさせてくれるかもしれない。
お人形は……探しても探しても、見つからない。
……思い出せない。
受け取ったそのカンガルーのぬいぐるみもやはり眠っていて、顔と胴体が同じ大きさ。腕と足は小さかった。木のような茶色をしている。
落とさないように下の部分を両手で支える。
接して、抱えて、見つめて、無為に時間が過ぎて。
――何も感じることができなくて。
耐え切れず救いを求めるように彼女の方へと見上げると、人形作家は窘めるように、近くにあった人形を持って言った。
「落ち着いて、こうしてギュ~ッと抱いてごらん」
「……抱く?」
……こんな。
こんな“脆い”ものを?
――痛い。
壊れるよ、きっと。
――痛い、痛い。
崩れる、消える、いなくなる、失ってしまう!
――痛い、痛い痛い痛い。
せっかく手に入ったものが……! あっさり手から零れ落ちて……!
「大丈夫」
……人形作家の、声が聴こえた。前には彼女の顔があった。
「この人形はなくなったりしない。強く意思を持てばなくならない。それでもなくしてしまった時は……また私の所に来るといい」
「……」
――ああ、痛い。大好きなお人形は、抱く度になくなっていった。
だけれど、あの温もりに、指先だけでも触れるためならば――。
彼女の言葉を到底信じることはできないけれど、わたしは勇気を振り絞ってお人形を抱くことにした。
カンガルーの腕の位置に腕を回して、引き込んで。
これで感じることができなければ、わたしはどうなってしまうのだろう……?
わたしは何を信じて生きればいいのだろう……?
いくら探しても、お人形は見つからない。
震える指先を、冷たくなっていく手のひらを交差した。
胸に引き寄せて、わたしはカンガルーのぬいぐるみを抱く……。
――――っ。
…………。
……。
『誕生日おめでとう。今年からもう六歳だね』
……ああ、あのお人形は、大好きなお人形は、誕生日で父からプレゼントされたものだったか。
気に入って舞い上がったわたしは、その日は片時も離さなくて、一日中抱きしめていた。
抱き寄せる――ただそれだけの動作で落ち着いて、自分の中で堅い何かが溶けていく感覚があった。
次の日、父が他界するまでは……これからも夜は一緒に寝ようと思っていたのに。
……父さん……。
「人形を作っている人たちは、それを見た人が少しでも元気になりますようにと願いを込めて作るんだ。外で人形を操っている人たちもそう、お客さんが少しでも元気になれますようにと、どうすればそうなるのか試行錯誤している」
「……じゃあ」
それならと、わたしはぬいぐるみを強く抱きしめながら反論する。
「お人形はお客さんのために操られなければいけないというの? 糸で縛られて、内側に手を突っ込まれて、こうして四肢を封じられてもいいというの?」
「……」
人形作家は――慈悲のような瞳で、わたしを見た。
今わたしは、どんな表情をしているのだろう。
「君は周りの人を元気にさせたいと思うことはあるかい?」
わたしは頷く。わたしに味方してくれたみんなを落ち込ませたいはずがない。
「なら人形も、同じように思ってるんじゃないかな。この人たちを元気にさせたいと――人形作家が思っているのだから。その思いが人形に通じ、君たち受け取る側の人たちにも伝わっているはずだ」
「だから――いいというの?」
糸で縛られて、内側に手を突っ込まれて、四肢を封じられても?
「人形たちの表情を思い出してごらん。人形たちは嫌がっていたかな? 君を助けようとしていたんじゃないかい?」
「わたしを……助けようと……」
「私はそういう思いで人形を作っているよ」
カンガルーの表情を見てみた。カンガルーは……眠っていた。
……気持ちよさげに、一緒に寝ようって誘うように。わたしの気分が休まるように。
その呑気そうな態度は、マイペースな子のようにも思えた。
あのお人形は……あのお人形も、嫌がっていなかった気がする。
「縛られてるんじゃない。動かされたいから操られてるんだ。内側に手を突っ込まれるのも、直されたいから。お客さんを楽しませたり感動させたいから――封じられるのも、抱きしめられたいと思っているからだよ」
「……でも、本当にこんなにも強く抱きしめられて、苦しくないかしら?」
「君はその人形を痛めつけたいとか、苦しませたいと思うのかい?」
頭を振って、髪を振って、全力で否定する少女。人形作家は、笑って言う。
「なら大丈夫――君がそう思わないなら、人形もそう思わない」
「……」
そういうもの、なのだろうか。
そういうもの、なのだろう。
……今はまだ実感が湧かないけれど、信じてみることにした。
人形たちを、人形作家たちを。
周りを元気にさせたいと思っているはずだと、信じることにした。
カンガルーのお人形をギュ~ッと抱いてみる。
お人形は、変わらず気持ちよさそうに眠っている。わたしも少し、眠くなってきた。
「……ありがとう。でもこのお人形、本当に貰っていいの?」
「構わないよ。趣味で作っているものだしね」
「そう……」
ここまでしてもらえて何も支払わないというのは、なんだか気が引けるものもあるけれど……本人がいいと言っているならいいのだろう。
そういうものだから。彼女の言葉を信じることにしたから。
「じゃあ、そろそろ帰るわ。目的は達成できたしね。本当にありがとう」
「どういたしまして」
「……ねぇ」
ドアの方へ振り返ろうとして、止まる。
「このお人形が壊れなくても、またここに来ていいかしら?」
確認するような問いに、しかし彼女は、当たり前のように笑って言った。
「もちろんだとも。いつでも歓迎するよ」
……良かった、と笑みを返して、わたしは今度こそ店を出る。
カランと、ドアのベルが鳴った。
外に出てから、わたしはまたぬいぐるみを強く抱きしめた。咎める者は、誰もいない。
「お人形は好きよ」――そう口にできなくて、何年だったか。
先日母が他界して、私はこの街にやってきた。
全ては、この温もりのために。
まだまだ冷たくなることもあるだろうけれど、このお人形があればきっと乗り越えられるだろう。
――坂の下を見やれば、眼下に連なるのは傀儡師たちの芝居。
お客さんを楽しませるために、今も傀儡師たちはおどけて笑う。
操られる人形たちは、満更でもなさそうだ。
――訪れた人形の街は、楽しそうな街だった。