週明けの月曜日。学校の昼休みに、彼は人がほとんどいない屋上に来ていた。
何とか学校には来れたものの、登校の時間帯をずらし、彼女とはろくに話してないどころか視線さえ合わせていない。合わせられない。あんなことがあった後では、とても……隣の席であることに、初めて歪な感情を抱いた。
これまで全くといっていいほどになかった負の感情が、綯交ぜになって彼女を見る目が変わってしまう。そればかりか、心なしか晴天の空模様ですら、どんよりとした曇りの天気ではないかと錯覚しかけていた。
かこつけるように、これまで封じてきた過去の失敗談を思い出す。もう見たくないと思っていた光景がフラッシュバックする。歯止めをかけて、抑えに抑えてきた感情を――もっと強く、蓋をした。
――なんで言っちまったんだよ、俺。しかもあんなタイミングで。
彼女にどう思われただろう……全然見当がつかなくて、返事なんて聞きたくない。
これまでの関係が壊れたらどうしよう、なんて考えていた。
最初の内はどこか現実離れしていたし、大丈夫なはずだと思い込んでいたけれど……時間が経つにつれ、落ち着けなくなる。身体が重くなって、冷たくなってくる。あの嫌いな――感覚に。
……やっぱり好きだ。あいつのこと。
でも、だからこそ、言わなければよかったなんて思いが頭の中を巡りこびり続ける。
こんなに怖いものなら――しなければよかったと。
「お前がそんなしけた面するなんて珍しいね。もう半年間一緒にいるけど初めて見るよ?」
フェンス越しに見える校庭から後ろへ振り返ると、そこにはポケットに手を突っ込む鉛筆くんが立っていた。
「よっ、遅くなって悪い。無味」
「……来てくれてありがとな。鉛筆」
彼を呼び出したのは、無味くんだ。話があると、朝早くから約束を取り付けた。鉛筆くんは隣に来て視線を合わせながら、言う。
「しっかしその顔つきといい、君の方から僕に声をかけるなんてね。そんなの授業のペア決めだけだと思ってたよ。しかも相談事って……僕に務まるか正直不安なんだけど。メラメラじゃなくていいの?」
「メラメラじゃあきっとダメだ。良い奴だけど――良い奴だからこそ、俺の悩みを理解できないだろうから」
「そう……」
あいつがお前を理解できないのは、お前が何も話さないからだと思うけど。
メラメラくんなら話せば普通に理解するだろうし、ものによっては自分以上に適切な回答をしてくれるはずだ。特に他人との交流については、彼は得意といっていい。何せこんなひねくれた自分と交流できたのだから。
まぁ、それを承知の上で自分を選んだのかもしれないし――こいつ、何かとメラメラを避けてる節があるからな。信頼的には自分の方が上ってことか。
どうか解決できる悩みでありますように……そう思ってそれ以上の反論はせず、鉛筆くんは話を進める。
「それで、相談したいことって?」
訊くと、無味くんは校庭を――違う何かを眺めるようにしながら答えた。
「分類としては、恋愛相談」
「え」
なんてこった。専門外だ。鉛筆絡みのことならいくらでも相談に乗れたというのに……。
いや、まだ判断は早い。内容によってはこんな自分でも助言できるかもしれない。
「……それって、乾燥さんのこと? 嫉妬でもした?」
そういえば今日、彼は乾燥さんと全く話していなかった。彼女、メラメラくんと仮とはいえ付き合っていたし、感情を覚えたならあり得る。
だが、無味くんは呆気なく、乾いた否定をする。
「いや、それは全然。上手くいかなかったらしいし」
「まぁそうだろうね。乾燥さんもお前と同じくらい難易度高いし」
「ああ、それは別にいいんだ。そうじゃなくて……その……」
え、お前が言葉を濁すとか本当にどうしたの?
そう身構えていたせいか、あるいは最近衝撃を受けることが多かったせいか、平常心を保ったまま彼の悩みを受け入れることができた。
「……するつもりなかったけど……勢い余って、告白した」
「……」
それでも、すんなりとはいかず整理する時間を設ける鉛筆くん。
「……やっぱり好きだったんだ。彼女のこと」
「うん――どうすればいいのか、わかんなくなってる」
混乱してる、か……全く、こいつらしいや。
「お前はどうしたいんだ? 付き合いたいのか? それとも……」
「どう……なんだろうな。この気持ちもどう扱っていいのか戸惑ってるし、付き合ったらどうなるのかが未知数すぎて怖い……いやそもそも、返事が聞けない。でもとりあえず、関係を修復したいな」
ふむ……と、鉛筆くんは頷く。
「別に、関係の修復自体はそれほど難しいことじゃないと思うんだけど」
「そうなのか?」
「だってお前ら、仲良いし。これくらいで悪化することはないんじゃないかな。返事を貰うにしても、たぶんオーケーでしょ。というか、付き合ってくれって頼まれてたじゃん」
「……あ」
素で忘れていたらしい……相当混乱していたようだ。
「でも、あいつ好きの意味がわかってないから、断るかもしれない……」
「あ、そっか」
彼と話していて鈍っていたが、そういえば彼女はそういう人間だった。メラメラくんとも上手くいってなかったという話も思い出す。恋愛に関しては綺麗さっぱり諦めてるかもしれない。
今無味くんの心中がいかにお先真っ暗なのかを理解し、鉛筆くんは思いついたアドバイスを説明し始めた。
「じゃあ、とりあえず、付き合わずに関係を修復する……といっても、壊れてるようには見えないけど、その方法を言うよ」
「ああ」
振り向いて眼を見る彼の真摯な態度に、応える鉛筆くん。
「無味、そう割り切れるものじゃないだろうけど、お前が心の整理をつけて告白をなかったことにするんだ。ぎこちないし跡が残るかもしれないが、表面的には元に戻るはず」
「……そうか」
割り切る、か……。難しいことではあったけれど、時間をかければできるだろう。告白をなかったことにするのも、彼女ならきっと了承してくれる。それなら……
「――けど、これはお前の意思に沿ってるかわからないけどさ、それでも告白してみるのはアリだと思うよ。付き合いたくないわけじゃなんだろ?」
それは……その通りだと、無味くんは思った。
もう彼女に隠す必要はない。あれだけ深刻そうにしていた彼女ならば、きっとすぐには変われない。じっくり……自分と同じ歩幅で歩いてくれるはずだ。
それに……感情は繊細で、大切にするものだから。
好き、だから。
「それに失敗しても、大抵は何だかんだ最後には良い体験になったってなるもんだし」
――しかし、声援のつもりで放った言葉だったが、どうやらそこが問題だったらしい。
「……怖いんだ。断られたり、付き合えたとして嫌なことがあったら、どうしようって……それでも、やって良かったなんて思えるのか?」
「……」
これまで彼から行動を起こしたことがなかったのも、まさか……と、鉛筆くんは少しの間だけ眼を鋭くさせて、語る。
「中学二年の頃、僕、失恋したことあるんだよね」
「……初耳だ」
「似合わないだろ? 別に僕から告ったわけじゃないよ。少し縁があるくらいの後輩の子が背伸びして告白してきて、それで付き合った。数ヵ月も持たなかったけどね。一方的に好きだと言われ、一方的に別れを告げられたよ」
その後輩の子が、好きではなかったのだろうか。飄々と語る彼の表情は、ショックとは無縁の顔をしていた。
……と、思っていたら鉛筆くんは苦笑する。
「別れを告げられるだけなら良かった。合わないのは薄々感じていたし、好きって感情も薄れていったよ」
「ただ……」と、すぐに苦々しい表情に切り替わった。
「その別れた理由を訊いたらさ、『頼りにならなかったから』……ってド直球に言われて、さしものこれには傷ついたよ。うわぁ……って感じ。むしろ相手の子を嫌いにすらなったね」
ここまでを聞いて、無味くんは沈黙する。もし自分も、そうなったらと――だが。
「でも僕は、付き合ったことを後悔してないよ。了承して良かったと今でも思ってる。見聞を広げられたし、恋愛がどういうものなのかも経験することができた。だからさ無味、あんま気負うことなく試してみるのもいいと思うよ。お前と彼女との絆は結構深そうだし、僕の元カノよりよっぽど信頼できる。恋人らしくとか考えずに、これまで通りに接してもいいんだから」
それに初めて好きを自覚できたみたいだし、せっかくだから挑戦してみようよ。
――そうは言わず、代わりに、
「ま、こういう道もあるってだけで、やりたくなったらでいいよ。言いたかったのは、何を選択しようと良いことと悪いこと両方あるって話。心の整理がつくまで何もしないのも手だ――さて、僕のアドバイスはこんなもんかな。どうするかはお前に任せるよ」
「……」
彼は口を閉じて、校庭を眺めていた。話を聞いていたのか聞いてなかったのか……いや、どうやら聞いていたようだ。
「……ん、ありがと。あとは俺の方で考えてみるよ」
その時の彼の眼は――どこか、無味らしくない瞳だなと、そう思った。