深海転生(未知)   作:月日は花客

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8.船の中にはだれもいない

 

 心地よさにまどろむこと数分、進化が終わる。

  どうやら進化すると身体の傷が癒えるらしい。痛々しく痣ができていた左腕や、大きく切り裂かれた尾鰭が治っている。地味にありがたい。

 

 さて、自分の身体はどこか変わったのだろうかと身体を見た。

 シンプルな白い胸当てだった服はなんだかヒラヒラした、オフショルダーの豪華な水着に変わっている。そういえば今気づいたけどヘソがない。人魚は卵生なのか。

 尾鰭は鮫肌に黒なのは変わっていないけれど、明らかにヒレが大きく、派手になっている。よく見ると、光沢で深い青の紋様みたいなものが確認できた。尾鰭全体に刻まれているっぽい。

 それ以外は、鏡を見ないとよくわからないな。いまだに俺は自分の顔を知らないのだ。

 

 ここでようやく、戦いの後一息つけた。

 正直、勝てたのはかなり幸運だったし、奇跡だった。

 クラーケンが《眷属召喚(魚)》とか《狂化》を積極的に使ってきたらしんどかったし、水泡や高圧の水が俺に効いていたら一撃死もありえた。

 岩を《大渦》や《大波》で飛ばされていても詰んでいたし、《水圧耐性》を持っていたらそれこそ勝てなかった。

 

 総じて、だいぶ無茶な戦いだったといえよう。今後はこういう無謀な戦いを挑むのはやめよう。人生での幸運をかなり消費した気がする。

 クラーケンは、最初俺をただの羽虫みたいに思っていたのかもしれない。後半明らかに触手の動きが鋭くなったし、殺意も酷くなった。

 レベル90越えにとって、レベル20なんて正しく雑魚だろうしな。

 

 細い綱渡り、無事渡り切ったのは俺ということだ。たらればで死ぬルートを考えて気が滅入るのもあれだし、さっさとオデュセーに報告しに行こう。

 俺自身はクラーケンになんの感情もないし。

 

「お前……! 生きて帰ってきたのか! ……なんか姿が変わってる気がするが」

「ああ、進化したんだ。無事、倒してきたよ」

「へ? ……本当だ。俺様の魂の呪縛が、消えてやがる!」

 

 称号【海の悪魔】が、オデュセーの魂に悪さをしていたらしい。あれは殺した生き物の魂を弄ぶ効果を持っているらしかった。

 しかしそれも、クラーケンが死んだ今は無効。オデュセーは解放された。

 狂喜乱舞するオデュセー。船員が生きていた頃は、何かにつけて宴や祝祭をやっていたのだろう。歌う声は力強く、ステップは慣れたもの。コーラスがいないのが、少し寂しいが。

 

「おめぇさんには感謝してもしきれねぇ。これでやっと、俺様は死ねる! あいつらの元に逝ける!」

「それは良かった」

「この船とも、アルゴーノム号ともお別れか……コイツも、俺様がいるせいで死ねなかっただろう。全部お前のお陰だ。仲間たちの元に逝ったら、必ず語るさ。お前に向けた感謝の宴もひらく。俺様にとって、アンタは英雄だ!」

「はは、楽しみにしてるよ。宴には魚を出してくれ、俺は魚料理が好きなんだ。……もう、逝くのか?」

 

 そう聞くと、オデュセーは豪快に笑う。黒い髭を撫でて、その腰にあるサーベルでポーズをとった。勇ましい海の海賊だ。

 その瞳には、死んだとは思えないほど煌めきと活力が漲っていた。

 

「俺様は海暴れのオデュセー! 大海を渡り、世界を冒険し、その名を轟かせた。さらば最後の友! クラーケンを討ち取った勇敢なサメの人魚よ! このオデュセー、いざ冥府へ向かわん!」

「さよなら、オデュセー。あんたの冒険譚に登場できて、良かった」

 

 そうして、オデュセーは光の粒になって消えていった。最後まで、彼の笑みは絶やさず、この海に生きた男としての誇りに溢れていた。

 静まり返る船内。俺はまたひとりになった。

 

 ふと、机にある彼の日記が目につく。革の表紙には使い込まれた傷があり、酒がこぼれたようなシミもある。

 今は、それを読むことを止める者もいない。俺はその日記をそっと読み始めた。

 

 この日記は彼が欠かさず毎日付けているようで、もう8冊目らしい。

 船員との愉快な日常や喧嘩、賭けの結果なんかが楽しげに書かれている。

 時に上陸し、奪った物資の内容が書かれていることもあれば、モンスターとの戦いが物語のように綴られていることもある。激しく、しかしユーモアも忘れずに描写された死闘は、いつも最後は宴で終わっていた。

 時に死んだ仲間を見送り、別れに涙する文もあった。そこには必ず涙の跡があって、彼が船員をどれだけ愛していたのかがわかる。

 己を奮い立たせ、明るく誇らしげな態度を崩さないように、だからこそ深く悲しみ、感情を引き摺らないようにしていたんだろうか。

 日記は、クラーケンに出会うだろう日の前日。これからの船旅を改めて楽しみにしている事が書かれて、終わっていた。

 

 俺は、その日記を机の引き出しにそっと閉まった。机の上に出しているから、人に読まれてしまうのだ。

 時に弱音が、時に後悔が書かれたこれを、知られたくなかったから引き留めたんだろう。大きく崩れた船内、なぜこの手帳だけ、綺麗に机に置いてあったのか。

 誰かが置き直したとしか思えない。それが誰かは知らないが、オデュセーではないことは確かだ。

 もうこの船には誰も来ないだろう。魚が棲みつくかもしれない。朽ちて、跡形もなくなってしまうかもしれない。

 でも、俺はそっと日記を隠した。

 

 船内をこれ以上探索する気にもなれず、俺はそのまま船の外に出た。

 外から見た船はやはり立派で、ボロボロに壊されているのに未だ迫力がある。

 オデュセーの築いた資産として、船は一番に挙げられる物だった。ただの小舟が、こんなに大きくなったのだから。

 

 オデュセーが消えた船は、これから急速に朽ちていく。ギリギリで保っていた部屋は崩れ、木は色艶を無くし、藻に浸食された。

 止まっていた時が一気に進んだようだった。

 しかしこれも、オデュセーが望んだ事なのだろう。

 

 俺は海賊船をそっと後にする。

 ここはもう誰の居場所でもなく、誰も縛り付けることはない。

 

 オデュセーは仲間たちの元に無事逝けただろうか。

 日記に記されていた宴の景色を想像する。酒と歓声が飛び交い、沢山の料理が並べられ、歌が響き、踊りが床を鳴らす。

 オデュセーが音頭を取り、乾杯の声が重なる……。

 

 彼が語る自分の話が、どれだけカッコよくてロマンに溢れた英雄譚になっているのか。少し気恥ずかしい気がした。

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