鷹と蝶   作:ナカイユウ

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 「なんか悪いな雛姉。そっちはそっちでこの後練習あんのに」
 「ううん。むしろ早起きは三文の徳って言うでしょ」
 「ははっ、だといいな」
 「あと私も逆算して昨日は寝るのも早めにしてたから全然へっちゃら」

 まだ空を見上げると微かに星の光が見える明け方の5時過ぎ。今日からインターハイに出場する大喜と針生西田ペアの応援と事前練習のため1日早く遠征に出掛ける飛鷹くんを、いつもの時間より早く起き家の外に出て見送る。

 「にしてもこんなふうに見送られると試合に出る予定なんてないのにこれから試合に行くみたいな気分になるわぁ」

 練習で必要なアイテム一式を詰め込んだラケットバッグを背負い、右手には練習着などの着替えが入ったボストンバッグとやや重装備な出で立ちの飛鷹くんがどこか嬉しそうに言う。言われてみれば確かに、そんなふうに見えなくはない気がしてきた。

 「負けないように応援するのも、ある意味試合みたいなものじゃない?」
 「応援も試合……そーいう考え方もあったか」
 「そうよ。特に不利な状況に追い込まれたときほど、客席から聞こえてくる応援の一声は心強いんだから」

 試合に出ないとはいえチームのためにいい感じに気分を高めてほしくて口にした根拠のない持論を、大喜に負けず劣らず真っ直ぐな親戚(はとこ)は何も疑わずに受け止める。とはいえ大舞台になればなるほど、仲間からの応援が力になるのは誰が何を言おうと本当のこと。

 「…あぁ。違いない」

 一瞬空のほうを見上げて、飛鷹くんが呟く。物思いに耽るような表情からして、中学まで誰よりも心を込めて応援してくれていたという親友(ひと)のことを思い浮かべたのだろうか。

 「じゃ、行ってきます」

 玄関先での話はほどほどに、出発時間が迫る飛鷹くんは軽く敬礼をしながら颯爽とした足取りでバスが待つ学校のほうへと歩み出す。

 「いってらっしゃい」



 やっぱり後ろから見ると、ほんとに大喜と()()()()なんだよなこの子って……



 「あ、やべぇ忘れてた」

 なんて見慣れた背中にこっちも耽ていたら、忘れ物でもしたのか10歩ほど進んだところで急に飛鷹くんが引き返してきた。

 「忘れ物?」
 「まあそんなとこ」

 忘れ物かと聞く私に焦る素振りも見せずクールぶって言葉を返すと、飛鷹くんは徐にボストンバッグを左手に持ち替えて手隙になった右手で拳を作って差し出す。言われるまでもなく、県予選の朝にもやったはとこからのグータッチ。

 「ちょっと背伸びたんじゃない?」
 「だったら嬉しいけど」
 「って言ってみただけ」
 「んだよ一瞬マジで期待しちまったわ」

 そうだ。ここから本当に()()()()()()()()()()のは、私のほうだ。

 「ガンバ。雛姉」
 「うん。誰よりも綺麗に舞って優勝掻っ攫ってくる」

 最後にお互い拳を合わせて、私はインターハイに出場する先輩の応援へ向かう飛鷹くんの背中を見送った_





びっくりした

 

 

 

 「ファイトーッ!」

 

 暑さ極まる8月の熱気を乗せたいつもの体育館で、女バドは今日も練習に励む。

 

 「やっぱりちょっとだけ静かだよね。男バドがいない体育館って」

 「ですね~。いつもだったら西田先輩の声がしたり猪股先輩が一番乗りで練習してたりしてますからねぇ」

 

 ただインターハイの遠征で朝早くから学校を後にした男バドがいない分、体育館の中は騒がしくはあるけれどいつもよりちょっとだけ静かだ。

 

 「あと、強豪の部活に挟まれると何だか私たちって浮いてるみたいに感じません?」

 「悲しいけどこれが女バドの現実なのよね……3年生の先輩たちが引退して県予選に出ている部員(ひと)1()()()()になっちゃったし」

 

 さて、男バドが遠征で不在の関係で我ら女バドはいつも使っているコートではなく男バドのコートを使わせてもらって練習をしているわけだけど、正直言って左右が女バスと新体操部という栄明の中でもガチ勢な部活動に囲まれているせいで弱小ってほどじゃないものの強豪にはまだ遠い私たちの場違い感は否めない。

 

 「だから(うち)ら2年としては君たち1年生に大いに期待せざるを得ないわけっすよ」

 「いやさすがにまだ荷が重いですってのぞみ先輩」

 「もちろん私たちも先輩としてできる限りしっかり手本を見せれるように頑張るけどね」

 

 そんなどっちつかずで中途半端な立ち位置にいる女バドに今年、もうかれこれ10年も遠ざかっているインターハイを久々に狙える実力を持つ1年生が入部した。

 

 「なんか結を見ていると、“こういう人がチームを変えていくんだな”って思うんです……だからその分、私たち1年は今みたいに結におんぶにだっこの状態から抜け出さないと駄目なんですけどねぇ」

 

 誰に対しても壁を作らない明るく元気な人柄と、全中まであと少しのところまで迫った確かなバドの実力。そして“栄明の王子様”と呼ばれた男バドOBのお兄さん譲りのビジュアルを持つ、我ら1年生のアイドル。

 

 「…結月ってさ、うちら引退したら部長になる気ある?」

 「それより見てください先輩。いま栄明の3()()()()()()が並び合って練習してますよ……こんな光景、マジで男バドがいない今しか見れないですよ」

 「要するに“お断りします”ってことね」

 

 

 

 栄明高校女子バドミントン部1年・千木良結。女バドの中で1番の実力を持ち1年生ながらエースを任されている、我ら女バドの中でいま最もインターハイが近い1年生エースにして……3年生(女バス)の鹿野千夏先輩と2年生(新体操)の蝶野雛先輩と並ぶ、栄明の3()()()()()()()1()()(※結月視点)だ。

 

 

 

 

 

 

 「21―11。ゲーム、結」

 

 アタックロブの返しでやや甘く上がったあかりんのショットをプッシュで叩き込んで、ゲームセット。

 

 「また返球が甘くなった」

 「でも初めて私から2桁取れたじゃん」

 「1セットも取れてないけどね」

 

 私を相手にした試合(ゲーム)で初めて2桁スコアを取ったあかりんは、最初に試合をしたときと比べて着実に成長していることを褒めても決して喜ばずに謙遜する。もちろんこっちは手なんか一切抜いておらず点差が開こうが本気でやっているから、相手が弱いなんてことはない。

 

 「やっぱりもっと体幹を鍛えないと駄目だね私」

 「まあバドに置いて体幹はホントに大事だからね。でも逆を言えば体幹が改善したらあかりんは相当強くなれるよ」

 「そうかな?」

 「少なくとも守りに関してはゆーづやほのちゃんよりも上手いなって感じるところもあったし」

 

 実は負けん気とメンタルの強さは1年ズの中で一番と言ってもいいあかりんへ、勝者としてアドバイスを送る。憧れていた先輩への想いが叶わなかったことがもうとっくに過去のことになったかのようにバドへ打ち込むあかりんと一緒にいると、自然とこっちも練習へのやる気が上がる。

 

 「さっき結ちゃんが打ってたロブ……私もあれが打てたり打ち返せるようになれたらなぁ」

 「あかりんなら打てるようになるよ。あとちょっとだけ体幹が良くなれば」

 「うっ、それが私の一番の課題なんだよね…」

 

 何よりあかりんの強みは、先輩も含めてみんなからのアドバイスを疑ったり“はい”と答える裏側で自分はこう思うとプライドを出すようなことはせず、迷わず純粋に全部を受け止めて実行に移せる真っ直ぐさがあるところだって私は思う。人によってはそれを“プライドがない”だの“流されやすい”だのと言うかもしれないけど、つい自分より強い人と比べてしまう私からすれば一番欲しい強さで、マイペースではあるけれど現にあかりんは間違いなく強くなっている。

 

 「だから自分に自信が持てるように、お兄ちゃんにもっと鍛えてもらおっかな」

 「そうだよあかりん!君には()()()()()()()()がいるんだからっ!」

 「う、うんっ。そうだねっ」

 

 私から見れば自分なんかよりもあかりんのほうが強くて、強すぎる身内がいることを一切言い訳にせずひたむきな気持ちで同じ競技に向き合う姿勢は見習わないといけないなって、本当に思う。

 

 「みんなー、倒れたりする前に各自で適当に水分取ったり小休憩するようにー」

 

 コートの外から、コーチが試合形式の練習につい熱中しがちな私たちにこのところ暑いからほどほどにしておけと忠告する。人伝でしか聞いたことのない“根性論”や“スパルタ”が主流だったときとは違って、監督から休めだとか水分を摂れと言われる令和に生まれて良かったとこういうときについ感じてしまったりする。

 

 「(そっか。男バドのコートだから隣は新体操部なんだ…)」

 

 コートから出て小休憩(インターバル)に入りがてら何気なく周りを見渡すと、いつもと少し違う光景が目に留まって男バドが使っているコートで練習していることに改めて気付く。掛け声とボールの弾む音と靴が床を擦る音がする片方のコートを向けば千夏先輩のいる女バスが私たちと同じく試合形式の練習をしていて、音楽が流れるもう片方のコートでは雛先輩が音楽に合わせてリボンみたいなものを持って舞い踊っている。男バドから1日遅れでインターハイに向かう新体操部は、今日が遠征前最後の練習だという。

 

 「……」

 

 本番を間近に控えているからか、ルールを知らない素人が見てもすぐわかるくらい雛先輩の演技に力が入っている。苗字にある“蝶”の如く曲に合わせてリボンを身体の一部のように繊細な手さばきで操りながら正方形のマットの上で自由自在に舞うその姿があまりに美しくて、つい魅入る。

 

 「(…すごっ…)」

 

 魅入り過ぎて心中の語彙力も失ったまま、私は最後まで雛先輩の演技を見届けた。終わった後にコーチと思われる人がアドバイスなんかそっちのけでひたすら英単語を並べて褒めちぎっていたけど、全くもって同意見しか出ないほどの演技だった。全国の舞台でトップに立つような選手(ひと)は技術が優れている以上に人を惹きつける()()を必ず持っているのはどの競技でも通ずることだと、改めて思い知らされる。

 

 「リフレッシュ行ってきます」

 「オッケー」

 

 本番さながらの熱量で最後の練習をする雛先輩に心の中で拍手を送りながら、私は先輩に断りを入れてタオルを片手に体育館の外に出る。

 

 「…いや外も暑いんかい」

 

 だけどいざ出てみたらコートほどじゃないにしろ想像していた以上に午後の夏空に照らされた箱の外側は暑くて、つい愚痴が出る。そういえば朝やってた天気予報だと、今日は猛暑に迫るとか言ってた気がする。

 

 「くぅ~!生き返るわマジで!」

 「お前よく頭から水被れるよな」

 「イチもやってみろよ!ほらっ」

 「おまっ!首んとこ入った冷たっ!」

 

 とりあえず暑さでやられる前に水を浴びてクールダウンしようと一直線で外にある水道へ向かうと、炎天下のグラウンドで練習中なはずの顔なじみ、もとい陸上部1年の同中(おなちゅう)コンビが一足早く涼んでいた。

 

 「イチくんやっすんおつ!」

 「おう結ちゃんおつかれ!」

 「ははっめっちゃ涼しそうじゃん」

 「いや~マジで生き返った!」

 

 中学のときに同じクラスだった2人の顔なじみに声を掛けると、そのうちの片割れでイチくんと親友レベルで仲が良いやっすんが元気よく返して水道の水でびしょ濡れになった顔を首元に掛けていたタオルで犬みたいに勢いよく拭く。いま思い出すことじゃないけど、この3人で揃って話すのは何気に5月の体育祭のとき以来だ。

 

 「2人も休憩中?」

 「おう。てかそもそもこの炎天下で外走りまくるのはさすがにキツいって話よ」

 「体育館も体育館で灼熱だけどね」

 「特にバドは風の影響モロに受けるって感じだから窓も開けられないんじゃねえの?」

 「だから休憩になると外出たり換気とかしてるよ。じゃないとマジで死ぬ」

 「そっか風が当たんないからそりゃしんどいよな~」

 

 休憩時間なのを良いことに、この8月の暑さを愚痴にして軽く盛り上がる顔なじみ同士。暫く会わなくなると距離感が掴めなくて気まずくなるって話をどこかで聞いたことがあるけれど、3人揃って人見知りとはほぼ無縁な性格をしているからか昨日ぶりのような空気感が漂う。

 

 「じゃ、俺先に戻ってるわ」

 「まだ5分くらい時間あるのにもう戻んの?」

 「涼めたしなっ」

 「出たよB型自己中」

 「イチもBじゃねえかよ」

 

 ただ今は放課後ではなく休憩時間だからか、涼んだというやっすんはイチくんより一足早くグラウンドのほうへ早々と戻っていく。

 

 「イチくんは戻んなくていいの?」

 「おう。若干まだ時間あるし」

 「やっすんと相変わらず仲良いね」

 「向こうの押しが強いってだけさ」

 「でも楽しいじゃん。一緒にいて」

 「確かに退屈はしないな」

 

 グラウンドの方角に視線を送るイチくんとやっすんの話をしながら、私は水道の蛇口を捻って出てきた水を両手で掬って思い切り顔にかける。

 

 「ぷはーっ!生き返る~!」

 

 体育館の熱で少し火照っていた顔に冷たい水が当たって一気に冷やされて、直後にそれが爽快感に変化して身も心もあっという間にリフレッシュする。やっぱり今日みたいにどうしようもなく暑いときは、冷たい水を浴びるに限る。

 

 「そりゃ体育館(ハコ)の中にずっといたら尚更でしょ」

 「陸部だって大変じゃない?こんなに暑いとさ」

 「暑いのに変わりないけど風を感じられる分だけバドと比べたらマシってとこ。トレーニングルームはめっちゃ涼しいし」

 「イチくんは偉いなぁ。さっきまでいた誰かさんと違って弱音とか吐かないし」

 「俺だって弱音ぐらい吐くよたまに」

 

 良くも悪くも正直なやっすんに比べて滅多に弱音や愚痴を溢さないことを褒めると、イチくんは謙遜してクールに返す。こういうふとした時に見せる同学年とは思えないくらい落ち着いていて余裕がある佇まいに、中3のときに100メートル走で全中まで勝ち進んだ短距離期待の新エースの格を感じる。

 

 「…花火大会。楽しめた?」

 

 最後に一口分の水を飲んでタオルで顔を拭く私に、イチくんが花火大会の話を振る。

 

 「うん。ひだっちも誘えたし間近で花火も観れたしすっごい楽しかった!」

 「ははっ、だろうなってのが顔に出てる」

 「イチくんこそ楽しめた花火大会?」

 「まあね。多分結には負けるけど」

 「そんなことないでしょ。ていうか花火大会に勝ち負けってなくない?」

 「あぁ、確かに」

 「たまには良いこと言うでしょ私?」

 「ガキのときから()()()()ばっかしてきた悪い癖が出た」

 「ぷはっ、なんかイチくんらしいねそういうとこ」

 

 もちろんひだっちと2人で行った花火大会は、それはもう“この時間がもっと続いたらな…”って本気で思うくらいすごく楽しかった。一緒に花火が上がるまで屋台を巡ったり、お揃いのりんご飴をかじりながら大迫力のスターマインを間近で眺めたり……ひだっちが私のことを初めて“結”って呼んでくれたり。ただ、写真はものの見事に撮り忘れてしまったけど。

 

 「ありがとね。イチくんのおかげで最高の思い出ができた」

 

 

 

 でも、あの瞬間を記録しなかったからこそ……景色と音がより()()()()になってずっと身体の中で残り続けている。

 

 

 

 「じゃあねイチくん。この後の練習も頑張ってっ」

 

 そろそろコートに戻らなければと我に戻って、私はイチくんへ軽く手を振って体育館のほうへ足を進める。

 

 「結」

 

 一歩踏み出したタイミングで、イチくんの低めな声に呼び止められて反射的にそのまま振り返る。

 

 「羽鳥とさ、何かあった?」

 「……はい?」

 

 振り返った私の目を真っ直ぐ捉えた切れ長の瞳が、ダイレクトに核心の感情を突き刺す。ゾワっとする感覚が心臓から全身に凄いスピードで伝って、すぐにどこかへ消えて行った。

 

 「…ごめん。やっぱ今のナシ、忘れてくれ」

 「ナシ?」

 「うん。マジでなんでもない」

 

 なんて答えようか惑っていたら、イチくんは両手を合わせるジェスチャーで“今のナシ”と前言撤回してきた。

 

 「ほんとごめん。呼び止めちゃって」

 「ううん、大丈夫」

 「じゃあまた。練習頑張って」

 「うん!イチくんもおつかれっ!」

 

 ひとまずお互い練習場所に戻らねばと、ちょっと気まずい流れを無理やり断ち切り今度こそイチくんに手を振って私は体育館の扉へ歩みを進める。よくわからないけど、ピンチみたいなものは脱したみたい。

 

 「……はぁ…びっくりしたっ」

 

 イチくんの姿が死角で見えなくなったのと同時に、ドッとした大きな溜息が独り言と一緒に口から溢れて、全身が一気に軽くなって心なしか視界も無駄に鮮明になる。まるで数分ぶりくらいに酸素を取り戻したかのような、安堵感。

 

 「(知ってるはずないもんね。ていうかまずひだっちだって知らないんだから…)」

 

 一瞬、本気で見抜かれたと思い込んで心臓が止まりかけるほどびっくりした。そもそも私がひだっちに()()()()()()()を持ってしまったことなんて誰にも打ち明けていないのに、イチくんが知っているはずがない。多分あれは、花火大会の話をしている私のことを見てただ気になったからつい聞いてみただけ。冗談こそ言うけど基本的に意地悪とは無縁な優しい性格をしているのは今でも同じだろうから、そうに違いない。

 

 

 

 「結って羽鳥のこと好きなの?」

 

 

 

 でも、なんでイチくんはそんなに私とひだっちのことが気になるんだろう?

 

 

 

 「…こういうときこそバドだよねぇ」

 

 これ以上考えたら頭の中がどんどん混乱していって収拾がつかなくなるからと、私は心のスイッチを入れて体育館の扉を開けて中へと入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「…聞かないほうが良かったかもな。今の」

 

 結の姿が見えなくなったのと同時に、溜息と独り言が同時に口から零れた。そして再び空気を吸うと酸素と一緒に取り込まれるのは、つい出来心という名の魔が差して後先考えず呼び止め親友の羽鳥のことを聞いた数十秒前の後悔。もちろんこの世界はSFじゃあるまいし時なんて戻せないから、自分への溜息と愚痴を吐いたところでどうにもできない。

 

 「(あの表情(かお)……やっぱり()()だよな…)」

 

 

 

 俺と結は、幼稚園からずっと通っている場所(がっこう)が同じクラスメイトだ。そんな結と初めて面と向かって話したのは年長のとき、運動会のリレーで躓いた結を俺が追い抜いて逆転して、そのことで自分のせいで負けたと結が大泣きしていたことを同じ組の友達から聞いて謝りにいったときのことだ。

 

 

 「ごめん。リレー勝っちゃって…」

 

 

 いざ結を見つけて声を掛けたはいいものの、本人を前にしたら何て言ったらいいのか分からなくなって俺はリレーで自分が勝ってしまったことをそのまま言葉にして謝った。正直いま振り返れば、もっとマシな言葉なんて幾らでもあるぐらい酷い言いぐさだったと思う。

 

 

 「1位おめでとう!ゆーしょうできたんだから、スマイルだよっ!」

 

 

 泣かせたことを謝りにきた俺を、結は怒るどころか満面の笑みでピースサインを送りながら1位になったことを祝ってくれた。負けず嫌いな性格からして悔しい思いは絶対あったはずなのに、それを一切見せないで許してくれた。

 

 

 「そういえばだけど、イチくんって幼稚園からずっと私と通ってるところ一緒じゃない?」

 「あぁ、言われてみれば何気に」

 「だよねっ!」

 

 

 ただし俺と結は中1までクラスも違えば家も近所ではなかったから、次に面と向かって話すようになるのは中2のときにあったクラス替えで同じクラスになってからになる。俺が結から“イチくん”と呼ばれるようになったのも、ちょうどそのタイミングだった。

 

 

 「今日からまたよろしくね!イチくん!」

 「うん。よろしく千木良さん」

 「“結”でいいよっ」

 「じゃあ、よろしく。結」

 

 

 初めて同じクラスになったときには、結はいつもクラスの中心にいるような人気者になっていた。勉強もスポーツも万能で、例えるなら少女漫画にいそうな王子様タイプのヒロインみたいに美形で整った顔立ちとスラっとした体躯に、クールな外見とは対照的な天真爛漫でフレンドリーな人柄で、男女やクラスの枠を超えて人気を集めるマドンナ。

 

 俺が結のことを()()()と思い始めたのも、このときからだった。

 

 

 「ゆいゆい~、今度の土日ウチら暇だからゆいゆいの応援行ってもいい?」

 「えっ!?めっちゃ嬉しいんだけど!?」

 「あははっ、めっちゃ喜んでくれるじゃん」

 「応援する人が多ければ多いほど私は燃えるタイプですから☆」

 「だったら結のチームの応援に負けないくらいあたしも応援するねっ」

 「れみえるもしおりんも最高すぎる」

 

 

 とはいえ俺と結はたまたま幼稚園から小中までが同じなだけで、習っているスポーツも教室内のコミュニティも違うから学校が同じって以外の共通点がない顔見知り程度で、教室の中以外では話さない程度の距離感のただのクラスメイト。相手が1分あれば誰とでも打ち解けるほどの根っからの陽キャなのと通っている場所がずっと同じという話題もあって普通に仲良くはしていたけど、かと言ってそれ以上もそれ以下もない。

 

 

 「イチ、今日って自主練だよな?」

 「おう」

 「サンクス。あと今日100M(ひゃくえむ)で俺がイチに勝てたらアクエリ奢ってくんね?」

 「勝てたらな?県5位ナメんな」

 

 

 本音を言うと、同じクラスになってから結のことが()()()()()()()()()()()()にずっと気になっていた。でも俺から見て中学のときの結は恋愛にはほとんど興味も関心もなくて、相手が同性だろうが異性だろうが等しく友達として接していく言うなれば“誰からも好かれるみんなの友達”みたいなどこか遠い存在だった。俺もその中の1人に過ぎなかったわけだけど、こっちもこっちで恋愛事にはさほど関心がなかったからそれで十分だった。

 

 

 「イチくんって栄明行くんだ?」

 「幾つかの学校から推薦貰ったけど、家から通うには栄明が一番近いからさ」

 「何それめっちゃカッコいいじゃん」

 「カッコいいか?」

 「ちなみになんだけど……私も栄明なんだよね~」

 「…マジで?」

 「しかもスポーツ推薦」

 「いや世間狭っ」

 「ぷはっ、ホントにそれ」

 

 

 部活を引退した中3の夏の終わり。結が俺と同じ高校(がっこう)に進学しようとしていることを知った。これがきっかけになったのかは分からないが、単なるクラスメイトに過ぎなかった結と少しだけ顔を合わせて話す回数が増えて、同じ陸上仲間で親友の(やす)比呂(ひろ)と合わせて顔なじみと言えるくらい仲良くなった。

 

 

 「良かったなイチ。結ちゃんと同じクラスで」

 「同じ学校ってだけでも俺は十分だけど」

 「クラス変わって離れ離れになるけど俺とも仲良くしてくれよなぁイチぃ」

 「泰比呂の性格なら問題ないってか、どうせ部活で会うでしょ」

 

 

 そして説明するまでもなく、俺は晴れて栄明にスポーツ推薦で合格して結と同じ高校に進学して、同じクラスになった。同じ学校に進学できただけで十分だと口では親友に言いながら、内心では普通に喜んでいた。

 

 

 「クラス表見た?」

 「あぁ。また同じだな」

 「すごい偶然だね。てゆーかやっすん元気なくない?」

 「1人だけ違うクラスに分けられていじけてんだよこいつ」

 「寂しいなぁお前らと離れ離れになんのは…」

 「転校でもすんのかお前?」

 

 

 相も変わらず友達であることには変わらないものの、またひとつ共通点が増えたことが何だか無性に嬉しく思えた。

 

 

 

 「長野県の雲山っていうところから来ました羽鳥飛鷹です。バドミントンのスポーツ推薦で入りました。えーっと、この辺のこととかマジで知らない田舎者なんでお勧めのスポーツショップ的なのがあったら色々教えてください。よろしくお願いします」

 

 

 

 

 

 

 そんな俺と同じ1年B組に、長野からスポーツ推薦で進学したやたらとバドが強い編入生がやってきた……この編入生がきっかけで結が今まで周りに見せたことのなかった表情を見せるようになって、それを見て()()()()()()に気付かされるとは、このときは思いもしなかった。

 

 

 

 

 

 

 「結ちゃんと2人きりの会話は楽しめたか?」

 「まあ。おかげさまで」

 「これも俺さまのナイスアシストのおかげだなっ!」

 「ジョークは大概にせいって言いたいとこだけど、ありがとな」

 「つーわけでイチ、あとでポカr」

 「奢らねえよ?」

 「うわ冷たっ。ドライフラワーぐらい冷たっ」

 「どうしても奢って欲しけりゃ俺より速く走りたまえ」

 「…へいへい(その負けん気と自信を恋愛のほうにも向けられたらなぁ…)」

 

 「全員戻ったかな?じゃあSD*1やるから準備して」

 「「はいっ」」

 

 少し遅れてグラウンドに戻ると共にまるで全部分かっているかのような口ぶりでクールに笑う泰比呂に揶揄われつつ、俺は休憩を終えて練習に戻った。

*1
スタートダッシュ練習




高校のときに自分もバドミントンをやっていたからという理由だけで読み始めた漫画で、恋愛モノ自体もちゃんと読んだのは初めてだったのですが、控えめに言って『アオのハコ』という素晴らしい作品をリアルタイムで読むことができて本当に良かったです。

三浦糀先生。約5年に渡る連載本当にお疲れ様でした!

そして大喜たちのかけがえのない“青い春”を届けていただき、本当にありがとうございました!
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