「こんな夜に遊泳とか、変な奴だな」
「こんな時間にやる気のない釣りをしている君も余程変だと思うけど」
「……これはセーシントーイツってやつなんだよ。釣りが本命じゃねぇの!」
「その割には、集中できてなかったみたいだしけど? 釣り糸の振動に反応してたし」
「み、見てたのかよ……というか海から上がれよ、今の季節でも夜の海は寒いぞ」
「俺、人魚だから陸には上がれないんだ。あと寒くない」
「お前……人魚だったのかよ!?」
サーシャと違って、打てば響くような反応が面白い。声も大きく、声変わり直前のガラつくテノールは力強さがあって耳触りがいい。短い会話で彼の言葉はサーシャほど賢くないことがわかるが。
少年は靴を履いてない素足で、ダボダボのシャツにシワだらけのハーフパンツという姿だった。日焼けした肌に、カサつきつつクルクルと跳ねた猫っ毛の黒髪。瞳は生意気そうなぱっちりした形で、強気な眉がそれを更に引き立てている。
服装としてはあまり清潔ではないが、人の良さそうな……お年寄りとかに可愛がられてそうな顔だ。
身体は細いが筋肉がついていて、背丈はサーシャより数センチ高いくらいか。でもサーシャはヒールのある靴を履いていたから、それがあると同じくらいになってそうだ。
陸の人間に会うのはまだ二度目だから、初回のサーシャとあれこれ見比べてしまう。顔は似てないな。少年も整ってはいるが、サーシャの美少女さには負ける。
アイドルとか、モデルとかじゃない、クラスに1人いる感じの親しみある顔……という評価だ。
なぜ俺は初対面の少年の外見評価はしているんだ……? 自分でも思考の飛び方がよくわからないな。
少年は人魚の俺に驚きつつも、逃げたり大人を呼んだりはしないらしい。変わらず釣竿を持って、船着場の地面に胡座をかいている。
釣竿を持つ右腕には、服装に似合わないきらりと輝く真鍮の腕輪があった。
「人魚がオレになんの用だよ……」
「いや、やけに心ここに在らずといった子どもがいたから、気になっただけだ。俺はセイと言う。よろしく」
「……オレはタイチ。この町で漁師の手伝いしてる」
「へぇ、夜は手伝いは無いの?」
「オレみたいな下っ端は、夜の漁には足手纏いなんだよ。夜の漁は魔物も寄りつきやすいし、視界も悪いから少数精鋭なんだ」
「それじゃあ、暇な君はここで一人寂しく精神統一してたってことか」
「うぐっ……に、人魚のお前にはわからないかもしれないけどな、人間の子供って言うのは色んな悩みがあるモンなんだよ! ひとりでそれを考える時間も必要なの!」
顔を赤くして、タイチは意地になったように大声を出した。オレに近付いていた魚がそれで逃げていく。彼の声はよく通るらしい。
からかいすぎたかなと頬を掻きつつ、俺は改めて目の前の少年について考える。
いくら夜に仕事が無いとはいえ、子どもが外を出歩くには少し遅い時間だ。
この世界は治安も日本ほど良く無いし、魔物という脅威もある。スキルや称号で物理法則を超えた力を手に入れられるし、夜に一人で出歩くという行為は相応の危険が伴うはず。
それを良しとしている彼の家が、少し心配になった。
「もう夜も更けてくる。こんな所でひとりでいるより、家に帰ったほうがいいと思うけど」
「うっせぇな。……というか、オレはここで人を待ってんの! お前がいたら見逃しちまうかもしれないだろ、どっか行けよ!」
そう言うと、彼はシッシと手を振って俺を離そうとする。待ち人がいるらしい……が、彼の口ぶりではどうやら知り合いでは無さそうだ。待ち合わせしてるわけでもないだろう。
辺りは静かで、人が来る気配は微塵も無かった。
「こんな町外れで人が来るものか。一体誰を待ってるんだ? しかもこんな夜に」
「…………会ったばっかのやつに話すことは何もねぇよ。帰れ帰れ」
「ふぅん」
誰を待っているんだ。と言う問いに、彼は少し頬を赤くしたあと……それを隠すように頭を振って、返した。
その反応を見て何も察しないほど俺は鈍感ではない。なるほど少年は今春を迎えられるかどうかの真っ最中らしい。
しかし、そんな想い人を待つにしては、このポツンと佇む船着場は似合わない。どちらかと言うと悪人が追い詰められる場所に思えるのだ、夜のこの場所は。それほどロマンスを感じない場所というか。
やはり人の気配が無さすぎるのがその理由だろう。
「まさか、毎夜ここで待ってたりしないよな」
「…………」
図星、といった風にタイチは目を逸らす。ギクっという効果音がどこからか聞こえたような気がする。あからさまな態度に幻聴が聞こえたらしい。
「そんなに待って来ないなら、来ないんじゃないか。随分と無謀な恋をしてるんだな……」
「う、ううううるせぇ!! しょーがねーだろ、朝と昼は働いてんだよ、オレは!」
やけっぱちな叫び。少しこの少年が哀れに思える。
そこまで生活時間が合わないなら、何か別の手を考えたり、いっそ諦める選択肢もあっただろうに。この少年は愚直に毎日ここで待っているのだ。
不器用なやり方に乾いた笑いすら漏れる。
「俺にその人の話でも聞かせてみなよ。何か他にもっと良い策があるかもしれない」
「野次馬だろ……」
「誰にも言わないし、笑わない。ちょっと相談する程度で良いからさ。ずっと収穫が無いままここで待ってるつもりか?」
「うぐ……」
人の恋路に口を出す奴は〜という言葉もあるが、この素直で馬鹿な少年の行く先が少し気になってしまったのだ。
そして、少しだけ予感があった。これは神としての勘なのか、単なる漫画の読みすぎか。
「船の上から見ただけだけど……ここに、女の子が立ってたんだよ。白いワンピースで、金髪の……」
「一目惚れ?」
「……そうだよ。声も聞いたことないけど、もう一度、姿だけでも良いから見たかったんだ。その時は夕方だったけど……ここにいたらいつか会えるんじゃないかって」
「へぇ」
まぁ、予想通り……? 勘の通り……? お相手はサーシャらしかった。
その子と俺、今日話したし明日も会う約束をしてるけど……とは言いたくても言えない。サーシャと話していることは2人の秘密という約束だし、内容を言わないにしても隠しておいたほうがいいだろう。
もどかしさはあるが。
「別に、こ……恋人になりたいとかじゃないんだよ。確かに俺は一目惚れだったけど、あの子は俺のこと知らないし。だから、あー、その……本当に、近くで顔を見るだけでいいんだ」
「切ないじゃないか」
「女々しいんだよ……友達にも笑われたし」
「そう? 健気で良い恋してると思うけど」
羨ましいほどの青春だ。少女漫画やラブコメ小説のようなもどかしさと青さだろう。まさかこの目で見られるとは。
俺は約束がある手前、この二人の橋渡しをできないことが問題だが。
サーシャとの時間にタイチを呼べば秘密をバラしたことになってしまうだろうし、逆も然りだ。
信用のために「誰にも言わない」といったことが仇になっている。過去の自分を殴りたい。亜神になってもこういうところはやらかすらしい。
「……オレ、この町じゃあ本当に下っ端で、金も無いし碌な身分じゃない。あんな綺麗な服着た娘なんだ、きっと良いとこの生まれだろうし……。実らせるなんて高望みできねぇよ」
確かに、服装からして彼らの身分と生活水準が違いすぎる。
かたや貴族の娘。かたや漁師の下っ端。
隔絶された立場の崖がそこにはある。
「はぁ……そういうわけだよ。もう十分だろ……オレももう帰るよ、同室連中にどやされそうだし」
「わかった。……また明日もここで待つのか?」
「待つ。もう習慣になってんだ」
そうして、タイチは帰っていった。その背中は頼りなさげで、しゅんと下がっている。
その背中を見ながら、俺はどうしたものかと、ため息を漏らした。
恋のキューピッドなんて、亜神でも難しいぞ。