――時計の針が四を指した頃、暗くなりつつある外の明かりを取り入れた職員室。
「なぁ亀先生、もしもあなたのクラスメイトの中にカップルが現れたらどうするつもりなんだ?」
問われた猫背の男は、オブラートに包みながらも鬱陶しそうに口を尖らせる。
「給食校長……なぜあなたがここに? 業務はどうしたんですか」
「なに、少し休憩しようと思ってね。それで、恋に目覚めた生徒同士が交際を始めたらどうするつもりなんだ? なんでもあなたはリア充嫌いらしいじゃないか」
給食校長がわざわざその問いを選んだのには、理由があった。彼が知っているかどうかは定かでないが、なんでも彼のクラスにとうとうカップルができたらしい。名前までは、さすがに聞いてないけれど。
すると亀先生は、作業を止めることなく気だるげに、スラスラと答える。
「別に、どうと言われましても――」
「失礼しまーす! 亀先生はいますかー!」
……と、セリフを遮られて更に答える気を失くした亀先生。やる気の問題もそうだが、その声の主は自分が呼び出した生徒であったので、そちらの用事を優先することにした。
その声の主というのは、豪快にして図々しすら感じる声量の、まさに自分とは正反対な彼女。見れば、大量のプリントを両手で持って扉に立っている。
「おう、平和、こっちだ」
「おや亀先生そちらにいたのですか! 給食校長もご一緒で……この生徒と別れを済ませた後の時間帯で教師同士で絆を育むとはなんて素晴らしい! 教師として人の鑑であろうと、苦行であろう仕事中にも団結力と友情を忘れずにコミュニケーションを怠らない。その姿勢、感服いたしま――」
「そのプリントはそっちに置いておいてくれ。それじゃ、気を付けて帰れよ」
歩きながらそんな力説をする平和さんのことをガン無視して、とっとと帰らせようとする亀先生。しかし、その策略は失敗に終わる。
「ふむ……その素っ気なさから察するに、会話を楽しんでいたわけではないのですか。いえ、それもそうですね。亀先生ですし。むしろ真面目に仕事をこなしている姿は、人として模範とするべきことでした。まだまだ私の推測能力も精進しなければ――」
「それより亀先生教えてくれよ。もしかしたらそろそろカップルが現れるかもしれないんだよ?」
「どうも何も、名乗り出てこないなら別に何だっていいですよ。陰でいちゃついてるならどうでもいいです」
手をテキパキと動かしながら、亀先生は無気力に答える。「そうか」と給食校長は納得するも、高らかに異を唱える少女がいた。
プリントをどさっと置いて、拳を握る。
「どうでもよくはないでしょう! この世界にまた一つと新たな愛が生まれたのですよ! それもゆくゆくは新しい命を作るかもしれないのです! もっと応援してあげるべきでしょう!」
「この世にはな、愛を生んではならない連中と、愛を生むことを自重するべき連中がいるんだ。どっちも嫌いなタイプなんだよ。目障りだ」
「そんな連中がいるとは到底信じられませんが……しかし、相変わらず亀先生の言葉はきついですね」
「ふぅん……」
給食校長は頷く。前半の連中はわからなくはないが、後半の連中は何を指しているのか今一つピンとこなかった。
まぁ、なんにせよ――彼のクラスにできたカップルとやらは、さてどの種類に当てはまるのだろうか?
――続いて三階。二年の廊下にて。
「えぇー!? 無味くんと乾燥さん付き合ったんですかー!?」
「そ。さっき屋上でやってたみたいだよー……ってうー、また泣いてるの?」
それまで普通に立っていたうーさんが、膝をついてぽろぽろと涙を流し始めた。
「うぅ……嘘でしょぉ……助言したとはいえいくら何でも早すぎますよぉ……」
「後輩に後れを取ったね。よりにもよって助言した子に」
「うわーん! 言わないでくださいよー!」
なお、廊下に彼女の泣き声が響いていたが、道行く人々はいつものことだと素通りしていた……愉快そうに笑う悪徳さんを除いて。
「助言なんてしなければ良かったのにねー。そうすりゃ好きだってことも気付かなかっただろうしさー」
が、期待していた予想とは反対に、彼女は涙を止めて静かな声を発する。
「……それでも私は、きっと話していました。結構迷ったんですけどね」
「ん? 何に迷う必要があるの? こうやって先に付き合ったこと?」
訝し気に問う悪徳さんに、うーさんは否と答える。
「いえ、それは別に――むしろ嬉しいです。はい。とても悔しいですが、あの二人の雰囲気はとても似ていて仲が良さそうでしたし、本心から応援してます。迷ったのは――今彼にそれを話してよかったのかどうか、についてですよ。結果としては良い方向に歯車が回ったみたいで、ほっとしました本当」
「……?」
なぜ今話すべきかどうかで迷ったのか、悪徳さんには察せない。けれど、確かなる事情があったのだろう。あの二人のことを――いやそればかりか、うーさんのことを更に深く知れるかもしれないと、悪徳さんは尋ねようとする。
「ねぇうー、それってどういう――」
「……って、あれ? どうしてあなたがそのことを知ってるんですか? 話してないのに……」
いや、と、うーさんは言いながら推測を立てて、冷や汗を滲ませる。
「まま、まさかあなた、あの体育倉庫に――いやそればかりか、あの屋上にまで隠しカメラと盗聴器を――!?」
「あははー正解。バレなかったみたいで良かったよー、隠しスキルが日々成長してるってことだねー。いいことだーいいことだー」
にっこりと満面に笑う悪徳さんに、うーさんは今度は叫び声を廊下に響かせた。
「良くないですよ! この前没収したのにまた性懲りもなくあなたは……! 今すぐ全ての隠し場所を吐きなさい! メモリーカードも寄こすのです!」
「いいけど、データはもう私のパソコンの中に入ってるよー? いくら生徒会権限でも自宅のパソコンまでには手を出せないよねー?」
「正義の名のもとに実行します! データを全て渡しなさい!!」
「嫌なこった」
「あ、こら待て!」
悠々と逃げ出す悪徳さんに、うーさんは掴みかかる勢いで追いかける。ただでさえ騒がしい廊下を、より一層騒がしくさせていた。
――そして、一年の教室では、扉がスライドする音がした。
教室に入ってきたのは、男女のペアである。
「よぉ二人とも、鉛筆から話は聞いたぜ」
「お、その雰囲気だと成功したっぽい?」
迎えるのは、無味くんの席でたむろしていたメラメラくんと鉛筆くんだ。
訊かれた彼は、少し視線をゆらゆらとさせながらも明確に答える。
「……ああ、付き合うことになった」
「ごめんなさいメラメラくん。仮とはいえ付き合っていたのに、何も言わず……」
だが、メラメラくんの顔には曇り一つもない。
「んあ? 気にすんなって。付き合い続ける気はなかったし、お前らの方がお似合いだよ」
「そう……見えますか」
乾燥さんは、それとなくメラメラくんから隣にいる無味くんへと視線を変えた。恋愛においての相性など、自分にはよくわからない……けれど、彼が言うなら、そうなのかもしれない。
「それより……」
笑みを止めて、真面目な顔つきで無味くんの方へと向き直るメラメラくん。一応、仮とはいえ乾燥さんと付き合っていた身だ。きっちり覚悟を決めさせるべきだろうと、言い放った。
「おい無味、彼女を泣かすなよ」
しかし……無味くんは、きょとんとした様子で乾燥さんの方へと振り向く。
「乾燥さん、泣ける?」
「いえ、全然。泣けと言われても全く自信がありませんね。むしろ泣かせてほしいです」
「頼もしい彼女だなおい」
真面目な顔つきはすぐに崩れ、メラメラくんは呆れた視線を送るが、彼女のこういうところには少しずつだが慣れつつあった。
「それにしても良かったねー。心配ないだろうとは思ってたけど、ひやひやしてたんだよ」
普段以上に肩を落として、鉛筆くんは口を挟む。
「ああ……結構緊張したけどな。何とか言うことができたよ。本当にありがとな。相談に乗ってくれて」
「いいっていいって、これくらい。あ、でも、あんまり僕の前でいちゃつくなよ。マジで」
「やらないよ。これまでとそんなに変わらない」
最後の方だけ声のトーンが下がる鉛筆くんに、無味くんは平静と返す。それから、乾燥さんの方へと目をやった。
「それじゃ、そろそろ帰ろっか。乾燥さん。あとでうー先輩から聞いた好きの解釈を教えるよ」
「おぉ、それは気になりますね。なにせ無味くんを変えたほどの代物です。期待して聞きましょう」
二人してカバンを手に、扉へと身体の向きを変える。
「じゃあな、鉛筆、メラメラ」
「さようなら」
「おう」
「じゃあね、二人とも」
それから彼らが去った後に、メラメラくんと鉛筆くんも部活へと向かった。
「――好きを軽いものとして捉える、ですか」
「俺としてはかなり納得してるんだけど、君は?」
「そうですねぇ……そのストックホルム症候群なる現象に、私は馴染みがないもので……」
「……そっか」
「ですが、おそらく無味くんが納得できたならば、当たっているのでしょう。確かに私も、昔は深く考えるまでもなく物事を好きか嫌いか判断していましたから」
「そうなんだ」
「というわけで無味くん、早速私たちは付き合ったことですし、次の土曜日にデートに行きませんか?」
「いいよ。どこにする?」
「ここは王道的に遊園地なんてどうでしょう」
「ん、まぁ、いいけど……あんまり人がいないところな」
「何を言っているのですか。ド派手で有名なところに行きましょうよ」
「嫌だよ。人ごみ苦手だし。どこの遊園地でもアトラクションはそれほど変わらないだろ?」
「いやいや、変わるかもしれませんよ。検証しましょうよ」
「悪いけど、人が多い場所は一人で行ってくれ」
「もう……相変わらず情がないですね。無味くんは」
「相変わらず感情が死んでるな。乾燥さんは」
「……でも」
「ん?」
「一緒に見つけましょうね。好きという感情を」
こちらを見つめる彼女に、彼は頷いた。
「うん。きっと、一緒に」