深海転生(未知)   作:月日は花客

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21.赤い泡

 

「セイ様、あとは内装ですから、ワタクシにお任せください! ずいぶん引き留めてしまいましたね……つい、申し訳ございません」

「いや、手伝えたなら良かった。残りも頑張って、ごめんね」

「はい、行ってらっしゃいませ!」

 

 シラタマに手? 触手? を振られながら、俺は神隠し空間を出た。

 外はもうすっかり昼で、サーシャはとっくに船着場に来ているだろう。俺が遅れたことは無かったから、心配をかけているかもしれない。

 少し急いで、町へ向かう。海の中とはいえ、あんまり人の町に近すぎる場所で神隠し空間に移動するのは憚られて、町よりも少し深いところでいつも移動しているのだ。

 普通の人魚は《神隠し》なんてできないだろうから、怪しまれる前に予防しておくということ。ただでさえ人魚は魔物だ。いくら国が認められているとはいえ、怪しい人魚が子どもに近づいていると噂が立つのはよろしくない。俺にも、サーシャ達にも。

 というわけで、俺はいつもより速く泳いで船着場に向かっていた。

 

 この尾鰭で泳ぐのも、もうすっかり慣れてしまった。

 鮫肌や、背中から突き出た背びれ、一本しかない感覚も、ちゃんと自分の体だと違和感なく認識できている。

 それが転生したからなのか、時間が経ったからなのかはわからないが、この世界に馴染んできたと思う。

 それと同時に、日本にいた頃の人間の自分が薄くなってきているようで、怖さもある。

 人間の俺を引き継いだ精神なのに、それが人魚……亜神に慣れてしまったら、それは「俺」なのだろうか?

 友人の顔も、人間時代の自分の顔も思い出せなくなってきている「俺」は「俺」なのか?

 哲学なんてわからないから、このわからない恐怖をただ受け入れることしかできない。

 忘れたいことも、忘れたくないことも忘れていく。それで自分を保つ事はできるのだろうか。…………朝から考えることではないな。

 

 俺にはそれよりも考えるべき目の前の出来事がたくさんある。

 タイチとサーシャの片思いのことや、サーシャの家族のこととか……。

 あの恋には思ったより長い時間が必要かもしれない。それこそ、何十年とか。大人にならないと終わらない恋かもしれない。

 流石にこの町で何十年も潰すことはできないから、キリのいい所で離れないと。実ってくれるのが一番なんだが、そう単純にいかないのが恋愛の難しい所だ。

 

 日光が思ったより高いところにある。サーシャをずいぶん待たせてしまった。怒っているだろうか……。スタンピードも近いし、もう帰ってしまっているだろうか。

 

 そう思っていると、ふと、海流に乗って慣れない匂いが鼻に入ってきた。

 金属……いや、もっと生物らしい、生々しい──血の匂いだ。

 魔物の匂いではない。もっと重たい、こびりつくような……人の、血の匂い。

 

 俺は更に速度を上げた。上へ上へと泳いでいくと目線の先、水面を背に沈む人間の体が見えた。

 

(まさか……まさか……!)

 

 逆光で顔が見えないが、あの金髪、あの白いワンピース、細い身体に確かに覚えがあった。

 血が煙のように水中を舞い、もくもくと流れて溶け消えていく。

 足に何かが巻き付いていた。海藻ではない、生き物のように動き、彼女の脚に跡を作っている。

 魔物だ。

 緑色の、海藻に擬態した触手を持つ、貝のような魔物。本来海底に沈んでいるはずなのに、何故こんな浅瀬に。

 貝の魔物は、普段はちょっかいすらかけない亜神の俺に対して、威嚇する。二枚貝を大きく広げ、その触手を振り回してくる。

 

 しかし、今の俺にそんな幼稚な威嚇は毛ほどに通用しなかった。むしろ、その怒りと苛立ちを助長させる愚策にしかならなかった。

 俺は《冥々水槽》によって、その硬い貝の殻と中の本体を空のペットボトルのように潰し、殺した。

 《波槍》で慎重に彼女の脚に巻き付いて離れない触手を切り外し、沈む彼女の身体を支える。

 

 その身体は完全に脱力し、意思も本能も何も感じない。

 赤色の流出元は腹で、俺の腕が通せるほどの風穴が開いていた。致命傷だと一目でわかった。

 俺は、もう理解していながら、どこか祈るようにその顔を覗き込む。

 

「…………ああ」

 

 虚になってしまった瞳は、空が似合う青。

 この死体が、サーシャだということが確定してしまった瞬間だった。

 その事実に呆然としていると、尾ひれをベチベチと叩く感触がある。頭が回らないまま確認すると、別の貝の魔物が、俺の身体を攻撃しようと浮かんできていた。

 

 それを《冥々水槽》でまた潰す。絶命した貝の魔物はさっきと同じように海底に沈んでいく。

 ふと周りを見ると、同じように俺……あるいはサーシャの死体を狙って、十数体の魔物が向かってきていた。

 これが、スタンピードということか。

 本格的に満月が近づいてきて、魔物の暴走は酷くなっている。それは、俺のような亜神や、陸にいたはずのサーシャを襲うほどに見境無く、激しくなっていた。

 予兆は、あったのだ。それを気にせず無視していたのは、他でもない俺だった。

 

「馬鹿だ」

 

 俺は《冥々水槽》と《波槍》を使い、襲いかかる魔物を単調に処理していった。

 皆潰れ、元の姿より何倍も小さくなって、海底に沈んでいく。そんな同族の死に様にも臆せず魔物は向かってくる。

 血の匂いに寄ってきているのか、落ち着く頃には数十の死骸が海底に沈んだり、逆に水面に浮かんでいった。

 海の中は魔物が多い。その言葉がようやく現実としてわかった気がした。

 

 俺は、サーシャの死体を抱えて浮上する。

 魔物の群れを相手にしたことで少し頭が覚めたらしい。それともショックに脳が現実感を消したのか。まだグラグラと煮えつく脳の、一部分がやけに冷えていた。

 船着場は海面からすこし高いので、船着場近くの砂浜に移動する。浅い、浅い海をなんとか泳いで、サーシャの身体を砂浜に横たえた。

 血は水に触れたせいで止まってくれない。いや、もう手遅れなのはわかっているが、それでももうこれ以上彼女を減らしたくなかった。

 陸に上げれば、誰かが気づいてくれる。そう思っていた。

 このまま海底に、深淵に連れていくのはダメだと。ハーヴィのように海底に埋めるのは違うと、冷たい脳の部分が叫んでいた。

 

 たとえ本人が嫌っていようと、サーシャには家族がいる。家族が死を知らないまま、行方不明と判断してしまってはいけない。

 彼女は死んだ。その事を彼女の周りに伝えないと、彼女も周りも安らかになれない。

 そう思考が告げてくる。

 サーシャはスタンピードによって凶暴になった魔物に襲われ、海に引き摺り込まれて命を落とした。

 それを知っているのが俺だけなのは、ダメだと。

 

 通りすがりでも、誰でもいい。

 俺の話を聞いて、サーシャを家族のもとに運んでくれるなら、誰でもよかった。

 はずだった。

 

「セ……イ……?」

「────タイチ」

 

 そこにいたのは、慣れた褐色。タイチだった。

 その手にはいつもの安物の釣竿があり、しかしその顔は驚愕に染められている。

 その視線は、やがて俺ではなくその隣に下り……驚愕が絶望に変わった。

 

「タイチ、聞いてくれ」

「女の子の、した……死体。は、え」

「タイチ、聞いて、タイチ」

「は? なん、なんで。その子、オレの」

「タイチ!」

「っなんで死んでんだよ!!」

 

 混乱と、現実への拒絶。サーシャの死体を見たタイチは、完全にその精神をぐちゃぐちゃにかき混ぜられていた。

 釣竿は放り捨てられ、駆け寄ってきた際に飛び散った砂粒が俺とサーシャに掛かる。

 俺が手で辛うじて隠していた傷口も、その砂を避けるためにどかしてしまった。

 タイチはサーシャの手を掴む。俺はその冷たさを知っていた。

 

「なぁ、なんで、なんで……! う、ぇ……なにがあって!」

「スタンピードで凶暴化した魔物にやられたんだ……俺が見つけたときには、もう」

「その魔物どこだよ、ぶっ殺してやる」

「……もう、俺が殺した」

「──そうかよ」

 

 その傷口に嗚咽を漏らしながら、タイチはサーシャの身体を起こす。虚脱し、動かないサーシャは、それにされるがままダラリと首を傾けた。

 タイチと、向き合う。

 

 その瞳はもう閉じられていて、口は力無く微かに開くばかり。

 血の無くなった顔色は真っ青で、艶を無くしていく。

 そこに命は無い。もう、戻ることも無い。

 タイチはその身体をかき抱いて、慟哭した。

 

「こんなことで、こんな形で、顔を知りたくなかった……! 触りたく、なかった……!」

「…………」

 

 俺はただ、それを見ていた。

 町外れの船着場近くには昼も終わる頃の時間には誰も来ず、ただ俺とタイチ……そしてサーシャの死体だけがあった。

 タイチの涙は頬を伝い、雫となってサーシャの頬を濡らしていく。

 海水とはまた違う、塩辛い液体がその首を伝っていった。

 

 静かな波と違い、大きな、大きな悲嘆が俺の鼓膜を揺らす。

 浅瀬から出た尾鰭が乾いていくのを、何をするともなく感じて。

 2人の恋の終わりを、焼きつかせるように目を瞑った。

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