あれから一ヶ月が経った。
乾燥さんは、新たな部活作りを呆気なく諦め、文化祭のクラスの出し物の準備に励んでいた。頼まれた仕事はサボることなくこなし、それらが終わったら他にやることはないかとメラメラくんに訊いては頼まれ、それすらも終わったらより良い出し物にするための知恵を捻りだそうと調べ物。
自分はというと、頼まれた仕事をそつなくこなし、更に頼まれ事が増えるまで鉛筆くんのサボりに付き合っていた。そして実行委員のどちらかに気付かれては注意される日々。あとは授業を受けて、課題をやって、それくらいだ。
日によっては放課後に遅くまで残ったりして、それは良かったと思う。残念ながら朝は、いつもとそれほど変わらない時間に来ても問題なかったけれど。
文化祭のクラスの出し物は喫茶店に決定した。女性陣がメイド服という衣装を着て接客し、男性陣は厨房で簡単な料理を作るというものだ。変な部活に所属している者が多く、ユニークな人間が多いせいかメイド服というより個性的な服や料理になっている気がする。
準備中はトラブルはあったもののメラメラくんとヒヤヒヤさんが指示を出し、亀先生からの助けもあって何とかなった。
つまりは何もなかったのだ。普段とは違う授業をして、いつもより時間を潰すことができたと、それくらいである。
――それは、乾燥さんも同じ思いだったらしい。来年こそは実行委員になりたいと、そう言っていた。
それから、二日間ある文化祭の一日目の午前の出来事。
乾燥さんも接待役で、笑みが苦手な彼女にはお世辞にも愛想といえるものがなかったけれど、誰よりも生真面目に働いていたと思う。それについての評判は少し耳にした。無味くんは普段から料理したことがないために、なるべく簡単な調理を手伝うばかりだったが。
そして――午後になって、入れ替わりの時間になった。見せる側から、見る側に。
事前に実行委員が誰と行動したいかのクラスメイトの要望を聞いて回り、そうなるようよう調節したため、メラメラくん、鉛筆くん、乾燥さん、無味くんのメンバーで他のクラスや部活の出し物を回ることになった。
そして――そして……。
「文化祭って、こんな感じなんですね。いつもの授業とは全然違って、ついみなさんを振り回してしまいました。いつも以上に」
「……ああ」
帰りがけに、乾燥さんと河川敷に座っていた。夕焼け空の下、涼しい風が二人の髪を揺らす。
「色んな出し物がありましたね。一風変わった飲食店や、展示系にアトラクションなど」
「……そうだな」
「オカルト部のちょっと本格的な儀式では悪魔を召喚できるかと期待しましたが、何も起きませんでしたね。まぁそれもそうです。私も家でやったことはありますが、所詮は架空の書物なのだと痛感させられました」
「……そっか」
「鉛筆くんの鉛筆削り器への熱量は凄まじいものでしたね。シャーペンばかり使っている私には縁がないものでしたが、あんなにも色んな鉛筆削り器があるとは……とても楽しそうでした。部活ではいつもああなのでしょう」
「……ああいう奴だからな」
「そして、最後に――」
乾燥さんは、こちらを振り向いて――俯いて、川ばかりを眺める自分に言う。
「アンドロイドものの劇を見ましたね。無味くんはどう思いましたか?」
そんな彼女の眼を少し見て、再び緩やかに流れる川の方へと視線を戻す。
「……また感想を話し合うのか?」
「少し違います。今回はあなたの感想が気になったので問いかけさせてもらいました。嫌だったら話さなくてもいいですよ」
「……」
彼女はこちらを向いたまま、そんなことを言った。
……少し、迷う。
けれど、彼女ならば話してもいいんじゃないかという気分にもなっていた。
話したく――なってしまう。大丈夫だろうと、そう高を括りたくなりそうになる。
これまでずっと、隠し通していたはずなのに。なんで今になって……。
自分の内面が見えない。何も見えない。見えるのは目の前を流れる透き通った色の川だけ。
ああまただ。またこの感覚だ。
処理ができなくて、どうすればいいのかわからなくなるこの感覚。すごく困る。
だから好きじゃないんだ、コレは。ただでさえわからないのが、もっとわからなくなるから。
――とても迷惑だから。
観念したように彼は眼を閉じて、ぽつりと呟きに近い音を出した。
「なんで『あんなもの』に感動するのか、意味がわからなかったよ。訳が分からなかった。どうしてそんな話を劇にしようと思えたのか、俺には彼らの考えていることが理解できない。なぁ、あれのどこに泣ける要素があるんだ。感情とか愛情なんて、芽生えるはずないのにさ――機械は無機物だと、それじゃあダメなのか?」
そのアンドロイドものの劇というのは、以前自分たちが二本目に観る予定だった映画を基に作られたものらしい。
全米が泣いたという――乾燥さんが言うには、それなりに人気の映画。まずそこからおかしいと思う。なんであんな内容の映画が人気になってしまったのだ。色々とおかしいのに――機械はもっと、恐ろしいものなのに。
「……なるほど」
そんな彼の発言に、彼女は手のひらにポンっとグーの手を乗せる。
「つまり無味くんは、あの劇が嫌いなんですね」
「……嫌い?」
そう訊き返しながら乾燥さんの方へと視線を移動させてみると、合った彼女の瞳は相変わらず黒いままだけれど、口角が僅かに――上がっているような気がした。
いや、上がっている。間違いなく。
呆然としている彼に、彼女は続ける。
「はい、嫌いだからこそ、大嫌いだからこそ、そういうことを思えたんですよ。きっと――愚痴りたくなるほどに」
……酷い嫌悪感を抱いた? 声に出したくなるほどに?
そりゃあ、嫌いという感情がないわけではないけれど、我慢できる程度のもののはずだ。自分の知っている嫌いはこんな『重い』ものではない。
それがなんで、こんなことくらいで……逆にどうして、他のみんなは……。
――だったら、
「……君は、あの劇を見てどう思ったんだ?」
すると彼女は、顔を前方へと――川へと向けて、単調に述べる。
「この前無味くんと見に行った映画と、同じ感想を抱きました。つまりは何もありません。感動もしませんし、面白くもありませんし、まぁ高校生が頑張って演じてるなと、そういう目線で見ていましたよ」
「……」
彼女は、不平不満を零さなかった。ただ自分には合わなかったと、そうとだけ言った。
……ほんとだ。
こんなにも不愉快に感じているということは――嫌っているということになるのか。
あの劇に対して……アンドロイドに対して。
「でも、あの劇、本当に変なんだよ。理想ばかりが詰め込まれてるんだ。何ていうか――気持ち悪いくらいに」
それまで淡々とばかりしていた自分の発音が、今だけ違っていた気がする。
そう――あの、かつて耳にした、鉛筆くんの『気持ち悪い』という発音と、同じだった気がする。
「そうですか。無味くんには、そう見えたんですね」
「うん」
「……」
「……」
「……」
「……なぁ、乾燥さん」
「何ですか? 無味くん」
「…………機械に育てられた人間のこと、どう思う?」
人並みの幸せを得ているように――そう思う?
あえて、そういう風に問わなかったのは、きっと答えてほしくなかったからだ。
――うやむやにして、なかったことにしたかったからだ。
何も答えてほしくなかった――だけど、だというのに、彼女は答える。
問われたから、自分なりの回答を口にする。正直に。
誰よりも正直に。平坦に。打てば響くように。
「そんな人がいるだなんて信じられません」
自分が欲した、答えを。
「だってそれは――あまりに不幸すぎますから」
彼女は口にしてくれる。
「……不幸、か……」
彼女の言葉を、己の中で反響させた。何だか少し不思議で、力が抜けてくる。
乾燥さんを少しの間見つめて、それから自分も川の方へと向いた。
川は綺麗で、澄んだ色をしている。
「ありがとう、乾燥さん」
「いえいえ。こちらこそ、いつも協力してくださりありがとうございます」
それからしばらく、夕陽が沈むまでの間、明日の文化祭の話をしながら二人で川を眺めていた。
羨ましいと、言われたことがあった。
実の父親や母親ではなく、機械に育てられて羨ましいと。
周囲の人間は誰も反応しなかった。誰も彼もが日常を送っていた。
それからだ。
自分の家庭のことを、誰にも話さなくなったのは。
――言葉を発する機械を嫌いになったのは。