無色な二人が無彩色になるまで   作:零眠れい(元キルレイ)

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9話 無味乾燥に会話する

 

「今日は移動教室ばかりでしたね」

「そうだな。数学に英語、体育、家庭科……理科も移動した。世界史だけは、何もなかった」

「何もない――それもそうですね。授業中に不審者が入ってくることも、地震も火事も、クラスの男子がふざけることも、先生に当てられることもありませんでした。亀先生の言う通り、無難に過ごせたと思います」

 

 あくまでも、それなりに楽しく過ごせたとは言わない乾燥さん。気になった無味くんは訊いた。

 

「乾燥さんは、そういうアクシデントが起こってほしいの?」

 

 目線だけを横にずらす無味くんに、乾燥さんは前を向いたまま答える。

 

「そうですね……人によって何が楽しいかなんて、違いますからね。もしかしたら自覚がないだけで、私は途轍もなくヘンテコな性癖の持ち主かもしれません。そういう意味では、不審者が入ってくる体験は一度は味わってみたいものです。それ以外の出来事はもう実証されてるので、起こらずに済むならそれに越したことはありません」

「さすがに乾燥さんでも、そう思うんだ」

「ですが、クラスの男子がふざけるのは好きですよ。見ていて飽きないというか、毎回新鮮な掛け合いが繰り広げられますし、授業の妨げにもなって時間は潰れます」

「そうか」

 

 俺は――どちらかといえば、嫌いだけど。別段口にするようなことでもないだろう。

 

「そういえば君は、授業が好きじゃなかったな」

「はい、何の役にも――本当に、何も役にも立ちませんから。勉強は。あれらが潰れるくらいなら、そういうアクシデントが起こってもいいかもしれませんね」

「苦手だもんな、勉強」

「逆に無味くんは、なぜそんなにも得意なんですか? 姿勢の問題でしょうか?」

 

 すねていたり、皮肉が込められた様子もなく、ただ平坦に興味本位で訊かれた。

 勉強が得意というわけではない。けれど、成績が良いことは否定しようのない事実だった。応用問題が苦手で、トップクラス……には届いていないかもしれないが、足元くらいにはいるだろう。

 

「姿勢は関係ないだろ。君も俺も、背筋はそんなに変わんないって」

「いえいえそういう意味ではなく、心構えの話ですよ」

「ああ、そっちか」

 

 一旦区切って、無味くんは答える。

 

「別に、それこそ何でもない理由だよ。勉強以外にやることがないから、やってるだけだ。暇つぶしとして――時間潰しとして。浪費するために」

「今の発言は、時は金なりのことわざを信条としている者が聞いたら怒りそうですね」

「君は怒るの?」

「怒りませんよ。全く同一の意見です。生きるということは、死ぬまで時間潰しをするということですから」

 

 そして彼女は、ゆったり目線を上げた。

 

「……しかし、なるほど。時間潰しとして勉学に励むという発想は、私にはありませんでした。私は小説ばかり読みますから……繰り返し繰り返し、同じページを読み返すもので。同じ文章を、反芻するので。そういう認識で参考書を暗記するならば、確かに楽かもしれませんね」

「まぁ、楽だけど、それでも途中でやる気を失って、失いながらもやって、気付いたらうたた寝してる。だから得意とは、いえない」

「そうですか? 他の人よりは慣れがあるので、謙遜だと思うのですが」

「……」

 

 謙遜……そんなつもりはなかった。自分にとって勉強とは、土をいじるのと、壁のシミを眺めるのと、さほど変わらない行為だから。ああいうものに、得意も何もないだろう。

 慣れ、という視点ならば……あるかもしれないが。そこに熟練度は関係ないはずだ。

 自分にできるのは暗記だけ。解釈やら、意図を読むやら、応用やらの、その場で工夫を強いられる問題は解けない。だから成績も上位にはいられるけれど、それ以上にはいかないのだ。

 いきたいとも、思わないし。いくことによる利益が、自分には思いつかないから。

 だから勉強が得意というわけではない。謙遜ではなく事実なのだ。

 わざわざ自分を卑下することの得は、後々相手を裏切りたくないという思いからくるものであって、彼女に対してそういう心理は働かない。働いたことがない。

 けれどそれでも反駁しなかったのは、ひとえに彼女を説得する利益もなかったからだ。自分を卑下したことになってしまうけれど、それを訂正する動機もない。彼女から見たら得意に見える、という視点ならば、それもまた否定できないし。ならばこのままでいいだろうと、そう判断した。

 

「ところで……無味くんはそういうアクシデント、起きてほしいですか?」

「起こったら起こったで、それらを対処すればいいだけだけど……起こらないで済むなら、その方がいいな。いつもの授業の方が楽だから」

「良かった。普通なんですね、無味くんは」

「うん、普通だよ。俺は」

 

 ただ少し――感情と情が欠けているだけだ。

 ……と、そこで、彼は朝の出来事を不意に思い出す。メラメラくんと鉛筆くんとの会話を。

 あの時感じた……曖昧な答えしか貰えなかった、あの疑問を、彼女ならば答えてくれるのではないか?

 

「……なぁ、乾燥さん」

「何ですか? 無味くん」

「君が俺に質問する理由はわかる。理解できる。けど、あいつらが……それ以外の人たちも、どうして他人に自分のことを報告や説明をするのかを、俺には考えても分からない。乾燥さんは、何故だかわかる?」

「ああ、そのことですか。無味くんには少し難しいかもしれませんね」

 

 永遠に考えてもわからなさそうな問いに、彼女はあっさり頷いた。

 

「ですが私も、知識として知って……いえ、覚えているだけです。感覚的になぜそんなことをしていたのかは、忘れてしまいました。それでも構いませんか?」

「いいよ」

 

 小さく顎を引く彼を確認してから、乾燥さんは答える。

 カラカラに、空っぽに。

 

「共感してほしいからですよ。そうすることによって、楽しい気分になるからです」

「……」

「答えはこれで終わりです。これ以上解説できることは……残念ながらありません。たったこれだけで、あなたは理解できましたか?」

 

 彼女はじーっと、彼の瞳を見つめた。見据えるように、見つめていた。

 視界に入ってきた彼女の瞳は、いつもとどこか違っているような気がしたけれど、彼にはわからなかった。

 彼にはその違いが……何が混ざっているのかが、何が濁っているのかが、見当がつかなかったから。

 ――慈悲と、罪悪感という念を。

 

「……いや、わからない」

 

 その返答に、すると彼女は、視線を切る。

 

「……ですよね。すみません。満足のいく回答ができず」

「そんなに難しい質問なのか? これ。鉛筆に訊いても『何となく』としか答えてくれなかったんだ」

「私たちには難しすぎる……宿敵ともいえる問いです。ですが彼らには、きっと簡単すぎるんです。簡単すぎて……わからないんです。なぜゼロという数字があるのかが、わからないように」

「簡単、すぎる」

 

 当たり前すぎて――日常的すぎて――常識的すぎて、簡単すぎる。

 その時の乾燥さんは、何かを懐かしむような眼差しをしていた。だけどすぐに、下を向いた。

 一度瞬きをして、瞼で遮る。

 

「……なぁ、俺は普通なんだよな?」

「はい、無味くんは普通だと思います」

 

 彼女は浮き沈みのない声で言ってくれた。

 

「じゃあ、乾燥さんも普通?」

「はい、普通の人間だと自負してます」

 

 変わらない声で、彼女は言う。

 

「それなら、わからないのが普通なら、それでいいよな」

「ええ、それでいいと思いますよ。きっといつか、わかりますから」

 

 空の彼方を見つめる彼女。無味くんはつられて見上げたりは、しなかった。

 

「だから明日、映画館に行こうと誘ったんです」

 

 乾燥さんはこちらを向いて、続ける。見ると、なびく髪を、彼女は片手で押さえていた。

 

「了承してくれて、無味くんには感謝してます。してもしても足りません」

「いや、俺も暇だったし、全然いいよ。むしろこっちこそ、誘ってくれて感謝してる。映画館に行ったことなかったから」

「では」

 

 と、彼女は足を止めて、左の方へと指をさした。

 

「いつもの河川敷に、明日の朝、十時ぐらいに集合しましょう。そのくらいの時間であれば十分間に合うはずです」

「予約してるのか?」

「いえ、チケットは映画館で買います。タイトルは忘れてしまいましたが、今最も好評な映画があって、それが観たいんです」

 

 落ち着くほどに落ち着いた声。いつもの乾燥さんだった。

 

「そっか。うん、わかった。朝の十時な」

「はい。念のため明日、私が迷ってもいいように、無味くんの方でも少し調べておいてくれませんか? どこの映画館に行くかは、あとで連絡するので」

「ん」

 

 それから、映画館どころか映画をほとんど観たことのない自分たちでは到底話題は膨らまず、すぐに別の話題へと切り替わった。

 他愛のない話をして、何事もなく二人は帰路する。

 

 

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