無色な二人が無彩色になるまで   作:零眠れい(元キルレイ)

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6話 無味乾燥に実行委員を決める

 

 静かになった教室に、その男は入ってきた。

 いや、入ってきたなんてものではなく、くぐったでもなく、その男にとってはただ通過したに過ぎないのだろう。そんな――扉を開けて入るだなんて、くぐるだなんて労力をかけるのは馬鹿げている。けれど、通るだけならばまだ、労力も少ないというものだ。

 最小限の緩慢な動作で、その男は教室の中へと足を踏み入れた。歩いてきた。

 のっそり、のっそりと。ゆったりとした歩幅で、背を分かりやすいほどに丸くして。

 そのせいか、着ているだぼだぼな上着の背に描かれた亀の甲羅はしわになっていた。

 亀先生――。

 そのゆったりでは生温いほどに緩慢な動作と、常に着ている服の背中に甲羅が描かれていることから、とある教師を引き金に全員でそう呼ぶようになった。

 なお、本人がそれについて不平不満を零したことは、過去に一度もない。むしろ自分に合っていると新入生に言いふらすくらいに気に入っていた。おっさんらしく渋い、一見聞き取りにくいけれどよく響くので逆に聞き取りやすく、無理に張ってる様子のない――そう、ちょうどこんな声で言いふらしていた。

 

「なんだ、今日も誰も彼もが揃って欠席なしか。お利口なことで。いや教員としてこれは喜ばしいことであると言わざるを得ないが――本音をいえばまぁ、サボる者がいないのが不可解だな。そりゃあ普通の生活は推奨するが、人によればそれ以外も推奨するさ。そっちの方が合っていればな」

 

 こんなことを教卓で気だるそうに言い放つ教師を、無味くんはこれまで遭遇したことがないが、無関心だった。こういう人もいるだろうと、世界は広いなと、ただ漠然とそう受け止めるだけ。

 

「まぁいい、まぁいいさ。全員来てしまったからには今日の学校生活を無難に、それなりに楽しく過ごすとしよう。学級委員長、号令を」

「はい」

 

 義務的に動く亀先生と学級委員長。彼女の声を合図に、クラスメイトも義務的に起立気をつけ礼をする。

 ――ただ、亀先生に興味はなくともあの風体で『楽しい』というワードを口にされるのは、さしもの違和感があった。

 

「さて、今日は普通の平日か? 少し違う。今日は文化祭の一ヶ月前だ。つまり日をそのままに月を一つズラすだけで文化祭ということだ。今日はその文化祭のため、このホームルームで男子女子各一名ずつ実行委員を決める。やりたい者はいるか? 挙手してくれ」

 

 無味くんは微動だにせず、そっと視線を窓の方へ向けた。窓の先の――校庭の奥で手入れされ、鬱蒼と生えた木々。十月となった今ではすっかり銀杏色に染まっている。風で揺れているのかさえわからないその木々を、特に感慨に耽るでもなく、ぼんやりと眺めていた。

 実行委員が誰であろうと問題ない。文化祭の出し物が何に決まろうと、提示された課題をこなすだけ。文化祭当日も――きっと二人に付き合わされて当てもなく彷徨うだけだ。それだけの、イベントですらない……一種の授業とそれほど変わらない。

 仮に自分が実行委員になったところで、ならなかったところで、それも等しく変わることはないだろう。定石通りに事が進んで、それで終わりだ。幾つかトラブルがあるかもしれないが、それくらい。トラブルがあったところで、ならばそれを解消すればいい。先生から言われた通りに、周りから言われた通りに、マニュアル通りに。

 せいぜい今自分が思うことといえば、団結力といったスローガンを掲げる者が実行委員にならないことを期待するくらいだ。なったらなったで、仕方がないが。

 何が起ころうと、何があろうと、何もないだろう。なぜ文化祭というものがあるのか、その意図はまるで掴めないが、考えていてもきっとわからない。

 いつもの授業の方が、楽なんだが……そう、彼は呟きそうになった。壊れた機械の如く。

 

「え~~、他に挙手する者はいるか? いないならこの中から選ぶことになるが」

 

 選ぶ……それはつまり、手を挙げた者が三人以上いたということか。やる気が凄いな。

 

「いいんだな。じゃあこの中から選ぶぞ。メラメラ、ヒヤヒヤ……」

 

 もうその二人でいいんじゃないかと思えるような名前が挙がった。ヒヤヒヤさんは……確かにそんな人がクラスにいたことを今思い出したけれど、交流したことがない。でもその二人なら相性がいいだろう。たぶん。

 それにしてもメラメラの奴、手を挙げるとはなかなかやる気があったんだな。あまりその話題に触れなかったから気付かなかった……いや、聞いてなかっただけで触れていたのかもしれない。どちらにせよ、もし他の男と競争することがあり、多数決という形で実行委員が決まるなら友人として応援するとしよう。

 女子は別に、応援するほどの人物は……

 

「――それと、乾燥だな」

 

 ……。

 耳を、疑った。

 ゆっくりと視線を窓から乾燥さんの方へと流してみれば、澄ました顔で、何ともいえないいつもの顔で、黒板を見ながら正しく座っていた。指摘は――しない。ということは、亀先生が間違って名前を挙げたわけではないということだ。

 三人目として、締めくくりとして挙がった名前は、信じられないことに乾燥さんだった。

 どういう、つもりなのだろう。試してみたくなったのだろうか。そうだとしたら……合点がいく。

 彼女は試したがりで、やりたがりで、あまねく全て、幅広い。

 だからそんな彼女が、過去に実行委員をやったことがなかったためにやろうと思った。これでなら説明がつく。考えてみれば、単純な話だった。

 ――大して焦るような、話ではなかった。

 そんなことを、無意識に思う。

 

「男子はメラメラに決定だが、女子はヒヤヒヤと乾燥で多数決をとる。二人とも前に出て簡単なスピーチをしてくれ。テーマはそうだな……この文化祭について、どう思っているかだ。じゃあまずは、ヒヤヒヤから」

 

 亀先生が引き下がり、それから前に出たヒヤヒヤさんのスピーチといえば、どこかで聞いたことのある内容だった。さほど特別印象が残るようなものではなく、模範のような、例として羅列されてもおかしくない文章のような、そんな内容。即興だったからだろう躓きは所々ありつつも、それでも十分合格といえるようなスピーチである(自分に採点する資格はないが)。

 六十秒前後の、組み立て慣れている節さえあった彼女のスピーチ。乾燥さんはこれにどう立ち向かうというのだろう。

 ヒヤヒヤさんは下がり、乾燥さんは教卓へと足を運ぶ。その最中、顎に指を添えていてまだ考えているようだった。大丈夫だろうか。

 

「……えーっと、私こういうの初めてで、まだまとまってないのですが」

 

 教卓に立ち、緊張はしてないが慣れない様子でクラスメイトを見渡す乾燥さん。

 スピーチ開始だ。

 

「私は文化祭というものを、楽しい祭りだと思っています。見回るのも出し物をする側も、両方楽しめる祭りだと。そう偽りなく思える数少ない学校行事だと思いました。それは当日だけでなく、この一ヶ月間準備する際もきっと、大変だけど何だかんだ楽しい……そんな行事」

 

 それは見通し、予想、彼女の理想。

 何かの小説や漫画で、あるいは検索したらそういう情報が載っていたのだろう。それが事実なのだろうと仮定して、彼女は動いた。

 

「ですがだからといって、全力でそうなるようにと活発に行動するつもりはありません。素朴な楽しみを得たいと考えてます。自然体で出し物をやって、実行委員としての務めを果たして、クラス全員の良い思い出になるようにしたいと思います。……以上です」

 

 軽く頭を下げて、自分の席に――無味くんの隣の席に戻る乾燥さん。すると先生は言う。

 

「……これで終わったな。じゃあ全員、頭を伏せるんだ。先生が数えるから、自分が良いと思った方の手を挙げろ」

 

 それから、多数決が行われた。

 投票数がどう割れたのかは頭を伏せていたためにわからなかったが、乾燥さんを応援するため、したいため、自分は乾燥さんの方に投票した。

 最初は少し心配だったが、彼女のスピーチは悪くなかったし、強制的に働かされることもなさそうだ。これなら勝機は十二分にあるだろう。

 そう……高を括っていた。

 

「よし、全員顔を上げていいぞ。決まった。今年の文化祭の実行委員、男子はメラメラ。そして女子は――ヒヤヒヤに決定だ」

 

 反射的に、乾燥さんの様子を伺うけれど、彼女の表情は変わらない。俯いてすらなく、ただ目を閉じていた。甘んじて受け入れるように。

 ――そうして、今日のホームルームは終わる。

 

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