この世界は紙幣ではなく硬貨で回っている。
金貨、銀貨、銅貨。それぞれに半分の価値の半貨があり、半金貨や半銀貨と呼ばれる。
物価にもよるが、大体3銅貨くらいで露店の串焼きが買える。300円くらいなんだろうか? この世界と日本では物の値段もだいぶ違いそうだけども。
貨幣は、価値こそ統一されているけど国によって柄が違うとか。レオン王国の金貨には獅子と月桂樹が彫られているが、バルムンク帝国の金貨には剣とハンマーが彫られている。
マニアは絵柄と年代ごとに分けて集めているとか。
「一昔前の限定生産のコインなんかは、それ一枚で財産になるの。100年前のモル・ハンドウォーカー硬貨とか、80年前に1年間だけ製造されたマスター4世の金貨とか。然るべきマニアにチラつかせたら、きっと家を売ってでもそれを買うでしょうね」
「貨幣の売買なんてして良いの?」
「世界法で75年以上前の硬貨は芸術品として購入が認められているの。専門店もあるし、ギャラリーに展示されてたりもする」
「へぇ、縁が無さそうだ」
今は無一文なわけだし。ハーヴィの家は自給自足生活だったから、貨幣というものが無かった。あるのは食料と薬の材料だけ。そもそも海底では金属貨幣は難しいのかも?
サーシャは貴族の娘だからか、芸術品に詳しい。家にたくさん飾ってあって、目利きや多少の鑑定くらいはできるそう。
芸術品鑑定は、そういったスキルを持つ専門家に任せるけれど、スキルにならない程度の簡単な見分けなら貴族の子は誰でも持っていると言っていた。
それが本当かは俺の貴族の知り合いが少なすぎてわからないが。
「この街は漁業と観光業で成り立ってるみたいだけど、他の内陸の方はやっぱり農業なの?」
「農業もあるけど、魔物退治や警護の仕事も重要ね。傭兵や冒険者は兵士とは違うけど、輸送や旅には欠かせない仕事だし」
「やっぱりどこも魔物の被害が酷いのか」
「うーん……海よりはマシだけど、飛行できる魔物や人間の生活圏に近い所に棲む魔物はやっぱり問題になってるわ。この町も傭兵の詰め所があるし、武器屋も多いし」
サーシャが指差す方向には、筋骨隆々の男たちがなにやら集まっている、白い石造りの円柱な建物を指差した。屋上には弓兵のような装備をした人も見え、なるほど砦のような役割らしい。
海に近いのは、海からくる魔物を警戒しているのだろうか。
この美しい町にも、こういった物騒な施設は必要不可欠らしい。この世界の過酷さが垣間見える。
他にも、この町の歴史や王国の文化の話をサーシャはしてくれた。
細かく年代や人の名前を覚えているサーシャ、なるほど教養はあるらしい。この歳の頃の俺は自国の官僚の名前や歴史の年を下一桁まで言えただろうか? 勉強は真ん中あたりを取れたら満足していたから、怪しいだろう。
貴族の娘として、きちんと勉強しているということだろうか。彼女の真面目な部分が見えた気がした。
時期に空も赤く色づき始め、海の色も濃くなっていく。
そろそろ大人の時間だろう。ずいぶん話し込んでしまったらしい。
「……ねぇ、貴女明日もここに来る?」
「どうかな、ここの町にはもう少しいるだろうけど」
「良かったら明日も同じ時間にここに来て欲しいの。……私の話を聞いて欲しくて。当然、貴女の聞きたいことを私も話すし、お返しはするわ!」
正直、俺はまた別の人間と話してみようかなと考えていた。この町をいろんな角度で見てみたかったし。
でも、今のサーシャはなんだか危なっかしい。思春期という言葉がこの世界にもあるから知らないが、どうにも、グラついている。
真面目さと斜に構えた姿勢と、人生経験の若さからくる視野の狭さ。
歳を重ねないとどうしようもない要素が、危ない足場を構築してしまっている。
そんな彼女を放っておく、というのは……すこし心にモヤが残る気がした。
「わかった。うーん、どうせなら美味しい飲み物とお茶菓子が欲しいな。サーシャも今日はたくさん話して喉が疲れただろう」
「確かにそうね。なにか喉を潤せるものを持ってくる。……約束よ、それじゃあまた明日」
サーシャはサンダルを履き直すと、町の奥に消えていった。この街は建物の高さが低い分土地にぎっしりと詰め込まれているらしい。迷路のような曲がりくねった道はすぐに彼女の姿を隠す。
不安定で、儚げで、目を離すとすぐ消えていってしまう刹那の姿。
これは同年代の男の子がいたらいくらでも落としてそうだな。なんて下世話なことを考える。
さて、俺も俺でシラタマの所に帰るとしよう。
「セイ様! お帰りなさいませ。実はまだ内装が決まりきっておらず……仮組みで申し訳ないです」
「……随分と凝り始めたね」
神隠し空間に戻ってくると、外観を弄っていたらしいシラタマが出迎えてくれた。
数時間前より細かいディティールやデザインが詰められている。陽当たりや影の入り方も意識し始めたらしい。これは長い工事になりそうだ。
自由にして良いと言った手前、まぁ最低限生活スペースを確保してあるならもうどうにでもなればいい。
夕飯の海藻スープもできているそうだし、シラタマが楽しそうにしているならそれで良い。
ごちゃごちゃと作りかけのパーツらしき石材や珊瑚の置物が床に転がっている。俺は泳げるから良いけど、ここに重力があって二足歩行だったらまさに足の踏み場も無い。
候補やデザインタイプでまとめられているようで、凝り性なシラタマの几帳面な部分をひしと感じる。
海藻スープはいつも通り美味しく、洗い物を終わらせる。と言っても少ないし15分ほどで終わるのだが。
夕飯を食べ終わったら、また自由な時間だ。シラタマは引き続き家の改装をやるらしい。
俺は暇だ。部屋で数分うたた寝すれば睡眠は十分だし、神隠し空間は娯楽が無いから時間が余る。
「また外に出てくる。お前もあんまり無理するなよ」
「はい、きちんと休息は取らせていただきますとも。お昼寝をしたので元気が余っているのですよ」
「なら良いけど」
ならば外に出るしかない。
夜の町も見てみたいし、観光ついでに俺はまた町近くの海に顔を出した。
家々に灯りが灯り、夜の漁なのか灯りを大量に下げた船が出ているのもわかる。昼とはまた違った、静かで光が目立つ景色だ。
水面に町の光が反射して花火のように波とともにきらめいている。
ふと、サーシャがいた船着場の所にひとり誰かが立っているのが見えた。
サーシャとは違う、褐色の肌に黒髪。ダボっとした白いシャツが映える、少年だった。
儚げで静かな印象の彼女とは違う、活発で明るそうな雰囲気を感じる。
しかし、彼もまたサーシャと同じように何かを憂うような表情をしていた。
そういえば、夜の港を観察していてわかったのだが、あの船着場は使われていないらしい。
船も人も寄りつかない、町のはずれの小さな船着場。そこに来る人は何かを抱えている人だけなのか。
少年は釣る気も無さそうなのに、安物らしい釣竿の糸を海に垂らしている。案の定、そこに魚は寄っていない。
ただ、手持ち無沙汰で持っているだけの竿。餌もつけずに垂らしているだけの糸。捻じ曲がって引っかかる場所が無い釣り針。なにもかも無気力だ。
少し遠くから見つめている俺の存在にも、彼は気づいていないらしい。真っ白な頭してるし目立つと思うんだけど。
しょうがない、俺から話しかけてみよう。
サーシャ以外の人間とも会話したかったし。彼からは死の不穏さは感じないが、サーシャと似たようなシチュエーションに思わず尾鰭が動いてしまった。
俺はサーシャの時と同じ声色で話しかけた。
「やぁ、こんばんは。少年くん」
「……夜の遊泳は禁止なんだけどな?」