サーシャの死体は兵士に運ばれていった。
タイチが近くの詰め所に行き、魔物に襲われて死んだ死体があると通報してくれたのだ。
魔物に殺された死体は、呪いや魔物の幼体が仕込まれていないか専門の医師の検分が必要だそう。ほぼ無いと確定していても、これ以上悲痛な魔物被害を避けるためにやる必要があるそうだ。
彼女の身体はすぐに病院に運ばれていった。
タイチも俺も、それについていくことはできない。
発見者であれど親族ではないし、発見時の説明はタイチがしっかりとしてくれた。……俺の存在を隠して。
海の魔物に引き摺り込まれたと死因を話せば、人魚である俺は当然疑われる。たとえ無実でも、それを証明することは誰にもできない。
死んだのは貴族の娘で、そんな彼女を殺したかもしれない人魚は捕まるか殺されるかされてしまう。
たとえ人魚が国を認められるほど人に近いと言われていようが、そこは結局魔物の対応なのだ。まぁ、人間でも同じような目にあっていたかもしれないが。男爵の娘だし。
そんなわけで、第一発見者はタイチであり、浜に打ち上げられていたのを発見した……という風に改変した話を兵士に話した。
俺はその間、海の中で成り行きを見守っている。
タイチは町の中で働く子どもとしてそこそこ信用を得ていたのか、疑われる事なく兵士はそれを信じた。
「もう良いぞ」
「ありがとう。人間の弔い方は知らなかったんだ」
「いや……あの子、知り合いだったのか?」
また静かになった砂浜、タイチは俺の横に立って尋ねた。その顔は険しく、俺と彼女の関係を責めているようだった。
その視線を甘んじて受ける。
「……彼女との約束で、会っていたことは誰にも話せなかった」
「いつから」
「お前と会う前から。彼女の約束の方が先だったんだ」
「……そうかよ」
「……ごめん」
何に対しての「ごめん」なのか、俺自身もよくわからなかった。ただ、感情のままに溢した言葉は謝罪だった。
サーシャの危機に間に合わなかったこと、関係を黙っていたこと、何も役に立てていなかったこと。
後悔も無力感も積み重なっていく。タイチは俺に怒鳴るわけでも、殴りかかるわけでもなく、ただ静かに佇んでいた。
責めないでくれることが、嬉しくもあり悲しくもあった。
「……仕事が、早く終わって。船着場に来てみたら、これだ」
「……」
「悲しいよ、本当に。あの子の死も、これからのことも」
「……うん」
「今日はもう帰る」
「うん」
ざり、と彼の裸足が砂浜を踏み締めた。彼の白いシャツには血のシミが付き、所々が海水で濡れている。
サーシャの死はすぐに町で話題になるだろう。タイチは、その話が広まっていくのを間近で見ていかないといけない。
海に逃げられる、俺と違って。
「ああそうだ」
数歩離れた後、タイチは顔だけ振り返って俺に声を投げた。
「ここにはもう来ない」
「……うん」
拒絶と、別れの言葉。捻り出した2文字は、彼に届いたかわからないほどの掠れた声だった。
俺は砂浜に横たわる。欠けた貝殻や塵が肌に刺さって痛い。それでも、今は身体を起こせなかった。
目の前に広がる空はもう昼終わりの傾き具合で、太陽が少し弱く世界を照らしている。薄く雲がかかり始め、夜は雨になる予感がした。
打ち上げられたヒトデのように、俺はただ地面に身体を投げ出す。
俺が遅れていなかったら? 俺が魔物にもっと気を配っていたら? サーシャに海は危険だと言っていたら? …………サーシャと、会っていなかったら?
こんなことにはならなかっただろうか。
タイチの恋を応援したいと思ってしまったことが間違いだったのか。あの2人と関わってしまったことで、こんなにもやるせない終わり方になってしまったのだろうか。
…………。
「っ────!?」
ふっと湧き上がった自分の考えにゾッとした。
深海に、深淵に持ち去って仕舞えば……サーシャの死を、誰にも伝えず、死体も返さず、深淵に還してしまったら。
そうしたら、少なくとも
そう、考えてしまった。あまりの自分勝手な思考に、それを自分が考えてしまったことに吐き気がして口を押さえた。
俺はこんなに非常な人間だったのか。
いや、もう俺は人間では無い。人魚で、亜神で……前世のことで覚えてるのは、日常と、家族と、友達と──あ、れ?
「俺の、人間の時の顔って、どんなだった……?」
それだけじゃない、自分の部屋、好きだった映画、行っていた大学。
どれもすりガラスを通したみたいにボヤけている。
体験、経験は思い出せるのに、その景色はあまりにもブレて、鮮明に見えない。
友人の名前は、住んでいた住所は、学校の名前は。…………母の、名前は?
「あ、ああ……」
スキルに、通貨に、地名に。
この世界の知識は思い出せるのに、日本のそれがボヤけていく。
人間の俺が、人魚の俺に溶けていく。掻き消えて、沈んでいく。
深淵に還っていく。
「っあ、痛!」
乾いてしまった尾鰭が、ひび割れたように痛んだ。水の外にいすぎたのだ。
俺は恐る恐る、その鮫肌を撫でる。
じっとりとした体温、微かに感じる脈動。腰元に生えたサメの手ビレは、俺の意に沿ってパタパタと動いた。
人間には無い、部位だ。
「……サーシャ、ごめんな」
自分が自分でなくなる恐怖なんかより、死ぬ恐怖の方がよほど強かっただろう。悲惨だっただろう。
海は怖いところだったんだ。人魚と人間じゃ当然その認識の濃さは違うんだ。それに気づくのが遅すぎた。
俺についた血は、海水ですっかりと流されて、もう何処にも赤色は見えない。
サーシャのいた証は、彼女の身体で沈んだ砂しかない。それも、寄せては帰る波で時期に消えてしまった。
「ごめんな、俺が全部間違えたんだ。サーシャも、タイチも何も悪くなかった」
ギチギチと乾燥で引き攣るように尾鰭が軋んだ。刺すような切れるような痛みと、鈍くなった感覚が水を欲している。
もうじき、日が落ち始める。俺は暗くなり始めた海に戻っていく。ズリズリと這って行く姿はどこか滑稽だ。
どぽん、とようやく深いところに沈めると、乾いていた体が喜んで潤い始める。
水の中で生きるための体は、陸よりもよほど息がしやすかった。
「……もう、何もないか」
真っ白な家。港と観光業で栄えている、無垢な純白の町。青空の下、その白は飛ぶようにハッキリと光を反射している。
しかし今の俺には、そこに自分がいるべきではないと、強く感じていた。
俺はシラタマに町を移動することを伝え、町の方向とは別方向に泳ぎ出した。
漁船に乗る漁師の声や、市場で遊ぶ子どもの声が小さく海の中にも響いてくる。
全てを聴こえないふりして、ただひたすら、町から深く遠いところへ。
逃げる俺を笑うように、漁師が大漁を告げる歌を歌い出していた。